<講演者>
松浦 茂樹 氏 (「ザ・ハフィントン・ポスト」日本版編集長)
川原崎 晋裕 氏(「サイラボ」編集長)
「Web周りの仕事は寿命が短い」
・IT技術の進歩による作業の自動化
・業界の成熟に伴う技術、ノウハウのコモディティ化
・海外人材の活用、クラウドソーシングによるコスト減
松浦氏:
ライティング・スキルは、これからどんどん希薄化されていくことになる。ある程度書けるのは当たり前で、これからは「瞬発力」やどれだけ読み手のこと「意識」して書いていけるかが大事になってくる。
川原崎氏:
広告営業なんかも、もうgoogleで充分だったりする。ほぼ完成しつくされている。
川原崎氏:
ゼネラリストとスペシャリストのどちらが息が長いと思いますか?
松浦氏:
もちろん個人差はあると思いますが、ゼネラリストかなって思います。50歳、60歳になっても第一線で活躍できるかという基準で考えると、どんな状況になっても高い質を一定担保できるゼネラリストの方が強いかなと。ある技術が終わったら、スペシャリストはどうなるかという部分は感じるが。
川原崎氏:
僕もゼネラリストかなぁと思います。だって、スペシャリスト見たら、絶対嫉妬するじゃないですか。(笑)「俺って何もできない」みたいに。
松浦氏:
そういう意味だと、80点以上のスペシャリストだったら生き残るだろうね。でも。50点程度だったら、ダメかもしれないね。
川原崎氏:
編集ができるプロデューサーは、日本にはまだいないと思っている。毎日深夜までネタ集めしているかとか、日常の吊り革広告で世の中分かってるかとか、しっかりとした編集力持っている人はいないんじゃないかなと思う。そういう意味では、ハイブリッドな人がいないのかな。
松浦氏:
TVのプロデューサーは「お金が集められるか」という評価観点がある。では、Webのプロデューサーはどうだろうか。「プレイング・マネジャー」みたいな人は、まだいない状況。
川原崎氏:
紙の人だと、どうしても視野が狭くなってしまう。
川原崎氏:
これが分かったら、僕が面白い奴ってことになるじゃないですか(笑)僕が目指しているのは、10,00人の50点より、100人の100点。
松浦氏:
僕は「真っ白」でありたいと思っている。堅い人々ではなく緩い雰囲気だと、言えるものがある。そして、なるべく僕のコメントが何かしら影響や操作を与えてはいけないとは思っています。理由はプロデューサーだから。編集長という肩書きだけど、実際はサイトへの導線を描く人だと僕は思っている。
そういう意味では属人的であることの意味はどうだろう
?
川原崎氏:
編集の属人性とコンテンツの属人性って、違うと感じますね。
職人とか、センスとか、そういうのが必要な世界かなあと思います。
松浦氏:
他は全部機械がやってくれたりする。人間として勝てるのは絶対に何かある。
川原崎氏:
ちなみに、僕の会社は僕がプロデューサーで、編集長は別にいるんですよ。
松浦氏:
自分のところは肩書きがプロデューサーの人はいなくて、肩書きが編集長なのが僕。そういう意味ではやっぱり紙的な部分が強い媒体なんでしょうね。
川原崎氏:
この業界って、モデルケースがないんですよね。一番上の人で40歳半ばの方々ですからね。
松浦氏:
まずは
プロジェクトを、何がどうあっても支え、愚直にやり続ける。来年40歳になるけど、正直いまのポストで終わりかは分からない。
川原崎氏:
これは
やっぱり、ハイブリッドであることだと思う。本当、これに尽きるんじゃないかと。あとは、自分が携わるもの全てに、責任がもてるかどうか。成果物が最終的にイケてなかったら、その理由がどうあれ、全部自分のせいだと思った方が良い。
松浦氏:
もう
評価経済の時代ではない。パイがどんどん小さくなってるんだから、そいつ自身が滲み出ていなかったら生き残れない。