院長プロフィール

院長 堀内 清

The director
Doctor Kiyoshi Horiuchi

略歴

1964
東京慈恵会医科大学卒
1965
第38回医師国家試験取得
1970
東京船員保険病院小児科部長就任
1971
医学博士号取得
1974
東京慈恵会医科大学講師就任
日本小児科学会認定医
1977
国立東栃木病院小児科医長就任
1984
千葉県血清研究所副所長就任
2001
千葉県衛生研究所長就任
2003
グラクソ・スミスクライン㏍ 顧問就任
2007
同社退職

私が医科大学を卒業した昭和39年(1964年)は東京オリンピックの開催年にあたり、わが国の高度経済成長期に突入した年でした。40年の春、経済的な保証が何も無い厳しいインターン生活を終了し、第38回医師国家試験に合格し医師免許を取得しました。5月に私の運命を決めた母校の小児科講座に入りました。学生時代にしたある経験が小児科医を志した理由でした。

昭和30年代に「ポリオ=急性脊髄前核炎」が爆発的に流行しました。連日日本のどこかで患者が発生し、下肢麻痺と死亡者の数が報道されて子供を持つ親を恐怖におとしめていました。医学生として自分が志した医学がポリオに対し全く無力であることを知り衝撃を受けました。そして非合法(薬事法上)ですが緊急対策としてソビエト連邦とカナダから経口生ポリオワクチンが輸入され(当時の厚生省の危機管理能力の高さと勇気には賛辞を惜しみません)ました。当時のワクチンはポリオワクチンウィルスを含む大小不揃いな砂糖菓子で、始めて見る剤型に驚くと共に几帳面な日本人の感性には馴染まぬものでした。しかし、「論より証拠」流行地でワクチンが使われると時を置かずポリオ患者が激減する効果を示しました。この一連の事態が小児科医を専攻しかつ専門分野にワクチン学と予防接種を選ぶモチベーションになったのでした。

以来40数年ワクチンと予防接種の勉強を「種痘」に始まり「ポリオ」「はしか」「ふうしん」「おたふくかぜ」「みずぼうそう」「MMR」「MR」「A型肝炎」「B型肝炎」「インフルエンザ」「子宮頸がん」「ロタワクチン」ワクチンの開発に携わるという、日本の近代ワクチン史の真っ直中を歩んで参りました。

この10年程臨床を離れ千葉県血清研究所や衛生研究所で本格的なワクチン開発と実際にワクチンを製造する仕事に取り組みました。65歳で千葉県を定年退職し、その後4年間は外資系の製薬会社で欧米の「多価混合ワクチン」や「下痢症ワクチン」の研究に従事し、特に「子宮頚部がん」ワクチンのわが国での承認を求める仕事を終えて一線を退きました。

今後はこの経験を生かして再び臨床医として予防接種を通して地域医療のお役に立つことを願いケルビムこどもクリニックを開院いたしました。