第6部 陳列棚

 本、その他のマスコミとのつながりに関するものを列記します。<1〜10>はホームページで開けます。<3.4.5.7.>は学校や公立の図書館には入っているようです。11だけはこの部の最後のそのまま掲載します。


1.「診察室から・・・より良い医療より良い宮崎」1979年:宮崎/鉱脈社pdfあり
2.「思春期病棟」1984年:宮崎/鉱脈社pdfあり
3.「若草病院デイケア日誌」1988年:東京/日本評論社pdfなし
4.「葛藤する思春期」1989年:東京/日本評論社pdfなし
5.「家族がひらく」1991年:東京/日本評論社pdfあり
6.現代のエスプリ
「訪問カウンセリング特集号」2004年8月 :東京/至文堂pdfなし
7.「脳電気ショックの恐怖 再び」2007年5月:東京/現代書館pdfなし
8.往診家族療法2007年11月  光出版pdfあり
9.「精神科医療改革物語」2011年12月  光出版pdfあり
10.NHKラジオ深夜便2006年3月と4月mp3あり
11.「往診家族療法の普及のために」と題する
<第15回青年期精神医学交流会(横浜)で発表したものの原稿>
pdfあり


「往診家族療法の普及のために」

 往診による家族療法は極めて重要な治療手段です。是非、普及させるべきであると考えています。佐賀の少年によるバスジャック事件のことで精神科医師・町沢静夫氏が朝日新聞の出版する月刊誌「論座」の2000年7月号に次のようなことを書いています。
 <子供の抵抗が激しくて家族が病院や相談所に子供本人を連れて行けない場合、都会では「子供を病院まで連れて行ってくれる患者の輸送サービスを行う民間会社」に委託している。しかし、地方にはそれがないから……>と。
 この「患者の輸送サービスを行う民間会社」とは、先に「民間救急隊」と述べたものです。私は思春期の子供の診療に当たるものが、「こんなものに依頼するというところから間違っている」と考えます。論座のこの記事のタイトルは「バスジャック事件は防げた」となっていますが、私は全く逆に「この様な入院のさせ方」がバスジャック事件を生んだのだと考えています。
 往診を繰り返した上での入院であればもっとうまく運べた可能性があります。ところが往診家族療法という治療方法は未だ精神科の医師の中ですら大きな議題として取り上げられていません。 少し古くなりましたが、1997年に第15回青年期精神医学交流会で発表した原稿をそのまま載せておきましょう。


1. は じ め に
 私は実は大の学会嫌いです。まずネクタイと権威が大嫌いで、大学を卒業すると医局などには入らずにさっさと治療の現場に入りました。
 若い頃に色々の学会に顔を出したことはあるのですが、不幸というか、「実りのない面倒臭い議論に時間を潰される」のが馬鹿馬鹿しく思えてばかりでした。そこで、外に向かっての発言の方法としては、本を書いたりはしていたのですが、学会発表は今日が生れて初めてというわけです。
 本だと一方通行なわけで、誰からも文句を言われないんですね。その点は気楽なんですが、二千円近くのお金をはたいたり、図書館に足を運んだりして頂く人にしかこちらの思いは伝わらないわけです。しかも、読後感の良かった人しか私に接触を求めては来ないわけで、まあ批判の声は少ないことになります。その上、治療者達からの反応が乏しかったのは寂しいことでした。
 そこで、この舞台に立つことになったのですが、今日はフロアとの間にやり取りがあるわけですね。私は七面倒臭い議論のための議論だとヒステリーを出すかもしれません。
 脅しみたいな言い方ですが、是非とも建設的な議論にもって行ってみたいのです。
 登校拒否、非行、家庭内暴力の子供達、及びこの子供達を抱える家族にとって一番不幸なことは <充分な治療の場、有効な成果をもたらすことのできる相談の場が地域の身近に少ないこと> です。

 このことは行政の責任ではなくて精神科医療・心理療法の職業に携わる私達が解決すべきことです。行政官は素人なのですから、少なくとも私達が行政官を動かすだけの作業はしなければなりません。
 そういう思いからこの席に立って、生まれて初めての体験に挑戦しています。20分という時間を有効に使うために、結論から述べておきましょう。結論は次の二つに纏めることができます。
  1. 往診は極めて有効な診察手段・治療手段であり、精神心理疾患の全ての子供に試みられるべきである。
    診療の場面までやって来られないタイプの子供達のためには絶対的に必要であり、欠かせない。
    これは緊急に必要なこともあれば、長期的に必要なこともある。
  2. 往診という治療手段が普及しないのは「治療者側の怠慢」という面もあるが、健康保険による診療体制の不備という側面から改善されることが絶対的に必要である。
    つまり、往診による診療には経済的保証が必要であり、厚生省に働き掛け、診療報酬体系の中に訪問家族療法という項目を新設する必要がある。
    この概要は
    1. 額としては
      1. 滞在時間1時間〜2時間で5万円くらい。
        (この場合患者家族の負担は1万円〜1万5千円 となる)
      2. 2時間を越えるごとに1万円ずつ加算。
      3. 交通費は家族の負担。
    2. 心理療法士にも医者と同等の資格を与える。
      精神科医は「自分達の職域が荒らされる」と考えがちであるが、医者の指示がなくても診療できる権利、つまり心理療法院を開業し、診療報酬を受給する権利を与えるという大変革がなければ訪問家族療法の効果的な運営は難しい。
以上、二つの結論を念頭に置いて話が逸れないように努力しようと思います。


2. 家 族 療 法 と い う こ と
 先ず、登校拒否、非行、家庭内暴力の子供達の症状のとらえ方から述べておきます。
 この子供達のことを学校の先生は「家庭が悪い」と言うことが多いようです。子供達の親は「学校、あるいは先生が悪い」と言いがちです。
 そして家族の中に原因を求める場合にも、「この子は生れた時から他の子とは変わった子だった」と親は言うのです。

 実はこの三つの言葉それぞれは正解なんです。しかし、「それだけであって、俺たちには責任はない」という具合にこの言葉が使われるとすれば、それは間違いなのです。

 この三つの言葉はそれぞれ一方の者が他方の者を「見下ろして」使っている言葉です。
 つまり相手から跳ね返ってくる言葉に耳を貸していないのです。この場合の人間関係は対立関係となっています。
 上位と下位の関係になっているのですが、実は上位の者も下位の者も確固とした安心感をもってその地位を占めているわけではありません。

 いえ、何時ひっくり返されるか判らないといった不安感を多かれ少なかれ持っているのです。この不安感こそが対立を強化させてしまう原因であり、また逆に、自分達の誤りに気づかせる力となるのです。

 登校拒否、非行、家庭内暴力と呼ばれる子供達の症状を私は思春期自己確立葛藤症と呼んでいるのですが、この症状は三つの側面から観察すると便利です。それは
学校(社会)不適応としての側面
家庭内不適応としての側面
性格神経症としての側面
の三つです。

 この三つはそれぞれ有機的に繋がっています。側面という言葉を使いましたが、それは帽子に例えて言えば三角錐の帽子のような三角形の「三つの側面」ではありません。
 言わば三色の糸で混ぜ綯われたベレー帽のようなものをイメージして頂いた方が適格でしょう。学校の要素、家族の要素、性格(個性)の要素のそれぞれ三つに「大きい」「小さい」というか、「濃い」「薄い」の差はあるとしても、この三つ全てが揃って自己確立葛藤症が出来上がると考えてよいでしょう。
 つまり、<子供一人ではなくて家族全体を、そして学校全体を、そして社会全体を治療の対象と考える>ことが必要なのです。
 しかし実際的には、この自己確立葛藤症の改善は家族の改変から入って行くのが最も効果的です。

 学校(社会)が変わることも、性格が改善されることも症状の改善に繋がることですが、この二者に挑戦することは莫大なエネルギーを費やし1カ月や2カ月ではとても成果は得られないでしょう。
 いえ、学校(社会)を変革するのには百年単位の期間を要することでしょう。性格を改善することは生まれてこの方の時間、あるいは一生の時間を費やしても不可能なのかも知れません。

 そこで、日々の成長を必要とする子供達の変革のためには家庭内不適応としての側面に焦点を当て、「家族の治療を進めて行く」のが最も現実的であり、効果的であると言えるでしょう。つまり家族療法が治療の手段となるのです。

 家族療法の基本は「相手の立場になって理解し合うこと」と言えるでしょう。
 「家庭が悪い」「学校、あるいは先生が悪い」「この子は生れた時から他の子とは変わった子だった」などと言って、<「俺たちには責任はない」と相手の立場を考えず、無理解な姿勢のままに相手(学校、家族、子供)を攻め続けること>こそが症状を深め、対立関係を強めて行くのです。

 実は、<両親、学校、子供個人という三者関係>の中に、この「自分のことは棚に上げ無理解な姿勢のままに相手を攻め続ける」という関係が見られる時、家族の中で全く同じ現象が起こっています。
 この時の三者関係は親が父と母に割れて <父、母、子供> なのですが、光に例えると「家族の中での現象が外に漏れ、社会の中に投影される」と考えてよいでしょう。

 「相手の立場になって理解し会うこと」が家族の中で始まれば、「攻めたり」「対抗したり」する必要がなくなります。三者関係は変革し、症状を出す必要がなくなって来るわけです。

 そして家族の変化は、学校(社会)不適応としての側面、性格神経症としての側面にも影響を及ぼし、やがては学校(社会)や個人の人格の変容に繋がって行くのです。


3. 私 の 往 診 の 概 要

 私が実際に行っている往診の概要をなるべく簡略に述べてみましょう。


  1. 往診の始まり方
    1. 電話や手紙での依頼 。
      a.本を読んでb.新聞・テレビなどで知って
      c.学校・医療機関・行政機関の紹介d.人伝いに聞いて
    2. 外来に直接来られて。
    3. 入院後、離院した者。外泊から帰ってこない者。
    4. 退院した患者の再発・増悪。
  2. 往診の手段
    1. 九州の範囲は車
    2. それ以外の地域は飛行機と新幹線
  3. 往診のスタイル
    1. 滞在時間:平均的には1〜2時間
    2. 食事、入浴、宿泊までして、翌朝2度目の面接をする場合もある。
    3. 子供だけを家から連れ出して、喫茶店、公園、学校、美術館などを使うこともある。
    4. 本人の抵抗が大きければ、隣室で家族とだけ話す。子供に聞こえるように、なるべく大きな声で。
    5. 自室に閉じ籠り、家族に危険が差し迫っている場合、ドアを壊して侵入することもある。
  4. 頻度
    1. 一回だけの往診で終るもの。
      1. 一回だけで改善するか、治療者が受け入れられない(=拒否された)もの。
      2. 自ら来院するようになるもの。
      3. 入院する事になるもの。
    2. 長期に亘る定期的なもの。
      • 1〜2回/1〜3月のペース
      • このペースですでに10年ほど継続している家族もある。
        1回の診察時間は1〜4時間
  5. 治療費用
    • 初回:3万円 2回目以降:2万円
    • そのため東京・大阪など飛行機や新幹線を使う往診の場合、3〜4人を同時に診ないと 赤字になる。
    • 若草病院には往診に回れるスタッフが6名いて、その中で長距離往診はほぼ水野に限 られている。それはこの制約のためである。
    • 8万円ほどの往診料が貰えれば1人の治療者が1人だけ診療するということで、他の 治療者も長距離往診に参加できるのだが、それだけ負担できる家族は少ない。
  6. 私が往診診療をできている条件
    1. 病院経営(164床)が順調であること。
    2. 同時に3〜4人を診るだけの対象があるということ。
    3. 精神科医3人、心理療法士6人で、入院した場合、看護スタッフによる生活指導と心理治療を行う治療システムがあること。


4. 診 療 の 意 味 、有 効 性 〜 必 要 性
 往診という治療手段は多くの精神科医療で有効であると思われます。本日は話題が拡散 しないために「家族療法を進めて行く上での」という限定の上に「登校拒否、非行、家庭 内暴力の子供達の」と付け加えていますが、多くはその他の神経症や分裂病、うつ病等の 疾患の場合でも共通して言えることです。

 往診の意味、有効性〜必要性を <観察手段という側面> と <治療手段という側面>という二面から述べてみましょう。


  1. 観察手段として
    1. 内科や外科などの身体疾患の領域では診断の正確度を高めるために「判断資料を増やす努力を重ねて来た」と言えるでしょう。問診や視診だけの時代から、聴診、打診、触診、血液検査、心電図、ファイバースコープ、CT、遺伝子検査等々と診断の確認作業を発達させて来たわけですね。

      問診や視診が非常に大切な診断技術であることは論を待たないのですが、これだけに頼るのは名人芸でしかないんです。診断、あるいは治療効果の判断に名人芸ではなくて、誰が見ても納得の行くものにするために様々な技術が工夫されて来たのです。
      ところが、精神科の診断の領域では問診と症状観察という極めて主観的水準に止まっているんです。

      心理検査は問診の領域を出るものではありませんし、血液検査やCTやEEGは除外診断としての意味しかないんです。精神科の症状そのものが、化学的・物理的に数量化でないんだから仕方ないじゃないかという意見もあるかも知れません。
      しかし、それはどうも、他科の医者達に比較して怠慢過ぎではないかと私は思います。

    2. つまり、「余りにも少な過ぎる資料で診断」を下して「そのままで良いと考えているのではないか」ということなんです。

      私が往診するのは「方々の治療所を巡った後」で途方にくれている家族である場合が多いのですが、この人達から聞くところ「家族から聞いただけの情報で診断して、投薬する医者」が多いんです。
      家族にしてみれば、「名の通った大学の名の通った先生だから」というんで、安定剤や抗鬱剤や抗精神病薬を飲ませているんです。多くの場合が隠し飲みです。

      「この薬を飲ませて、おとなしくなったら連れてらっしゃい」ということなのでしょうが、家族にしてみれば、和え物や味噌汁やジュースに忍ばせて投薬するという行為は「子供に対する犯罪行為」と思われ、罪の意識に苛まれていることが多いようです。

      これは家族療法の観点からすると、極めて治療に逆行することです。

      自室に閉じ篭った子供が分裂病類似の症状を見せることがあることを知っていれば、投薬を始める前に、もう少し「診断を補強するための資料」を収集すべきです。化学的・物理的に数量化できる情報が少ないからこそ精神科医には「多くの方面から情報を集める努力」が必要なんです。
      家族の陳述に加えて、子供の通っている学校の先生からの情報、子供自身の書き物(日記、なぐり書き、絵、等々)等があると、かなり客観的な資料が揃うこと になります。
      しかし、それでも子供本人を診る、あるいは少なくとも子供の住んでいる家など「子供の住んでいる環境の周辺」を確認するまでは確定診断をしてはならないでしょう。
      子供自身や家族にとって「治療者が自分の近くまでやって来て繋がりを持とうと努力した」という事実は「患者−治療者」の信頼関係を強化し、治療を進めて行く大きな力となります。

    3. もし子供本人が診察室を訪れて来ることができたとしても、往診は極めて有効です。面接や心理検査等々、オフィスの中だけで得られる情報は限られています。往診すれば多分数十倍の情報が立所に得られます。

      言い忘れとか、表現不足とかいう次元のものもあるでしょうが、言語的に伝えられない様々な情報があって、その中には夫婦の構造、親子の構造、そして家族と子供の歴史が詰め込まれているのです。
      どんな構造の家か、カーテンの色柄、庭の草花、
      犬・猫・小鳥などペット類
      (日本式の庭園か−犬が走り回れるような広々とした芝生の庭か)
      壁に飾った写真や表彰状、棚に置かれた飾り物、
      兄弟・祖父母など同居者との関係、
      ピアノ・車などの家具類、
      叔父さん叔母さんに当たる親族との財産争い
      近隣環境
      閉じ篭りの様子、壁や襖につけられた傷の度合い、その修理の度合い
      等々……。

  2. 治療手段として
    家族構成員のそれぞれの間で飛び交わされている <対立、対抗、連合、逃避……> 等々の関係の中に治療者が直接的に入り込むことはそれだけで、家族間の力関係の変化を作り、治療的な働き掛けとなります。
    家族療法という治療の仕組みの中では治療者は家族の中の誰かの代理になっています。つまり、治療者は多面体となり、<家族構成員それぞれの「私の部分」> を持たされているのです。
    父から見る面、兄から見る面、母から見る面、自分から見る面、祖父母から見る面という具合に。
    そして、その幅が広ければ広い程、大きな変化をスムーズに引き出すことができると言えるでしょう。
    機能が低下して行く家族の中では、家族それぞれは「理解し合うことを諦めている」のです。
    そういう状況の中に治療者が乗り込んで行き、光を当てて行くと、それぞれが諦めていたものに「再び挑戦してみようか」という意欲を引き出すことができるのです。


5. む す び に
 現在のところ、精神科医療の世界では、医者は診察室のなかに居るものという固定観念ができあがっているようです。
 ところが子供達の回りには様々な事件が噴出し、とどまる様子が見えません。しかも事件に対して教育者や治療者は(心理療法であれ精神科医療であれ)真剣な対応をできていません。
 新聞からは「対応のなまぬるさ」、というよりも全く無意味な「空念仏」しか伝わってきません。そしてその結果として子供の世界がますます干からび、さらに殺伐とした学校がさらけ出されるのです。

 私はこのような社会状況に突き動かされて行動してきたのですが、勿論まだまだ不十分です。
 つまり、登校拒否、非行、家庭内暴力の子供達の治療に携わる私達が「社会が必要とするだけの有効な治療システム」を提供できていないのです。
 例えば、家庭内暴力の子供を父親が殺害する事件のとき、山形の中学で起こった集団によるいじめ殺害事件のとき、神戸の酒鬼薔薇君事件のとき、「社会が必要とするだけの有効な治療システム」が身近にあれば事件の防止は可能であったでしょう。
 治療のシステムが確立していないばかりに、少年法の強化などという隔離の手段、治療とは逆行する手段が選ばれることになっているのです。

 私はこの場を借りて往診という治療手段が全国に広がっていくことを訴え、そのための診療報酬上の手立てが講じられるような運動を始めることを提案したいと思います。


ページトップへ もくじへ ホームへ