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絶えぬ金権腐敗の芽 仙台・ゼネコン汚職発覚から20年
 | ゼネコン汚職事件で当時のトップ2人が逮捕され、激震に見舞われた宮城県庁(右)と仙台市役所(左奥) |
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JR仙台駅前のランドマークとして定着した複合ビル「アエル」。地上31階の超高層ビルが耳目を集めるのは、その高さだけではない。
<首長の「声」頼り> 20年前の1993年6月29日、ゼネコン汚職事件が石井亨仙台市長ら9人の逮捕で口火を切った。首長が公共工事の業者選定で便宜を図り、業者が謝礼を払う贈収賄事件。市の事業だったビル建設も疑惑の舞台の一つだった。 東京地検特捜部の捜査は「震源地」の仙台市を皮切りに茨城、宮城両県に拡大した。同年9月に収賄容疑で本間俊太郎宮城県知事を逮捕。中央政界に迫り、現職の衆院議員だった中村喜四郎元建設相を逮捕した。ゼネコンは業界のリーダー格・鹿島など各社の首脳らが軒並み逮捕された。 中央の談合組織が弱体化し、地方で首長らの発言力が強まっていた。仙台には鹿島東北支店幹部が東北の公共事業を取り仕切る組織があったが、不満を持つ非主流派ゼネコンが首長の「天の声」に打開策を求め、賄賂に走ったとされる。
<県民の不信頂点> 贈賄側はゼネコンにとどまらず、名取市でグループ会社が開発事業を手掛けた大昭和製紙(現日本製紙)にも及んだ。 一連の事件で起訴されたのは計32人。公判停止中に死去した竹内藤男元茨城県知事を除く全員が有罪判決を受けた。「宮城・仙台ルート」を含む9社の賄賂の総額は、立件された分だけで3億7900万円に上った。 当時の特捜部長として捜査を指揮した宗像紀夫弁護士(第一東京弁護士会)は「日本の公共事業が政治家にとって巨額の利権となり、食い物にされた」と指摘する。 仙台市と宮城県のトップ2人が金権腐敗にむしばまれた「ゼネコンショック」に、県民の不信感は頂点に達した。 93年の出直し知事選で自民党などが推した候補を破り、初当選した元厚生官僚の浅野史郎氏は「当選できたのは県民の怒りの表れでもあった」と振り返る。 県職員の食糧費、カラ出張の問題も浮上し、信頼回復に追われた浅野氏。情報公開も進め、県庁内の「あしき慣習」にメスを入れた。全国的にも厳しい入札制度を導入し、談合排除を目指した。 一方、浅野県政3期12年で、県議3人が競売入札妨害罪などに問われた。政官業による談合体質の根深さが露呈した。
<「過剰反応の面」> 仙台市は情報公開や入札制度といった15項目の改善策を打ち出した。ただ、職員の中には癒着と疑われないよう業者との距離を置いた結果、業界の最新情報が入らないという事態も生まれた。 市幹部は「ゼネコン汚職の負のイメージを拭うため、過剰に反応した面もあった」と述懐。市議の一人は「市が開発事業に力を入れなくなり、都市経営に対する哲学が消えた」と嘆く。 大手ゼネコン4社は改正独占禁止法施行直前の2005年末、談合からの決別を宣言した。しかし、汚職の「芽」は絶えない。07年に名古屋市地下鉄工事の談合事件が摘発された。09年には準大手の西松建設をめぐる裏金事件が発覚し、衆院議員秘書が有罪判決を受けた。 建設業界は11年の東日本大震災を経て、復興特需で潤う。ゼネコン汚職から20年のことし、仙台市長選と宮城県知事選を迎える。市政、県政を揺るがした事件の教訓はどう生かされるのだろうか。(肩書は当時) ゼネコン汚職事件の発覚から29日で20年。仙台市長選、宮城県知事選を控え、事件が及ぼした影響を随時検証します。
<ゼネコン汚職事件>東京地検特捜部が1993年6〜9月、公共工事をめぐる収賄容疑で、当時の石井亨仙台市長や本間俊太郎宮城県知事、竹内藤男茨城県知事らを相次いで逮捕した。94年3月には談合組織「埼玉土曜会」による談合の告発見送りをめぐる中村喜四郎元建設相のあっせん収賄事件を摘発した。本間氏は97年、石井氏は99年に実刑判決が確定し服役。2001年までに仮釈放された。事件は93年3月に特捜部が金丸信元自民党副総裁(96年死去)の脱税事件で押収した資料が端緒になった。
2013年06月29日土曜日
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