天野進吾はどんな政治家ですか?
昭和44年の初め、学生時代からの夢でもあった「アメリカ」訪問を決断、たった一人で旅立ったのでした。懐(ふところ)には国が決めた持ち出し許可金額800ドルが1ヶ月の路銀全てでした。言葉の障害は強心臓に任せながらも、可能な限りの出会いを通して「アメリカ」の見聞に務めたのでした。
昭和62年、2期目に挑戦する52歳の市長に、45歳の私は徒手空拳ながら戦いに挑んだのでした。誰もが「無謀な戦い」と制止する言葉を振りはらい、私は確信を以って駒を進めたのでありました。
今、「あの時代は素晴らしかった」と振り返ってくれる市民の言葉が私の財産です。
天野進吾(あまのしんご)プロフィール
- 1967
25才 静岡市議会議員当選 - 1974
32才 静岡県議会議員当選 - 1987
静岡市長就任 - 1989
市制100周年記念事業 SUNPU博89
リバウェルIKAWAスキー場オープン
静岡市子どもミュージカル実施 - 1990
自転車条例施工
水・光・緑・音楽をテーマにした常磐公園完成 - 1991
静岡ヒューマンカレッジ開校
フランス・カンヌ市と姉妹提携を締結 - 1992
青葉ジンボルロード完成
アイセル21竣工
静岡ヘリポート開港
静岡大橋開通
大道芸ワールドカップ イン シズオカ開催 - 1994
JR静岡駅南口広場完成・ルノアール像誘致
静岡音楽館AOI竣工
心身障がい児者福祉施設「桜の園」オープン
静清バイパス用地買収完了
静岡市議会議員、静岡県議会議員、静岡市長等歴任。大道芸ワールドカップを始めとして「人の集まる街づくり」を目指し、自由な発想に基づく各種の施策を実現。地域の大いなる発展に市民の皆様と共に全力を尽くし現在に至る。
著書
こうして街はかわった(1995)
小冊子
- 天野進吾の郷土史~地名の由来と知られざる歴史~No1
- 天野進吾の郷土史~地名の由来と知られざる歴史~No2
- 随想二題・「私たちはアイヌの末裔である」「蒲原有明の別荘」
- 世界の人々が集う街を目指して
- 静岡に残された最後の飛躍台(スプリングボード)
- 地名の由来と知らざれる歴史~語り継ぎたい静岡ばなし