「母が認知症になった」
毎週土曜日は、心の洗濯の日です。きょうは・・・
今からほぼ1年前の記事にコメントを頂いたのですが、どんな記事だったかと読む内に涙が止まらなくなり、、、 自分自身を、今を、振り返る意味でももう一度ご紹介したいと思いました。
失語症の父の言ってる事がわからなくて、 「わからないよ」「もっとゆっくり喋って」と怒った事がある。 最近、忘れっぽくなった母がこないだも、眼鏡がない!と路上で、 何が入っているのか大きなカバンから中身を全て取り出し「ない!」また取り出し「ない!」 3回目にやっと「あった!」・・・その時私はうんざりな顔をした。 その30分後、今度は預けたチケットがない!と。 また地面に大きなカバンを置き、中身を全て取り出している。 私はそれを上から見下ろしていた。
入口のお姉さんが「いいですよ」と言ってくれ、チケットが見つからないまま中へ入った。 私はお姉さんに「ほんとにすみません!」と言い、母を叱った。
「いい加減にしてよ」と・・・ 母が認知症になった。 施設には入れずに、自宅で介護を続けてきた。 施設の見学には行ったが、施設のことが詳しく分かれば分かるほど、
母をそこに入れることが不憫に思えた。 3年後。懸命な介護にもかかわらず、母の認知症は進んだ。 その頃には私も介護に疲れ、少しのことでイラつくようになっていた。 ある日、家の庭に野良猫がやってきた。 母は猫を指差し、「あれは何だい?」と訪ねてきた。 私は「あれは猫だよ。」と、少し冷たく答えた。 母は1分もしないうちに私に訪ねた。「あれは何だい?」 「母さん。さっき言ったろ?あれは猫だよ。」私は少しイライラしていた。 母はまたすぐに言った。「ねぇ、あれは何?」
私は感情にまかせて母を怒鳴った。 「母さん!何度も言ってるだろ!あれは猫だよ!!分からないの!!」 母は恐れるような眼で私を見つめ、それからは黙っていた。 その後すぐに、私は母を施設に入れることにした。 母の荷物をまとめるために部屋を整理していると、古いノートが何冊も出てきた。 パラパラとめくって中身を見ると、それは母の日記で、 私を産んでから数年間、毎日のように書かれたものであった。 私はハッとした。 それを読んでも母を施設に入れる気持ちは変わらないと思ったが、 なんだか申し訳ない気持ちになって、なんとなく読み始めていた。 内容はありふれたもので、 『私が初めて〇〇をした。』というようなことがほとんどであった。 私は大した感動をすることもなく1冊目を読み終えると、
2冊目の日記を手に取り、読み始めた。 6月3日。 もうすぐ4歳になる息子と公園に行くと、 1羽のハクセキレイが目の前に飛んできた。 息子は「あれは何て言う鳥?」と、私に何回も何回も訊いてきた。 私はその度に「あれはセキレイって言うんだよ。」と、言って息子を抱きしめた。 何度も訊いてくれることが、私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。 この子が生まれてきてくれてよかった。 ありがとう。 読み終わった私の目には涙があふれ、 母のもとに駆け寄り、やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。 母は、そんな私をただやさしく撫でていた。 ・・・母が大きなカバンから探している時、なんで一緒にしゃがんで探してあげなかったんだろう。
入口のお姉さんに「すみません!」と言う前に、どうして母に「良かったね」と言えなかったんだろう・・・ 父が1年入院している間、雨の日も、風の日も、雪の日も、1日も休まずにお見舞いに行った母。 私が入院しているときも1日も欠かさずお見舞いに来てくれた母。その時、母は胃腸炎になっていたのに、、、 10年後、私達は歳をとっているけれど、親はもっと歳をとる。 10年後、母はパートはできないだろう。自称、競輪選手の母も自転車にも乗っていないだろう。
喉元過ぎて熱さ忘れない様にしなければ。
繰り返される感情・・・ 介護のプロの方から「お父さんのケアはお母さんがしている。お母さんのケアが必要」と聞き、 一生懸命に母の為にと考えても、夫婦二人の生活に私が入るとズレも生まれる。 見たいテレビが違う、生活の時間帯が違う、私が作る料理はお父さんの好みに合わない・・・ フィンランドの美しすぎるフィギュア選手キーラ・コルピさんが「美しさの秘密は?」と聞かれ、 「生まれてきた事に感謝」と答えており、素晴らしいと思った。 生まれてきた事に感謝できる時と、そう思えない時があると思った・・・ 生身の人間だもの。辛い事もあるもの。世の中、理不尽な事もあるもの。聖人君子じゃないもの。 いつもいつも親に100%感謝の気持ちを持ち続けるのは難しかった・・・
キロロの歌が何度か頭を巡った。 その優しさを時には嫌がり・・・離れた・・・母に素直になれず・・・ 入院中、点滴タワーを付けて、遠くへ行くのを嫌がる私を、屋上へ連れてった母。 「ほら〜気持ちいいでしょう」と、風になびかせながら、洗濯物を楽しそうに干す母の笑顔。 午前3時、救急車で運ばれた私の、入院手続きが済む朝7時まで気丈に頑張り、パートに行った母。 「またあとで来るね」って、しんどいのにそうやって毎日来てくれた。 身体じゅうに管を付けられて1週間何も食べられない娘の横で、美味しそうに大福を食べてた母。 それを見て、笑っちゃった私・・・オカンおもろいな〜って。 管がいっぱいで、お見舞いは絶対に嫌と言ってた私は、母がいてくれるから乗り越えられると思った。 来週は、まっさらな気持ちで、母に会いに行こうと思います。 お父さんが照れ笑いしながら、杖で歩いくる姿を見たら、胸が苦しくなるんだろうな・・・満月の日に・・・ ※この記事の転載、コピーは禁止です。 |