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東日本大震災で発生した東京電力福島第1原発事故の収束作業を現場で指揮した、東電執行役員の吉田昌郎氏が9日午前11時32分、食道がんのため都内の病院で死去した。58歳だった。原発事故では陣頭指揮を執り、迷走する政府と東電本店の間で、独断で原発への海水注入を続行するなど事故収束に向け尽力した。
原発事故の収束に尽力した吉田所長が亡くなった。
吉田氏は、東京工業大大学院修了後、1979年に通商産業省(現・経済産業省)の内定を断り、先輩の勧めで東電に入社。原子力の技術畑を歩み、本店の原子力設備管理部長などを歴任し、その後、2010年6月に福島第1原発所長に赴任した。11年3月に発生した東日本大震災では、主に原発敷地内の免震重要棟で指揮した。
大混乱の中、1号機への海水注入を巡っては、政府は再臨界を懸念し中止を求めたが、吉田氏は継続を決断した。政府の事故調査・検証委員会の報告書によると、マイクに声を拾われないように配慮しながら「これから海水注入中断を指示するが、絶対に注水を止めるな」と指示した。また、ヒアリングでは「官邸から電話まで掛かってきて、止めろという話なんで。何ですか、それは」と政府への不信感もあらわにしていた。津波で原発の全電源が喪失する中、懸命の作業を続けていた。
「現場主義」「親分肌」と評された吉田氏。公開されたビデオ映像では、原子炉格納容器が水素爆発するのを防ぐため、窒素ガス注入を指示する本店幹部に「やってられんわ。そんな危険なこと作業員にさせられるか」と強く反発。また、迷走する指示に思わず「ディスターブ(邪魔)しないで下さい」と声を荒らげたこともあった。事故発生後の1週間を「自分がもう死ぬだろうと思ったことが数度あった」とも振り返っていた。
吉田氏は、11年11月に食道がんと診断され、同12月1日付で原子力・立地本部に異動。12年7月には脳出血で倒れ、療養中だった。翌8月に福島市で開かれた集会では、ビデオメッセージで「地元の人たちに多大な迷惑をかけている。この場でおわびしたい」と陳謝。現場で作業を続ける部下について「地獄の中の菩薩のイメージ」と評し、「今後は現場で一緒になった仲間の経験も伝えていきたい」とも話していた。
葬儀・告別式は未定。事故後の被ばく線量約70ミリシーベルトで、食道がん発症の原因になった可能性は極めて低いとされる。
(2013年7月10日06時05分 スポーツ報知)
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