【笠井哲也】東日本大震災直後、各地にできた約2千カ所の避難所。仮設住宅の整備とともに閉鎖されたが、2年3カ月経った今も埼玉県加須市に1カ所だけが残る。原発事故で避難した福島県双葉町民109人が暮らす旧県立騎西高校だ。校内にあった仮の役場は6月17日に福島県いわき市に移ったが、残された避難者の将来は見えない。
■「寂しいよ。不安だらけだよ」
「役場の移転で人の出入りが少なくなったし、寂しいよ。不安だらけだよ」。避難所で暮らす林日出子さん(81)は、つぶやいた。
毎朝5時、体育館2階の講義室で目を覚ます。高さ約1メートルの段ボールの壁で部屋を仕切った約10畳分が「家」だ。タンスや靴箱も段ボールでつくった。
仕切りの向こうには70代の女性が住む。昨年までは部屋が四つに分かれ、ほかに男性3人が住んでいた。避難者は同校のトイレと仮設の風呂を共同で使う。
林さんは東京電力が支払う月々12万円の慰謝料と年金で暮らす。家賃や光熱水費はかからないが、食費は自己負担。町が委託した業者から3食1100円で弁当を買う人もいるが、林さんは自炊している。散歩がてら、周辺のスーパーやコンビニで食材を買い込む。
ガスがきていないので、野菜炒めなどをIHクッキングヒーターやホットプレートでつくる。「不自由も常と思って生活すれば、楽しいよ。理想を求めても苦しむだけ」と笑う。
震災前は海にほど近い一軒家に住み、畑で花や野菜をつくって過ごしていた。10年前に夫が他界した後は一人暮らしだったが、近くに住む長男夫婦や孫夫婦との行き来があり、寂しくはなかった。
東電福島第一原発事故の直後から神奈川県内の親戚宅に身を寄せた。一昨年夏、双葉町への一時帰宅の集合場所となった避難所を訪ねた。その際に出会った知り合いの保健師に誘われて、昨年1月に引っ越してきた。
原発から1キロもない自宅は放射線量が高く、戻れるのは早くても4年後だ。長男夫婦や孫夫婦が暮らす福島県内の借り上げアパートや仮設住宅は狭くて身を寄せられない。空いている県内の仮設住宅への引っ越しを長男に勧められたが、近くに家族はいない。「孤独になりたくない」と断った。
「第2のふるさと、つくらなくちゃね」。田園が広がる避難所周辺は故郷に似ている。避難所が閉鎖されれば、ここで仲良くなった避難者たちと、このまちで暮らしたい。だが、みんなで住む場所のあてはない。
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