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☆★☆★2013年07月02日付 |
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中国経済の先行きに懸念が広がっているという情報が飛び交うようになった。まだ予断は許されないが、急成長の裏側に潜んでいた無理と、そもそも政治体制と素直にリンクしない特殊な経済構造がきしみを生じさせない方がおかしいのである。成り行きを注視したい▼中国の大胆なインフラは、政府も地方政府もどんどん金を借りて注ぎ込んできたからこそ成り立ってきた。ろくに税収も上がらない地方都市がとんでもない摩天楼や王宮とまごうような豪奢な役所を建てたりできたのは、そこに収支という機能を考えない国家主義的経済が勝手に動き回っていたからだろう▼それでも銀行が金を貸していた間は回る。だが、不良債権が続出するようになって銀行が警戒し貸し渋るようになるとどうなるか、そこに「サラ金」が登場するのはどの国も同じ。これが「シャドーバンキング(陰の銀行、金融)」と呼ばれ、中国がいま最も対策に頭を痛めている社会問題なのである▼陰の銀行だから当然高金利となる。これは綱渡りである。小さな信用不安でもそれが激増すれば経済全体に影響を与えずにはおかない。だが、無計画な都市改造がたたって、ゴーストタウンと化す事例が各地に広がっているようにすでにバブル崩壊の予兆も出ている▼改革開放政策によって世界第2の経済大国に上り詰めたのはいいが、資本主義の持つ冷酷な一面を見逃しては必ずツケが回ろう。手綱をゆるめすぎた経済運営が危険水域に入らなければいいがと世界が見守るのはそのためなのである。 |
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☆★☆★2013年06月30日付 |
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女性大統領の登場で韓国の外交がどう変わるか注目していたが、どうやら「朴ドクトリン(主義)」は、日本に背を向けて対中接近を図るという方針で貫かれそうだから、「近くて遠い国」はいよいよ遠ざかりそうだ▼朴大統領は、日本の陸軍士官学校を卒業し日韓基本条約の締結にもあたるなど親日家でもあった朴正煕大統領の長女ということもあって、日本人の多くが親近感を抱き、大統領が交代するたびに繰り返される過去の謝罪要求から今度こそ解放されるのではないかと密かに期待するむきもあったが、アテは向こう側からはずれる▼オバマ大統領との会見でいきなり日本批判を持ち出し、同じ同盟国をそこまで悪しざまに言うのはどうかとたしなめられたいきさつを知ってから、韓流ドラマ≠フコンセプト(基本構想)はいささかなりともゆるぎないことを痛感させられた。その国是≠ヘ次の訪問先である中国でもいかんなく発揮される▼習近平国家主席との会談の中で朴大統領が、伊藤博文を暗殺した安重根の碑を伊藤の暗殺現場であるハルビン駅に設置してほしいと要請したというのだから、反日の本気度は過去の大統領の中でも上位に入るだろう▼韓国にとって憎い存在であっても伊藤はわが国の初代内閣総理大臣である。いわば建国の功労者を殺害した人物の碑を中国に建てろというのは、日本との関係悪化も織り込み済みということなのであろう。しかし下手な外交テクニックはすぐ破綻するだろうから、日本は鷹揚に構えていればいいのである。 |
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☆★☆★2013年06月29日付 |
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位人臣を極めたほどの人物なら、引退して一市井人になっても周囲が放っておかないのは、なおも秘めたる影響力を期待してか、あるいは備わった人格、識見などが慕われてのことのいずれかだろう。だが、この例外の場合はどうか?▼鳩山由紀夫元首相の中国における発言が報道されて以来「開いた口がふさがらない」という患者が病院に殺到している。かりそめにも一国の宰相であった人物が、尖閣問題にふれて「日本が盗んだ島」と主張してはばからない中国政府の立場に理解を示し、棚上げの合意があったことをも認めたというのだから、これは利敵行為と選ぶところがない▼この人の過去の言行に照らせば、想定内の発言で、ご本人は「長い目で見て日中双方のためになると考えた」と強弁するかもしれない。だが、いまはただの一個人といっても、元首相の発言という事実は無視できない。中国側が鬼の首を取ったように宣伝利用しているのはそのためである▼だが、元首相の発言と考えるから腹が立つのであって、政治家としての経綸を備えていないばかりか、一般人としての常識まで欠いた人物が発した世迷言と思えば、意に介するまでもあるまい。と、思いつつもやはり腹立たしいのはこの幼児的思考回路の持ち主が元首相であるという点にある▼引退した以上、悠然として下界を眺めていれば一目も二目も置かれる立場にあるにもかかわらず、なんの未練か因縁か、かつての栄光をボロボロになるまで引きずって歩くその姿のなんとも哀れなことか。 |
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☆★☆★2013年06月28日付 |
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3・11から時間が経過するにつれ、失ったものがいかに大きかったかを実感するようになるのは、思い出が段々遠ざかっていくための反動なのであろうか。以前の情景はもはや戻らないと思うと切なさがこみあげてくるのをいかんともしがたい▼その「跡地」にたたずみ、目をつむってかつてそこにあった建物を思い浮かべてみる。なにごとも時間が風化を進めるとはいっても2年前の光景がそう簡単に網膜から消え去るわけではないから、その建物の姿とそこで営まれた数々の思い出が走馬燈のように駆けめぐる▼その回想はもはや益ないものと知りながらもじっと思い浮かべているうちに、名状しがたい感情がふつふつと湧きいでてやがて現実と対面することになる。「こんなことがあっていいのだろうか」と改めてこの災害のすさまじい破壊力を思い起こし、そうしつつも「信じられない」という思いが目の前の光景を否定しようとする▼これが、3年、5年と経つにつれておそらく過去と現実の乖離がいよいよ進んでいくように思われるのは、もはや戻らないものに対する哀惜の情が深まるのを人間は抑えることができまいと考えるからである。早い話が自分自身、過去は一切振り向くまいと決意したはずなのに、未練がどこかをさまよっているようである▼でも、この思いが大切なのではあるまいか。形あるものほとんどすべてが眼前から消え去ったいま、新しい絵を描いて復興・復旧を急ぐことは大事だが、そこにあった情景、情感を温めることも大事ではないか。 |
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☆★☆★2013年06月27日付 |
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不思議な現象があると、すべて科学的に原因を究明しなければ気がすまないのは現代人が陥る通弊だが、この現象も徹底調査され、その結果これが人為的なものだったり、自然現象だったと判れば安心する一方で、ロマンが失われる幻滅感も味わうことになるこの皮肉▼イギリスのマンチェスター博物館にある、約4000年前のエジプトの像が勝手に動いたとのニュースを先日のテレビで見て興味を持った。この像は古代エジプト神話に登場する神「オシリス」で、王冠をかぶり、体をミイラとして包帯で巻かれた男性の姿で描かれている。その神が動いたのだからそれは神の力と信じればいいのだが、そうは考えないのが世俗にまみれた「科学する心」信奉のせいであろうか▼回転するという証拠に、ビデオカメラが収録した場面を早送りすると、なるほどゆっくりと像が回転していることが分かる。不思議といえば不思議だが、タネを明かせば館内に侵入した外部の愉快犯が像の下にターンテーブルを仕掛けてそれを遠隔操作で動かしていた―という結末を期待するのが現代人というもの▼だが、その一方でどう考えても超異常現象としか説明しようがないという結果を密かに期待する気持ちもあるのが人間の心の不思議なあやというものだろうか▼未確認飛行物体つまり「空飛ぶ円盤」の存在をいまだ否定し尽くせないそのアンビバレント(二律背反)な心理がこの像の回転にも作用している。もしかして科学は万能ではないかもしれないという実証が出たらどうする? |
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☆★☆★2013年06月26日付 |
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ちょっと高い買い物だったが、今になって買ってよかったと納得しているのが「筆順大字典」である。墓場が近くなった今さら何をトチ狂ったのかとお笑いめさるな。歳を取ったからこそ恥をかきたくないというこのたしなみを誰ぞ知る?▼ワープロで文章を書くようになった時代に、筆順うんぬんはアナクロ(時代錯誤)とされかねないが、今も手紙だけは金クギ流をいとわず万年筆で書いているから、時に筆順に迷うことがある。誰も見ていないのだからどうでもいいではないかと思われるかもしれないが、いや「天知る、地知る、われ知る」なのである▼それでも中高年はまだましで、若い人の筆順といったらはた目にも危なっかしくて見ちゃおられないと誰かが言っていたが、無理もない。教育漢字はともかく、一般的に社会で目にする漢字の多くを実際書いてみる機会というのはきわめて少ないからである▼しかし習字、書道の世界ではそうも言ってはいられまい。筆順が違えばそれは文字の破調につながるだろうし、行書、草書となればその流れはなおさら「水茎の跡もうるわしい」ようなものにはなり得ない。若い人の「筆順離れ」は中国でも同じらしく、「批林批孔」で伝統文化を否定した文化大革命の後遺症がこんなところにも出ているようだ▼さて、結論。「海嘯(津波)」の「嘯」の旁りである「肅」を正字でどう書くか?まずは大字典のお世話にならなければ無理だろう。実は1回で覚えきれなかった。では「馬」は?「飛」は?さあ、みんな悩め、悩め。 |
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☆★☆★2013年06月25日付 |
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「ひょうたんから駒が出たよう」と関係者が語るようにこれは天からの贈り物としか言いようがない。しかし意あるところには必ず結果が訪れる。干潟の環境浄化に努めた地元の熱意に対するご褒美ではないかと思わされた▼昨日のNHK朝のニュースで「アサリの養殖に成功」というアナウンスに思わず耳目が転じたのは、海を生業の場とする土地に住む人間の条件反射というものだろう。全国的にここ数年、これまでにない不漁が続いているアサリだが、三重県鳥羽市で環境浄化途上の干潟でそのアサリの養殖に成功したというのだから▼干潟にヘドロなどがたまると硫化水素が発生し、貝類などが死滅する原因となる。全国的なアサリ不漁もそうした要因が引き金となっているようだが、このため鳥羽市では漁業者や研究者が干潟の環境改善を目指して、カキの殻を粉末にし団子状に固めた水質改善剤を網状の袋にいれて干潟に敷き詰めた▼ところがその袋の中にアサリの稚貝が着床し成長していることを発見、見守っているとやがて見事な成貝となった。何の研究を行ったわけでも手間暇をかけたわけでもないのに、自然の養殖と同様の効果をもたらしたこのタナボタ式漁業≠ヘ、干潟を本来の姿に蘇らせようという地元の熱意が天に通じたからこそというもので、これが全国に広がるのは時間の問題だろう▼この成功にヒントを得て他の貝類の増殖ができないかという動きが結実するようになれば、しめたもの。カキ殻の活用にもなり、一石二鳥というものだ。 |
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☆★☆★2013年06月23日付 |
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「最高峰」とは山だけでなくありとあらゆる分野で頂上を極めるものに対する賛辞だが、日本の最高峰であるだけでなく、その比類なき美しさにおいて世界中に並び立つものがない名山、富士山がついに世界遺産の仲間入りを果たした。いまも活火山として現役≠ネのに遺産とはこれいかに。これは「世界資産」と呼び替えたい▼世界遺産は「文化」「自然」「複合」「危機」の四つに分類されるが、国内の自然遺産としては屋久島、白神山地、知床、小笠原諸島の4カ所がすでに登録済みなのに、日本の国を表徴する代名詞的存在として遠い昔からその地位を不動にしてきたこの秀峰がようやく5番目に滑り込んだというところに奇異な感じを受けない日本人はいまい▼文字通りの最高峰にしてその英姿においてもまた「最秀峰」であり、特に連峰をなさず平らな大地の上にすくっと屹立して周囲に威風を払うその美しさと気高さと気品は、まさに「孤高」の品格をたたえている。初夢に見る縁起の順で「一富士二鷹三茄子」と筆頭に挙げられるのは、人間かくありたいと願うからだろう▼なのに先行4カ所の後塵を拝する結果となったのは、遠くから眺めるだけでは飽きたらず登頂して足跡を残したい登山者が置き捨ててくるゴミの量が半端でなく、遺産としての風致に難点があったためと、観光資源としてあまりに利用され過ぎて卑俗化したことにあろう▼遺産登録によってかえってその俗化を加速させることだけは抑えたいもので、仰ぎ見る喜びだってあるだろう。 |
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☆★☆★2013年06月22日付 |
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復興と一口で言うことはできても、実際はそれがいかに困難なものであるか、時間が経つにつれて実感として迫ってくるのをいかんともしがたい。だが、だからといって悲観などせず希望をもって前に進むことではあるまいか▼仕事をしたくとも仕事がない、ここに住み続けたくても家がないなどなど「ないないづくし」の現状が人口減少の要因となっている。いまのうちにその歯止めがかかればいいのだが、そんな明るい兆しを望む方が無理というものだろうか、前途を心配する声をあちこちで耳にする▼確かに現状を下敷きにして絵を描くと筆が止まってしまうのは、構図が浮かんでこないからだろう。浸水域をかさ上げして新たな街の基盤が出来上がるまでに数年、地盤が落ち着いてそこに店なり事務所なり工場なりを建設するまでにはさらに何年かかることになるやら▼その間仕事をどうするか、生活をどうするか、あまりにも不確定要素が多すぎるため、前途に対する不安が募るのはやむを得ないことかもしれない。しかしそういう状況だからこそ、何かをしなければならないのである。「死中に活を求める」という命題が目の前に突きつけられているのだからなおさらだろう▼言葉遊びをする積もりはない。しかし「天は自らを助くる者を助く」という。ベンジャミン・フランクリンの言葉なそうだが、至言だろう。国が、県が、市が助けてくれる前にまず自分が生きる道を探す。その意欲が活力を生み、その集合がやがて期して待つべき結果をもたらすはず。 |
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☆★☆★2013年06月21日付 |
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英・北アイルランドで開かれた主要8カ国首脳会議(G8サミット)で、久しぶりに日本が存在感を見せた思いがしたのは小欄ひとりだけではあるまい。記念写真で安倍首相は奥床しく一番隅に収まっていたが、その顔には自信があふれていた▼いまや中国に追い抜かれてしまったとはいえ、世界第2の経済大国となった頃の日本は光り輝いていた。こんな小さな島国が、しかも敗戦によって打ちひしがれてから半世紀も経たない国がこれほどまで奇跡的に復興し、戦前以上の繁栄を遂げたのは一にかかって国民の努力の結果なのである▼しかし「成り上がり者」は常に批判にさらされるのが常で、特に貿易摩擦が激しく指弾されていた当時の日本に対する風当たりは、今から思えば逆に懐かしいほどだった。それはいわば「金持ち喧嘩せず」の余裕があったからである。その余裕や自信がいつの間にか消え失せ、隣国からまで憐れみを買うようになったのはなぜだろうか?▼それは政治も経済も信念を失ったからである。国力が増したことをいいことに、春風駘蕩の気分となって花見酒に浸っているうちに、誰も彼もが足腰が立たぬほど酔いつぶれ、ついでに気力も失われてしまったのである▼そこに安倍首相が再登場したのは、国民に覚醒を促すための天の配剤というものであろう。「○○ミクス」を呼号できる政治家が他にいまの日本にいるかといえば、残念ながらノーと言わざるを得ない。神風を持ち出すわけにはいかないが、日本に向けてそよと風が吹き出したのだ。 |
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