慶應義塾高等学校は「塾高(じゅくこう)」と呼ばれています。
これは親しみをこめた愛称ですが、私はそれ以上の意味がこの言葉にこめられていると思っています。
慶應義塾の創始者・福澤諭吉は、教員と生徒が、それぞれ「独立自尊」の人格として立つことを前提に、「半学半教」の精神を共有して、お互い半ば好敵手として交流する、そのような学塾を目指しました。慶應を象徴するこの「塾」の伝統に思いをいたすとき、塾高こそは、慶應義塾の一貫教育校の中で唯一「塾」の語を愛称に冠している学校であり、このことは特権的なことであると言ってよいのではないか、そう私は考えています。
1948 年の創立以来、本校は実に多様な人材を輩出し、慶應義塾全体のキャラクターを作り上げてきた自負があります。さらに、日本で、そして世界で、大活躍する多くの卒業生を送り出してきました。でも、そんな彼らも、この日吉の丘で汗と笑いの3 年間をすごしたのです。これだけの個性的で有能な人材を輩出することはそう簡単にできることではありません。日吉の自由な環境は、伝統と革新が共存する塾独特の磁場に支えられています。
とはいえ、塾高を名乗ることの特権性はしばし頭の片隅において、勉学に、スポーツに、芸術文化に、おおいにはげんで、元気に日吉の丘をとびまわってください。若いということは義塾の特権性以上に特権的なことなのですから。
校長 駒村 圭吾