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富士宮ボーイ掲示板

Fujinomiya Boy BBS

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No.36885 富士宮ボーイの管理者様 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-08 13:58:44 ID:5a27474dc
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たびたび手間をかけてしまい申し訳ございません
>>36882は削除してください また事故りました 

・・・で >>>>36875に関して 前から気になっていた事なのですが
富士宮ボーイの運営管理者は「あべひ」氏ではありません。
別の方ですよね 

・・にも関わらず管理者でもないのに警告などと 
さも代表者のような 偉そうな態度をとって権現を発動することが出来るのでしょうか?
警告を出せる権限・・と言うのは管理者の主観で決まる事であって
参加者じゃないですよね しかし ここは何故か 単なる 一参加者でもある
あべひ氏の主観だけで 簡単に警告が出てしまう
参加者だけで警告が出せるのなら 私も あの両名には警告を出したいところです

そこで 改めて あべひ氏の立場と言うのを きちんと説明していただけませんか? 
管理者さまとあべひ様の関係を語っていただくと 大変ありがたいです。
何故 権限があべひ氏にあって 管理者にはないのか?
また私自身にもアク禁動議の権限があるのか?

また管理者自身 中立な判断を何処まで精査していたのか?
この辺も説明もお願いいたします。



No.36884 佐助さん 投稿者:秋晴れ 投稿日:2013-07-08 13:56:10 ID:678752263
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御返答頂き、有難うございました。
No.36883 河内平野さん 投稿者:秋晴れ 投稿日:2013-07-08 13:55:39 ID:678752263
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種々のお書き込み、有難うございました。
No.36882 あと警告wo 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-08 13:45:42 ID:5a27474dc
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>>36875
No.36881 勝ち抜き荒らし合戦? 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-08 13:25:24 ID:5a27474dc
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>>36875
>>7/6以後ecoさんの無意味なアピールアラシ行為でアク禁動議が・・・

だから「何を持って無意味」だとか 言いがかりをつけているのか
きちんと説明してください。 単に「逆切れ」を しているだけじゃないのか?
何回も あなたにも河内氏にも答えているし おかしな点も指摘しましたよ
その答えを 全部 無意味な荒らしと言って決めつけているのが あなたでしょ?
だんだん菊川さんと似てきましたよ 少し頭を冷やしたら如何ですか? 

あと金原氏の本を支持する河内氏に対して 何にもお咎めがないんですか?

そういえば 河内氏と同じ事を主張していた人がいましたよね かの日顕です。
河辺メモに そんな事が書かれていた・・と主張して あれは後世に作られたものとか 
あいつ等は御本尊を汚したなどと 騒いでいましたよね。

あれ? 


あと 荒らしと言うのなら 何を暴走したのか河内し
どこかから受け売りを無意味に羅列して(アジ演説)をして しっかり荒らしていますよね

>>38677
>>38678
>>36879
>>36880


そういった意味でも管理者の方は冷静に判断してください。
もっとも こんな事が続くようでは 譬えアク禁動議が撤回されても 
外から眺めて あれこれ書くことはあっても 
二度とこちらには出る気にもなりませんね しかも為にもならない。


もっとも 東日本大震災の時に こっちは大変な状況だった・・と言うのに
こいつ等は 楠板のフレキシブルスレ等々で 小野たたきに奔走していた輩ですから 
自分たちに火の粉が降りかからない限り 人の痛みは解らない 常に他人事等々
世間の空気すら読めない 被災した方からみれば
噴霧に堪えない程 とんでもない連中の御説法ですからね~
何にも役にたつわけがない。

あんたたちは あの日 NHKの生放送を見てて
状況がおかしい・・と気付かなかったのかよ 
釜石や気仙沼や仙台の町が波に飲まれている状況をみなかったのかよ

本当におまえらこそ津波にさらわれてド○えもんになれば良いのに・・と
あのスレッドの内容を見たら 言いたくもなるよな
本当に世の中は不条理ですよね 流されてはいけない人が流され
流されても構わない人が しっかりと生き抜いて・・・
No.36880 【創価学会の歴史について 戸田城聖編】④ 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-08 11:33:12 ID:df23401ef
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長い間日本社会では、信仰のことは聖職者といわれる者たちが独占し、民衆は檀家制度で押しつけられた宗旨を、内容を吟味することも許されないまま受け継がされてきました。

しかし、学会の御書発刊によって、宗教の中身である「教義」を庶民に開放し、一人ひとりの手に与えていきました。

学会の登場で、数百万単位の民衆が江戸時代の檀家制度以来、数世紀ぶりに自分で宗教を選び取り、宗教を論じ、互いの信仰のあり方を批判していける宗教の当事者になったのです。

それまでは、事あるごとに聖職者と言われる僧侶を呼び、引導を渡してもらうと言う習慣があったのを打ち破ったのが創価学会でした。学会員は、自分で日々勤行・唱題をして宿命転換を祈り、先祖への追善供養をしています。

さらに、御書を拝し、教義の理解を深め、そうしてつかんだ確信で、同志の激励に、友への弘教にと活動して行きました。

また、「『道理証文よりも現証にはすぎず』と。現証とは証拠である。日蓮正宗が、いかに正しく最高であると説くといえども、これを信ずる民衆に利益がなかったならば、だれが信じようぞ」(戸田城聖全集第一巻八八頁)と、戸田はこのように語り、日蓮仏法の偉大さを「現証」という形で証明していこうとしました。

そして、「学会は、御本尊流布のために、大折伏に進むのが唯一の目的であるから、もし小笠原氏が再び動くようなことがあれば、また今後、小笠原氏の神本仏迹に類したような言動に出るようなものがあれば、謗法厳誡、大法弘通の大義から、いつでも、なにびとなりとも、断固、護法の闘争をやりぬくことに変わりはない」(戸田城聖全集第三巻四九九頁)と訴えました。

つまり、たとえ宗門の僧侶であっても、日蓮の教義に背く悪侶は、御書に照らし、糾弾していくことを明らかにしたのです。

ちなみに、この「小笠原氏」という人物は、先ほども振れましたが、日蓮正宗僧侶であるにもかかわらず、戦時中軍部の弾圧を恐れ、日蓮仏法の教義を曲げて「神本仏迹論」なる邪説を立てた人物です。

一九五二(昭和二十七)年四月、日蓮正宗総本山大石寺において「宗旨建立七百年記念慶祝大法会」が行われたとき、この悪侶・小笠原慈聞が本山に現れました。神本仏迹論の邪義を唱えた小笠原を厳しく問い糾した青年部の行動に対し、宗門の宗会が、戸田の「謝罪文要求」、「大講頭罷免」、「登山停止」という不当な処分を行いました。

この時、宗会側は大謗法を犯した小笠原に対しては、「宗制宗規に照らし適切な処置を望む」としたのみで、何の具体的処分もしなかったのです。(小説『人間革命』六巻に詳しい)
 
このことからもわかるように、創価学会は民衆に宗教の何たるかを目覚めさせ、民衆が、僧侶や教祖といった何者かに依存することなく、自分で幸福になる方途を教えたのです。戸田も「創価学会の使命は、まさに教学の振興にある。私も、教学部員の養成には、心をくだいている」(戸田城聖全集第四巻六五頁)と述べ、学会員一人ひとりに、日蓮仏法の教義を打ち込んでいきました。

戸田が何よりも急いで御書を発刊し、庶民に教義のすべてを開放して立ち上がらせたことは、極めて重要なことだったと思います。

最後に御書にはこうあります。

「仏法のため、王法のため、諸経の要文を集めて一巻の書を造る。(中抜) 立正安国論と名けき。其の書にくわしく申したれども愚人は知り難し。所詮、現証を引いて申すべし」(三七一頁)

また、
「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(一四六八頁)

と日蓮大聖人は言い切っています。現証がもっとも大事ではないか、と。

さらに日蓮大聖人はこう言われている
「地涌の菩薩、始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。(中抜) 我が弟子之を惟え」(二五三頁)。

「当に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧と成つて正法を弘持す。問うて曰く、仏の記文は云何。答えて曰く『後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん』」(二五四頁)と。

現証として、実際に世界百九十二カ国に御本尊を流布し、日蓮大聖人の思想を全世界に流布し、日蓮大聖人の御書に書かれている広宣流布を現実のモノとしたのは創価学会なのです。

日蓮正宗が大きいと言ったところで、そのほとんどの寺院を寄進したのは、創価学会です。

創価学会が謗法の教団というなら、学会が今まで宗門に寄進した三百カ寺以上の寺院を学会に返上してからモノを言いなさい。

日蓮正宗の坊主や法華講さんたちも、日興門流の端くれなら、日興遺訓置文の『一、謗法の供養を請く可からざる事』(一六一八頁)を守りなさい。

それが出来ないということは『万年救護の為に二十六箇条を置く。(中抜) 此の内一箇条に於いても犯す者は日興が末流に有る可からず』(一六一九頁)とある通り、日興上人の末流ではないということです。

以上、 完。
No.36879 【創価学会の歴史について 戸田城聖編】③ 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-08 11:28:47 ID:df23401ef
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一九四七(昭和二十二)年から、第六十四世貫主になった日昇は、戸田の求めに応じて「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の脇書きをしたためた、一九五一(昭和二十六)年五月二十日に、広宣流布のための常住御本尊を創価学会に授与しています。

一九五二(昭和二十七)年二月十七日、東京・常泉寺で行われた青年部研究発表会の席上、戸田は、自らの思想を「地球民族主義」であると提唱します。これまでの国家というものは、国民に対して至上命令の権威をもっていましたが、そのような時代の終わりを、早くも戸田は洞察していたのだと思います。

そして、第三代会長は青年部に渡すことを打ち明け、「いまの牧口門下がわたしを支えるように、三代会長を戸田門下が支えていきなさい。わたくしは広宣流布のために、身を捨てます。その屍が、品川の沖に、また、どこにさらされようとも、三代会長を支えていくならば、絶対に広宣流布はできます」(戸田城聖全集第三巻四六一頁)と述べ、世界を救うのは学会以外にないと断言しました。

戸田の胸中には、「広宣流布の達成」と、その達成のための「使命の実践」、そして近い将来において、世界広宣流布を推進していく基盤としての「七十五万世帯の達成」と、戸田の寿命と、譲るべき「第三代会長」が、いかにして後事を達成するか、それらの一つひとつが渦を巻いていたにちがいありません。

同年四月、さらなる広宣流布の開始にあたって、まだ物資も少なく学会も貧しかった中で、御書全集の発刊を行いました。それまでに日蓮宗などで発刊されていた遺文集には間違いも多く、重要な相伝書などが欠落したままでした。
大石寺に門外不出とされてきた相伝書など秘蔵の法門も、戸田を深く信頼していた碩学・堀日亨の監修を得て、学会の手ですべて御書全集に収められ公開されることとなったのです。

しかし、ここでも広宣流布を人ごとのように考えていた宗門は、学会に何の援助もせず、戸田と深い信頼関係で結ばれていた「堀日亨」だけが力を貸すのです。

御書出版事業を終えた戸田は、「今度の事業は、じつにたいへんだった。まかり間違えば、宗門の名誉、学会の名誉、盛衰にまでひびいてくることを思いながら、かならず完成してみせる確信だけは終始不変だった。いろんな難関は覚悟のうえだが、宗門の援助がえられぬと決定したときは、胸にわき上がるものがあった。しかし、堀猊下おひとりのお力をいただいて完成でき」(戸田城聖全集第三巻四七六頁)たと、堀日亨にお礼を述べた後に、「教学部の諸君は、じつによくやってくれて、学会教学の実力を示したのは、なにより誇りに思っている」(同四七七頁)と語っています。

同年六月の巻頭言では「記録するということは、未来へ、真実の歴史を残すことである。昭和二十六年五月三日、会長就任いらい、立宗七百年を目指して、会員一同は、一丸となり、折伏教化に邁進して、大御本尊のご慈悲にこたえんとしたのであった」(戸田城聖全集第一巻八三頁)と語り、折伏目標の達成を喜び、これは日蓮正宗始まって以来初の大折伏であったと訴え、 「また、宗門始まって以来の、いまだかつてない大聖人の御書出版の大業が、畑毛の堀日亨上人猊下のご慈悲により、学会の手によってなったことは、学会最上の光栄なことである。これをも、ともにあわせ記録して、学会歴史のうえに大きな足跡を残さんとするのが、本書発刊の第二義である」(同八四頁)と述べます。

戸田は、堀日亨との思い出をこのように語っています。
「私は、日蓮大聖人様に約束して生まれてきました。いつか、畑毛の猊下が『もしあなたがもっと早く生まれていたら、日蓮正宗もこんなには衰微はしなかったろうに。おそすぎた』とおおせられたことがあった」(戸田城聖全集第四巻三一頁)。

「学会は組織をもっている。学会の組織に、批判は絶対にいけません。学会を離れて功徳は絶対ありません。増上慢のように聞こえるかもしらんが、畑毛の猊下(堀日亨)は、私にこんなことを申された。『あなたが、四百年前に生まれてきていたら、日蓮正宗はこれほど滅びはしませんでしたろう』と」(戸田城聖全集第四巻四三頁)語り、堀日亨も創価学会に対して絶大な信頼を寄せていました。

また、御書発刊を記念して戸田は和歌を詠んでいます。

「願わくは 国の柱となれかしと 祈りし時に 御書に仕えぬ 昭和二七年四月二八日」(戸田城聖全集第一巻四五四頁)

「君達の 真心つもりて 御書はでき 七百年(ななももとせ)のつとめ果たしき」(同四五五頁)

「御書全集 つくらんために生まれきし 七百年の今日ぞうれしき」(同四五七頁)

戸田の心には、創価学会こそ「日蓮大聖人直結の団体」であり、学会員こそが、末法に出現する「地涌の菩薩」であるとの確信がみなぎっていたにちがいありません。

戸田自身も「会員諸君に告ぐ。われらこそは、えらばれたるところの末法御本仏の弟子であり、家来であり、子どもである。主人の命を奉じ、父の慈悲にむくい、師の教えにしたがって、広宣流布のさきがけをしようではないか」(戸田城聖全集第三巻二〇二頁)との言葉を残しています。
No.36878 【創価学会の歴史について 戸田城聖編】② 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-08 11:24:37 ID:df23401ef
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そして、二ヵ月後の九月の「巻頭言」では、「無用の長物」と題し、世の悪侶に対して法論対決も辞さないという覚悟で、戸田は叫びます。

「坊主ほど、日本再建の今日、無用のものはない。かれらは、なんのために法事や葬式にお経を読むのかということを、深く考えたことがあろうか。先祖代々、各宗各宗によって、葬式や法事のとき、お経を読んできた。自分も坊主になったのだから、葬式や法事に、師匠ゆずりの経を読む。そうして、お布施と称する労働代金をもらう。それで本人は不思議ないとしても、よくよく考えてみると、こちらでは不思議でならない」(戸田城聖全集第一巻一三頁「無用の長物」)、

「坊主と芸者は同じようなものであるが、芸者は女一人食うだけで、大きな寺のような建物をもっているものではない。坊主は大きな寺をもって、大威張りで労働代金を過分に請求する。一つの牧場で、小羊が食う草と、大像の食う草ほどの相違で、大変な無用の長物である。坊主どもに、さも指導者のような顔をさせて、芸者のような職業をさせている民衆は、バカだとしかいえない」(同一四頁「無用の長物」)、

「『現代の坊主は、まず放逐せよ! さもなくんば重労働を課せ』と。(中抜)余のことばによって、猛り狂う坊主あらば、来って法談せよ」(同一五頁「無用の長物」)、と叫び、戸田は葬式仏教に成り下がった
宗教集団を痛烈に罵倒しました。

さらに、同年十月二十七日、東京・神田の教育会館において、戸田は「わたくしたちは、無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人があれば、車に乗せて、大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命である。宝の山にはいって、宝をとるかとらないかは、その人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが、われわれ学会の尊い使命なのである」(戸田城聖全集第三巻四一〇頁「大御本様への車引き」)」と、学会の使命を語りました。

一九五一(昭和二十六)年四月に「信教の自由」を実質的に担保するための「宗教法人法」を取得し、続いて同年同月に機関紙「聖教新聞」を発刊します。

そして、同年五月三日、戸田城聖が第二代会長に就任しました。この第二代会長就任式で戸田は、「私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でする」(戸田城聖全集第三巻四三三頁)、と宣言し、いよいよ、広布の活動を推進していくのです。

戸田が、宗内の一部にあった抵抗を抑えて、創価学会を独立した「宗教法人」としたのも、寺檀制度のような従属的な関係では、創価学会の使命とする「広宣流布」は不可能だと判断したからだと思います。

それともう一つは、戦中の日蓮正宗の信徒に対する態度を、戸田は決して忘れる訳にはいきませんでした。
都合が悪くなると、信者を切り捨てる宗門の体質を見抜いていたからだと思います。
それは、今もまったく変わっていません。

つぶれそうな日蓮正宗に、日蓮仏法の真髄である「広宣流布」実現の精神を宗門に教え、その精神を初代・牧口会長が守り通しました。学会が出現して「宗門外護の赤誠」を尽くした二代・戸田会長、さらに三代・池田会長も両先生の意志を継ぎ、宗門を繁栄させた「大功労者」です。しかし、その大功労者に対して、宗門は「感謝」どころか「破門」で報いました。

人間としても最低の行為であるし、赤誠の信徒をあれほどまでに賛嘆された日蓮大聖人の御心を、まっこうから否定し、踏みにじる「師敵対」「大謗法」ではないでしょうか。

後に、六十七世の貫主となる阿部日顕は、本行寺の住職であった当時、学会の宗教法人格の取得にもっとも反対した一人です。当時の日蓮正宗には、阿部日顕のように、急速に発展していく創価学会を嫌悪する僧侶も少なからずいました。
 
戸田は、一九五一(昭和二十六)年五月三日、第二代会長に就任した年から、次々と学会の使命と学会精神ともいうべき、指針を会員に発表していきます。

同年七月十日の巻頭言で「されば、創価学会の精神は、折伏に重きをおき、大聖人様よりご愛顧をこうむって、一生成仏をお願いするのである。(中抜)大御本尊の命を受け、一日も早く広宣流布して、大聖人の慈悲に報いようではないか」(戸田城聖全集第一巻四六頁~九頁)とし、創価学会は、「折伏の団体」「広宣流布の団体」であることを明らかにしました。

また、同年七月二十二日、東京・家政学院講堂で行われた臨時総会では、
「わたくしは、創価学会理事長を学会創立以来つとめ、故牧口会長とは影の形にそうごとく、生死をともにするために生まれてきたのである。牧口会長のあの確信を想起せよ。腰抜け坊主が国家に迎合せんとしたとき、『日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をなさん』との厳然たる命令は、絶対の確信のほどがしのばれるのである。わたくしは五月三日、会長に就任し、学会は、『生命は永遠であり、これこそ、末法に七文字の法華経を流布すべき御本仏の眷属なり』との自覚を生じて、牧口会長が口ぐせにいわれていた発迹顕本をしたのである」(戸田城聖全集第三巻四三六頁)、と創価学会の使命と確信を述べます。

さらに「創価学会の魂とは、日蓮大聖人様の魂を魂とし、一乗妙法の力で、日本人をして大日本民族たらしめんと、邪宗との闘争をもって当たるのが、学会精神であります」(同四五〇頁)とし、創価学会は日蓮大聖人直結で「御書根本」の精神に立ち、「立正安国」の実現を目指すのが学会精神だと訴えました。

そして、「日蓮正宗総本山をはじめとして、全国五十有余の末寺にいたるまで、荒れはてなんとしている現状であります。これは、いままでの檀信徒が、題目のみを唱えて折伏をせず、本尊流布をしてないゆえであります。しからば学会はいかん。総本山との交流をはかり、『日蓮正宗、日本にあり』と仏法界に示すこと」(同四五二頁)と述べ、

日蓮正宗総本山が荒れ果てている現状にふれ、その原因を日蓮の三大秘法の一つである「本門の題目(自行化他の題目)」を実践してこなかった檀信徒および僧侶が、その原因であると喝破しました。

戸田にとって、急務にすべきことは宗門寺院の建て直しでした。戸田は、「寺が、衰える、寺が亡びるということは、御僧侶にも絶大なる罪があり」(戸田城聖全集第一巻六二頁)としながらも、宗門寺院の外護に努めます。
 
同年十一月、戸田は青年部に対して「青年訓」を発表し、
「行学に励み、御書を心肝にそめ、大聖人の仏法に通達して迷いなく、今はいかなる時かを凝視して、大聖人のみ心を心とし、日興上人のご遺誡をわが命として、努むべきである」(同六〇頁)と訴え、創価学会は、どこまでも「日蓮大聖人直結」「日興上人直結」で、「御書根本(大聖人のみ心を心とし)」に広宣流布に励むべきであると訴えます。

この時代、全体として宗門と学会という僧俗がまとまれたのは、戦後の日蓮正宗の貫主たちが創価学会の出現に、仏法上の意義を感じていたことと、創価学会が万事をさしおいて宗門の外護に尽くし抜いたからだと思います。
No.36877 【創価学会の歴史について 戸田城聖編】① 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-08 11:20:10 ID:df23401ef
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第二次世界大戦後の創価教育学会の再建は、戸田先生の出獄から始まりました。※(以下、先生・省略)

戸田は、焦土と化した荒野に、一人立たれ、師匠である牧口を獄死させ、幾千万の民衆に塗炭の苦しみを与えた見えない敵(権力の魔性)に対して、恩師の仇を討つ闘争を、厳窟王の精神で開始されたのです。

戸田は当時を振り返り、「私は、牢から出て聞いたことだが、牧口先生が警視庁から自動車に乗るとき、『戸田君は、戸田君は』といわれたので、迷っていった稲葉さんの奥さんが、『戸田さんは後から行くんですよ』といったら、『ああそうか』といわれて、自動車に乗られたそうである。私は、葬式のとき、わずか四、五人の弟子しか列席しなかったと聞いて、『あれほど弟子がいたのに、わずか四、五人とはなにごとだ! 警視庁がそれほどこわいか。いまにみろ』と憤慨した」(戸田城聖全集第四巻二三〇頁)と語り、恩師・牧口の正義を必ず実証するのだ、と誓います。

戸田は、二年にわたる過酷な獄中での生活のために、体は衰弱しきってボロボロの状態であり、極度の栄養失調のうえに、肺病・喘息・心臓病・糖尿病・リューマチなどに侵され、視力も片目は失明寸前でした。
そして、学会を再建しようとする戸田の周りには、常に激しき戦場が展開していました。戦前に戸田が経営していた十七の会社は壊滅状態。来る日も、来る日も、勝負のつかない戦場で、地面に倒れては立ち上がるが如き、毎日であったといいます。

戦後の厳しい社会情勢や経済闘争から逃げるわけにはいかない。身を退くこともできない。
出獄当時の戸田の切なる願望は、何があっても創価教育学会の未来を切り開いていくことしかなかったのです。師である牧口の遺志を胸中に炎と燃やしながら、獅子のごとき大生命力で挑んでいました。

その時の心境を戸田はこう述べています。
「昭和二十年七月、出獄の日を期して、私はまず故会長に、かく、こたえることができるようになったのであった。『われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります』と」(戸田城聖全集三巻一一九頁)。

それは、戸田が獄中で体得された偉大な確信でした。
一九四五(昭和二十)年十一月十八日、戸田は牧口の一周忌法要(中野・歓喜寮)を行います。
参列者はみんな、検挙され拘置所送りになると、早々に節を曲げて釈放になった、かつての幹部ばかりでした。牧口の偉大さを語り、戦中の弾圧に対して憤りを語りますが、誰一人、恩師の意志を継ぎ学会再建の決意を語るものはいませんでした。

一九四六(昭和二十一)年三月、戸田は「創価教育学会」を「創価学会」と改称します。
そして日本正学館に、「創価学会本部」の看板を掲げ、この頃より牧口の「価値論」を用いた折伏から「生命論」を用いた折伏に変え、本格的に学会再建が始まっていきました。
 
そして、「罰と利益」と題して講演をし、次のように語ります。
「われらが恩師牧口先生は、法のため、人のため、世のため、法難にあわれ、三世の諸仏の称嘆したもうところである。いま、この人を悪口するものは、妙法に悪口するもので、その大罰は恐るべく、その人やあわれむべきである。わが学会を悪口するものは、妙法使徒の集団を悪口するもので、現罰なくしてなんとしよう」(戸田城聖第三巻三八八頁)と述べ、恩師・牧口の正義と学会の立場を明確にしました。

戸田は、自ら折伏や座談会の第一線で戦い、昭和二十四年七月には機関紙「大白蓮華」を発刊します。その中で「宗教革命」と題して巻頭言を発表しました。

この巻頭言の中で戸田は、
「仏教界においても、僧侶は、ただ食うための坊主商売であり、葬式と墓場の管理人にすぎない。その教義や説法も、大衆の日常生活とは何の関係もなく、これこそ大衆から遊離した無用の長物といわざるをえない」(戸田城聖全集第一巻六頁「宗教革命」)、

「さらに信者は、自分の属する宗派が何であるかを、きわめようともせず、生活と関係のない寺院に、多額の布施や寄付を徴収されても、これを疑おうとせず、ただ先祖伝来を口実にして、そのお寺をまもってきた。そもそも宗教とは『生活の法則』であり、生活そのもののなかに存在しなければならない。それがためには、宗教のあり方を考えるときに、まず自分の立場とか過去の因習を捨てて、仏教徒は、まず釈尊の立場にかえって判断しなければならないはずである。しかるに聖人の滅後、宗派は宗派を生じ、異見は異見を生み、分裂に分裂を重ねてきた上に、各宗派は堅く自説に執するのあまり、是非曲直の糾明もせず、ついには消極的、退嬰的になって、次第に宗教は生活とかけ離れてきた。これに乗じて、さらに新興宗教のはんらんを、もたらしたのである」(同六頁「宗教革命」)、

「いま、ここに、宗教雑誌『大白蓮華』を発刊して、学者も僧侶も檀信徒も、きわめて自由に、その所信を開陳し、邪を捨てて正を取り、小善を捨てて大善を取り、もって生活の準則としての正しい信仰と、新しい生活を建設せんがために、正法、正義を究明せんとするものである」(同八頁「宗教革命」)、と述べ、

戸田は内外問わず、宗教革命の闘いを獅子吼し、宗教の正法と正義を究明することを宣言しました。これが、「大白蓮華」発刊の淵源です。
No.36876 佐助さん、おはようございます。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-08 11:15:51 ID:df23401ef
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佐助さんの主張
-------------------
要するに分からなかった、と素直に述べられているわけですね。佐前佐後というのは法門の立て分けです。私が言っているのは、「戒壇の大御本尊建立後、どのようナ変かが御書中に見られるか」と言うことですので、再度御書をお読みください。分かるまでの宿題にしておきます。
-------------------

佐助さん、ウダウダ言ってもしょうがないですよ。反論になっていません。
河内のレスをよくお読みください。相手が何を言っているのかすら認識できないようでは、話になりません。

何回も河内の主張を説明しなくてはならないようでは、本当に、これってなに ?
河内を疲れさせる戦法ってとこですか ? 笑

これまで佐助さんと対話をしてきましたが、はじめから御書を通して創価学会のまちがいを、佐助さんがスパッと言えば済むだけの話なのです。何もむずかしい話ではない。

なのに、いつまでたっても佐助さんは、それをしない。
そんな意味のない対話に付き合ってられない。

しかし、河内が当初に言った、
*********************
【No.36814 】
■「だったら、君の教学力を試してあげるよ」
■「このまま終わったんでは、富士ボを見ている若き青年部諸兄の勉強にはならない」
■「法華講が、どれほど日顕宗の毒に洗脳されているか、見せてあげたい」
■「こんな脳乱者と、対論することが如何にバカらしいかも、見せてあげたい」
日蓮大聖人に「信」を取っている団体に対して、人師・論師の言で学会を破折するのではなく御書を通して、学会のどこがまちがっているのか言いたまえ・・・・・・・」と。
*********************

これは、表現できたのではないかと思います。
あとは、ロム者の評価にまかせます。

河内平野は、またいつもの阿部日さんから怒られながらでも、めげずにネットで「遊ぶ」河内平野に戻りたいと思います。

しかし、また佐助さんが【河内の質問①~⑩(No.36814)】を真面目に答えるなら、対話再開になるかも知れません。

では最後の最後に、第二弾【創価学会の歴史について 戸田城聖編】の考察を記して、佐助さんとの対話は終了とします。
No.36875 【警告】荒らし行為はやめてください 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-08 11:11:46 ID:c171fb90b
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7/6以後ecoさんの無意味なアピールアラシ行為でアク禁動議が
下げられたので、再掲示します。


======== 動議申し立て ===========


ecoさんの投稿趣旨や姿勢をみるかぎり、議論に応じるつもりはなく
根拠も示せないまま誹謗中傷を繰り返すのみになりました。

また反省するどころか、さらに連続投稿で掲示板の趣旨に反する行為を
繰り返しています。

もとよりecoさんは創価学会および池田大作名誉会長に対しての
アンチ活動を2ちゃんねる等をつかってネット上で展開されており、
掲示板の退出を願う意見も同志の側からでていましたが、
アンチ日蓮正宗の姿勢も見られましたので、要注意ながらも容認して
まいりました。

ところが、法華講さんとの有意義な討論に水をさすばかりでなく、書き込まれる
内容は軽薄短絡で、インネンをつける素行不良者となんら変わりません。

また、個人を中傷するために二律背反を用い詰め寄るばかりで
説明責任を放棄しています。

掲示板のルールを示して自省を促しても反発をするのみで
強硬な態度に終始していますので、残念ですが規定を適用し投稿文の削除と
書き込み停止処置を提案いたします。

動議を提案した以上、この件(河内平野さんに対しての中傷)関しての
ecoさん本人の弁明または趣旨説明の機会は認められますが、それ以外の無関係
の投稿を続けるようでしたら、ただの『愉快犯的掲示板アラシ』として
管理人殿から警告なしでの投稿削除処置が発動されます。

またecoさんの記事削除・書き込み停止処置に賛同いただける場合
その旨を書き込まれる方が二人現れた時点で動議は成立いたします。

なお閲覧の皆様におきまして、記事の削除だけで猶予をあたえるべきではないか
今一度反省を促してはどうか等々提案がございましたら書き込みをして
いただきたく存じます。



2013/7/6 あべひ拝
No.36874 今まで 何回も伺っているのですが・・・(訂正その2) 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-08 10:41:10 ID:7094e23c0
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>>36872
>>しかも 始末が悪い事に 河内さん自身>>3682で 
>>金原氏の話を引用して弘安2年の大御本尊を後世の創作だと断定しているし
>>それでも「あれ?」・・と誰も思わないところが不思議な処です。

>>3682て何時頃のログなんだか・・・ 正しい番号は>>36852です。


証拠も兼ねて もう一度河内氏のNo.38652より抜粋して引用します
--------------------------------------------------------------------------------

金原明彦氏は、この著作の「まえがき」でこう記されています。

=======(抜粋)
本書が明らかにしようとしているのは、日蓮正宗大石寺に伝わる「戒壇の大御本尊」の造立の真相である。日蓮大聖人によって直接図顕・造立されたとする伝承の真偽を見直そうとするものだ。その内容は本論に詳しく述べるとして、はじめに誤解を避けるために断っておけば、本書は決して本尊批判のための偽作論ではない。あくまでもその伝承を検証するものである。

(中抜)大石寺所蔵の「本門戒壇の大御本尊」について、それが日蓮大聖人の直造であるか否かを問うことは、御本尊としての真偽を問うことではない。日興上人の書写御本尊を例に取るまでもなく、日蓮大聖人の意にかなった御本尊であるか否かということと、大聖人の真蹟か否かということとは、まったくべつの問題である。

しかし、だからこそ、誤った伝承は是正され、正しく認識されることが、より正しい信仰のありかたを知る基盤であり、なにより、祖師である日蓮大聖人に対する誠実な姿勢であると思うのである。
===============

と述べています。
日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」が、後世に創作されたパッチワーク大御本尊だった、ということが判明した今、「日蓮大聖人の仏法は、この本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を根本とします 」という大石寺教義は、単なる日蓮正宗内・僧俗だけに通用する教義であり、他宗にはまったく通用しません。

-------------------------------------------------------------------------------



>>36852
>>日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」が
>>後世に創作されたパッチワーク大御本尊だった、ということが判明した今

>>日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」が
>>後世に創作されたパッチワーク大御本尊だった、ということが判明した今

>>日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」が
>>後世に創作されたパッチワーク大御本尊だった、ということが判明した今


この回答は「河内」さんが「佐助」さん宛に反論した言い分でしたよね。
この時点で創価の公式から逸脱しているじゃんかよ
その河内氏が 創価の幹部だったら こんな解釈に陥っているんだから
こっちの方が大問題なんじゃないの?
No.36873 今まで 何回も伺っているのですが・・・訂正 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-08 10:08:42 ID:7094e23c0
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>>36872
まず「タイトル」
『今まで 何回も伺っているのですが・・・(その1)』はありません
当初 読みやすいように 106の一件に関しては(その1)
オイラに関する内容については(その2)・・・と 上下2分割にしようと思ったら
「タイトルをつけた時点」で リターンキーが勝手に反応してしまい 
結局は 一括であがる形に・・・ 


もう1つの訂正

>>相手に 書きたくもない 個人情報を要求しておいて 
>>自分の個人情報を隠すなんてフェアーじゃないですよね
>>No.36829は 今までの論争と何の脈絡もなく
>>人の事を根ほり葉ほり聞こうとしたのは どなたでしたか?

番号が間違っています。 河内さんが今までの論争と何の脈絡もなくオイラに対し
人のプライバシーを根ほり葉ほり伺おうと探りを入れて 踏み絵を踏ませようとしたのは
>>36822でした。

因みに>>36829は あべひ氏の>>36822に関する
オイラの回答に不満があった書き込みだったわけですが
そういえば だいぶ前でしたか 愚壮氏 
踏み絵を踏ませようとした悪代官の心理性を考察した内容がありましたが
それと同じ類ですよね>>36822の内容は・・・


No.36872 今まで 何回も伺っているのですが・・・(その2) 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-08 09:50:47 ID:7094e23c0
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>>36866

>>河内平野さんが日蓮正宗の扱う御書には他山の相伝書も含まれていると指摘
>>された事を指してeco氏が河内さんを日蓮本仏論否定者のように断定していましたが
>>、これではまったく説明になっていません。
 
どの部分で説明になっていない。・・と判断しているのか 理由を述べていませんね
それでも説明不足と言うのでしたら もう少し掘り下げましょうか?

まず 今回の折伏・・と言うか論争ですか どなたに向けての反論でしたか?
そうですよね 元仲間の法華講さんです。

それならば 河内自身が身でもって読んだ106の内容に基づいて
しっかり反論すれば良かっただけの話でしょ?
ところが! それを放棄して 背景ばかり述べて 
肝心な令宝久住を放置して説明していたのが 河内さんじゃなかったでしょうか?
106の内容を精査した反論なら凄いと思うけれど 
実際 河内さんの書いた【「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の検証①②】
単なる 何処の馬の骨とも解らない寺から渡ったもので 
大石寺のオリジナルじゃない・・と主張しているだけで
その辺のレベルは 偽書が多いから 堀上人の編纂した御書でも信じられない
・・と主張しているのと 同じレベルの内容だったわけです

しかも 始末が悪い事に 河内さん自身>>3682で 
金原氏の話を引用して弘安2年の大御本尊を後世の創作だと断定しているし
それでも「あれ?」・・と誰も思わないところが不思議な処です。

そうなってくると 
あれ?創価は日蓮本仏を信じていたんじゃなかったの・・と
懐疑的にもなってくるのも当然じゃないでしょうか?

参考に 
佐後の文献は どちらかと言えば 主に信仰の問題点なども含めて
上行菩薩の振る舞いよりも 御本仏に関する内容が多くが記されているわけですが 
どういうわけか 殆どが偽書や写本のものが多くてオリジナルが少なく 
どうやら他の日蓮系では学問上でも まともに扱っておらず 
従って 他の日蓮系では上行菩薩と結論付けているわけです。

本来ならば その辺を しっかり証明をしていかなければいけない筈なのに
それを怠り しかも河内氏の場合 それを裏付けるかのように 
本仏を否定する事に加担して協力した形にもなっていたわけです。
その辺は稲葉の物置じゃないけれど 100回読んでも同じ受け止め方です。

また どの書き込みが無意味だった・・・と判断されたのか
該当する部分の説明を受けていないので 
その反論になるか 如何か保障しかねますが
信行に支障をきたさなければ問題ない・・などと平然と書きこむ人もいたので 
そこで 偽書を鵜呑みにしてしまうと 「どんな問題が出てしまうのか?」 
悪魔の証明の一例を あれこれと書いた訳ですが
その辺を無意味な書き込みなどと判断したポリグラフの浅墓な方がいた御様子で
その辺は 非常に残念な処です。
 
また 同じ主旨の内容を>>36774でも書いた上 あれこれ質問もしたのですが 
読解力がないのか 都合が悪い・・と思ったのか? その辺は存じかねますが 
その後のやりとりで 先方さん(この場合は あべひさんや河内さん)は
無意味だなんだ・・と>>36800等で言いがかりをつけて 
既に説明責任を放棄しているわけです。 人の事が言えますか?

・・でここで あべひ氏に伺いますが 
無意味だと思われた該当レスを指摘していただけませんか?

しかも 創価は106を今後 どのように扱うのですか?
・・と質問もしている個所があったのに これも しっかり説明責任を放棄

何度も その辺を伺っているのに 答えないまま 煽るだけ煽って
挙句の果てに 管理者に泣きついて アク禁の印籠をつきつけて恫喝し
結果的には説明責任を放棄して論点を暈し・・・


なぁ~んだ その辺は 今までアク禁になった人たちの振る舞いと
大して変わらないじゃない
それこそ 河内氏も含めて あべひ氏も 富士宮ボーイから追放したい処です
しかもブログにまで上げちゃって 
だんだんJUNK氏の精神構造と変わらなくなってきていますが・・・


ともかく もう一度伺いましょうか 
では あなたが 他山の相伝書だ・・と言うのなら 
河内氏もあべひ氏 あなたも 一体 何処の日蓮をおがんでいるのでしょうか?

どの道 106を否定しているんでしょ? 
あの文献は宛てにならないし 信用出来ない・・と主張しているわけですよね
では

・日蓮の扱いは? 
・御本仏の正体は?

また 106を削っても信行に失する事はない・・と言い切れるんですね
あなたも河内さんも 現在 浄円寺から下付された日寛上人書写の御本尊に向かって
日頃 ナンミョーをしていますよね(但し 対告は削られています) 
では その御本尊に書かれている内容は 元々・・・
他の寺から流れてきた106の内容に基づいた相伝によって書写したものじゃないでしょうか?
また 破門前でも 同じく何処の馬の骨とも解らない 106箇抄に基づいた 
曼荼羅に向かってナンミョーをしていましたよね
では その御本尊に書かれている内容は 元々・・・
他の寺から流れてきた106の内容に基づいた相伝によって書写したものじゃないでしょうか?

その二律背反の部分を どうやって説明をするのか 伺いましょうか? 


>>36866

>>そして決定的なのは
>>「人の顔を見て態度を変えるような人だ・・・という事も良く解りました。
>>だから 答えたくないんです。そんな人にしかも第三者が見るインターネットで
>>すらすら答えるバカがいますか」

>>と、eco氏みずからが説明責任を放棄された事により
>>彼の富士宮ボーイ掲示板での記事投稿は
>>「赤胴=清志郎」と同様の迷惑な「つぶやき」と同様となりました。


なんか曖昧な表現も見受けられますが なんとなく遠回しに
人を貶しめる印象操作をしていますね 良く読むと 他人の過去の振る舞いを
チェリーピッキングした上で引き合いに出し 
勝手にこじつけ当て嵌めているようですが
結局は燻製ニシンを炙っているラべリングをしているだけの
「揚げ足とり」の主張をしているだけにしか過ぎません

確かに 言葉としては間違っていませんが 
少なくとも 飾りもので判断した事は御座いません。 あくまでも人間性です。
誹謗中傷とあなたが受け止めている面についても同じです。
それと 説明責任放棄しているとか言いがかりをつけているけれど 
>>36845でもしっかり書いていますけれどね 
 
また 説明責任の放棄などと言うのでしたらNo.36829に関して
逆に 河内さんに聞きましょうか? 
教学もどの程度の人なのか?
信仰を何年やっているのか?
また 何処方面の幹部なのでしょうか?

正直に答えてください。
できれば菊川さんのような体験談でも披露して 
この信心は素晴らしいという事を披露してください
 
そして あべひ氏にも  あなた自身の情報を要求します 
本当に学会員なのでしょうか? あなたは 何処に所属して 
何処にお住まいなのでしょうか?

また創価学会の人間でしたら 体験談の1つや二つ 書いていただけませんか?

相手に 書きたくもない 個人情報を要求しておいて 
自分の個人情報を隠すなんてフェアーじゃないですよね
No.36829は 今までの論争と何の脈絡もなく
人の事を根ほり葉ほり聞こうとしたのは どなたでしたか?

それでも説明責任の放棄と言いがかりをつけてくるんだから
本当に酷い話です。 つか>>36845で理由や質問や回答を書いていたのに
それを読まずに 解らないの一点張りで
アク禁動議を勝手に発動しているんだから 如何に閉鎖的かがよくわかります。



>>“第三者が見るインターネット”の議論系公開掲示板に参加し好き放題の中傷を
>>しているにもかかわらず、書き込みを見て返信をしてくださった相手に
>>「答えるバカがいるか」と侮蔑するようなタイプです。
>>

へぇ~ 見も知らずの人に ヒトん家の住所を聞いてきたストーカー野郎に
謝罪しろ・・とでも言いたいのですかね→参考:>>36850
もう一度>>36822を読んでみたら如何ですか? ストーカーは誰だったのか?
 
それと どの部分が誹謗中傷だと判断しているのか?
その該当の部分が 何故 誹謗中傷だと判断したのか 
具体的な説明を放棄して その辺も説明していただけませんか?

つか 本当の事を書いてしまったから 
単に 感情的に誹謗中傷と判断しているようにも思えますが・・・
No.36871 河内殿、今、お助けにまいった 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-08 04:48:12 ID:cad22bee1
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>>36867
>>もともとの議論の主題は、
>>----------------------
>>御本尊七箇之相承に曰く『代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり』と。(富要1-32)
>>果たして、この御文をして『法主本仏論』とするか、しないか。貴殿は其れを述べなさい。
>>そこにこそ、日蓮正宗が『法主本仏論』を唱えておるのか、それとも創価学会が『法主本仏論』を唱えておるのか、が明白となるのであります。
>>----------------------

いや、何、「法主本仏論」という後が見えて、投稿者が河内さんだったので、軽く破折するものです。

その「法主本仏」の場合、法主は誰で、本仏は誰のことでありましょうか?

御仏と僧宝を一緒くたにしては「法主本仏論」ですか?

どれどれ、河内さん、どなたが法主(当然僧宝)で、どなたが本仏でいらっしゃるかな?

どう間違っても、仏宝と僧宝の違いが分かれば、否が応でも分かることなんだけど。
No.36870 明日は代休、一日寝られる、ネットもできる 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-08 04:37:24 ID:cad22bee1
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>>36862
>>>>だから、「以後と以前では御書中にどのように変化があったか」と問われれば、何も変化はない、ということになります。日蓮大聖人は、御書中で「佐前・佐後」という区分で、立て分けはしていますが、本尊建立後で御書中の変化などは一切ありません。これが佐助さんの質問に対する河内の回答です。
>>
>>これが結論でよろしいんですか?
>>本当に読みました?

要するに分からなかった、と素直に述べられているわけですね。
佐前佐後というのは法門の立て分けです。

私が言っているのは、「戒壇の大御本尊建立後、どのようナ変かが御書中に見られるか」と言うことですので、再度御書をお読みください。

分かるまでの宿題にしておきます。

師匠が教えてくれるんでしょ。

だったら確実じゃない。
No.36869 寄り道 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-08 04:18:12 ID:cad22bee1
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>>36864
>>河内氏が述べる正当性を鵜呑みにすれば
>>創価の三代会長ばかりでない 
>>日有上人も日寛上人も教観相称(経巻相承のことでしょうか?)による血脈になってしまう事にもなります
>>何せ 血脈に関して考察すれば こうもん流の宗史自体が 
>>日目以降 掘られるたびに 切れ痔・いぼ痔の状態で
>>そのたびにボラギノ―ルを塗っていました・・としか述べていないんですからね
>>ときたま嵌って決まって あああ~んになった上人もいたようですが
>>それらは教観相称だったわけです

ecoさん、何らの検証もなく物語を作るのはいただけません。
それほどのお力を有するのでしたら、最新の研究資料が揃っています。
まずは今入手できる資料から読むことをお勧めします。

>>それが非常に悲しい処です。 安永弁哲の主張となんら変わりがないんですからね
>>何の為に対告として大御本尊に「本門之弥四朗国重」と記したのでしょうか?
>>何の為に本門戒壇(この場合は一閻浮大総与三大秘法)には二千二百二十余年
>>在家向けには二千二百三十余年と記さなければならないのか?
>>それすら解説が出来ないと思われます。

二千二百二十余年か三十余年かについては、大石寺二十六世日寛上人が明確にされています。
創価とは違います。

 
>>もっとも熱原法難も龍の口法難も どういうわけか 幕府側の資料がなく 
>>推測の範囲から脱却が出来ず すべて日蓮側の資料しかないところが 
>>かつ 偽書濃厚だったり 伝聞だけだったりと杜撰で 非常に痛い処です。

私自身がまだ幕府側の資料を実見したわけではありませんので、軽々に頷くことはできません。

>>以下 ―華果成就御書より―
>>日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと
>>よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば
>>師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候
>>(堀日亨編纂 新編御書P.900)
>>
>>そういえば華果成就御書の「この一文」 2012年の3月度に
>>男子部向けの研鑽対象になっていたようですね
>>http://www.sokayouth.jp/study/goshokatsu/2012/03.html
>>
>>別に堅苦しい講義を聞かなくても 河内氏の主張を聞いただけで  
>>勝手に身読出来そうです。

いえいえ、その「子弟」が問題なんです。
池田を師とし、河内さんやマグマグさん、阿部日さんが手前勝手な道理を撒き散らしているわけですし、ここまで徹底せずとも、大多数の学会員は作られた物語を何の検証もなく信じていますから、ほとんど大本営発表と変わらないとみています。

>>>>まず、熱原法難が真実が否かが主要点でしょうか?
>>>>ならば、項を改めて資料を提示して証明すればよろしいでしょう。
>>>>新資料が出てきたならば宗史の中でも一大発見に作るのではないでしょうか?
>>時間いとまないので 資料は示せませんが「伝聞の件」については
>>資料を示さなくても 元法華講だったマグマグ氏が
>>No.33742 2011-11-16 00:28:23 【ご参考】伝承ばかりの山寺神話。。。o(*^▽^*)o~♪ にて 詳しい事を述べています。

この項に関しては創価学会員さんに任せましょう。
いったいどんな話が出てくるのか、私も楽しみです。

>>なるほど冷静に考えれば 大石寺自体が資料の管理が杜撰だったわけですね
>>そういった意味では同罪と言えば同罪でしょうか?
>>何せ 日興遺誡も実は真筆がなく 北山の資料を採用していたくらいですから
>>因みに 元々 熱原法難を引きだしてきたのは堀上人ですが
>>富士要集には但し書きとして岩本の話と似ている事は 気にはしていたようです。
>>また 当時の鎌倉幕府の最高裁判官に当たる方の判断で 
>>熱原の農民3名が 首を切られていたとしたら 良きにせよ悪しきにせよ 
>>何らかの形で資料が残っている筈なのですが 
>>残念ながら鎌倉文献にはその記録がありません 
>>法難に関する資料は日蓮側の主張(それも日蓮正宗だけの伝聞)しか存在しません。

テーマが多岐にわたっております。
考えてみれば、大石寺という山寺が、開創以来教義を曲げずに、領地の安堵を受けつつ、今日まで続いているのです。
誰が敵で誰が味方か分からない、おそらくその都度、悩まれたことと推測します。
それは歴史家、書誌学の世界の方に聞いた方がより説得力ある答えがあると思います。

>>>>>>・・で こんな陳腐な奴がOKで オイラが今回はアク禁動議ですか・・・

富士ボーに限って言えば、心証を乱すような言動には「アク禁」という手段を用いるのが通例のようです。正論を通しても、です。

>>助けても助けなくても ここ自体が 一人相撲の場所ですから 今はセーフでも
>>気に食わなければ 何かしら「言いがかり」を付けて 追い出すかと思われます
>>その辺はブラック企業と同じやり口ですね。 
>>そういえば「多重質問」だとか二律背反だとか 説明責任を放棄しているとか
>>彼是言われましたけれど 結局は どの部分が多重で 
>>二律背反の部分が何処だったのか 具体的な部分を指摘おらず 
>>先方もしっかり言いがかりばかりで 説明責任を放棄しています。
>>因みに あべひ氏の質問には 答えていますが 聞く耳を持っていませんよね
>>また 河内氏自身 あんな探りと言うか踏み絵を要求してくる以上
>>結局は上にペコペコ 下には見下す 人の顔を見て態度を変えるような人だ
>>・・・という事も良く解りました。
>>だから 答えたくないんです。 そんな人にしかも第三者が見るインターネットで
>>すらすら答えるバカがいますか?
>>しかも 河内氏のNo.36822に関する おいらへの質問 
>>実は 過去に菊川さんも切れちゃって 同じ事をやっちゃったんだよな
>>「あなたは何者なんですか?」・・・てね

彼らの判断基準は時として広がりますから、ecoさんのせいだけとは言えません。
No.36868 法華講員はなぜか・・・思考停止の論理 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-07 17:35:38 ID:c171fb90b
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※大月天氏の反論はまったくその内容に踏み込んだ反論はしていない、
 というか、出来ないのでしょう


思考停止の典型例ですね。
詭弁強弁のファンタジスタでないと、対創価学会の管理者はつとまりません。
しかも「どこぞの掲示板」には「御法主上人への信順」というタイトルを使って
邪義班が作成した文書を「斎藤克治」というHNをつかって丸ごと串投稿していた
日蓮正宗門徒がいます。

大月天管理人の珠玉のコトバは興味深いですね。

たしかに大月天管理人のコトバは、演出された文法でなりたっており
独自性がある一面もあります。
一見すると論破しているようにみえるでしょうが、河内さんも指摘のように
反論の主旨には踏み込みません。
それよりも特徴的なのはネガティブワードの多用といえるでしょう。

新しい詭弁のガイドラインには以下のように説明されています。

※そこで論理的な主張ができない人は充填された語を使い、論理構造を
 覆い隠すのです。そうすれば論理に欠陥があっても、正しいように
 見せかけることができるからです。

http://ronri2.web.fc2.com/kiben05.html

もちろん主張内において、冗長になることを防ぐために
「隠れた前提(暗黙の根拠)」を使うという解説を省略する方法をとることも
ありますが、自分が信じている根拠が普遍的なものであるとは限りません。

また宗教観をぶつけ合う場合は主張の中に隠れている前提条件のすりあわせ
をすることはコンセンサスを得る為には大事な作業といえると思います。

というのも「隠されている根拠」を黙認する事で論理の飛躍が起こるとされて
いるからです。

日蓮正宗門徒さんと議論する場合、自宗を肯定する「隠れた前提」が数多く
多用されています。
しかもその前提(根拠)は門徒を画一的に教育する事で、自宗内では共通認識
とすることができます。
したがって「内々で通用している=世間でも通用している」かのような錯誤を
引き起こさせる事も可能。
もしくは逆説的に、内々で通用している⇒でも世間で通用しない⇒世間は穢れて
いる=社会粛正という他罰的思考のベースにもなってしまいます。

困った事に「隠れた根拠」は中身がスッカラカンのトンデモ論法であっても
賛同している仲間が多いほど根拠の精査という思考作業を省略してしまいがちです。

だからこそ日蓮仏法を議論する場合において、「御書」という共通原理を用いての
すりあわせが論理の飛躍を防ぐ為に必要不可欠となります。

本来主張は「目的と根拠」がそろってはじめて論理的になるのですが
前述したように、根拠は正邪を別にして存在するだけで正しい主張である
かのように見えてしまいます。

(参照リンク:論理的主張の原則―結論を支える「根拠」を書く)
http://ronri2.web.fc2.com/shucho07.html

上記サイトの論理モデルの図にあるように、根拠と必要性の柱が
くずれてしまえば主張は崩壊する事を、大月天をはじめとする日顕宗の
メンバーは本能的に知っているのでしょう。

思考停止することで、体面を保てるかもしれませんが「急所」であることを
さらしてしまっています。

今回、河内平野さんは佐助さんや大月天さんと対峙してみて日顕宗門徒が
脆弱なハリボテ根拠の上に主張を構築している事を認識されたと思います。

しかし閲覧の皆様や法華講救済という聖行を行い経験を積んでいる同志の
方々は「折伏」は相手のハリボテ根拠を取り払って主張を倒して
アイデンティティを崩壊させる事に主眼をおいていない事を身をもって感じ
ているのではないでしょうか。



No.36867 大月天氏、やはり予想通りの反論。笑 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-07 14:52:16 ID:df23401ef
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法華講特有の論点ずらし。

大月天管理人の言い分。
****************************
何処(どこ)ぞの掲示板とは言わない。
しかし、其の掲示板には、とんでもない奴が居る。
見れば、その掲示板に書かれている、我が正統・富士門流への疑難、とりわけ、御本尊七箇相承に対する疑難について、なんとそこに記(しる)されている論述のすべてが、他者からのコピーなのである。しかも、その全文コピーを貼り付けて『私はこの様に推考した』などと自慢げに言い切っているのである。哀。
いやはや、このような人間が、よくもまぁ人様に対して『レベルが低い』などと言えたものである。よいか、レベルが低いのは、人様の論文を、そのままコピーして、それを自分の推考と自慢する、その心根こそを云うのである!
ったく、そんな丸ごとコピーの痴文を貼り付けて『私はこの様に推考した』などと…。哀哀恥。
読んでいて、こっちが赤面してしまうぞ。よいか。手を抜いておると、後々、しっぺ返しが飛んで来るぞ。
以後、其の様な痴文行為は慎みなさい。よろしいか。
***************************

というもの。

もともとの議論の主題は、
----------------------
御本尊七箇之相承に曰く『代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり』と。(富要1-32)
果たして、この御文をして『法主本仏論』とするか、しないか。貴殿は其れを述べなさい。
そこにこそ、日蓮正宗が『法主本仏論』を唱えておるのか、それとも創価学会が『法主本仏論』を唱えておるのか、が明白となるのであります。
----------------------

という邪義に対する破折の【「御本尊七箇之相承」についての検証】の内容になっているにも関わらず、大月天氏の反論はまったくその内容に踏み込んだ反論はしていない、というか、出来ないのでしょう。

そして過去に勝敗の付いた議論にも関わらず、相も変わらず【御本尊七箇之相承】を使って、学会員に対して、自慢げに説法する無節操さ。

これこそ、負けを認めない大月天氏の心根の表れである。

学会は現場というものがあるからね。
ネットの世界においては、言える事と言えない事がある。
あらゆる人が見ている公開の場だからだ。そしてこれがネットの限界とも言える。


「第二十六世日寛上人」についての考察」 著者 阿部日
「第二十六世日寛上人」についての考察」 著者 マグマグ

と書いて、法華講さんとの破折に使ったとして何か問題があるのか ?



「創価学会の歴史についての考察」 著者 京阪
「創価学会の歴史についての考察」 著者 市丸

と書いて、ネットで発表し、法華講さんとの対話で使って、何か問題があるのか ?

河内は、一向に構わないと思うね。
日顕宗破折の資料に役立つなら、これほどうれしい事はない。自分のモノとして扱っても何の問題もない。

問われているのは、誰が書いたか、が議論の論点ではなく、その内容の中身だよ。

破邪顕正に従事する学会員は、論文名声合戦をやっているんじゃないんだよ。

「日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく、水魚の思を成して異体同心にして」一致団結し、物事を行っている。

ネットでは、ここまでしか言えない。

大月天氏

そんな論点ずらしは、もういいから反論するなら内容に踏み込んだ反論をしたまえ。 情けない !
No.36866 アク禁動議 その後 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-07 12:10:25 ID:c171fb90b
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eco氏が絶対さげてくると思ったので拙ブログにも転載しておきました。

一年前と比較するとかなり来訪者が減っている創価カテですが
eco氏のHNに反応されるかたが結構多いらしく、人気記事の三位です。

さて相変わらず意味不明の反論がほとんどを占め要領を得ないecoさんですが
河内平野さんの質問に対してなんとなーく返答をしている箇所があったので
引用させていただきます。


※106の内容に基づいた曼荼羅を顕していたわけですから
 つまり106を偽書となると 御本尊の根幹から揺らいでしまうわけです

(No.36845)

河内平野さんが日蓮正宗の扱う御書には他山の相伝書も含まれていると指摘
された事を指してeco氏が河内さんを日蓮本仏論否定者のように断定していましたが
、これではまったく説明になっていません。

そして決定的なのは
「人の顔を見て態度を変えるような人だ・・・という事も良く解りました。
 だから 答えたくないんです。そんな人にしかも第三者が見るインターネットで
 すらすら答えるバカがいますか」

と、eco氏みずからが説明責任を放棄された事により彼の富士宮ボーイ掲示板
での記事投稿は「赤胴=清志郎」と同様の迷惑な「つぶやき」と同様と
なりました。

eco氏が「人の顔」をみてと表現されていますが、これはおそらく書き込みの内容
の事と推察されます。
自分が書き込んだ事に対して反応をしてほしいという欲求があるからこそ
“第三者が見るインターネット”の議論系公開掲示板に参加し好き放題の中傷を
しているにもかかわらず、書き込みを見て返信をしてくださった相手に
「答えるバカがいるか」と侮蔑するようなタイプです。

過去にアク禁処置にされた何人かの投稿者と同じですね。









No.36865 佐助さん、おはようございます。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-07 08:44:31 ID:df23401ef
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佐助さんの主張
-----------------------------

秋晴れさんの投稿をよくお読みください。
創価学会における定義づけを述べておられるので、かく返答したのです。
河内さんと同じスタンスではありません。


これが結論でよろしいんですか?
----------------------------

①に対して
そうですか、それは大変失礼しました。


②に対して
はい、よろしいですよ。 反論があれば、どうぞ。
No.36864 帰り道 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-07 06:06:57 ID:2a727a5f0
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>>36861
>>>>36856
>>>>>>36852

※三代会長に関しては合っていますが、前二代を池田レベルに堕としては申し訳ないと思います。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
河内氏が述べる正当性を鵜呑みにすれば
創価の三代会長ばかりでない 
日有上人も日寛上人も教観相称による血脈になってしまう事にもなります
何せ 血脈に関して考察すれば こうもん流の宗史自体が 
日目以降 掘られるたびに 切れ痔・いぼ痔の状態で
そのたびにボラギノ―ルを塗っていました・・としか述べていないんですからね
ときたま嵌って決まって あああ~んになった上人もいたようですが
それらは教観相称だったわけです



>>
>>創価学会自体が軽視していますからね。

それが非常に悲しい処です。 安永弁哲の主張となんら変わりがないんですからね
何の為に対告として大御本尊に「本門之弥四朗国重」と記したのでしょうか?
何の為に本門戒壇(この場合は一閻浮大総与三大秘法)には二千二百二十余年
在家向けには二千二百三十余年と記さなければならないのか?
それすら解説が出来ないと思われます。 もっとも
熱原法難も龍の口法難も どういうわけか 幕府側の資料がなく 
推測の範囲から脱却が出来ず すべて日蓮側の資料しかないところが 
かつ 偽書濃厚だったり 伝聞だけだったりと杜撰で 非常に痛い処です。

以下 ―華果成就御書より―
日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと
よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば
師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず委くは又又申すべく候
(堀日亨編纂 新編御書P.900)

そういえば華果成就御書の「この一文」 2012年の3月度に
男子部向けの研鑽対象になっていたようですね
http://www.sokayouth.jp/study/goshokatsu/2012/03.html

別に堅苦しい講義を聞かなくても 河内氏の主張を聞いただけで  
勝手に身読出来そうです。

>>まず、熱原法難が真実が否かが主要点でしょうか?
>>
>>ならば、項を改めて資料を提示して証明すればよろしいでしょう。
>>
>>新資料が出てきたならば宗史の中でも一大発見に作るのではないでしょうか?
>>

時間いとまないので 資料は示せませんが「伝聞の件」については
資料を示さなくても 元法華講だったマグマグ氏が
No.33742 2011-11-16 00:28:23 【ご参考】伝承ばかりの山寺神話。。。o(*^▽^*)o~♪ にて 詳しい事を述べています。
なるほど冷静に考えれば 大石寺自体が資料の管理が杜撰だったわけですね
そういった意味では同罪と言えば同罪でしょうか?
何せ 日興遺誡も実は真筆がなく 北山の資料を採用していたくらいですから

因みに 元々 熱原法難を引きだしてきたのは堀上人ですが
富士要集には但し書きとして岩本の話と似ている事は 気にはしていたようです。
また 当時の鎌倉幕府の最高裁判官に当たる方の判断で 
熱原の農民3名が 首を切られていたとしたら 良きにせよ悪しきにせよ 
何らかの形で資料が残っている筈なのですが 
残念ながら鎌倉文献にはその記録がありません 
法難に関する資料は日蓮側の主張(それも日蓮正宗だけの伝聞)しか存在しません。


>>>>・・で こんな陳腐な奴がOKで オイラが今回はアク禁動議ですか・・・
>>
>>それについては私は返答もお助けもできません。
>>>>
>>
>>

助けても助けなくても ここ自体が 一人相撲の場所ですから 今はセーフでも
気に食わなければ 何かしら「言いがかり」を付けて 追い出すかと思われます
その辺はブラック企業と同じやり口ですね。 

そういえば「多重質問」だとか二律背反だとか 説明責任を放棄しているとか
彼是言われましたけれど 結局は どの部分が多重で 
二律背反の部分が何処だったのか 具体的な部分を指摘おらず 
先方もしっかり言いがかりばかりで 説明責任を放棄しています。
因みに あべひ氏の質問には 答えていますが 聞く耳を持っていませんよね

また 河内氏自身 あんな探りと言うか踏み絵を要求してくる以上
結局は上にペコペコ 下には見下す 人の顔を見て態度を変えるような人だ
・・・という事も良く解りました。
だから 答えたくないんです。 そんな人にしかも第三者が見るインターネットで
すらすら答えるバカがいますか?

しかも 河内氏のNo.36822に関する おいらへの質問 
実は 過去に菊川さんも切れちゃって 同じ事をやっちゃったんだよな
「あなたは何者なんですか?」・・・てね

No.271 ecoさんからの答え
http://plaza.rakuten.co.jp/namassaddharma/diary/201004150000/
No.36863 マジですか~? 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-07 05:31:08 ID:cad22bee1
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前にも河内のスタンスで書きましたが、
--------------------------
>>①日蓮大聖人滅後に出来上がった、大石寺を総本山とする日蓮正宗という「一宗教団体」の「独自の教義」に関する是非などではない。
>>②創価学会が末法の御本仏と尊信する日蓮大聖人の本尊観、教義そのものについての重大事である。
>>③その内容は、創価学会員として信仰に励む私達一人一人にも関わってくるもの。
>>④対内・対外に耐えうる議論にあってはなおさらの事。
>>⑤なぜなら創価学会と日蓮正宗は別宗教団体である。
>>⑥およそ別宗教団体に対して、大石寺の一住職の決まり事を押し付けるのはナンセンスと考えるから。
>>-------------------------
>>というものです。
>>このスタンスで河内は、佐助さんとの対話に臨んでいるので、、佐助さんにも、ロム者の方にも、極力わかりやすく説明する責任があると感じています。
No.36862 ほう、精査して何も気付かなかったわけですね。 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-07 05:27:09 ID:cad22bee1
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>>だから、「以後と以前では御書中にどのように変化があったか」と問われれば、何も変化はない、ということになります。日蓮大聖人は、御書中で「佐前・佐後」という区分で、立て分けはしていますが、本尊建立後で御書中の変化などは一切ありません。これが佐助さんの質問に対する河内の回答です。

これが結論でよろしいんですか?

本当に読みました?

No.36861 寄り道 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-07 04:41:17 ID:cad22bee1
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>>36856
>>>>36852
>>よくよく聞いてみれば 河内氏の言い分を伺えば
>>結局は創価学会は仏立講と一緒のレベルじゃないでしょうか? 
>>池田先生が 或いは牧口氏なり戸田氏なりが
>>教観相称(この字だったかな手持ちに折伏経典がないので字に関しては勘弁してくれ)をして血脈を受けた・・と主張しているだけの 
>>あなた自身の己儀を構えているだけでしょ?

三代会長に関しては合っていますが、前二代を池田レベルに堕としては申し訳ないと思います。
 
>>しかも あなた自身 かなり御本尊を軽視していませんか?

創価学会自体が軽視していますからね。

>>では 一閻浮大総与大御本尊に関して別の質問をいたします。 
>>あなたは「熱原の法難」を真実だと思われますか?
>>あの法難も結局は伝聞しか残っていません。 でも信じているわけですよね
>>しかし あれが後世の創作だというのなら 
>>熱原法難等々は色付きの話にもなってしまうんでしょうか?

まず、熱原法難が真実が否かが主要点でしょうか?

ならば、項を改めて資料を提示して証明すればよろしいでしょう。

新資料が出てきたならば宗史の中でも一大発見に作るのではないでしょうか?

>>・・で こんな陳腐な奴がOKで オイラが今回はアク禁動議ですか・・・

それについては私は返答もお助けもできません。
>>

No.36860 文章が長すぎるので少しずつ 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-07 04:17:19 ID:cad22bee1
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>>まず佐助さんは、秋晴れさんの創価学会の本尊観の公式見解を言ったことに対して
>>==========================
>>弘安2年10月12日に御図顕された大御本尊は、学会では『一閻浮提総与の大御本尊』といいます。
>>創価学会のことは創価学会に聞いてください。
>>==========================
>>と述べました。
>>これは、佐助さんからすれば、創価学会で決めた事など、我ら法華講には無関係、勝手にどうぞ、というところでしょう。
>>同じく河内も、再三に亘って、日蓮正宗の決まり事など、我ら創価学会には無関係、勝手にどうぞ、と言っているわけです。

秋晴れさんの投稿をよくお読みください。

創価学会における定義づけを述べておられるので、かく返答したのです。

河内さんと同じスタンスではありません。
No.36859 それにしても富士山が世界遺産に登録されるなんて 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-07 01:57:35 ID:9d26774a6
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当に「事の戒壇」に該当する境地ですね 
そういえば 同じく候補に挙がっていた
「鎌倉」は世界遺産から外れてしまいました。 
大変面白い処ですが もっとも 今や その辺が
コミット性による悪魔の証明の類にしかならない処が 非常に残念な処です。

ああ そうそうNo.36858は私です。 名前の入力を忘れました。
No.36858 富士御室浅間神社文書によると 投稿者:名無しのボーイ 投稿日:2013-07-07 01:48:36 ID:9d26774a6
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>>36857
富士宮の辺りは神社も含めて南条家の領地だったそうです。
詳しい事は調べないと 今の時点では解らない部分があるのですが
その辺については 山椒島氏が詳しく解説しています。

随方毘尼問題隔離スレでの山椒島氏の日興遺誡における解説
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1344640988/25-26
その反論
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1344640988/32
山椒島さんの反論
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1344640988/34
No.36857 フェイク 第1396号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-07 01:01:10 ID:c171fb90b
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(発行=13.07.06)

三十三世の日元は本尊を下付
日蓮正宗と浅間宮の密接な関係を探る ㊦
富士地方部長は浅間大社への参拝の常連

日蓮正宗の法華講連合会理事で富士地方部長・清功(写真)が七月一日、
浅間大社での神事に参加して「富士山世界文化遺産のまち富士宮」の横断幕を
先頭に浅間大社を起点として同神社の前の商店街を通って一周する約二・二キロ
の薄闇の道を練り歩いたことは前号で紹介した通り。提灯行列そのものは問題
ないが、清功が浅間大社での神事に参加するのは今回が初めてではなく、参詣の
常連なのである。

昨年の九月七日、富士山本宮浅間大社の拝殿で中村徳彦宮司を祭司として富士山
の夏山シーズンの終わりを告げる閉山祭が行なわれた。これには大社役員、氏子衆
や崇敬者など関係者約六十人が参列。その中にも清功の姿があった(写真左)。

お祓いの後、神職が約二ヶ月間にわたる開山の終了を報告する祝詞をあげ、
参列者を代表して清功らが玉串を奉納したことが地元紙で報じられた。清功に
とっては、浅間大社への参拝も大石寺への登山と同じ感覚なのであろう。

 日蓮正宗大石寺と浅間大社との親密な関係は古く、大石寺第三十三世日元は
宝暦十四年(一七六四年)、浅間大社に御本尊を書写して下付していた。

その御本尊の脇書きには「本地久遠実成釋尊垂迹富士浅間宮」と記され、書き
判は「富士大石寺三十三嗣法 日元」となっている。

この日元の謗法行為は「静岡県史民俗調査報告書」に明記されているのである。

日興上人は「檀那の社参物詣(ものもうで)を禁ず可し、何に況んや其の器にして
一見と称して謗法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき
次第なり、是れ全く己義に非ず経文御抄等に任す」と遺言された。今の宗門は
日興上人の御遺命無視も甚だしい。

地域の祭り参加を非難し、かつて学会の代表が宗教紙の記念行事に出席したこと
に難癖をつけた「慧妙」が、清功の度重なる謗法同座には沈黙するばかりだ。

(参照画像)
http://userimg.teacup.com/userimg/6027.teacup.com/situation/img/bbs/0006783.jpg
No.36856 アク禁動議を発動しても構わないけれど・2 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-07 00:39:38 ID:5d5d28c60
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>>36852
よくよく聞いてみれば 河内氏の言い分を伺えば
結局は創価学会は仏立講と一緒のレベルじゃないでしょうか? 
池田先生が 或いは牧口氏なり戸田氏なりが
教観相称(この字だったかな手持ちに折伏経典がないので字に関しては勘弁してくれ)をして血脈を受けた・・と主張しているだけの 
あなた自身の己儀を構えているだけでしょ?
 
しかも あなた自身 かなり御本尊を軽視していませんか?

では 一閻浮大総与大御本尊に関して別の質問をいたします。 
あなたは「熱原の法難」を真実だと思われますか?
あの法難も結局は伝聞しか残っていません。 でも信じているわけですよね

しかし あれが後世の創作だというのなら 
熱原法難等々は色付きの話にもなってしまうんでしょうか?

・・で こんな陳腐な奴がOKで オイラが今回はアク禁動議ですか・・・

No.36855 富士宮ボーイへ質問です。 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 22:18:29 ID:7cac50ffb
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現在 先方さんから 私に対し
過去Junk氏がblogで「絶縁状」と変わらない内容の感情的な
アク禁動議が示されていますが
では その権利と言うものは 私にも反論権として
記事削除アク禁処置動議の発動する事が出来るのでしょうか?

公正性のない一方的な処置 或いは数を利用した一方的な処置になれば
結局は中立性のない偏向的な自己満足の掲示板にしかなりませんか?

これだけは書いておきます。 
No.36854 アク禁動議を発動しても構わないけれど 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 22:06:56 ID:7cac50ffb
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>>36852

>>日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」が、後世に創作されたパッチワーク大御本尊だった、>>ということが判明した今

ちょっと待てください 金原氏の話を引用して
「本門戒壇の(一閻浮大総与の)大御本尊が後世に創作されたパッチワーク??」
・・・と結論を出しているけれど
創価学会でも金原氏の発言を公式見解にしているんでしょうか?

しかも「令宝久住」に関しての説明が1つも出来ていませんよね~
なんか都合よく解釈して「こじつけている」だけしか
No.36852 佐助さん、お待たせして申し訳ありませんでした。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-06 16:14:44 ID:df23401ef
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では、始めます。

もう一度確認しますが、佐助さんの河内に対する質問は

【「御本仏日蓮大聖人の出世の本懐・三大秘法総在の大御本尊」建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください】という質問です。

佐助さん、まちがいありませんね。

前にも河内のスタンスで書きましたが、
--------------------------
①日蓮大聖人滅後に出来上がった、大石寺を総本山とする日蓮正宗という「一宗教団体」の「独自の教義」に関する是非などではない。

②創価学会が末法の御本仏と尊信する日蓮大聖人の本尊観、教義そのものについての重大事である。

③その内容は、創価学会員として信仰に励む私達一人一人にも関わってくるもの。

④対内・対外に耐えうる議論にあってはなおさらの事。

⑤なぜなら創価学会と日蓮正宗は別宗教団体である。

⑥およそ別宗教団体に対して、大石寺の一住職の決まり事を押し付けるのはナンセンスと考えるから。
-------------------------
というものです。

このスタンスで河内は、佐助さんとの対話に臨んでいるので、、佐助さんにも、ロム者の方にも、極力わかりやすく説明する責任があると感じています。

佐助さんの質問に対する河内の答えは、以下です。

そもそも「御本仏日蓮大聖人の出世の本懐・三大秘法総在の大御本尊・建立」などは、日蓮大聖人の時代には存在しない後世の創作本尊であり、また所謂・日蓮正宗が言うところの「本門戒壇の板本尊」が「御本仏日蓮大聖人の出世の本懐」ではありません。

だから、「以後と以前では御書中にどのように変化があったか」と問われれば、何も変化はない、ということになります。日蓮大聖人は、御書中で「佐前・佐後」という区分で、立て分けはしていますが、本尊建立後で御書中の変化などは一切ありません。これが佐助さんの質問に対する河内の回答です。

では、なぜ河内がそう主張するのか、という理由を説明します。

まず佐助さんは、秋晴れさんの創価学会の本尊観の公式見解を言ったことに対して
==========================
>弘安2年10月12日に御図顕された大御本尊は、学会では『一閻浮提総与の大御本尊』といいます。

創価学会のことは創価学会に聞いてください。
==========================

と述べました。
これは、佐助さんからすれば、創価学会で決めた事など、我ら法華講には無関係、勝手にどうぞ、というところでしょう。

同じく河内も、再三に亘って、日蓮正宗の決まり事など、我ら創価学会には無関係、勝手にどうぞ、と言っているわけです。

ではここで、創価学会と日蓮正宗の教義の骨子を確認します。

まず、創価学会の会則。
===========================
第1章 総則
(教 義)
第2条 この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを大願とする。
===========================

とあります。

次に日蓮正宗です。
===========================
日蓮正宗の「創価学会折伏教本」より
二、日蓮大聖人の仏法
日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈相承は、第二祖日興上人をはじめとする代々御法主上人猊下に受け継がれ、現在は第六十七世日顕上人に継承されています。 日蓮大聖人の仏法は、この本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を根本とします。

三、日蓮正宗とは
日蓮大聖人の仏法の根本である本門戒壇の大御本尊と、唯授一人の血脈は、富士大石寺に伝えられています この大石寺を総本山と仰ぎ、日蓮大聖人の仏法を実践して、広宣流布をめざしいている唯一の宗団が、「日蓮正宗」です。 日蓮正宗の僧俗は、本門戒壇の大御本尊を信仰の根本とし、唯授一人の血脈に随順して、自行化他の信心に励んでいます。この日蓮正宗の信仰によってこそ初めて成仏が叶うのです。
===========================

というものです。
これを見てもわかるように、創価学会と日蓮正宗は、教義において異なっており解釈もまったくちがいます。

だから河内が佐助さんと対話をする中で、どちらが「正義」かと論争する時は、どうしても「血脈義・三大秘法義」に対話の主題が集約されるわけです。それにこの主題の方が白黒ハッキリします。

例えば、
議論の中身が「御書は誰のおかげで読めたと思ってんだぁ・・・」という議論にすり替わったら、これほど、くだらない議論はないのです。

それは鎌倉時代、日蓮大聖人に向かって邪宗の坊主や信者が、
「日蓮ッ、お前は誰のおかげで法華経や天台三大部を知り、読めたと思ってんだぁ、その恩を忘れて今まで世話になった寺寺を邪宗呼ばわりするとは何たる増上慢か」と言ってるようなものです。

そんなことを言われたら、日蓮大聖人ならばきっとこう言うでしょう。
「だからどうしたの ? それが宗教の正・邪と何の関係があるの ? 日蓮は師匠であったはずの道善房に破門され、もっか師匠ならびにお世話になった邪宗の人たちを折伏中ですけど、なにか・・・ ?」と。

こんな議論が一体、宗教の「正・邪」と何の関係があるのでしょう。
河内は、そんなくだらない議論に付き合うほど、暇ではありません。

宗門が学会を破門してくれたおかげで、いままで伺い知れなかった日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」を精査することができるようになりました。これは法華講である佐助さんには絶対出来ないことです。

近年、平成十九年八月十日発行の「日蓮と本尊伝承(大石寺戒壇板本尊の真実) 著者 金原明彦  水声社 ※通称 金原本」が出たことによって、日蓮正宗僧俗の信仰の根本である「本門戒壇の大御本尊」が、後世に創作された日禅授与本尊と諸々の法主の書体を混ぜ合わせて作ったパッチワーク本尊だった、ということが判明しました。

金原明彦氏は、この著作の「まえがき」でこう記されています。

=======(抜粋)
本書が明らかにしようとしているのは、日蓮正宗大石寺に伝わる「戒壇の大御本尊」の造立の真相である。日蓮大聖人によって直接図顕・造立されたとする伝承の真偽を見直そうとするものだ。その内容は本論に詳しく述べるとして、はじめに誤解を避けるために断っておけば、本書は決して本尊批判のための偽作論ではない。あくまでもその伝承を検証するものである。

(中抜)大石寺所蔵の「本門戒壇の大御本尊」について、それが日蓮大聖人の直造であるか否かを問うことは、御本尊としての真偽を問うことではない。日興上人の書写御本尊を例に取るまでもなく、日蓮大聖人の意にかなった御本尊であるか否かということと、大聖人の真蹟か否かということとは、まったくべつの問題である。

しかし、だからこそ、誤った伝承は是正され、正しく認識されることが、より正しい信仰のありかたを知る基盤であり、なにより、祖師である日蓮大聖人に対する誠実な姿勢であると思うのである。
===============

と述べています。
日蓮正宗の「本門戒壇の大御本尊」が、後世に創作されたパッチワーク大御本尊だった、ということが判明した今、「日蓮大聖人の仏法は、この本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を根本とします 」という大石寺教義は、単なる日蓮正宗内・僧俗だけに通用する教義であり、他宗にはまったく通用しません。

つまり、単なる一寺院の決まり事・約束事です。

その一寺院の約束事を創価学会員に向かって、声高に訴えてみても、ああ~、そうですか、勝手にどうぞ、がんばってください !  となるわけです。

192カ国地域に広がる巨大宗教団体である創価学会が、そんな山寺の弱小教団の土俵に乗って議論する必要もありません。

佐助さんは、まだ「創価学会が日蓮正宗内の教団」と勘違いしています。

だから当たり前の如く
「日蓮大聖人の仏法は、この本門戒壇の大御本尊と唯授一人の血脈相承を根本とします 」という大石寺教義を振りかざし、河内に【本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください】と、大上段に言ってくるわけです。

法華講である佐助さんには、大変失礼な言い方ではありますが、日顕宗の害毒に侵されているのです。

そして日蓮正宗の坊主や、佐助さんが「彼・われ」の区別がついていない証拠なのです。これが物事の道理であり、仏法の道理です。
No.36851 どうぞ 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-06 15:34:21 ID:cad22bee1
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>>36844
>>では、河内の主張を述べたいと思います。
>>ただ、今日はちょっとバタバタしてて、時間がかかりそうなので、少し時間をください。

お仕事の邪魔にならないかぎりで。
お待ちしています。
No.36850 残念ですecoさん 記事削除アク禁処置動議 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-06 12:24:55 ID:c171fb90b
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======== 動議申し立て ===========


ecoさんの投稿趣旨や姿勢をみるかぎり、議論に応じるつもりはなく
根拠も示せないまま誹謗中傷を繰り返すのみになりました。

また反省するどころか、さらに連続投稿で掲示板の趣旨に反する行為を
繰り返しています。

もとよりecoさんは創価学会および池田大作名誉会長に対しての
アンチ活動を2ちゃんねる等をつかってネット上で展開されており、
掲示板の退出を願う意見も同志の側からでていましたが、
アンチ日蓮正宗の姿勢も見られましたので、要注意ながらも容認して
まいりました。

ところが、法華講さんとの有意義な討論に水をさすばかりでなく、書き込まれる
内容は軽薄短絡で、インネンをつける素行不良者となんら変わりません。

また、個人を中傷するために二律背反を用い詰め寄るばかりで
説明責任を放棄しています。

掲示板のルールを示して自省を促しても反発をするのみで
強硬な態度に終始していますので、残念ですが規定を適用し投稿文の削除と
書き込み停止処置を提案いたします。

動議を提案した以上、この件(河内平野さんに対しての中傷)関しての
ecoさん本人の弁明または趣旨説明の機会は認められますが、それ以外の無関係
の投稿を続けるようでしたら、ただの『愉快犯的掲示板アラシ』として
管理人殿から警告なしでの投稿削除処置が発動されます。

またecoさんの記事削除・書き込み停止処置に賛同いただける場合
その旨を書き込まれる方が二人現れた時点で動議は成立いたします。

なお閲覧の皆様におきまして、記事の削除だけで猶予をあたえるべきではないか
今一度反省を促してはどうか等々提案がございましたら書き込みをして
いただきたく存じます。



2013/7/6 あべひ拝





No.36849 あべひの詭弁ガイド 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 10:40:31 ID:b4b8bc15e
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>>36831
>>ecoさんへ
>>

>>・悪質な誹謗中傷、荒らし的行為、広告等の趣旨から外れた投稿を禁止します。
>> 他掲示板からの引用は、著作権にかかわることを留意してください
>>
>>で終了。

36803で書いていた事を忘れたの? だから「あなた」の性格を分析する意味で
千早さんの文章を引用して 言い聞かせたら上のような事を平気で言うんだものね~
ずばり そのものでしょ? No36831で勝手なラべリングをしていた事を
ごまかさないでくださいね
No.36848 これが無意味な質問・・と言うんじゃないの? 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 09:48:20 ID:98a5ea4c5
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No.36822 eco_69SMさん 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-04 17:47:05 ID:df23401ef

>>
>>eco_69SMさん
>>河内の書いた【「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の検証①②】を、あと100回ぐらい読んで、よく理解してください。
>>
>>そして論考の文を上げ、どの文言が本仏否定になるのか、教えてください。。
>>
>>
>>eco_69SMさんは、日蓮系宗派の信者さんですか ?
>>
>>それとも創価学会員ですか ?
>>
>>それとも禅宗の信者さんですか ?
>>
>>それとも外道の信者さんですか ?
>>
>>それとも無神論者の信者さんですか ?
>>
>>それとも難癖宗・文句派の信者さんですか ?
>>
>>eco_69SMさんご自身の、立ち位置を教えてください。
>>

これの何処に 河内さんのオイラの106に関する内容が含まれているの?
無意味な質問をしているのは河内さんですよ。
No.36847 幹部が こんな態度じゃ・・・ 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 09:41:37 ID:98a5ea4c5
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>>36831
>>ecoさんへ
>>
>>貴殿がもし未活動の学会員ならば、富士宮ボーイ掲示板の利用上ルール…


ますます未活が増えるんじゃないの? 幹部達が勝手に人前でオナニーして
逝っちゃっているだけの文章を羅列しているだけなんだもん
それで興奮するかといえば 気持ち悪いだけで
わかりにくい説明だわ 矛盾している説明をするわ 矛盾した部分を指摘すれば
質問返しや多重質問をするわ それを今度指摘すれば お前がやっているんだろうと
平然とすり替えて  それが創価の言う折伏なんだと・・・

その辺が見透かされているのも解っていないようですね
ところで あべひさんは2ちゃんで議論することが出来ないんでしょうか?
2ちゃんでのあべひさんの御書講義を見たい奴は Hell yaですね

もっとも過去に あなたが別の名前で出ていた可能性は否めませんけれど・・・

2ちゃんと言えば・・・ 創価板ではなく闇板でしたが
多分 ここを追い出された人でしょうかね~ おかしな内容のコピペもありましたが
妙にリアルな書き込みをしていた人がいますね あなたの事も書かれています。 

http://shimasoku.com/kakolog/read/4649/1274253759/
No.36846 ちょっと割り込んでいいですか 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 09:17:56 ID:98a5ea4c5
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>>36841
>>①創価学会では、弘安2年10月12日の大御本尊の建立の『意』は、
>>
>>『全世界の人々に授与する』為に建立されたと言っています。
>>つまり、末法万年の全民衆を救う広宣流布の為に大御本尊を日蓮大聖人様が顕して下さったと。
>>
>>そのようなことで、弘安2年10月12日に御図顕された大御本尊は、学会では『一閻浮提総与
>>の大御本尊』といいます。
>>
>>日蓮正宗さんの呼称される、本門戒壇の大御本尊建立とはどのような御本尊なのか。
>>また、その意を是非、浅学の私にでも分かるようにご回答お願いします。
>>

その細かい意図などが線だらけの 何処の馬の骨が書いたとも解らない 
106にも書かれていたんじゃないでしょうか?

No.36845 では今後 創価では106をどのように扱いますか?  投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-06 09:09:45 ID:98a5ea4c5
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>>36829

>>
>>◎106は偽書だからと相撃ちして道場破り

まず106の内容とは どういった内容だったでしょうか?
観心本尊抄でも秘していた 曼荼羅の意義 御本尊の意義等々が
概要ではありますが ある程度まで示されている訳です。
それは御本尊七度にしても三度にしても 同じです。
それを基にした御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えている訳です そうですよね
だけど ここまでは大石寺の教義分です。

ところが 偽書となれば 内容そのものにも問題が生じますよね
疑りも生じますよね 何故なら 
創価の信仰は殆ど大石寺の教義に基づいていた訳ですし 
106の内容に基づいた曼荼羅を顕していたわけですから
つまり106を偽書となると 御本尊の根幹から揺らいでしまうわけです。

結局は法華曼荼羅そのものの内容までも否定する事にも繋がるのではないでしょうか?
引いては戸田氏の言い分すら否定しかねない 
…で持って都合よく日蓮直結?? 魂の独立だって??


>>◎分類で物事を判断するようでは 答える気がありません

ええ あくまでも中立ですから・・・

>>
>>
>>   ↑
>>無意味な投稿をくりかえして飛ばさないでください。
>>また、回答をしたつもりで論点を増やして誤魔化さないで下さい。

感情論向きだしに 論点を増やしているのは河内さんの方ですよ
そういえば2ちゃんでも同じ質問をしていた名無しさんがいましたっけ
なるほど河内さんでしたか あっちのスレッドでは「たじたじ」でしたよね

そして あべひ氏も頓知まがいの質問返しをしています。 

 

>>説明責任をはたそうとせず中身の内感想文掲載は富士宮ボーイ掲示板になじみません。
>>
>>論理的に説明出来ない場合、発言の削除動議を出します。

なんか鯖板みたいみたいに ルールで正当化していますが
それなら それだったら逆にあべひさんの立場を全部明かせますか?
あなたこそ何者なんですか? 間違っても新麹町の人とか書けませんよね
それと同じですよ こっちに立場を要求して 
あなた自身は明かさない いや明かせない 
河内さんの質問と言うのは その類じゃないでしょうか?

説明責任と言うのなら 池田大作本人です・・と書いておきましょうか?
んなわけねぇーだろ!!
No.36844 まとめてレス、すいません。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-06 08:45:34 ID:df23401ef
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阿部日さんへ

お気遣い、ありがとうございます。


秋晴れさんへ

ナイスフォロー、ありがとうございます。


佐助さんへ

毎日のお仕事、お疲れ様です。

でもね、佐助さん、ちょっとひどいよ。笑
秋晴れさんには、すんなり解説して、河内には教えてくれないww  ひどいィー。

佐助さん、やっと言ってくれましたね。

つまり、佐助さんが言うように

秋晴れさんの質問
【本門戒壇の大御本尊建立とはどのような御本尊ですか】に対して

佐助さんは
【御本仏日蓮大聖人の出世の本懐・三大秘法総在の大御本尊です】と答えました。

河内の質問と一緒じゃんww 笑

まぁ~、でも佐助さんから言わせれば、河内の質問の仕方が悪かったんだと思います。

では、整理します。

佐助さんの河内に対する質問
【本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください】

というものです。 佐助さん、これでいいですね。

では、河内の主張を述べたいと思います。
ただ、今日はちょっとバタバタしてて、時間がかかりそうなので、少し時間をください。
No.36843 フェイク 第1395号 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-06 00:20:09 ID:c171fb90b
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(発行=13.07.05)

富士地方部長が浅間大社で万歳
日蓮正宗と浅間宮の密接な関係を探る ㊤
法華講の最高幹部が率先して謗法同座

 富士山の「世界文化遺産」登録は実に喜ばしいことであり、これを祝賀する
様々な行事が各地で行なわれている。「富士山お山開き」の七月一日には、
富士山本宮浅間大社と富士根本宮村山浅間神社で登山の無事・安全を祈願する
神事が行なわれ、日蓮正宗の法華講連合会理事で富士地方部長・清功(写真)も
参加していた。

 浅間大社の第二鳥居前では大金剛杖パレード、浅間大社本殿では湧水献上、
浅間大社祈祷殿では開山式などが行なわれ、浅間大社楼門前で行なわれた開会式
では、浅間大社氏子青年会の深澤亮一会長の発声で法華講の富士地方部長・清功
らが万歳を三唱し、提灯行列を開始した。

 提灯行列は「富士山世界文化遺産のまち富士宮」の横断幕を先頭に富士宮市長、
同市議会議長、法華講連合会理事で富士地方部長の清功らに続いて市民ら約千人
が「祝富士山世界文化遺産登録」と書かれた提灯を手に、浅間大社を起点にして
同神社の前の商店街を通って一周する約二・二キロの薄闇の道を練り歩いた。

浅間大社氏子青年会・深澤亮一会長の発声で万歳三唱する法華講・富士地方部長
の清功 (左から二番目 。 岳陽新聞より)

(参照画像)
http://userimg.teacup.com/userimg/6239.teacup.com/574744/img/bbs/0000062.jpg
No.36842 河内さんへの期待はいやが上にも高まっている 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-06 00:17:35 ID:cad22bee1
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>>36841
>>ご回答のお願いは2つです。
>>①>>本門戒壇の大御本尊建立とはどのような御本尊ですか

御本仏日蓮大聖人の出世の本懐・三大秘法総在の大御本尊です。
といって、簡単に理解されますか?
本門の本尊に人法があり、本門の題目に信と行があり、本門の戒壇に事と義があります。
秋晴れ殿がどういう立場であるかは存じませんので、この程度にしておきましょう。
ここに戒定慧の三学を持ってきても話が長くなるし、このような掲示板には似つかわしくありません。いや、掲示板が卑しいのではなく、秋晴れ殿が学びたいならば、『日蓮正宗要義』を読まれたら、いや読み直してみたらいかがでしょう。私が書いて短くなるものではないし。
ぜひ、再読をお勧めします。

>>②>>本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか

それは河内さんに質問中ですので、お答えはできません。
それより、河内さんにお尋ねになった方が、万分の一にでも正解を出されている、かもですよ。
私も期待にワクワクさせています。

>>=====================================
>>
>>①創価学会では、弘安2年10月12日の大御本尊の建立の『意』は、
>>
>>『全世界の人々に授与する』為に建立されたと言っています。
>>つまり、末法万年の全民衆を救う広宣流布の為に大御本尊を日蓮大聖人様が顕して下さったと。
>>
>>そのようなことで、弘安2年10月12日に御図顕された大御本尊は、学会では『一閻浮提総与
>>の大御本尊』といいます。

創価学会のことは創価学会に聞いてください。

>>日蓮正宗さんの呼称される、本門戒壇の大御本尊建立とはどのような御本尊なのか。
>>また、その意を是非、浅学の私にでも分かるようにご回答お願いします。

その「浅学」とは「自身」でしょうか、それとも「求道心でしょうか」
求道心ならば、初級者向けの『日蓮正宗要義』の熟読をお勧めします。
いずれにせよ、浅学を前に出すより、書籍における学びの方がいいのではないですか?
雰囲気からして指導教師御住職もいらっしゃらないのでしょ。
ネット上ではこの程度しか話せません。

>>②本門戒壇の大御本尊建立以後と以前という立て分けは、初めて聞きました。どのような変化が御書中に見られるのか、是非とも御教示下さいませ。
>>(佐助さんの言われる御書中というのは内容のことですよね?)

上記の通り、河内さんが精査中です。邪魔になってはいけないので静かにしましょう。
河内さんは必ず答えを探し出してくると、私は期待しています。ワクワクして。

>>大御本尊建立後、日蓮大聖人様は門下の育成と激励、つまり化導に力を入れられたと聞きます。
>>仏法のお講義、御書を通しての激励もそうですが、御本尊授与に関しても弘安三年以降、
>>多くの門下(僧、在家問わず)に授与されています。それは、御真筆の御本尊からの確認
>>ですが、富士宗学要集、第八巻、「漫茶羅脇書」からもそれが伺え知れるようですね。
>>このような、大御本尊建立後の日蓮大聖人の背景や多忙の生活の中で、御書の内容がどの
>>ように変わったのか興味があります。

う~ん、よく読むと②の質問とダブルので、これも河内さんにお任せしましょう。

No.36841 佐助さん、私からもご回答のお願いを書かせてもらってかいいですか? 投稿者:秋晴れ 投稿日:2013-07-05 15:06:24 ID:0daca4c36
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ご回答のお願いは2つです。
①>>本門戒壇の大御本尊建立とはどのような御本尊ですか

②>>本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか

=====================================

①創価学会では、弘安2年10月12日の大御本尊の建立の『意』は、

『全世界の人々に授与する』為に建立されたと言っています。
つまり、末法万年の全民衆を救う広宣流布の為に大御本尊を日蓮大聖人様が顕して下さったと。

そのようなことで、弘安2年10月12日に御図顕された大御本尊は、学会では『一閻浮提総与
の大御本尊』といいます。

日蓮正宗さんの呼称される、本門戒壇の大御本尊建立とはどのような御本尊なのか。
また、その意を是非、浅学の私にでも分かるようにご回答お願いします。

②本門戒壇の大御本尊建立以後と以前という立て分けは、初めて聞きました。どのような変化が御書中に見られるのか、是非とも御教示下さいませ。
(佐助さんの言われる御書中というのは内容のことですよね?)


大御本尊建立後、日蓮大聖人様は門下の育成と激励、つまり化導に力を入れられたと聞きます。
仏法のお講義、御書を通しての激励もそうですが、御本尊授与に関しても弘安三年以降、
多くの門下(僧、在家問わず)に授与されています。それは、御真筆の御本尊からの確認
ですが、富士宗学要集、第八巻、「漫茶羅脇書」からもそれが伺え知れるようですね。
このような、大御本尊建立後の日蓮大聖人の背景や多忙の生活の中で、御書の内容がどの
ように変わったのか興味があります。

No.36840 河内さんもお忙しいはずです 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-05 14:12:18 ID:c171fb90b
新規 返信
※実は最近、富士ボの常連さんがあんまり投稿しないから、
 気を使ってたんですよ。

おそらくは、秋晴れさんのように動向を見守っておられる人が
大半だと思います。
良い感じの対戦に水を差すのは野暮ってものですからね。
経験から言わせてもらうと、法華講員さんとの討論がはじまると
リアルタイムの閲覧者数がほぼ倍になってます。
2ちゃんねる掲示板のように見るだけでなく自分がその場に参加
できるという自由度が高い媒体は荒れやすいです。
だからこそ昨日は2ちゃん仕込みのecoさんに警告を発しました。
真面目に映画を見ている横で、食べ散らかしながら適当な解説をして
「オイお前聴いてるか?」なんて迷惑人は劇場から退場願うまでです。

佐助さんだけでなく、もし私が妙な事を主張していたり意味が分からない
といった場合は遠慮無く書き込んで下さい。

また佐助さんの投稿時間を見ていると、ちょっと心配になります。
河内さんも佐助さんもくれぐれも無理をなさらないようにお願いします。


No.36839 阿部日さん 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-05 11:53:38 ID:df23401ef
新規 返信
>佐助さんのようなタイプの人と議論する場合は
>あえて「論説される行為」そのものを単純に責めるのは得策ではないように思います。

ふんふん、なるほど、なるほど・・・。

>もともと広く議論をする目的の掲示板ですから、日顕宗の人が己の信じるところを
>書き連ねるのは自然だといえます。学会員さん側も条件は同じですし。

そりゃそうだね。

>討論をするばあい大事なのはあいての論説・言動が、経文・御書に対してどれだけ
>論理的整合性があるかにつきるように思います。

なるほど・・・納得。


>テキスト上の送信・返信のやりとりなので、返信されるかぎり相手を論破したよう
>には感じられないでしょうが、気長に応対するつもりで続けてみましょう。
>もちろん、私ができる限りの場内整理はさせていただきます。

いやぁ~、うれしいよ、阿部日さん。
実は最近、富士ボの常連さんがあんまり投稿しないから、気を使ってたんですよ。

しかし、河内よ、気長に応対せよ、と言うなら喜んでやりますよォー。
だって久しぶりの法華講さんとの対話だもん。(喜)

たぶん河内がネットで、法華講さんと対話するのは初めてじゃないかな ?
ネット参入の最初から、ネット法華にはぜんぜん興味ありませんでしたから・・。

しかし理由は言えませんが、ちょっと訳あって、法華講さんと対話しようと思いました。

>佐助さんは「全力でかかりなさいよ」とハッパかけているのですから
>まさか河内平野さんへの返信に手を抜いてこられないと思います。

河内もそう期待したい。


>ただ、河内さんの10の質問はちょっと分量が多すぎではないかと(笑)

あっはははー。 そうかぁ~、そうなのかぁ~。 まぁ~河内はなんだっていいよ。
佐助さんの決めたテーマでやってもいいし。


>とりあえず
> 「御書は、宗門のものだよ」という佐助さんの主張に対して
>※「御書」は特定の日蓮系門派の専有物として扱われたものなのか?
>で続けてみてはいかがでしょう。

まぁ~、佐助さんの反応を見ましょう。
河内としては、日蓮正宗がなぜ「正しい」と言えるのか、それを佐助さんに論じてもらいたいね♪
No.36838 河内平野さんへ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-05 11:02:11 ID:c171fb90b
新規 返信
佐助さんのようなタイプの人と議論する場合は
あえて「論説される行為」そのものを単純に責めるのは得策ではないように思います。

もともと広く議論をする目的の掲示板ですから、日顕宗の人が己の信じるところを
書き連ねるのは自然だといえます。学会員さん側も条件は同じですし。

討論をするばあい大事なのはあいての論説・言動が、経文・御書に対してどれだけ
論理的整合性があるかにつきるように思います。

テキスト上の送信・返信のやりとりなので、返信されるかぎり相手を論破したよう
には感じられないでしょうが、気長に応対するつもりで続けてみましょう。

もちろん、私ができる限りの場内整理はさせていただきます。

佐助さんは「全力でかかりなさいよ」とハッパかけているのですから
まさか河内平野さんへの返信に手を抜いてこられないと思います。

ただ、河内さんの10の質問はちょっと分量が多すぎではないかと(笑)

とりあえず
 「御書は、宗門のものだよ」という佐助さんの主張に対して
※「御書」は特定の日蓮系門派の専有物として扱われたものなのか?

で続けてみてはいかがでしょう。



No.36837 佐助さん、おはようございます。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-05 10:33:02 ID:df23401ef
新規 返信
では、佐助さんの意見を整理します。
**************************************

佐助さんの質問
「本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください」

河内の返答
「その別宗教に対して、「本門戒壇の大御本尊建立」などと、大石寺住職が勝手に決めた大石寺教学を、学会員に押し付けて議論するのは「筋」がちがいますよ、と言っているのです」

【それに対しての佐助さんの答え】
「御書の読み方が分かるんでしょ。御相伝がなくても。池田さん、教えなかった?まぁ、ここは一つ、分からなかったら「分かりませんでした」といえばそれで済ませましょう。


河内の「枝葉の議論」の例文に対しての佐助さんの答え①②③
==========================

いや、それは大切な議論ではないですか。徹底的に討論、破折すべきだと存じますが。しかし、西山の貫首自体が法華講員からも逃げ回っているザマですからね。裁判に勝ったから、って。信仰と世法をゴッチャにしている哀れな姿が印象的でした。それはすでに結論が出ているんではないでしょうか?偽書、と。

まずは法義論争でしょう。北山本門寺が受けることが出来れば、ですが。
何年か前、大石寺の若手僧侶の研修会で北山本門寺の一隅に集まったとき、いくつか、北山本門寺の役者に質問が殺到して、その役者が答えられなかったとのこと。同じ富士門流なのにどうして教義が異なるのか、と鋭く迫ったらしい。それも教師にもならない学衆であればなおさらであったろう。それ以降、大石寺の研修が許されたかどうかは知らぬ。真贋論争はご自由に。少なくとも三堂棟札については結論が出ていることは聞いています。

それも教義的決着の上ですよ。言うまでもない。大いに議論していいんじゃないですか?その前に上行院系と住本寺の成り立ちについて、復習して臨まれた方がいいかも。
===========================


河内の返答
「これはあくまでも例文で、議論の主題ではありません。このように河内は主張している訳です。
【本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください】と河内に質問するなら、まず「本門戒壇の大御本尊建立」とは何ですか ?  これは日蓮大聖人の教義と何の関係があるのですか ?  ある、というならその根拠をお示しください、というしかないのです。

これに対して佐助さんの返答
あらあら、後退しましたな。御書を精査なさったのではなかったですか?
そしたら、と言うか、師匠に教えてもらったら簡単に分かるでしょうに。
何か大問題が発生したかのような慌てぶりですね。どうしたんでしょう。 心配しております。


やるなら最初っから全力でかかりなさいよ。つまらないところで立ち止まらないで。
しかし、日蓮正宗が「正」と決まったら、迷わず日蓮正宗に帰伏する。それでどうでしょうか?


「牧口常三郎の教義」「戸田城聖の教義」「池田大作の教義」「北條浩の教義」「秋谷栄之助の教義」それぞれ、挙げて御覧ぜよう。その上で、各師を擁護してあそばせ。ただし、屁理屈・詭弁は受け付けません。
**************************************

これでいいですね。

①に対して
佐助さん、だから「本門戒壇の大御本尊建立」とは何を指すのか、佐助さんの見解を教えてください、と言っているんです。
わかる、とか、わからない、とかのそういう次元の話をしているのではないのです。

②に対して
枝葉の議論の例文に対しては、佐助さん随分熱心に語りますね。笑

③に対して
印象操作はお止めください。法華講さんが理に詰まるとよく使う手ですね。
さぁ~、佐助さん、スパッと答えてください。

「本門戒壇の大御本尊建立」とは何ですか ? 

④に対して
何ですかそれ ? 笑
佐助さんと河内の今までの対話で、どうして『日蓮正宗が「正」と決まったら、迷わず日蓮正宗に帰伏する。それでどうでしょうか?』となるのでしょうか ?
佐助さん、支離滅裂ですよ。大丈夫ですか ?

それとも、もう限界ですか ?

⑤に対して
佐助さん、ちょっとひどいですよ。「ただし、屁理屈・詭弁は受け付けません」って何ですか ?

そんなに意固地にならないでくださいよ。笑

河内は、佐助さんと一緒に、海でも眺めながら「対話」をして楽しんでいる気分なんですよ。
そんなにカタクナにならなくてもいいじゃないですか。

だから河内は何度も言っていますね、佐助さん。
日蓮大聖人の教義に照らして「創価学会」のどこがまちがっているのかを言ってください、と。

御書にはこうあります。

------------
【 文応元年 唱法華題目抄  (9)  (録内) 真蹟不伝】
仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき人 なりとも御信用あるべからず候か
------------

大聖人は「依法不依人」だと言ってます。 
さぁ~、佐助さん、スパッと学会のどこがまちがっているのか御書を通して言ってください。

次、
------------
【 文永12年 教行証御書 (1278)  (録外) 未決】
我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ人師の言語は無用なり
------------

人師の言語は無用です。
さぁ~、佐助さん、スパッと学会のどこがまちがっているのか御書を通して言ってください。

次、
------------
【 破良観等御書  P1293   (録外) 未決】
仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん
------------

大聖人も「経文を詮とせよ」と言っているではないですか。
さぁ~、佐助さん、スパッと学会のどこがまちがっているのか御書を通して言ってください。

次、
------------
【 星名五郎太郎殿御返事  (1207)  (録外) 偽?】
仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり、今当世の道俗・貴賤皆人をあがめて法を用いず心を師として経によらず~ 此の事本より私の語を以て是を難ずべからず経文を先として是をただすべきなり
------------

大聖人は「経文を先とせよ」と言ってますね。
さぁ~、佐助さん、スパッと学会のどこがまちがっているのか御書を通して言ってください。

次、
------------
【 建長7年  蓮盛抄 (152)  (録外) 未真】
仏教には経論にはなれたるをば外道と云う、涅槃経に云く「若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり」云云
------------

佐助さん、大聖人は経論から離れ、仏の所説に従わなければ「外道」であり、「魔の眷属」だと言っています。今の日蓮正宗の事ですね。

次、
------------
【 文永10年正月 祈祷抄( 1355) (録内) 真曽】
若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構え申す間・邪教とは申すなり 
------------

日蓮正統を、教理で証明できず、文証も提示できず、僻事のみ構える日蓮正宗は「邪教」だと大聖人は言っていますよ、佐助さん。

次、
------------
【 文永8年  行敏訴状御会通 (181) (録内) 真曽】
仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云
------------

日蓮大聖人の教義によらず、大石寺歴代住職に「正法有り」と主張して憚らない日蓮正宗は「天魔」だと教示しています。だから創価学会は、現日蓮正宗を「天魔日顕宗」と呼んでいるのです。

さぁ~、佐助さん、スパッと学会のどこがまちがっているのか御書を通して言ってください。
そして河内の【No.36814】質問①~⑩を答えてください。
No.36836 やれやれ・・ マトモに議論もできないのかな? 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-05 10:23:59 ID:c171fb90b
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佐助さんは必死に論点をずらそうと枝葉を広げようとしていますが
争点をぼかしている本人が
「つまらないところで立ち止まらないで。」と威勢を張るのは無意味。


牧口常三郎の教義・戸田城聖の教義・池田大作の教義・北條浩の教義・
秋谷栄之助の教義・・


法華講お得意の歴代の過去「指・導」を出したがっている御様子です。
仮に個人崇拝の牧口教や戸田教があればこういった表現は間違いではない
ですが創価学会の場合歴代の会長は全員指導者です。
しかも法主絶対の時代にあっては「在家の門弟」にあたるのではないのでしょうか。
しかも大講頭として日蓮正宗の指導に則った部分もある為、日顕が創価学会
を破門して以後はなんの効力もありません。

どうせ出すなら、日蓮正宗門徒らしく法主の日如や日顕の教義を出すなら
まだ解りますが、かつての会長指導にすがらなければならないほど
現在の法華講総講頭は講義すらできない状態なのでしょう。

威勢を張りたいときは歴史だの衣だの宗教権威を使いながら
いざ、創価学会員が相手になると通用しないので元「在家の門弟」の
言を借りようとする。

すでに終わった宗教になってる感じがしますね。

河内平野さんも佐助さんの文を引用されました。

※No.36619 御託が多い
(略)
どれもこれも必然性がなく、恣意的な結論ありきの文章だからだ。


この表現をみるにおそらく佐助さんの主張には必然性があり
論理的な文章だとおもいこまれているのでしょう。
お互いが、自分が正しいという「結論ありき」で対決しているから
討論になるし折伏にもつながるという事も解らないのでしょうね。
御書に
※所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり、強敵を臥伏するに始て
 大力を知見する是なり  (法華取要抄)

とありますが、ちょっと内容に関して突っ込まれたら慌てふためいて
いる様をみれば、佐助さんは日顕宗が速成している「マニュアル人間」で
あることが推察できるというものです。

しかしかわいそうなもので、いざ対決をすれば「日蓮正宗の正当性」を
御書を通じて証明できません。
「南無妙法蓮華経」の違いを説明されてる頃は、久しぶりに文証を提示
して反論ができる強者かと期待したのですが・・・


No.36835 河内殿 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-05 03:40:07 ID:cad22bee1
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やるなら最初っから全力でかかりなさいよ。

つまらないところで立ち止まらないで。

しかし、日蓮正宗が「正」と決まったら、迷わず日蓮正宗に帰伏する。

それでどうでしょうか?

牧口常三郎の教義

戸田城聖の教義

池田大作の教義

北條浩の教義

秋谷栄之助の教義

それぞれ、挙げて御覧ぜよう。

その上で、各師を擁護してあそばせ。

ただし、屁理屈・詭弁は受け付けません。
No.36834 大した内容でもないのに大袈裟に 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-05 03:29:19 ID:cad22bee1
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>>36813
>>佐助さん、論点ずらしはお止めください。

河内さん、論点ずらしはお止めください。

>>>本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください。

>>その別宗教に対して、「本門戒壇の大御本尊建立」などと、大石寺住職が勝手に決めた大石寺教学を、学会員に押し付けて議論するのは「筋」がちがいますよ、と言っているのです。
佐助さん、ご理解いただけますか。

御書の読み方が分かるんでしょ。御相伝がなくても。
池田さん、教えなかった?
まぁ、ここは一つ、分からなかったら「分かりませんでした」といえばそれで済ませましょう。

>>日蓮正宗の坊主や法華講さん達というのは、「本家、嫡流、正統」意識が強く、それが確信となり、宗教的情熱となり、行動上の最大のバックボーンとしています。
>>そのため、現場等で対応しても、最初から高みから下を見下ろすが如き、傲然たる態度として出てくるのです。 佐助さん、貴方のことですよ、まだ気付きませんか。

いや、そんなことはないですよ。
歴代会長の言葉をよくよく吟味してください。
佐助が言う以上に日蓮正宗を「本家、嫡流、正統」と位置づけてますから、自分の大将に唾をかけちゃマズイでしょう(笑)

>>例えばね、佐助さん
>>
>>①---------------------
>>西山本門寺の入道の方が来て「木絵二像開眼之事」を引用し、「西山本門寺貫主の開眼がなければ大石寺の本尊はニセ本尊」と言ってきたらどうします?

いや、それは大切な議論ではないですか。
徹底的に討論、破折すべきだと存じますが。
しかし、西山の貫首自体が法華講員からも逃げ回っているザマですからね。裁判に勝ったから、って。信仰と世法をゴッチャにしている哀れな姿が印象的でした。

>>それは枝葉の議論ですよね。
>>では、百歩譲って木絵二像開眼之事で曼荼羅本尊の開眼が述べられているとして、『日代八通の譲り状』が真筆となるのですか?日興→日代を証するとして、お宅の門流では崇め奉っている『日代八通の譲り状』の検証が先ですし重要なことでしょう。、となりますね。

それはすでに結論が出ているんではないでしょうか?偽書、と。

>>②
>>北山本門寺のお坊さんが来て「木絵二像開眼之事」を引用し、「北山本門寺貫主の開眼がなければ大石寺の本尊はニセ本尊」と言ってきたらどうします? 

まずは法義論争でしょう。北山本門寺が受けることが出来れば、ですが。
何年か前、大石寺の若手僧侶の研修会で北山本門寺の一隅に集まったとき、いくつか、北山本門寺の役者に質問が殺到して、その役者が答えられなかったとのこと。同じ富士門流なのにどうして教義が異なるのか、と鋭く迫ったらしい。それも教師にもならない学衆であればなおさらであったろう。
それ以降、大石寺の研修が許されたかどうかは知らぬ。

>>同じく枝葉の議論ですね。
>>木絵二像開眼之事で曼荼羅本尊の開眼が述べられているとして、では「法華本門寺根源」の棟札が本物となるのですか?日妙譲り状が本物となるのですか? と、河内としてはそちらの検証・真偽の方が先と思いますがね、となります。

真贋論争はご自由に。少なくとも三堂棟札については結論が出ていることは聞いています。

>>③
>>京都要法寺の信者が来て「木絵二像開眼之事」を引用し、「京都要法寺貫主の開眼がなければ大石寺の本尊はニセ本尊」と言ってきたらどうします?

それも教義的決着の上ですよ。言うまでもない。

>>全く枝葉の議論ですね。
>>それより日尊が檀家の寄進を受け釈迦十大弟子を立てたこと。中世における造仏読誦の方を先に議論したいものです。

大いに議論していいんじゃないですか?
その前に上行院系と住本寺の成り立ちについて、復習して臨まれた方がいいかも。

>>------------------------
>>これはあくまでも例文で、議論の主題ではありません。
>>このように河内は主張している訳です。
>>
>>だから佐助さんが、
>>
>>>本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください。
>>
>>と、上記質問を河内にするなら、「本門戒壇の大御本尊建立」とは何ですか ?  これは日蓮大聖人の教義と何の関係があるのですか ?  ある、というならその根拠をお示しください、というしかないのです。

あらあら、後退しましたな。御書を精査なさったのではなかったですか?
そしたら、と言うか、師匠に教えてもらったら簡単に分かるでしょうに。
何か大問題が発生したかのような慌てぶりですね。どうしたんでしょう。心配しております。
No.36833 (^Д^) 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-05 02:58:08 ID:cad22bee1
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>>36817
>>※より正しい御書全集を作ったのが日蓮正宗でしょ
>>
>> 
>>これは余談ですが・・・・
>>佐助さんが所持しているであろう「大石寺版 日蓮大聖人御書」(平成六年七月十六日発行、監修 日蓮正宗総本山第六十七世 阿部日顕)に、こう記されています。
>>
>>****************
>>◎真偽未決書
>>
>>本書では次の十七書を真偽未決書として不収録とした。
>>
>>四 「師子頬王抄」 ・・・(抜粋)・・・・・・・・・・・・・一一 「十王讃歎抄」
>>佐助さんも外に向かって、自宗の正義を振りかざすのではなく、自宗の総点検をなさってはいかがですか ?

それこそ『平成校定日蓮大聖人御書』の発刊の辞を読めば明瞭ではないですか?

あ、持ってないんだっけ。
No.36832 護符って 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-05 02:47:26 ID:cad22bee1
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>>36823
>>従って お金と同じで「からくり」が解ってしまうと
>>本人にとってみれば何の効果も出てこない ただの紙切れになってしまうわけです。
>>これは御本尊1つとっても同じ事が言えそうですね。

たしかに何なのでしょう?

以前は、『慧妙』にも書いてあったとおり、御霊宝虫払い会の砌、戒壇の大御本尊様をお拭きした和紙を切ったもの、という説明を聞いたことがありますが、戒壇の大御本尊様と縁のなくなった創価学会が同じように作れるものでしょうか?

「紙を食べる宗教」として一躍有名になった創価学会ですが、その紙はいったい何なのですか?
No.36831 これからの予定 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-04 21:33:05 ID:c171fb90b
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ecoさんへ

貴殿がもし未活動の学会員ならば、富士宮ボーイ掲示板の利用上ルール

・結果的に同志誹謗に通じるような質問・議論は警告の上、禁止および削除

で終了。

貴殿が創価学会員ではない場合、富士宮ボーイ掲示板の利用上ルール

・悪質な誹謗中傷、荒らし的行為、広告等の趣旨から外れた投稿を禁止します。
他掲示板からの引用は、著作権にかかわることを留意してください

で終了。


私の評価に関してはどうでも良いです。

ですが、法華講と議論されている河内平野さんに
「日蓮本仏論否定」と結論つけた理由を問いただしているわけです。

百六箇抄が大石寺の相伝書ではない事を指摘すると、なぜ日蓮本仏論否定なのか
他の閲覧者が納得できる返答をする努力ぐらいはみせてください。



No.36830 訂正 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-04 21:19:08 ID:c171fb90b
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中身の内感想文掲載 ⇒ 誤

中身のない感想文掲載 ⇒ 正
No.36829 再掲 三度目 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-04 21:17:38 ID:c171fb90b
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※河内の投稿した「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の論考が、
 なぜ「日蓮本仏論否定」になるのでしょうか。

 よろしければ、解説お願いします。 (河内平野さん⇒ecoさん)

◎106は偽書だからと相撃ちして道場破り
◎分類で物事を判断するようでは 答える気がありません


   ↑
無意味な投稿をくりかえして飛ばさないでください。
また、回答をしたつもりで論点を増やして誤魔化さないで下さい。
説明責任をはたそうとせず中身の内感想文掲載は富士宮ボーイ掲示板になじみません。

論理的に説明出来ない場合、発言の削除動議を出します。
No.36828 その言葉 そっくり あべひさんにお返しします 千早より 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 21:16:39 ID:f3950610a
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>>36803

>>彼の批判の根源は
>>※「この人 「さも私の事がわかっているようなフリ」をして 
>>(代弁者)の如く 彼是と書いているけれど ちっとも解っていない人なんですね」
>>
>>ですが、論説に対して上記のような批判ができるのは最低限「自分は解っている」
>>(または答えられる)という前提条件が必要になってきます。
>>「オレは解るけどお前は解らないだろうな」でなければ、たんなる誹謗ですし
>>「オレにはよく解らないけれどあいつが言っているのはウソだ」では中傷です。
>>

なるほど(千早さんの代弁者)の如く 思いっきりやってしまったのが あべひさん
あなただったんじゃないでしょうか?  

何故なら この文章が私のしらない所で 何の調査もなく作られていて、
しかも私が読んで「はいー??」と意味が通じない プッと笑っちゃうようなものだから。
いろいろな無責任な記事があちこちで作られているんでしょうけど
「なるほどぉ、こんな風につくるんだぁ。」と納得しました。

その記事には私の悪口は書いてないんですよ。
ただ視覚障害者のことを知らない人が、不思議な提案をしたり
とんちんかんな事が書いてあるんです(笑)
家政婦は見た、いやいや、私がこの目で見た
いやいや、PCトーカーという音声ソフトをインストールしているパソコンで
私がこの耳で聞いたんです (^^)
http://harutonaru.at.webry.info/201305/article_4.htmlより引用
No.36827 ああ! そうだ!あの法論を 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 18:36:33 ID:8c914b560
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テレビの番組やラジオのCMにしたら いいんじゃないでしょうか?
あなたと一緒に 創価学会♪と付け加えて 
・・・で 不快か爽快かを 視聴者からのクレームを統計でとってみれば良いでしょう
あそこも第三者がみているんですよ
No.36826 あと あべひさんは被害妄想に陥ったの? 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 18:32:48 ID:8c914b560
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河内さんをおとしめる とか 平然と書いているけれど
だけど オイラは率直な感想を述べているだけで おとしめているつもりはございません。
むしろ 沖浦さんよりは上でしょうけれど 
河内さんと言うのは 所詮 樋田さんレベルなんじゃないでしょうかね
しかも あんなバカなCMをYOU TUBEに曝して 誰が創価学会が素晴らしいなんて思うか?

No.36825 ところで「あべひ」さん他 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 18:17:53 ID:8c914b560
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2年前 エジプトでムバラク大統領が退陣したら 
エジプトは 残念ながら こんな結果に陥ってしまいましたね

焦点:カオス寸前のエジプト、米国の「傍観外交」に一因も
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE96208920130703
エジプト 事実上の大統領解任と発表
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130704/t10015789411000.html

結果的には ムバラク大統領が国民から弾圧されていた形にもなっています。
その辺を2年前注視して見ていたのですが あっさり創価は切り捨てた
ここでも 富士宮の二枚舌全開が見事に発揮された訳です。

果たして今の結果を見て ムバラク大統領が正しかったのか 国民が正しかったのか
小野さんの言い分が正しかったのか あなたたちの言葉が正しかったのか・・・

No.36824 ここにも創価の害毒・・と言うものが 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 18:08:39 ID:8c914b560
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>>36822
>>>あの論考自体が 106箇抄の内容や疑点には触れず 
>>>出来た経緯だけを説明しているだけに終始しているだけなので
>>>その時点で本仏を否定する事になってしまう事になるでしょ?
>>
>>eco_69SMさん
>>河内の書いた【「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の検証①②】を、あと100回ぐらい読んで、よく理解してください。
>>
>>そして論考の文を上げ、どの文言が本仏否定になるのか、教えてください。。
>>

何回も言っているじゃん106を否定しているんでしょ? 
あの文献は宛てにならないんでしょ?
じゃ 日蓮の扱いは? 御本仏の正体は?
・・で誰が血脈を受け継いだ・・と日蓮大聖人本人が判断するの? 
「死人に口なし」・・と言う言葉をすっかり忘れているよな

>>
>>eco_69SMさんは、日蓮系宗派の信者さんですか ?
>>
>>それとも創価学会員ですか ?
>>
>>それとも禅宗の信者さんですか ?
>>
>>それとも外道の信者さんですか ?
>>
>>それとも無神論者の信者さんですか ?
>>
>>それとも難癖宗・文句派の信者さんですか ?
>>
>>eco_69SMさんご自身の、立ち位置を教えてください。
>>


分類で物事を判断するようでは 答える気がありません。
そういう意識がやがて選民思想になって差別が始まるんじゃないでしょうか?
まさに境界性人格障害の典型的な顕れです・

因みに抜苦与楽で満足する姿は 結果的には 偏狭的なジェノサイドや
ヘイトスピーチになったりナチズムに繋がったりもします
何故なら あくまでも枠の中同士の 傷の舐め合いによる抜苦与楽ですものね~ 
No.36823 御秘符なるものも 創価作成の「護符」も・・・ 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 17:55:05 ID:8c914b560
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>>36821
所詮 この類

placebo
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E8%96%AC
Homœopathy
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC

否定はしませんが 濫用すると こんな結果に・・・

http://www.you-clinic.com/kyouhaku-check.htm
◆ ホメオパシーの安全性と危険性 ◆
http://www.jpsh.org/homeopathy_about06.html

従って お金と同じで「からくり」が解ってしまうと
本人にとってみれば何の効果も出てこない ただの紙切れになってしまうわけです。
これは御本尊1つとっても同じ事が言えそうですね。



No.36822 eco_69SMさん 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-04 17:47:05 ID:df23401ef
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>あの論考自体が 106箇抄の内容や疑点には触れず 
>出来た経緯だけを説明しているだけに終始しているだけなので
>その時点で本仏を否定する事になってしまう事になるでしょ?

eco_69SMさん
河内の書いた【「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の検証①②】を、あと100回ぐらい読んで、よく理解してください。

そして論考の文を上げ、どの文言が本仏否定になるのか、教えてください。。


eco_69SMさんは、日蓮系宗派の信者さんですか ?

それとも創価学会員ですか ?

それとも禅宗の信者さんですか ?

それとも外道の信者さんですか ?

それとも無神論者の信者さんですか ?

それとも難癖宗・文句派の信者さんですか ?

eco_69SMさんご自身の、立ち位置を教えてください。
No.36821 宿坊よ、お前が挙げた御秘符なるものは創価作成の「護符」なる偽物の説明だ!自爆野郎よ! 投稿者:宿坊 投稿日:2013-07-04 17:43:17 ID:bd050f873
新規 返信

宿坊よ、お前が挙げた御秘符なるものは創価作成の「護符」なる偽物の説明だ!自爆野郎よ!
投稿者:黒川和雄 投稿日:2013年 7月 4日(木)16時34分57秒 返信・引用 編集済


創価員、三重県の狂人・宿坊なる土井 庸禎が投稿したものは、他でもない、創価のニセ御秘符の説明である。これは下に説明の通りであるが、破門された現在、大石寺の紙も手に入らず、池田の糞尿を拭いた便所紙を専ら会員に配っているという噂である。
クセ~~!キッタナ~~!
当に胡散臭い教団だ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

阿呆曰く、

日蓮滅後数百年後に創作された彫刻本尊を、年1回煤払いをしてこの時に拭き取りに使った紙を小さく切ったもの。

拭き掃除に使った紙くずで一儲け、人の信仰心につけ込んだ、とんでもない悪徳商売をしているのが日蓮正宗なのです。

オウム真理教でのイニシエーションと称して、麻原が入った風呂の水を飲む行為と同じで、

日顕のマコモ風呂の水をありがたがって、飲んだのと同じ事になりましょう。

このような非科学的なまやかし信仰を、受け入れている法華講ってよほど無知なのでしょう。



◆◆◆◆◆◆◆慧妙最新号(7月1日発行)より転載◆◆◆◆◆◆

ショック!護符もデッチ上げだった!?

大石寺の御秘符を真似て池田が贋造

「創価学会は紙を飲む宗教」!?

創価学会員の多くが、〝護符〟の存在を知っていると思います。約四ミリ四方の紙片で、昔の病院で出ていた粉薬のように包装されていて、病気の時に飲めば効(き)く、とされてきたアレです。

 多くの方々が、座談会で〝護符〟の話を聞いたり、会館において会員達に配るのを見たり、あるいは自分自身も飲んだことがある――等の経験をしているのではないでしょうか。

 かつて池田大作会長(当時)も、大幹部に対する指導の中で

 「肺病を直すのは護符をいただき、夫婦生活をやめて、十一時以内に寝る、これをやれば直る」(昭和四十四年二月十九日・第二十一回社長会)

と述べていたように、学会では、病気になった時には〝護符〟を戴(いただ)く、ということが広く浸透していました。

 では、この〝護符〟とは何なのか、ということですが、学会内で口コミで伝えられていたところ(昭和四十年代以降)によると、「総本山大石寺の御虫払大法会で、御法主猊下が本門戒壇の大御本尊を和紙で塵(ちり)払いされる。その大御本尊に直(じか)に触れた和紙を、会長・池田先生が猊下から頂戴(ちょうだい)してきて、御本尊の前で祈念して小さく切ったもので、病気の時に飲めば効き目がある」とされていました。

 これを信じて、数多(あまた)の会員が〝護符〟を飲み、それを見た世間の人達からは「創価学会は紙を飲む宗教だ」といって気味悪がられたものです(笑)。

 しかし、この〝護符〟なるモノ、ちょっと考えてみれば、おかしな点ばかりでした。

 まず、御虫払の際に使われた和紙を頂戴してきて切った、というのですが、実際に大御本尊の塵払いを御開扉で目(ま)の当たりにした人はお分かりのように、そこで用いられる和紙は数枚です。これをいかに小さく切ったとしても、全国千ヶ所以上の学会の会館で度々(たびたび)配布するには、あまりにも原紙が少なすぎて間に合いません。

 これに対応するためだったのか、途中から〝護符〟には白色の紙の他に桃色の紙も使われるようになり、今度は「総本山の御大会式で飾られた桜の造花を頂戴し……」という説明が付け加わりました。しかし、そうだとすると、最初の「大御本尊に触れた和紙」という意義とは全く違ってしまい、疑いが深まるばかりです。

 いったい、〝護符〟なるモノの正体は何なのでしょうか。

 じつは、これは、日蓮大聖人以来、代々の御法主上人にのみ伝わってきた日蓮正宗秘伝の〝御秘符〟を、その名称だけ盗み取り、さもそれらしく池田大作が作り上げた、全くデタラメな代物だったのです。

 と言われれば、驚き、「そんなバカな」と思う学会員も多いかもしれません。

「御秘符」と「護符」は全く別物

そこで、本来の〝御秘符〟について、学会の昔の指導を見てみましょう。

 「護秘符(※御秘符)は大聖人様の時代からあったもので、歴代の御相承の中に入っているものと承(うけたまわ)っています。御書にも大聖人様は四条金吾殿の女房の懐胎(かいたい)について護秘符を賜(たまわ)り『それについては符の事仰せ候、日蓮相承の中より撰(えら)み出だして候・能(よ)く能く信心あるべく候、たと(例)へば秘薬なりとも毒を入りぬれば薬の用すくなし』と、又『とくとく(疾疾)こそ・うまれ候はむずれ、此の薬をのませ給はば疑いなかるべきなり』と仰せられています。

 すなわち護秘符は私達信者が大病したり、又出産等の場合に頂ける日蓮正宗の秘中のものです。」(『聖教』昭和三十一年八月五日号)

 「皆さんに一つの不思議を申しておく。それは本山に護秘符というものがある。大聖人がお母様が病気ときいて伊豆から帰られた時、すでに亡くなったお母様にさし上げて、それから息をふき返し、四年間命を保ったもの。これは大聖人様以外御法主猊下でなければつくることは出来ない秘法になっておる。」(戸田会長指導『聖教』昭和三十一年十一月四日号)

 「この護秘符は猊下が忙しいから我々が代理に作って上げようと言うわけにはいかぬ。もったいなくも大聖人様以来の秘伝で法主猊下以外には作れぬ。」(戸田会長指導『聖教』昭和三十年七月二十四日号)

 「ちょっと病気をしたからと何でも彼でも護秘符護秘符というのでなく、これは生命にかかわる時いただくもの。」(『聖教』昭和三十一年九月二十三日号)

 「護秘符の頂き方は(中略)水を半分位入れた湯飲み茶わんに入れ、御本尊様にお供えし、方便品、寿量品を上げ御題目を数多く唱えて勤行し、(中略)護秘符の表面の紅様のものをこすって水にとき、落としてその水を頂くのである。使った護秘符の台紙は焼却する。」(『聖教』昭和二十九年七月十一日号)

 「護秘符は御本尊と同じ扱いにするようにとは、会長池田先生のお言葉である。(中略)護秘符はただの薬ではないこと、大御本尊に猊下が平癒(へいゆ)を御祈念あそばすこと、願主の強い信心が大切であること。」(『前進』昭和三十八年九月号)

 これらを見れば明白なように、戸田会長時代、そして池田会長の代になってからも途中までは、会長が作った〝護符〟ではなく、総本山大石寺から下附された〝御秘符〟を戴いていたのです。

 しかも、その御秘符とは、

①御書にも出てくるとおり、日蓮大聖人以来の相伝によって作られる秘法である

②御秘符は、大聖人から相伝を受けられた代々の御法主上人以外、何びとも作ることができない

③御秘符は、信徒の懐妊、もしくは命に関わる重病などの際に戴くことができ、下附に伴(ともな)い、御法主上人が願主への加護を御祈念くださる

④御秘符の形状は、紙片などではなく、台紙に塗られた食紅であり、これを清水に溶いて服用する

⑤御秘符は御本尊に準ずるもので、強い信心をもって服することが大切である

等というもので、いわゆる〝護符〟とは全く異なることが誰にでもわかるでしょう。

池田が嫉妬から「護符」を贋造

これが、いつの頃から、どうして〝護符〟などという代ろ物にスリカエられたのか、といえば、前に引用してきた資料の日付から見ると、昭和三十八年以降、昭和四十四年までの間にスリカエられたことが明らかで、それは、学会の巨大化に伴って増長した池田会長(当時)が、〝唯授一人の御法主上人だけに伝わる秘法〟ということに嫉妬(しっと)して、自ら作って下附するようになった、としか言いようがありません。

 それも当初は、大御本尊に触れた和紙から始まったのでしょうが、ついには、大御本尊とも日蓮正宗とも何の関係もなく、天魔と化した池田大作が恣(ほしいまま)に乱造して会員に下附するようになった、といえましょう。その証拠に、日蓮正宗から破門され、大御本尊に近寄ることすらできなくなった以降においても、池田から

 「関西の皆様の健康のため、集まった全員に」(平成十七年一月)

 「風邪を引かないように」(平成十九年十月)

等のメッセージと共に、広く〝護符〟がバラ撒(ま)かれているのです。

 これで何の疑いも抱かないとしたら、あまりに迂闊(うかつ)であり、騙(だま)す方も悪いでしょうが、騙される方も愚(おろ)かすぎます。

 ともあれ、ニセ本尊を造った池田は、当然のごとくニセの御秘符=護符も作っていた、という次第で、食の安全性や健康問題が叫ばれる今日、こんな得体の知れない代ろ物(しかも池田の邪念の込められた魔符)を飲まされている会員こそ哀(あわ)れであります。


画像:日蓮正宗の御秘符
この中には5mmx3㎝ぐらいのフィルムが入っている。このフィルムに塗りこまれた紅色のものが御秘符であり、勤行・唱題して清水に溶かして頂くのであります。






No.36820 へぇ~ 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 17:14:15 ID:1d884e3fd
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>>36803

>>
>>法華講員の中にも「偽書」=内容がデタラメ と早合点している人が多くいますが
>>、日蓮正宗内でも真書・偽書の扱いについては規定を設けています。
>>
>>http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/12636
>>
>>古い資料なので、皆さんにも解りやすくざっくりとですが現代語に直してみますね。
>>
>> ////////////////////////////
>>
>> 昭和2年7月26日に
>>(偽書の疑いのある御書の扱いに関して)法主から4つの議案が出されました。
>> 宗務役員3人(総監一人・僧正二人)と協議の結果、第三案に決定した。
>>この三名の役員の他に二人(教頭・講習会講師)も了承。
>>
>> 議案
>>
>> 日蓮正宗宗門の古典として扱われている、本因妙抄、百六箇抄、産湯相承、本尊七箇、
>> 教化弘経七箇、文底口伝、引導口決、神天上、本因妙口決
>>これら宗内外において真偽が疑わしいとされる古典の扱い方を決定するにおいて
>>4つの案が(法主から)出されました。
>>
>> 第一案
>>
>> 聖典として取り扱い恐れ多いのでいっさい修正はしない
>>
>>第二案
>>
>> 偽書として日蓮正宗では取り扱わない事を内外に公表する
>>
>>第三案
>>
>> 真偽が混じっていたとみとめて添削のうえ、整理して完璧なものに仕上げる
>> 努力をする。
>>
>> 第四案
>>
>> 真偽の断定は重要視せず、真蹟として信じる、信じないは各人の学識にまかせ、
>> 日蓮正宗としては定見をもたない。
>>
>>



都合のいい時は日蓮正宗の規定を採用する ・・・でもって堀上人が採用した
106は偽書だからと相撃ちして道場破り

ここでも創価の二枚舌ぶりが発揮されていますね 
もっとも師は如何考えているのか存じませんが・・・・・
No.36819 河内さんも あなたも  投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 17:05:01 ID:1d884e3fd
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>>36815
単に「過去の杵柄」に酔いしれているだけですよ
No.36818 屁理屈な質問ですね 投稿者:eco_69SM 投稿日:2013-07-04 17:02:27 ID:1d884e3fd
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>>36800
>>※河内の投稿した「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の論考が、
>> なぜ「日蓮本仏論否定」になるのでしょうか。
>>
>> よろしければ、解説お願いします。
>>

あの論考自体が 106箇抄の内容や疑点には触れず 
出来た経緯だけを説明しているだけに終始しているだけなので
その時点で本仏を否定する事になってしまう事になるでしょ?
「後付けバイアス」の問題を忘れていませんか?


譬え相伝を 菊川広幸や沖浦親子が 写本して 意図的に都合よく解釈し 
改ざんした揚句 都合良くカスタマイズしようが 
原島崇が 写本して 意図的に都合よく解釈し
改ざんした揚句 都合良くカスタマイズしようが
日精上人が 写本して 意図的に都合よく解釈し 
改ざんした揚句 都合良くカスタマイズしようが

あくまでも「信行に質するもの」・・であれば 
つまり自分の中で正常性バイアスが重なれば
それは正しい文献として取り扱う事にもなるわけです。


では 日蓮本仏論の根拠は何処にありますか? 敢えて質問返しをします。
No.36817 佐助さん、実例として。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-04 13:15:06 ID:df23401ef
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※より正しい御書全集を作ったのが日蓮正宗でしょ

 
これは余談ですが・・・・
佐助さんが所持しているであろう「大石寺版 日蓮大聖人御書」(平成六年七月十六日発行、監修 日蓮正宗総本山第六十七世 阿部日顕)に、こう記されています。

****************
◎真偽未決書

本書では次の十七書を真偽未決書として不収録とした。

四 「師子頬王抄」 ・・・(抜粋)・・・・・・・・・・・・・一一 「十王讃歎抄」
****************(一〇~一一頁)

これは、佐助さんお持ちの御書で確認できますね。

しかし奇妙なことに、
平成二十三年夏ごろから、日蓮正宗・妙久寺(兵庫県宝塚市)の「日蓮正宗法華講・妙久寺支部」発行の、例えば「妙智第235号」には、今月の拝読御書として「十王讃歎抄 <四> (平成校正日蓮大聖人御書 第三巻 二七六九頁から二七七一頁)」を2頁全体を使って掲載しています。しかも十回に亘って。

また、その掲載を許している日蓮正宗「米田法秀」指導教師坊主は、佐助さんの言う日蓮正宗の聖典たる「大石寺版 日蓮大聖人御書」に反した事を行い、勝手気ままに教義を持ち出して、一般の法華講さんを惑わせています。

如何に日蓮正宗が「脳乱坊主&法華講幹部集団」か、という実例ですね。

佐助さん、この実例でもわかるように創価学会員を折伏するより、この坊主のまちがいを指摘してあげる方が、佐助さんたちには「利」があるのではないですか ?

もう日蓮正宗・末端寺院は、ハチャメチャですよ。

佐助さんも外に向かって、自宗の正義を振りかざすのではなく、自宗の総点検をなさってはいかがですか ?
No.36815 見捨てられて見苦しい佐助さん 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-04 11:03:49 ID:c171fb90b
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まずは失礼を詫びます。

※より正しい御書全集を作ったのが日蓮正宗でしょ

 ↑ これは平成版日顕御書の事でしたでしょうか?
   もしそうであれば誤認をお詫びいたします。


その上で
※戸田城聖さんの発刊の辞を読みなさい。私と同じことが書いてあるから。

発刊の辞は堀日亨師の「序」と対で読むべきですね。
学会版御書が発刊される前の日蓮正宗には門徒が手にできる御書が存在しなかった。
この事実を認識すべきです。

平成版御書発刊の辞で日顕は
「彼の御書全集は戸田大講頭の懇志による堀日亨上人の御苦心の編纂であり」
と表現しているではないですか。

学会を破門したものだから、版権(聖教新聞社出版局)をもつ創価学会の御書が使え
なくなくなり慌てて平成版御書を作らざるを得なくなったとはいえ
現役の法華講員の「堀日亨編」御書の
「学会は財政面と校正面で補助的に作用」という感覚は信じがたいものがありますね。


佐助さんって元学会員でもないのでは?

ともかく真摯に対応されている河内平野さんに対して、あまりにも
根拠もしめされない感情的な反論に終始している様は見苦しい。
まして出典元を示されて「訳知り顔はこれでもか、と資料の数を競う」と
タイトルをつけて中傷しているだけですよね。

意図的に無視していたはずの私に噛みついて、方針転換をしているのは
河内平野さんに反論できないからでしょう。

それもこれも、佐助さんが大上段から
「この御書を読めるのも日蓮正宗のおかげでしょ」(No.36791 救いがたい)
などと御書(特に真書)がすべて日蓮正宗に結集されていたかのように書き込んだ
ことから始まっています。

河内さんが史料を提示されているのは、佐助さんの歪んだ歴史認識を修正する
ために、あえて日蓮系他山の相伝書も含まれている事を説明されているのだと
私は考えています。

しかし、この部分は本題からは少し外れた部分。

佐助さんは意図的にあべひを無視を続けて下さって結構です。
私は意図的に佐助さんの論評を続けるまでです。






No.36814 佐助さん、まず今までの経緯を整理します。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-04 09:41:28 ID:df23401ef
新規 返信
河内が、【第二十六世日寛上人についての考察①~⑦】の論考を、ここ富士ボに投稿し、参考文献も提示しました。

「新編日蓮大聖人御書全集 創価学会刊」
「昭和定本日蓮聖人遺文 久遠寺刊」
「富士大石寺蔵日興上人御筆・日蓮大聖人御書 妙覚寺刊」
「刊本録内御書 法華宗門書堂刊」
「富士宗学要集・全巻 創価学会刊」
「日寛上人文段集 日顕上人監修 聖教新聞社刊」
「六巻抄 聖教新聞社刊」
「語りの中世文芸 和泉書院刊」
「暦の百科事典二〇〇〇年版 本の友社刊」
「朝日百科日本の歴史別冊 朝日新聞社」
「歴史を読みなおす七 朝日新聞社」
「中世の館と都市 朝日新聞社」
「キリシタン殉教史 時事通信社」

その時、佐助さんは、河内に下記の如く言いましたね。
**************************
No.36619 御託が多い
投稿者:佐助 投稿日:2013-06-21 04:39:16 ID:cad22bee1
資料は多く示してあるが、多くはつまみ食い程度でしょう。
歴史を洞察し、眼光紙背に徹すればこのような単純な結論には至らない。
どれもこれも必然性がなく、恣意的な結論ありきの文章だからだ。
**************************

だから河内は、

■「だったら、君の教学力を試してあげるよ」
■「このまま終わったんでは、富士ボを見ている若き青年部諸兄の勉強にはならない」
■「法華講が、どれほど日顕宗の毒に洗脳されているか、見せてあげたい」
■「こんな脳乱者と、対論することが如何にバカらしいかも、見せてあげたい」

と言って、佐助さんとの対話を開始しました。
その開始に先立ち、【第九世日有上人と左京・日教についての考察①~⑥】を投稿。

そして河内は、こう言った。
-----------------------
【第二十六世日寛上人」についての考察①~⑦】【第九世日有上人と左京・日教」についての考察①~⑥】・・・。この2つの考察の中に、河内の大石寺に対する見解はすでに述べている。
河内は、別に大石寺の全歴代法主を否定しているのではない。河内が問題にしているのは、日顕法主以降の日蓮正宗だ。日達までは、かろうじて僧俗和合で日蓮大聖人の御遺命である「広宣流布」を推進していた。

それを日顕の代になって、ぶち壊した。だから日顕以降の日蓮正宗は、「祖師信仰」ではなく、完全に「法主信仰」なのです、と言ってるんだよ。

我々創価学会にとって、日蓮大聖人は「主」であり「師」であり「親」です。それに対して、法主は「人」という位置付けだ。

だから「日有・日寛・堀日亨」上人は、日蓮教学の大学匠ではあるけども師匠ではない。創価学会の根本の師匠は、日蓮大聖人である。

日蓮大聖人に「信」を取っている団体に対して、人師・論師の言で学会を破折するのではなく御書を通して、学会のどこがまちがっているのか言いたまえ・・・・・・・」と。
-----------------------

そして佐助さんの主張に対して、
河内は論点を明確にし、一つ一つ御書を通し、歴代法主の文を通し、また【「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の検証①②】、【「御本尊七箇之相承」についての検証①~④】を通して、大石寺の邪義を論証していった。

しかし佐助さんは、河内の論証に何一つ反証できず、河内の質問にも答えていない。

そこで、今までの対話の中で佐助さんが河内の質問に答えていない部分を箇条書きにして記しておきます。

河内の質問************


いつ どこで 誰が「金口の血脈」云々と言い出したのか御存知ですか ?



佐助さんにとって、師とは誰のことを言っているのでしょうか ?



そもそも、日蓮大聖人が他宗の坊さんのところに行って、「私が本尊を図顕する意義、意味はこういうことです」と説明して、断って、納得させて図顕し、門下に下付し、拝ませたのですか。大聖人がこのような行いをなした、というなら証拠をお示しください。和合僧が本尊を決め、拝み、下付するのに、邪宗の人に説明しなければならない、という根拠をお示しください。



創価学会の印刷物の本尊は「ダメ」で、日蓮正宗の印刷物の本尊は「良い」。また、日蓮図顕の本尊を板に彫り、おもいっきり改造した正宗の本尊が「良い」、という根拠は何ですか ?



佐助さんが、「相伝書」を持ち出して、学会を破折しようと思うんでしたら、まず河内の書いた論考を破折してからどうぞ。



大聖人滅後は唯授一人血脈相承の継承者によらなければ仏法を知ることは難く、その人の下に信伏随従しなければならない、との大聖人の教示をお示しください。



河内の論考を読んでいませんね。そして、何を言っているのか理解もしていない。もっと、論理的・客観的に、反論をどうぞ。



佐助さんはもともと七百年続く「旧法華講」出身なのですか ?
佐助さんは、日蓮正宗の坊主に折伏されたのですか ?
お答えください。



御法主上人・御僧侶方の御教導によらなければ、日蓮の教義はわからないとする根拠を御書で示してください。



「本門戒壇の大御本尊建立」とは、何ですか ?  これは日蓮大聖人の教義と何の関係があるのですか ?  ある、というならその根拠をお示しください。

***********************以上です。

ちなみに、
六月十九日、ここ富士ボでの河内と阿部日さんの会話です。
=========================
No.36608 返礼ありがとうございました 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-06-19

河内平野さんへ

※「御書はどこから教えてもらったの ?」
 「御書は、宗門のものだよ」と、こういう認識のバカ法華と出会うと正直
 ゲンナリするね。

短絡的思考の反論例の最たるものですよね(笑)
御書の内容を討論しているにもかかわらず「御書はだれのものか?」を論じている訳ではないのにこういった返答をするのは負けに等しい。
=========================

というものです。
これを佐助さんは読んだのか、読んでないのかは知りませんが、普通の学会員は、こういう感覚なのです。

佐助さん、何度も言いますが、実りある対話とするために、くだらない反論は止めて真面目にお答えください。
No.36813 おはようございます、佐助さん。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-04 09:36:16 ID:df23401ef
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佐助さん、論点ずらしはお止めください。
河内が御書云々の話をしたのは、不毛な議論を避けるためです。
学術的御書の解釈などは、この対話の主題ではありません。

佐助さんと河内の対話の主題は「創価学会が正か邪か」、「日蓮正宗が正か邪か」というのが対話の主題です。

>本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください。

佐助さん、何度も言いますが、破門以降・創価学会と日蓮正宗は完全に別宗教なのです。

その別宗教に対して、「本門戒壇の大御本尊建立」などと、大石寺住職が勝手に決めた大石寺教学を、学会員に押し付けて議論するのは「筋」がちがいますよ、と言っているのです。

佐助さん、ご理解いただけますか。

日蓮正宗の坊主や法華講さん達というのは、「本家、嫡流、正統」意識が強く、それが確信となり、宗教的情熱となり、行動上の最大のバックボーンとしています。

そのため、現場等で対応しても、最初から高みから下を見下ろすが如き、傲然たる態度として出てくるのです。 佐助さん、貴方のことですよ、まだ気付きませんか。

例えばね、佐助さん

①---------------------
西山本門寺の入道の方が来て「木絵二像開眼之事」を引用し、「西山本門寺貫主の開眼がなければ大石寺の本尊はニセ本尊」と言ってきたらどうします?

それは枝葉の議論ですよね。
では、百歩譲って木絵二像開眼之事で曼荼羅本尊の開眼が述べられているとして、『日代八通の譲り状』が真筆となるのですか?日興→日代を証するとして、お宅の門流では崇め奉っている『日代八通の譲り状』の検証が先ですし重要なことでしょう。、となりますね。


北山本門寺のお坊さんが来て「木絵二像開眼之事」を引用し、「北山本門寺貫主の開眼がなければ大石寺の本尊はニセ本尊」と言ってきたらどうします?

同じく枝葉の議論ですね。
木絵二像開眼之事で曼荼羅本尊の開眼が述べられているとして、では「法華本門寺根源」の棟札が本物となるのですか?日妙譲り状が本物となるのですか? と、河内としてはそちらの検証・真偽の方が先と思いますがね、となります。


京都要法寺の信者が来て「木絵二像開眼之事」を引用し、「京都要法寺貫主の開眼がなければ大石寺の本尊はニセ本尊」と言ってきたらどうします?

全く枝葉の議論ですね。
それより日尊が檀家の寄進を受け釈迦十大弟子を立てたこと。中世における造仏読誦の方を先に議論したいものです。
------------------------

これはあくまでも例文で、議論の主題ではありません。
このように河内は主張している訳です。

だから佐助さんが、

>本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください。

と、上記質問を河内にするなら、「本門戒壇の大御本尊建立」とは何ですか ?  これは日蓮大聖人の教義と何の関係があるのですか ?  ある、というならその根拠をお示しください、というしかないのです。

次のレスで、一連の佐助さんと河内の対話を最初から整理します。
No.36812 訳知り顔はこれでもか、と資料の数を競う 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-04 03:20:55 ID:cad22bee1
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>>36807
>>「日蓮大聖人御書全集」1189p
>>「編年体日蓮大聖人御書」1208p
>>「昭和定本 日蓮聖人遺文」1672p
>>「昭和新定 日蓮大聖人御書」2015p
>>「平成新編 日蓮大聖人御書」1396p
>>「平成新修 日蓮聖人遺文集」1396p

ところで、この中で、あるいは録内・録外御書の中でも、開目抄の有名な一節

「日蓮は日本の諸人にしたし父母なり」

となってたはずだけど、どうして日蓮正宗の読み方を採用したのか?河内君は。

戸田氏も指摘しているように、観心本尊抄も読み方を間違えておるぞ、日蓮宗は。
そんな中で、どうして日蓮正宗の相伝が混じった御書を選んだのだ?

創価学会に入ったからついでに、と言うわけですか?

そうでもないでしょ。上の御書をわざわざらしく羅列してきたわけですから。

ところで、『平成校定日蓮聖人御書』が入っていないのはなぜでしょう?

学問の進むところ、同じ御書でも誤りを見つけては直しているんですよ。
No.36811 反論のつもりだった? 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-04 03:10:18 ID:cad22bee1
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>>36810
>>かつて銭形というHNの法華講員ですら
>>「当時の創価学会教学部の御書編纂にかけた情熱と労力は賞賛されてよい」
>>(32927)
>>としているにもかかわらず、佐助と名乗る法華講員の見識は最近の日蓮正宗
>>門徒内で事実認識すら歪曲され洗脳されつつある事を示唆しているのでしょう・・

その反論も折り込み済みです。
戸田城聖さんの発刊の辞を読みなさい。私と同じことが書いてあるから。
No.36810 苦し紛れのでまかせ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-04 00:34:51 ID:c171fb90b
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※より正しい御書全集を作ったのが日蓮正宗でしょ
 (創価学会は財政面と校正面で補助的に作用しただけです)

平成日顕版のことではないらしいですね。
財政面と校生面で補助的に作用しただけとおっしゃいますが
佐助さんのイメージに過ぎません。

日蓮正宗側で協力したのは、当時の法主でも宗務院でもありません。
また発刊の願主が創価学会です。補助的ではなく主体といえるでしょう。

かつて銭形というHNの法華講員ですら
「当時の創価学会教学部の御書編纂にかけた情熱と労力は賞賛されてよい」
(32927)
としているにもかかわらず、佐助と名乗る法華講員の見識は最近の日蓮正宗
門徒内で事実認識すら歪曲され洗脳されつつある事を示唆しているのでしょう・・

愚壮殿からも叱られますよ。

No.36809 逃げないで 投稿者:佐助 投稿日:2013-07-03 23:41:53 ID:cad22bee1
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>>36807
>>その前に、阿部日さん、秋晴れさん、ナイスフォローありがとうございます。
>>
>>さて、
>>佐助さん、一例をあげます。

やはり分かってもらえませんでしたか。
録内・録外御書やその他の遺文集のことなど、端から問題にしていません。
河内さんは、それを学んだとでもいうのでしょうか?
録内御書にも誤字脱字もあります。
真蹟があっても、簡単に見るわけにもいかなかったのです。
そのような中で、より正しい御書全集を作ったのが日蓮正宗でしょ(創価学会は財政面と校正面で補助的に作用しただけです)。

>>佐助さんは、「日蓮教学」、「日蓮大聖人御書」については、ド素人みたいですから、なぜ佐助さんの上記反論が「意味のない、くだらない能書き」なのか説明します。
>>例えば、下記の御文。
>>こんな能書きを言う暇があるのだったら、早く河内の指摘に対して、日蓮大聖人の教義で反論してください。

そう、能書きはいいですから、本門戒壇の大御本尊建立以後と以前では御書中にどのように変化があったか、おわかりでしたらお答えください。

できるだけ、河内さんを尊重してお答えしておりますが、どういうわけか、河内さんからは見下した物言いが目立ちます。お人柄でしょうか?
No.36808 ネット選挙においての注意事項 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-03 17:22:58 ID:c171fb90b
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公職選挙法改正後、初の国政選挙。
いわゆるネット選挙運動が解禁になるにあたって個人のネットユーザーさん
が「できないこと」を中心に総務省のHPを参考に抜粋させていただきます。

http://promotion.yahoo.co.jp/netsenkyo/

まず、HPやブログで特定の候補者を当選させる為の記事、
また投票依頼をする書き込みをする場合、HNやSNSのユーザー名等
明記し、メールアドレスまたはメールフォームを公開しておかなくては
いけません。(表示義務:HNのみ、連絡先のみではNG)

これは落選運動(特定の候補者に投票をしないように呼びかける運動)
をする場合でも同じ事と思われます。。
また政党関係者や候補者を詐称して(いわゆるナリスマシ)記事を公開
するのは違法です。

そして、選挙運動用のHPや候補者、政党から届いた選挙運動用電子メールや
選挙運動用の文書図画(HPも含む)をプリントアウトして頒布しても違法です。
リアルで選挙運動用の文書図画を頒布できるのは候補者や政党等のみです。

上記条件を満たせば、候補者や政党や政治団体が選挙用(当選・落選)
に公表したコンテンツ(公約や実績等)を利用して、自分のHPやブログに
記事引用し掲載する事が可能になりました。(文書図画の頒布と言います)
もちろん自分自身が記事を作成して応援することができます。

落選運動に関しては、候補者に関し虚偽の事実を提示したり、ゆがめて
公にすることはできません。
落選運動は特定の候補者(一人の場合に限られない)の落選を意図する行為
のみを指します。
特定の候補を、他の“特定の候補者を当選させるために”投票しないように
呼びかけるのは選挙運動とみなされます。

-----------------------------

候補者および政党等から個人に送られた「選挙用メール」を
支援者がメールを使って再送(転送)する事は違法とされています。

facebookやLineツイッターなどのSNSは電子メールにはあたりません。
したがって、候補者、政党の選挙運動投稿のイイネボタンを押したり、
リツィ-トしたりすることも可能です。
この場合、ユーザー名や連絡先等も自動で表示されているために
表示義務を果たしていると解されます。

-----------------------------

いずれの場合でも、未成年者がネットを使った選挙運動をすることはできません。
特に上記のSNSのように、うっかりイイネボタンやリツイートをするのは要注意です。

参考リンク◎未成年「うっかり」違反に注意 ネット選挙解禁で
     http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130702-00000001-kyt-l26

------------------------------

また選挙運動は公示・告示後から投票日の間だけしかできません。
事前運動、事後の行動に注意しましょう。

------------------------------

一般論としては、一般的な論評に過ぎないと認められる行為は
選挙運動、落選運動のいずれにもあたらないと考えられているために
いつでもできますが、名誉毀損・侮辱にあたる内容は訴えられる可能性が
大きいので注意が必要です。

それから、個人のHPやブログ等で、政党や候補者の公開した記事を引用の
範疇を超えてコピーする行為は著作権を侵害していると見なされる可能性が
ありますのでご注意下さい。
政党が発行した選挙運動の新聞記事やビラの内容も同様と解されます。

----------------------------

自分が運営していない公開の掲示板、他者のブログ等においてネット
選挙運動をする場合一つ一つの記事が文書図画にあたると解される為、
1つの記事投稿毎にHNと連絡先(メールアドレス等)を表示する必要があります。
ブログのコメント欄を使った場合でも同じと解されます。

※仮に自分のブログやHPをつかって「選挙期間中以外」での選挙運動
 をした場合においては公職選挙法違反が問われかねません。
 ネットをつかった投票依頼は選挙期間が終了したと同時に、投稿や記事
 を削除したほうが無難です。
 第三者のブログ・掲示板に書き込んだ場合は削除依頼をすることを
 おすすめします。
 たとえば、他者のブログで共に選挙運動をしておいて、投開票後、
 別件であっても、なにがしかのプレゼントを受けたりもてなしを受ける
 と事後買収・饗応が疑われかねません。

---------------------------

なにぶん初めての取り組みなので、予期せぬトラブルがあることが
予想されます。
違反者を発見したと思う場合は最寄りの選挙管理事務所、または警察
に通報しましょう。

詳しい事や解らない事は総務省の

なるほど!選挙 ・ インターネット選挙運動の解禁に関する情報
等を参考にしてください。
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/naruhodo/naruhodo10.html
No.36807 くだらない議論をしないために ! 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-03 15:56:15 ID:df23401ef
新規 返信
その前に、阿部日さん、秋晴れさん、ナイスフォローありがとうございます。

さて、
佐助さん、一例をあげます。


>そもそも、この御書を読めるのも日蓮正宗のおかげでしょ。
>それとも、中山法華経寺に行って読んできたとでもいいますか?

佐助さんは、「日蓮教学」、「日蓮大聖人御書」については、ド素人みたいですから、なぜ佐助さんの上記反論が「意味のない、くだらない能書き」なのか説明します。

例えば、下記の御文。

【聖人御難事  P1189 (正筆)真筆】------------------
仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮・末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり、
------------------------------------------------

この「聖人御難事」は、別名「出世本懐抄」とも言われており、

********************
執筆  弘安二年十月一日。 五十八歳。

対告  四条金吾、日興他門下。

真蹟  中山法華経寺。

刊本 録内。
********************

となっており、該当ページは、

「日蓮大聖人御書全集」1189p
「編年体日蓮大聖人御書」1208p
「昭和定本 日蓮聖人遺文」1672p
「昭和新定 日蓮大聖人御書」2015p
「平成新編 日蓮大聖人御書」1396p
「平成新修 日蓮聖人遺文集」1396p

この通りです。

録内・録外の成立は、主に大聖人滅後、一〇〇年前後から一三〇年頃にかけてからですが、この第一次の御書編集は必ずしも完全なものでなく、第二次編集が行われ、第一次の御書に対して「録外御書」と称し、第一次の編集を登録内のものという意味で「録内御書」と称したのです。

その後、多くの録内・録外御書が編集書写刊行されました。
主要なものをあげれば、録内では日朝身延本(にっちょう)、日意平賀本(にちい)、日鎮本隆寺本(にっちん)等があり、録外では日朝身延本、三宝寺本、本満寺本等があります。

その刊行は江戸期に入ってからで、元和年間(1615-23)年にはじめて録内御書が刊行され、寛永十九年(1642)本、同二十年本、寛文九年(1669)本と次々に刊行され、録外御書も寛文二年(1662)本、寛文九年本と刊行されました。

そして録内・録外に対し、遺文の編年を企てる方法が江戸期に入り現れてきたのです。

その初めは、本行日奥の御書新目録(貞享三、1686)です。
次に、境持日通が明和七年(1770)に境妙庵目録を編集し、案永八年(1779)に建立日諦が祖書目次を刊行しました。

その後、智英日明が文化十一年(1814)に新撰祖書目次を編集し、これをもとに小川泰道が明治十三年(1880)に高祖遺文録として刊行。

さらにこれを修正校正した日蓮聖人御遺文(縮刷遺文)が明治三十七年(1904)に刊行され、昭和二十七年(1952)開宗七百年記念事業として昭和定本日蓮聖人遺文が編集刊行されたのです。

このほか真筆遺文の影印本として、日蓮聖人御真蹟(神保弁静編、大正三、1914)二十冊。
日蓮大聖人御真蹟(立正安国会編、昭和三二、1957)四十八巻二十二冊。
日蓮聖人真蹟集成(法蔵館編、昭和五十二、1977)一〇冊、

等があり、現存する真筆の全貌を知ることができます。

佐助さん、もうわかりましたね。

>そもそも、この御書を読めるのも日蓮正宗のおかげでしょ。
>それとも、中山法華経寺に行って読んできたとでもいいますか?

こんな愚論を言うことが、如何に世間知らずで、佐助さんが、日蓮正宗の「法主絶対論」に洗脳された「井の中の蛙」か。

こんな能書きを言う暇があるのだったら、早く河内の指摘に対して、日蓮大聖人の教義で反論してください。
No.36805 訂正 投稿者:秋晴れ 投稿日:2013-07-03 12:40:07 ID:2a14ac908
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【第二十六世日寛上人】についての考察
「第九世日有上人と左京・日教」についての考察
366512013-06-22 09:34:10河内平野佐助くん、おはよう。
366672013-06-23 09:22:16河内平野佐助くん、おはよう。
「御本尊七箇之相承」についての検証


訂正 ↓

【第二十六世日寛上人】についての考察
「第九世日有上人と左京・日教」についての考察
366512013-06-22 09:34:10河内平野佐助くん、おはよう。
366672013-06-23 09:22:16河内平野佐助くん、おはよう。
「御本尊七箇之相承」についての検証

「百六箇抄はどこの寺院の相伝書なのか」の検証

No.36804 稀に、日蓮本仏論を否定する創価の方がおられますが 投稿者:秋晴れ 投稿日:2013-07-03 12:35:57 ID:2a14ac908
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稀に、日蓮本仏論を否定する学会員がおられますが、教学の危険な研鑽は本当にまずいですね。

河内平野さんの論文には、一貫した思想の流れがあり、歴史がいかに大切かを思います。
昨日は【第二十六世日寛上人】についての考察を、再度読み直し、六巻抄の中の一つ
「文底秘沈抄」を再度読み直しました。
因みに、あたりまえすぎることなのですが、六巻抄は普通に書店で販売しています。
学会公認のものですね。
(最近は日寛上人否定の方もおられますので、あえて、書きました。)

日蓮大聖人は末法の御本仏であるということを改めて研鑽し、昨日は殊の外、唱題に力が
入りました。
創価学会を知っていくにも、河内平野さんの書き込みも、まずは、全体像をつかまないと
理解が出来ないと思います。

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【第二十六世日寛上人】についての考察
「第九世日有上人と左京・日教」についての考察
366512013-06-22 09:34:10河内平野佐助くん、おはよう。
366672013-06-23 09:22:16河内平野佐助くん、おはよう。
「御本尊七箇之相承」についての検証


No.36803 マグマグ殿へ 投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2013-07-03 11:55:14 ID:c171fb90b
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哲学的探求は私も嫌いではありませんが、まず、ecoさんが河内平野さんを
「日蓮本仏論否定者」と貶めるやり方を責めずして煽らないでください。

まずecoさんのスタンスそのものが解りません。
また彼のやり方は彼自身がが批判している「多重質問」のやりかたそのものです。

偽書の取り扱いを質問しているのか、表現法を批判しているのかサッパリわかり
ません。

彼の批判の根源は
※「この人 「さも私の事がわかっているようなフリ」をして 
(代弁者)の如く 彼是と書いているけれど ちっとも解っていない人なんですね」

ですが、論説に対して上記のような批判ができるのは最低限「自分は解っている」
(または答えられる)という前提条件が必要になってきます。
「オレは解るけどお前は解らないだろうな」でなければ、たんなる誹謗ですし
「オレにはよく解らないけれどあいつが言っているのはウソだ」では中傷です。

偽書のたてわけの仕方は「日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板」で
3月ごろに議論になりましたが、

※偽書(ぎしょ)とは、製作者や製作時期などの由来が偽られている文書・書物
 のこと。
主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)
用いられる語である。
単に内容に虚偽を含むだけの文書は偽書と呼ばれることはない。
(Weblio辞書)

です。

法華講員の中にも「偽書」=内容がデタラメ と早合点している人が多くいますが
、日蓮正宗内でも真書・偽書の扱いについては規定を設けています。

http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/12636

古い資料なので、皆さんにも解りやすくざっくりとですが現代語に直してみますね。

////////////////////////////

昭和2年7月26日に
(偽書の疑いのある御書の扱いに関して)法主から4つの議案が出されました。
宗務役員3人(総監一人・僧正二人)と協議の結果、第三案に決定した。
この三名の役員の他に二人(教頭・講習会講師)も了承。

議案

日蓮正宗宗門の古典として扱われている、本因妙抄、百六箇抄、産湯相承、本尊七箇、
教化弘経七箇、文底口伝、引導口決、神天上、本因妙口決
これら宗内外において真偽が疑わしいとされる古典の扱い方を決定するにおいて
4つの案が(法主から)出されました。

第一案

聖典として取り扱い恐れ多いのでいっさい修正はしない

第二案

偽書として日蓮正宗では取り扱わない事を内外に公表する

第三案

真偽が混じっていたとみとめて添削のうえ、整理して完璧なものに仕上げる
 努力をする。

第四案

真偽の断定は重要視せず、真蹟として信じる、信じないは各人の学識にまかせ、
日蓮正宗としては定見をもたない。

No.36802 佐助さん、それと・・・ 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-03 11:42:50 ID:df23401ef
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もう一度、再掲します。

【河内のスタンス】-----------------------
日蓮大聖人の実像に迫るためには「真蹟」「真蹟曽存」の御書で本当は返答してもらいたいのです。それは、確実を期す必要があるからです。

しかも日蓮大聖人滅後に出来上がった、大石寺を総本山とする日蓮正宗という「一宗教団体」の「独自の教義」に関する是非などではなく、創価学会が末法の御本仏と尊信する日蓮大聖人の本尊観、教義そのものについての重大事であり、その内容は、創価学会員として信仰に励む私達一人一人にも関わってくるものだからです。

そしてまた、対内・対外に耐えうる議論にあってはなおさらの事です。
なぜなら創価学会と日蓮正宗は別宗教団体であるし、およそ別宗教団体に対して、大石寺の一住職の決まり事を押し付けるのはナンセンスと考えるからです。

さらに御書の採用に関しては、正確を記すために「創価学会版・御書」「大石寺版・御書」「録内・録外」どれにも耐えうる御書の採用をお願いしたいと思うのです。
-------------------------------------

もし佐助さんが、河内のスタンスを理解していたら、

>そもそも、この御書を読めるのも日蓮正宗のおかげでしょ。
>それとも、中山法華経寺に行って読んできたとでもいいますか?

と、こんなことは書けないはずですよ。意味わかりますか ?

またなぜ、河内が御書を提示するときに、あえて「創価学会版・御書」を使わずに、「大石寺版・御書」「録内・録外」を極力採用しているのか、おわかりですか ?

河内は、佐助さんの教学力を試す、と言いましたね。
法華講と対論することが、如何にバカらしいか、ということも言いました。

その原則に則り、河内は主張しているのです。
もうここの板の皆さんは、お気付きだと思いますよ。

それでも佐助さんが、エンドレスで河内と対話する、というなら河内は付き合いますけど、富士宮ボーイ掲示板を独占的に使わせてもらうのも河内は気を使っているのです。

まあ~、ここの常連様が「なに、たわけたことを言ってんだ ! 河内よ、徹底的にやれ !」というならやらせてもらいますが・・・・。
No.36801 おはようございます、佐助さん。 投稿者:河内平野 投稿日:2013-07-03 11:05:44 ID:df23401ef
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佐助さんが復活しましたので、整理します。


①--------------------
気の短いお方だ。昨日眠かった、だけのこと。それで勝利宣言ですか?
「勝った」「負けた」などと上っ面をいってもしょうがないでしょうに。
実際、御書は精査されたんですか?分からなかったんでしょ、実のところは。
仏法は師匠から教わらないと分からないんですよ。
あなたは師匠に学ぶということをしていない。
だから独りよがりの言を吐くのです。
----------------------

①に対して
佐助さん、能書きはもういいですよ。笑

だったら、
④--------------
まだまだ、論じ切るには私には力がありません。
私が迷って、さらに河内さんを迷わすわけにはいきません。
--------------

と、こんなことを言わないことです。 佐助さん、どっち向いて対話をしてるんですか ?
法華講の会合で、法華講に向かって佐助さんは対話をしてるの ?

河内は学会員という立場ですよ。
そういうのだったら、何回も繰り返し河内が言っている通りスパッと、御書を通して日蓮正宗の住職が正しいという根拠を示せば済むだけの話ですね。

佐助さんは、「まだまだ論じ切るには私には力がない」と言いましたね。
他宗との対話で、こんなことを言えば反論不能ということで、負けなのですよ。
何を甘えたことを言っているのですか。


②--------------------
仏法を分かりたいと思うならば、師匠の御指南を拝するのは当然です。
しかし、それにしても創価学会の変遷具合はダントツですね。
わずか二十数年でここまで教えが変わるのか、と驚いています。
----------------------

そりゃどうも。
いやー、それにしても随分といい勉強をさせてもらいましたよ。大聖人は今でいえば邪宗で二十年間修学されました。創価学会も邪宗で七十年近く勉強させてもらいました。

大聖人は立宗以前から釈尊に直結、法華経通りの実践をし、経典通りの難を受け「自身は正しい」「上行菩薩」と確信。

創価学会も今でいえば邪宗・日蓮正宗で七十年近く、一応は正しい所だろうと思いながら実践、でも坊主中心ではなく学会の歴代会長と共に大聖人直結、御書根本の活動だった故に御書通りの難を受け、それらを乗り越え和合僧であると確信。

平成二~三年の大石寺の坊さん達とのやり取りで「なんだ、大石寺って中世創作の邪義が根本の邪宗寺だったんだ」と再認識。破門なるもの以降は完全別宗教として、徹底破折中です。


③--------------------
ほら、御書全集に偽書を載せているとでも言いたげな慢心ぶり。
百六箇抄の後加文も当然のことだから載せてあるのです。
少しは日亨上人の意を拝しなさい
----------------------

佐助さん、河内の論考を読んでいませんね。
そして、何を言っているのか理解もしていない。

もっと、論理的・客観的に、反論をどうぞ。


④--------------------
ほら、こんな勝手読みをする。
このような勝手読みができるならば日蓮宗でも成仏できる道理ですよ。
そもそも、この御書を読めるのも日蓮正宗のおかげでしょ。
それとも、中山法華経寺に行って読んできたとでもいいますか?
----------------------

>そもそも、この御書を読めるのも日蓮正宗のおかげでしょ。

佐助さん、これを法華講さんが言うと、世間からバカにされますよ。笑
本当に、佐助さんは歴史を知らない人ですね。

そうすると、佐助さんはもともと七百年続く「旧法華講」出身なのですか ?
佐助さんは、日蓮正宗の坊主に折伏されたのですか ?
お答えください。

日蓮大聖人も同じことを言われたのです。大聖人が折伏をする程に、邪宗の者達・権力者は怨嫉し迫害を加え、誰も理解はおろか、その存在さえ認めようとはしなかったのですから。

今、邪義を根本とする日蓮正宗・大石寺が、大聖人御在世の諸宗の如く、学会に批判をなしている、それ自体が学会が正しい証明です。下記が文証です。

*********************
【種種物御消息 1278年・弘安元年七月七日、真蹟・断存、日興本・大石寺蔵、録外】
此の法門は当世日本国に一人もしりて候人なし、ただ日蓮一人計りにて候へば此れを知って申さずば日蓮無間地獄に堕ちてうかぶ期なかるべし、
*********************
【開目抄上 P202  (録内)真曽】
而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、経に云く「諸の無智の人あつて悪口・罵詈等し刀杖・瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧・たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ・刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ~当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん、日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん
*********************
【寂日房御書  P902  (他受)偽書】
日蓮は日本第一の法華経の行者なり・すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり、八十万億那由佗の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし、
*********************
【聖人御難事  P1189 (正筆)真筆】
仏の大難には及ぶか勝れたるか其は知らず、竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし、日蓮・末法に出でずば仏は大妄語の人・多宝十方の諸仏は大虚妄の証明なり、仏滅後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり、
*********************
【妙密上人御消息  P1240 (録外)未決】
経に云く「而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し・況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」又云く「諸の無智の人有りて悪口罵詈す」或は云く「刀杖瓦石を加え或は数数擯出せらる」等云云、此等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば・但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし
*********************
【上野殿御返事  P1555  (録外)偽?】
抑日蓮・種種の大難の中には竜口の頚の座と・東条の難にはすぎず、其の故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり、或はのりせめ・或は処をおわれ・無実を云いつけられ・或は面をうたれしなどは・物のかずならず、されば色心の二法よりをこりて・そしられたる者は日本国の中には日蓮一人なり
*********************


⑤--------------------
他に類例を見ない慢心ぶりだこと。
御法主上人・御僧侶方の御教導には及ばない旨を言っているのに、それだけで勝ち誇っているのですか?
----------------------

>御法主上人・御僧侶方の御教導によらなければ、日蓮の教義はわからない

とする根拠を御書で示してください。
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