学生時代、日本人教授の授業で心理学を受講したことがあります。
参考程度に、と心理テスト(名称忘れた)を全員受けさせられたのですが、受講した約100名中、4割程度の学生に異常が見られたそうです。先生曰く、海外にいるのだから日本の学生に比べ数値は多少おかしくなる、ということでした。
この仕事をしていて怖いのは学生が鬱状態になってしまうことです。去年、自殺の危険があると判断し帰国させた学生がいます。彼は今どこで何をしているんだろう。
「辛い」と言って駐在員の前で話して泣ける人はまだ大丈夫です。問題は何日も部屋から出てこなくなって、ようやく連絡が取れ状況を聞いても「大丈夫です」としか言わない人です。
夜眠れないために朝起きられなくなって、何日も授業に行けない学生がいます。私の経験上、睡眠時間の乱れは鬱状態を引き起こします。
昔読んだパウロ・コエーリョの『ベロニカは死ぬことにした』という本の中に、「狂うってどういうことなの?」というセリフが出てきます。その答えを読んで田口ランディの『コンセント』と梶井基次郎の『Kの昇天』が頭に浮かびました。
著者の言葉を借りるなら、これまでに2度「狂った」ことがあります。 狂ったというか、異常だったというか…。1度目は辛かったけど、2度目はそこから抜け出すことを自らやめました。2度とも表向きは「ほぼ普通」だったけど心の中と一人でいるときは普通ではありませんでした。
あのとき思ったのは、誰もが「狂う」要素を持ってるということ。正常と異常の違いはとてもあやふやだということ。何をもってして「普通」という括りを作るのか、ということです。
私はあのとき、気づいたらもう周りが見えなくなっていて、自分がどんどんダメになっていくのがわかったけれど、それでいいと思ってしまいました。
世の中と自分との関係性ってものを一切気にしなくなると、這い上がることを忘れてしまいます。希死念慮と多幸感の間を行ったり来たり・・・それが意外と気持ちが良いというか、居心地がいいのです。
留学生たちは自分次第でその世界を広げることができます。逆に寮と教室の往復だけでどこまでも世界を縮めることもできます。どちらかと言えば、私は後者の学生でした。今は学生たちに授業を休むなと口うるさく言うくせに、自分は1、2年生の頃限界まで休んでいました。ダメ学生でした。
楽しいは