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三味線の皮作り   
  “名人芸”に迫る!

連載「しごと」[4] 働く人の生きざま…

奈良県選定保存技術者・橋本一弘さん


皮を張り終え外で干しているところ。右が橋本一弘さん。左は息子の康広さん


整然とした作業場


リズミカルな音

 作業場に入ると、トンテンカン、トンテンカンという規則正しい木槌の音が響いていた。皮製作の最終段階、毛を抜き、脂分を取り去ったネコの皮を一枚ずつ板の上に浮かし張りする作業だ。板から3センチほど浮かした状態になるように皮を釘で張り付けていく。三味線の皮つくりにおいて一番熟練が必要な過程だという。
 橋本さんは特に忙しい時期を除いてすでに一線からは退き、息子の康広さん(31)が作業をやっている。橋本さんが「技術的にはまあまあの所まできましたね」と言うように手際良く、リズミカルに釘が打ち込まれていく。1枚の皮で72本 78本の釘を打つのだが、1本の無駄もないという。まさに名人芸である。
 橋本さんの所でつくっているのは三味線の胴の部分に張る皮だ。この皮の品質と張り方が三味線の音色を決定づけるのだという。もっとも橋本さん自身は「自分では聞いても、わかりまへんけどな。聞く人が聞いたらわかるらしいですな」と苦笑する。音の違いは聞いてもわからないが、いい音色のする皮はひと目でわかるのだ。

工程のあらまし

 ここで、作業の全体的な流れを、染川さんの資料と橋本さんの話をもとに記しておく。
1.届いた原皮(げんぴ)は冷凍保存される。
2.解凍→大きなポリバケツに入れて水洗い。血抜きをする。毛やシミを抜きやすくするため炭酸ナトリウムを加える。3日程度つける。橋本さんの所では、この炭酸ナトリウム(石けんの原料)以外、薬品を使っていない。しかし「田植えの季節など水が汚れるから流さないでくれ」などと言われることも、しばしばだったという。「農薬の方がよっぽど害があると思いますけどね」と橋本さんは言う。

毛が抜けやすくなるよう薬品につける

3.毛抜き、シミ抜き。薬品につけた皮を、専用に作られたシミ抜き包丁でこすると、驚くほど簡単に毛が抜ける。しかし、見た目、毛が抜けていても毛穴の中の毛根をしっかり取り除かないといけない。毛根をきれいに除去すると、皮表面には目に見えない凸凹ができる。この凸凹が音色に影響する。三味線本来のいい音色というのは“澄んだ音”ではなく、むしろ微妙に”濁った音色”にあるらしい。この皮表面の凸凹が不規則に共鳴し合い微妙な“濁った音色”が出るのだという。「ツルッとした合成皮革では絶対無理な部分です」と橋本さん。
  
毛と毛根をそぎ落とす。
左にたまっている黒いものが毛
筆毛用に白猫の背中の中央5センチ幅の毛を
別に抜き取る。これは「玉毛」といい、薪絵
漆器用の筆として珍重される =染川氏資料

4.脱脂工程。刀の刃を落とした「セン」という刃物で皮の脂肪分をしごき出す。力仕事である。ろ過した水につける。再び脂肪分をしごき出す、の繰り返し。

刃物で皮の脂肪分をしごき出す

5.皮の洗浄。「タイコ」と呼ばれるステンレス製の電動式洗濯器を使う。昔はマキの樽の中で足で踏んで皮を洗ったという。
6.「オンドハコ(温度箱)」で脱脂。4.5.を2回繰り返し3回目に入る前に、電子サーモ式の箱に入れて、しごき残った脂肪成分を除去する。30〜35度の湯に炭酸ナトリウムを入れ2〜3日保温する。湯温を一定に保つため、昔はいろいろ苦労があった。湯を別に沸かし何度もとりかえたり、湯をタドンや練炭で保温した。これらのやり方では夜間もついてなければならないので職人の住み込みが必要だった。
7.3回目、4回目と4.5.を繰り返す。薬品の成分も抜く。
8.水切り、皮の裏の調整。厚みの順に皮を選別。
9.皮張り工程。モミ材の上に浮かし張りする。浮かし張りするのは板のシミがつかないようにするため。皮をバランス良く張っていくために、釘は、ほぼ左右天地対称に打っていく。急激に張りを強くすると皮が破れるので、最初は何度か釘を仮打ちしながら、徐々に張りを強くしていく。皮の無駄な部分は切り取る。

皮張り工程中の橋本康広さん。皮が
左右天地対称になるよう慎重にかつ
リズミカルに釘を打ち込んでいく。
皮は一度にピンと張らないで仮打ち
を繰り返しながらバランス良く張っ
ていく             
  
三味線の胴の部分の大きさになっている木片を
用いて「この中に乳が4つ入ってなかったらあ
かんのです」と説明する橋本一弘さん    

 ネコの皮で三味線に使う部分は、だいたい前足の付け根から、ヘソの部分までだ。「ネコというのは普通、乳首が8つあるんですけど、その使う部分の中に乳首が4つ入らないといけない。肩あたりの硬い皮の部分と、乳のまわりの柔らかい部分が共鳴し合って、いい音色になるんですね。これが犬の皮だったら大き過ぎて、硬い部分、柔らかい部分が三味線の胴の中に入り切らない。だから犬皮は練習用にしか使えないんです」と橋本さん。

無駄のない釘

 しかし、ネコだって、育ち方が一様であるわけがない。「乳首が10個あるのんもいるし、6個しかないのんもおる。キズがないネコは、まずいませんな」という。当然張り方も、それぞれの個体で微妙に変える必要がある。例えばキズの部分に、いかに力をかけない張り方をするかという工夫など、やらなければならない。橋本さんが「ネコの皮やったら何でもエエ音が出ると思うのは間違い」と言うわけが、ここにある。言うまでもなかろうが、これらの張り加減は経験と指先のカンによって決められる。
 こうして皮1枚当たり72本 78本の釘が1本の無駄もなく打ち込まれるのが、一番熟練を要する皮張り工程だ。これを1時間に5 6枚、1日に約40枚仕上げる。釘にして約3000本。「皮の方に神経が行って、釘は見ないんですね。慣れるまではよく指を木槌で打ちます。これが痛いんです」と橋本さんは苦笑する。
10.打ち終わった皮は屋内で陰干しする。夏は1日、冬は3〜4日。
11.晴れた日に外で干す。夏は1時間、冬は3時間強。
 雨に濡れたらシミになって残るので、空模様をにらみながら。困るのが冬場の雪だという。晴れていても風に乗って飛んでくるからだという。それと、もうひとつ、やっかいなのが鳥のフンだ。

皮は生きている

 ズラリと並んだ皮の中で高級品はどれかと聞いてみた。「これは、まあまあかな」と橋本さんが差したものは、皮が分厚く薄いシマ模様が入っていた。シマ模様は腹筋で、よく発達している証拠だという。しばらく干していると、皮からプチッという音がし出す。これは筋肉が収縮しているためで、皮が“生きている”証拠であり、きちんと張れているしるしでもあるそうだ。
12.打ち込んだ釘を抜く。僕もやってみたが、指先の力とコツが必要で簡単に抜けるものではない。また、力まかせに抜いたりすると、せっかくの皮にシワができたり、破ったりすることになる。
13.余分な部分を裁断、用途、等級等によって選別して各三絃師(三味線を組み立て、修理する職人)に届けられる。


橋本さんが「まあまあ」と言った皮。
腹筋の線が入っていた       
  
ものすごいスピードで釘を抜く職人さん。
この世界40年以上のベテランだ

◆   ◆   ◆

 橋本さんは95年3月、奈良県選定保存技術者に認定された。そのとき地元紙奈良新聞のインタビューに答え「最も評価されなかった所に、これで少しは光が当たるんじゃないですか」と胸を張っている。
 橋本さんの「しごと」の歴史は、そのまま世間の偏見と闘ってきた歴史でもある。
 「演奏する人は人間国宝と言われているのに、その材料を集めてつくる側は“ドロボー”よばわりですからね」
 特に近年の動物愛護の空気が橋本さんの立場をさらに苦しくしている。猟師(ネコを捕まえる人)は一応飼いネコは捕まえないことになっている。ただ、多くの場合、ネコは放し飼いである。目印も付けていない場合も多い。捕獲されたネコの中に飼いネコが含まれている可能性は橋本さんも認めている。当然動物保護、特に愛猫団体からの抗議は強い。キズがついていないシャム猫等飼い猫が狙われているので、やめるよう指導してほしいとの国会議員への陳情もあるくらいだ。
 キズがついてない皮が高級品であるのは事実としてシャム猫などは商品にならないらしい。「皮が柔らか過ぎるんですよ。繁華街でゴミ箱をあさってるノラ猫の方が筋肉が発達していていい音が出るんですよ。我々はきれいかどうか、なんて興味ない。いい音が出るかどうかなんですわ」
 ネコを捕え、殺し、皮を剥ぐ。確かに目を背けたくなる光景である。我が家にも犬がいるので、もし飼いネコが捕まったらと思うと。その心情もわかる。しかし、飼い主の側にも問題がありそうな気もする。ネコは習性からいって、つないだり家から出さないで飼うことは難しいらしい。だったら名札をつけたり、何らかの目印を付けるのは飼い主としての責任ではないだろうか。フンやおしっこなどネコ(その他ペット)による被害も少なくないと聞く。三味線の問題だけではなく、生き物を飼ううえでのマナーの問題である。
 それに、人間は他の生物を殺すことによってしか生きてゆけない。我々が日々食べている肉や魚だけでなく米や野菜だって生き物に変わりない。この事実にはもっと向き合う必要があるのではなかろうか。
 古典芸能だって、あらゆる動物の犠牲のうえに成り立っている。ネコや犬の皮を使う三味線、文楽人形のクジラのひげ、バイオリンにだって弦にはヒツジの腸、バチには馬のシッポを使っている。
 古典芸能など必要ない。滅ぶものは滅べば良いというなら、話は別だが、演者は人間国宝として奉られる一方、その裏で、楽器や道具をつくり出す人々が差別や偏見の中で生きているというのでは“文化国家”にはほど遠い。

深刻な「皮の問題」

 橋本さんは言う。「皮の問題は、この業界が滅ぶかどうかのギリギリの所に来ています。三味線が日本の楽器だというのなら、業界の死活問題という部分を超えて、皮の問題をどうやっていくのか、行政の考えを聞きたいし、指導してほしいです。まず、皮の問題がどういう状況にあるのか本格的に調査もできていない状態ですから…。ただネコで三味線の皮をつくっているのは、ウチだけやからね、業界全体のことを言っても、自分の金もうけのためやと思われる。それで、なかなか発言しにくいんですわ」と最後は愚痴まじりになった。原皮(げんぴ)業者や猟師は、橋本さんの所より、さらに深刻な後継者不足の状況にあるという。
 橋本さんは、戦後間もない1947年、父親が病で倒れたのを受けて、本格的に皮製造の修業を始めた。以来50年、自らの仕事には誇りを持ち続けてきた。学校に行ってた時から「いらんネコがあったら、ウチに持って来いや」と家業を隠すこともしなかった。
 “奈良の皮”の名声が三味線の本場・東京に轟き、都内の伝統工芸師に選ばれている80パーセントの三絃師(三味線つくり職人)が“奈良の皮”を使っていることも支えになってきた。自分の仕事を世にアピールしていきたいとも思ってきた。
 しかし一方で、橋本さん自ら「部落民が差別する職業ですわ」(編集注:差別を肯定しているわけではありません)と言うようにありとあらゆる偏見、そして、見下された眼差しを向けられてきた。特に伝統芸能の社会はタテ社会が極端な世界だ。三味線奏者は、役者に頭が上がらない。三弦師は奏者の前では平身低頭、その三弦師の前で橋本さんらは、ひれ伏さないとならない立場だ。
 橋本さんは、県選定保存技術者に認定された際テレビに映った。その時も「とっさに娘婿の親戚に見られてないか心配になった」という。
 「やっぱり子供が学校に行ってる時は、仕事のことを隠したりしました。職業欄には“皮革業”とは書かず“邦楽器部品”と書いてました。もう息子や娘が学校を出たから隠す必要ないけどね」
 息子・康広さんには後を継ぐかどうか大学4年間の猶予を与えた。もっとも康広さんは「はじめから後を継ぐ気持ちでいた」と言うが。

三位一体の音色

 今、橋本さんは、息子・康広さんのために、三味線の皮つくりの仕事が、もっとやりがいのある仕事になるよう尽力している。だから奈良県による認定は「とてもうれしかった」と言う。
 伝統と文化を考える会の染川さんは言う。「権威とは関係なしに、その分野で、域に達した人はきちんと評価するべきです。そして、きちんと歴史に名前を残すべきです。そうすれば、もっと後継者も出てくるんやないかと思いますね」
 橋本さんは「三味線は“音”という言葉ではなく“音色”という言葉で表現してほしい」と言う。三味線は、演奏者、三絃師、それに橋本さんのような皮・胴・棹など各部位を作る職人が三位一体となって織り成すハーモニーだからだという。そのひとつでも欠けると決して素晴らしい音色にはならない。
 そして今、三位一体のうちのひとつが危機に瀕している。「皮の問題は、この業界が滅ぶかどうかのギリギリの所」。橋本さんの闘いは続く。



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