エリザベス すごい
国民的歌手の坂本九さんの祖父である坂本金吉は、霞ヶ浦の漁法である帆曳漁(帆引き船による流し網漁)を八郎潟に伝えた人です
第31回特別展「帆引き船と坂本九
-八郎潟へ霞ヶ浦漁業を伝えた坂本家
会 場 かすみがうら市郷土資料館ココ
期 間 平成20年11月1日(土)~平成21年1月12日(祝・月)
入館料 一般210円、小中学生100円
◎展示構成 ココ
1 八郎潟へ霞ヶ浦漁業を伝えた坂本家
2 坂本金吉一家と八郎潟
3 帆曳舟から打瀬舟へ
4 霞ヶ浦水産加工技術の八郎潟伝播
5 坂本一家の功績と坂本九
坂本金吉は、一八六四(元治元)年に坂部五衛門の二男として田伏村(かすみがうら市田伏)に生まれました。後に坂本滝衛門の長女はまと結婚し、婿養子となって坂本姓を名乗ります
金吉は、背も高く、頭も良く、二十代にして明治天皇の近衛兵も務めたと伝えられています。金吉の職業は、父親から引き継ぐ五十集屋(いさばや)、つまり魚の加工と行商を生業(なりわい)としていました。
ある時、宇都宮(栃木県宇都宮市)へ行商に行った際に八郎潟の情報を耳にします。そこで、エビを獲るための仕掛けを持って、試しに八郎潟に出向きます。すると噂通りに魚がたくさんいることから、明治三十年代に妻のはま、長男の寛(坂本九氏の父)、長女のちよを連れて霞ケ浦から八郎潟へ移住するのでした
秋田では うたせ舟と呼ばれました
八郎潟で、うたせ舟漁法を広げた、祖父・金吉さん。秋田芦崎分校で育った父・寛さん。日航機事故によりこの世を去った坂本九さん
天国で帆引き船見てくれているかな
平成14年には、秋田八竜ミュージカル「うたせ舟物語」が上演されましたココ
昔から町民が親しんできた八郎潟と明治の末に茨城から移住してきた坂本さん一家との出会いのミュージカル
八郎潟の「うたせ舟」は、干拓前の八郎潟でワカサギやシラウオをとる底引き網漁に使われていました。大正から昭和にかけて約100隻のうたせ舟が八郎潟を往来していました。しかし、八郎潟の干拓工事が始まった昭和32年頃を境に次々と姿を消していきました。
茨城と坂本九さん
坂本九さんは、神奈川県川崎市で生まれましたが、大戦の疎開地として母の実家のある笠間市で幼少時代を過ごしました
1943年 10月26日 に発生した 常磐線土浦駅列車衝突事故 で川に転落し多数の犠牲者を出した車両に、疎開のために笠間に向かっていた九は母親と乗り合わせていた。ただ、事故の直前に他の車両に移っていたために難を逃れる。成長して周囲の人々にこの一件を聞かされて知り、笠間稲荷神社 の神様が自分を救ってくれたとして、終生信仰していたという。後にはこの笠間稲荷神社で柏木由紀子さんと結婚式を挙げる。そして、後述する最期の際にも笠間稲荷のペンダント が遺体の身元を特定する決め手となった
バンド時代から ソロ歌手に転向、そして世界的スターに
ありがとう
人々に感動を与える坂本家
うふっ
霞ケ浦大橋の両側の行方市とかすみがうら市へ一度、お越しくださいね
見上げてごらん夜の星を
明日があるさ
かすみがうら市郷土資料館にお越しの際には、夕焼けの富士山とすごいイルミネーションがありますよ ココ
上を向いて歩こう
行方市の霞ケ浦ふれあいランドの虹の搭もライトアップラクーン様のプログに掲載されていますよ ココ