(写真週刊誌フライデーより)
2011年10月27日早朝、大阪府泉佐野市の府立佐野工科高校1年の川岸朋之君(当時18)が、自宅から車で10分ほどの、貝塚市二色の浜公園の空き地で首を吊って自殺しているのが発見された。 朋之君のポケットから見つかった携帯電話のメモには、自殺前日の10月25日から当日の自殺決行の直前までの2日間に10通の遺書≠ェ残されていた。そこには中学時代から同級生にカネの要求と暴力を受け、追い詰められて自殺をはかる、18歳の少年の心の叫びが刻まれていた。 【10月25日23時37分】<もうすぐ自殺する 予定は二色浜公園の木にひもくくって首吊り。午前00時25分 自殺するのが怖くなってきた。(中略)午前00時53分 自殺の用意はもう出来てる。後は遊び終わるだけ。でもまだ死にたくないなあ。(中略)午前01時10分 こんな理由で死んだら、恥ずかしいけど、一生金ヅルはしんどいなあ>(引用原文ママ) 妻と離婚後、一人で朋之君を育てた父親の昌男さん(仮名、43)を訪ねた。遺影を横に、自殺当時の様子について声を詰まらせ語る。 「(大阪府警)貝塚警察署からの電話があったのは10月27日の朝9時頃でした。事故にでも遭って救急車で運ばれたのかと思いながら貝塚署に行くと、もう冷たい遺体になっていた。前日の夕方には元気に出かけたのに、ショックが大きく当時の記憶は今もはっきりしないんです」 警察からは「自殺です」と言われただけ。1ヵ月後に携帯電話と、その中のメモを見せられるまで、自殺の原因はまったく思い当たらなかったという。携帯の遺書を見て、初めて事実を知った昌男さんは、自らを責めるように当時の気持ちを振り返る。 「遺書には何度もカネを要求され脅されて苦しみ、自殺に追い込まれるまでの心境が書かれていました。しかも、加害者のAの名前もそこには書かれている。朋之の友人たちからの情報で、主犯格のAら小・中学校の同級生3人にイカサマの『カブ』(花札のゲーム)に無理やり誘われてカネを取られ、払えない分を返すために引ったくりや万引きまでさせられていたことが分かったんです」 Aをはじめ他の二人の少年は朋之君と小・中学校が同じで、泉佐野市立第三中学3年4組ではAと同じクラスだった。高校ではAとBが1年遅れて同じ高校に入学し、Cは専門学校に入学した。彼らの恐喝・いじめは凄まじいものだったという。朋之君と中学時代からの友人H君は、中学3年の時に朋之君から、Aらの被害に遭っていることを告白されていた。H君が苦しそうに当時の様子を語る。 「朋之君は、こう話していました。『2年の時からAの家に呼ばれている。誘いを断ればボコボコにされるから絶対断れない。もう十数回、数万円取られた。ゲームで負けて払えないと万引きや引ったくりをさせられ、スーパーのレジのカネを取って来いと言われやらされた』と」 朋之君の告白を聞いたH君だが、適切な助言は送れなかったという。 「誰かに助けを求めれば一時いじめは収まるかもしれませんが、後からのAの仕返しが怖かった。警察に相談して仮に逮捕されても、出てきた後が怖い。Aは先生までボコボコにしていますから」 賭け金は初めは10円だったというが、Aの言うまま金額が上がり1万円を賭けるようになっていったという。誘われていた中で最も弱い立場の朋之君がカモにされ続け、友人によれば払った総額は自殺するまでに70万円を超えたという。 さらに遺書を追ってみる。自殺する前日の10月25日朝5時29分のメモには「呪う」という文字が122回も書き込まれ埋め尽くされていた。そして、その中にAの名前と、「死ね」「悪魔」「殺す」という文字が交じる。朋之君がAの恐怖から逃げるには、自殺の他に選択肢は残されていなかったのか、鬼気迫る2文字が繰り返し書かれていた。遺書を続ける。 |
(被害者が残した携帯電話メール) |
【10月26日1時55分】<16日まで38000円は無理や。(中略)死んで欲しいんかな。もうそんな事誰にもせんといて欲しい。俺が死んだらやめるかな>
朋之君の死亡推定時刻は10月26日の22時頃。自殺する3時間前のメモには生きることへの執着と自殺の決行へ揺れる心が行き交う。
【10月26日18時34分】<(中略)この日の2時に自殺しようとしたけど怖くてできへんかった。また1日電話ビクビクせなあかん。金用意できるんかってゆう電話こないで欲しい>
18時58分に、昌男さんから電話が入るが、朋之君は取らなかった。
<思い出が蘇る。涙が止まれへん。(中略)今親から電話きた。(中略)最後に声聞いたらよかった。お父さん1人にしてごめんな。今まで苦労かけた。でももう心配せんでいいで。長生きしてな>
貝塚署は朋之君の自殺後、2ヵ月間Aや同級生を呼び事情聴取を行った。だが同署は12月26日、Aらの恐喝容疑などを裏付ける具体的な証拠が得られないとして捜査を打ち切った。昌男さんが当時の警察の対応に悔しさをにじませ言う。
「警察は恐喝されたことが原因で朋之が自殺に追い込まれたことは分かっていたはずです。捜査を打ち切ると言われても納得できるはずがありません」
昌男さんはその後再三捜査を要望した。結局Aは、朋之君の友だちが別のいじめに関し被害届を泉佐野警察署に提出したことで、恐喝容疑で別件逮捕された。Aは大阪家庭裁判所堺支部の少年審判で今年5月30日、1年間の中等少年院送致の処分が下されている。Cも別件で逮捕後、同家庭裁判所の審判を経て6ヵ月の初等少年院送致処分となった。だがB少年は逮捕されず、今までと変わらない生活を送っている。
送致処分を受けた少年の家族は、この事件をどう考えているのか。Aの自宅を何度か訪ねた。玄関チャイムを鳴らすが一切返事はない。母親が勤める事務所も数度訪ねたが姿は見えなかった。
次に、朋之君の自宅から歩いて5分ほどのCの自宅を訪ねた。表札はなくCさんのお宅ですかとインターホン越しに尋ねると「ハイ」という母親らしい女性の声がする。話を聞きたいというと「えっ」という驚いたような声を上げ、その後の問いかけには一切返事はなかった。しばらくすると低くくぐもった声で「何もお話しすることはありません」という声が返ってきた。事件後、遺族に一切の謝罪もない加害者たち。まるでいじめの事実がなかったとでもいうかのように思える。
昨年末に打ち切られた朋之君事件の捜査は、新事実が出たとして再捜査が開始された。いじめ自殺は、いじめの事実と自殺の因果関係の立証が必須だ。本件は遺書に加害者の名があり、友人の証言もある。加害者が逃げ切れるはずはない。
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