2013-07-04
■[弁護士業務][介護日誌]7月4日 特養66日目(判決言渡し、晩の面会、もう一仕事)
午前8時15分出勤。
メールが届いたのかどうか気になる2箇所に改めて送信。
9時半に事務所を出て、有楽町から東京駅へ。
10時20分発の「なすの」に乗車して、郡山へ。
駅構内のドトールに寄って、軽食をとってから、裁判所へ。
1時10分から同じ法廷で、同じ裁判官による地裁と家裁の各事件の判決言渡し。
依頼者と一緒に着席したが、裁判官は、蚊の泣くような小さな声。地裁事件の判決は、途中から外の自動車の音で、まったく聞こえない状態に。
裁判官が退廷されてから、法廷の中で、各担当書記官から判決正本の交付を受けた。
裁判所を出てから、コンビニで1部ずつコピー。
いつものレストランで、判決の内容についての確認と検討。
最後に訴訟委任状の用紙3通をお渡しして、4時頃駅前で依頼者とお別れ。
東京駅に着いたのは5時半頃。
バスを乗り継いで、特養へ。
夫は、ベッドで熟睡中。
介護士さんが、昼間面会に来てくださった○○さんからの品物を届けてくださった。
中身は、江東区のマンション管理組合から配布された我が家の分の、間もなく期限が切れる災害用の備蓄食料(乾パンと氷砂糖の缶詰3個とアルファー米の各種ご飯9個)。
7時に特養を出て、事務所へ。
31通のメールが届いていた。
ほとんどコマーシャル。
依頼者を含めて、親しい方からのは、3通。
他にFAX。
昨晩送信した準備書面案の検討結果。
修正希望箇所の補正をした後、裁判所と被告代理人宛にFAX送信。
依頼者にお礼と報告のFAX。
今朝送信したメールに対する返信が届いていた。
自宅のパソコンへのocnメール設定直後に送信したメールは届いていたそう。
10時10分に事務所を出て、最終バスに乗車。
一つ前の停留所で降りて、マルエツに寄り、自宅用と事務所用のトイレットペーパー2包みを買ってから、帰宅。
2013-07-03
■[弁護士業務][介護日誌]7月3日 特養65日目(遠方への出張の前日)
今朝も8時前に出勤。
準備書面の起案の続き。
10時頃、明日判決言渡し予定の家裁支部の担当書記官から当方の依頼者3名のうち1名の住所が変わったということを、地裁支部の方から聞いたが、家裁の方に住所変更届けが出ていないので、至急送ってほしいというお電話。
急拠上申書と文書送付書を作成して、FAX送信。
10時半に事務所を出て、特養へ。
夫は、ベッドから車椅子に移されるところ。
昨日と同じ場所に着席。
まもなく看護師さんが見えて、栄養の注入開始。
夫は、眠ったまま。
夜中に眠れなかったのだろうか。
12時に滴下終了。
ほかに御用があったのか、「遅くなってすみませんでした」といいながら看護師さんがチューブを外しに見えたのは、12時35分。
夫は、ようやく目を覚ましてくれた。
ロビーのテレビの見える場所に着席させていただいてから、夫とお別れ。
明日に予定されていた泌尿器科への通院は、来週の10日に変更されたそう。この日は、10時から千葉地裁なので、付添いはできないので、宜しくお願いしますと相談員さんに頼んだ。
事務所に戻ったら、昨日の法律相談の件で、更に質問が出たので、よろしくというメール。
今日は、明日出張予定のため、今日中にやってしまわなければならない仕事がいろいろあって、時間の余裕が無いため、申し訳ないが、回答は明後日にさせていただく旨返信。
準備書面の起案の続きを始めたら、今度は、明日判決言渡し予定の地裁支部の担当書記官からお電話。
「先ほど家裁から○○さんの転居先として連絡を受けた住所が前にこちらに届けられた住所と違っているので、更に転居されたのでしょうか」との照会の電話。
「文書提出命令の申立て却下決定に対する即時抗告棄却決定に対する特別抗告の申立書提出の時点で、更に転居していた頃が判明したので、その旨の届出をさせていただいてあります」と返事。
「文提事件の記録の方まで見ていませんでいた」とおっしゃりながら、確認されたようで、「分かりました。有難うございます。」と言われてから、「明日は、判決の言い渡しがありますので、よろしく」と言われたので、「こちらこそよろしくお願いします」と言って、電話は終わり。
その後、依頼者に「明日は判決の言い渡しがあるということなので、その時刻の10分前までに裁判所においでください」と電話連絡。
5時前に準備書面の起案が済んだので、この事件の依頼者にFAX。
誤記など見つかったら連絡してほしいが、明日は1日出張で事務所に戻るのは夜遅くなる予定なので、提出は明後日にさせていただく旨連絡。
明日の面会は、出張先から東京に戻ってから特養に直行ということになるので、午後6時過ぎからの予定。
どんな内容の判決になるのだろうか。
■[弁護士業務][時の話題][介護日誌]7月2日 特養64日目(お中元、メールどちらもOKに、予定表、コピー2000枚)
昨晩自宅の郵便受けに届いていた不在連絡票を持って、7時頃勝どき三丁目のクロネコの集配センターへ。
冷凍品なので、紙製の箱の表面には、水滴。
昨年他界された夫の弁護士開業間もなくの依頼者の奥様からのお中元。もうご心配は結構と昨年の暮れにお歳暮をいただいた後お願いしたのだが・・・。
そのままバスに乗って、事務所に出勤。
箱の中身は、吉兆の鰻のお茶漬セット。
いただいた品物を冷凍庫に入れてから、事務員席のパソコンにocnアドレスのメールの設定。今度は1回でOKに。
これで、従前事務所でしか送受信できなかたocnアドレスのメールが、事務所と自宅のどちらでも送受信できるようになった。
その後、家事調停事件の答弁書などを家裁に郵送。
10時15分に事務所を出て、特養へ。
10時50分到着。
今日はお風呂の日なので、ベッドでの栄養注入かと思っていたが、夫は、既に、ステーションの前のテーブルに着席していた。
間もなく、看護師さんが見えて、栄養の注入開始。
このテーブルに昨日座っていたおばあさんがお隣に着席したので、「今日は」と声を掛けたが、お返事なし。
車椅子を押して来られた介護士さんに、「○○さんと一緒にこの席に座りたいのに・・・。この2人(私達のこと)を向こう(窓側)に移動させれば」などと言っている。
既に栄養の注入が開始されているので、注入台と一緒の移動でなければならないので、黙っていたら、介護士さんが、そのおばあさんを窓側に連れて行った。
夫は、終始知らん顔。
その後、朝日と読売の記事を見てもらい、右手のマッサージも。
11時50分ころ、チューブを外していただいた。
私だけ部屋に行って、今週の面会の予定表をロッカーの壁に貼ってきた。
ロビーの様子を見たら、テレビの前に空席があったので、夫をそちらに移動させてから、近くにおられた介護士さんに、これで失礼しますので、後をよろしく」と声をかけたら、「奥様、今週の予定表がないので、よろしく」と言われ、「今貼って来ました」と答えたら、にこにこされて、「ありがとうございます」と言われた。
見ていて下さっていることが分かった。
清澄通りの食料品スーパーで買物をしてから、事務所へ。
来週の事件の相手方代理人から準備書面が届いていたので、依頼者にFAX。
メールの確認をしたら、顧問会社の社長さんからの法律相談のメール。
間もなく、来週の事件の依頼者から陳述書案のFAX。
誤記などの補正のお願いのFAXを送信。
その後、2回FAXの往復。
法律相談の回答も間もなくメールへの返信で完了。
4時頃から私が原告の事件で、書証として提出予定の前件の訴訟事件の記録の裁判所と被告用の写し2通分のコピー取り。
約2000枚近くのコピーを取り終ったのは、7時半ころ。
疲れたので一息。
メールを確認したら、法律相談のお礼とその内容が会社とは関係のないご親戚の方からの相談ということで、ご親戚の方が相談料を払いたいので、金額を教えて欲しいとおっしゃっているという内容。
サービスということで、相談料のお支払の必要はない旨返信。
間もなく提出予定の準備書面の起案の続きの作業の後、ゴミを外に出してから、最終のバスで帰宅。
同窓会関係の知人からのお中元の品(ゼリー、あんみつなどの詰め合わせ)が宅配ボックスに届いていた。
2013-07-01
■[弁護士業務][介護日誌][大学の同窓会]7月1日 特養63日目(準備書面と書証提出、税理士業務の初仕事(更正の申出)成功、ショートステイの方が増えた、執行事件申立書郵送、久し振りに事務所で役員会、メールの設定に成功)
今朝も8時前に事務所へ。
執行事件の依頼者の担当者の○○さんにFAX。
8時半頃、電話で、「2時ころ伺えると思います」とのこと。
別件の準備書面と書証を裁判所と被告代理人宛にFAX.
送信ボタンを押した瞬間、電話のベル。
◎◎さんから、「先生に手続していただいた更正の申出の通りの内容で、税務署から減額更正の通知書が届いていました」という連絡。「良かったですね」と申し上げて、FAXの送信がうまくできたか気になっていたので、その旨説明して、電話を切らせていただいた。
FAXの方は、大丈夫だった。
その後、執行事件の書類のコピーをとるなどしてから、10時15分に事務所を出て、特養へ。
部屋に入って夫に「おはよう」と声を掛けたが、ぐっすり眠っていて、目を開けず。
間もなく、担当の介護士さんほかお二人、合計3人見えて、夫を車椅子へ。
夫は、ベッドでは眠っていても、車椅子に座らされた瞬間からキリッとした表情になって、見違えるようになる。
今日もステーションの前のカウンターの席に。
その反対側のテーブルには、ショートステイの方々が何人も並んでお食事。
ラジカセからお琴の演奏。どなたかのご家族がCDを持って来られたのかなと考えていたら、ラジオの番組だった。
面会は、昨日と同じ内容で、12時半過ぎに夫とお別れ。
帰りのバスを築地で降りて、京橋郵便局で、執行事件の申立てに必要な収入印紙の購入。
すぐ傍のローソンで、昼食用にサンドイッチを買った。
事務所に戻ったのは、1時35分。
大急ぎで、サンドイッチを半分いただいてから、○○さんに押印などしていただく書類の準備と郵送用のレターパックの宛名書きと送付書の作成など。
2時丁度に○○さんが見えて、まず押印など。
その後、お茶を飲んでいただいてから、必要書類として交付を受けた書類の説明など。
本日私が購入した収入印紙(手数料と登録免許税)の代金は、請求書をお送りするので、後日振り込んでいただくようお願い。
○○さんが帰られた後、書類を揃えて、レターパックに封入後、投函。
私の机の上のパソコンは相変わらず。
来週の事件の相手方代理人から準備書面。
依頼者にFAX送信。
4時から打合せ室のテーブルの上に置いてあった書類全部を、応接室のテーブルと椅子の上に移動させて、6時半からの大学の同窓会の役員会の準備。
5時に事務所を出て、三越の地下2階へ。
天むすとお料理の観劇用のお弁当を12個購入。
事務所に戻って、お弁当を置いた後、コンビニに行って、冷えたお茶とオレンジジュースの大瓶を4本購入。
一息ついたところへ、次々皆さんが見えて、丁度12名に。
会議が済んだのは8時半。お弁当は、皆さんお土産に。これから有楽町で二次会なのでしょう。
私は、テーブルの上を片付けてから、事務員用のパソコンへのocnアドレスのメールの設定作業の試み。
ocnのホームページを開いたら、パスワードが不明の場合の対処方法についての説明。その作業中、最終バスの時刻が近付いたので、資料を鞄に入れて、帰宅。
自宅のパソコンで設定作業の続き。
12時近くなって、成功。
その瞬間、☆☆さんからのメールが届いていたことが判った。
返信がないので、心配されていたに違いない。
早速、返信。返事が遅れた理由の説明とお詫び。
明日の朝、事務所の事務員用のパソコンにもocnアドレスのメールの設定をする予定。
これで、仕事の支障はなくなる。
■[弁護士業務][介護日誌]6月30日 特養62日目(パソコンの不具合で、メールの送受信が不能に。宅急便の配達待ち)
今朝も7時半に出勤。
ドアの前で、部屋の中のパソコンのうなり声が聞こえた。
いつからうなり始めたのだろうか。
一旦電源を切って、もう一度電源を入れてみたが、同じ状態。
何度やっても同じ。
今朝は、執行事件の依頼者の担当者の○○さんから事務所に見える時間の連絡があるはず。
8時頃会社に電話したら、ご出勤は9時頃とのこと。
9時に電話したら、今日はお休みだそう。
次に、陳述書案をメールで送信していただくようお願いしていた◎◎さんにFAXで、これこれしかじかの理由で、○○○アドレスでのメールの送受信ができない状態になっているので、事務所へのご連絡は、FAXか電話でお願いしたいという連絡。
一昨日の晩に配達を頼んだコピー用紙が11時になっても届かないので、ドアの外側に「外出しますので、ビッグカメラからの品物はドアの外に置いて行ってください。1時半までに戻ります」と書いたメモを貼り付けて、特養へ。
特養に着いたのは、11時40分頃。
到着が遅れるという電話をしてあったので、夫は、ほんの少し前に車椅子に移って、ステーションのカウンターの前に着席したばかりようで、まだ栄養のチューブは接続されていなかった。
間もなく、看護師さんが見えて、栄養の注入開始。
新聞2紙に目を通してもらった後、右手のマッサージ。
チューブを外していただいた後、車椅子を押して、ゆっくりフロアの散歩。
そして、ロビーのテレビの近くに車椅子を移動させてから、夫とお別れ。
事務所に戻ったら、郵便受けにクロネコの不在連絡票。
ドアのメモを見てもらえなかったよう。
部屋に入って、すぐドライバーへの電話で、再配達の依頼。
「すぐ伺います」と言われたが、5時近くなっても配達がないので、確認の電話。
間もなくコピー用紙2箱(500枚入り10冊)が届いた。
複合機の隣のパソコンで起案をしながら、私の机の上のパソコンの電源を入れたり、切ったりの繰り返しを何度も。全く起動せず。
いずれ修理の依頼をしなければならないが、今一番困っているのは、メールの送受信ができない状態であること。
事務員席のパソコンへのメールの設定を試みることに。
niftyアドレスの設定は、すぐにできたが、このパソコンも前と同様、受信はできるが、送信は駄目。
ocnアドレスの方は、パスワードが不明で、設定できず。NTTとの光ファイバーの契約をした時の資料を見つけて、この中に記載されているメール関係のパスワードを入力してみたが、それではないよう。
最終バスの時刻が近付いたので、起案中の事件の記録を持って、帰宅。
2013-06-29
■[弁護士業務][介護日誌]6月29日 特養61日目(パソコンのファンが止まらなくなった、71歳の方に大きな拍手、株主総会)
いろいろ仕事があるので、6時半に家を出て、事務所へ。
パソコンのスイッチを入れたら、いつもと違う音がして、画面はいつまでも黒いまま。本体の後ろから風が吹き出している。何度かスイッチを切って、やり直してみたが、同じ。
諦めて、複合機の隣の席のパソコンを起動させて、本日持参する委任契約書の用紙の作成など。
このパソコンには、メールの設定をしていないので、メールの確認ができない。
困ったなと思いながら、もう一度私の部屋のパソコンのスイッチを入れたら、今度は、うまく起動。
○○さんからのメールが届いていたので、返信。
執行事件の依頼者の担当者からのメールを待っていたが、今日はお休みなのか、届かず。
月曜日に提出予定の準備書面の起案。
10時15分に事務所を出て、特養へ。
夫は、ベッドで、目を覚ましていたが、私が「おはよう」と言った途端、眠ってしまった。 11時ちょっと前に介護士さんお二人が見えて、車椅子へ。
今日も、ステーションの前のテーブルに着席。
テーブルの前の壁には、昨日貼られた音楽会の写真。右側の一番上に、夫と私の写真。
間もなく看護師さんが見えて、栄養の注入の開始。
新聞記事は、まず練馬の事件。
シルバー人材センターの71歳のおじいさんの素晴らしい行動についての説明から。
若い人だったら、一目散に逃げてしまっただろう。
私と同い年、「偉いね」と何度も夫に。
栄養チューブを外していただいた後、夫をロビーのテレビが見える席に移動させ、介護士さんに「後をよろしく」とお願いしてから、夫と別れて、事務所へ。
松屋の地下一階で買って来たお弁当をいただいてから、準備書面の起案の続きなど。
4時15分に事務所を出て、松戸へ。
6時から顧問会社の株主総会。
8時半頃、社長さんご夫妻に駅まで送っていただいて、東京へ。
事務所に寄っても15分程度しか居られないので、駅前からバスで自宅に直行。
郵便受けに山一でお世話になった☆☆さんからのお手紙。
8月31日のオペラシテイメモリアルホールでの定期演奏会のご案内。
今年の1月に軽い脳梗塞を発症されたそう。 いつもの皆さんに連絡して、チケットの申込みをさせていただく予定。
2時開演なので、特養での面会を済ませてから行けば十分間に合う(昨年は、面会を休んで伺った。)。とても楽しみ。
2013-06-28
■[弁護士業務][介護日誌]6月28日 特養60日目(水分の点滴と胃ろう,歌舞伎についての質問,お風呂の日だけど離床,謄写記録受領,コピー用紙5000枚の購入)
今朝も,4時50分に起床。
5時15分にドアを開けたら,新聞が届いていた。
おかしいと思った記事。
「認知症で終末期,望む治療は」
「点滴47% 胃ろう6%」
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201306270606.html
「点滴」というのは,500ml末梢静脈へのほとんど水だけのもの。生命の維持に必要なカロリーと不足の水分は自分の身体から供給ということになるので,みるみる痩せてきて,骨と皮ばかりの状態となったところで,死亡。
「胃ろう」は,胃に開けた小さな穴に接続するチューブから栄養を直接胃の中に注入する方法で,この方法をとることができるようになれば,必要な栄養と水分の摂取が可能になるので,ほかに病気がなければ,健康状態の回復と維持が可能になる。
「点滴」と「胃ろう」についての十分な説明がないまま,いきなり,どちらか選択するように言われて,的確な回答ができる人は,ほとんどいないと言っても,過言ではない。
口から食べにくくなった人に必要な栄養を与える方法としては,他に中心静脈からの点滴(こちらは水だけでなく必要量の栄養の注入が可能)や鼻からチューブを入れて,必要な栄養と水分を注入する方法もあるので,いきなり胃ろうというのではなく,こうした方法で暫く様子を見てからということも可能。
末梢静脈からの500mlの点滴は,口からの栄養の摂取が困難になった人をごく少量の水だけ与えながら半月から長くても1ヶ月半くらいの時間をかけて餓死させてしまう方法。
私の夫は,既に胃ろうからの栄養になっているので,安心だが,私が突然死亡というような事態になったら,恐らく,夫の兄弟姉妹や甥姪達は,経済的な理由から,胃ろうを外して欲しいと希望するようになるのではないかと懸念される。夫が天寿を全うできるまで,どんなことがあっても私が元気でいて,夫の命を守り続けてあげなければならないと考えている。
今朝も,8時前に出勤。
午後2時から打合せ予定の事件の準備。
9時過ぎに,別件の相手方から電話。当方の依頼者への急ぎの伝言を頼まれたので,依頼者にメール。
10時10分に事務所を出て,特養へ。
1階で,担当の相談員さんに会ったので,「歌舞伎の案内がこちらにも届いていると思いますが,もし短時間でも観に行かせていただけるようでしたら,私も夫と同じ日になるよう申し込みたいので,申込み期限の18日までに,どんな予定になるのか教えていただけると有難いのですが」と申し上げたら,「毎年少人数の方しか行かれていないようですが,確認してからご連絡させていただきます」とのこと。
来週から車椅子での外出許可の手続をとって,少しずつ外での散歩に連れて行けるようにして,9月の敬老大会への参加がOKになるよう,夫の協力を得ながら,努力してみることにしよう。
8月10日の東京湾大華火大会も見せてあげたい。こちらの方は,特養のすぐ脇の朝潮橋の上でも見られそう(本当は,自宅に連れて来て,バルコニーから見せてあげたいのだが,私一人の介助での外泊は,まだ無理)。
部屋に入ったら,亡くなられた方のベッドに早くも新しい方が入られたようで,入口に新しい名札も。
今度の方も,お話がよくできて,車椅子をご自分の手と足で動かしての移動も可能な,夫よりも若く見える,体格の良い,お元気そうな方。
11時頃,看護師さんが,「離床はまだでしょうか」と尋ねに来られた。
「今日はお風呂なので,疲れるといけないということで,離床はなしということになっているのかもしれません」と答えていたら,介護士さんが見えて,「遠藤さん,車椅子に移りましょう」と言ってくださって,もう一人見えた介護士さんと一緒に車椅子へ。
ステーションの前のテーブルに着席して,すぐ栄養の注入開始。
自宅から持参した朝日新聞とステーションのカウンターに置かれていた読売新聞の両方から夫が興味ありそうな記事を選んで,見てもらった。
ロビーのテレビから「吉永祐介元検事総長が死亡」というニュースが聞こえてきたので,夫にその話も。
栄養の滴下が済んだ12時15分に,「これから仕事なので,後をよろしく」と介護士さんにお願いしてから,夫とお別れ。
月島から有楽町線で桜田門へ。
地裁の地下の郵便局で取り敢えず5万円の払戻しを受けて,1階の司法協会へ。
2件の謄写記録は出来上がっていて,料金は合計28485円(633枚)。
持参した風呂敷に包んで,日比谷線で事務所へ。
事務所に到着したのは,1時30分。
都税事務所からの公課証明書が届いていた。
冷蔵庫のカステラ2切だけいただいて,2時に見えた依頼者との打合せ。
3時半頃依頼者をお見送りしてから,郵便を出しに行った帰り,「やるき茶屋」に寄って,日替わり定食(680円)をいただいた。
事務所に戻ってから,仕事。
やっておかなければならないことがいろいろ。
執行事件の必要書類がようやく全部揃ったので,週末を利用して申立準備を済ませる予定。
準備書面の起案などもさっさと片付けてしまいたいのだが・・・。
謄写記録を書証として提出するための写しの作成と証拠説明書の起案も大仕事(合議決定の前の期日に、追って前件の訴訟記録を書証として提出予定と言ったら、裁判官から、「全部を甲第○号証」として提出するのは駄目。書面ひとつひとつに枝番を付けての説明が必要」と言われたので、その方法での作業になる。)。
(追記)
6時に事務所を出て,有楽町のビッグカメラへ。
A4のコピー用紙,500枚入り,10冊を買って(4300円),配達を依頼(30日の午前中)。
事務所に戻ってから,仕事の続き。
執行事件の依頼者の担当者○○さんからのメールが届いていた。
「25日に郵送した書類に不備はないでしょうか」という内容。
○○さん作成の書面に押印がなく、代表者の証明書の添付書類に原本からの正写である旨の記載と署名押印がないので、事務所においでいただきたいと返信(土、日の私の予定を付記)。