『ヒバクコク~切り捨てられた残留放射線~』 文字起こし(1/4)
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【原爆投下 1945年8月】
1945年8月、アメリカが、広島・長崎に投下した、原子爆弾。
死の灰、黒い雨による、残留放射線の影響を、日本は否定し続けてきました。
当時、海軍の兵士だった、甲斐 昭さんは、原爆が落とされた直後の広島に、救援活動などで駆けつけました。
【広島で被爆した 甲斐 昭さん(83歳)】
甲斐「被爆したならば、こういう体になるんですよと、これが被爆なんですよというのを本当に、全、日本、世界に、示すのが、日本の国の役目ですよ」
原爆の爆発の後に市内に入った甲斐さんは、入市被爆者と呼ばれ、被爆者健康手帳を持っています。
にもかかわらず、国は、甲斐さんがほとんど被曝していないと言います。
【死の灰】
入市被爆者を待っていたのは、死の灰。残留放射線でした。
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【佐藤 栄作 総理大臣】
佐藤「わが国の、懸命なる先輩諸君が、選んだ道。これが日米安全保障体制」
【元国防長官 ジェームズ・シュレジンジャーさん】
シュレジンジャー「日本政府は公式に核の傘の堅持をくり返し求めてきた」
【核の傘】
日本は、原爆を投下したアメリカの、核の傘の下にあります。
そのアメリカにも、核実験による残留放射線の被爆者がいます。
軍は、兵士をきのこ雲に突入させる訓練を、繰り返し行いました。
原爆を落としたアメリカ。被爆国の日本。共に、残留放射線の影響を、認めていません。
【ヒバクコク ~切り捨てられた残留放射線~】
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【広島で被爆した 甲斐 昭さん(83歳)】
甲斐「ようあの8月6日に入ったなと、私にいつも言われますよ。うん、本当私は8月6日に入ったんですから。嘘も何にもない。8月6日の8時15分 の第1課業が始まった時…始まろうとした時に、ピカッー!と光ったんですから。そして、あれから、30分くらいしてから分隊長から、今から広島の方に救援 に行くというので、トラックに乗って、20名がトラックに乗って行ったんです」
【名古屋駅 2005年】
甲斐さんは、愛知県知多市に住んでいます。
原爆投下から60年目の、2005年、広島に向かいました。
自分が被爆した道を、初めて辿りなおしてみることにしたのです。
【広島に原爆投下 1945年8月6日】
アメリカが広島に原爆を投下したのは、1945年8月6日午前8時15分。
当時18歳だった甲斐さんは、海軍の潜航艇に乗るため、広島県の当時の大野村で訓練を受けていました。
大野村は、爆心地からおよそ20km離れています。原爆の放射線の影響が、全く無いところです。
【広島市 西区(当時の己斐駅)】
広島市の西のはずれ、かつての己斐(こい)駅まで軍のトラックで到着したのは、午前11時頃だったと、甲斐さんは記憶しています。
市内の道路は瓦礫で塞がれていたため、トラックが入れず、電車道を歩きました。街は、なおも燃えていました。
目指していたのは、繁華街にあった銀行です。騒動に紛れて金が盗まれないよう、警備を命じられていたのです。
落とされたのが、原爆だとは知りませんでした。
広島は、一瞬にして廃墟と化しました。
その年の暮れまでに、14万人が亡くなったとされています。
銀行は、原爆ドームの先でした。
【被爆者が描いた絵】
橋が焼け付くような暑さで渡れず、甲斐さんたちは川底を歩き、流れてくる遺体の中から、まだ息のある人を引き上げる作業を行いました。
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【甲斐さんが警備を命じられた銀行付近】
ようやく銀行に辿り着いたのは、日没頃でした。
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8月6日の、甲斐さんが辿った道です。
原爆の影響のない、およそ20km離れた村から、爆心地目指してひたすら突き進んだことになります。
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【広島に投下された原爆】
【初期放射線 原爆から直接出る】
原爆の爆発から1分以内に出た放射線を、初期放射線と言います。
【残留放射線 初期放射線を受けた地面、建物などから出る】
【残留放射線 「黒い雨」「死の灰」など放射性降下物から出る】
初期放射線を受けた、地面や建物、そして、黒い雨、死の灰と呼ばれる、放射性降下物から、残留放射線が出ました。
爆発の後に駆けつけた甲斐さんは、初期放射線を浴びていません。残留放射線の被曝者です。
しばらくして、身体に様々な異変が現れました。
甲斐「歯ぐきから血が出る。それからもう…、こうに毛が抜けるねこうやれば、毛がぼろぼろぼろぼろ毛が抜ける、なんやこれなんでこんな毛が抜けるんじゃろうかな、としか思わんですよ。もう、被爆で、被爆したから歯から血がね、歯ぐきから血が出る、脱毛するわ、物が食べられんわ、何をする下痢はする、するなんていうことは、初めはわからんです、我々は」
【放射線による急性症状 脱毛・歯ぐきからの出血・下痢・白血球数の減少など】
脱毛・歯ぐきからの出血・下痢・白血球数の減少などは、初期放射線を浴びた人たちに生じた、急性症状と、同じ症状です。
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【南生協病院 名古屋市 緑区】
甲斐さんは、戦後、病院と縁が切れたことはありません。
【入市被爆者】
原爆の爆発の後に広島市に入った甲斐さんは、入市被爆者と呼ばれています。
甲斐さんは、戦後、甲状腺の悪性リンパ種などで、13回の手術を繰り返し、53歳の時、甲状腺の右半分を摘出しました。言葉が少し聞きづらいのは、手術の後遺症です。
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【愛知県 知多市】
甲斐さんは、1人で暮らしています。生まれ故郷は福井市ですが、戦後、病気で定職につけず、各地を転々としてきました。1997年、甲状腺を摘出した後の症状で、原爆症の認定を申請しました。認定されると、月およそ14万円の医療特別手当を支給されます。
【医療特別手当 月額 約14万円】
【国からの却下通知】
しかし、国から返ってきたのは、病気が原爆の放射線によるものだとは認められないとする、却下の通知でした。
当時、認定の審査会は、残留放射線による原爆症を、認めていませんでした。
甲斐「60年間、私たち被爆者を、今まで苦しめてきました。まだ、厚生省は、我々被爆者を苦しめるのか!」
【2003年 原爆症認定を求め国を提訴】
甲斐さんは、2003年に、原爆症の認定を求めて、入市被爆者として初めて国を提訴。被爆者306人による、集団訴訟が始まりました。
【名古屋地裁】
裁判では、甲斐さんが経験した脱毛などを、放射線による急性症状とみなすかが、大きな争点となりました。
【国側が裁判所に提出した書面】
国は、残留放射線を浴びた量、被曝線量は少なく、急性症状は起こりえないとし、甲斐さんの症状は、不衛生な環境による感染症、もしくはストレスによるものだと主張しました。
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【広島大学 原爆放射線医科学研究所 元所長 鎌田(かまだ)七男さん】
鎌田「じゃそういう事実があったのか、ですよ。赤痢ちゅうんだったら赤痢があったんかって。それこそ厚生労働省にそういう書面残ってるわけじゃないの、軍隊に残ってるわけじゃないの。そんなこと1つもないでしょ、書いてないでしょ?」
鎌田七男さんは、広島大学原爆放射線医科学研究所の所長でした。しかし、集団訴訟が起きるまで、入市被爆者の原爆症について顧みたことがありませんでした。
鎌田「入市っていう、概念も、科学者の中にはそういう視野に入ってなかったということはもう、明確に言えますねぇ。で、その視野を持ってなかったというのは、科学者の怠慢というか、ま、そういう風に、言われても、私はその言葉に甘んじます。でも、でも、それ以後は、これはしっかりやらないといけないなという、事を、今も信じてやってます」
【陸軍による医学調査の報告書】
鎌田さんは、原爆投下直後に、日本の科学者や軍が広島で行った調査を、見直しました。
【爆心地から五百メートル圏内に入った者に、白血球減少症(二三〇〇~五〇〇〇)】
そこには、8月6日に、爆心地から500m圏内に入った人の白血球の数が、通常7000~8000のところ、2300~5000に減少したと書かれていました。
鎌田「入市被爆者に、放射線の、被曝があったということは、当時の軍隊の資料から見て、明らかだと、いうことなんだ白血球の減少がある。強いからね。うん」
鎌田さんは、白血病を発症した、およそ3900人の被爆者の記録から、入市被爆者白血病の染色体を調べなおしました。
【入市被爆者白血病患者の染色体】
この患者は、8月6日に爆心地から1.8kmの地点に入っています。
○で囲った染色体に異常が見られました。
1番から3番は、2本の染色体が並ぶ、正常な形です。
放射線は染色体を切断します。点のように見えるのは、ちぎれた染色体の部分。4番の染色体は切断されています。
8月6日に入った入市被爆者に、白血病の増加が見られたことから、残留放射線の影響が強かったという結果を、鎌田さんは得ました。
鎌田「残留放射線はないよっていう、その科学的な常識が、ずーっとあったわけですよ。私もその中の1人としてそれを信じておったわけですよ。でも、一旦そのこれはおかしいっていうふうに気が付いて、あれやらこれやらこう見ていくと、腑に落ちないところがいっぱいいっぱい出てくるわけですよ」
【被爆者が描いた絵】
残留放射線を出す、黒い雨を飲んだり、死の灰を吸い込むと、内部被曝の原因となりました。裁判で甲斐さんの側は、脱毛などの症状は、深刻な内部被曝によるものだと主張しました。
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【被ばく線量評価システム DS86】
一方、残留放射線の影響はほとんどなしとする国の拠り所は、被爆者が浴びた初期放射線の量を計算した、DS86でした。日米の科学者が1987年に公表しました。
残留放射線は計算していないと但し書きがされ、死の灰による内部被曝をこれで推し量ることは出来ません。
【被爆者代表から要望を聞く会 広島市 2006年】
しかし、国は、原爆症の認定審査に、DS86を使う正当性をこう主張しています。
【厚生労働省 健康局長(当時)中島正治さん】
中島「審査会が用いております、被ばく線量の評価システム、につきましては、国際的にも認められたものでございまして、また放射線と疾病の因果関係につきましても、国際的に広く認められた知見、というようなものを元に審査を行っていただいてるところでございます。ま、このように、原爆症の認定につきましては、私どもとして、科学的に適正に行っていると、いう認識を持っておりまして、現在このあり方については、この方法以外にないのではないかという風に考えているところでございます」
甲斐さんは、そんな国の有り方が納得できませんでした。
甲斐「被爆したならば、こういう風になるんだよ、と。一生続くんだよと・・・・・・・・放射能をね、放射能をですね、1回浴びるか吸う、身体の中に内部被曝なればこうなるんだよと、ゆうことをね、研究してもらったならばですね、本当に、やって欲しいです、ほしいです、私は」
◆続く◆
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