「全従業員諸君! 本田技研の全力を結集して栄冠を勝ちとろう、本田技研の将来は1にかかって諸君の双肩にある」
社員は当然、度肝を抜かれた。
「本田さんは他人にアッと言わせることが得意でした。それが大言壮語でなく、ちゃんと有言実行するからこそ、あの人と一緒なら夢が叶うはず、と社員は挑戦意欲をかき立てられるのです」
そう語るのは、初代シビックはじめ数々のホンダ車をデザインした岩倉信弥さんだ。『本田宗一郎に一番叱られた男の本田語録』の著書もある。
「本田さんは短い言葉で本質を突き、社員を奮い立たせました。常識にとらわれず、とにかく実行だと自ら率先して動く人でした」
「宣言」では「全世界の覇者」「全世界最高峰」などの言葉が目を引くが、これは本田さんの口癖でもあった。クルマの開発でアイデアを提案すると、「それは世界初か」「世界一か」と決まって聞き返されたという。
一方で、足元を見ることも忘れない。
「宣言」でも、「綿密な注意力と真摯な努力」が強調されている。工場に貼った直筆のスローガンも「安全なくして生産なし」だった。「目標は高く、評価は厳しく」というように、ロマンと現実の両極を押さえるところは、技術者マインドそのものだろう。
70年にアメリカで大気清浄法改正の通称「マスキー法」が可決された際もそうだった。厳しい排ガス規制に他の自動車会社が対応不可能と抵抗するなか、本田さんはマスキー法クリアを宣言する。そしてホンダは2年で環境エンジンCVCCの開発に成功した。
本田宗一郎の「宣言」は、技術系カリスマ社長ならではのロマンに満ちた檄文である。
(伊田欣司=文 澁谷高晴、小倉和徳、藤井泰宏、向井 渉=撮影)