特集

2013 参院選とうほく

参院選に思う 諦めは犠牲を無にする 鈴木素雄編集局長

 ちょうど1カ月前、青森市で大学生相手に話をする機会があった。福島第1原発事故の影響で、福島県では15万人が避難生活を強いられている現状を紹介。「福島県民の多くは脱原発を切望している」と述べた。
 1人の男子学生が質問に立った。「日本は原発なしではやっていけない。現実問題として無理がある」。原子力関連施設の立地地域として同じ道を歩んできたのに、東北の北と南とでは考え方に百八十度の開きがある。無論その原因を、過酷事故経験の有無に求めるのは簡単だ。だが、本当にそれだけか。
 参院選が公示された。大震災後に聞かれた「絆」という美しい大合唱は、2年4カ月を経て「分断」に変調した。対立を調整して合意を形成するはずの政治が権力闘争にふけり、むしろつながりを断ち切る役回りを演じている。エネルギー政策をめぐる混迷は、政治不在の当然の帰結である。
 避難生活が長期化している。希望する仕事が見つからない。町のほぼ全域を「帰還困難区域」と宣告された住民は、流浪の不安におびえる。株価上昇の余光は地方に届いていない。
 政治(家)が不信といら立ちの対象であることは今に始まったことではないが、特に被災者にとって「有権者」である実感は限りなく乏しかろう。無力感を私たちはどう拭えばいいのか。
 「立派ないわきをつくってくれ」。津波にのまれたいわき市のおじいさんは、救助に当たった消防団員にそんな遺言を残して波間に消えたという。福島市の詩人和合亮一さん(44)から教わった。
 犠牲者の無念に思いを致せば、私たちの1票は私たちだけのものでないことに気付くはずだ。「高台へ逃げてください」。防災無線で住民に避難を呼び掛け、帰らぬ人となった宮城県南三陸町職員の遠藤未希さんもまた、復興成った町を見届けたかったに違いない。
 この国をつくり替えよ、という彼岸からの声なき声が聞こえる。和合さんの言葉を借りるなら、犠牲者の「成り代わり」として、粘り強く選挙と向き合ってみる。政治に絶望するだけでは、死者の魂を鎮めることはできない。


2013年07月05日金曜日

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