母が一人で店を切り盛りするようになってから、毎晩お客さんが帰った後、
母の泣き叫ぶ声が3階の自宅まで聞こえてきました
母はお店が終わった後、一人鬱病のような状態でお酒を飲んでいたのです
ある日見かねた私が下に降りて行き
「お母さん…、もう上にあがって寝ようよ…」
と言うと、
「うるさいっ!あんたに何がわかるのっ!早く寝なさいっ!
とまるで相手にしてもらえませんでした
表ではお客さんに見せなければいけない笑顔と
自分の気持ちとのギャップに
母はその年、1年で3回にわたる腸の手術を受けるほど
体を崩してしましました
母が体調を回復してから今度は親子関係が上手くいかず、
傍で見ていた人の目には
「この親子、親子じゃないみたい」
と囁かれるほど険悪な関係になっていきました
母には母の人生があるし、私には私の人生がある、
と大学卒業とともに逃げるように青森を離れました
離れたはいいものの経済的に厳しい生活で、
隙間風の通るアパートのコタツでブルブル震えるような生活でした。
そのような苦しい中で
祖父の許へと引き寄せられるようにお墓参りをするようになりました
不思議なことに、“妙法蓮華経”が刻まれたお墓参りをする度に、
人と人との縁ができ、自分の生活環境が徐々に徐々に整ってきたのです
そのことにより、父方の××家、母方の●●家について色々と感じ、
問題を解決する為にどうすればいいのかと考え始めるようになりました
そして、父の影響で
“学会は間違っている”
というところに私の原点はありました。
その一つの事実から、調べていくうちに、
創価学会が元々は日蓮正宗であったことを知りました
そして今では日蓮正宗から破門され、
邪宗と化し、
更には
ニセ本尊を作っていることも知りました
また、母から、
祖父の葬儀を日蓮正宗の専妙寺様にお願いして
出させていただいたことも分かりました
有り難い事に、
祖父が亡くなったのが平成3年で、
ちょうど創価学会が破門される直前だったのです
私の母は5人兄弟なのですが、
その内の2人、兄である伯父と、妹である叔母が今でも創価学会です
この事実から私は××家、●●家の悩み、苦しみを取り除き変えていく為には
創価学会のニセ本尊を撤去し、
なんとしてでも
日蓮正宗に戻さなくてはならない
と思いました
しかし、自分一人ではどうすることもできません。
公共機関の相談窓口があるわけでもなく、誰に相談しても
「そんなの無理だって
と
それでもあのニセ本尊を撤去しなければ私自身の幸せもない
入信する4カ月前の3月、1人で帰省し母の兄弟を集め、
創価学会が破門されていること、
伯父の家にあるのはニセ本尊だということを
私なりその時集めた情報で説明しました
伯父は何も言えず黙り込み、
「学会続ける理由はなんなの
「わからない、ただ母さんがあの時、お寺を選ばなかったから・・・
と言われてその日は終わりました。
次の日、伯父は学会幹部を連れてきました。
母は学会員というだけで近寄りたくないという感じでしたが、
私はその時、
「これってもしかして折伏っていうやつじゃない
やった、私もついに折伏デビューだ
と果敢に挑みました
しかし結果は二人に笑われて終わり、
伯父には
「××、つまらないネットの書き込みを簡単に信じるもんじゃないよ。」
とまで言われてしまいました
そのことによって自分一人の力では限界を感じ、
その時に知りえた坂井さんに勇気を出して連絡をし
直接会って話を聞きました
坂井さんからは、
「××さんが先ず日蓮正宗に帰依をして、
仏様を素直に信じ、仏道修行していく中で御本尊様の有り難さを実感し、
御本尊様の御加護の許で××家と●●家の宿業転換をしていかなくてはならない」
と言われました。
最初は自分自身が
日蓮正宗に入信することは全く考えていなかったので戸惑いました。
しかし、自分の子供のように育ててくれた祖父母
《なんとしてでも日蓮正宗に戻したい》という気持ちが強く、
自分が護られるかどうかはやってみなければわからない、
と半ば捨て身の気持ちで入信の決意をしました
決意してから入信するまで、1カ月ありましたが、
決意を決めたその日から
周りの人たちが良い方向に変わっていくのがわかりました
そして、去年の7月に無事に御授戒を受け、
日蓮正宗の信徒の一員となることができました