事件官邸介入にも注水続行 貫き通した「現場の判断」 福島第1原発の吉田元所長死去+(2/3ページ)(2013.7.10 00:22

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官邸介入にも注水続行 貫き通した「現場の判断」 福島第1原発の吉田元所長死去

2013.7.10 00:22 (2/3ページ)原発
2011年11月、福島第1原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える当時の吉田昌郎所長(右から2人目)と細野豪志・原発担当相(右端)

2011年11月、福島第1原子力発電所の免震重要棟で、報道陣の質問に答える当時の吉田昌郎所長(右から2人目)と細野豪志・原発担当相(右端)

 23年3月14日の3号機水素爆発時について、「自分も含めて死んでもおかしくない状態だった。10人くらい死んだかもしれないと思った」。吉田氏は昨年8月に福島市で開かれた出版社主催のシンポジウムにビデオ出演してこう語った。 

 そんな過酷な現場に向かっていく部下や協力会社の作業員には「感謝」を超えた特別な思いがあった。

 「放射能がある現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。部下は地獄の中の菩(ぼ)薩(さつ)だった」とビデオ映像で語っている。

 事故から約2週間、不眠不休で陣頭指揮にあたっていた吉田氏。休養で福島第1原発を離れ東京にいったん戻る際、現場に残り作業にあたる所員に、目に涙を浮かべながらこう言って去るシーンがテレビ会議映像にある。「私は肉体的にもかなりガタがきている状態になっています。非常に忸(じく)怩(じ)たる思いですけれども。またここに戻ってきて、皆さんと一緒に仕事をしたいと思います。本当に申し訳ないんだけど…」

 その後、職場復帰したものの食道がんが発覚し原発を離れることに。だが現場への思いは強かった。

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