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視点・論点 「子どもの貧困を防止する」2013年06月25日 (火)
放送大学教授 宮本みち子
今月19日、「子どもの貧困対策法案」が参議院本会議で成立しました。この法律は、親から子への「貧困の連鎖」に歯止めをかける対策を国の責務とするもので、対策推進の大綱づくりが政府に義務づけられます。大綱には、貧困家庭の子どもの教育や生活支援策のほか、親への就労支援策なども盛り込まれる見込みです。
日本をはじめ先進工業国では、物質的・金銭的な欠如だけが問題ではなく、お金がないために人とつながりをもてない、働くことや文化活動に参加できない、人間としての可能性を奪われる、子どもを安心して育てられない、というような状態に追い込まれることが大きな問題になります。これを「相対的貧困」といいます。とくに、子どもの時期の貧困は、その後の成長に負の影響を及ぼすことが多く、ひいては社会の発展にとっても障害となる重大な問題です。
日本で貧困というと、終戦の頃の貧しさや、途上国の飢餓に苦しむ子どもの姿を思い浮かべがちで、今や貧困は一掃されたと広く信じられてきました。しかし、すでに1980年代に、10人に1人の子どもは貧困の状態にあったのです。
しかし、繁栄する経済社会のなかで対策が講じられることはありませんでした。
図は、子どもの貧困率を表したものです。1990年代以後、貧困に陥る人々がしだいに増加するようになり国際的にみても、日本の子どもの貧困率は先進国の中で見てもかなり高い水準に達したのです。2009年、平成21年には15.7%の子ども、つまり6人に1人が貧困の状態にあります。
そこにはつぎの事情があります。グローバル経済化にともなう競争の激化を背景に、失業、望まないパートタイム労働、非正規雇用が増加しました。また、リストラや倒産、賃金カットなどが相次ぎ、生計を維持することが難しい世帯が増加しました。しかも、この時期は家族の多様化の時期と重なっており、離婚による1人親世帯、女性が主な稼ぎ手の世帯、稼ぎ手のいない世帯の増加などが、子どもの貧困化を招いたといえます。
子どもの貧困は、無業世帯で暮らしている場合と、1人親、とくに母子世帯で顕著です。
図はタイプ別の割合を示したものですが、母子世帯の年収は200万円ほどで、一人当たり80万円あまり。母子世帯の子どもの50.8%は貧困の状態です。ここで注意を払う必要があるのは、母子世帯のお母さんの81%は働いているということです。働いているのに貧しい、つまりワーキングプアであるという点は国際的にみても特異な現象です。たとえば、イギリスの母子世帯の母親の就労率は約5割、アメリカやスウエーデンでは約7割で、これと比較しても日本の母子世帯の就業率は非常に高い状態にあります。働く女性の賃金水準が低いことや、子どもをもつ母親が働くことの障害が大きいことが原因となっています。また、離婚後の子どもに対する父親の養育費の支払い不履行が非常に多いことも原因のひとつです。しかも、2000年代に入って母子世帯の所得は減少し、確実に貧困化が進んでいるのです。
子どもの貧困は必ずしも母子世帯にのみ見られるものではありません。2人親世帯の所得の低下も、子どもの貧困化の大きな原因となっています。なかでも、父親が若い、とくに20代の世帯の貧困率がとくに高いのですが、たとえ共働きをしたとしても、低賃金の非正規雇用が多いために、貧困から脱出できない状態にあります。
さらに、子どもの貧困は、単に家庭にお金がないというシンプルな問題ではありません。
子どもの虐待やドメスティック・バイオレンス、病気や精神疾患、自殺についてあれこれ思い巡らしたり、犯罪、破産による家庭崩壊など、さまざまな複合的な困難が絡まっていることが多いのです。そのため、家庭が社会的に孤立しがちです。そのことが、子どもの健やかな成長を阻害することになり、学校での孤立や学力不足となり、不登校、中卒や高校中退、就職ができないというように連鎖して、将来を不安定なものにしているのです。
学校現場では、複雑な事情を抱えた生徒が、長引く不況下で目立つようになっているのですが、教師の力だけではどうにもならない状況にあります。たとえば高校の場合には、このような生徒は特定の高校に集中しているのですが、その実態は学外者にはほとんど知られていず有効な対策はとられていない状態です。
子どもの貧困化に歯止めをかけるためにはどうしたら良いでしょうか。
母子家庭のお母さんが貧困から抜け出るためには、いくつもの課題を解決しなければなりません。職歴や職業上のスキルや資格がないために労働市場でもっとも不利であることや、小さい子どもの世話があって仕事に就くことが困難だったり心身の健康上の問題など、働くことのできない種々の要因を抱えていることが多いからです。したがって、カウンセリング、教育・職業訓練、就業支援、保育サービス、住宅、保健医療サービスなどの組み合わせによって、働くことができる状態になるための施策をセットにしなかれば効果がありません。
この例を考えただけでも、専門分化した現行の行政組織のままでは対処することに限界があることがわかります。縦割り行政の壁を取り払い、関係諸機関・団体・支援者がチームで対応することが必要です。
国にさきがけて子どもの貧困の一掃に向けて検討を進めてきた東京都荒川区は、このような認識のもとに包括的な支援体制を作ろうとしています。第一歩として、子どもの貧困・社会排除問題基本本部を設置し、この問題に関する対応方針の決定、施策の立案・評価・改善を行うことにしています。また、関連機関の職員が子どもの貧困に取り組むという価値観を共有することを進めます。次に、子どもの貧困を示すシグナルを早期に発見し、事態が深刻化するリスクを軽減することに取り組みます。そのためには親や子どもとかかわる部署で働く人々が、敏感にシグナルを察知できる力を養う必要があります。スペシャリストを養成する準備もしています。この対応が成功すれば、子どももその家庭も貧困や社会排除に陥らずに済みます。
さらに荒川区では、具体的な取り組みを始めています。たとえば、学力不足への対応策として、子どもが学校外で自由に学習でき、また、教員経験者による相談や学習支援を受ける機会を設けています。また、学校現場に教育と福祉の両面の専門性を持つスクールソーシャルワーカーを配置し、不登校、虐待、DV、非行、特別支援教育に関する相談を受け付けます。また、子ども家庭支援センターの相談機能を充実させます。
また、対象者に関するデータを支援諸機関が共有することは重要な課題です。
諸研究によれば、子どもに対する施策は、ライフステージの早期であればあるほど有効性が高いのです。子どもの貧困対策法が成立し、子どもの貧困を防止する取り組みが全国で速やかに開始されることに期待します。