第93回 テイ・トウワ 氏
DJ/アーティスト
今回の「Musicman's RELAY」はタイクーングラフィックス宮師雄一さん、鈴木直之さんからのご紹介で、DJ/アーティストのテイ・トウワさんのご登場です。テイさんはデザイナーを目指し留学したニューヨークで、ディー・ライト(Deee-Lite)へ参加。’90年に米エレクトラ・レコードよりシングル「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート」でデビューすると、いきなり全米4位の大ヒットを記録、各国でゴールド・ディスクを獲得。’94年にアルバム『Future Listening!』でソロ・デビュー以後、活動の拠点を日本に移してからは、オリジナル・アルバム、リミックス・アルバムなど自身の作品を次々とリリースし、同時にDJとして国内外のクラブ、企業イベント、ビッグ・フェスへ出演。さらに楽曲プロデュース、映画音楽制作、CM楽曲制作などのほか、コラボレーション・アイテムのブランディングなど活動は多岐に渡ります。今回のインタビューでは、幼少時代からディーライト時代、そしてソロへ転向してから現在に至るまでお話を伺いました。
[2010年12月27日 / 世田谷区代田 サウンドアトリエにて]
プロフィール
TOWA TEI(テイ・トウワ)
DJ/アーティスト
1959年3月25日 神奈川県生まれ
DJ、アーティスト。1990年、"ディー・ライト"のメンバーとして米エレクトラよりデビュー。1994年、『Future Listening!』でソロ・デビュー。楽曲プロデュース、映画音楽制作、CM楽曲制作などのほか、コラボレーション・アイテムのブランディングなど活動は多岐に渡る。
DJとしても、東京、京都での「MOTIVATION」、選曲重視の新パーティ「HOTEL H」など人気レギュラー・パーティや、国内外のクラブ、企業イベント、ビッグ・フェスへ出演している。2009年2月リリースの5th.アルバム『BIG FUN』、その制作日記を含む初の単行本『BOOK FUN』をリリース。最新コンピ『MOTIVATION H compiled by DJ TOWA TEI』が絶賛発売中。来年発売予定のニュー・アルバムからの先行シングル「Marvelous with YURICO」(モバゲータウンCM曲)も配信中。
12/1には映像、電子書籍などの配信レーベルMACH (www.machbeat.com)をスタート。12/24に、自身の作品を2人のDJがメガミックスした「TOWA TEI FLASH & BIG FUN MEGAMIX #1 by DJ UPPERCUT」「〜#2 by HOME CUT」をはじめ、それら2音源にENLGHTENMENTが映像をつけた作品、DJ FUMIYAプロデュースによる新人BAKUBAKU DOKIN『DEBUT EP』、INO hidefumiの未発表音源『LIGHT』、計6作品を一挙リリースした。
TOWA TEI(テイ・トウワ)
DJ/アーティスト
1959年3月25日 神奈川県生まれ
DJ、アーティスト。1990年、"ディー・ライト"のメンバーとして米エレクトラよりデビュー。1994年、『Future Listening!』でソロ・デビュー。楽曲プロデュース、映画音楽制作、CM楽曲制作などのほか、コラボレーション・アイテムのブランディングなど活動は多岐に渡る。
DJとしても、東京、京都での「MOTIVATION」、選曲重視の新パーティ「HOTEL H」など人気レギュラー・パーティや、国内外のクラブ、企業イベント、ビッグ・フェスへ出演している。2009年2月リリースの5th.アルバム『BIG FUN』、その制作日記を含む初の単行本『BOOK FUN』をリリース。最新コンピ『MOTIVATION H compiled by DJ TOWA TEI』が絶賛発売中。来年発売予定のニュー・アルバムからの先行シングル「Marvelous with YURICO」(モバゲータウンCM曲)も配信中。
12/1には映像、電子書籍などの配信レーベルMACH (www.machbeat.com)をスタート。12/24に、自身の作品を2人のDJがメガミックスした「TOWA TEI FLASH & BIG FUN MEGAMIX #1 by DJ UPPERCUT」「〜#2 by HOME CUT」をはじめ、それら2音源にENLGHTENMENTが映像をつけた作品、DJ FUMIYAプロデュースによる新人BAKUBAKU DOKIN『DEBUT EP』、INO hidefumiの未発表音源『LIGHT』、計6作品を一挙リリースした。
1. 自分がミュージシャンだとあまり思っていない
−−前回ご登場いただきましたタイクーングラフィックスのお二人とはニューヨークで出会われたそうですね。
テイ:そうですね。彼らとは同い年で、僕の当時の彼女、つまり今の妻の友達として知り合いました。クラブでDJを始めたときに二人が遊びに来ていて、よく一緒にご飯を食べたりしていました。彼らが日本に帰ってタイクーングラフィックスを立ち上げて、最初に『id-japan』のアートディレクションを担当したんですが、それを見たときに「本当にデザインができるんだな」と思ったわけです。
−−遊びで出会って、仕事は後で知ったわけですね(笑)。
テイ:出会った頃、彼らは「自称デザイナー」だったので(笑)。その頃、僕はディーライト(Deee-Lite)でデビューしていて、平行してソロアルバムの準備を進めていたんですが、デザインのレイアウトや最後の落とし込みを二人にお願いしたんです。ソロになってからは三人でやることが多いですね。本当に彼らなしでは、という感じです。
−−まるで身内みたいな感じですね。
テイ:本当にそうですね。実際に家族付き合いもしていて、それぞれ年に少なくとも1〜2回は家に泊まりに来ています。
−−本当に仲がよろしいんですね。
テイ:こんなこと言っちゃうと誤解されそうですけど、あまりミュージシャンの友達っていないかなぁ…。
−−そうなんですか?(笑)
テイ:多少ミュージシャンシップはありますけど、自分がミュージシャンだとあまり思っていないので。ミュージシャンというイメージにはずっと憧れているんですけど、カメラマンやデザイナーの友達が多いのを変える必要もないというか、それが自分の特性なのかな? とあるところから気がつきました。
−−ここからはテイさんご自身について伺いたいのですが、テイさんはどのような家庭環境で少年時代を過ごされたんですか?
テイ:僕は在日3世で、父は設計事務所をやっています。在日韓国人ということは物心ついたときからなんとなく知っていて、色々背景はあるんでしょうけど、詳しく訊いたことはないですね(笑)。自分なりに意識したことはありますけど、日本人の通う学校に行っていましたし、育ったのが東京の品川で下町だったので、それこそお父さんもお母さんもいない子も沢山いましたし、比較的貧しい家ではあったんですけど、もっとファンキーな家庭もたくさんありましたのでね(笑)。
−−ファンキーな家庭ですか(笑)。
テイ:ええ。例えば、クラスで一番勉強ができなかったらまた話は違っていたかもしれないですけど、小学校から中学校の頃は真面目にやっていました。両親には「人の2倍できて一人前なんだから」とよく言われていて、「ある程度やっておかなきゃ」と思う自分もいたでしょうし、自分で言うのもなんですが、根が真面目なんだとは思います(笑)。
−−テイさんはどのようなお子さんだったんですか?
テイ:子供のときから一人で何かを作ることが大好きでした。でも、音楽は大嫌いだったんですよ。高校になると芸術の授業が音楽と書道と美術の選択制になるんですが、美術を選んだのに、第二希望を書いたのがクラスで僕しかいなかったので、人数調整で音楽に回されたんですよ(笑)。
−−なぜ音楽が嫌いだったんですか?
テイ:音痴なので(笑)。この業界に20年もいると、さすがに半音の高低といったようなことはわかるようになったんですけど、それと自分が歌うのは別じゃないですか。だから過去のアルバムではほとんど歌ってないですね。
テイ:そうですね。彼らとは同い年で、僕の当時の彼女、つまり今の妻の友達として知り合いました。クラブでDJを始めたときに二人が遊びに来ていて、よく一緒にご飯を食べたりしていました。彼らが日本に帰ってタイクーングラフィックスを立ち上げて、最初に『id-japan』のアートディレクションを担当したんですが、それを見たときに「本当にデザインができるんだな」と思ったわけです。
−−遊びで出会って、仕事は後で知ったわけですね(笑)。
テイ:出会った頃、彼らは「自称デザイナー」だったので(笑)。その頃、僕はディーライト(Deee-Lite)でデビューしていて、平行してソロアルバムの準備を進めていたんですが、デザインのレイアウトや最後の落とし込みを二人にお願いしたんです。ソロになってからは三人でやることが多いですね。本当に彼らなしでは、という感じです。
−−まるで身内みたいな感じですね。
テイ:本当にそうですね。実際に家族付き合いもしていて、それぞれ年に少なくとも1〜2回は家に泊まりに来ています。
−−本当に仲がよろしいんですね。
テイ:こんなこと言っちゃうと誤解されそうですけど、あまりミュージシャンの友達っていないかなぁ…。
−−そうなんですか?(笑)
テイ:多少ミュージシャンシップはありますけど、自分がミュージシャンだとあまり思っていないので。ミュージシャンというイメージにはずっと憧れているんですけど、カメラマンやデザイナーの友達が多いのを変える必要もないというか、それが自分の特性なのかな? とあるところから気がつきました。
−−ここからはテイさんご自身について伺いたいのですが、テイさんはどのような家庭環境で少年時代を過ごされたんですか?
テイ:僕は在日3世で、父は設計事務所をやっています。在日韓国人ということは物心ついたときからなんとなく知っていて、色々背景はあるんでしょうけど、詳しく訊いたことはないですね(笑)。自分なりに意識したことはありますけど、日本人の通う学校に行っていましたし、育ったのが東京の品川で下町だったので、それこそお父さんもお母さんもいない子も沢山いましたし、比較的貧しい家ではあったんですけど、もっとファンキーな家庭もたくさんありましたのでね(笑)。
−−ファンキーな家庭ですか(笑)。
テイ:ええ。例えば、クラスで一番勉強ができなかったらまた話は違っていたかもしれないですけど、小学校から中学校の頃は真面目にやっていました。両親には「人の2倍できて一人前なんだから」とよく言われていて、「ある程度やっておかなきゃ」と思う自分もいたでしょうし、自分で言うのもなんですが、根が真面目なんだとは思います(笑)。
−−テイさんはどのようなお子さんだったんですか?
テイ:子供のときから一人で何かを作ることが大好きでした。でも、音楽は大嫌いだったんですよ。高校になると芸術の授業が音楽と書道と美術の選択制になるんですが、美術を選んだのに、第二希望を書いたのがクラスで僕しかいなかったので、人数調整で音楽に回されたんですよ(笑)。
−−なぜ音楽が嫌いだったんですか?
テイ:音痴なので(笑)。この業界に20年もいると、さすがに半音の高低といったようなことはわかるようになったんですけど、それと自分が歌うのは別じゃないですか。だから過去のアルバムではほとんど歌ってないですね。
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