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帰還希望、半数割る 登米市内の南三陸町仮設住民アンケート 

登米市への定住を決めた後藤さん夫妻。建築中の新居は仮設住宅のそばに立つ=登米市南方町

 東日本大震災で家を失い、宮城県登米市の仮設住宅で暮らす宮城県南三陸町の被災者のうち、町への帰還を希望している人は5割弱にとどまることが、河北新報社が実施したアンケートで分かった。4割強が登米市に対し、災害公営住宅の整備や住宅購入資金の援助など定住支援策を求めており、被災地を離れた住民の帰郷の難しさが浮き彫りになった。

◎医療・雇用で町外選択

 仮設住宅退去後に居住を望む自治体は、南三陸町が最も多かったが48.2%と半数を割った。登米市は20.8%、両市町以外の自治体は3.0%だった。
 「分からない」(27.9%)と答えた人に、あえて現時点での希望を尋ねたところ、登米市41.8%、南三陸町30.9%、他市町14.5%、「決められない」12.7%の順で、登米市への潜在的な定住希望者が多いことをうかがわせた。
 登米市には南三陸町の仮設住宅が約480戸あり、2カ所が市中心部の南方地区、4カ所が南三陸町に近い津山地区に設置されている。同町の仮設住宅が町外に建設されたのは同市だけ。南三陸町への帰還を希望する人の割合は南方の44.0%に対し、津山は59.2%と高く、仮設住宅の位置が影響した形となった。
 居住地を選ぶ上で最も重視した点は「家族や隣人などの対人関係」が最多の23.8%。他には、「医療、病院」(22.3%)「南三陸町の復興への期待」(14.7%)「雇用、職場」(13.7%)が多かった。
 南三陸町への帰還を希望する被災者は対人関係や復興への期待を重視し、同町以外の希望者は医療や雇用を挙げる傾向がうかがえた。
 登米市に対する要望は「南三陸町の被災者向け災害公営住宅の整備」が最多で30.9%を占めた。「登米市内で住宅を購入する際の資金援助」も10.6%と多く、定住支援策を求める声が合わせて41.5%に上った。「南三陸町との合併の検討」も8.1%あった。
 現在の生活を送る上での不安は「病気、健康」が31.4%と最も多く、「仮設住宅退去後の生活設計」が23.8%で続いた。
 アンケートについて、佐藤仁南三陸町長は「帰還希望者が半数を割ったのは残念。全員帰還を目指し復興に尽くす」と述べた。布施孝尚登米市長は「南三陸町の復興に水を差すことはしないが、登米市定住を望む被災者の思いには配慮したい」と話した。

 [アンケートの方法]登米市南方町のイオン南方店跡地I期、U期と、同市津山町の横山I期、U期、若者総合体育館、横山幼稚園跡地の6カ所の仮設住宅で原則1世帯1人を対象に6月11〜15日に実施した。各仮設の世帯数に応じて配分し、記者の聞き取りで197人の回答を得た。内訳は男性68人、女性129人。年齢別は50代以下60人、60代以上137人。


◎「今より不便、無理」/現実直視、帰郷揺らぐ

 登米市の仮設住宅で暮らす南三陸町の被災者を対象にしたアンケートを通して見えてきたのは、将来の居住地をめぐる深い苦悩だった。帰郷か、新天地での定住か−。将来を見通せない不安の中で被災者は日々暮らす。(南三陸支局・中島剛、登米支局・肘井大祐)

<まさかの転機>
 33棟に約350世帯が暮らす登米市南方町のイオン南方店跡地仮設住宅。すぐそばで真新しい平屋が建築中だ。
 施主の後藤登さん(83)は現在、仮設に暮らす。建築が進む家を仮設の玄関から望みながら、「80歳を過ぎて家を建てるなんて、夢にも思わなかった」と言う。
 妻とくさん(80)と2人暮らし。南三陸町志津川の自宅は津波で流され、なりわいの養殖業の資材も全て失った。
 「生まれ育った故郷に帰りたい。今でもそう思う」。仮設暮らしの日々の中で、その思いは揺らいだ。
 2012年6月、転機が訪れた。散歩中に見た「売り地」の看板が目に焼き付いた。不動産関係者にも勧められ、悩んだ末に同年秋、新居を構えることを決めた。約2500万円の建築費は貯金や南三陸町の所有地の売却金などを充てた。
 町の構想では宅地は高台移転が原則で、震災前より買い物などに不便を強いられる可能性が高い。15年度の診療再開を目指す町の公立志津川病院も診療体制は不透明だ。
 今は歩いて買い物に行ける。通院も車で数分で済む。後藤さんはきっぱりと語る。「80歳を過ぎて、今より不便な生活はできない」。震災後、体調を崩しがちになった妻の身も気がかりだ。
 帰郷を断念した後藤さんには、将来の居住地に悩む同世代の被災者が数多く相談に訪れる。
 「町に戻る仲間には申し訳ない。でも、できるなら登米市に住みたいと思う仲間も少なくない」と後藤さんは話す。

<「行政の力を」>
 今回の仮設住宅アンケートでは「南三陸町の被災者が住める災害公営住宅を登米市に造ってほしい」「仮設を出た後も登米市に住みたい」といった切実な声が相次いだ。
 後藤さんと同じ棟に暮らす旧歌津町(現在は南三陸町)の元職員及川利征さん(69)は「住み慣れた歌津で最期を迎えたい」と帰郷を希望する。
 ただ、思いは複雑だ。同居の母ひさしさん(96)は透析治療のため週3回、及川さんの運転で登米市内の医院に通う。「家族のことを考えると、一筋縄にはいかない」
 仮設住宅の自治会副会長を務める及川さんは毎月1回、仮設住宅の集会所で「ちょい飲み会」と銘打った会合に加わる。高齢者を中心に40人近くが集まる。話題は決まって将来の住まい。最近は登米市定住を望む声が多くなったという。
 年金生活者や病気を抱える人も多い。「みんなで帰郷したいが、難しい。登米市に残りたいという仲間には、行政が手を差し伸べてほしい」。及川さんは今、そんな思いを強くしている。


2013年06月30日日曜日


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