安田浩一氏の変節と主張への反論
ネトウヨ騒ぎたいだけ・ストレス発散の場所としての新大久保
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安田浩一氏「最近のネトウヨ騒ぎたいだけ。新大久保デモも彼らのストレス発散の場所になっている」
今年に入って東京・新大久保を始め、全国各地で在日韓国・朝鮮人に対する排斥デモとヘイトスピーチ(憎悪発言)が拡大している。
ネトウヨ(ネット右翼)たちを排外運動に駆り立てるのは、「在日コリアンが自分たちの権利を奪っている」という“危機感”である。 その動機は欧米でも起こっている、移民や外国人の排外運動と一見すると共通しているように見えるが、日本のそれとは根本的に違う。
評論家の呉智英氏が喝破する。
「ヨーロッパでは失業率の高い国で排外運動が盛んです。たとえばスペインでは大卒でも定職に就けない人が5割を超えるため、 “移民に仕事を奪われている”という切羽詰まった意識があり、失業者から移民に対するヘイトスピーチが問題になっています。 しかし、日本の失業率はそれよりはるかに低い。選ばなければ仕事は十分にあるわけで、そこはヨーロッパとは決定的に違う」
実際、ネトウヨデモの参加者には安定した職業の人たちも少なくない。さらにいうならばネトウヨの活動の動機でもある 「在日特権」はもはや都市伝説レベルといってもいい。
たとえば、ネット上では以下のような“特権”が流布している。
・NHK受信料が無料 ・水道料金の免除 ・自動車税の減免 ・公営交通の無料乗車券交付
・マスコミの優先採用枠 ・公務員への優先雇用 もちろんすべてありもしないデマである。
それまで多くのネトウヨたちを取材してきた『ネットと愛国』(講談社刊)などの著書があるジャーナリストの安田浩一氏も呆れていう。 「ただ騒ぎたいだけなんです。とくに最近の運動は『娯楽』の要素が強くなっている。以前は内容には共感できませんが 、“権利を取り戻す”などの危機感があった。それが今は騒ぐこと自体が目的のようになっている。現実に、 先日の新大久保デモでは主催者の名前を冠に『祭り』とも表現されていた。ただ彼らのストレス発散の場所になっているだけです」
※週刊ポスト2013年7月5日号 NEWS ポストセブン 6月29日(土)7時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130629-00000006-pseven-soci
今回の週刊ポストの記事を読んだ訳ではない、あくまでもこのネットで書かれている安田氏の言葉だけしか知らない。よって他にも何か書いているかも知れませんが、ここに紹介されている言葉を彼が喋ったとすれば、それはやはり彼は変節したとしか私には思えない。
>ネトウヨ騒ぎたいだけ。新大久保デモも彼らのストレス発散
この根拠を彼は、主催者の名前を冠に『祭り』とも表現されていた・・・・ことで説明しようとしていますが、実際にデモの隊列を向かい側から見ていた彼が果たして本当にそれだけだと思ったのでしょうか?
もしも、本気でそのように感じそしてそのように思ったとしたら、残念ながら彼はこれまでの社会の底辺部を見続け、そこから権力側を撃つという、そのジャーナリストとしての魂を消失してしまったとしか見えない。
6月30日のデモに集まる老若男女もまたそんな祭り気分に浸りたい為に参加すると思うなら、その目で今日しっかりと見届けるべきです。安田氏は「在特会」の運動に参加している若者を自らの著「ネットと愛国」の中で次のように述べていた。
「社会への憤りを抱えた者。不平等に怒る者。劣等感に苦しむ者。仲間を欲している者。逃げ場所を求める者。帰る場所が見つからない者。ーそうした人々を、在特会は誘蛾灯のように引き寄せる。いや、ある意味では「救って」きた側面もあるのではないかと私は思うのだ。」9在特会に加わる理由(355項)
そこには社会派ライターとしての神髄が見えた。少なくとも左翼ではあるが、私としては評価したいものがあったのは確かだ。だからこそ、彼と喫茶店でコーヒーも一緒に飲んだこともある。ただし私は「在特会」や仲間の事に関しての取材には頑なに拒んできた。
ただ、時間を共に過ごしても良いと感じたのは分厚い「ネットと愛国」の著書の中でも、今回紹介したこの部分に対してだけある種の共鳴する部分があったからだ。しかし、今回彼はまるでそれを否定去るかのように、「騒ぎたいだけとかストレス発散」と決めつけてしまった。
彼の中で何らかの変化があったのだろうか?本が売れて有名になりテレビのコメンテーターになってしまったと勘違いしているのか?単なる一回のデモの趣旨が「祭り」になったからと言って、それでデモ参加者の<憤り・怒り・苦悩・焦燥・連帯感>を見失っては行けない。
余りにも皮相過ぎるし俗な言い方をすれば<安っぽい>物言いでしかない。変節に驚くと同時に私の中で彼に対して持っていたイメージが崩れる瞬間でもあった。
今日我々の愛国運動に結集する人々は、政治権力や経済界・労働界・マスメディアと最も遠いかけ離れた存在でもある。「しばき隊」などが今日も複数の弁護士を配置する程の力量があるのに対して、その力の差は歴然としている。
言って見れば現代社会における敗者の群れかもしれないのだ。しかし、ここまでくればもうそれはさほど重要ではない。重要なのはその敗者が団結し反撃を開始したという事にある。
その場所が今回はたまたま新大久保のコリアンタウンであった。明日には池袋のチャイナタウンに飛び火するかも知れない。ヘイトスピーチもたしして重要ではない。声を挙げ始めたことが時代の観察者に取っては困惑なのでしょう。
現在、民主主義を脅かす最大の脅威・悪として我々はマスメディアによって取り上げられている。かつてのファシズムの再来であるかのように、滅び行く運命の旧左翼までもが狂喜乱舞している。
遊びでも憂さ晴らしでもない。為政者や左翼が国家・民族への衝動が始まったことを認めたくないのは分かる。参加者には自分達が名誉ある誇り高いナショナリズム運動に参加し始めているという自負心が芽生えて来た。
これが諸君達が一番望まない恐れる≪極右≫への萌芽であって欲しいと私は信じたい。
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