つなごう医療 中日メディカルサイト

〈あの人に迫る〉 「患者よ、がんと闘うな」 慶応大病院放射線科講師 近藤誠さん

(2013年7月12日) 【中日新聞】【夕刊】【その他】 この記事を印刷する

がん克服は無理 放置に迷いなし

画像写真 松崎浩一

 「がんと闘うな。放置が一番」と訴える慶応大病院放射線科講師の近藤誠さん(64)の著作が次々とベストセラーになっている。医学界で異端視されながら、読者の共感を得ているのは、医療の不確実性と限界を認めるこの医師の感性が支持されているのではないか。逆に言えば、人体を部分で見る西洋医学や医師に対する不信が広がっているのかもしれない。 (山本真嗣)

 がんを放置するという考えは、従来の医療現場では考えられませんでした。
 今までがんの治療現場では、データや理屈に合わないことが行われてきた。私は治療経験や臨床データ、理論を総合し、放置が妥当だと提示している。患者ががんを放置して構わないということに迷いはありません。それが、最初は治療というものを信じていた1人の医者が、たどり着いた結論なんです。

 「患者よ、がんと闘うな」を1996年に出版して以来、たくさんの人が僕の外来にきて、本当に放置を決めた150人以上を定期的に診てきた。乳がんと言われながら放置して23年間、何の変化もない患者もいる。日本全体ではもっと何千人、何万人という単位で実行している人がいるはず。医者よりも患者の理解が進んでいます。

 がんの治療に疑問を持ったきっかけは。
 放射線科に入局し、病棟に配属されたとき、患者のほとんどが末期がんだった。先輩の医師たちがよく抗がん剤を使うんだが、苦しんですぐに死んでいく。意味があるのかと思った。また、末期がん患者へ点滴をすると肺に水がたまって苦しむ。だから今はやっていないが、僕が医者になった当時はみんながやっていた。誰も点滴に問題があるとは思わない。習慣的にやっていることの恐ろしさがある。

 手術でもおかしなことがたくさんあって、例えばのどのがん。Ⅰ期という程度の低いがんで耳鼻科に行った患者は、日本では多くが喉頭全摘で声が出なくなる。だけど放射線治療の方が成績がいいわけですよ。何だ、これはと。僕は何でも疑問を抱いたら徹底的に詰めていく癖がある。猛烈に勉強を始めると、治療法によって生存率やQOL(生活の質)に大きな違いがあることが分かってきた。

 米国留学の経験は、日本の医療への疑問をさらに深めましたか。
 日本で乳がんの治療が筋肉も含めておっぱいを全摘していたとき、米国では温存療法が標準になりつつあった。これを日本でも広めたいと思った。乳がんのほかにも、日本で手術しているような患者が放射線で治っている。臓器を残す治療を進めなければと思った。帰国後、最初に私が乳房温存療法を行った患者が姉でした。30年たつが、姉は今も元気です。

 日本のがん治療を変えたいと思い、医学界向けにたくさん論文を書いた。1年に10本近く書いたこともある。でも外科医や耳鼻科医には無力だった。

 ある耳鼻科医にⅢ期のがんでも放射線で治せると言ったら、彼は「(手術は)若い人の練習もあるから」と。患者にとっては声を失うかどうかなのに、それが外出もままならないような生活を強いる理由になるのか。次第に医者に幻滅していった。学界向けの論文をやめて、患者に情報を伝え、自ら治療法を選び取ってもらおうと一般向けの本を書くようになりました。

 88年に文芸春秋誌上で、慶応大病院も含め、乳がん治療での乳房全摘を「外科医の犯罪」と批判しました。
 患者への同情と医者への怒りがあった。僕が乳房温存療法を紹介した新聞を見て、ある女性が僕の外来を訪ねてきた。ところが、僕の知らないところで外科の病棟に入院させられ、もう少しでおっぱいを全摘されるところだった。おっぱいを切り取られた女性はその後の人生が大きく変わる。患者の意思を無視して強引に乳房を切り取ろうとする外科医たちが許せなかった。データとロジックだけでは人は動かない。感情的なものがないと。

 患者は医師に治療を求めます。命を失うかもしれないがんの場合はなおさらではないですか。
 放置するかどうかは患者さんが自分で決めること。そういう意味で、手術や抗がん剤も、医者ではなく、患者自身が決め、実行していると考える方が正しい。ただ、手術や抗がん剤は医者がいなければできない。放置療法はまさに医者抜きで自分自身でできる。患者が主人公になって行う療法なんです。

 でも、何もしないことに、患者は我慢できないのでは。
 なるべく長く生きるという生命への執着心が人にはある。だが、現在の、この一瞬が大事なんだということに思いをいたさないといけない。今、自分が体調がいいとか、健やかであるという実感というんでしょうか。50年、100年生きるといっても実はこの一瞬、一瞬の積み重ねを味わっているにすぎない。手術や抗がん剤をすると体がぼろぼろになる。それでこの今を生きて、何が楽しいというんでしょうか。

 「がんと闘う」という思いから離れ、人生は短くてもいいと思えた人だけが、がん放置に踏み切れる。そして、実際には治療を受ける人よりも健やかに、長く生きることができる。そういう一種のパラドックスが放置療法にはあります。

 がん克服は人類の夢ではないのですか。
 がんは老化現象。克服するのは無理だと思う。「がんと闘う」という通念は医者たちが作り上げたもの。しかも医者たちのために。医者が「治る」とか、「生存率が上がる」とか言わなければ、患者は治療しようという気になりません。挑戦するという言葉は美しいが、挑戦させられているのは患者です。その結果、苦しんで早く死ぬのも患者。そこには人体実験の思想がある。食道がんの手術は始めたころはほぼ全員が数カ月で死んだ。それでも続けるというのは普通の感性では考えられない。

 なぜ、医師に。
 父親が開業医で、一人殿様みたいなやり方をしていた。私もずばずばものを言っちゃうようなところがあったから、会社勤めのサラリーマンは無理。自由業で1人でも何とかやっていける医者になろうと思った。その父親は反面教師でしたね。薬好き、注射好き、検査もいっぱいやって。私もマラリアの注射を打たれたときは副作用でずっと足を引きずっていましたが当時は必要だと思っていた。

 放射線科を選んだのは暇そうだったから(笑い)。学生結婚をして子どもがいた。医師の妻と2人で子育てしなければいけなかったので、あまり当直がないところがいい。とりあえず、楽しい家庭を築きたいと思っていたしね。

 医療界は変わりつつありますか。
 変わったかどうかは分からないけれども、ある程度の手応えはあります。乳がんをはじめ、臓器温存が少しずつ広がっている気配はある。老人が抱えている病気のほとんどは老化に名前を付けただけ。そういう人は治療しない方が健やかに、長生きできる。

 外部からのいろんな雑音に惑わされず患者のことだけを考えて治療に当たる。そういう医師になろうとしてきた。なれたかどうかは分からないですけどね。

 こんどう・まこと 1948(昭和23)年東京都生まれ。慶応大医学部を卒業後、同大病院放射線科に入局。ほとんどのがんには手術や抗がん剤の治療は効果がなく、放置するのが一番だと主張する。ただし、肝臓がん、白血病など血液のがん、小児がん、子宮絨毛(じゅうもう)がん、睾丸(こうがん)腫瘍は例外で治療すべしとしている。

 96年に「患者よ、がんと闘うな」(文芸春秋)を出版し、医学界で大論争を巻き起こした。昨年、創造的な業績があったとして第60回菊池寛賞を受賞。著書は「医者に殺されない47の心得」(アスコム)「がん放置療法のすすめ」(文春新書)など多数。今春、セカンドオピニオン専門外来を東京・渋谷で開業した。

あなたに伝えたい

 「がんと闘う」という通念は医者たちが作り上げたもの。しかも医者たちのために。

インタビューを終えて

 もし今、がんと宣告されたら、私は何も治療せずに放置することに耐えられるだろうか。年齢にもよるだろうが、39歳の私はおそらくできない。

 2年前、食道がんが見つかった知人が大学病院で手術を受ける前に抗がん剤治療の最中に急死した。近藤さんの「目の前のがん治療医を疑え」という言葉は胸に響く。医師への過度の依存は事故時の反動も大きい。

 だが、病を得た人間は何かにすがりたいのも事実。治療に耐える心と、達観して放置する不安に耐える心。いずれにしても、がんはやはり、闘いのような気がする。

中日新聞グループの総合案内サイト Chunichi.NAVI

中日新聞広告局 病医院・薬局の求人