大石あやかと表現の自由
月曜、元アダルトビデオ女優「大石あやか」の代理人をつとめる辯護士からメールが。
彼女の著作権・肖像権・名誉・プライバシーを侵害する、ある記事をまるごと削除しろと。
48時間以内に対応せねば、法的手段を検討すると。
二往復のやりとりをへて、ボクは画像と、個人特定や属性に関する記述をけした。
現時点で代理人から返答なく、これで収束したか不明。
「表現の自由」なんて、はかないもの。
たとえ事実の記録でも。
書く意味があると信じて書いたのに、それで傷つく人間の主張の方がつよい。
自分の執筆活動は正義だ、といえる基盤はどこにもない。
大石は辯護士の力をかり、ウェブ上の痕跡をけしている。
アマゾンやDMMで検索しても、なにもかからない。
通販サイトが経営上の判断として、手をひくのはわかる。
でもなぜ写真家・篠山紀信まで、自身のサイトで要請に応じたのか。
老巨匠が、表現の自由の砦とならずして、なんの存在理由があるのか。
わかつたのは、「表現」が利己的な本質をもつこと。
ビジネスでしかない。
しかもあくどい商売で、往々にして他者を泣かせ、苦情がはいると頬かむりして逃げる。
そういう本質をもつ。
この文章でさえ、ボクは内心、アクセス稼ぎを意識している。
大石の要請は正当だが、ボクにも言い分はある。
ビデオ公表から10年以上経過しており,貴殿の主張する
公の事実について書く権利は大きく後退していると考えられます。
表現の自由は、時とともに大きく後退する、と辯護士は主張。
では、いま目の前にある、このDVDはなにか。
アルゾンで5万円の値がつくこのブツは。
著作権や名誉感情が不変で、なぜ表現の自由だけうしなわれるのか。
憲法が保障する権利でないのか。
いや、そんな理屈はよい。
キシンがやらないならボクがやる、それだけ。
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