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2013年6月 7日 (金)

慰安婦の証拠写真ー村瀬守保写真集を強く推す

 慰安婦問題は「論より証拠」、これが1977年より、韓国、北朝鮮、沖縄、ワシントン国立公文書館、ロンドン国立公文書館等で公文書、映像、そして生き残りの慰安婦の取材を進めてきたぼくの立場である。そんなぼくから見ると、一部の慰安婦関係の書物、特に日本人が書いたものはいかがわしい。

 最悪は「朝鮮人慰安婦と日本人」(吉田清治著 新人物往来社)で、後に様々な人たちから「ありえない、嘘だ」と非難され、ようやく著者が詐欺を認めた曰くつきの本である。ぼくも、最初、てっきり事実だと思い、強制連行を認めた勇気ある日本人だと尊敬していた。それが幾ばくかの印税、そして講演料目当てだと言うことが判明し、己の批評眼の浅はかさを恥ずかしく思うようになった。

 吉田清治ほど悪質ではないが、初期の著作物には疑問に思うものが多い。何よりも、生き残りの慰安婦に直接的に当たらず、同じ韓国人だからと言うことだけで、日本を2次的資料だけで断罪したり、ある日本人ルポライターの従軍慰安婦の存在を知らしめた功績は認めるが、余りにも猟奇的なところだけを書き、関係者の子供から抗議が来たり、とにかく初期(70年代)の著作物は「眉唾物」が多い。

 問題はそれが韓国語に翻訳されて、韓国で事実だと未だに信じられている吉田清治の本や、慰安婦20万人説のソースになっているあるルポライターの本など、今からでも徐去しなければいけないものもある。嘘を言ってはいけない。そこで、遅ればせながら、愚直にこの問題を地道に掘り起こしてきた老兵が、重い腰を上げるようになった。

 批判は日本人だけでなく、韓国人の一部にも及ぶ。あれだけ日本の首相が謝り続け、謝罪金を払おうとしているにも拘わらず、受け取った元慰安婦は7名だけで、受け取った後に大変な批判を浴びたと聞いている。韓国の一部の女性団体は、これを反日運動の切り札に使おうとしているのだ。だから、日本の首相の謝罪も、謝罪金も、受け取ることを拒否しているのだと思う。受け取れば、この問題は完了し、もう反日運動の切り札に使えないから・・・

 その声高な日本批判が、日本の右派をいきり立たせ、「韓国人を殺せ」のような下品な「ヘイト スピーチ」までいっていると思う。お互いがもっと冷静になり、慰安婦とは何だったのか、を当時の記録、特に写真から考えた方が良い。

 ぼくが強く推すのは「私の従軍中国戦線 村瀬守保写真集」(05年増補判 日本機関紙出版センター)である。1937~1939年まで一兵士として上海、南京、そしてノモンハンまで従軍した時に、戦友だけでなく,日本人、朝鮮人、中国人慰安婦(中国人の場合、軍管理の慰安婦だけでなく、街娼が多かったと思われる)をこまめに撮っている。特に慰安所に列を作る兵士たちは圧巻である。

 この写真集で強烈に記憶に残るのは、兵士に強姦された後の80歳の老婆と、幼い娘である。よくぞ、撮った。この強姦予防と、梅毒予防に「慰安婦制度」が出来ている。これが慰安婦制度の根底である。

 もう一つ、慰安婦とは直接関係ないが、「南京大虐殺」後に南京に入り、放置されている膨大な死体、特に川べりのゴミと見える腐乱した南京市民の死体を撮っている事に感動した。日本人にも、こんな人もいたのである。少し、救われた気がしたことも事実である。

 ぼくのやっていることは時間ばかりかかり、その上、取材費も馬鹿にならないが、少しは慰安婦問題の真相に迫っていると、密やかな自負はある。そして、橋下徹大阪市長発言以来、急に多忙となったが、自分の79年監督作品「沖縄のハルモニー証言・従軍慰安婦」を多くの市民に見てもらいたいと、切望するようになった。これを見れば、もっと慰安婦問題に冷静になる。日本で唯一の慰安婦の記録映画である。

そのため、心臓バイパス手術の後で無理は出来ないが、少しずつ、老兵は動こうと思う!

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