「「自分らしい」ということ」という記事が面白かったので。このテーマ、深いですよね。
「自分らしく生きる」とはどういうことか
「自分らしく生きる」という言葉は、思わず斜に構えてしまう力を持っています。「自分らしいって何だよ、あなたはあなただろ」「『本当の自分』を探したって、そんなのは見つからないよ(笑)」とか。
しかし、「自分らしく生きたい」という願望はよく理解できます。そう願う人は、「今の自分の生き方は、本当の自分にあっていない」と感じているのでしょう。
ぼくもサラリーマン時代、地震の日も雨の日も風の日も満員電車に乗り、上司のいうことを聞いて仕事をする生活を、「自分にあっていない」と感じていました。そういう風に表現はしていませんでしたが、あの頃のぼくは「自分らしく生きたい」と願っていた記憶があります。
「自分らしく生きる」というのは、端的にいって、「自分の好き/嫌いに忠実に生きる」ということだとぼくは考えます。
ぼくは尊敬できない人と一緒に働くのは嫌です。挨拶が大事だ!みたいな文化も嫌いです。家族を優先できない組織は嫌いです。上から目線で命令されることが嫌いです。満員電車が嫌いです。飲み会が嫌いです。立食パーティが嫌いです。ついでにいえば、こんにゃくが嫌いです。
文章を書くことは好きです。引きこもって考えるのも好きです。家族とのんびり暮らすのが好きです。好きな人と仕事をするのが好きです。質素な暮らしをするのが好きです。田舎で半農生活をして暮らしたいと願っています。野菜育ててみたい。
そういう性向を持つ人間なので、ぼくは会社員という生活は向いていませんでした。ぼくがフリーランスになったのは、「嫌い」という感情に向き合った結果でもあります。あくまで「ぼくの場合は」ですが、会社を辞めることで、大変気持ちよく働くことができるようになりました。
「好き嫌い」という根源
人には好き嫌いがあるのです。
好き嫌いをバカにしてはいけません。これはその人をかたち作る、もっとも根源的な要素です。論理を超えた、魂のあり方といっても過言ではありません。好き嫌いに忠実に生きるということは、自分の本来的なあり方に忠実に生きるということです。
結局長続きして、楽しく生きることができるのは、「好きなことをやる」ないし「嫌いなことをやらない」という仕事のスタイルです。想像していただければわかるとおり、少なくとも、「嫌いなことをやりつづける」のはどう考えても苦痛です。
今の自分が「自分らしくない」と感じている人は、「好き嫌い」に忠実になることができていないのです。恐らく嫌いなことを嫌々やっており、本当に好きなことに時間を割くことができていない。そういう状況にあると、人は「今の自分は自分らしくない」と考えるようになるのではないでしょうか。
というわけで、漠然と「自分らしさ」を求めている人には、自分の好き嫌いを洗い出すといいと思います。特に「嫌い」というモチベーションは、直視してみると色々見えてきたりします。
その上で、少しずつ、「好き嫌いに忠実に生きること」に挑戦していくのがよいでしょう。会社勤めが嫌いなら、土日で友人たちとプロジェクトをやってみる。NPOを手伝ってみる。2日有給をとって、その状態で働いてみる。
「好き嫌い」は他者の影響を大きく受けるものであることにも注意しましょう。自分の根源が求めているのではなく、単に誰かに対する憧れだったりもします。やってみると、「あれ?やっぱり違うな」となってしまいます。ここは注意しましょう。
「好き嫌い」が本当に正しいかどうかは、やってみないと検証できないものだったりします。ゆえに、実験が大切です。嫌いなことから、少しずつ逃げ、好きなことに、少しずつ近づいていくのです。
好き嫌いに忠実に生きるのは、甘くない
大切なことなので補足しておくと、好き嫌いに忠実に生きるのは、決して甘い道ではありません。あなたの性向によっては、それは「反社会的」な生き方になるかもしれないからです。
たとえば「働くのが嫌いだ」という人は、その意志に忠実に生きようとしたとき、間違いなく社会的な批判を受けるでしょう。「何言ってるんだ!勤労は国民の義務だ!働け!『わがまま』言うな!」。
もっと卑近な例でいえば「上司が嫌いだ」という感情ですら、普通に会社に勤めていると、どうしてなかなか、それに忠実に生きることは難しいわけです。
好き嫌いの内容によりますが、「好き嫌いに忠実に生きる」ことは、場合によっては、圧倒的な「強さ」が求められることがあります。「わがまま」であるということは、強さの証でもあるのです。
「自分の好き嫌いが反社会的でないか」「自分が十分な強さを持っているか」を見きわめるためにも、少しずつ実験していくことが大切です。オレは会社を辞めるぞーッ!と安易に飛び出すと、かえって辛い状況に追い込まれる可能性があることに留意しましょう。
自分とは何か
また、そもそも「自分」とは何か、という問いのない答えに向き合うことも求められます。「自分らしく生きたい」と願う時に、「では、自分とは何なのか?」と考えなければ、話は進まないからです。
この答えは人によって、また人生のフェーズによっても変わってくるでしょう。ぼくは子どもが生まれてから、「自分」は「子どもを含む自分」に拡張しました。それによって、好き嫌いの感覚や、「自分らしさ」も変わってくるでしょう。みなさんは「自分」とは何だと考えますか?
「自分らしく生きる」という言葉は、その表層的な印象からは想像ができないほど、深いテーマを含むものだと考えています。今のところ、ぼくは「好き嫌い」という切り口が鍵になると考えていますが、まだ周辺のテーマが整理しきれていません。
みなさんなりの考えをぜひお聞かせください。「自分らしく生きる」とはどういうことだと考えますか?