特集ワイド:憲法よ ノーベル賞学者・益川敏英さん
毎日新聞 2013年06月27日 東京夕刊
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇「いちゃもん」魂、今こそ−−ノーベル賞学者・益川敏英さん(73)
◇もめごと解決の知恵は必ずある 人を殺さないでいいのが平和
「アハハ、そるの忘れちゃったんだ」
ノーベル物理学賞学者で、京都産業大教授の益川敏英さん(73)が平和憲法を守れ、と日本列島を飛び回っている。そう耳にし、大学を訪ねたら、その顔に白い無精ひげを見つけて驚いた。世界のノーベル賞学者ともなれば、出勤は送り迎えの車で?と問えば、即座にこう返ってきた。「地下鉄とバスで通っていますよ」。なんとも庶民的なおっちゃん先生である。
「つい先日は山形、沖縄も行ったなあ。そうそう、北海道にも。声がかかれば、どこへでも出かけていく。さすがに自分で手をあげて、オレにしゃべらせろ、としゃしゃり出ていくパワーはなくなったよ。右のほおから右足のつま先までしびれているんだ。十数年前、軽い脳内出血をおこして、その後遺症があって。筋肉に余裕のあったころはよかったけど、このごろ、弱ってきたよ。うまく歩けない」
ノーベル賞学者が出前語りするのは「2枚の写真」、自らの戦争体験である。敗戦の色濃い1945年3月、益川さん一家のいた名古屋を米軍機B29が爆撃する。「僕は5歳でね。焼夷(しょうい)弾が木造2階建ての瓦屋根を突き破り、2階の床も突き抜け、土間に転がった。ゴロゴロッと。アルミの八角形だった。幸い不発弾だったけど、その光景が写真のように頭にこびりついてしまった。もちろん、あたりは火の海。父と母はリヤカーに家財道具を積み、僕を上にちょこんと乗せ、必死に逃げまどう。もう1枚の写真は、そのときの両親の形相。不思議とムービーじゃなく、スチール写真として記憶にはっきり刻み込まれてしまったんだよなあ」
この体験はストックホルムでのノーベル賞受賞記念講演でも触れた。「日本を出発する前、そんなことは言うべきじゃない、そぐわないなんて雑音も聞こえてきたけど、僕は言わなきゃいかんと決めていました。名古屋空襲で爆撃されたのは、僕の家のそばに高射砲陣地があったからでね。傑作なんだ。迎え撃つっていっても7000メートルしか届かない。B29は1万メートルの上空を飛んでいる。だから歓迎の花火を上げているみたいなもので。バカバカしい戦争だったね」