アイアンポーク大佐の名悪台詞

さて、唐突なタイトルだがそのタイトルの人物、アイアンポーク大佐とはそも何者か。彼が登場するのは「宮崎駿の雑想ノート」・・・そもそもはかの高名なスタジオジブリと日本が世界に誇るアニメ監督宮崎駿氏が、普段アニメでは出しにくいミリタリー系の知識を思う存分雑誌「モデルグラフィック」に書いたのを一冊に纏めた本、そのラジオドラマ版である。
(その内の一部は後に「紅の豚」としてアニメになり、また雑想ノート自体にも続編というべき「泥まみれの虎」が出た)
より正確に言うならば、そんなラジオドラマシリーズの一話「多砲塔の出番」である。原典においては現実戦史における多砲塔戦車(一度に複数の敵を撃てるよう、沢山の砲塔をつけた戦車のこと。現実にはあまり発展しなかった)という概念の発展と現実を綴りつつ、短い絵付きプロットをつけたものであった。
その「短いプロット」、「一億円ほど持参してくれるスポンサーがいれば、60分の総天然色アニメにします」という文がついていたのだがこれがなんとほんとにスポンサーがついてしまったらしいのだ。それでOVAとして企画が動いたのだが、結局同じ雑想ノートから出た「紅の豚」の映画化により製作は中止されたという経緯がある。
それが、ラジオドラマになったのだ。とはいえ原作のプロットはごくごく単純なもので、たいしたことはないかに思われたのだが・・・しかし!
原作では「悪役大佐」というぞんざいな名前で呼ばれていたアイアンポーク大佐が・・・滅茶苦茶かっこよかったのである!無論悪役なのだが、悪としての魅力が凄まじいのだ。某特務の青二才や総統代行など足元にも及ばない。その卓抜した台詞の美学!
さらに声も・・・このラジオドラマシリーズは基本的に各話一人の俳優が複数の役を行う構成になっているのだが、この回は桃井かおりが戦いに巻き込まれた少女と少年、そしてアイアンポーク大佐の三役をしておるのだが。
中年男性・・ただし顔は黒豚、紅の豚の主人公ポルコ=ロッソと似たようなもの(いずれも第一次大戦後ないしはそれを思わせる世界観なのが面白い)・・・であるアイアンポーク大佐の声を女性が当てるというのはいかにも不自然なのだが、これが大当たりだった。
無理に低められた、細い、かすれた声。それがかえってアイアンポーク大佐のやや虚無的な感じの言動と絶妙にマッチし、とてもクールビューティー、それでいてダンディーな印象を与えるのだ(中年の黒豚だけど)。実にすばらしく、作品自体が悪台詞の宝庫といっていいのでこうしてコーナー化した。


「わしには分かる。お前のそのひっつめ髪や短く切りそろえた爪、それにその充分に使い込んだ清潔なエプロンを見ればな。お前を専属コックに任命する。」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

「鉄の黒豚」の異名をもって知られるアイアンポーク大佐が、自分で開発した新型多砲塔戦車でもって反乱を起こした。たった一両の戦車での「反乱軍」。とはいえ全長17m、重さ200tもある怪物戦車、政府軍は歯が立たずアイアンポーク大佐は次々それを打ち破り進撃してきていた。
そんなアイアンポーク大佐がある街を通り、そこでコックを調達しようとしたところから物語は始まる。(一応主役はアンナのはずなのだが)
病気の奥さんの居る店長の代わりに自分を連れてっていって欲しいと頼んだアンナを見ての大佐の言葉が上のものである。確かにコックというものはそうでなければならん。料理を清潔に作るためには、髪も爪も整えてなければならない・・・エプロンも同じ。
それを素早く見ぬくあたり、流石である。悪役は気障をもって自らに任じるなれば、該博なる知識を持たねばならぬ。


「我が多砲塔戦車に乗った以上、何も知らないでは済まされぬ。もう分かっていると思うが、この戦車はただの戦車ではない。究極の兵器だ。馬鹿な政府軍の連中はこの戦車の真の価値を全く分かっていない。戦車とは恐怖そのものでなければならぬ。」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

戦車とは恐怖そのものでなければならぬ。これは、紛れも無く戦場に初登場したときの戦車の本分を言い表した台詞である。
実戦に最初に投入された戦車は数字体は少なく純粋に物理的な戦果という点ではそれほど大した代物ではなかった。しかし攻撃が効かず、またそれまで戦場にありえなかった非生物的な姿で迫り来るそれは、兵士の心理に物理的なそれ以上の大打撃を与えたのだ。それが戦車の始まりであった。
そしてこの恐怖の兵器という発想はその後様々な形態で受け継がれていくことになるが、それらはいずれも人とその衝動的はけ口でもある戦闘にとって有害なものと成り果てた。
そんな、時代を示す台詞でもある。また、多砲塔戦車という「超兵器」の、これは「超兵器の有様」というものを言い当てているともいえる。
単体で高い戦闘能力を有する超兵器・・・現実的存在としては特に強力な戦艦や機動部隊などがこれにあたる・・・は、蹂躙と打撃を披露した後さらに示威という威力を発揮する。すなわち、恐怖を持って敵を平伏せしめる力・・・


「なかなか可愛い質問だ。わしにとって人民解放戦線なんかどうでもいい。堕落しきった今の政府が倒れるのはどの道時間の問題だ。街を壊すな?畑を踏み潰すな?これはわしにとって命を賭けた戦いなんだぞ。戦いに破壊はつきものだ。」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

そして、それだけの力を持ちながら、アイアンポーク大佐にはどこか虚無的なところがある。先頭で得られる結果が目的なのではなく、自らが開発したこの多砲塔戦車という怪物を思う存分暴れさせたかった・・・というような。
それをあらわすのがこの台詞。そして、その内面をあらわすのが次の台詞だ。大佐の虚無には、正義とか悪とか言う者に対する深い絶望が隠されているように思えてならない。絵や劇中描写などからするに第一次大戦後と見られる故、おそらくその戦場で何かがあった、のだろう。
(ポルコ=ロッソも第一次大戦の中、豚の顔になった。アイアンポーク大佐もそうだとするならば・・・二つの世界観をリンクさせた作品など作れそうで面白い)

「娘さん。いや、アンナさんとよばせてもらおう。わしには正義も悪もない。そんな者は人間が勝手に発明した幻想に過ぎんからだ。わしは軍人だ。それも今や筋金入りの大反逆者だ。反逆者たるもの、そんな理屈は無用!」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

豚の顔を持つアイアンポーク大佐だからこそ言える台詞である。とりあえず正義と名乗って他国を空爆する某国軍や、教典に違反する迷惑自殺をジハードとかぬかすエロリストに、この言葉を聞かせてやりたい。
そしてその発言の後、アンナの作ったポークコロッケを旨い旨いと食べて言ったのが
「わしにとってはこのほうがよほど意味がある。」
という言葉。これもまた深い。


「静止していれば5km以上はなれた目標を確実に射止めることが出来る。これは正義でも悪でも神でも真理でもない。事実だ。そしてこれこそが恐怖だ。」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

多砲塔戦車の性能をアンナに紹介しながらの言葉なのだが・・・砲の性能一つに、この華麗なる修辞。
美学である。実に美しい。


「やはり政府の連中は戦車が直進に拘る理由がわからんようだ。」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

そして、アイアンポーク大佐とその指揮下の兵士達は、多砲塔戦車を、建造した工場から目的地・帝都ルバニールまで一直線で、一度も曲がらずに進んで見せると決意している。
その理由を政府軍は理解せず、ひょっとしたら多砲塔戦車は構造上曲がれないのではないか、という憶測を新聞に書きたてていた。それを見ての大佐の台詞である。
無謀といえる、作戦とはいえない行動。しかしその行為には大佐のプライドだけではなく、おそらく大佐の部下達の思いもこめられているのではないかと思わせる台詞だ。


「アンナさん、それでもわしに、本気でさらわれてくれる気にはならんかね?」
「私には、もう決めた人がいるんです。・・・ごめんなさい。」
「やはりそうか。だが、あきらめんぞ。決心を貫くこと、それがわしの哲学だからな。この戦車が直進を続ける限りわしもあんたをあきらめない、とだけいっておこう。」

発言者 アイアンポーク大佐 アンナ
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

前の台詞と組み合わせて考えると、この台詞の重さがまたいや増すというもの。攫ってきた、つまり本来大佐にしてみればそうとう恣意的になってもいいはずの無力な少女相手に、あえてもう一度プロポーズするダンディズム。そしてその台詞にしても自らが攫ったということを認識しつつ・・・というのが見えるゆえさらに美しい。
そしてそれを断られても、力ずくなどということはせず時間をかけようと宣言する。さらに、それを「戦車が直進し続ける限り」と限定するあたりにまた美学がある。この戦車は、大佐の信念と決意の象徴であり具現だ。己が己を恥じない存在である、ゆえに諦めないのだ。もしそうでなくなったとするならば、あきらめるという決意でもある。

「巨大な外見とは裏腹に、狭くて入り組んだ内部。この戦車が大佐自身というのなら、大佐の心も、こんな風に暗くて狭いのでしょうか。私にはこの戦車自身が、邪悪で凶暴な意思を持った生き物に思われ、私は背筋が寒くなるのを感じました。」
発言者 アンナ
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番
「大佐が自分の決めたことを貫くのが大切だと思うのなら、大佐が踏みにじってきた物を大切にしてきた人の思いも同じように大切なのだということを気づくべきなのです。」
発言者 アンナ
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

そんな大佐であるが、ヒロインのアンナはそれを完全肯定せず甘やかさず、それがまたいい。しかし同時に大佐のことを思いやっているようでもあって・・・


「最後の仕上げだ。ルバニールに我等の恐怖の刻印を刻みこむのだ!」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

大佐の戦車がとうとう首都ルバニールを目前にしたときの台詞。
こういう何気ない台詞にしても、どこか口調が優雅である。ともかく、この時点で大佐の野望を阻みうる者は存在しなかったといっていいのだが。
(厳密に言えば大佐の戦車は200tの重量を支えるために、車体重心部に車輪のスポークのように(説明を聞いていると船の竜骨にも近く思えるが)ワイヤーが張り巡らされそれで車体を支えているという仕掛けがあり、その解除レバーを引けば車体が分解する。アンナはそれを引けるチャンスがあったのだが、この時点ではもう無理だし)

「貴方なんて、誇りの意味を履き違えた、だたの無節操で臆病な、豚よっ!」
「ッハハハハッ・・・皆聞いたか。たった今、わしは生まれて初めて臆病だといわれた。誇りの意味を履き違えた無節操な豚だともな。ッハハッ・・・実に痛快だ。わしは今から、初めて諸君等の意見を聞くことにする。正直に答えてくれ。あの屋根の上の三人の人間と子犬一匹と我が戦車で持って救出し、この究極の兵器多砲塔戦車が直進しか出来ないと思っている連中をアッと言わせてやることに賛成する者!」
「おーっ!賛成!」
「そうと決まれば全員は位置につけ!目標、左十八度!」
「ありがとう・・・大佐・・・ありがとう・・・!」

発言者 アンナ アイアンポーク大佐 戦車兵
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

そこまできて。あとは進むだけで帝都ルバニールを、そしてこの国そのものを手に出来るというときに、氾濫した川に流されている農家に一行は遭遇してしまった。
そこに取り残された家族を救って欲しいと頼むアンナを、それを救っていては「帝都ルバニールまで一度も曲がらず直進してみせる」という誓いを破ることになるため大佐は拒絶。それでアンナが怒って大佐に詰め寄るのだが。
無力な少女が怒ったところで本来なら大佐には何ほどのこともないはずだ。かまわず進むことだって出来る。そして無論、曲がることも出来ないわけではない。曲がって家族を助けたあとで進撃を再開しても、純軍事的には何の問題も無い。
しかし、あえて大佐は「少女の頼みを聞く」という判断をし、そして。(ちゃんとお礼を言うアンナもよし。しかしこのシーンでの大佐の笑い方はかなり独特である。活字表現ではダイブ簡単になっているが、独特の抑揚の・・・からっとした、楽しそうな、開放されたような笑い)

「皆、よく聞け。理由はともかく直進を断念し人助けをするようでは、わしもただの善良な豚に過ぎん。もはや帝都ルバニールを落とす資格も気力も失せた。それにどうやらあの政府軍のアホどもは我々の存在に浮き足だち人民解放戦線とやらに虚を突かれたらしい。陥落も間近だ。たった今をもって、この即席バークシャー連隊を解散する。」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

「それで帝都進攻を諦める」と言うのだ。この潔さ。誠実さ。到底凡百の及ぶところにあらず。


「さて、諸君。よくここまでついてきてくれた。感謝する。降りたい者はここでおりるがいい。だが、もしわしについてきてくれるなら・・・飛び切りの冒険を約束しよう!」
発言者 アイアンポーク大佐
宮崎駿の雑想ノート(ラジオドラマ)多砲塔の出番

そして、本当に最後。帝都進攻をあきらめた大佐がこう呼びかけたところ、部下が全員ついてきた、それが大佐の人徳の証明であろうと思う。

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