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主犯の自慢話

青山、夏山、辻をさらに脅して金をゆすり取っていた一番凶悪な主犯者が、週刊誌のインタビューに答えていました。

一読すればわかるとおり、犯罪行為を反省しているとはとても思えません。

以下、「週刊スパ(2009年6月23日号)」より


 '00年に名古屋でおきた中学生5000万円恐喝事件を覚えているだろうか。当時、未成年による巨額の恐喝事件として世間を驚かせたが、今回、主犯に恐喝を指示していたという人物が長い服役を終え、出所した、ワルだった少年時代から、塀の中の生活まで、彼の過ごした半生と、事件の真相、そして自らの懺悔の念を吐露した!

事件から9年−−。

真相を知る男がすべてを語った!

 待ち合わせの場所に現れたトモ(27歳)は、浅黒く引き締まった容貌と、獣のようにしなやかな身のこなしが特徴的な男だった。愛知・中学生5000万円恐喝事件に関しては当時、主犯格の元中学生Aは先輩の元少年Hに二重恐喝され、さらにその上に 「暴力団の兄弟」がいたと報じられた。

 − ヤクザとは関係ない。それは誤報。当時、俺らはチーマー兄弟と呼ばれてて、俺は名古屋中のやんちゃなのを30人以上集めた「レットイットビー」っていうチームの頭をやってた。その後輩にHがいて、ある日、俺にこう言った

「カネ持ってる後輩がいるんで」ってね。それで、そいつ呼べと。

 ここで呼び出されたのがAだった。つまりトモは事件の主犯格から金品を二重恐喝していたのだ。当時を振り返り、トモは言う。

 − Aはまだ中3で、その年代ではやんちゃなほうだったんだろうけど、俺から見ればひ弱な子でした。なのにロレックスやゴローズ(高級シルバーアクセ)を身につけてたり、いいジーンズはいてたから。目立つじゃないですか。それで呼び出して、無理やり、被害者X君のところに行かせてた。「恐喝行ってこい」。それでカネ持ってきたら「もう一回行ってこい」と。「もう、お金ないって言ってます」って言っても許さず、最終的にX君は本当にお金がなくなった。それでも俺らが許さず、Aたちは震えあがって、コンビニ強盗しようって話になった。それで包丁を買ってコンビニに行ったんだけど、直前でイモ引いてブルってしまって、包丁持ったまま警察に出頭した。これが事件発覚の知られざる真相です。

 当時の報道とは違うが、これが真相だという。何回も金品を巻き上げたため、総額は正確にはわからないというが、その後、逮捕された際の起訴状には 「460万円ってことになっている」とトモ。

 トモが頭を張っていたチームは、名古屋随一の繁華街・栄で最大の人数を擁し、当地の大バコで数千人が集まるイベントを何回も打った。だが、トモら自身に逮捕状が出される頃には、既にチームは自然消滅状態にあったという。

 − 仲間や後輩を平気で裏切るし、恐喝したりシバいたり、若気の至りだった。自分がやんちゃすぎて、俺、嫌われてたんです。とにかく欲望が強く。カネ、女ばかりを追い求めていた。

 逮捕状が出てから、1年近く逃亡生活を送ったという。同じく逮捕状の出た7〜8人の少年たちと共同生活をしつつ、主に自動車窃盗をしていた。その間、実家前にはマスコミが集まり、家族は町内会から「出ていけ」と言われた。逃走中に連絡をとると、親は泣きながら 「体壊してないか」と言うのみだった。

 −親の悲しみも知らず、俺らはというと、相変わらずめちゃくちゃ。例えば監禁。大学生をさらって車のトランクに突っ込み、金融屋とか銀行とか回らせてカネをつくらせる。あとは余ってた盗難車で質屋に時速80kmで突っ込んで、2000万円分の商品を奪ったこともある。

 そんな逃亡生活が長く続くはずもなく、ある日、溜まり場で寝ていたところ、十数人の刑事に踏み込まれた。逮捕状は8枚あった。恐喝以外でも逮捕状が出て、計15件の罪で起訴された。捕まる前、「少年法があるから2年が最高」とタカをくくってやりたい放題したのが裏目に出た。異例の逆送措置がとられたからだ。

 − 入ってからも、中で喧嘩ばっかりしていて、2年間はずっと独居房だった。塀の中はとにかく辛かった。たった1mmか2mmのアクリル板の向こうでオカンが泣いていても手を触れることができない。1mmのアクリル板は凄く重い。それで、考えたんです。刑務所で無駄に過ごす時間がこれほどあるんだから、出た後の人生を最高のものにしたい。そのために必要なのは何だろうって。考えた結果「仲間と共に生きること」でした。塀の中ではお金のやり取りが一切ないし、損得もない。その中で何が大事かが見えてくる。必要なのはハートだけなんですよ。刑務所の中でも上下関係はあるけど、表での地位や年功序列でなく、ハートが強い人間がトップに立つんです。

 これに気づいた瞬間、トモは変わった。頻繁に起こる房内の揉め事に、多くの受刑者が仮釈放を取り消されるのを嫌い無関心でいるなか、あえて揉め事の中に割って入り、解決に導こうと考えた。

 − 力で黙らせるのは簡単。力以外で喧嘩を止めたければ、自分が間に入って犠牲になればいい。そんなに喧嘩がしたいなら、俺をどつき回せと。実際そんなことは言いませんけど、俺はいつも体を張って犠牲を払ってきた。

 そうするうちに、気づけば年長者やヤクザを差し置いて、洋裁工場の責任者になっていた。だが、この境地に一人で辿り着いたわけではない。導いてくれたのは、逃亡生活を共にし、捕まった3歳年上の先輩であるUというボスだった。

 − ボスは俺が生まれて初めて、敵わない、と思った男です。当時俺らは完全にアウトローだったけど、ボスは不良なのにルールを持っていた。だからこそ厳しい人間なんですけどね。美学があった。

 6年の獄中生活を経て、昨年9月に出所した。「カラーになってテレビまで見れるようになった」携帯電話に、隔世の感を味わったが、一足先に出所したボスは借金をして会社を立ち上げ、同じく獄中生活を経験した仲間たちの更生のため、会社を用意してくれていた。その会社は、いまや建設や派遣、飲食と手広く展開するグループ企業にまで成長していた。

 − 社員はみんな元アウトロー。ボスは「日本一の社会人になれ」と言う。社員が信号無視したりタバコをポイ捨てするのを許さないほど厳格です。社会で真っ当に勝負しようと思っても、俺らにはテクニックはないし、弱さに負けて詐欺をするかもしれない。でもそれをカバーするのがハート、仲間に対する思い。仲間にいい思いさせたい、家族にも楽させたい。ボスは中学もマトモに出てないけど、それでも成功しているのは、やっぱり人に好かれて、人を集められる人間だから。どんなに頭が良くても、ハートで人を集められる人間じゃなければダメだと学んだ。

 そんなボスの膝元である名古屋を離れ、単身、上京したのは 「地元にいたら、甘えてしまう。自分一人の力を試してみたかった」から。現在、飲食店の開業準備をしつつ、自伝の出版を準備中だ。

 − 獄中で8年間、夏は汗びっしょりになりながら、冬は手をかじかみ書いたもの。XやAに対する謝罪の言葉、そして当時の仲間に対するゴメンという気持ち、家族への感謝の思いを綴りました。

 「捕まって、本当によかった」と言うトモ。札付きのワルから、社会人へと更生した彼の再チャレンジはいま、始まったばかりだ。


<<葵龍雄よりコメント>>

口調からは、犯罪行為の武勇伝にさえ感じられます(週刊誌が犯人の口調を無断改ざんしていないものと推定します)

被害者に対して悪いことをしたという言葉はただの一言もなく(今執筆中の自伝に書くつもりだと申し訳程度に付け加えていますが、こんな取りつくろったような言葉、とうてい信用できません)、自分がいかに「更生」したかという自慢話に終始しています。

私は、今がいかに真面目に生活するようになった者であっても、過去を真剣に自己批判しない者は更生したと認めません。

笑いながら「あのころはむちゃだった」と照れくさそうに語る者は、更生したと認めません。

親もおかしな人です。逃走中に犯人から電話を受けながら、健康の心配ばかりしていて、どうして自首をすすめなかったのでしょうか?

こんな親だから犯罪者が育つのでしょう。

←どうしてこんなかっこつけたポーズで週刊誌の写真撮影に応じるのでしょうか?

「恥を忍んで少年犯罪者の更生の事例を示したい」

というならば、こんなキザなポーズにはならないはずです。

「俺はこんなに更生したぞ」という自慢心が感じられるだけです。

このことひとつをとっても、この男が無反省であること明らかです。

   2012年9月、未確認ながら情報提供をいただきました!
     フルネーム:タナカトモヒロ?
     名古屋市中区錦にて、複数の風俗店舗を経営?