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三島市
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避難所の生活。その叫び

2011-03-30 21:17:04
テーマ:地震

テレビで報道されない避難所の現実



堀井朋子さんブログ  より



日本は どうなってしまったのだろう・・・


被災地支援で来てから 2週間が経つ。



この島国の 半分側で、


たった 1日に1回の 冷たいパンや おにぎり1個


それしかない 配給に 何時間も並び続ける人々―― 。



親を亡くした 無数の子供たちは 【 避難所孤児 】 となり、

毎日 襲う悪夢と 寂しさで、 夜泣きが連鎖し 止まらない…。


あたたかな ご飯も。


ふかふかの 布団も。


首まで浸れる 湯船も。


そして


昨日まで ともに暮らした 家も。


最愛の人さえも。



みんな みんな 失くしてしまった人々が


せめてもの 「 ぬくもり 」 さえ


許されない 生活―― 。



自分の場所も無い。 自分のお金も無い。


固い床に横たわる 寒さと 飢えで 眠れぬ夜。


いま必要なのは、 「笑うこと」 だって?



……出来るもんか。



こんな 毎日で。



キミなら 出来るの?



父が、母が、妻が 夫が、自分の子供たちが。

たくさんの約束をした 恋人も。 生涯の 親友も。

どんな時も一緒だった 大切なペットまで…


一瞬にして この世から居なくなり、 もう逢えません。

なんとか 酷い姿で 家族は見つかったけれど

何週間 待っても 火葬さえ してもらえません。

油が無いのです。安置所も 順番待ちも いっぱいなのです。

もう、腐乱が進んでいるって、泣き叫ぶ お母さん・・・


「 朋ちゃん、アンタ なんで こんな所に来るのよ・・・!」

「 こんなところ、地獄でしょう! TVでは映らないものね 」

抱き合って ずっと 泣いたけれど、

「 でも 私は また来るからね・・・ 」



誰かが


「 ほうら こっちは 思いきり笑ってるよ。」


「 めちゃくちゃ楽しく唄ってるよ。気持ちいいよ。」


「 キミたちの為にだよ? 元気になっただろう?」 って



……なれるもんか。



いまは 心から笑おうなんて言われても すぐには出来ない…。

目の前で進む家族の腐敗を、狂う程の飢えと寒さを、


先ずは なんとかしてから 言ってくれ…。


この避難所で 共に何度 痛くなるほど 手を握り合っても。

それが 【 時期尚早 】 だという冷たい事実に 咽ぶだけ……


だけれど、 せめて 心を添わせる事が出来るとすれば、

それは 一緒に 。 毎日 「 忘れてないよ 」 と

ただ それだけを…… せめて 言葉にすることくらい。

たった1行でも。 ひとことでも。。


『 なんとかしたい。 忘れてないよ 』 と。



現在・・・ 24万人の 被災生活困難者―― 。

1日2食で 単純に計算しても、1日=48万食が必要。

それが せめて向こう1週間確保したいだけでも 336万食。

1ケ月なら 1440万食―― 。 仮に 1ダース入りの

ダンボール箱で計算したら、【1,200,000箱】でした…。


それに対して、当初の大口の物資や 大量の食糧は

だんだん全国から 集まらなくなってきて・・・勢いも失速。

まるで 流行りや トレンドが 引き潮の如く 消えるかのように

もう、今日 明日の 避難所の食糧が 底をついて無い状態。

イチかバチかで 24時間を 凌ぐだけの毎日なのです。。。


地域によっては 【1日=1個】さえ 行き届いていません。



「 笑おう 」 って、どういうことなの?

明るく戻ったテレビ。 明るく戻った みんなのブログ。

ノーテンキな コメンテーターたち。。

「だんだん避難所も 落ち着いてきたようだしね◎」

「自分のブログも、通常に戻しま~す♪」

……待ってよ。 それは まだ早くない? 2週間で??

事態は もっと悪化してる。 水も薬も調達されない。

避難所では 赤ちゃんや ご老人が いま死んでる。。。


『 日本じゅうが 毎日 叫んでくれなきゃ

本当に この状況は 少しも変わらないんです

でも私たちには この危機を発信する手段さえ 無い…。 』


避難所担当者や、ボランティアの方々が、いつも現場で

泣きそうになりながら 口々に 繰り返す言葉がある―― 。

せっかくネットがある時代で、それを自由に使えているという

この上ない環境なのに、結局は「自分自身のこと」しか書かない。


「記事で被災に触れると 贅沢生活している自分が浮き彫りになる」


いいじゃないか。それが生活なのだから。 経済も回せばいい。

ただ… 何処かにでいい。 1行だけでも、 被災地に想いがある事を、

この惨事と支援を 「風化」させない約束と 思いやる呼び掛けを

どうして記しておけないのだろう。 嘘でもいい。それで救われるのだと。


その連鎖と 持久力こそが欲しかったのに、早くも切り替わり過ぎだと。

毎日もがくように必死で生きなければいけない被災地の現場では、

【世間の無関心と支援の風化】(仮にそう見えたとしても) それこそが、

いちばんの 「精神的な脅威」にさえ 成り得てしまうのだ―― 。

“心では 思ってるから ” だけでは伝わらない。 命を、繋げない。


ネットを操れるなら 毎日叫んでも足りないくらいの 【S.O.S】 が

子供や 赤ん坊や ご老人の 生存率と 明日の運命を 決めている……

それなのに。

【ネイルサロン最高!焼肉満腹!幸せ♪でも疲れた~ おやすみ~♪】

その最後に。 被災地への意識が 1行でもあるのなら、「自分」以外の

少なくとも遠く寒い空での誰かが、あたたかな気持ちで眠れるだろうに…


避難所では そろそろ携帯も 使える地域が多くなった。 被災者たちが

初めてやっとお気に入りのブログに行き、日々ショックを受ける者も多い。



「 こんなときだから 」 と 笑いたいのは、

【大義名分】を 掲げて 楽しくラクな自分の暮らしを正当化したい

あなたたちのほうでしょう。


―― まるで そんな声が、視線が。


頭をガンガン 突き刺すようで 離れない…。


避難所の何処に居ても ふがいなくて 悔しい……。



★世界一周モデルDJ社長シンガー★堀井朋子★オフィシャルブログ★~【MOON-MATIC】~


連日、トラックで届けている食糧も、とうてい 足りていない。


テレビは「情報を選べる」から、視聴率の出やすい話題に


結局のところは 落ち着いてしまう事も 知っている。


心和む美談もいいだろう。 みんな大好きだ。。


でも 現実は ぜんぜん違う。


宮城も、福島も、岩手も、そして 茨城でも 他でも。


世間に 届いていない真実は 驚くほどあるのに……。



マスメディアや報道の仕事を していながら


同じ自分の仕事が こういう時は 嫌になる―― 。



だけど、自分で出来ることは、こうして 必死にでも


「 伝えること 」。 「 真実を認識すること 」。



勿論、震災直後からの支援活動に動いている この


時間とメンバーは、いつもの局の仕事のDJとしてでも


アナウンサーとしてでもなく、「堀井朋子」個人として、だ。


きょう記事に書いている 「キツイだろう内容」の事も。


反論だって覚悟もしてのこと。 キレイ事で埋めるのは簡単、


でも責任は持つから、 これだけは 聞いてもらいたい……



【 もう落ち着いた 】なんて、決して思わないで欲しい 。


本当に 物資が各所に循環するようになってからで


安心するのは 遅くない。




1日に 1食も おなかにさえ いれられないのに。


水でさえ 残量を測っては 飲めなくなって


せめて 寄り添いたい記憶を辿っても


もはや…


1日に 1度だって 愛する人の声が


聴けなくなってしまったというのに―― 。



お願いだから


わかって欲しい



全てを 失い、 流されるとは


こういうこと。


この苦悩が、これから 何十年も 続くということ。



だけれど こうして


人は 己と 闘って 生きていくということを。




表面では いくらだって 笑っているよ。

社会の中では どれだけだって 我慢は するよ。

島国の半分で。 被害が無かったのだから なおさら

日本としての 経済活動の復興も 大切でしょう―― 。



それならば。


せめて 1日 1回の ご飯のかわりに


少しでも この現状で 救いが増えることを


呼び掛けていて欲しいんだ。



叫んでいても いいだろう―― ?


少なくとも 。 まだ もう少し

この 崩れた側に 立っていたいんだ……



やっと 立ち直れる日なんて

まるで 永遠のように 遠いのかも知れないけれど、

『 錯覚 』 でも いいから、 消え入る 『 願い 』 でもいいから

やっと おなかも 心も いっぱいに 出来るような日が来たら

そしたら、 その時に はじめて おなかから・・・・


この場所で、 一緒に 笑ってみたいと 思う 。

この場所で 、一緒に 唄ってみたいと 願う 。


やっと 少しは、 強く 呼吸が出来るようになったね…って

やっと 初めて、おなかの底から 泣いて 吐き出せたね…って


つまり それは、 同じことなのだから―― 。


だからこそ、せめて TVやブログには 刻まれない現実も

此処では。 今は。 目を 背けたくない。。。



ともに おなかから 笑える 温かで 幸せな時間…

いつかは・・・って 信じてる 。


こうやって 「今」を 叫び続ける必要が なくなるくらい

早く その日が 来ることを、

ただ 一心に、 願って…… 。



==============================

◆最後まで読んでくれた皆さんへ◆

携帯からもかなり長いのに、最後まで読んでくださって

本当に 有難うございます。それだけでも充分 感謝なのに、

「朋ちゃんのURL記事 転載したよ^^」との有難い支援や、

いつも胸に迫るお言葉や励まし、本当に日々の力になっています。

今日も 凄く長い報告と訴えになってしまいましたが、来週からまた

★朋★は、生放送の番組に 復帰しなければいけません。

もちろん、この現状をそのままに 伝えていければと思います。

今回の記事も、あくまで 「今の生の気持ち」であり、願いです。

でも「そうじゃないだろう」 という意見も 勿論たくさんあるはずです。

だって世の中は、 『 バランス 』 で出来ているのですから。

誰かが 泣くとき、誰かが笑う。 それでいいのかも知れません。。。

書いている本人も、毎晩 そこに悩んで 涙が止まらず、 本当に

永遠のスパイラルのようです。。 でも、諦めちゃいけない……。

いま、目の前で起こっている現実は、「変えられること」 なのです。

どうか、皆さんの様々な意見も、コメントやメッセージでいつでも

感じたままに 聞かせてください…。 もっとたくさん、考えたいのです。。


2011.3.27 ★堀井朋子★


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【 前回の転載・拡散のご報告 有難うございます 】

◆被災地の現状。。。
http://ameblo.jp/lady-moon/entry-10840455776.html








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子供達を県外へ!

2011-03-30 19:32:32
テーマ:地震

チェルノブイリのかけ橋 より


子供たちを県外へ


何度も何度もカウンターを見直した。

チェルノブイリのどの汚染地よりも、今は放射能がまっていた。私たちがチェルノブイリに救援に入ったのは事故から6年が経過していたから、空気中に舞う放射能は、みな水や森や川や畑などに住みかを見つけたあとだった。だからチェルノブイリ事故の二週間後はフクシマよりもっとひどかったと思う。
でも今は、そういう言い回しをして、誰かの機嫌をそこねないように前おきすることさえもどかしい。


ただ数値が固定化しておらず、変動していることだけは、付け加えておく。


福島空港、0.5マイクロシーベルト。

チェルノブイリ、ゴメリ州の廃村と同じ。


須賀川市、1.2~2.0マイクロシーベルト。


警報音が鳴り響く。


郡山市内1.5~9.0マイクロシーベルト。

高い数値9.0マイクロシーベルトなどは、人は木を切ってもキノコやベリーもとってもいけない立ち入り禁止の強汚染のチェルノブイリの森と同じだ。



0.2マイクロシーベルトなんて、たいしたことないと思えてくる。

感覚が狂ってくる。



チェルノブイリの子供たちは、


心臓が悪い悪いと言い出すのは0.06マイクロシーベルト。


人工放射能は,子供たちにとっては、高いか低いかなどはない。

あるかないかだ。



今、あの地域にいて、政府の言うことを聞いていていいのは、影響でる10~20年後に寿命を迎える人たちだけでしょう。



このブログを読んでいるあなたの福島の知り合いの子供たち、学童、緊急避難、「疎開」必要です。

すべての大人たちの責任で。

放射能が落ち着いて、ああよかったと帰れることを祈って。


ごめんね。子供たち。守ってあげられなかった。



福島で実際に計測してはじめて言えた。

ずっとそうじゃないかと思ってたー

でも、放射能には神経質すぎてもノイローゼになるし、無神経すぎでもだめ。

私たちは、事故がおこった次の日に、福島県郡山市のすぐ近くから札幌に脱出してきた人の空港に乗り捨てた車を借りて、圏内を回りました。

すべてを捨てて子供と身を守る即決。

覚悟もいります。

彼は知識があったから後悔しない。

そして、今福島県の人があんなふうに放射能に野ざらしになっているのは、日本に住んでる私たちがパニックにならないためだとしたら。

申し訳ない限り。


たった2日の被ばくで偉そうに。ごめんなさい。

でも、明日を作ってきたよ。チェルノブイリの人たちも。
だからどうかあきらめないで!





こちらもお読みください。



チェルノブイリの子供達におこっていること



低線量被曝


ウィキリークスに暴露された危険な日本の原子力

2011-03-30 09:48:28
テーマ:地震
今、山口県では上関原発建設に反対した市民が中国電力に訴えられ、
工事を邪魔したと見なされた市民は
1日500万円の損害賠償を支払わされます。

ウィキリークスで暴露されたように日本の原発は

国、政治、法律、電気会社がねっとりと繋がっています。


こうやって日本は原発を推し進めてきました。




ウィキリークス 日本語版


3月22日 Le Monde 仏 ル・モンド紙 抜粋

 ウィキリークスによって暴露された米外務省公電によれば、駐日アメリカ大使館は数年間に渡り日本の原子力事業の推移を監視していたという。さらに、プラトニウムを含むMOX燃料*を使用する「プルサーマル」については特に関心を寄せていたという。ル・モンド紙によれば、2006年福島を含む4つの原発にプルサーマル導入が許可され、「一連の不祥事や事象の隠蔽」を理由に複数の計画に遅れが生じ、「福島原発を持つ東京電力がその原因」と報告されていたことを伝えた。
 さらに米公電は、日本政府は原発の安全性に無関心であると警告し、「電力事業の民営化によって、電力会社は生産コストの削減に追われるようになった」と指摘している。
 2006年1月、米民主党の議員6人が日本政府に書簡を送り、青森県六ヶ所村で行われているプルトニウム摘出作業**を中止するよう求めた。しかしその後、プルトニウムを国際的管理下に置きたいブッシュ政権は、日本に対して例外措置を適用して管理機関の監視を受けさせない旨通達している。
 その後、米仏と日本の間で3カ国合意が結ばれ、混合燃料の開発に関して米仏が技術開発し日本が燃焼実験を行うこと、また原発技術と核燃料を開発途上国に提供する合意がなされたという。
 また、2006年に住民の訴えで行われた裁判で、金沢裁判所は強度地震が起きた際耐震性に問題があるとして、石川県志賀原子力発電所の原子炉1機の閉鎖を命じた。しかし、「発電所の事業主である北陸電力は裁判所の決定を不服として上告し、政府の後押しのおかげで地方裁判所の決定を無視することに成功した」とル・モンド紙は報じている。
 2007年の新潟沖地震の直後、被災地の柏崎市長はMOX燃料を使用する東京電力柏崎刈羽原発に対して閉鎖を命じる。その理由は、原発建設の際に考慮された地震の震度よりも強い地震が起こったからである。「東電は独自の地形調査を行っていたが、海底地震の可能性や2007年の新潟沖地震の原因となった断層は考慮入れていなかった」と同紙は伝えている。
 さらに2008年、米外交関係者は原発反対派で知られる自民党河野太郎議員と会談し「電力各社はテレビ局に経済的圧力を加え、河野議員がテレビ出演出来ないよう工作している」と本国に伝えている。同年、国際原子力機関は原発の耐震性補強を世界に対して訴え、その例として地震国日本の状況が語られたのだが・・・。

注釈:*MOX燃料(Mixed oxide fuel)は、使用済み核燃料から摘出されるプルトニウムと劣化ウランから作られるリサイクル核燃料。原発で使い終わった核燃料をリサイクルできる反面、核爆弾に使われるプルトニウムを使用するため反核団体はその危険性を訴えている。
**青森県六ヶ所村では日本原燃によりJ-MOXという名称で国産MOX燃料生産工場が建設される予定。




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