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自民党の安倍政権は、不思議な政権だと思う。
2012年末の総選挙に圧勝して以来、高い支持率を保っている。考えてみれば、「戦後最低」と言われた、6割に届かない低い投票率の選挙で成立した内閣が、半数を大きく超える支持を保っているそのこと自体が、不思議な現象ではある。
12年の総選挙は、グダグダになってしまった民主党政権の信認を問うようなものであったはずだが、与党民主党の分裂、離党騒ぎが外にも波及してしまった結果、多党乱立の選挙になってしまった。10以上の政党が似たような、そしてそれぞれに違っているらしいことをアピールした結果、どこに投票したらいいのか分からない人が投票を棄権して、その人たちが選挙の後で安倍政権の支持をした、ということだろう。安倍政権の不思議さは、安倍政権よりも、これを支持する国民の方にあるのだと思う。
安倍政権が高い支持率を得ている理由はいたって分かりやすくて、この内閣がその目標を「景気回復」の一点に絞っているからだ。おそらく国民は、その点で「内閣支持」を表明している。しかし、当の安倍内閣の目標は「景気回復」だけではない。「景気回復」と「憲法改正」の二つがセットになって目標となっているはずだ。
それでは国民は、憲法改正をどのように考えているのだろうか? 考えられる意見は、「改正した方がいい」「絶対反対」と「よく分からない」の三つだろうが、そこに至る前に「なんでそれを考えなければいけないのだろう?」という気分が大きく立ちふさがっているような気がする。憲法改正に関する考え方で一番大きいのは、「問われれば考えてもみるが、今なぜそれを考えなければいけないのかがよく分からない」なのではないかと思う。
安倍晋三自民党総裁は、12年の総選挙以前から憲法改正――とくに憲法9条の改正を訴えている。しかし、内閣総理大臣就任後の各種世論調査では、憲法改正を「是」とする人の割合は、内閣支持の割合よりも低い。問われれば、「憲法改正反対」であるような人たちも、もしかしたら「安倍内閣支持」なのかもしれない。
「憲法9条改正」を言う政権側の声はいつの間にか聞こえなくなって、その代わりに「憲法改正の手続き」を規定する憲法96条の改正が言われる。政権側は「これを7月参院選の争点にする」とまで言ったが、憲法改正賛成派も反対派も「過半数を取った時の政権の都合で簡単に憲法改正が言い出されていいものか。時の政権を縛るはずの憲法が、時の政権の自由になるものになっていいものか」と訴えて、結局これも引っ込められたらしい。
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憲法改正の議論はもっと大きく扱われてしかるべきものだと思うが、どうも「どこかで起こって、いつの間にかどこかへ行ってしまった」というようなものになってしまっている。そして、憲法改正の議論を持ち出しても引っ込めても、安倍内閣の支持率はそうそう変わらない。はっきりしているのは、日本人の関心が「景気回復」に集中していて、内閣の思惑に反して、「憲法改正」への関心も問題意識も高くはない。安倍内閣を支持する日本人の過半数は、「景気がよくなること」にしか関心がないのだ。
その証拠に「アベノミクス」を言う安倍内閣に対して、批判の声がほとんど上がらない。安倍内閣以上の支持率を誇った小泉純一郎内閣でも「ワンフレーズ・ポリティクス」だの「ワイドショー政治」というような批判の声は多く上がったが、この第2次安倍内閣に対しては、そのような批判の声がほとんどない。
この内閣に対する表立った批判の声がほとんど聞こえて来ない理由を考えると、あっけに取られてしまう。「アベノミクス」を言って展開する内閣を批判することは、「あなたは景気回復を望まないのか?」と問われてしまうことにつながるからだ。誰がそれを言うわけでもない。なんとなくそんな雰囲気になっていて、口がつぐまれてしまう――そのような構造になっているとしか思えない。
「憲法改正の必要」を訴えようと訴えまいと、国民の関心は「景気回復の実現性」だけにあって、それを「着々と実行している」とする安倍政権に批判の矢は向かわない。「景気回復の実現性」を訴えられる政党は安倍自民党だけで、既にその内閣が成立する以前に、安倍自民党は新経済政策を訴えて、日本国内の株価もそれに反応して上昇の気配を見せていた。
株価が上がり、行き過ぎた円高を是正する円安が進行する限り、安倍政権は批判を免れる。景気回復を第一の主要任務と心得ているらしい安倍首相は、トップセールスで外国へ行く。中東で日本製の原発を売り込み、東欧でも原発の売り込みをする。福島の第一原発の事故以前なら「日本製の原発は安全だ」とも言えるだろうが、現に日本の原発は事故を起こしてしまった。「以前の原発と比べて、現在の日本の原発はもっと安全になっている」と外国に売り込むことは、「日本の原発は安全だから、現在運転停止中の国内原発もいずれは再稼働させる」ということにつながるはずだが、おそらく安倍首相は「私はそんなことを言っていません」と言うだろう。
日本経済を回復させるために、日本の首相が原発という高額なものの輸出を実現するためのトップセールスをするということは、それ自体悪いことではないだろう。しかしその日本は、最悪の原発事故を起こした国なのだから、ただ「いい」ではすまないはずだが、原発をセールスする首相に対して、ほとんど批判の声は聞かれなかった。原発を売り込みに行った先トルコの新聞は、「日本の首相が原発を売り込みに来た」と揶揄(やゆ)したそうだけれど。
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韓国や中国との関係が悪化して、そのことにイラついた結果なのだろうか、首相の口から韓国や中国を刺激するような「歴史認識」に関する発言が飛び出す。これをアメリカの新聞に「日本政府の歴史認識はおかしい」と批判されて、その結果、発言はおとなしく引っ込められるけれど、この問題で日本国内が大騒ぎになったわけではないし、「安倍首相はこう言いました」と報じられただけで、そこに批判の声がわき上がったわけでもない。
どうやら日本国民は「景気回復」以外のことはまったく考えなくなってしまっているらしいが、それでもおかしいのは、安倍内閣への支持率が高くても、その基本政策である「アベノミクス」に対して、全面的な信頼が寄せられているわけでもないらしいことだ。
「アベノミクス」に関しては、その初めから「本当に大丈夫なんだろうか?」という声が消えがたくある。しかしそれは小さな呟(つぶや)きのようなもので、批判の声にはならない。どうして批判の声にならないのかと言えば、「アベノミクス」――特にその「第一の矢」と言われる「異次元の金融緩和」がいいのか悪いのか、景気回復に実効性があるのかないのかが、正直なところ誰にも分からないからだ。
だから、値上がりした株が乱高下を始め、円安の事態がストップして逆転を始めれば、「アベノミクス」に対する批判の声が上がる。しかしだからと言って、「アベノミクス」が失敗したとして、それ以外に日本人が望む景気回復を実現させる方策があるのかと言ったら、これまた分からない。安倍首相の失政を望む声があったとしても、その声の主に「じゃ、景気回復を望まないのか?」と問えば、おそらく「望まない」という声は返って来ないだろう。
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国内に多少批判の声が上がっても、それが安倍首相を挫(くじ)けさせるようなことにはならないような気がする。なにしろ日本には、安倍自民党に代わりうる有力な政党がないのだから。
12年の総選挙における民主党の敗退は、ある重大な事実を浮かび上がらせる。それは、日本の戦後は、その時代に合致した新しい政党を一つも生み出せなかったということだ。結党が第2次世界大戦後のことだからと言って、自由民主党を「戦後的な政党」とは言えない。これは戦前からの官僚組織に対して強い親和力を持つ戦前的な政党で、自民党以外の政党は、みんな自民党に敗退し続けた「理屈ばかりで実行力を欠く政党」だった。そのことを敗退した民主党政権が証明してくれて、「アマチュアに政治は無理だ」ということが理解されてしまったから、多党化が小党乱立に変わってしまった。
「アベノミクス」になって、「自民党なら日銀総裁を動かして経済政策が変えられる」と人は思い、テレビに映る自民党の閣僚の顔を見て、「民主党の閣僚は頼りないアマチュアだったが、こちらはさすがにプロだな」と思ったりしているのだろうと、私は感じる。
そして、そんなことを考えて、もう一度「どうして日本から時の政治に対する批判の声が上がらなくなったのか?」を考える。それはもしかしたら、敗退した民主党政権のせいではないかなどと。
政治の世界では「実効性のない理屈ばっかり言っていてはだめだ」になって、だからこそひたすらに威勢のいいことを言う新政党も出現した。安倍内閣の「すぐやる課」的な矢継ぎ早な実行力も、「言うだけじゃだめだ」的な雰囲気の反映だろう。だから、「批判するだけじゃだめだ」という空気が広がって、言論は後退してしまったんじゃないだろうか。
しかし、国民は政治家とは違う。政治家なら「批判するだけじゃだめだ」は通っても、国民に「批判するだけじゃだめだ。対案を出せ」というのは無理な話だろう。国民というのは、「政策は政策として、でもなんかへんじゃないの? 疑問を解決してほしい」と政治家に言えるもので、政治家はその声を聞いて事態の改善を図るべきものだ。だからこそ、うっかりと国民の声を聞いてしまう安倍内閣は、したい「暴走」をせずに微妙な踏み止(とど)まり方をする。
その点で、批判の声はちゃんと生きている。だから「言うだけじゃだめだ」などという声を怖(おそ)れずに、言うべきことは言うべきだと思う。言うべきことが足りないから、なんだかよく分からない状況になっているんじゃないだろうか。誰もが口を開くネット時代になったんだから、もう少し「言うべきことはなんだ?」と考えるべきなんじゃないだろうか。
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はしもとおさむ 48年生まれ。77年「桃尻娘」でデビュー。小説、評論、古典現代語訳など幅広く活躍。「双調 平家物語」(毎日出版文化賞)など著書多数。