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原発事故で自治体苦悩 住民と避難者にあつれき
(2013年7月7日午前7時29分)
東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から間もなく2年4カ月を迎える。1万8千人を超える死者・行方不明者を出した岩手、宮城、福島の東北3県の被災地では、がれきや倒壊家屋の撤去が進み、少しずつ復興への道を歩んでいる。一方で、原発事故に翻弄(ほんろう)され、避難してきた人たちと住民とのあつれきに苦悩する自治体の現実がある。
■国からの指示なく■
福島県いわき市は最大8・5メートルの津波に襲われ、441人が犠牲となった。海岸線の総延長は約60キロに達し、津波による被害で倒壊、半壊などした家屋は9万棟を超えた。境界が分からなくなるため、家屋の土台を残しているとはいえ、地震、津波による爪痕(つめあと)はいまも生々しい。
福島第1原発から南に約40キロ離れているいわき市は、原発事故にどう対峙(たいじ)してきたのか。指揮を執った渡辺敬夫市長は「国や県からの指示がなかった」と苦言を呈した。EPZ圏外とはいえ情報が全く入らず、国の判断を待っていては「市民が死ぬかもしれない」と市長自らが判断し、約4万8千人を避難させた。
原子炉建屋の水素爆発はテレビで知り得たが、県からの問い合わせがあったのは震災2日後。防災拠点となる大熊町のオフサイトセンターも機能しなかったという。
今回の事故では情報、指示がないために、住民と最も接する市町村が厳しい状況に置かれた。避難者の受け入れも市町で対応した。初動体制が住民の生命、財産を守ることにつながるのはいうまでもない。特に放射性物質による汚染が懸念される原発事故は連絡、情報提供が“命綱”だ。
ヨウ素剤も意味をなさなかったという。子どもたちの甲状腺被ばくを防ぐためのものだが、十万人以上の対象者への配布に4日間かかった。緊急を要するだけに、事故を受けて配布という対応が後手に回ったことは否めない。渡辺市長は「事前配布しかない」とし、事故の経験を踏まえ新たな対策を取っていく方針を示した。
■公共施設に落書き■
震災後、隣接する双葉郡からいわき市に避難してきた人の数は2万4千に上る。いわき市も津波と地震で被災した8千人が仮設住宅で暮らす。助け合ってもいいはずだが、避難者と市民にあつれきが生じている。
東電の賠償を受けている避難者と津波被災者との生活の違いが、わだかまりを生んでいるとの見方がある。市の公共施設に「被災者帰れ」とスプレーで落書きされたほか、避難者の車の窓ガラスが割られたり、仮設住宅にロケット花火が打ち込まれたりしている。
さらに住民が増えたことで、医療機関に人があふれる、ごみの分別ができていない―といった生活面での苦情も聞かれるという。一方で、除草作業に快く参加してくれる避難者もおり「モデル地区にしていきたい」と、市は融和の手がかりを探る。
仮設住宅での生活が長期化する中、地域コミュニティーを図り、避難者、市民双方が気持ちを一つにして生活できる環境が求められる。被災者を受け入れる自治体の意向や意見を取り入れた施策を検討すべきだ。
■教訓として生かせ■
津波による電源喪失で炉心溶融した福島第1原発は、炉心を冷やすための注水に加え、原子炉建屋に流れ込む毎日400トンという地下水の対策が喫緊の課題であり、廃炉までの道は遠いと言わざるを得ない。
仮設住宅での生活の長期化は避けられそうになく、「帰還困難地域」へ戻れるのはいつになるか見通しすら立っていないのが現状だ。
今回の事故は国や立地自治体だけでなく、被災者を受け入れる自治体にも課題を突きつけたといえよう。本県の原発で重大事故が起きた場合の県外避難先が3県29市町に決まった。今後、細部などを詰めることになるが、「福島の教訓」を生かしてほしい。(踊場克己)