【妙法七字拝仰 御法主日顕上人 上巻 23Pより】


「いじめに関して」

今、社会問題として「いじめ」ということがありますが、あれはいじめる方も悪いけれども、いじめられる方も悪いのです。何故、悪いのかと言いますと、これは本来、人間は十界互具しておりますが、社会相の中の教育不徹底のため、双方が同じ畜生の根性になっているからであります。畜生というものは、強いものにいじめられると、どこまでも尻尾を巻いて逃げてゆくという弱い心があり、逆に相手が弱いと思うと徹底していじめるという残忍な心を持っているのです。

大聖人様は「佐渡御書」の中で、

「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。諛臣と申すは是なり。」御書579
http://homepage3.nifty.com/y-maki/gosyo/sinnpenn/0578.pdf

と示されました。畜生は相手が弱いと思うと、本当に徹底していじめるのです。人々が畜生界の心になっているから、いじめておもしろがります。 これが、学校や社会の中でのいじめの姿であります。

例えば、今までいじめられていたものが正しい信仰を持ち、または目覚めて、法華経に命を帰すことによって、「臆するものは何もない」という覚悟を持ち、毅然とした態度で相手に接するならば、畜生は強いものに対しては弱くなりますから、相手はその変化に気づいて「これはおどしてもだめだ」と判りいじめが消滅するという意味も存するのであります。

現在、いじめ問題が相変わらず、後を絶たないのは、今の教育家が人の性に十界があり、特に低級な六道が充満していることを解っていないからなのです。五濁乱世の世の中に於いては、お互いがこのような悪思想を見習ってしまって、社会の風潮にまでなっているのです。ですから、一人ひとりがそのところをはっきりと自覚して、正法を受持し、毅然として立ち上がることが大切です。

自分自身の命を、尊い大聖人様の仏法に対して帰するところの修行が出てくれば、自分自身の問題がまず解決します。そして、自分自身が正しい解決をすれば、それが次第に、他にも及んでいくのであります。このような意味で、やはり南無(帰命)ということが非常に大切であります。

妙法