東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 特集・連載 > 憲法と、 > 記事一覧 > 記事

ここから本文

【憲法と、】

第4部 9条の21世紀<1> 言葉のマジック「非戦闘地域」

家族に見送られ出発するC130輸送機=2004年1月26日、愛知県小牧市の航空自衛隊小牧基地で

写真

 イラク戦争、支持−。二〇〇二年末、防衛省の理論的支柱であるシンクタンク「防衛研究所」内の結論は固まりつつあった。米大統領のブッシュはその年の初め、イラクや北朝鮮を大量破壊兵器を保有するテロ国家と非難。開戦は秒読み段階に入っていた。

 毎週のように開かれる研究会。所長の柳沢協二(66)をはじめ、戦争支持の「空気」が大勢を占め、米国の先制攻撃がどのような理論で正当化できるかに議論は集中した。

 主任研究官だった植木千可子=現早稲田大大学院教授=は、反対の論陣を張り続けた。「イラク戦争は、米国の目標とされた国が核武装に走る動機を強める。米国の正統性が失われ、影響力は低下する恐れがある」

 懸念は、後にすべて現実となる。

     ■

 〇三年三月、米国は国連決議のないまま、イラクを攻撃。仏独などが非難する中、首相の小泉純一郎は直ちに支持を表明した。

 植木の手元には、当時議論のたたき台として作ったメモが残る。「日米同盟は、あくまでも国益を守るための手段であって、国益(目的)ではない」。しかし「米国に異を唱えるのは現実的でない、という雰囲気だった」。七月、人道復興支援を名目に自衛隊を派遣するためのイラク特措法が成立する。

 一九九一年の湾岸戦争でのペルシャ湾に始まった自衛隊の海外派遣。米国に目に見える協力を求められる中、政府は憲法九条とぎりぎりの整合性がとれる枠組みをひねり出すことで、アフガニスタン戦争でのインド洋派遣など、活動範囲を広げた。イラクへの地上部隊派遣を可能にしたのは、「非戦闘地域」という言葉だった。

 「内閣の施策を実現するため、インド洋でも用いられた法的スキーム(枠組み)。だが実際に戦闘が続く国で適用するので、本当にうまくいくのか、厳しい試験を受けている思いだった」。政府の行為が憲法に沿っているかを判断する内閣法制局で当時次長を務め、後に長官となる阪田雅裕(69)は振り返る。

 防衛研所長から内閣官房副長官補となり、官邸で自衛隊派遣を統括した柳沢には「魔法の言葉」だった。心中には、湾岸戦争で日本が百三十億ドルを拠出しながら、他国に「小切手外交」とやゆされた苦い経験が刻まれていた。イラク派遣は名誉挽回の機会ととらえた。「外圧に従ったのではなく、自らの意思で突き進んだ。いかに米国しか見ていなかったか」

     ■

 国際貢献の名の下、戦争に協力する母国を「ペシャワール会」の医師中村哲(66)は苦々しく見つめてきた。パキスタン、アフガンで約三十年間、医療や用水路建設に携わる。砂漠化が進むアフガンで、戦争の疲弊は飢餓をより深刻にした。

 自衛隊のイラク派遣後、活動用車両から日の丸を取り外した。軍事に頼らない日本の戦後復興を、現地の誰もが知り、かつては好感を持たれていた。米国を支援する今、日の丸はテロの標的だ。

 それでも中村は、戦地アフガンにとどまる。「活動できるのは、日本の軍人が戦闘に参加しないから。九条はまだ辛うじて力を放ち、自分を守ってくれている」

   ■  ■

 米中枢同時テロで始まった二十一世紀。試練にさらされる九条と向き合う人々を追った。 =敬称略

 (この企画は、樋口薫、大平樹が担当します)

 <非戦闘地域> 国または国に準ずる組織の間の戦闘行為が行われておらず、一定期間中も行われないと認められる地域。99年に成立した周辺事態法で、自衛隊が活動できる「後方地域」として定められ、イラク特措法に引き継がれた。定義があいまいとして国会で議論になり、小泉純一郎首相は04年11月、「自衛隊のいるところが非戦闘地域」と答弁した。

 

この記事を印刷する





おすすめサイト

ads by adingo