【下地毅】「なぜ『あの日』を書かなかったのか」。山本富士夫さん(72)=福井市=は、亡父の胸中を考えつづけている。
父の武さんは1913(大正2)年、現在の鯖江市で農家に生まれた。日中戦争が始まった37(昭和12)年、中国大陸の戦線へ送られた。
2年後に帰国し、戦後も農業を続けた武さん。晩年、戦場で書きつけた陣中日記をもとに回顧録を原稿用紙に書き残した。84年に70歳で死去。翌年、「一兵士の従軍記録」として自費出版された。
「(捕虜を)ただちに殺すことを決め(略)刺殺する(略)胸がスーとして気持ちがよい」(37年12月11日)。「一般男子住民多数を捕らえてくる(略)全部殺してしまえとの隊長命令とか、補充兵の刺突訓練を兼ねて十数名を死刑執行する」(38年5月16日)。「町々で目ぼしい金品を強奪して来たり、姑娘を強姦したり、良民を殺害したり、皇軍軍人にあるまじき行動(略)なんと情ない兵隊か」(同年6月20日)
出版が当時おおきく報じられたのは、目の前で次々と死んでいく仲間の最期だけではなく、捕虜虐殺や食料強奪までをも赤裸々に書いたからでもあった。
しかし、この本にも書かれていないことがある。