ハラスメントの場となった姉妹の納骨式
ハラスメントの場となった姉妹の納骨式でのことです
日本キリスト教団長野県町教会小出望牧師は、納骨式で、ハラスメントを実行いたしました。そのことを、報告いたします。
一般の方にはなじみのない納骨式は、地上での生涯を終えた故人を祝福し亡骸を土にかえすこと、そして、今は天上にある永遠の命の宣言、神の御許での平安を祈る礼拝であります。
信仰の友で主によって深い交わりにあった姉妹が3月旅立たれた。高戸佐和子は、前夜式・葬儀に続き、6月22日納骨式の案内があり参列した。そこでの牧者の言動に心が凍り付いた。用意した納骨式の式辞をほぼ終えるところで、聖書の箇所が一節多くプログラムに印刷されていることに気づくと、わざわざ「つけくわえて」と自ら言いつつ、付け足しの話しをはじめた。
「『(ヨハネの黙示録21章8節)・・・しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。』・・・これは、神の前で自分の罪を悔いあらためない人のことで、最後の時神と相対して神の審判を受けるとき、だれが、自分はただしい、まちがってないと主張できるでしょうか・・・第二の死が横たわっているのです。」
この場が、深い悲しみにある遺族への慰め、召天者の永遠の命の宣言と祝福をする時を逸脱し、あえて参列者のひとり高戸佐和子を強迫することばにすり替えて語った。
なぜ、納骨の式辞とは裏腹な話しを、わざわざ予定しない聖書一節をとりあげて語ったのか。
牧者は、この節の引用で、懲罰を公然と表すことができると思ったのだろうか。
ある注解書を調べた。『黙示録は、全体として把握すべきものである。個々の節をばらばらにして吟味しても理解できない。・・・包括的言葉は、重要な問題、無造作に扱ってはならない、又一つのイデオロギーにはめこんでもいけない。・・・(八節の)このリストは人間の罪深さに対する非難を表すのでなく異教社会の抑圧による屈服に関する罪である。・・・聖なる都での生活を特徴づけるもので、そこに行く者を制限しているのでない・・・。』とあった。
パワハラをうけた高戸佐和子は直後、心臓ばくばくする動悸がおこり、しばし安静が必要だった。
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