第0話 それはよくある目覚めの風景
〝──目覚めよ。〟
「……あ?」
誰かの声が聞こえたような気がして、俺は目を開けた。暗い。
まだ夜なのか。
でも、真っ暗ってわけじゃない。灯りがある。蝋燭、なのか?
どうやら、そうらしい。
蝋燭が壁に据えつけてあって、それがずっと列をなして、向こうのほうにまで続いている。
俺は、頭を振る。何だ、ここ?
寝てたのか、俺?
こんなとこで?
変じゃないか?
だって、ここ……洞窟? みたいだぞ? でも、洞窟に蝋燭なんて、あるか?
「うぁ……」
という声が聞こえて、それはもちろん、俺の声じゃなくて、どうも女の声らしかった。
俺は、あたりを見まわして、探す。
いる。
そんなに遠くじゃない。暗い中にも、女らしい輪郭が……一人じゃ、ない?
「誰か、いるのか? つーか、いるよな」
と呼びかけて、少ししてから、
「……いるけど」
という声が返ってきた。これはたぶん、さっき「うぁ……」と言った声とは、別の女だ。
そのあとで、
「うん、いるよ」
という声。こっちが「うぁ……」の女だろう。
最初の「……いるけど」は、そっけないというか、ちょっと怒っているみたいな、ふてくされているみたいな感じ。
「うん、いるよ」のほうは、なんだかぽやーっとしている、緊張感のない声音だった。
俺はとりあえず、前者を「いるけど女」、後者を「いるよ女」と命名した。いるけど女は気が強そうで扱いづらそうだが、たぶんその実、内心ではけっこうびびっている。いるよ女は、どうおあまり頭がよくなさそうだ。
「他には?」
「……わたしたちだけ、じゃない?」
と、いるけど女。
「だね」
と、いるよ女が同意した。
「三人か」
俺はうなずいて、立ちあがる。変、だな。
かなり、変だ。
俺はもう、気づいていた。目が覚めたら、こんな洞窟みたいなところにいた。それも変だが、もっと変なことがある。
思いだせないのだ。
名前は、わかる。
誕生日は、たしか、二月二日。
それだけは、わかる。
逆に言えば、それくらいのことしか、わからない。
住んでいたところも、昨日、何をしていたかも、一週間前に何をしていたかも、一年前、五年前、十年前のことも、それから、家族がいるのかも、友だちのことも、わからない。
すごく、おかしな感覚だ。
思いだそうとして、頭の中にある記憶のようなものにふれそうになると、それが、するっ、と逃げてゆく。
どうしてもつかまえられない。
そのうちに、というか、すぐに、見失ってしまう。
何だ、これ。
どういうことだ……?
「おい、おまえら」
と、俺は、いるけど女と、いるよ女に呼びかける。いるよ女は、
「はい?」
と、素直に返事をしたが、いるけど女は、
「……おまえって言わないでくれる?」
ときた。
俺は舌打ちをする。案の定、めんどくさそうな女だが、揉めるとさらにめんどくさそうなので、言いなおすことにする。
「じゃあ、キミタチ。行くぞ」
「行くって、どこに?」
いるけど女は、いちいちうるさい。
「あっちだよ」
と、俺は、蝋燭が並んでいる方向を指さす。
「決まってんだろ。それとも、おまえ、いや、キミは逆の方向に行きたいわけ? 真っ暗闇の中に突っこみたいなら、べつに止めはしないけどな。ここで、いつまでもじっとしていたいっていうなら、そうすればいいし」
「い、行けばいいんでしょ、行けば」
いるけど女は、慌てたようにバッと立ちあがった。
「あぁー。あたしも行くー」
と、いるよ女も立ちあがる。
俺たちは、頭より高い位置に据えつけられた蝋燭の列を頼りに、洞窟の中を歩いてゆく。
でも、洞窟というか、人が掘ったみたいな感じだな。自然にできたにしては、そんなにでこぼこしていなくて、歩きやすい。
まあ、蝋燭もあるし。
少なくとも、人の手が加わっているのは、間違いない。
「おまえら……いや、キミタチ、名前は?」
「はあ? なんであんたなんかに教えなきゃならないの?」
いるけど女は、本当にめんどくさい。
「教えたくないなら、いいけどな。キミだのキミタチだのって呼ぶのもあれだから、勝手に名前つけるけど。おま……いや、キミは、ケメコとかでいいか?」
「い、いいわけないでしょ」
いるけど女は、ため息をついて、
「わたしは、イチカ。でも……」
イチカと名乗ったいるけど女は、何かもごもご言っている。
たぶん、自分自身のことを思いだせなくて、戸惑ったり、不安に駆られたりしているのだろう。
気持ちはまあ、わかるけどな。
「あ。あたしはぁー」
と、いるよ女が、なぜかくすくす笑いながら、
「モモヒナ、だよ」
と名乗った。
「……ふうん。で、なんでそのモモヒナは笑ってんの?」
「わかんない。なんか、おもしろくて」
「何がそんなにおもしろいのか、訊いていいか?」
「えー。わかんない。何だろぉー。名前?」
「自分の名前じゃねーのかよ……」
「んー。だけど、なんか、自分の名前みたいな、そうじゃないみたいな、ふわっとした感じ?」
妙なやつ。
でも、モモヒナはモモヒナなりに、自分のことがわからない違和感を、「ふわっとした感じ」として受け止めているのかもしれない。
どっちにしても、奇人のたぐいだな、こいつは。
「……で、あんたは?」
と、イチカが、俺に尋ねた。
俺は答えずに、なんとなく足音を忍ばせて、前に進む。
「ちょっと、教えなさいよ。こっちは教えたんだから」
うっせーな。
俺は前のほうを指さしてみせる。
「見ろ。何かある」
それは、鉄格子みたいな扉、だった。
蝋燭じゃなくて、壁に掛けてあるランプの灯りに照らされている。
その向こうに、誰かいるんじゃないか、息を潜めて、こっちをうかがっているんじゃないかと、俺は疑った。
結局、そんなことはなかったし、扉を引いてみると、あっさり開いた。
扉の先は、階段だった。
暗い階段を上ると、また鉄格子に行く手を遮られた。
今度は、押しても引いても、開かない。
でも、鉄格子の向こう側に、人がいる。
そいつの恰好がまたおかしくて、俺は首をひねった。
なんで鎧とか、着てるんだよ。兜とか、被って。剣なんか持ってるし。
鎧男は、呆気にとられている俺たちをちらっと見ると、鉄格子の扉を解錠して、開けてくれた。
そして、顎をしゃくってみせる。
出ろ、ってこと?
いや、そりゃまあ、言われなくたって出るけど。
出ると、石造りの部屋で、鎧男は、壁の黒っぽい器具を引っぱった。
そうしたら、重い音を立てて、壁の一部が沈みこみはじめた。
隠し扉、みたいな?
開いた。
その外は……本当に、外らしい。
「出ろ」
と、鎧男が外を示して言った。
何だ。普通に喋れるのかよ。ちょっと意外だった。だって、鎧男だし。
俺は、オレンジ色のラインが入った青いパーカーに、ジーンズ。
イチカは、黒の、ぴったりとしていて、身体のラインが丸わかりの、ワンピース。
モモヒナは、白いシャツ、チェックのスカート、ニーソックス。厳密に言うと、オーバーニーソックス。
明らかに、違う。鎧男と、俺たち三人とは。鎧に兜に剣って何時代だよって話だが、時代って何だよ。考えても、わからない。
そんな鎧男に、普通に喋られると、おやっ? みたいな感じがする。
あれっ? とか思いつつも、俺たちは外に出た。
夜明け前、か。
空が明るくなろうとしている。
ここは丘の上だ。
振り返ると、塔がそびえ立っている。俺たちはこの塔から出てきたのだ。
──と、出てきた入口が、開いたときと同じような音を立てて、閉まりはじめた。
鎧男が、手を振るでもなく、こっちを見ている。
入口は、間もなくふさがってしまった。
「何なの……」
と、イチカが呟いた。
まったくだ。
こんなの、ありえない。
俺は見上げる。
月が出ている。
満月と半月の中間くらいの、月が。
「真っ赤っかだね」
と、モモヒナが言った。
「ああ」
俺は唇を舐める。
赤い、月。
「嘘……」
イチカはかすかに震えている。やっぱりこいつ、見かけ倒しの小心者だな。
「どーもー」
だしぬけに、俺でも、イチカでも、モモヒナでもない声がした。
イチカはビクッとして、モモヒナは「ふゎ?」ときょきょろし、俺もさすがに驚いたが、声の主が塔の陰にいることは、すぐにわかった。
「誰だ」
「きょわーっ」
案の定、塔の陰から、小柄でツインテールの女が顔を出した。
「呼ばれて飛びでてみにょにょにょーん。誰だと問われたので答えようっ。ひよむーですよーん。おはよーでーす。お初でーす。元気ですかー」
「何だ、おまえ」
「ひよむーはですねー。案内人なのです。ようそろー、グリムガルへー」
「ようそろって、船かよ。それ言うなら、ようこそ、だろ」
「おーう。正しいツッコミ! 減点十!」
「減点かよ……」
俺は髪を引っかきまわす。
無性にむかつくが、イライラしたら負けだ。負けるのはどっちかと言うと好きじゃないので、イライラなんかしてやらない。
「案内人だっていうなら、さっさと案内しろよ。つーか、グリムガル? 何だそりゃ」
「きょへへー」
ひよむーは塔の陰から、ひょこん、と出てきて、地面を指さす。
「ここのことですよーん。グリムガルってゆーんです。ここは」
「グリム、ガル……」
と、イチカが呟いて、考えこむようにうつむいた。
モモヒナは、指をくわえて、赤い月にご執心みたいだ。
「なんで、赤いのかなぁー」
「さて、はてっ」
ひよむーは、ぴょんぴょん跳ねるような足どりで歩きはじめた。
「仕事、仕事。ひよむー、仕事させていただきますよー。行きましょ、行きましょ。義勇兵候補さん一行、オルタナにごあんなーい」
グリムガル。
オルタナ。
赤い月。
何だ?
いったい、何がどうなってるんだ?
ひよむーは、ツインテールを揺らして、丘を下りてゆく。
そのずっと先に、高い壁がある。
壁にぐるっと囲まれた、ひょっとしてあれは、街、なのか。
「あれが、オルタナ、か」
俺は、ちょっとだけ、笑う。
状況からすると、俺は、というか、俺たちは、記憶喪失になって、おそらく、前にいた場所からどこかに運ばれた、といったところだろう。
心許なさは、正直、ある。
でも、胸が躍っている。
「ねえ」
と、イチカに袖を引っぱられた。
「何だよ」
「名前は? あんたの。まだ教えてもらってないんだけど」
俺は、ふん、と鼻を鳴らして、ひよむーを追いかける。
「キサラギだよ」
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