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投票練習? |
2007年7月02日 | |
またまた朝日新聞の「声」の欄に、創価の選挙がらみの投書が掲載された。 とりあえずは、新聞紙面そのものをご覧いただこう。 |
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見えにくいかも知れないので再掲する。(太字部分はサイト管理者) |
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「信仰の場」で選挙活動とは 専門学校非常勤講師 仲田 征夫 (栃木県西方町 62歳) 今月中旬、創価学会の会館で開かれた地区座談会に誘わ れて参加し、信じられない光景を見た。 座談会には約30人が参加し、終了後もほとんどの人が残った。 女性幹部が「これから参院選の投票練習をします」といい、 投票用紙大の白紙を2枚ずつ配った。 1枚には公明党推薦の候補者名を、もう1枚には公明党と 書くよう指示。書き終えると、幹部が1人ずつ点検していく。 「もっとはっきり書いて下さい」と注意された人もいた。 読経をし、仏教哲学を学ぶ信仰の場が座談会という。 私は知人に頼まれ、福祉や青少年問題の話をするため出席した。 年金問題に取り組む公明党の活動PRの紙芝居もあり、 「民主党の菅直人代表代行が厚生大臣だったときに 今の制度が作られたので、責任は菅代表代行にある」と幹部は説明。 1時間半ほどで終わり、投票練習があった。 税金を免除されている宗教法人の会館で、堂々と特定政党の 選挙活動が行われていることに疑問を持った。 そして、幹部からの指示と情報に従って行動する生き方は、 私には理解できなかった。 (朝日新聞 2007年06月25日) |
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またしても反論が1週間後、同欄に掲載された。 まことに批判に、敏感に反応する団体である。 見えにくいかも知れないので再掲する。(太字部分はサイト管理者) |
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投票の練習で無効票減らし 主婦 大門 洲美子 (茨城県城里町 67歳) 『信仰の場』で選挙活動とは」に一言申し上げたい。 宗教団体が政治活動することは憲法上なんら問題はない。 言論や表現の自由として尊重されるべき物である。 参院選だと、選挙区と比例区がある。 せっかく投票に行っても間違えて逆に投票したり、 名前の漢字を間違ったりして無効になってしまう票も多いという。 投票練習はこうした無効票をなくすための取り組みである。 本来は行政がやるべきであろう啓発の教育活動であり、 選挙運動ではない。 1人ひとりを大切にしており、 それぞれの1票も大切にしようと言う活動である。 わたしも会員である創価学会は仏教の教えを根本に、 平和と文化、教育を推進する団体である。 会館では祈ったり、仏教経典を学んだりするのは当然で、音楽活動もする。 第九の「喜びの歌」や「赤とんぼ」も歌い、舞も披露する。 専門分野の人の話を聞くこともある。 これと同じようにわたしたちは政治も学習するなぜなら、 民衆は常に「政治を監視する」と言う目を 養っていかなければならないからである。 (朝日新聞 2007年7月1日付) |
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奇しくも同じ日、もうひとつの問題提起の投書があった。 これも見えにくいかも知れないので再掲する。(太字部分はサイト管理者) |
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選挙近づくと集票の場所に 医療法人役員 伊藤 哲儀 (千葉県富里市 61歳) 『信仰の場』で選挙活動とは」に同意します。 数年前、弟の薦めで創価学会に入会しました。 仏教哲学を自分の人生に取り入れたくて、 時間の許す限り座談会に参加しています。 私は今春、市議選に無所属で立候補しました。 この選挙には学会が支援する候補者3人が出ていました。 地元幹部が我が家を2日続けて訪れたのです。 「家庭指導」だそうです。 私はしばらく座談会への参加を遠慮せざるを得なくなりました。 人の生き方は様々です。 宗教は迷える民に道しるべを与え、 まっとうな人生を歩ませてくれるものではないでしょうか。 学会のメンバーは老若男女、異なる職業の人たちです。 仏教理念に集う座談会は小さな仏道修行の場です。 そして、学会の今日の繁栄の源だと思います。 しかし、選挙が近づくと集票のために 電話を何回かけたかなど報告や確認の場にもなっている。 政治一色と言ってもいいぐらいです。 そして、支援する政党は、かつて非難した他党と手を組んでいます。 二股膏薬そのものです。失望しています。 (朝日新聞 2007年7月1日付) |
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3人とも創価信者である。 最初と最後の投書者は、内部からの告発である。 こういう人が出てきたということは、何を意味するのか。 朝日新聞というマスコミが、莫大な資金と人数をバックにした 巨大な組織が実質的に、今の日本を動かしているということに気づき このような意見を採り上げ「声」の欄を、議論の場として提供するようになった。 本来、聖教新聞や公明新聞の「声」の欄に、頻繁にこのような意見が掲載され、 当事者同士が意見を戦わせるという、民主的な組織であれば問題ない。 そういう意味で、内部からこのような「声」が、外に漏れてくるようになったことと、 朝日のこうした動きをするようになったことに意義がある。 マスコミとして、知りたい事実を読者に知らせる、という大原則を 忠実にその使命を果たそうとしている。 「不買運動が怖くてマスコミがやってられるか!」という気概を持って欲しい。 どおせ創価が朝日を買って読むことはないだろう。 何故なら、彼等は聖教、公明の新聞と、池田出版物に囲まれていて 他の活字を読む暇も、経済的ゆとりも、心の余裕も持ち合わせていない。 さて本題に入ろう。 二人目の投書「投票の練習で無効票減らし」に焦点を絞る。 まず「宗教団体が政治活動することは憲法上なんら問題はない」 その憲法とは、どのようなものなのか検証してみよう。 憲法20条 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。 いかなる宗教団体も国から特権を受け、 または政治上の権力を行使してはならない」 「いかなる宗教団体」とは宗教法人法に登録・認定された宗教団体である。 これには異論、違和感があろう。 実はあのオウム真理教も、この「いかなる」の中に入っていた。 そのために、あのオウム事件の後、この宗教法人法の改正が行なわれた。 正確には「改正しようとされた」が、当の宗教団体の反対にあい、 形骸化、ザル法化された。 この時の国会で、改正反対意見を述べたのが当時の秋谷会長である。 「国から特権」の部分も、靖国ではない、創価が受けている「特権」 これを感じている国民は多いはずだ。 「政治上の権力の行使」は創価・公明のためにある条文と言っても過言ではない。 さて、憲法違反の論議だが、創価首脳幹部の対談に如実に現れている。
こういうのを詭弁というのであるが、 これが創価の正式見解であるとみていいだろう。 ちなみに「原田」とは現会長の原田稔氏である。 全く理論的根拠も示せない、説得力のない暴論、感情論に終始している。 ガンジーはじめ、外国の有名人の言葉を借りているが 自分の主張を正当化する これも師匠・池田大作の常套手段そのままの手法で、 日本には日本国憲法で規定されており、日本人の国民的感情もあり 政治と宗教の関係は、外国と並列させて議論されるものではない。 それにしても「非の打ち所が無い学会の前進」よく言うよね。 さて、こういう首脳幹部の対談があって、 今回の創価婦人の反論投書があるといってよい。 婦人創価信者が、日本国憲法をどこまで勉強、理解しているのか きちんと解説できるのなら、それこそ「学会」という名称も認めよう。 ここに投書された意見は、一婦人部員の個人的意見ではない。 先に引用した対談そのままの論理の、受け売りであり、 まさに創価信者を代表しての、反論意見なのである。 おそらく「言論部」という特別なグループがあり、 そこのメンバーが、センセイの意を受けて作成したものを 一婦人の名前で投書したものと考えられる。 あなたの周りにいる創価信者に、同じ質問を投げてごらん。 判でついたように、全く同じ反論が返ってくるはずである。 各論にいこう。 「投票練習はこうした無効票をなくすための取り組みである。 本来は行政がやるべきであろう啓発の教育活動」については こういうのを開き直りというんであって、こんな言い訳を 全面支持する創価信者以外の、誰が納得するものか。 だったら「行政がやる」よう提案、運動し、そこに参加すればいい。 創価が独自にやっていいもんではない。 ましてや非課税の宗教施設で、本来の宗教活動以外のことを。 次に「民衆は常に政治を監視する」という思い上がり。 まず、自分たちを「民衆」の代表者、真っ只中だとの誤解。 創価信者は全く「民衆」とはかけ離れた、異質の人間集団であることは 本人たち以外の人が、みんなそう思っているということが解らないらしい。 君たちは「監視される」側にいることが理解できないらしい。 最後に三人目の創価信者「市議選に無所属で立候補」した人の件。 これは後日また詳しく説明しようと思うが、この人の不満は 「公明党ではなく、無所属で立候補」することの是非である。 そのため、2日続けて幹部が「家庭指導」に訪れたものである。 そして創価の会合に出られない状態にされた、所謂裏切り者扱い。 創価信者は、公明党以外の政党や無所属で立候補することも 公明党や、推薦された自民党候補者以外の人に、投票することも許されない。 そういう自由も全て奪われた非人間的集団、憲法違反教団なのである。 あるのは「池田先生のため」のみなのだ。 |
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