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私の名前は私のアイデンティティー

Written by Nora Kohri

About Nora Kohri

 みんなの反応

「日本人ですか。」

「失礼ですが、日本人ですか。」

「あー、お名前が.....(カタカナだったので日本人の方ではないかと思いました。)」

「あら、失礼ですが、お名前.......

「ご主人は?(あちらの方ですか)」

「ご両親は?日本の方?」

「あー、シンガポール人かとずうっと思ってた。」

「えー、日本人なの?」

「そうよね。本当に日本語が上手だもん」

"Are you Sansei?"

"I wondered. You have no accent"

"I thought you were from the States"

私の名前を見て、あるいは聞いて、日本人の人達も外国籍の人達もいろいろな反応を示してくれる。聞いてくれるとうれしい。聞いてくれない人も本当は聞きたいんだろうなといつも思っている。だからそんな人には自分から話しすこともある。

子どもと比べると、大人はみんな歯に詰まったような質問をする。しかし私もだいぶ日本人の話し方に慣れた。彼らがちょっと言っただけで何を聞こうとしているかの察しがつくようになった。「外国人」とはいわず、よく「あちらの方」とか「日本人ではない」ということばに置き換えている。

名前のことを聞くことは失礼なことだと思う人もいるのには驚いた。おそらく年齢と同じくらいのウェイトがあるのだろうか。きっと名前からくるその人の背景を垣間見ることもあるし、それはプライバシーにかかわることだと思うのだろうか。途上国の人だと国籍を聞くことは失礼に当たるのだろうか。そんなにパーソナルなことだろうか。私はそのようには思わない。気にしていない。まったく気にしていない。むしろ自分のことや今していることをおおいに聞いてほしいと思う。

日本人だけに限らない。非日本人も時々聞く。しかしたいていの人は"I don't really care"というような態度である。それ以上に私のネイティブ並みの英語に驚く。Where did you learn your English?とよく聞かれる。あるいはNora, doesnt sound very Japanese?などとコメントを入れる。

こどもたちはもっと正直である。

「どうしてノーラさんなの」

「どうしてありさちゃんは◇◇◇◇でノーラさんはコーリなの」

「どうして漢字がないの」

「どうして同じ名字じゃないの」 などといってくる。かわいい。

 結婚がきっかけ

今日のように夫婦別姓がまだ騒がれていない15年前、私はすでに自分の長年親しんできた名字を失うことで一人悩んでいた。それは「結婚」がきっかけであった。夫婦別姓へのこだわりは一般的には結婚することで夫の家にはいるからいやだとか夫の姓のファミリーの墓に入りたくないから、あるいは仕事でその名前をずうっと使用したいから結婚してからも旧姓のままでいたいということが大半である。しかし私の場合はそのどれにも当てはまらなかった。私の名前へのこだわりの原点は自分が日本と外国で育ったことにあった。

 夫婦同姓に有利な日本のシステム

日本では結婚することで夫婦どちらかの「姓」を名乗ることが義務づけられている。つまり夫の姓を選ぶのが当然と思っている人が多いが、実は妻の方の姓を二人で名乗ってもよいのである。

また日本では婚姻届を出さず、事実婚の夫婦別姓の家族を保つと大変不都合で不利なシステムになっている。つまり夫婦同姓、家族同姓を前提にすべてのシステムができあがってしまっているのだ。国は家族は皆同じ名字であるべきと強制している。同じ名前であれば家族ということが一目で分かり面倒でないからだろうか。

たとえば婚姻届を出さないと子供が生まれ、仕事をやめ、自分がサラリーマンの妻になったとき、健康保険、扶養家族手当て、年金などのさまざまな恩恵を受けることができないのだ。その上、夫が海外転勤になっても会社は家族が伴うに当たっての諸費用を一切出さなくてもよいことになる。シングルでは家を買ったり、保険に入ったりするにも大変不利なことが多い。

 なぜ名前を変えなくちゃいけないの

日本の友達は「大好きな彼と同じ名前になるなんて素敵じゃない」と言っていた。アメリカ人の友達も「家族がみんないっしょの名前ってことは一体感があっていいじゃない」と言っていた。

しかし私はそれ以前になぜ自分の名前を変えなくてはいけないのか、どうしてこの平等であるはずの世の中で夫だけがそのままでなんの不都合もなく結婚という節目を通過し、女だけが名前を変えて苦労しなくてはいけないのかと思った。私は自分の「姓」を変えることに異常なほどの抵抗を感じた。

夫の名前を使用することは彼の一部になり、所有されるような気がした。その気持は夫も同様であった。もし夫も名前が変わることがいやだというのなら、私の気持も分かってもいいはずではないかと思った。しかし夫は「ぼくは絶対名前を変えない。世間には養子だと思われるじゃないか。」の一点張りで、養子なんて今の時代にそぐわないのにそれでもこんな時に限って世間を持ちだし、男としてのプライドの方が大切と主張する。

婚姻届がでてなければ結婚したことにもならない。式も迫っており、時間はなかった。女にとってこんな不利な制度に気が付くのが遅かった。結局私は夫の姓を選ぶことに妥協した。

 改名しかないという結論

そしていろいろ思案したあげく、結局残された道は「改名」しかなかった。

私は生まれた時点で「郡 ◯◯子」という名前を両親がつけた。改名には「◯◯子」という名前を変更することで今まで通称として用いていた「ノーラ」という名前を戸籍上の正式名に変え、旧姓となる「郡」は「コーリ」として名前の一部にすることにした。夫の「○○○」という名字は戸籍上に登録し、通常は「ノーラ・コーリ」を名乗ることに決めた。

しかし両親を含め、その後もものすごい非難を浴びている。「エー、ご両親が心を込めておつけになったお名前をよく変えてしまったわね。」けれど両親はいずれ死んでしまう。彼らを満足させるために私の人生を犠牲にするわけにはいかない。あくまでも私の人生は私自身が責任をもって生きていかなければいけないのだ。私自身が自分の生き方にハッピーになることは親が望んでいるはずである。それがたまたま改名であったのだ。

 「子」がつく名前に抵抗

改名を望んだ第一の理由は、名前が古風で好きになれなかったことである。「子」がつくだけで、古いイメージがあった。「子」がつくことは女を一人前の人間として見なさず、あくまでも親の「子供」として所有され、守られ、自立を妨げる要素を含むものとして私は見ていた。この自立心旺盛な私にはにあわない名前であった。

 名前にまつわるつらい思い出

第2の理由は、自分の「名前」にはつらい思い出が多かった。7歳でアメリカに渡ったとき、私の名前は誰一人正しく発音できず、男の子の名前のようであったことも加わり、笑い者にされた。おかしな名前だとそれを逆手にからかうのだ。私の最初のカルチャーショックが自分の名前が新しい社会で受け入れられないことであった。からかわれれば悲しく、暗くもなった。その後友人が覚えやすい、発音しやすい名前をつけてくれ、私は立ち直り、明るくなった。

しかし帰国と同時に私は以前、屈辱を味わった名前に戻ったのだ。その名前は私にとって隠しておきたいようなつらい過去のイメージがついたものだった。横文字のアルファベットでいつも名前を書いていたのに慣れていた自分にとって、漢字で縦書きで名前を書くことには新鮮な思いすら感じた。しかし名前をかくたびに自分はまた◯◯子にもどったのだと頭の中に打ちのめられた。

さらにその◯◯子は帰国子女であり、勉強が遅れていたためテストではいつも低い点しかとれずバカ扱いを受け、いじめられた。自分は日本に帰ってきて知能が低くなったのかとさえ錯覚を起こした。「やってないんだから分からないのが当然なのよ」とはだれも言ってくれなかった。さらに悪いことに中学受験が重なり、ますます勉強は分からなかった。

そのような試練もなんとか切り抜け、自分の個性を否定し、日本で生き残るための偽りの自分ができかけたころ、父のカナダへの転勤が決まった。それは私に新たな人生をスタートするきっかけを与えてくれ、私はこの幸運の日本脱出を心から歓迎した。「またもとの自分に戻れる」というのが正直な実感だった。

しかしそれも束の間、私は再び名前との問題に直面した。高校に入り、出欠をとるたびに先生はまた私の名前のところにくると必ず止った。読めないのである。一生懸命読もうとするが正しく読めてない。そして次に先生は必ず私に何と発音するのかを聞くのであった。それが最初のうちは授業のたびに毎日繰り返されるのだった。正すことも面倒だった。自分の名前を正しく読んでもらえないつらさはやがて自分の名前に対する嫌悪感に変わっていった。

北米のようにファーストネームで呼び合う世界の中で、覚えにくい名前を持つことは断然不利であった。友達にも名前を覚えられないため、会っても名前を呼んでくれないのである。ましてやきらいなファーストネームをしょっちゅう呼ばれるのもいやだった。早く友達の中に溶け込みたかった。覚えやすい名前であれば受け入れてもらえると思った。

 Noraとの出会い

そのような暗く、孤独だった私にある友人がたまりかねて「ノーラ」と言う名前を付けてくれた。「ノーラ」と呼ばれるようになってから毎日がうれしかった。先生が名前を覚えてくれると授業中当てられる回数も増えた。友達が名前を覚えてくれると"Hi, Nora"と声をかけてくれるようになった。あいさつもしてくれるようになった。なんともうれしかった。その響きがなんともここちよかった。その後私は性格も明るくなり、成績も上がった。持ち前のひょうきんさと積極性が買われ、生徒委員長に選ばれるほどの人気を得た。

「ノーラ」という名前で生きた私の人生は自信に満ちたものであった。さまざまな成功を収めたのもこの名前のときであった。アメリカから帰国したときは自分を殺して生きていかなくてはならなかったが、カナダでは自分を取り戻すことができ、たとえ最初の内は学業の面でもことばの面でも遅れてはいたものの、そこでは自分が受け入れられ、自分らしく生きていけるスペースがあった。覚えやすい名前は呼ばれる自分にとってもまた呼ぶ相手にとっても共存をスムーズにする潤滑油のような働きをする。

 覚えやすい、簡単な名前

第3の理由はバイリンガルに育った私は世界中に友を持っている。これからも地球の隅々に友を得たい。また通訳という仕事上でも比較文化の評論執筆業でも私がグローバルな視野をもって引き続きこの先も活躍することはおおいに予想される。そのためにもどの国の人からも覚えやすい簡単な、国際的な名前こそ自分にとって有利だと信じた。

ちなみに「コーリ」という名前はカナダ、アメリカ、イギリス、インド、マレーシア、アラブ首長国連邦にもある。そして「ノーラ」はイプスンの「人形の家」の主人公の名としても世界的に有名である。また偶然にも私はこの主人公に似た性格を持っている。家の中だけに留まらず、どんどん目を外に向け、外へでていく性格である。

 バランスの悪さ

その他、小さな理由としては名前のバランスの悪さにびっくりしたのだ。私の両親がつけた名前は「郡」という一文字の下にバランスよく3文字をつけたのだ。もちろん考えての末だ。しかも夫はその逆で、名字が3文字だったのでそれとのバランスを考えて両親が1文字の名前をつけたのだ。私の両親もまさか娘が3文字の名字を持つ伴侶を選ぶとは夢にも思わなかったのだろう。

さて、夫の「◇◇◇」という「姓」と私の改名前の三文字をあわせると、漢字が六文字も連なり、日本では非常にバランスが悪く、ほとんどこのような名前はどこをさがしても珍しいのだ。あっても数えるほどだ。

 身を守るために

私はおそらくこの名前を表に出すことによって自分の身を守っているのだと思う。全くの日本人と思われて、実際そうじゃなくてその隠しようのないショックを人々は「理解できないものを排除」することに自ら、そして日本社会を守ろうとした。私は排除されようとする力の中で、自分もこの国に生まれ、この国の人間として生きる権利があると必死に抵抗した。戦った。けれどそれも疲れてきた。一番てっとり早い方法は最初から私は「日本で生まれ育った日本人ではありません」と宣言することだった。それによって相手は私を普通の日本人として扱わず、理解を示し、見方を変えてくれる。私自身もそのように受けとめられないことによって傷つけられず、また相手をも傷つけない。

(余談)それにしても海外で長いこと育ってきた人達はどこにも属さないだけに実態がつかみにくい。本当にその人をよく知らないとちょっとした会話の中にもずれが生じてしまう。「煮物なんか作るの?」「日本の雑誌読めるの」とくだらないような質問を繰り返していくうちにこの人がどの程度日本人の像を持ち、どの程度育ちの国像を持つかが分かってくる。

 名前は私のアイデンティティー

そして最後に最も大きな理由として、私が「ノーラ・コーリ」という名前を10年以上愛し、使用し、この名前こそ「私」であったことだ。同じところに3年以上住んだことのないルーツレスの(根のはっていない)私にとって、名前こそすがることのできる唯一のアイデンティティーであった。夫の名字になり、嫌いで使っていなかった形式上のみになっていた私の日本名を戸籍紙上で見たとき、そこに自分はいなかった。旧姓を失い、「ノーラ」という今ある自分の名をも奪われることは完全に自分自身をも失うことであった。

 どうやって改名したか

家庭裁判所に改名を申し立て、夫からも支援を得、この名前を10年以上公私に渡り実際使用していた証拠となる数々の書類を揃えた。裁判官の前に立って、事情を説明した。その結果、戸籍上の名前として「ノーラ・コーリ」が認められた。自分が選んだ、自分に最も適した、愛することのできる名前が法律的にも認められた。その喜びは自分が自分として認められた喜びであった。

 名前を変えてハッピー

それ以来、私の人生はより一層自信に満ちたものになった。個性を貫くことは周囲から高く評価されることであると私は教育された。とかく皆と同じであることに不安を覚える自分にとって、自分が皆と違うということは、時に勇気を与えてくれる。私の名前を聞いて首をかしげる人にはすすんで自分の名前の由来を説明している。生粋な日本人であり、日本人と結婚した、日本国籍保持者であるが、ちょっと複雑な体験をしてきたこのような自分でも一生懸命ここに生きていることを少しでも理解してもらいたい証である。

しかしたった一つ問題があることに改名後、気がついた。「石橋を叩かずに渡る」私の悪い習性である。それはもし離婚した場合、あるいは法的に夫婦別姓が実現し、旧姓に戻った場合、私は「ノーラ・コーリ・コーリ」となる。もう改名は「コリゴリ」といったところだ。これこそ笑われてしまう。

また家族が一つの名字を持つことによって生まれる絆も私にとっては無視できないものである。だから私の家族が家族として愛しあい続ける以上「◇◇◇」の名字は持ち続けると思う。時と場所を考慮しながら「◇◇◇」姓を名乗ったほうが有利なところではそのようにしている。おそらくロマンスを求める私に、淡白な夫と一生連れ添うために仕組んだ神様の計画なのかもしれない。

 なぜカタカナ名なの?

またカタカナ名だから日本人だと思わなかったとよく言われる。本がでたときも「この名前じゃ、なんだか(名前とは)わからないですよね。」と編集者から言われた。そうか、日本ではカタカナでは名前だということすら分からなかったり、そもそも日本人ではないとみられることで不利なことが生じるのか、と知らされた。そこまで考えてもいなかった。つまり本を求める日本人消費者がどのようにこの名前をとらえるかということを私はあまり考えていなかった。

単に今までカナダで呼ばれていた英語で書いていた名前をカタカナに置き換えたというだけの単純な発想であった。逆に漢字を当てたところでまるで国際結婚をした「恵子ギャモン」や「キャロル松下」のようにとらえられるだろうし、それこそ間違った印象を与えてしまうと思った。漢字、ひらがな、カタカナ、カタカナと漢字、とチョイスは4つあったのかもしれないが、やっぱりどう考えても両方を平等にカタカナで通すしかなかった。

私は自分を日本人であることをどこかで否定しようとしているのだろうか。いや、私はどこからみても日本人に見える。日本語も流暢に話す。そう、両親も日本人だ。日本国籍を有する者。亭主関白の日本人をベストフレンドに選んだ。どこをとってもやはり日本人だ。私の中の日本人の部分はかなり大きい。日本も好きだ。日本が好きだと言う大きな理由は、自分はこの国だからこそ生かされていると感じるからだ。日本がいやで一時はカナダに移住することも真剣に考えたが、やはり私は海外で得たもの、ものの見方にしてもこの日本で必要とされていると感じる。もしカナダに住んでも私は単にたくさんの変わった人間の一人に埋もれてしまう。しかし日本では自分が他と違うということを強く認識させてくれる。私は海外で何を教育されたかというと individual であれ、originality で迫れという精神であった。そのためにも私は自分を必要としてくれる国で生きていきたいのだ。もっともっと日本人のために働きたい。日本食とくれば、抹茶、いくら、煮物、いちご、なし、巨峯、白菜漬けと大好きだ。日本の四季もこの治安のよさも、露天風呂も、教養の高い国民も大好きだ。自分のサイズもこの国にマッチしている。そもそも一番のよい証拠がここ日本に住んでいることだ。日本に生まれ、日本人に生まれて本当によかったと思う。

しかし、私は完全な日本生まれ、日本育ちの、日本人とはやはり違う。そんな点からやっぱりカタカナ名をみて、そこのところを察してもらってもいいのではないかと思う。会ってみて、話してみて、やっぱりこの人ちょっとずれてるなと思う前に私の名前がそこのところをすでにカバーしてくれるのだから便利この上ない。

と、まあ、自分の都合だけを並べて見たが、けっこう家族のものは迷惑こうむっているようだ。娘にとって私はあくまでも母親でしかない為、「マミーの名前が変だから、学校で外国人、外国人ってありちゃんいじめられてんだからね。」とか、同居人は「周りに説明するのに本当にやっかいだ!」と文句たらたらである。しかし名前に関してはどうしても譲れないので少々我慢してもらうしかない。娘もいつかは私を理解してくれるであろう。名前とは別な面で私を見れるようになるだろう。

 こども達の名前もインターナショナル

さて、子供達には将来を見越して、あえて国際的で、日本人として漢字も当てられる名前を選んだ。さらに私がクリスチャンであることもあり、是非聖書の中に存在する名前をつけたかった。また私のルーツを残すために「郡」の姓を文字ってミドルネームも加えた。

そして息子は日本国内名を「◇◇◇ 由也」(◇◇◇◇よしや)とし、インターナショナルな名前を'Joshua Cory ◇◇◇' とした。娘は日本国内名を「◇◇◇ 有沙」(◇◇◇◇ありさ)、インターナショナル名を 'Alicia Corinne ◇◇◇' とした。そして本人が将来名前を変えたいといったら私はおおいにサポートするつもりである。

 みんな好きな名前で呼ばれればいいんだ

親はこどもがうまれたときに将来の希望を託した名前をつける。しかしその子の人生は親の理想とはうらはらに独自の人生を歩み、さまざまな環境を通って成長する。その過程で名前が本人に合わないとか本人がきらいということも当然でてくると思う。そんなときやっぱり人は自分が最も呼ばれてうれしい名前で呼ばれることが幸せなはずである。

私達は生まれた時に名前を選ぶ権利を持っていない。一生つきまとう名前であるにもかかわらず、生まれた時点でもう身動きが取れないのである。自分の名前であるにもかかわらず両親の意向によって勝手につけられてしまうのだ。どんな名前をつけられようが、オギャーしか言えない赤ん坊は反発するすべも持っていない。だからこそもしその名前が自分に悪影響を及ぼしているのならこれは名前を変える正当な利用となるはずである。

今私の日本名を呼ぶ人は家族と親戚のみに限られている。そしてそれは通称として呼んでもらって全く構わないと思っている。なぜならば彼らにとってはいつまでも私は小さな、「◯◯チャン」なのであるから。その気持を私は大切にしたいと思うからである。

名前は本人のものである。繰り返すようだが呼んでもらいたい名前で呼ばれることが人間にとっては何よりも幸せなのである。呼ばれてほしい名前で呼ぶことが相手を人間として尊重することでもある。だから name calling  はれっきとしたいじめである。また本来人間は自分がのぞむ名前で呼んでもらう権利もある。北米人が必ず聞くように "How can I call you?",彼らが必ずいうように"Please call me Jenny."。呼ばれたい名前を自分で決めてよいのだ。

  

 たかが名前、されど名前なのである。

2000年2月 

ノーラ・コーリ 

 

 

 

<参考資料>

同姓強制は世界の中では少数派

 選択自由

<双方の姓、結合姓から選択>

米国、イギリス、オーストラリア、スウェーデン、

ウクライナ、中国

<双方の姓から選択>

デンマーク、ノルウェー、チェコ、ロシア、

ルーマニア、キルギスタンなど

 夫不変妻選択

<双方の姓、結合姓から選択>

オランダ、ハンガリー、ポーランド、イスラエル 

<妻の姓、結合姓から選択>

ブラジル、台湾

<夫の姓、結合姓、夫の姓にミセスを付けるから選択>

フィリピン

<結合姓のみ>

イタリア、アルゼンチン、ペルー

 別姓

<別姓のみ>

カナダ(ケベック州)、スペイン、韓国、北朝鮮、

サウジアラビア

<結合姓も可>

ポルトガル,ドイツ

<結合姓もでき、妻は夫の姓を使える>

フランス

 同姓

<どちらかの姓を共通姓に>

結合姓も可…………………ドイツ(親のみでこどもは認められない)、オーストラリア

共通姓のみ………………日本

<夫の姓を共通姓に>

妻に結合姓を認める…………スイス

共通姓のみ……………インド、タイ

 

こんな私、やっぱり変わってますか、よかったらお便りください。みなさん自身の名前を考えるきっかけになればと思いました。

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