このブログの1つの記事にて、修羅の青春記ホームページを感銘を受けてくれて、ホメ感想記事が出ていて、大変、感謝感激雨アラレです。
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(山根ブログより抜粋)
何と!例の自分の件が、天下のNHKテレビや読売新聞各社や、ネット・Yahoo!やニューストップ記事、各ネット掲示板など大ニュースに!
何と何と!例の、自分が今回の一連の事件で、とった行動が、全国で波紋を呼び、社会現象が
起きてしまっています!
被害者がネットに容疑者の写真公開
5月28日 16時58分 神奈川県警の鶴見警察署で、軽乗用車を盗まれた被害者の男性が、警察から話を聞かれた際に、
容疑者の少年の顔写真などの捜査資料を撮影し、インターネットのブログに一時、公開していたことが分かりました。
警察によりますと、公開されていたのは、ことし3月に横浜市中区で軽乗用車を盗んだとして、おととい逮捕された19歳の少年の顔写真などです。
警察によりますと、被害者の40代の男性は、少年の逮捕前の今月24日に鶴見警察署で話を聞かれましたが、 その際、机の上に置かれていた少年の顔写真などの捜査資料を警察官が目を離した隙に撮影し、インターネットのブログに公開したということです。
翌日になって気付いた警察官からの要請で画像は削除されましたが、それまでおよそ1日にわたって 目の部分が隠された少年の顔写真などがインターネットに公開されていたということです。
ブログには少年の名前の一部も書き込まれていたということで、警察は、担当した警察官から事情を聞くなどして問題がなかったか調べています。 鶴見警察署の伊東博志副署長は「事実関係を調査のうえ、今後とも情報管理に努めてまいります」とコメントしています。 ※私が、例の未成年から、軽自動車を盗まれてしまい、被害者として憤慨憤激し、班長の調書の最中に、 隙を見て、デジカメにより、撮影してしまい、未成年の、フルネームと写真を、自身のブログにアップしてしまった、事につきましては、深く反省をしております!
今回は、私のとった、軽率な行動により、関係者各位の、鶴見警察担当班長、担当N氏、鑑識方、
私が昔から、お世話になってる、I刑事、並びに神奈川県警本部には、多大なるご迷惑を
お掛けしてしまった事に、つきましては、深くお詫びを申し上げます!
幾ら、警察の仕事だからとは言え、折角容疑者として、身柄を逮捕して頂いたのにも、
関わらず【犯人逮捕】という現実に、舞い上がってしまい、先走ったと、後悔しています!
まさかこんなに、大きな騒ぎになるとは、思ってもいませんでした!
しかし、私のこの「後悔」と言うのは、自分が仕出かした、行動自体に、反省や後悔をしてるのでは、ありません!
逮捕して下さった、警察に対して、迷惑をかけて、恩をアダで、返してしまったと言う後悔です!
私が、容疑者の写真を撮影したのは、班長は一切知らなかった事ですし、
私が、ノートパソコンの、盾をうまく利用して、班長の目盗んで、一瞬の隙をついて、
撮影をしたモノですので、班長は一切関係なく、責任は一切ありません!
私が、巻き込んでしまっただけです!
最初から、この行動に、対して、当然後先の事も、多少は考えてやったつもりですので、
容疑者の、配慮もして、目の棒線も入れてます!
しかし、私は、正直、幾ら相手が未成年だからと言って、顔写真公開や名前も、事件によっては
マスコミ各位が、公表してる場合もありますし、幾ら捜査中や逮捕前だったからと言って、
車からは、私サイドの人間達以外、その人間の指紋しか出なかったので
事前に、指紋捜査で、発覚した容疑者が、窃盗常習犯と聞いてましたので、
多数の窃盗前歴があるのであれば、100%その未成年が犯人と断定してる訳です!
窃盗常習犯と言うことで、再犯の恐れもあるし、自分の犯した罪の重さを、実感させる目的と、
逃走出来ないように、指名手配前の包囲網を張っただけですので、これが罪に問われるとは、思っていませんし、
そもそも、私は、元々、被害者の立場なのですから、ある程度この位は、
許されなくては、理不尽だと思っていますから!
あくまでも、悪いのは、私の自動車が、ハザード四灯と鍵がついた自動車を、
車道から、堂々大胆不敵に、そのまま盗んで、乗って行って、廃車同然にしてる容疑者が、元凶ですから!
こんな事が、あったからって、容疑者に対する、心境は今だに、変わっておりません!
今は、相手の出方次第で、示談にするのか、どうするのか検討中でございます!
容疑者が、開き直って、私を告訴するなら、法的に真っ向から、対立し、裁判で争う所存でございます!
金銭を要求したのも、示談交渉ですし、私は、逃げも隠れもしませんし、
自分がとった行動が、間違ってるのであれば、
罪に問われ、責任を問われる事でしょう!その時は、腹をくくるしかありませんが、
厳重注意で、罪にはならないと思います!向こうの方が不利ですので!
警察に迷惑をかけたこと、世間を騒がしてしまった事に関しましては、申し訳ございませんでした!
鶴見警察は、何の落ち度もなかった事だけは、事実ですので、ご理解の程、
よろしくお願い申しあげます!
しかし、今回も、嫉妬に狂った、例のアンチ共のヤカラが、各機関に、嫌がらせで、必死に通報と言う
暇な事をやった結果が、こうなったが、不幸中の幸いで、雨降って地固まるで、棚からぼた餅で、
俺は、全国区で有名になったかな?(爆笑)
次は、例の件で、アンチ達のフルネームや画像を、載せられる日を、楽しみにしてるぜ(爆笑)
※これらの他、逮捕されていない自分の悪行、犯罪の数々※
*修羅の青春記から抜粋* ◎小学生の時、校内暴力の嵐で、気に入らない事があると 同級生達を苛めて泣かしたり、何人も多数の同級生に、 ヘッドロックをかけ、ぶっ倒した拍子に、相手の全身を床に激しく叩き付けたり、殴ったりしていた。
やられて傷付けられた相手と親が、自分の家に事情を聞きに来たりもした。(後年、小、中学同級生だった友人のN氏が中学時に
「山根ちゃんは小学生の時は 喧嘩ばかりしてたよなー」と証言。それと小、中学同級生だった女子生徒の
友人K氏は、 23歳の時に「小学生の山根君はとても凶暴だった」)と証言。(暴行)
◎小学生の時、兄弟喧嘩で、実弟と一緒に風呂に入っている時、殴り合いの喧嘩になり、
こっちは無傷で、弟の鼻を鼻骨骨折させて、鼻血を出させてしまった。相手が実弟だったため、深く反省している。(傷害)
◎自分が30歳過ぎの頃に、修羅の青春記の自伝本を、企画出版(出版費用を、出版社が負担してくれる出版) して下さる、出版社の、ゴーストライター(全体の約30%執筆協力)のK氏が、 家族も取材したいと言うので、鎌倉で家族インタビューした時に、弟が証言し、 小、中学生の頃、自分が家庭内暴力の嵐で、母と弟に、暴力を振るったり、暴れたりが凄くて、 当時、弟が母と二人で、外に避難していた事もあると証言していた。これも相手が身内なので反省している。(暴行) 自分が20歳位の頃から、今は、兄弟親子仲良しで、自分は母や弟に対し、一切その様な素振りや言動は無く、
逆に、弟から怒鳴られたり、怒られたりする事もある(笑) ◎小学生時、近所のスーパーマーケットでの万引きの嵐。(窃盗)
◎小学生の時、近所の商店街にタコ焼きを屋台で、販売しに来ていた、的屋の不良がいた。
いつも大体二人組で、兄貴分と舎弟で、二人共40代位だった。その二人組とは、自分は、以前から顔見知りの二人だったが、
ある日、自分の小学生の女の同級生二人(一人は、後文に出て来るカンニング事件のK氏)が、その屋台の近くに立ち
話してたので、自分は、格好つけて、その的屋二人組を、近くまで行って「バーカバーカ!ホラ!かかって来いよ!」と 笑いながら、オチョクっていたが、最初は、さすがに相手は、当時ヤクザ同様の的屋で40代二人組であり、
幾ら突っ張っていた小学生の自分でも、小学生一人は相手にしてなかったが、さすがに、自分が、営業中に
シツコク上等切って、宣戦布告していた為に、舎弟の方に捕まり、屋台まで、自分の体を持ち上げ、連れ込まれて、
頭を何度もゲンコツを食らってしまったが(笑)最後は和解し、兄貴分の方が「ホラ食え」とタコ焼きを数個食べさせてくれたと言う逸話もある。(営業妨害)
◎中学生の時、気に入らない奴の家に放火しようとライターで玄関辺りを点火してると、家主が出てきて逃げた。(放火未遂)
◎中学生の時、横浜トップクラスアウトロー中学の、本牧の大鳥中学から転校して来た、 当時身長約180cmで、横幅も広い大柄な同級生I氏を、少林寺拳法技で苛め、暴行。
後年、そのI氏が自分と再会した20代当時、体が、身長約190cm近くになっており、日本トップクラス任侠組織系組員となっており、
「俺は山根さんに中学の時に、少林寺でよく苛められた」と言っていた証言。(暴行) ◎17歳の頃に、港定時にバスや単車で通っていたがある日、バスの中で 目つきの悪い不良が自分にメンチを切っていた(ガンをつける)ので、 自分は問答無用で顔面にワンパンを入れた。(暴行) ◎17歳の頃に中学時代の同級生と偶然会い、そいつが中学の時は真面目だったのに、高校生となってから、 急に格好が不良になり、派手になり、高校デビューで生意気な態度をとってきたので
後日そいつを呼び出し、中学から同級生で友人の淋姦強姦永田一家のメンバーの N氏の家に連れて行き、自分と淋姦強姦同じ年のメンバー二人のN氏とD氏と一歳上の淋姦強姦の 総長O氏四人で、そいつを監禁し、皆で殴る蹴るの暴行のリンチを加え、悲鳴を上げ泣いていた。そして金銭を要求した。(監禁、集団暴行、恐喝) ◎淋姦強姦のそのメンバーで、中学時の卒業アルバムを持ち出し、同級生だった気に入らない人間達数人を ピックアップし、それぞれに電話をかけ、脅かして、エロビデオを法外な金額で売りつけていた。(集団恐喝) ◎自分が淋姦強姦のメンバーから、大量のシンナーを購入し売りさばいた。(毒劇物取締法違反) ◎17歳の港定時の時、自分と同級生で、同じ年のZERO篠原支部(後に、好健会最高顧問となるT氏と、 自分と同じ年の地元が栄区の、大柄で、柔道の有段者で、後に好健会副会長兼山根会副会長となるK氏と、
一歳下の地元が保土ヶ谷の暴走族で、自分の弟分だった後輩S氏一人の四人で
横浜西口に繰り出し、 数人の暴走族や、不良グループを見つけては声をかけ、仲良くなり、東口の人気のない所へ
連れて行き、急に態度を豹変させ、自分が「金を出すか、ボコボコにされるか、どっちか選べ」と
脅迫し金品を強奪し、拒否した者は皆で暴行を加えた。自分達は、相手が不良以外の一般人には、 絶対に相手にしなかった。何故なら、弱いもの苛めは好まないし、何より、不良の方が訴えられる可能性が少なかったからだ。
自分達はこれを不良狩りと称し、毎日しょっちゅうやっていた。
(本来自分の一歳下の、地元が日吉の後輩メンバーY氏が、もう一人居たが「こんな悪い人達にはもう付いていけない」と脱落していった。)(脅迫、集団強盗致傷)
◎同じメンバーで、同じく不良を見つけては、メンバーの誰かしらが「お前俺とタイマン張れ」と タイマンを仕掛けて戦い勝利を得ていた。時には不良とすれ違いざまに喧嘩になり、メンバーのK氏が 相手のサングラスを取ってそれを折り、折った部分で顔面に刺し、顔からシャワーのように出血、流血した。(暴行、傷害) ◎10代の時、横浜西口を歩いていたら、自分の一歳下の後輩の浜連横浜西口剣の
U氏が大柄な何者かとタイマンを張っていて、U氏が形勢不利になっていたので、
自分が所持していた刃物で相手を刺そうと、刃物を向けて、相手めがけて
突っ込んでいったら、「わー!」と驚き、一目散に必死に逃げていった。(殺人未遂)
◎10代の時、自分と、このホームページの港定時集合写真の、左側に立ち、ブルーのジャンパー姿で写っている、
港定時後輩の、浜連羅漢寺尾支部で、当時日本トップクラス任侠組織系組員だった、長身で男前のA氏と、
港定時の弟分で、後に極道や好健会事務局長で一緒となる自分の三歳下の、地元が海老名の長身で男前のY氏と、
同じく自分の弟分だった、自分の一歳下の、地元が蒔田の男前のU氏の四人で、山下公園に車でゆっくり走行中、
後ろからクラクションを鳴らしてきたので、一回道端にそれ、後ろからついていき 人気の無い場所で皆でその車から四人を引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加え金品を強奪した。(集団強盗致傷) ◎自分と、港定時の後輩二人と自分の不良の後輩一人の四人で、ノックアウト強盗を計画し夜道を歩いている男三人組を、
まず最初に、自分の一歳下の保土ヶ谷の元、代紋違いの舎弟だった横浜任侠組織系組員F氏が飛び蹴りを入れ、皆で暴行を加え、 文字通り自分のメンバーの、後に好健会事務局長となるY氏のワンパンにより、一人はノックアウトされたが、
結局は逃げられてしまい、金品までは強奪できなかった。(集団暴行、強盗未遂)
◎10代の頃、港定時の弟分で、後に極道や好健会事務局長で一緒となる
自分の三歳下の、地元が海老名の長身で男前のY氏と、二人で弘明寺を歩いていたら、こっちにメンチを切っている、
生意気な不良が居たので、自分が笑いながら、おちょくりながら、
そいつの顔面に二、三発パンチを当てながら、「オラ!オラ!」と掛け声を出しながら、寸止めをしたりして遊んだ。(暴行)
◎港定時のメンバー数名で、国道一号線保土ヶ谷狩場辺りを車で走っていたら、浜連以外の、暴走族二台が走っていたので、 例の自分の一歳下の、地元が保土ヶ谷暴走族の弟分S氏が止めて、暴行を加えた。相手は湘南連合戸塚音の二人組で、
年下のK氏で、後日再会したので、同じ全日本麗心愚連盟だったので、謝っておいた。(暴行)
◎10代の時、港定時の一歳下の後輩の走り屋のT氏が、同じクラスメイトの、自分の一歳上の後に日本トップクラス任侠組織系組員となるT氏から、 苛められていて、そのS43の方のT氏が、S45のT氏をクラス全員で、シカトする様に手を回していたので、
自分に相談してきた。自分はS43のT氏も仲良しだったが、S45のT氏に「俺が横に付いていてあげるから、
ブッ飛ばしちゃって良いよ」と言って、二人でS43のT氏の所に行き、人気の無い階段へ連れて行き、自分が訳を話すと、
S43のT氏は根性が入っており、その場で地面にうずくまり、やられる体制になった。自分はS45T氏に
「やっていいよ」と言うと、S45T氏は発狂し、「テメー!この野郎!」とS43T氏をボコボコに殴る蹴るの暴行を加え、今まで苛められた
恨みを、これでもかと言う位、〆続け、血だらけになったが、しかしS43T氏は一切音もあげず、
泣きも入れず根性が入っていた。そろそろいいかと思った頃、自分は止めた。
後で自分はS45T氏から、非常に感謝されたが、自分は元々S43T氏とも仲良しだったのに、
その事が気の毒だと思い、彼が在学中に、覚せい剤で逮捕されたりして面会に行くなど、後々は何かとフォローした。(傷害教唆共同共謀正犯)
◎港定時の生徒で、自分と中学時同級生だった男が、他人に「山根は隼人高校時代、苛められていたから、俺が助けた」と、出鱈目悪口を吹いて、自分の耳に入ったため、 学校の裏、数人の生徒のギャラリーの前で、そいつの顔面を数発殴った。そいつの隣に居た自分も知ってる後輩が
止めに入ったので、そいつの事も飛び蹴りを入れた。そしてその同級生に
「こんな事が有ったからって、明日から学校に来なくなるなよ?また明日からちゃんと来いよ!」と言ったが、
残念ながら次の日からは、来ないで、学校を中退してしまった。(暴行)
◎20歳の頃の、日本トップクラス任侠組織系極道時代に、自分と組員五人と堅気二人の計八人で、車二台で江ノ島に遊びに行って、自分ともう一人の
二人が 他の六人と、はぐれてしまった。すると横浜の磯子岡村の元極道達が、人をリンチして血だらけにしている場面に
残りのメンバーが遭遇したので、そこで助けようと双方で喧嘩になり、相手に刺青や指の無い人間もいたので、
こっちの組員が看板や兄貴分K氏の名前を出すと、相手のリーダーはK氏と同じ年で知り合いだったのだが、
生意気な態度で引かなかったらしい。相手のリーダーI氏は、横浜S43年代トップクラスアウトローである。
K氏も同じく、横浜S43年代トップクラスアウトローである。相手側の方が人数が多かった為に多勢に無勢で形勢不利になり、
やられてしまった。その報復で、後日相手達を、自分の当時の兄貴分K氏達と相手の地元に行って、襲撃しようと探したり、
追い込み、K氏が電話でI氏を怒鳴って、相手を事務所に呼び出し、S43I氏とS41K氏のリーダー格二人が来て、
まずI氏の鼻を兄貴がワンパンでぶん殴り、事務所の壁に血しぶきが飛び散り、その兄貴や組員達で
凶器持参でメッタ打ちの袋叩きにし長時間リンチをし、鼻骨骨折や顎骨粉砕など負傷し、 血だらけにして気絶させた。
自分はこの時組員に指揮をしていたり止めていた。しかしその内のリーダーI氏は音を上げず命乞いもせず根性が入っていた。
そもそも二人とも事務所に呼び出されて、ちゃんと来る事自体が気合が入っているし、しかも、あれだけやられたにも関わらず、 帰りに自分が、五階からエレベーター下まで見送ったのだが、I氏が重症で動けなくなったK氏を肩に担いで帰って行った事も驚いた。(監禁、集団殺人未遂共同共謀正犯)
◎21歳の堅気の頃、弟分だった黄金族S49総長M氏と、同じく弟分だった、岡村蜘蛛S46総長Y氏の浜連の後輩二人が、
相模原を走行中に、そこら近辺の某チームに、やられた報復で浜連現役とOB約50人で凶器を集め、
車数台でそこの地元に乗り込んだが、相手側のグループ本体には、カチ合わなかったが、一緒にいた、
後輩達が走行中のヤンキー車を数台潰した。しかし後年、そこの巨大武闘派有名暴走族連合南関東CRS連合の、相模スペクターの主力メンバーの自分の同じ年や、
二歳年下や、六歳年下のOB達とは仲良くなった。自分と同じ年の人間は、二人居て、一人は日本トップクラス任侠組織系組幹部のW氏と、
日本最大最強任侠組織系組員のT氏の二人は、自分の永田の自宅に遊びに来たこともある。
後は、相模スペクター総長は、S52年代総長Y氏が、バイク屋の社長をやっていて、自分が30歳位の時に、そのバイク屋の広告を見て、
族車のGSX400F(ジーフォア)を購入した事がある。対応は、さすがに客商売なので、礼儀正しく、しっかりしていた。特に二歳下の有名人H氏は、当時自分と付き合っていた、
地元が川崎北部の彼女と共通人物であり、仲良しだったが、病気で亡くなってしまい、心からご冥福をお祈りいたします。(凶器準備集合罪、集団暴走行為、器物損壊)
◎22歳の頃クレジットカードを契約・購入し紛失窃盗された事にデッチ上げ、 警察に被害届を出し、約百万の枠を自分や仲間達で使った。今現在は時効となっている。(カード詐欺) ◎港定時からの自分の弟分だった自分の一歳下の地元が保土ヶ谷の暴走族で、喧嘩の強いS氏がいて、港定時での例の不良狩りの時に活躍していた
メンバーであり、コイツは包丁を持った不良と素手でタイマンを張り勝った武勇伝を持つ不良だった。自分が23歳の時、自分が淋姦強姦のステッカーを作り
アチコチにサバイていた所、同じく自分の弟分だった、自分の五歳下の南戸塚ピエロの後輩にステッカーを付き合ってもらい、
集金日に電話すると「えっ?もうS君に渡しましたよ?山根君から集金を頼まれたからって」と、やられてしまった。
やりくられた横領である。自分は同じく自分の一歳下の保土ヶ谷の元、代紋違いの舎弟だった横浜任侠組織系組員F氏と、同じく、自分の一歳下の元、
日本トップクラス任侠組織系組員で自分の舎弟だったH氏にその件を話すとF氏が「マジですか?とんでもない野郎ですね!シメましょう」と言ってくれた。
この二人は自分に対して、大きな忠誠心を持っていてくれていて、自分も、不良の実力者の彼達の事は、大好きだった。しばらく柄をかわしていたS氏を、
自分の親友が捕まえてくれて、人気のない駐車場で弟分二人が殴る蹴るの暴行を加え始め、F氏が「ただじゃ済まさねーぞ!この野郎!」と、
これでもかという位に二人でガッチリヤキを入れ続けた。自分を裏切った制裁である。長時間リンチは続いた。しかし自分は一切手を出さなかった。
何故ならいつも一緒にいて、自分の事を師匠と呼び、慕ってくれて、何をやるのも一緒だった可愛い弟分だったからだ。しかしそれだけに裏切られたショックだった。
だからSから何も誰もケジメを取らず、放っとけば、S自身の為にもならないと思った。Sは気を失い気絶した。Sが目が覚めると、
逃げようとしたのでH氏が捕まえて「まだまだだ!コラー!」とシメた。そろそろいいかと二人を止めた。(集団暴行教唆)
◎25歳での日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員の時、関西の事務所泊まり当番で、
叔父貴や組員達の計5人で寝泊まりしていたら、夜中に起こされて、I組長の姐さんの店に、酔っ払いが、
小便をひっかけてると言うことで、皆で柄を取りに行くということになり、ワゴン車で柄を取りに行き、自分の兄弟分と組員で殴る蹴るの暴行を加え、
ワゴン車にサライ、車内では叔父貴が相手の顔面に蹴りを入れて、事務所に連れて行き、組員が殴った。
相手は元、日本最大最強任侠組織当時No.2二次団体系組員であった。(逮捕監禁、集団暴行共同共謀正犯)
◎同じくここの組の時、自分とS兄貴とI叔父貴と姐さんと組員四人の計八人で高速道路を走行中、I 叔父貴と姐さんの車が一台の別の極道幹部のベンツに煽られ事故をしそうになった為その交通トラブルから
七人で降りて行き、まず自分がそのベンツの上に上がり車を潰しその極道を皆で山奥にさらい 皆で 殴る蹴るの暴行のリンチを加えた。しかしこの極道も顔面を腫らしながら音を上げず命乞いもせず根性が入っていた為に ヤキが終わった後、自分は「根性入ってるよ」と声をかけた。この件はその後、 一悶着あったが、手打ちとなった。(器物損壊、逮捕監禁、集団暴行) ◎26歳の堅気の頃、後に好健会メンバーとなる事務局長Y氏、地元が戸塚の元、戸塚中学番長で、横浜S49年代ステゴロ最強で
その代の横浜トップクラスアウトローの、後に好健会総隊長で、日本最大最強任侠組織系巨大ブランド当時No.1
二次団体一門系統現役組員でも一緒にもなるT氏(彼の実兄が自分(山根)の一歳上にいて、元、浜連六角橋で、自分も仲良しだった。)、
と、自分の五歳下の地元が戸塚の当時好健会行動隊長で後に魂龍会組織委員長となる
長身で男前のA氏の三人と、自分の一歳下の後輩で地元が瀬谷の元日本最大最強任侠組織系組幹部S氏と、その彼女と泉区の
年下の不良の後輩などの計七人で、夏に三浦海岸へ海水浴に行った時、東京町田の四、五人グループに
喧嘩を売られたので、自分が相手の髪を掴んで「殺せー!殺しちゃえー!」と指示し、
後輩達が相手全員をぶちのめし、泣いてた者も居た。(脅迫、集団暴行)
町田と言えば、自分の知り合った後輩の町田のヤンキーが、巨大武闘派有名暴走族連合関東CRS連合の町田スペクターの
自分より年下の有名な総長S氏から、苛められていると相談を受けたので、S氏に電話をして、
苛めを止める様に圧力を掛け、話を付けて、S氏とも、お互い、お見知りおきとなった。
◎26歳の堅気の頃、自分の泉区の後輩が自分に下手を打ったので、自分の後輩達に
見つけたら、さらうように頼んでいて、後輩達がその下手を打った後輩を見つけて
カップルで居る所を、さらってきてくれて、家に連れて来たのでその後輩の彼女とセックスをした。(逮捕監禁教唆、強姦)
◎自分の一歳下の瀬谷の後輩の元日本最大最強任侠組織系幹部S氏が、覚せい剤絡みで下手を打った人間を
数人でカップルで居る所を自分の家にさらってきたので、その女を自分はセックスをした。(強姦)
◎27歳の時、自分と好健会のメンバーの若い衆四人の五人で、以前山下公園でトラブルになって逃げたチーマーの横浜西口のキャバクラの店長の 店に、恐喝しに行った帰り、店の外で偶然、以前山下公園でトラブルになって逃げた別グループの男数人とキャバクラの女二人が 居たので、その内の一人を会のメンバー一人が暴行を加え、相手全員を好健会全員の車にさらい、女一人は帰し、会のメンバーの大和市の家に連れて行き、 「この女を悪い様にはしないからお前らは帰っていい」と男は全員解放し、女一人に「俺らにエッチをやらせろ。但しこの全員で 一人ずつお前と交渉してヤリたくない人間とはやらなくていいから。それなら強姦じゃないだろ?」と説得し、 結局自分と会の会長代行二人が順番に性行為をした。(集団逮捕監禁)
◎自分と好健会のメンバー若い衆(好健会事務局長Y氏、元、全日本麗心愚連盟大和ピエロで、 当時好健会理事で、日本最大最強任侠組織系巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員でも一緒になるS氏、
自分の五歳下の、地元が泉区の当時行動隊長で、現在日本最大最強任侠組織系巨大ブランドNo.1二次団体系現役組員I氏)
の三人と四人で横浜西口に居た時、浜連以外の暴走族のカップルが
自分達を笑いながら通り過ぎてった為、 I氏がその暴走族に殴りかかり一対一のタイマンとなり、殴り合ってる最中I氏が刃物を取り出し相手の 腹や腰二箇所を刺した。しかし女の前で格好つけたのもあるが、気合の入った暴走族で刺されて血だらけになっているにも かかわらず「畜生ー!テメーら絶対金取ってやるからな」と言ったのだ。自分達はその場から去って、 四人で、緊急会議を開き、刺された被害者が、もし死んでしまった場合の、身の振り方などを話し合った。後日その暴走族の
先輩のOBである、このホームページに写真が出ている、自分の仲良しの後輩の、自分の七歳下の地元が戸塚の、 巨大武闘派有名暴走族連合神州連合創立者総長兼泉区領家一家極道総長の、カリスマ暴走族M氏と、自分の仲良しの後輩の
五歳下の元、全日本麗心愚連盟有名暴走族連合湘南連合戸塚音で、日本最大最強任侠組織系組幹部で、横浜S49年代トップクラスアウトローのケツ持ち極道I氏 から電話が入り、M氏が「山根君達だったんですか、自分の後輩刺したの。自分達で犯人探してたんですよ」 自分「ごめんねーMちゃんの 後輩って知らなかったからさ。で、彼は今大丈夫なの?」M氏「傷口はえぐれちゃってて凄いですけど、 ピンピンして集会に出てるから大丈夫ですよ。こいつの親も、警察に被害届を出すところだったんですけど、自分がうまく 言っておきますから」そして最後に、自分達のやる事が危険だという意味で、M氏が笑いながら 「危ない(笑)危ない(笑)」と言っていた(笑)このM氏には大きな借りが出来てしまった。(殺人未遂共同共謀正犯)
ここの暴走族グループは、M氏の同じ年の地元が戸塚の親友K氏は、毎年大晦日からお正月に明ける時、年明け挨拶の連絡をくれていた。
そして、自分の八歳下の地元が日限山のこのチームの総長のA氏は、A氏と自分の共通人物とのトラブルに、A氏に仲介を頼まれて間に入ったり、
仲良しでした。因みにA氏は、背が高く、横浜S52年代ステゴロ最強で、その代のトップクラスアウトローである。
◎27歳の時、自分と好健会のメンバー七人の計八人で藤沢にいる時、男二人が女二人をナンパしていたので会最高顧問のT氏が若い衆一人に
「あそこでナンパしてるから、あそこ行って女ナンパしてきなよ」と言い、手二人の男とトラブルになり、その内の一人が携帯で 人を呼んでいたので自分は笑いながら「ほら、誰かを呼んでるよ。どんな人間が来るのか楽しみに待ってようよ」と皆に言って 待っていたら不良が乗ってるセルシオが現れ、到着し、運転手と相手二人が車のトランクから武器を取り出してきたので、自分が 好健会理事のS氏に「Sちゃん、ナイフナイフ!ナイフ出しちゃって」と言った瞬間、若い衆達が一斉に相手に飛び掛って行き袋叩きにし、S氏は 相手の発端になった相手の内の一人の頭をナイフの逆側で何度か刺した。すると相手は血だらけになりながら悲鳴を上げて逃げていった。 自分はセルシオの上に乗っかり車を潰した。そしてそのナンパされてた女二人を車にさらい、しばらく走ったが、 若い衆の一人が「このままじゃ警察がまずくないですかね?」と言うので、皆で現場に戻ると、 案の定パトカー数台警察大勢が来ていて「お前等傷害で逮捕するからな!」と言われたが自分は「あ?何でテメーが勝手に そんな事決めんだこの野郎!一方的な話しか聞いてねーだろ!」と怒鳴ると、相手連中が警察の前だからと、 調子に乗って、勢い欲く突っかかって来たので自分は笑っていた。相手がケツ持ちにも電話して「相手は右翼です」と会話していたが、自分達は、全く怯まなかった。 とりあえず双方お互いが藤沢警察に連れて行かれる事に、警察に「ちょっとだけ時間をくれ」と皆を集め、打ち合わせをし、 自分は相手達が先に、トランクから凶器を取り出してきた事による、正当防衛と、デッチ上げの 喧嘩両成敗に持って行くことをひらめいて、こっちも傷を負った事にする為にS氏に軽い傷を自分で作らせて、 皆で警察に行き、 皆で説明し、正当防衛・喧嘩両成敗で全員解放となった。相手のケツ持ちも、 警察署にも来なかった。(器物損壊、集団暴行、殺人未遂教唆) 後年、別件で南警察に逮捕された、取調べの時の担当刑事に「前に藤沢でセルシオ潰したろ?情報入ってるけど、 アチコチで滅茶苦茶やってると、その内大変な事になるぞ」と忠告された(笑) ◎好健会の28歳の頃、自分と最高顧問T氏、副会長K氏、事務局長Y氏、で用事で金沢区に夜に行った帰りに、 朝比奈で暴走族の車満載の男女達がいたので、自分が、その女がほしくて、いきなり、さらおうと、車のドアを開けて、女強引にを引っ張って、
引きずり出そうとしていると、どこからともなく、その暴走族達のケツ持ちの刺青を入れた不良が来て、自分達に喧嘩を売って来たので、
自分が「テメー何処のもんだ!コラ!○○会か!コラ!」と!うなると、まずT氏が相手の顔面にチョーパン(頭突き)を入れ、K氏がワンパンを入れた。(逮捕監禁未遂、集団暴行)
◎30歳の頃の好健会の時に、自分と同じ年の地元が小田原の、町田でデートクラブを経営していた、好健会顔写真の人物の会長代行M氏が、 好健会右翼新聞を作り、アチコチの企業や店に無差別に送り売りをやってたら、
南警察の右翼担当の刑事達が自分の自宅に来て、「Mがアチコチに新聞をまいてるから、
今回だけは、警告で済ましてやるから、会長の方から、言っておいてくれ」となった。(強要)
◎30歳の頃、自分と当時付き合ってた女と横浜西口にいる時に、トラブルになったチーマー風の連中を会の約十人でさらいに行った時、
自分と若い衆一人が、たまたま席を外してた時に、残りの会の連中に二人組の不良が酔っ払って警棒で威圧をかけてきたので 一人の若い衆がその警棒を取り上げ、相手の頭をバチバチにカチ割り、血だらけにすると一人は逃げてしまい、やられたそいつは 「兄貴呼ぶぞ」と言ってきたので若い衆が「呼べ!早く呼べよ」と言いながら数人で〆て車も潰した。(傷害、集団暴行、器物損壊) ◎自分と同じ年の地元が磯子の元、日本最大最強任侠組織系組員で、当時好健会の会長代行(このホームページの
山根会の顔写真一覧表に出ている、好健会会長代行とは違う)と、
自分の一歳上の言葉遣いが丁寧で、自分の好きな先輩の元、浜連、保土ヶ谷の
和田町剣の先輩のY氏(殺人前科のある)の三人で山下公園に行ったら、車に満載の
不良グループが車に乗りながら自分達に喧嘩を売ってきたので、自分は金属バットでその車をボコボコに潰すと車は走って逃げて行った。(器物損壊) 因みに、和田町剣は自分の三歳下の総長で元、日本トップクラス任侠組織系組員だった故・H氏は、
自分の暴走族の舎弟で、自分の愛車バブVを売り譲った事もあったが、H氏は後年、
病気で亡くなってしまい、心からご冥福を祈る。後は和田町剣は、S45で現在、日本トップクラス任侠組織系組幹部の
O氏、S48の総長のA氏、元、日本トップクラス任侠組織系組員だったF氏などと仲良しだった。
他の和田町剣のメンバー達とも仲良しだった。 因みに、ここの隣の西谷剣は、自分の二歳上の自分の好きなN氏が居て、
自分が好健会の若い衆達と希望が丘のパブスナックに飲みに行った時に、和田町の舎弟を連れていたN氏と偶然に再会し、
当時N氏は、自分が昔所属していた一家の、現役だったが、店のホステスの女の子に
「暴走族の有名人だよ」と紹介してくれた人だった。N氏は一回、店内から出て行ったが、
再びN氏のベンツで、どこかの美人ホステスを連れて戻ってきて、
ダンディーで言葉使いも丁寧で、インテリヤクザの格好良い人だった。
そして西谷剣は、S46年代の総長N氏とも、自分は仲良しだった。
◎各分野有名人多数輩出横浜最大規模分譲団地の、自宅のベランダに住み着いてしまった鳩の糞公害と
安眠妨害に悩んだ末、元、エースピッチャー本領発揮で、小さな岩を鳩めがけて思い切り投げつけて
命中的中し、方向感覚を失い自分の部屋に入ってきたところを網で捕まえ殺虫剤などで殺した。(鳥獣保護法違反(鳩殺し) ◎30歳過ぎの山根会での時に、山根会の若い衆とキャバクラに行き、自分が気に行ってる女をその若い衆が気に行ってしまい、 事もあろうに、そいつが、その女を裏で口説いて、自分の悪口を言ったのだ。この女は、プライベートのデートなどに 誘ってくれていたりしていた、長身で美人の女だった。その女は「こんな事して、
会長にバレたら、ただで済むと思ってんの?」と言ってくれたらしいのだ。それが発覚した日に、
その若い衆と普通に飲みに行く約束をして、当時自分が乗っていたシーマを「会長、自分が運転します」と言うので、「今日はいいよ、ちょっと飲みに行こう」
と言い、自分が運転し、某病院の近くまで行き、ドアを開けて逃げられないように壁に車をピタリとつけて若い衆の足を「舐めんじゃねー!」と
刃物で何回も突いたのだが、若い衆は、何が何だか分からず「会長!どうしたんですか!!」と動揺して
叫んでいたが、当時冬で、そいつはスウェットとジーパンを重ね履きしていたため、
刃が肉に届かず「自分の胸に聞いてみな。心当たりあるだろ。詳しい訳は、後で話すからケジメつけろ」とズボンを脱がさせ、刺し切った。流血した。
若い衆は悲鳴を上げていたが、ちゃんとケジメをつけるために、足を差し出してきたんだから根性は入っていた。
そしてそこの病院に連れて行って、医者が傷口を縫うように勧めたが、本人が縫う事を拒否した。(傷害、下手をすれば殺人未遂)
◎当時付き合っていた、地元が本牧の彼女と揉め、凶器のキリで手首を刺した。 この彼女は、現在も付き合っているが、この子が18歳の時に、自分の刺青に影響されて、
背中一面に刺青を入れて、すぐに完成させた。彼女は自分(山根)のために、体を売り貢いでくれていた。(傷害)
◎自分が山根会の頃に自宅にいると、自分の二歳下の、元浜連の伊勢佐木町ロードランナー総長で、
横浜ベイスターズ私設応援団会長で、魂龍会行動隊長兼山根会行動隊長のO氏と
自分の五歳下の地元が六ッ川の元、日本最大最強任侠組織系組長実子(彼の父親とも、自分は仲良しだった)の
魂龍会行動隊副隊長兼山根会会長付のS氏の二人が来て、O氏が「兄貴、大変ですよ」と言っており、
そこには、当時、自分が付き合っていた、地元が藤沢のキャバクラの女が男と居たので家の中で訳を聞くと、
若い衆の二人が横浜西口にいる時に自分の彼女とスカウトマンとが車に一緒にいたので、S氏が男をシメて
二人をサラい連れてきてくれたのだ。 しかしよくよく女と男の話を聞くと、その男は、その自分の女をキャバクラにスカウトした男で、 女が店の仕事を上がり、家に帰る帰りの足として、その男を利用していただけであって浮気でも何でもなかったらしいので、
若い衆二人には一万づつお礼を渡して家から返し、その男にも謝り、仲良くなり、女だけ残して家から返した。
因みに、伊勢佐木町ロードランナーと言えば、O氏と同じ年のW氏も、自分の弟分みたいなモンだった。
(こういう場合でも、相手の男に訴えられた場合は、自分が若い衆に指示してなくても、使用者責任法により組織の長がパクられてしまう場合もある。暴行、逮捕監禁)
◎自分は生涯交通違反が多く、10代での単車無免許運転や免停3回や、大きいのでは、自分が走行中に、相手の車の側面に突っ込んで、
相手の運転手が内臓破裂になってしまったりや、ここだけの話、自分が運転する車にアオってきたり、スピードを出して運転してたり、
生意気な走りをして走ってる車の連中の前に、ワザと出て行き、急ブレーキを踏んで、お釜を掘らせ、自分がムチ打ちになり、病院に通い、
金をたくさん儲け、それはたくさんやった(笑)しかし交通違反やルールの治安を良くするための世直しの一貫でもあった(笑)(自動車運転過失傷害多数)
◎自分が40歳位の堅気の時に、人からの紹介で、地元が港南区笹下の、ある家族三人の両親と、当時30歳位の女に計35万を金利をつけてもらい貸したが、 返済日に全員で携帯電話も一斉に一時止めて、バックれた。後から判明したことなのだが、何とその家族は寸借詐欺一家だったのだ。 しかもその娘の弟は、浜連以外の元暴走族で、ある事件で懲役中の、とんでもない家族一家だった。 港南区でエステ店を経営してる家族だったので、まずはバックれた夜中に、自宅と店に中傷脅迫ビラを貼った。すると店のオーナーだと言う、 組関係者の不良を母親が出してきて不良が「営業妨害だ」とクレームを出してきたが、自分は一歩も引かず、電話で口論になり、 その相手が「山根さんと、揉めるつもりは無いです。」と言ってきて、折れてきたので、結局はその不良とは、 仲直りし和解したが、母親を怒鳴りつけガンガン脅かし、家族には相変わらず請求追い込み続けていたら、 今度は娘が極道のお偉いさんに面倒を見てもらっていることを言ってきて、その人間が自分と話をするような圧力をかけてきたので、 自分は一歩も引かず「そいつが間に入るならそいつに金を払わせろ」と言い、「俺をみんなで騙しやがって、金を借りて返すの当たりめーだろ! 返さないテメーが悪いんだろ!何処の誰を知ってるのか、知らねーが、俺にはそんなの、関係ねーし、通用しねーぞ!」と 娘をガンガン脅かしていたら「ならもう私を殺して下さい」と死ぬ気もないくせに、開き直ったりした。 最終的には、自分の追い込みにより、母親が、自殺を二回して死ななかったが、 全身打撲で重症で動けなくなった。それは母親本人からも、ある他人からも確認した。自分を騙した天罰であるから、 良い気味だと思ったが、死に切れてないし、娘はピンビンしてるので、悔しかった。しかもこの親子は、 母娘揃っての究極のブスで、代わりに体でという訳にもいかない親子であった(笑)そして最終的には娘が弁護士を出してきたが、 その一家はアチコチのヤミ金から借りまくり、寸借詐欺を働いていたらしいので、弁護士にその件などを話をしたら、 弁護士も動揺していて、「もし、それが本当なら、そんな家族では、内は引き受けることは出来ませんね」と言っていて、 調査すると言っていたが、結局自分の方は、あまり追い込み過ぎると、元々こっちも違反なことをやっているので、パクられたくなかったので、 母親の自殺でツーペーのチャラで、あきらめた。この家族は笹下出身で、現在港南台の団地に住んでおり、 港南区でエステ店を経営している、この家族のイニシャルはKである。この詐欺一家には気を付けよ! そして、何と!自分に矢を向けて、自分が恨みを残した人間は自分で復讐した場合と、 もう一つの不思議な現象が、必ず、不幸や災難が起きるのであるが、 何と!調べた結果、後年この母親の方は死んだのである!万歳! (貸金業法違反、出資法違反、軽犯罪法違反(建物貼り紙)、脅迫、営業妨害) などなど他にもありますが、これらが主で、
上のこれらの項目内容についての詳しい内容は本に書いてあります。 ※武勇伝編※
*修羅の青春記から抜粋*
◎自分の今までのタイマンの数は約20人で、勝敗は勝利多数と引き分け少数。そして相手にダメージといえば
自分の拳のパンチで、口の中を切り出血したり、ある年上の人間は、自分の拳のパンチで顔面自体から出血した。
負けが小学生の時に一回だけ。 と言っても訳ありで、正確には負けではないのだが、言い訳になってしまうかも知れないが、
詳しくは、後文の、※自分が衝撃を受けて感銘を受けた人物編※欄に書いてある。
◎自分の一歳下の浜連剣希望が丘支部の総長であった後輩T氏が、浜連以外の横浜地獄軍団瀬谷地獄族S46リーダー格の人間から
単車を取り上げられてしまったという事で、自分の友人の後に好健会最高顧問となったT氏と 自分と同じ年の、当時浜連希望が丘剣で後に、自分が入隊する右翼T社での自分の舎弟となり、
後に好健会会長補佐で、山根会会長補佐となる、柔道の達人のO氏とT氏の四人で某チームの家に単車を取り返しに行き
自分がまずT氏の単車を取り返し、更にその人間の所有するロケットカウルの
単車を自分が買うという約束をして、結局金は払わなかったが、その彼とは後年仲良しとなった。 この希望が丘剣は、自分と同じ年の総長I氏も自分は仲良しで、後は自分の一歳下の仲良しだった後輩のN氏が、
現在東京新宿任侠組織T会の最高幹部になっている。
このチームの他のメンバー達も、みんな仲良しだった。
◎17歳の時、港定時の自分の一歳下の、地元が鶴見生麦の生徒の走り屋のY氏が、Y氏の同じ年の、地元鶴見寛政の、不良生徒I氏に学校内で、
苛められてるので助けて欲しいと頼まれたので、自分はI氏の教室にいきなり乗り込んで行って、
「テメーか!Yを苛めてる野郎は!」と廊下に出すと、タイマンとなり、
「だから何だ!」と自分にワンパンを入れてきたので、自分が
発狂してI氏の顔面に攻撃し暴れ、「ぶっ殺してやるー!」と叫び、
I氏を上階の窓から落として殺そうと思い、I氏の体を窓際に持って行っている最中に、
「窓から落ちて死ね!この野郎!」と体を窓際に追いやっていると、
騒ぎを聞いた生徒のギャラリー達が、大勢出て来て、自分の
一歳上の元浜連本牧党のK氏に止められたが、自分は止まらず、
どうしても窓から落としたかったので、I氏の体を押しながら持ち上げていたら、
K氏に後ろから自分の体をI氏から離された。I氏は怯んで、
自分に握手を求めて来て謝ってきたので、自分も握手をして和解して、自分が勝った。
その後はY氏への苛めも無くなり、自分とI氏とは先輩後輩として、仲良しになった。
◎10代の頃、港定時の横浜市の定時制高校体育大会にて他校の生徒と自分が喧嘩になり、 相手の顔面に平手のビンタを数発食らわせた。
◎港定時の一歳下の後輩の彼女が、ある極道に山奥に連れて行かれ強姦されてしまったので
自分とその後輩と港定時の二歳下の後輩で集まり、当時暴走族だった自分がその極道に電話を入れ 「俺の後輩の彼女を山奥に連れてって強姦しやがって、どうケジメ付けんだこの野郎!」と恫喝すると、 極道が「知らねーよ、関係ねーよ!お前は誰なんだよ?」
「俺はお前みたいな人間を成敗する正義の味方の不良なんだよ!」と脅かしていたら相手が電話を一回切り
三十分ほど話中になってしまい、再度電話をかけると男性が電話に出て「誰よ?」
と言ってきたので自分が「人にものを尋ねる時は、まずテメーから名乗れ!」と言ったら
「警察だよ」と言うオチになってしまった。
◎19歳ぐらいの堅気の時、港定時の一歳下の後輩の女友達が、日本トップクラス任侠組織系川崎トップクラス二次団体組関係者の
準構成員と揉めて、家に乗り込まれ凶器でボコボコにされてしまった事から、
後輩が自分に相談してきて、その後輩と港定時の自分の二歳下の後輩の三人で相手に電話を掛けた。
自分が相手に脅しを掛けると、相手が看板を出してきたので、自分も当時某組織からオファーが来ており、その組に入る予定になっていたので
そこの看板を出し、相手の組に上等切って相手を呼び出して金を詰めさせたのだが、後でこの話は大事になり、
相手の組の連中が後輩の家にサライに行き後輩が捕まり、人質にとられた。そして自分の家にも追い込みが来たのだ。
当時堅気だった自分は、電話で呼び出され、相手は自分達に手は出さないと言ってはいるものの、そんな約束など当てにならない。
人間は約束を100%守ると言う保障など、何処にも無い。もし今出て行けば、自分も当然さらわれて相当な仕打ちが待っている。
下手をすれば殺されるかもしれない、しかし電話で相手の組織に上等切った時点でこうなる事は多少予想できた訳だし、
もし自分が仲間を見殺しにして逃げれば、男の世界で一生みっともない笑い者となってしまうと思った。警察に頼ることもみっともない。
知り合いの極道に間に入ってもらおうとも考えたが、やはり自分でやった事は、自分でケツを拭くのが一番で、他人に迷惑もかけたくはなかった。
この状況は、究極の選択である、芋を引いて逃げるか、警察に通報するか、極道に頼むか、自分で行くか、この四つの選択である。
結局自分は腹をくくり、一人で向かうことを決心した。人間覚悟を決めて腹をくくれば何て事は無いと自分に言い聞かせた。
指定された場所に行くと、大型高級車が止まっており、相手の連中に「車に乗れ」とさらわれた。そして後部座席の真ん中に乗せられ
逃げられないように塞がれた。車内では「お前らガムテープでぐるぐる巻きにして、コンクリート詰めにしてやるからな!」など脅かされたが
手は出されず事務所に連れて行かれた。事務所には約十人程待ち構えていた。まず事務所にいたリーダーが自分の胸元の服から
体の中を覗き、刺青が入っているかどうかを確認していた。そして「お前は何処かの組織と関係あるのか?」と聞いてきたので、
自分が「関係ありません。」と答え、リーダーが「前は何処かに居たんか?」自分は以前に右翼団体に所属していたので、その事を答えると、
リーダーが「通りで、恐喝のやり方が慣れてると思ったわ。」と言った。話し合いの最中に小さな灰皿で頭に一発食らって血だらけになったが、
自分と揉めた当事者の相手が止めてくれた。他の組員からは「お前が一番年上なんだから、お前が一番悪いよ。」と言っていた。
金の話し合いになり、最終的には追い込まれてたもう一人の二歳下の後輩が、暴走族時代のチームの先輩の極道K氏と、そのK氏の暴走族の舎弟を連れて、
事務所に三人で来て、話し合いになり、金の動きも無く解決した。しかもK氏は、ケツを持ってくれたにも関わらず、
その上に、帰りに自分達三人に「これでみんなでタクシーで帰りな」と一万円を渡してくれたのだ。何と性格の良い男義あふれた極道なんだと感心した。
自分に灰皿を背負わせたリーダーが自分と後輩の為に「タクシー!」と
遠くのタクシーを拾ってくれた。この縁により自分がその解決してくれた極道と縁を持ち、後にその極道K氏の舎弟となった。
K氏は、このホームページに写真も出ているが、元、浜連大口羅漢S43年代総長で、横浜S43年代トップクラスアウトローである。
そして、K氏と一緒に来た暴走族、浜連大口羅漢の舎弟の自分の二歳下のI氏も、正式にK氏の舎弟となり、I氏と同じ羅漢の
同じ年の総長S氏と、もう一人のS氏もK氏の舎弟となり、自分の三歳下のS氏も、K氏の舎弟となった。そこの羅漢の、自分の一歳下のS氏は、
自分より先にK氏の舎弟となっていて、自分は、その5人とも仲良しだった。因みに、大口羅漢の自分と同じ年のO氏は、自分が隼人高校の時、同じクラスの同級生だった。
そして大口羅漢S43年代の、K兄貴の同じ年のメンバーは、O氏、元、日本トップクラス任侠組織系組員のH氏、T氏、横浜任侠組織系組員のS氏、
あだ名(ゲンバ)氏達とも、自分は知り合いだった。羅漢の寺尾支部の、自分の二歳上の総長で、日本トップクラス任侠組織系組員のA氏とも、自分は仲良しだった。
あと羅漢は、このホームページに写真が出ている、S42総長のH氏と、同じくS42総長K氏は、現在日本トップクラス任侠組織系幹部で、自分の叔父貴分である。
H氏の実姉も良い人で、パブスナックのママをやっていて、お店で遊ばせて頂いた事もある。
後は、大口は、自分の四歳上で、元、日本トップクラス任侠組織系トップクラス二次団体の、自分と
当時同じ一家で、後に、日本最大最強巨大ブランド二次団体一門系組長の、横浜s40年代ナンバー1トップアウトローで、自分の兄貴分となるS氏がいる。そのS氏の兄貴分であり、
元、日本トップクラス任侠組織系川崎トップクラス二次団体で、後に日本最大最強巨大ブランド二次団体一門系組長となり、自分がお世話になっていた、I氏もいる。
後は大口羅漢は、自分の六歳上の総長兼全日本麗心愚連盟総会長のT氏で、その後大手芸能プロダクションI軍団に所属し、神○正○氏のマネージャーであり、
松○聖○氏とも、仲良しだった。事務所を辞めた後、株式会社山根企画A(ア)運転代行副社長兼、
同和団体の茨城支部長という肩書きも持っていたが、代行も同和団体も辞めたが、彼は自分の、堅気の兄弟分である。
自分は、羅漢の他のメンバー達とも、仲良しだった。隣の子安蛍死蝶は、自分の三歳上の総長下の名前がS氏とも、自分は仲良しだった。
子安蛍死蝶は、自分の二歳下のM氏も、自分は仲良しだった。その隣の蛍死蝶大口支部は、S46年代総長M氏が、港定時の後輩で、自分も仲良しだった。
後は、子安は日本最大最強巨大ブランド二次団体一門系組員で一緒になる、大分年上K氏がいる。
◎10代の時に、当時堅気だった自分と同じ年の港定時の同級生で、当時極道だった後に山根会最高顧問となるT氏一人と、後もう一人誰かがいたが、
三人で関内を歩いていたら、極道二人組がタクシーとのトラブルで、タクシー運転手を小突いていたので、自分達が助けようと、間に入って行ったが、
相手は某組長とボディーガードであり、勢いよくつっかかってきて、 自分はボディーガードにチャカを見せられたが、
一歩も引かなかった。結局は極道同士の看板での話合いとなりタクシー運転手も救われ終わった。
◎当時は堅気だった21歳位の時、自分と港高校の後輩メンバー三人の、このホームページに写真が出ている、 自分の一歳下の地元が戸塚の格闘家で、後に、横浜トップクラス青年実業家となる、男前のH氏と、このホームページの、雑誌の切り抜きで、
港定時特集で、白いパーカーで、下はGパン姿でパンチパーマで写っている、浜連上大岡グループS47年代リーダー格だった、男前のY氏と、
同じく雑誌の切抜きで、左から二番目のスーツ姿の、パンチパーマで写っている、自分の三歳下の、
地元が港南台の、後に日本トップクラス任侠組織系組員となる、自分の弟分だった、男前のK氏の四人で、福富町を車でゆっくり走っていたら、極道が居たので、
何気なく見ていたら、車に向かってきて肩の部分の服をひっ掴まれて怒鳴ってきたので、自分も負けじと、啖呵を切り口論になり、H氏も自分に「さらっちゃいましょうよ」 と言っていて、自分と相手が掴み合いの、とっ組み合いの喧嘩になり、刺青が見えたみたいで向こうが引いて、謝ってきた。
※淋姦強姦の後輩達の記事。
◎20代の時に、上の新聞記事の事件の数年後、淋姦強姦六ツ川支部の六歳下の後輩M氏が、浜連集会で女をケツに乗せて走っていたら、戸部で待ち構えて張っていた 浜連と反目対立グループ大勢に捕まり、 さらわれて川崎の埠頭にドラム缶に詰められて海中に沈められそうになった。
その時にMがチーム名を聞かれて答えると「山根君の後輩?」と解放されたそうなのである。 ここの対立チームは、
元々自分の個人的に仲良しだったリーダー格S氏とその取り巻き(矢向や川崎丸子など)数人がいて、この話をMから聞いた瞬間、益々この対立グループには敵対意識がなくなった。
後、ここのチームは、自分の五歳上のK氏も知り合いで、自分の七歳上のリーダーで、現在横浜駅近くの不動産屋の社長である、旭区の豪邸に住み、
新車レクサスを乗るO氏が、自分の経営する運転代行の常連のお客様である。
因みに、ここの相手グループは北部と南部に分かれているが、北部の自分の同じ年の、暴走族の実力者だったN氏は、
自分と日本トップクラス任侠組織の時に、同じ一家で、一緒に車で浜連の集会に出た事もある仲良しだった。
◎23歳の堅気の時に、横浜西口のハマボールという、有名な遊び場スポットがあるのだが、そこで横浜連合剣の幹部会が、毎週行われており、
剣のレディースも一緒だった。合計20人位集まっており、自分はその幹部会に、港定時時代から、自分の弟分だった、自分の一歳下の地元が
保土ヶ谷の暴走族のS氏と、自分の一歳下の保土ヶ谷の元、代紋違いの舎弟だった横浜任侠組織系組員F氏と、
港定時から自分の弟分だった、自分の三歳下の、地元が海老名の、後に極道、好健会事務局長、プロボクサーとなるY氏の数人で見学に行くと、港定時時代の
自分の一歳下の生徒だった、後輩のN氏が登場して、自分に「山根君、あのレディースの女達ナンパしてきてもらえませんか?」と頼んできたので、
自分は恥ずかしかったので、そこの近くにいたN氏の剣の後輩に、自分が頼んでナンパを行かせた。すると、その後輩が自分に
「すいません、無理でした。引っかかりませんでした。」と言ってきたので、自分は後輩に「それNちゃんに言って」と言うと、
後輩はN氏に伝えると、いきなりN氏は後輩にヤキを入れて、〆始めたのだ。自分はまずい、俺の事でこうなったんだと思い、
止めに入ると、N氏が自分の体を振り払い「ここどこの地元だと思ってんだよ」と啖呵を切ってきて、自分はその時サンダルを履いていたので、ガードレールに
ひっくり返ってしまったのだ。N氏は剣OBでもあり、元極道で体にもばっちり刺青が入っている、トッポイ男であった。
自分は、一歳下の後輩にナメられちゃいけないと思い、激怒して、N氏に近づいて行き「テメー!誰に喧嘩売ってんだこの野郎!」と
N氏の顔面に、左ストレートのワンパンをヒットさせた。そして周りの皆に、止められながら、自分は「誰かー!鉄パイプ持って来い!」
「テメーよ!今こうやって皆に止められて、何も出来やしねーけどよ、後でテメーとキッチリサシで勝負してやっから!」と啖呵を切ると、
向こうが怯み、侘びを入れてきたので、和解した。N氏は「山根君、ホラこれ見て下さい」と口の中を見せてきて
「切れちゃって、血出ちゃってます」と言っていた。自分はガードレールに、引っくり返されたが、無傷で、N氏は自分のワンパンで
口の中を切って、出血して、向こうが引いたので、自分の勝ちである。このN氏とは、元々仲良しで、その後も仲良くするのであった。
この喧嘩では、自分の連れのY氏が、自分の気迫に驚いていた。
◎24歳の堅気の時に、自分が付き合っていた、地元が戸塚の平戸の女が、地元のトラブルで戸塚の暴走族の有名人の某氏と
揉めてしまったが、自分の彼女が、自分と付き合っている事を某氏に話をしたら、某氏は自分とは面識がなかったが、
某氏の方が自分の存在を知っててくれて、自分の女に土下座をして謝ってくれた。
◎24歳の堅気の頃、淋姦強姦の弘明寺の三歳下の後輩達が、自分の同じ年の友人親友で、元、浜連笹下覇王リーダー格で、
当時日本最大最強任侠組織系の組長クラスであり、現在組長のT氏の、
暴走族の某チームの実弟達と、上大岡の居酒屋で喧嘩、乱闘となり、お互い負傷者が出たが淋姦側がビール瓶で実弟の頭をカチ割り、
負傷させてしまい、警察沙汰にもなり、しかも喧嘩を仕掛けたのが淋姦側だったので、自分の友人T氏は、その後輩たちを山奥にさらう計画、
段取りをしてる所、後輩が自分に相談して来たので、自分が間に入り、T氏と当事者達で、
上大岡のファミリーレストランで話し合いをし、後輩六人に一人30万ずつ示談金を支払わせて解決させた。
このT氏は、横浜S44年代トップクラスアウトローであり、以前は自分に「交流を深め合おうよ」と言ってくれて、二人でよく遊び、
自分がやっていたホストの店にも、しょっちゅう飲みに来てくれていたT氏は、昔からバリバリの不良で
喧嘩も強かったが、私にに対して、嫌な言動や態度を一度も、
とったことないし、色々お互いに持ちつ持たれつだったし、男義があるし、男前で、女にモテる男だった。
現在も任侠道で頑張っているので、影ながら応援している。
因みに、T氏の組事務所に遊びに行った時、自分の一歳上の地元が上永谷の、この組の組長であり、
T氏の兄貴分でもある、横浜S43年代トップクラスアウトローのT氏への紹介を受け、知り合いとなった。
◎24歳の堅気の頃、自分と同じ年の友人(後に好健会副会長兼山根会副会長K氏)二人でK氏の車のトランザムをK氏が運転し元町近くで
暴走族が約百名程で集会とかち合い、自分達はタチ悪を気取りでK氏と二人で車でそのままその集団に突っ込んで行き 二人組みの一台を単車ごと跳ね飛ばし、その二人は逃げ、(噂によると、その件で一人が足を骨折した)K氏は先に一人で車から降りて暴れ、 その後、自分が乗ってる車が凶器持参の族達に囲まれたので、自分から降りて行くと、自分の頭を凶器で殴られ、 その拍子に地面に瞼の横が叩き付けられ、小石で切れて顔面血だらけになったが、自分は暴れた。 最終的には自分にワゴン車が突っ込んできたので逃げるしかなかった。K氏は最後まで引かなかったツワモノである。
『やられたら、やり返せ』である。自分はその後報復に出て、自分に鉄パイプを背負わせた疑いのある
噂の日本最大最強任侠組織の人間に直接電話をして、確認をした所、自分が鉄パイプを背負わされてた所は
見てたのだが、犯人ではなかった。その後疑いのある浜連以外の某連合幹部会に数人で乗り込んだり、
疑いのある地元の溜まり場に行ったりもしたが、結局見つからず、情報も不足で犯人が見つかっていない。
この件で、港定時の自分の六歳下の後輩で、元浜連エルザ中華街支部のF氏が
「山根さんに喧嘩を売った馬鹿がいるって、噂になってます」と言っていた。
◎自分が24歳の堅気の時に、自分達は後輩達と計三人でいて、元、浜連本牧党のs45のN氏と、s46年代保土ヶ谷岩崎中学出身の、
西横一家極道で、現在は日本トップクラス任侠組織系の組の現役最高幹部のF氏達が戸部の不良三人でいて、自分はその三人とは初対面だったのです。 最初山下公園で、鶴見の生麦の二人組と揉めてて、その生麦の二人組をF氏勢三人で〆て、車のトランクにサラって 何処かへ、連れて行くので、自分達も車で後から着いて行ったのです! で、到着場所で、そいつら二人をトランク開けてシンナーを吸いながら本牧の N氏が素手やジュースの缶でボコボコにしていたので、自分がそろそろ辞めた方が良いと言って去ろうとしたら、 N氏がシンナーでラリってて「何だよ?お前お釜だろ?」と舐めた事を 言って来たのです!自分が「何だとこの野郎!テメー何処の人間だ!」と言ったら、 「本牧だよ!」と言って来たので、自分が「だから何だコラ!だから何だコラ! シンナー臭せーんだよ」と怒鳴り自分が「お前俺とタイマン張れ!」と宣戦布告したら、お互いが構えて自分が「ほらどーした? テメーから手を出して来いよ!」と言ったら、N氏が「そっちから手出して来いよ!」と 言ってきて口論の末に、N氏が「俺は喧嘩がヨエーからよ!」と言って車に帰ろうとしたので、 自分が「待てコラ!まだ終わっちゃいねーんだよ!」と言って揉めたら、今度は地元海老名の三歳下の弟分だった Y氏に何か言って来たので、Y氏が「おい!何だよ?今度は俺か?」と 揉めたが、Y氏とF氏とその時にいた自分の瀬谷の後輩もF氏とも面識があって、その事もN氏にも説明となり、 その日はF氏達は例の前出記事の冤罪事件の保土ヶ谷のs46有名人のA氏の婚約パーティーに出席した後で、 偶然自分達もそのパーティーにする予定だったが、訳あって遅刻して行けなかった事を話をした!N氏はF氏に 「そうなの?」と聞いていて、結局最終的には、自分が「こんな事でパクられてもしょうがねーだろ!トランクから出して帰してやれ!」と戸部の人間に 生麦の二人組を解放させたら、N氏が「どうもすいませんでした!」と頭を下げて、謝ってくれたので、 自分もN氏との共通人物の名前を出して和解したのだ!そして双方が帰り、自分も車で後輩に当時の自宅の 西区境の谷に送ってもらうと、後輩に電話番号を聞いたF氏から自分に電話がかかってきて謝罪してくれて、 以後お互いお見知りおきの挨拶を交わし手打ちととなった!F氏もN氏も好感持てる漢であった! そしてその後N氏とも、浜連の集会で会い、挨拶してくれて好きな後輩になった!(笑) そして間もなく、自分も参戦した日本歴代暴走族史上三大抗争の横浜VS八王子の やったやられたの、壮絶なこの抗争にて、相模原246にて、例の、八王子暴走族OB極道を 集団暴行殺害実行犯バットマンズの主導指揮者が何と!N氏で、一緒の実行犯5人位の内の一人が、 そのN氏やF氏の山下公園トランク監禁暴行事件時に自分側に一緒にいた後輩である、s50年代瀬谷地獄族総長の 横浜s50年代トップクラスアウトローのN氏である!この件でも二人は名を 轟かしたが、この山下公園からの因果関係から 二人が力を合わせ、抗争で先頭切って活躍してくれた事を嬉しく誇りに思うし、 不思議な縁である!尚、亡くなった八王子の方にはご冥福をお祈りします! ◎例の上記の、日本歴代暴走族史上三大抗争の横浜VS八王子の件を詳しく書くが、24歳の堅気の時に、暴走族抗争史上歴代三大抗争が勃発した。
浜連外の全日本麗心愚連盟湘南連合の、
戸塚某チームの自分の後輩達が、大晦日の富士急初日の出暴走の途中、八王子インターに待ち構えていた、
東京の八王子市の暴走族の某チーム達や、極道達に、訳でありでやられ、
一人がさらわれて、長時間リンチを受け、重傷を負ったという件や、その他の件などでの、報復の為に、
自分の後輩で全日本麗心愚連盟湘南連合瀬谷某チームのリーダー格の
OBから応援を頼まれて、抗争の最中に相手の集団を襲う計画をし、車数台で数人で、
ある場所に待ち伏せ張りに行った。結局この日は相手側とはカチ合わなかったが、
この抗争では、この時の自分は参加していないが、横浜暴走族の浜連現役とOBと、
他数連合の現役とOBの、横浜暴走族約100人が車数台で相手の地元に乗り込み、
八王子の暴走族を数台見つけ、逃げて行った者も居たが、その内の一人か二人を、数人で〆て、
車のトランクにさらって、横浜に帰る途中に、そのさらわれた後輩の暴走族を、取り返しに来た、そこの暴走族のOBで、
現役の日本トップクラス任侠組織系組員二人組が、組の看板を出して叫んだが、浜連OBの一人が「関係ねえ!やっちまえ!」と叫び、
浜連OB(自分の仲良し)と、現役(自分の仲良し)や全日本麗心愚連盟他連合の現役の、自分の後輩達(自分の仲良し)が
(リンチ被害者も含む)、そこの地元の某市の暴走族OB極道達二人を、五人位で凶器でメッタ打ちの袋叩きにして、一人殺害し、
一人重傷。しかし相手のさらった暴走族や、死亡した極道は、戸塚の被害者に集団リンチを食らわした、
抗争勃発の暴走族チームの連中とは違う、別の暴走族チームの相手であった。その後は神奈川に相手側の極道や
暴走族での、怒涛の報復攻撃があり、横浜側にも被害が出て、長期抗争の末、
双方死者一名、重、軽傷者多数に及んだが、横浜側は相手側と現役暴走族と、堅気のOBだけで戦った。
この件で、元々仲良しだった、地元が日限山の不良三兄弟の、自分の二歳下の性格も良く、美人の妹と、自分の三歳下の、性格も良い、元極道の弟とも自分は仲良しだったが、
この長男の自分の一歳下の、元、淋姦強姦野庭支部で日本トップクラス任侠組織系組幹部で、横浜S45年代トップクラスアウトローのI氏から、
「一緒に横浜の暴走族を全部集めて、指揮を取って戦おう」と言われていたが、その後、自分はある縁で、
相手側の故人が所属していた、八王子の武闘派チーム「影」の暴走族OBや、相手側の地元の極道(故人が当時所属していた組織とは違う)とは、
この件で話をし、仲直りの手打ちをした。そして後年、相手の故人が当時所属していた、自分より年上の、任侠組織の某一家の幹部であり、そこの一家の総長付のK氏とも、
自分は、ある縁で、仲良しの知り合いにもなったのだ。しかしこの件での正式な手打ちは、自分は関与しておらず、お互いの現役極道同士が行われたと聞いた。
故人のご冥福をお祈り致します。
東京八王子は、自分の十歳下の元、関東連合八王子支部で現在、横浜の車屋の社長であるK氏と、自分の経営する運転代行のお客様として、知り合った。
◎自分が25歳の、日本最大最強任侠組織系組員の時、自分の兄弟分T氏(後に、山根会最高顧問となる)や、
自分の兄貴分S氏(後に、山根会最高顧問や好健会最高顧問となる)の武勇伝だが、
T氏の方は横浜某所で、T氏達組員四人で車に乗っている時、ベンツの二人組の極道と交通トラブルになり、
T氏が一人で、二人組の極道に、暴行を加え〆たり、T氏とS氏と、もう一人の組員S氏の三人で、東京の某駅周辺の
某所を歩いていたら、極道が乗るベンツが、乱暴な運転で走って来たので、T氏がそのベンツに、
わざと手をぶつけ、極道が降りて来て「危ねえじゃねーか!」と言ってきて、T氏が「お前、どこの人間だ?」と
言うと、極道が組織の看板を出してきたので、T氏が「俺は、この辺の水商売の店員達も良く知っているから、
飲み屋のあんちゃんだったら、悪いと思って、どこの飲み屋の人間かと思って聞いたのに、○○組か!
ヤクザの看板出すなら、こっちも引けねーぞ!」とT氏も看板を出し、「お前の事務所に連れて行け。
事務所で話するぞ」と皆で事務所へ行き、相手の極道の上の人間とも話をし、30万取って来た。
◎26歳の堅気の時に自分と同じ年の、地元が磯子杉田の元、 日本最大最強任侠組織系組員で、後に好健会会長代行となるN氏(山根会一人ずつの顔写真の会長代行とは入れ替わっているので別人)と、
自分の永田の一歳下の後輩三人と、自分の当時付き合ってた地元が、磯子の彼女と彼女の姉と彼女の友達と計6名で、上大岡の居酒屋で飲んでいたら、
隣で騒いでいた約十人の集団のリーダーに自分の友人N氏が「兄ちゃん!飲み比べしようぜ!」と酒を勧めたらリーダーが
「いいよ!けど俺が勝ったらその女達もらうよ!」と、どう見てもシラフで言ってきたので、N氏が「なにー?女寄越せだと!」とそいつに、
思いっきりコップを投げつけた。リーダーは「俺達は大学空手部の者だぞ」と格好つけてきたので、自分が「だから何だ!」と
後輩と一斉に集団に殴りかかり乱闘となり自分が「テメーらぶっ殺すぞ!皆殺しだぞ!」と 服を脱いで上半身裸になるとリーダーが
「俺達もそう言う知り合いいるけど今日は帰るよ」と負け惜しみの捨てセリフを吐いて全員で逃げて行った。
◎26歳位の時に、自分と前出の例の同じ年の、地元が磯子
浜中学出身で元日本最大最強任侠組織系組員だった、N氏達と、仲間数名で、 旭区で、ヤンキー女数名をナンパをして、自分はその中の、長身美人の瀬谷の ヤンキーA氏と付き合ったのだが、そのナンパをした数名の女達に、地元旭区光が丘の自分の6歳下の、 東京任侠組織系組員のK氏という人物が、自分達の事を「何だ!そいつらは! 俺は旭区で一番の不良だし、俺より凄い不良はいないから、誰でも呼んで来い!」みたいな、 セリフで、自分達に対して、上等を切って為に、女達から聞いた、K氏達の溜まり場に、 喧嘩しに、N氏と二人で、行ったら、横浜トップクラス暴走族だったチャイニーズ怒羅権横浜光が丘支部の連中が、 単車を止めて溜まっていたが、自分達二人は、全く怯まず、事情を軽く説明し、K氏を探していることを伝えた。 するとその中で、日本人の自分と同じ年の、元浜連の西谷剣のN三兄弟の真ん中が出てきて、話合い、 なにしろK本人と連絡を取りたい事を伝え、西谷のN氏に、自分の連絡先を伝え、Kから連絡を欲しい事を伝えた。 そしてその後に、N氏の当時住んでた旭区の自宅で、二人で待機してると、K氏から電話がかかってきた。 相手は極道なので、喧嘩腰で対応してくると思ったら、自分の事を知っていてくれて、腰が低い対応で 「山根さんですよね?ティーンズロード見てて知ってます」と言われたので、その時点で、 自分は嬉しかったので「何だ!俺の事を知っててくれたのか!なら、もういいや!ゴメンね!」と 和解し、喧嘩にならず、以後お見知りおきとなり手打ちとなった。 ◎27歳の好健会の頃、自宅の近所に、暴走族の、三人組が、単車を吹かしながら、乗り回していて、うるさくて、近所迷惑だったので、一人で行き、走行中の一人に、
殴りかかったら、よけられたが、捕まえて、三人を、自宅に連れて行き、正座させて、地元を聞くと、二人が永田で、一人が弘明寺の、三人共、族の現役の歳だった。 和解して、何か困ってることは、ないか聞くと、永田のバイカーの、怖い先輩から、パー券を半端ない額で、回されてると言う。 自分は、そいつに話を、付けて、全額パイにしてやるから、その内の少しだけ、手数料として、こっちに持ってくる約束をした。 そして、そのバイカーを呼び出すと、自分の事を、知っていてくれて、話は早く、簡単に終わった。 そのK氏は、礼儀正しく、気さくで、気持ちが良い男だった。
彼は自分の、七歳下の永田の人間で、幾つかの自宅の内の一つの、永田の団地の同じ棟に住んでいる人間で、
このホームページにも写真が出ている、横浜トップクラスバイカーチーム永田SSDのリーダー格のK氏である。 三人の内の、二人は約束の日までに、約束の金額を持って来て、仲良くもなったが、もう一人はバックレた為に、探してた所、横浜東口で、カップルで歩いてた所を捕まえて、 請求したら、金がなく、日本トップクラス任侠組織の当時の横浜の一家の総長の息子の名前を出して来たので「だから何?そんなの関係ないじゃん。俺はそっちを助けてやって、 パー券の額より安い手数料貰うのは当たり前だろ?お前、筋が違うだろ」と金をマケててやって「彼女に頼め」と言って、払わせた。 その代わり、そのバイカーのK氏には、迷惑を掛けたので、その後弟分として、仲良くし、幾つかのトラブルも、ケツを持ち助けた。 ◎27歳の好健会の時、会の最高顧問T氏と事務局長Y氏と好健会幹部のM氏の四人でいたら、自分の携帯に電話があり、 東京の某右翼の会長を名乗るものから連絡があり、「前に横浜西口から女連れて行って無理矢理やっちゃったでしょ?」と言って来たので、 自分は「あっ?そんな女の言葉を真に受けて、喧嘩売ってんの?」と対応すると一緒にいた最高顧問が電話に変わり、 向こうの相手も最高顧問に電話を変わり、こっちの最高顧問が当日会って話合いをする段取り待ち合わせした。 自分は最初に居たメンバーを含めると合計7人のメンバーを集めた。メンバーはそれぞれ車に金属バットやゴルフクラブなどの武器を用意してきた。 日本刀は、もし車の中を警察に見られた場合に銃刀法違反などになってしまう。しかし自分を含めメンバー達は修羅場をくぐってきた 度胸あるツワモノばかりで、居酒屋ではほとんど戦略など話合わず、誰も緊張しておらずドンチャン騒ぎでフザケ話をして成り行きに任せることになった。 自分はその時はサンダルを履いており、靴に履き変えもしなかった(笑)待ち合わせ場所には相手は数台の高級車でやってきた。 中年の指のない極道の他にパンチパーマのいかにも極道風の男達が10人程いて、自分が最高顧問と、自分と同じ年の、地元が磯子杉田の元、 日本最大最強任侠組織系組員で好健会会長代行N氏の三人で降りて行く事を伝え、 三人で行くと向こうの相手が全員車から降りてきたので、好健会の連中も全員車から降り、お互いズカズカと対面して殺気満々だった。 自分が「わざわざご苦労様です」と挨拶をすると、向こうの最高顧問兼極道が、真ん中分けの茶髪のサンダルの自分を押しのけて、「会長はどこ?」と どう見ても自分が会長だとは思わなかったらしく、相手にもされなかったのだ(笑)「どうだろう、まず、ファミレスかどっかでお互いの最高幹部を 三人づつ出しての話合いを持たない?」と提案してきた。自分達が承知し場所を移し会長以下最高幹部同士がテーブルを挟んで向き合った。 当時は夏で自分は半袖シャツを着ていて、ちょっとだけ刺青がハミ出していた。お互いに全員で名刺交換をした。行動隊長を名乗る男は、 恐らくチャカが入っているジュラルミン製のケースを手から放さないでいた。自分は、相手の当事者の女に 「何でこんな状態になってんだよ?お前みたいな小娘が軽々しく組織の人間を動かすなんてどういうつもりなんだ?」と切り出し、 相手の会長が「実はこの女は内の行動隊長の幼馴染みの男の女なんですよ。それで相談を受けたもんで」その女は二人組で、 自分達五人で確かに自分が横浜西口でナンパして、少し強引に仲間の家の部屋に連れ込んでしまったが、 セックスは、一対一であくまでも合意だった。 しかも大和市の暴走族達から狙われてて、家にも帰れないと言うその女達の為に、その暴走族達を呼び出して、 圧力をかけて話をつけた覚えもあり「恩着せがましく言う訳じゃねーけどよ、そういうこともあったよな」と言い、 そうした事情を説明してる内に相手のメンバー達も「知らなかった」と納得顔になっていき、女が「自分とやって性病にもなった」と 言っていたので、「お前他の男ともやってんだろ!俺に移された証拠なんて何処にあんだよ 金目当てか? 俺が今回下手を打ったなら指でも金でも詰めてやるけど、お前に下手なんか打ってねーからな」と言った。会話が進み、 話し合いの中で、向こうは任侠右翼を名乗っていた。自分達は当時はある訳があって当時の兄貴分から体をかわしており、 疎遠になっていて当時は日本最大任侠組織とも関係なく、独立一本右翼であった。しかしこの約一年後当時の兄貴分とは復縁する。 相手の任侠右翼と言う言葉に対し、自分達は他の任侠組織とは関係あったので「自分達もそうですけどね」と答えた。 会話が進み話し合いの中で、最高顧問T氏が「これ話によっては悪い話にするつもりですか?」と聞くと、向こうの最高顧問が 「ウチとお宅達でどっかの右翼の運動で会う事もあると思うし、こんな下らない事で揉めてもしょうがない」と言っていた。 二度とこの子にはちょっかいを出さない事で和解しお開きになり、向こうの最高顧問は全員の飲み物代金を払ってくれて、 自分はお礼を述べたが、無言で帰って行き、良い意味で渋い人だった。会長同士もお互いに握手をして別れた。 ファミレスの外で待機してた会の若い衆達によると、彼らが乗ってきたベンツには金属バットなどがゴロゴロしてたという。 後で調べたら、地元が世田谷などの東京トップの超有名武闘派極悪愚連隊暴走族の『関東連合』OBなどで構成された右翼団体だった。 ◎27歳の頃、自分と同じ年の、地元が磯子の当時好健会会長代行N氏(山根会一人ずつの顔写真の会長代行とは入れ替わっているので別人)と 当時好健会行動隊長で後に魂龍会組織委員長となる、自分の五歳下の地元が戸塚のA氏の三人で山下公園で女をナンパしていたら、
生意気な女だったので脅かしていたら、女がチーマー風不良グループ約十人の所に助けを求め、男達が凶器を片手に
自分達の車に来て「あれ俺達の女なんだけど」と文句を言ってきたので、上半身を脱いで車から降りてったら、
そいつらが全員走って逃げていったので、自分とA氏で鉄パイプを持っていた奴を追っかけていき、そいつが振り向きざまにA氏の体に
一発鉄パイプで殴ったが、A氏は全くビクともせず追っかけていき、ホテルに逃げ込んだ所を相手は「すいませんすいません先輩にやれって言われたんです」と
言っていたがA氏が顔面に蹴りを入れ、最終的には加賀町警察に逃げ込んだ。N氏の方はそいつらの車を見つけ車に上がり
フロントガラスを、かかと落しをやったがガラスが割れず、自分のかかとにヒビが入ってしまい、これは天罰かもしれない。(笑)
◎自分と同じ年の、好健会副会長K氏の一人と、その女友達の三人で副会長の車に乗っていたら、好健会の事務局長Y氏から電話があり、 瀬谷の三ツ境を車で走っていたら浜連以外の10人以上の全日本麗心愚連盟港鶴連合修羅の大勢が、道端で大の字になったり邪魔をして通れなくしていたので
クラクションを鳴らしたら、多勢に無勢でやられてしまったが、Y氏はプロボクサーだったのでニ、三人はぶっ飛ばしたのだが、人間幾ら喧嘩が強くても、一人では多勢に無勢である。
とりあえずその場からは逃げて、追い掛けられてる最中で電話をしてきて、しかも好健会の看板も名乗ったが「そんなの知らねーよ!」と
通用しなかったらしいので、そう言う連中には どういう団体か教えてやらねばならないので、自分達は速攻で現場に向かいY氏と合流して、
その辺に落ちている武器になる物を拾い、そいつらの溜り場のコンビニに、まず自分が一人で降りて話をする段取りとなっていたが、
副会長が待ち切れず車を突っ込んで行き、三人で暴れると相手達はコンビニの中に逃げてしまい、更にコンビニの中でも副会長が一人をぶっチメたが、
コンビニはビデオカメラがあり、まずいと言うことになり、一回店を出て、K氏が店外に止めてあった車も潰し、一回遠くから様子を見ることになり、
しばらくすると案の定警察が来て事情を聞いていたので 自分達も正々堂々投降してはっきりさせようと皆で行ったら相手が
「コイツらだー!」と言って来たので副会長が警察の前でワンパンを入れたら、相手も発狂して、連中の仲間も「上を出すことになるぞ!」と
言ってきたので自分が「おー出せよ!今すぐ呼んでこい!お前ら警察が来たとたんに急に強気になりやがって!この野郎!
俺達はさっきお前らが知らねーと言った好健会の者だ!それとお前ら暴走族か!俺は浜連の相談役でもあんだよ!
好健会知らねーて言った奴よ、テメーにだったらどんな組織か徹底的に教えてやろうか?舐めんじゃねーぞ!クソガキ小僧がよ!」と
タンカを切ると連中はおとなしくなったのだ。すると横からサングラスに髭のイカツイ坊主頭の中年男が「謝る事ねーぞ!あれ俺の車なんだけどよ!
たまたまコンビニ来たら車をあんなにされちゃってよ、コイツらとは知り合いだけどね」と言ってきて、右翼を名乗ってきた。
自分は「あーオッサン悪かったね。そしたら車の修理代だけは払うよ。コイツらの車だと思ったからさー」と言って最終的には
その暴走族達とも和解した。その右翼は当時の日本最大最強任侠組織系当時No.2二次団体系右翼のそこの副会長であり、その後は良い付き合いをしていた。
◎これは自分がパクられてる時の27歳での好健会での話で、好健会の武勇伝だが、事務局長Y氏が下川井インターで車で知人と二人で乗っていたら、 後ろから、ベンツがクラクションを鳴らして来たので、端に寄り見ていたら、通り過ぎ様に睨まれ相手の二人が降りて来て、
相手は某任侠組織系の組長と右翼の二人で、Y氏が好健会の看板を出したら当時外見がチャラ男だったY氏が「そんなはずねーだろ」と
シメられてしまったが、Y氏はプロボクサーだった為に逆に二人をシメたのだ。その場でお互い応援を呼び、双方の組織が招集、
集結し話合いになり、当時好健会最高顧問であり、当時日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組長であり、
自分の四歳上のS40年代の横浜トップアウトローの自分の兄貴分のS氏も相手組長と電話に変わり怒鳴りつけ、T氏も
「お宅は内の若い衆をこんな大した理由じゃない事で手をかけでどうケジメつけるのよ?」と言うと「指を詰める」と言ってきて
「今までの俺はそういうケジメのつけ方をしてきた」と言ってきて気合いの入った組長であった。しかしT氏が
「お宅の指もらっても何にも仕方ないから」と結局は最終的には妥当な金額で手打ちとなった。
最後に相手にこのT氏がプロボクサーだということを話すと、「まともに喧嘩しなくて良かったと」冗談を言っていたそうだ(笑)
◎28歳の頃、好健会で自分の三歳下の元極道で、好健会の事務局長でプロボクサーだったY氏が某人気テレビ番組に恋人と出演したのだが、 その時の事前の打ち合わせによる放映の仕方の約束をテレビ側が破ったり、事故があり、怪我もしたため、
ディレクターやプロデューサーを呼び出し自分とY氏で話し合い自分が「オーディションで合格させてくれて二人を出演させて下さった事は
非常に感謝しますが、視聴率を取る為に約束を破り、この人間の人格を無視してああいうキャラクターに仕立てて放映すると視聴者から、
こいつがそう言う人間だと勘違いされてしまうんです!テレビの力は怖いんです!そう言うキャラクターだと思われてしまうんですよ!」など話をして約120万を取った。
◎好健会で最高顧問T氏が、あるパチンコ屋でその店が遠隔操作の疑いがあると睨み、自分の五歳下の好健会執行部隊隊長のS氏と自分を呼び、 その店の社長を呼び出し話し合い、追い詰め、遠隔操作を認めさせ小額だが金を包んできた。
◎中学から同級生で、淋姦永田一家のK氏が、彼は、小柄だが、中学からプロレス愛好家であり、喧嘩も強く、 お互い20代の頃、六ッ川を一緒に歩いていたら、不良のカップルと擦れ違いざまに、K氏よりも、 身長が20センチ位高い、長身の男に睨まれて、K氏と相手とが、メンチの切り合いになって、 向こうに因縁を付けられたのだ。二人はタイマンで、掴み合いになり、K氏は頭突きを入れて、相手をボコボコにして、相手が血だらけになり、 連れの女が、ビビッて悲鳴を挙げながら、近所の知り合いの寿司屋に逃げ込み泣き付き助けを求め、 店員達を呼んで来て、私が相手連中に、圧力をかけて、話をつけたという、K氏は武勇伝の持ち主である。 自分が好健会の時に、中学から同級生で、淋姦永田一家で好健会本部長兼山根会本部長で自分の舎弟のK氏が、 地元の一歳上の先輩と横浜西口で飲みに行った帰りに、極道二人組が何者かと喧嘩をしていたので、 止めに入り相手を逃がし、今度は極道二人と二人が喧嘩になり、相手が組織の看板を出してきたので、 K氏も「上等だー!こっちも不良だ!」と言ったそうだが、 Kは酒が入っていたので、上等と言ったことに関しては、言った覚えは無かった。 そしてKが手を出したことが原因で相手の組の応援部隊大勢に、 K氏がさらわれて、ボコボコに〆られたリンチを喰らい、自分の当時の自宅兼事務所に 相手の組のリーダー格から電話がかかってきた。 そこの組には、自分の暴走族時代の他の地元後輩二人ともう一人、知り合い計三人が居るところだったが、 その内二人の後輩は、懲役の最中だった。 後、そこの組長の兄弟分であり、元、日本トップクラス任侠組織系組長T氏に自分はお世話になっていたので、 そのT氏(T氏は、自分も仲良しの、自分より年上の、地元が戸塚の、日本トップクラス任侠組織系組長W氏とも兄弟分) の名前を出したら、向こうもT氏を「よく知ってますよ」と言っていた。 が、幾ら共通人物がいるといっても、揉める時は揉めてしまう訳だし、どうなるか分からなかったが、 朝4時頃で、時間も時間だったし、これが組織の代表の宿命だと思って、自分はたった一人で単身タクシーで 腹をくくって、相手の組事務所に、Kを丸腰で引き取りに行った。 相手の事務所には約十人召集しており、Kの顔面はボコボコに腫れていた。 K氏が、自分に頭を下げて、謝っていたので、自分はニコっと微笑んだ。 掛け合いをして「とりあえず、こいつを病院に連れて行きます」と自分が言い、 組のリーダーが「こっちも凄いからさ」と言っていた。 K氏を取り返して来た。この組は、この時は自分の事は手を出さなかった事には感謝している。 話は戻るが、自分が相手の事務所に向かってる最中、Kが組員数人から 「山根って、弘明寺の山根か?」と聞かれた。 自分達が近くの病院に行った帰りに、K氏が揉めた相手の当事者が、車で舎弟に連れられ、病院に来た。 自分達が帰る時、外で車の中の相手を確認すると、相手の当事者も、顔がKと同じくらいに酷く腫れていた。 その怪我は、最初喧嘩していた連中にやられた時のものであり、Kが揉めた時は少ししか手は出してはいなかった。 そして彼はよりによって、自分が10代の時に、ポーカーゲーム屋で働いていた時に、一歳年下だったが、 自分より早く先にその店に入っていて、自分に仕事を教えてくれたり、世話になったことがある、 某チームの元暴走族の男で、自分がこの組の三人の知り合いの内の一人の、この組の最高幹部に出世していたN氏だった。 しかし、この件で顔が酷く腫れ上がったお互い二人は、まず相手のN氏の方は、 複数の何者かにやられて、顔が腫れ上がっている状態にも拘らず、相手の喧嘩相手達に一歩も引かず、Kにも少しやられ、 「Kに犯人を逃がされた」と納得いかず、悔しがっており、Kの方もらわれて、リンチを喰らいながら顔が酷く腫れたのにも関わらず、 命乞いをせず、二人とも、相当な気合の入った根性者である。 その日は、お互いに会話もせず、Kと帰った、K組応援部隊に、さらわれてリンチで〆られた後、 背中の刺青と、財布の中の名刺で、内の任侠右翼と言う事が判明した。 自宅に帰ると、玄関にインターホンが鳴り、出てみると、そこには例の、相手の組長と兄弟分であった、 自分がお世話になっていた地元が戸塚で長身男前の以前は80人の元組長だった当時の一家のトップクラスだった T氏が、戸塚と瀬谷の後輩を連れて来ていた。T氏には、実子がいて、自分の一歳上の性格も最高で、 地元泉区の日本最大最強任侠組織系組幹部であった彼から紹介を受けたのだった。 相手の組のリーダーから連絡があり、訳を聞いたと言う。 T氏は、私の事を「よく一人で行って、簡単に返してもらったな」と感心していた。 「Tさんの名前のお陰でもあります」とお礼を述べた。しかし、T氏は、悪い意味ではなく、今後後腐れないように、 和解前提で、相手の組長が中華街の喫茶店で話し合いをT氏同席で希望して来てると、伝えてきた。 後日話し合い当日、自分とKの二人で、中華街に行く前に、一回T氏との待ち合わせ某場所の待ち合わせに向かったが、 T氏が一向に現れず、運悪くT氏の携帯番号も変わっていて、一時間位待っても来なかったので、中華街に行ったら、 T氏は、先にはいたが、当然その場にいた関係者全員の雰囲気が悪くなっており、 話し合いの乗っけから、下手を打ってつまずいてるようじゃ話にならない。 自分は、当日の待ち合わせの事の成り行きを説明し、T氏の事をずーと待ってた事を主張し、 何とか次に進んだ。自分はT氏が間に入ってるし、N氏もポーカー屋で世話になっており、 知らない仲ではないし、前日一人での掛け合いでは自分に手をかけず、すぐに帰してる為。 K組に対しては、無理に押す事も出来ないし、かと言って引く事も出来ない。 しかし相手の組の当事者Nは顔面が包帯だらけで、酷く腫れ上がっており、Kも同じ様な状態だが、明らかN氏の方が重症だった。 雰囲気は、悪い状況で進む事になる。N氏が「お前、まだ片目開くからいいな!」「何でお前があそこで入って来るんだよ!」 「俺に手をかけて、あいつら逃がしやがって!俺に○○組上等だ!こっちも不良だ!とも言ったよな!ケジメ付けろ!」 するとN氏が「山根さん、どっかで会った事ない?」と向こうも覚えてたので「ポーカーゲーム屋で」と答えると、 N氏は「山根さんは自分の生き方知ってますよね?」と言っていて、彼は、タイマンはそれほど強い人間ではなかったが、 こうして相当やられてるにも関わらず、ケロッとしてる根性や、暴走族時代私と同じ年の 彼からすると一歳上の先輩であり有名人だった奴と揉めて、刃物で刺しちゃったりの 横浜s45年代トップクラスアウトローだった。自分は痛み訳を主張し「こいつは、上等とは言ってないって 言ってるんですよ」自分はKに「言ってないんだろ!ハッキリしろ!」と罵倒した! 話し合いの最中に、K組長(後に一家総長)が自分だけ別席に呼び「全然来ないから、 そっちの事務所にダンプカー突っ込まそうと思ってたんだよ。お宅若い衆どんな教育してんの?K組上等だ!なんて言って、 ケジメつけてもらわないと、横浜中の組織全部敵に回すよ。○○組の看板出したって、ぶつかる時は ぶつかるよ」と言われたが、自分はKが上等とは言ってない事と、こっちも相当怪我をしてると言う事と、 T氏からは、和解前提の話合いだと連れて来られた事を主張した。 それでも引かないK組長に対して、自分は今までにトラブルなどで、他人に相談したり、 頼ったりするのは、嫌だったので、今までに人にケツを持ってもらう事はなかったが、 この時は、さすがに自分ではどうにもならず、金も払いたくなかったので「自分の一存では、 決められないので、兄貴分に何かあったら相談しろと言われてますので、相談して来ます」と言うと、 T氏が「じゃあ俺が一緒に、その兄貴の所に、話合いに行くよ。それならいいだろ?」と言うので、 公衆電話に電話して、兄貴に事の成り行きを説明すると、T氏は、間に入ってくれてる味方という 事を説明し、T氏にも変わった。当日たまたま兄貴は忙しかった。 そして兄貴は「後で料理するから、取り敢えずお前らは帰ってろ」と言うので、説明して帰るとすると、 K組リーダーが「T氏の立場はどうなるの?」と言って来て、T氏が「今K組の事務所に若頭と相談役が 待機してるから、その二人に、事の成り行きを説明して帰ってくれ」と言うので、 全員で事務所に移動し、K組は七名T氏と自分とKとなった。 N氏は「山根さんは、KがK組上等だ!とは言ってないと言ってますけど、と言う事は、 俺が嘘をついてると言ってるんですか?」と言って来て、話し合いの最中に、 先日好健会兼日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員が、K組組員と留置所で揉めた件で、K組組員の自宅を金属バットを持って襲撃したことがあり、その件を確認して来て、 その若い衆は山根の所の人間か聞いてきたので、その通りに答えた。 しばらくすると、N氏は「じゃあもういいよ。出直してきなよ」と言ったが、 相談役が「話が付くまで帰せないよ」と言ってきた。T氏は以前電話で「名前だけでも好健会の最高顧問に」と言っていたのにも、関わらず、T氏が好健会最高顧問かどうかの話になった時に、その時、自分が「言ってたじゃないですかー!電話で、名前だけでも最高顧問に」と言うと、T氏が笑いながら「言ってねーよ!言う訳ねーじゃん」と寝返りを打ったのだ。T氏も、双方とのシガラミや関係もあるし、横浜西口KvsN事件と、 K組自宅襲撃事件と、やらでバツが悪く、立場がなく、挟まれてサンドイッチ状態で困ってたと思うので 仕方なかったと思う。K組の坊主頭の幹部が「100万詰める話はどうなってるの?」と言うと、 K組リーダーが「その話も蹴ってるの」と言い、その幹部が「100万払わなければ この金属バットでボコボコにするよ!」と言って来たので、自分は怒った形相でギラっと幹部を 睨みつけた!そこで、自分が引かず、向こうの要求に中々応じない為、若頭が 「K組上等だ!と言ってない事にしたのは、どっちですか?」と言って来て、 自分達は言ってる意味がよくわからなかったので、Kとお互いに顔を合わせ、首を傾げていると、 若頭が「どっちだー!」と発狂して来て「こんな奴らは」と殴って来ようとする素振りを見せてたので、 自分達は、相手のヤクザ事務所にたった二人で、相手は七人凶器付きだったので、 しかも、前出のN氏とのシガラミやK組とのシガラミもあったので、言い訳ではなく、 勝てる訳なく、映画や漫画の世界の様には行かず、自分は取り敢えず、体をかわし、逃げ腰になり 若頭に捕まり、腰回りを持ち上げられて「この野郎!」と!罵声を浴びたが、手は出されなかったが、 若頭が「テメーらも、何グズグズしてんだよ!早くやれよ!」と怒鳴り、自分には誰も手は出さなかったが、 Kが中年坊主幹部に、背中を蹴られると、相談役が「もういいよ!」と怒鳴った! Nが自分に「お前何逃げてんだよ!何が若頭だよ!お前ガキの頃からそうだな!」と罵声を浴びせてきた! この「ガキの頃からそうだな」と言うのは、彼とポーカーゲーム時代に誰かから逃げたとか、 下手を打ったり、安目を売ったりした訳ではなくて、 二ヶ月程でその店を辞めてしまったので、その事を根性がないと言ってるのである。 そして、K組リーダーに「だからお前は100万払えばいいんだよ!」と、首を縦に振りざるを 得ない状態に持って行かれてしまい、承諾してしまった。 T氏が「じゃあいつまで払える?」と言い、期日を決めた。 先日の、若い衆を、たった一人で掛け合いで引き取りに行った所までは、格好が付いて、良かったが、 この日の一連の原因や理由は置いておいて、これらがあった、この日こそ、 みっともなく情けないと思った時はなかった。 しかし、自分は、ただで転ぶ人間ではなかった。 金などは、最初から払うつもりは毛頭ない。この不利な状況から一早く抜け出して、 報復を考えていたのだ!金の話が終わり、すぐにそのまま解放されたが、 自分達は、そのまま自宅に帰ると、兄貴に事の成り行きを報告した後、 「そんなのツーペーに決まってるじゃねーか」と言っていて、 兄貴は、当日忙しかったので、後日話し合う事になっていた。 そして、懲役上等の若い衆に連絡をし、自分が若頭をチャカで弾き殺す連絡をした。 自分達は、ステゴロ最強が多いし、横浜組織は昔から、協定が組まれてて、 チャカの使用が禁止になってる地区なので、チャカ道具に頼る事はなかった。 ガラス割りは、誰でも出来る仕事だと思うが、人の体に鉛を入れるのは、 度胸やセンスがないと、難しい仕事なので、若い衆に走らせると、 下手を打つ可能性があり、心配だったので、会長自ら走り、 この若い衆に、懲役身代わりなってもらおうと話をして、 勿論身柄拘束中の金銭的ケアも、出所後のケアも説明したが、腰抜けで難色を示した。 しかし、普段から「会長に何かあったら、自分が喧嘩でも懲役でも飛びますから何でも言って下さい」と 何回も言ってくれてる若い衆が二名いたのだが、そう言ってくれてる若い衆には 気持ちだけが嬉しくなってしまい、イザ打ち明ける時に直面すると、言いずらく言いにくいもんである。 だが、意を決して、話をしようとした日に、上同士の兄貴とK組との話し合いにより、電話一本で 終わってしまった。「山根に100万請求するって事は、俺に100万請求してるのか?」など言って、 手打ちとなった。S兄貴は、男前で、元ボクサーで喧嘩も強く、横浜s40年代トップアウトローであった。 性格も良く、厳しさの中に優しさがあった人だった。 後日兄貴には、Kと一緒に、気持ちで謝礼金を持って行った。 偶然だが、後年N氏は 拳銃自殺で亡くなり、K総長は病気で亡くなられ、若頭も病気で亡くなられた。ご冥福をお祈りします。 そして、自分が以前に、100万ずつ金を貸してる、ある二名と返済トラブルになり、 その二名が、相談して、和解交渉の間に入って来た美人熟女女性が、 何と!例の、故・若頭の元奥様であり、未亡人姐さんである!不思議な縁である! 例の自分が、金を請求された抗争の件では、当時若頭が、この奥様に、 「○○と抗争になってるから、家から出るな!車も出すな!」と、警戒態勢を敷いてたとの事。 ◎28歳の好健会の頃に、自分と地元の淋姦強姦の一歳上の総長一人と、自分と同じ年の好健会本部長補佐W氏と、 淋姦強姦の暴走族の後輩二人の五人で、浜連の集会を見に行った時に、 日本最大任侠組織の連中が以前に浜連の集会で
組のお偉いさんの実弟が袋叩きにされた報復で約7人で全員凶器を持って潰しにやって来た。自分達は車から降りて行き、
5人対7人で一歩も引かずに口論となって最後は向こうは他の暴走族達を追っかけて行った。
◎隣町の蒔田中学出身で自分の関係で、暴走族は淋姦強姦永田一家に入っていた自分と同じ年の人間W氏がいて、 その人間は後年にはD団という右翼に入っていたのだが、30歳近くで再会し自分の好健会に入りたいと希望してきたので、
好健会本部長補佐として受け入れたのだが、しばらくしてW氏から電話が来て、「今、以前の右翼団体の人間が俺の家にさらいに押し掛けてきてる」と
言っていて、どうやら団体をバックれたのと、家に来た人間からベンツを買って支払いもバックれてるようで自分が
「俺の家に寄ってから相手の所に、三人で行こう」と言って、自分の家に二人を寄らせ、車二台で相手の西区のアジトに行き、
そこには人相の悪い極道もいて、数人が待ち構えていたのだが、
偶然にも、その家に追い込みに来た人間と、相手の地元が、栄区最高幹部の本部長が自分の事を知っていて、共通人物の話にもなり、
本部長が「自分、Uの友達です」と、U氏と言うのは自分も仲良しだった。元、南戸塚ピエロ兼S48年代浜連総長で、当時日本トップクラス東京任侠組織系組であり、
横浜S48年代トップクラスアウトローである。皆で和解して、
相手の会長も快くW氏を自分に引き渡してくれて手打ちとなった。因みに、その家に追い込みに来た人間H氏とその団体のメンバーであった、
自分と同じ年のY氏も好健会へ移籍した。
H氏の方は、自分の五歳下の元、浜連南戸塚ピエロで、空手の達人で、好健会戦闘隊隊長となり、
後年訳があり、ある事件で、殺人教唆の罪で逮捕され、服役した。
南戸塚ピエロと言えば、Y氏と同じ年のS48年代の連中とも、自分は仲良しだった。そして南戸ピエロは、
自分と同じ年のS氏とも、仲良しだったが、彼は自分が淋姦強姦の後輩や、女の後輩や、金沢区の後輩O氏などで車一台で、定員外乗車で浜連の集会に出た時、
そのS氏の車に、O氏を乗せてもらうため、爆音の中大声で彼に頼んだが、嫌な顔一つせず、
気持ちよく乗せてくれて、集会の帰りにそのままO氏を送ってくれて、S氏には非常に感謝している。
◎自分が29歳の頃、自分は居なかったが、好健会最高顧問T氏と、好健会副会長K氏と、好健会幹部M氏と、
自分が顧問をやっている、地元が世田谷の、自分より年上の世田谷の、自動車機械通信販売会社社長の4人と、 以前の川崎の会社で、社長からセクハラを受けていた女性1人が、好健会に相談していたので、 その5人で、その会社に乗り込み、社長に話をすると、会社のケツ持ちの、 日本トップクラス任侠組織No.1二次団体の極道達を出してきたが、好健会は、相手に好健会の名刺を渡し、 一歩も引かず、相手の極道達の顔も立て、社長から50万取り、その極道達にも、半分の25万を渡して、手打ちになった。 ◎29歳の好健会の時、自分の五歳下の、地元が戸塚の元、汲沢中学番長で、山根会幹部兼好健会行動隊副隊長のT氏と、
自分の五歳下の、地元が戸塚の当時、好健会執行部隊隊長の現在、日本最大最強任侠組織系巨大ブランドNo.1二次団体一門系統現役組員S氏と、
二人の友達の堅気E氏(E氏の実弟は、自分の七歳下の、地元が戸塚区平戸で、日本トップクラス任侠組織系組最高幹部で、自分も仲良し)の
三人で、神奈川県大和市の某キャバクラに飲みに行ったのだが、店員の態度も悪く、指名したキャバ嬢が、一時間に十分しか付かなかった事により、
三人は頭に来て、店長を呼び「お前の店は、そういう営業のやり方の店か。今すぐケツ持ちを呼べ!」と脅かしていたら、
三人はその店の、ケツ持ちヤクザを呼んで、ケジメを取るつもりが、数十分後にケツ持ちの警察が来てしまったと言うオチの話である(笑)
結局、警察と筋の話をして、詐欺まがいの店を厳重注意となり、警察からはお咎め無しで終わった。
◎30歳の好健会の頃、好健会事務局長で、プロボクサーだったY氏の武勇伝だが、Y氏が東京の踊りのクラブで、
酒を飲んでいる時、踊っていた客が、Y氏にぶつかってきた拍子に、隣の不良に、
酒がかかってしまい、激怒した不良が、若い衆達とY氏を、暴行を加えながら外に引きずり出したが、
Y氏が「こんな大人数で、一人をやるなんて汚ねえぞ!お前俺とタイマン張れ」と言い、
相手は「俺がどんな人間か、分かってんのか?俺は○○組の人間だぞ」と、日本最大最強任侠組織系組員の
看板を出してきて、Y氏はそれでも怯まず、タイマンを張り、Y氏が勝つと、相手の極道が
事務所に電話をしたので、Y氏も自分(山根)に電話をしてきたが、当時朝方四時位だったので、
自分は寝てしまっていて、Y氏が何度も電話をしたが、時間が時間だったので、自分には繋がらず、
会の若い衆の、横浜成人愚連隊行動隊副隊長Y氏に電話をして、Y氏がY氏に
トラブルを説明し「会長連絡取れないかな?」と話し、電話を受けたY氏も、当事者のY氏のために
待機となったが、相手の極道が、話していた事務所の人間と、電話をY氏と代わらせ、
結局お互いの看板や、トラブルの経緯や、大義名分などを、Y氏と事務所と電話で話し合い、
Y氏と組長も話し合い、喧嘩両成敗で、その場で手打ちとなった。
◎30歳の好健会の時、自分の五歳下の、地元が戸塚の当時、好健会執行部隊隊長の現在、
日本最大最強任侠組織系巨大ブランドNo.1二次団体一門系統現役組員S氏の後輩が、訳ありで、
極道から物凄い勢いで追い込みをかけられており、周りにも被害が出ていた。
そこで最高顧問T氏、本部長補佐W氏、総隊長T、執行部隊隊長S氏と集結し、
因みに、以前好健会の若い衆が、W氏に下手を打った時、W氏が若い衆にヤキのワンパンを入れたが、気絶した程、腕っ節は強いW氏であるが、
まずW氏が電話で相手極道に「タコ焼きでも焼いてろ!」と上等を切り、相手極道と待ち合わせをして、自分は自宅兼事務所から電話指揮で、
たまたま相手がT氏を知ってたこともあり、向こうが引いて終結した。
◎30歳の好健会の時、自分が顧問をやっていた、土建関係の社長が、元従業員二人との給料トラブルとなり、
従業員の実兄が、日本最大最強任侠組織当時No,2二次団体系統現役組員T氏だったので、社長が追い込みをかけられたので、
自分と社長の二人対T氏と、T氏の彼女と、不良であるT氏の実父親の三人の、計五人で話合いをしていた所、埒があかなくなったので、
自分が相手に「話にならないから、上の人間を呼べ」と言って、ファミレスにお互いの組織の人間が
好健会が7人で相手は約10人召集集結し、お互い緊迫状況の中で、何かあれば一触即発の中、掛け合いの末に相手に納得してもらい、
相手側が引いた。この相手のT氏は元々、全日本麗心愚連盟湘南連合大和ピエロのS48年代総長で、有名人だったので、
お互いの存在を知っていたので、最終的にはT兄弟とその兄貴分達とは、和解し仲良くなった。
◎30歳の好健会の時、自分の一歳下の、地元が二俣川の、中学生から少年院を経験し、元、日本トップクラス東京任侠組織系組員で、
全国に支店がアチコチにあったリフォーム会社の社長で、20代から新車のベンツを乗っていた、
自分の企業舎弟H氏が居たのだが、その会社で自分が顧問をやっていた。
彼との出会いは、自分が横浜のクラブのホステスから「H氏に200万貸しているが、全く返してくれない」と
言う事で、切り取り(取立て)を頼まれて、追い込みを掛けた事がキッカケで、自分と仲良くなった。
彼は、20代から実業家だが、極道から足を洗い、実業家になってもイケイケで、このH氏が右翼と揉めて、
相手の頭を、ゴルフクラブでカチ割ったり、、自分の従業員が下手を打ち、足を刃物で刺したりなど、高速道路で、
極道らしきベンツにジュースの缶を投げつけて傷つけたり、交通トラブルで、日本最大最強任侠組織系巨大ブランドNo.1二次団体一門系統現役組幹部を、
一対一で〆たりして、後日相手に、それなりの治療費や慰謝料を払って、手打ちになったりなどの武勇伝もあると言うツワモノでもあるが、
その他色々、その度に自分がケツを持ち、相手と話を付けていた。
H氏の会社で、ある自宅のリフォームの200万の仕事を終えた後、極道からクレームの電話があり、
上大岡の小料理屋に呼び出されていると言うことで、自分と社長とそこの従業員三人で行った。
その店がその極道の関係の店だったらしく、貸切になっていて、手前と奥の部屋に分かれていて、
手前の部屋に女の店員二人が居て、奥の部屋に案内され、まず社長と従業員の二人が部屋に入って行くと、
大声で「おいコラ!こっちだ!早く入れ!お前ら何だあの手抜き工事は!舐めてんのか!ぶっ殺すぞ!」と
脅かされていたので、自分が部屋に入って行くと、年配の指の無い極道と、パンチパーマで髭の極道の二人が居た。
自分は「お話の最中失礼します。私この社長の会社の顧問やってる者ですけど、貴方達何処の誰か知りませんけど、
そんな言葉で脅かしていたら、こいつら堅気なんだから、パクられちゃいますよ。脅迫ですよ」と
言ったら、相手が「お前はヤクザか?」と聞いてきたので、自分は当時好健会だったが
「そんなの関係ないでしょ、お宅はどちらの組織の人間ですか?」と言ったら相手が「○○一家だ!」と
看板を出してきたが、社長が、「兄さん、看板出しちゃいましょうよ」と
言って、社長が「ウチはよ、」と言うので、自分が「いいから!看板なんて関係ないから!」と言った。
向こうは「とにかく一回こっちに全額を返してもらって、またそこから話をしようじゃないか」と言ってきたので、
自分が「いいえ、それは出来ません。内はしっかり仕事をやって終わってるし、もし納得いかない部分があれば、
またその部分はちゃんと修正をしに行きますので」と主張し、相手に納得をしてもらった。
H氏からは、毎月の顧問料や揉め事解決料や、当時自分がパクられていた時に、自分が当時付き合っていた
女に対してのケア金など、彼には本当に金を尽くしてもらい、非常に感謝している。
しかし彼は後にリフォーム業で、仕事の内容は問題無かったのだが、悪質かつ強引な営業方法や、
騙したりしたリフォーム詐欺として、22億円の不当利益で逮捕され、ニュースなどにも取り上げられた。
◎30歳過ぎの、好健会の時に、このH氏が、日本最大任侠組織系右翼と揉めて、
ゴルフクラブで、相手の頭をカチ割り重症を負わせ、重症で警察沙汰になり、現地に相手組織多数が集結召集し、
自分一人で駆けつけて、掛け合いになり、喧嘩両成敗で話をつけた。
◎30歳過ぎの、山根会の時に、藤沢善行が地元で、自分の六歳上の元、南関東CRS連合相模ルート20で元、日本最大最強任侠組織系組員のA氏が、
以前好健会理事だったのだが、既に訳ありで、会は脱退していたのだが、彼とは個人的に
仲良くしていたのだが、ある日電話の最中に揉めて、口論になり、向こうが発狂してきたので、
自分がタイマンを要求し、待ち合わせ場所を指定すると、自分は一人で現場に行くと、A氏も一人で来て、元々二人は仲良しだったので、
まず自分が一回「やめましょうよ」と下手に出たら、A氏は笑いながら、自分の服を引っ張ってきて、ヤル気を見せてきたので、
自分はまずA氏をぶっ倒し、そのままマウントをとり、A氏の顔面を何発か殴りながら「何でテメーが俺をヤルんだ」と言うと、
A氏の顔面の肌自体から、出血していた。すると警察数人が飛んできて、二人とも連れて行かれそうになったが、
自分が「僕達は友達で、身内だから」と二人で警察に紛争して、結局その場の難を逃れ、その後A氏とも仲良くなった。このタイマンも自分の勝ちである。
◎31歳の山根会の時、自分の彼女兼ホテルヘルス愛和のコンパニオンが、仕事中でシャワーの最中に、客から金を抜き取られて、逃げられた為、三日間程、その周辺を探していた所、
窃盗犯人を見付けたので「待てコラー!」と、捕まえようと走って行くと、走って逃げたので、二人で追い掛けて行くと、コンビニの中に逃げて行き、レジの中まで逃げたので、
自分も、レジの中まで追い掛けて、捕まえると、店員に、「警察呼んでくれ!」と言うので、「おう!呼べよ!お前が捕まるんだからな!」と言いながら、顔面にヒザ蹴りを入れた!
そして、警察が来て、自分と女と、犯人と、で交番へ行くと、犯人の身内の姉も来て、お互いの事情聴取になり、本署に全員移動。
結局、犯人の家族は、生活保護の貧乏人で、今すぐ示談する金もなく、すると、こっちの彼女は被害者なのに、警察から、親を呼ばれて、
警察が別室で、親と娘に、何やら話しをして、親子に注意、親が娘を連れて、その、美人お母様と、自分と話合い。
彼女は、親には当然ホテルヘルス勤務を、内緒にしていたのだが、お母様は「今回一緒にいた方ですか?彼氏ですか?ウチの子が、ホテルに行ってたのは、
あなたは、知っていたのですか?援交とかって思いません?」など聞かれ、
困って、参ったが、結局、最終的には、自分が、彼女の事を、犯人から助け、カタキを取ったと言う事で、
二人の交際も、今だに認めてもらっていて、彼女の自宅に遊びに行くと、元レストランの女社長の
お母様の腕前の、美味しい、お料理をご馳走になったりして、皆で、街を歩きながら、
カラオケなど行くと「山根君がいるから、無敵で恐い物なしだな」と言ってくれる。家族ぐるみの付き合いである。
そのお母さんが、ある日「あの時に、何で私が警察に呼ばれて、行ったのが知ってる?」
警察が「実は、お宅の娘さんが、ある、ホテルで男性から、金の窃盗の被害に遭われまして、
その犯人の男の身柄を抑えてるんですが、実は、娘さんと一緒にいる、彼氏の男はご存知ですか?」
と聞かれ、お母さんが、知らないと答えると、警察は「その山根健一という男の方が、その窃盗犯人より、
悪くて相当ヤバイ人間でしてね。一度こちらに引き取りに来て頂きませんか?」という電話だったのよ(笑)
と、聞かされて、全員で大爆笑。その彼女が例の、背中一面刺青の巨乳美人のMである。
あと、愛和トラブルでは、自分が39歳の頃、例の内縁Mが、
愛和での50歳位の客とホテルに向かう途中に、 その日たまたま自分も現場にいたので近くで 見てたら、その客が金がなかったみたいで、 別の場所に無理矢理連れて行こうとして、 ただでやろうとしてた見たいなので、 Mが「金ないの?帰る!」と帰ろうとすると、 路上でいきなり強制キスをされたので、 自分が、後ろから「テメーこの野郎!」と 頭を思いっきり殴り「俺の女に何やってんだ! コラ!」と言うと、そそくさ逃げて行った話もある。後はやっぱりこのMが、客とホテルへ 行ったら、私と同じ年の小田原のヤクザ風不良で、その客が、友達を呼んで3Pを企んでたみたいで、 客が電話で友達呼ぼうとしていたので、Mが、ケツ持ち匂わせると、 その客がMに、ケツ持ちの名前を聞いた ので、Mが私のフルネームを言ったら、その客 たまたま私の事を知ってる不良で(私の方は相手を知らない) 私の話題になり、客が「悪いけど、もう一人の 友達に紹介バトンタッチするから帰る」と、架空の話をして、そそくさと、逃げて行ってしまった。 ◎41歳の堅気の時、現在付き合ってる彼女の内の、一人が、以前付き合ってた、現在35歳の横須賀の不良の彼氏に、
他の男の影の嫉妬で、彼氏の家で、凶器などで、長時間ボコボコに、され包丁も突きつけられ、刺されそうになった、傷害暴行事件が、数ヶ月前に発生した。
自分はまず、彼女と、一緒に病院に行き、診断書を取らせた。全治2週間の怪我でしたが、アチコチに腫れやアザもあり、相手からケツを取る為の準備をした。
すると本日、自分が同じ年の兄弟分兼代行の従業員と、戸塚までの常連様を送り、帰ってると、横浜西口にいる、彼女から電話連絡が入り、
「今、Mと一緒に、いるんだけど(このMは、自分の内縁のM)「例の、私をぶっ飛ばした奴と、今偶然あって、
一緒にいる」と、その男とは、少し離れて、かかってきた。『よっしゃラッキー♪』と、もう更生して真面目になった自分だが、
自分の女やられて黙ってる程、お人良しになりたくありません(笑)胸がワクワクしながら、昔の血が騒ぎ、
彼女に「今二人で、急いで行くから、その場に3人でいろよ!絶対に逃がすなよ!仲良くする振りして、時間を稼いどけ」と言って、
自分と連れと、5番街の、その場に到着するやいなや、派出所の近くだったので、
自分が「君ちょっと話があるからいいかな?」と派出所から、離れた所に連れて行こうとすると、
「何?何かあるなら、受けて立つよ!」と言いながら、少し移動して、自分は車に、さらおうとしたら、
もう一人が「おい!お前!心当たりあんだろ!?」と怒鳴りつけたら、相手が「何なら、自分も連絡する所ありますから」と言うので、
自分が「おう!上等だコラ!」と怒鳴り、もう一人が「何処のヤクザのヒモ付きか?コラ!」と怒鳴り、
相手が「俺もこの女に手を出されたから!」というので、自分が「あ?テメーがこの女を殴ったりボコボコしたんだろーが!女がそんな事する訳ねーだろ!」と怒鳴ると、
相手が、こっちの迫力や威勢に、ビビり出して、派出所に逃げて行ったので、自分が「おい待て!コラ!」と追いかけると、
派出所に飛び込んだので、どっちにしろ、犯罪を犯してるのは、向こうなのだから、診断書も取ってあるし、
こっちには分もあるし非はないので、女二人と、連れと、四人で派出所に入り、全員で話をすると、
相手の男は、奥の部屋に連れて行かれ、こっちの四人は入り口で、話をして、
向こうは「本日、女に殴られた」とデッチ挙げの嘘を付いてたので、女二人がハッキリさせて、
一時間程、お互いの、事情聴取が行われて、相手の男を、こっちに呼びつけて、当事者同士話をさせると、
相手が「俺一人じゃわからないから、会社の社長に相談する」と言って来たので、
自分が「社長でもヤクザでも誰でも呼べ!この野郎!そーやって居直って喧嘩売るならトコトンやってやるからよ!」と怒鳴ったら相手も大人しくなり、
女をボコボコに暴行傷害の件も認め、女に手を出した事も、嘘を認め、謝罪してきた。
しかし女も悪い所もあった様で、その事に関して、相手は、男女関係のモツレで「僕は真剣に彼女に惚れてたのに、裏切られた」みたいな事を言って来て
「でも彼女を責めないで挙げて下さい!」と何回も言って来て頭を下げて来たので、
自分は、この時点で、彼の男義に免じて、敵対意識は冷めてしまった!
自分は「格好つけなくて良いよ(笑)わかった!わかった!君のその彼女をカバってくれる気持ちは有難いけど、
だけど、それはそれ、これはこれで犯罪だからね。ちゃんと形として誠意を見せてもらわないと」と「ケジメはどうするのか」問いかけると、
連れも「こーゆ場合は金って常識や法的民法でも決まってるから」と話をし、
相手は「幾らくらいですか?自分は金持ってないので、何十万は払えないです!」と言って来て
自分は「金額のそれは君が決める事だよ。ただし一発幾らみたいな常識の範囲があるからね。
ちゃんと払えばこっちはもう訴えたりしないけど、もし払えないなら訴えるよ」と言って、
金の話になり、お互いに歩み寄り、折り合いつけて、決定した金額を、期日まで払う念書を書かせ、示談が成立した。
勿論バックレたら、こっちが告訴するという約束をして、最終的には自分が相手と握手をし、一件落着した。
自分の兄弟分も、随分活躍してくれたので、当然、分け前のお礼もする。
※好健会や山根会で、このホームページの文章に載っていないメンバーの武勇伝は、当時50代で、地元が神戸で
元、日本最大最強任侠組織系組長であり、当時日本最大最強任侠組織当時No,2二次団体系統現役幹部兼山根会本部長補佐兼好健会神戸支部長の
N氏が居たり、自分より五歳位上の、地元が地方で、当時日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体系統現役組員兼山根会相談役のT氏や、
自分より年上で、地元が地方の、当時日本トップクラス任侠組織系東京自由が丘事務所組員兼好健会幹部の人間が居たが、
不慮の事故で亡くなってしまい、心からご冥福を祈ります。後は、自分の十歳位上で、地元が東京の市の中で最強最悪の八王子で
元、ボクサーで、元、福島県任侠組織系組員で、山根会相談役兼魂龍会相談役のM氏が居たりした。
自分の一歳下で、地元が西区岩井原で元、プロキックボクサーで、山根会会長補佐兼横浜成人愚連隊総長のI氏は、堅気の時、
山下公園で不良五人組と一人で戦い、数人をぶちのめして、畳んで勝った事のある武勇伝を持っている。自分の四歳下の、
地元が瀬谷の好健会理事長補佐兼山根会幹部S氏は、空手と柔道の二つの有段者である。そして、自分の五歳下の、地元が戸塚の
元、汲沢中学番長で、山根会幹部兼好健会行動隊副隊長のT氏は、中学の時同級生を、殴ったら、相手が失明をした武勇伝を持っている。
後は、自分の五歳位下の、地元が東京葛飾の元、Jリーガーで、山根会幹部兼魂龍会行動副隊長のT氏から、蹴りを食らった人間は、たまったモンじゃない(笑)
◎自分は、運命、超常現象、宇宙人といったものに興味があり、
手相を見てもらうことになったのだが、差し出した手をじっくり見るなり、 占い師は、「おっ」と叫んで、「これは珍しい。君は何千人に一人の手相を持っている」とか 「一生、満足に睡眠が取れない。」と言われたが、自分はまさしく後年睡眠時無呼吸症候群に 悩まされる日が来るのであった。そして「色情狂」とも言われた。自分は、超女好きでSEX好きで、 自称(世界一のスケベ)である。それはまさに(色情狂)の観立てにピタリとあっていた。そして 自分には一つ不思議な超常現象を持っている。これは化学や物理では証明できないのであるが、 自分で確信している事であるのだが、自分が今までに数人、自分に対して矢を向けてきたり、 揉めたり、反目になった人間で自分が恨みを残した人間は、100%必ずその直後、もしくは、 間もなく、災難が起きるのである。しかも自分自身で報復する時もあるが、それ以外で必ず 災いが起きるのである。これは偶然ではない。これは自分の周りの知人も納得していることなのだ。 ある極道は、自殺で死んだ。そして別のある極道も、自殺で死んだ。ある極道は、交通事故で死んだ。 ある極道は自分が所属する組が潰れて、解散絶縁になった者もいる。ある極道は、警察に逮捕され 長期懲役を余儀なくされた。等々である。これは自分でも驚いていたのであるが、ある日女性の占い師に 運命を占ってもらったら、何とその占い師は「背中に刺青を入れていますよね」と当てたのだ。 しかも何ともっと驚いたのは、「図柄は大日如来でしょ」とそこまで当てたのだ。自分は鳥肌が立った。 そして自分にはとても強い守護霊に守られているというのだ。実際人生の中で、交通事故や トラブルなどで危険な目に合い、死にそうになった事はあるが、難を逃れてきたのだ。 こんな運命に感謝したい。そして雑誌で「ムー」という本を読んでいたら、ウォークインワンダラーという 何やら異様な名前に目が付いた。そのワンダラーというのは、異性人の魂がこの世の肉体に入り込み、 この現世に異性人の生まれ変わりとして、人間が生きている人物をワンダラーだという。 この地球上に数人しかいない生物といわれており、現世では人間離れした行動、発想なのだという。 そのワンダラーに、該当しているかどうかの条件項目が数項目出ていて、自分はほぼ全項目 当てはまってしまった。占い師による何千人に一人のというめったにない手相というのは、 まさにこの事なのであろう。確かに自分は自分が人間としての違和感を感じることもあるし、 変わり者だとも思っているし、人とは違う行動をとってみたり、人と一緒ではいやな性格には 間違いないのである。良いにしろ悪いにしろ、不思議な運命を背負っていると思うし、 よく人から変わった人、珍しい人とか不思議な人など言われるのである。ワンダラーは、高度な異星人の 魂であるが、人によっては不遇な人生を時には歩む場合のワンダラーもいて、地球という環境が合わず、 現世の人間と波長が合わなかったり、この世の人間から敬遠されたりして孤独で 独立心にさらされる事もあるという。このワンダラーという存在の意味と価値はこの地球上に ある使命を与えられて派遣されてきて、この世の人間達に何らかの形で様々な影響を与え、 地球を良くするワンダラーのポジティブETと地球を悪くするワンダラーのネガティブETがいるという。 自分の場合は地球を良くするポジティブETとして使命を授かっていると自覚をしているので、 そのように努力して務めたいと思っている。この自伝本もこの世の人物に何らかの良い影響になれば本望である。 などなど他にもありますが、これらが主で、
上のこれらの項目内容についての、もう少しだけ詳しい内容が本に書いてあります。 ※自分の体験した霊体験編※
*修羅の青春記から抜粋*
◎ここで自分が過去に、体験した霊現象を話したい。
この話を、信じるか信じないかは、読者次第だが、紛れもない事実で、ありのままの話である。
ある日自分の自宅の、団地の橋をいつものように歩いていると、橋の入り口辺りで、
坊主頭にメガネをかけた男が、スーパーマーケットの袋を持って歩いていたのであるが、
一瞬その男が振り向き自分と目が合った。自分は「あっ、同じ団地で幼馴染の同級生のYちゃんだ」と思い、ニコニコと笑った。
すると急に姿が消えたので「あれっ」と思い、橋を渡りきって、自分達が歩いていた方向の、団地の中の左右を見回しても誰も見当たらず、
おかしいな?と思った瞬間鳥肌が立ったのだ。なぜならば、そのY氏は、その日から約二年前に、自宅で、精神病を苦に
自殺していた事を思い出したのだ!Y氏は、自分と幼少からの幼馴染であったが、小学卒業以降は、
あまり付き合いがなかった。彼は真面目なサラリーマンであり、彼の母親とは団地でよく顔を合わせていたので、
後日この件を母親に話した。すると母親はボロボロと涙を流しながら「ひろゆきちゃんはね、いつも私が買い物を頼んで
スーパーに買いに行ってくれたから、そのときの袋なんだね」と言っていた。
極めつけは、それから数年後、当時付き合っていた、地元が戸塚の弘明寺のパプスナックの、
彼女と、夜中に外から自分の団地に戻ってきて、一階のエレベーターホールに差し掛かったとき、
その女は霊感が強い女で、急に「健ちゃん、ここのエレベーターホールやばい、
そのエレベーターの前に坊主頭でメガネをかけたスーツ姿の男がジーっとこっちを見ているよ」と言われ、自分は鳥肌が立った。
何故なら、その女は自分の同級生のそのY氏が自殺した事や、Yの背格好など知らないのであった。
従って、何故彼女が知らないYの姿を知っているのか?それは、彼女が嘘でないYの霊を見たからである。
自分の前に現れた彼の意味は、自分にとって良い意味で現れてくれたのなら幸いなのだが・・・・・・・・・・
自殺者の霊と言うのは中々成仏できず、自縛霊としてその場から霊界に行けず、苦しむと言われている。
とても気の毒である。人々よ自殺はやめよう。
この話には続きがあって、彼女が「とにかくこっちのエレベーターは嫌だから、
もう一つのエレベーターから乗って!」と言うので、そっちから自分の家に帰ると、
自分の家に入った時に居間の鏡を見て、彼女が急に泣き出し「家に帰るし、もうここ嫌だ!」と言い出した。
鏡の前に、髪の長い女が座りながら、こっちをじーっと見ていると言うのだ。
その瞬間、自分は又もや鳥肌が立った。何故なら、以前この部屋に後輩が泊まりに来た時に、
その後輩が一番奥の部屋に寝て、自分は入り口の部屋で寝ていた。
後輩が起きてきて、自分に「さっき自分の所に、髪の長い女の人が起こしに来てくれましたけど、誰ですか?」
と自分に聞いてきた事があったからだ。しかもその日は、自分と後輩と、自分の例の厚木の元ヤンで元、ナンバーワンキャバ嬢の彼女Cと、
その娘の二人も泊っていたが、その二人の女とは全然違うと言うのだ・・・・・・・・・・・・・
※格好悪い話編※
*修羅の青春記から抜粋*
◎人間は不良をやってれば、人から殴られたこと無い不良など居ないが、中学時と言うのは、みんなまだ完全に体も出来上がってなく、
完全に物心もついていない時期で、しかも自分は中学時は落ち着いていた方なので、ただし自分は、当時最強武道をやっていたので、タイマンをやれば
勝てる相手にも、訳ありで、二対一や、一方的に自分が悪い事案で、相手の方に大義名分があり、抵抗出来ない状態で、不利なシガラミがあった為、殴られたことも数回ある。
◎上文に出てる蒔田のW氏は淋姦永田一家に自分の関係で所属していて、同級生の後に好健会本部長兼山根会本部長になる
K氏も淋姦永田一家だったが、この三人で18歳位の暴走族現役の時に、W氏の単車運転で三ケツで浜連の集会に参加して
朝比奈に到着すると、遠くの方で某チームと某チームが喧嘩していた。するとしばらくするとパトカーがそーと自分達の前に現れて捕まえられそうになったので、
自分達は必死に単車から降りて逃げて、最終的には何処かで三人は合流は出来たのだが、W氏の単車を金沢警察に没収されてしまったので
三人で返してもらいに行くとW氏は警察達に袋叩きにされ、自分達は単車の所に連れて行かれて、直官の集合官に三人の耳を無理矢理当てられて
アクセルを何回も吹かせられて鼓膜が破れるかと思ったが、本来なら集団暴走行為で逮捕だが、自分達から出頭したこと、それらの制裁を受けたことで無罪放免となった。
などなど他にもありますが、これらが主で、
上のこれらの項目内容についての、もう少し詳しい内容が、本に書いてあります。 ※自分が体験した一番の修羅場編※
*修羅の青春記から抜粋* ◎人間は、病気や、怪我での体の変形は、自分で戦う事はできない。
ストレスと言う物も、体の中から発せられる事に対しての、ストレスと、外から受けるストレスの 二種類あって、人生の中でも、克服しながら生きて行かなければならない。 自分は、名前が健一で、弟の名前が、康二であり、合わせると健康一二と言う位、 自分も弟も、健康が取り柄で、風邪や痔はあるが、病気と言う病気はしたことがない。 しかし、自分が、生きていて、一番辛い思いをしていたのが、人生一番の修羅場だった、 まさに生き地獄の、鼻にまつわるエピソードであった! 母親に聞いた話では、自分が幼少の頃に、どこかに鼻をぶつけてしまい、鼻骨骨折してまったらしく、 その為に、鼻が曲がってしまい、見た目も大きくなってしまい、ボッテリしていた。 通称ボクサーノーズと言うのである。 見た目だけではなく、機能的にも、片方の鼻の穴については、空気の通りがイマイチであり、不快な思いをしていた。 自分が、そんな状態に、気付いのは、二十歳頃であった。 それまでは、不覚にも全く気が付かなかった。 鼻と言うのは、その位置や角度によって、全然見栄えが違う部分なのである事は、皆様は、ご存知であろうか?不思議なパーツである。 気になると、トコトン気になってしまい、人によっては鼻ノイローゼーと言う物になってしまうのである。 そして、自分は、この骨折で変形してしまった鼻を、生まれつきの鼻筋の通った、シャープな 鼻に戻したく、過去に、何と!鼻骨骨折修正手術を、局部麻酔と全身麻酔とで、10回以上 行ったのだ!鼻の内面の、機能的な手術は、簡単に一回で終わった。 問題は、そのあとの外見の手術だった!生まれつきの鼻の形に戻す事を希望し、 医者は、鼻の骨を削ったり、切ったりしたのだが、どれも結果が、かんばしくなく、 何も変わらず失敗連続!それもそのはずで、自分の鼻は、鼻の下の部分の軟骨も曲がっていたのだが、 それが判明したのが、合計12回の内の、数回目の後半での手術の時であったのだ。 その時の事で、勿論医者に抗議はしたが、最初の契約で、クレームなしという条件でやってもらったので、医者は受け付けない。 しかし原因をもっとよく、突き止めてやらなければならなかったと思う。
しかし、この鼻骨骨折修正手術というのは、軟骨を含め、形成手術の中でも、最も難しく、 完全には元通りには、戻らなく、従って、上手に治せるプロが少数しか、いないのが世界医療の現実で あり、鼻骨骨折をしてしまった場合は、もうあきらめなくては行けないほどの、絶望の症状なのである。 一口に鼻の手術と言うが、これは体験した人間でないと分からないと思うが、本当に辛い、まず、 局部麻酔では、鼻の穴に、ガーゼを突っ込み、鼻の何箇所に、麻酔注射を打つ。 この注射の痛さは、半端ではないし、手術中に骨をイジッテルのが諸にわかり、頭にガンガン響いて来る。 手術後は、鼻の傷口から出る血がなかなか止まらず、手にも点滴が刺さったままである。←これ天敵(笑)
全身麻酔の際は、酸素マスクを口に当てられ、1、2と数えて下さいと言われて、4、5秒もすると
意識がなくなり、気が付いたら病舎のベットの上で寝ている。 しかし傷口からは、出血は中々止まらない状態で、鼻の穴には、奥の奥までガーゼが詰まってる状態で、頭痛の時もある。 ガーゼが詰まっているから、呼吸もろくに出来ず、食事も味覚が全くわからない。 こんな状態が、一回の手術に付き、約一週間も続くのだ! 全く気が滅入ってしまう!それでも、失敗失敗連続で『何で俺がこんな目に合わなくてはならないのだ』と 神様も恨んだし、自暴自棄になっていたのだ! 結局、以降の手術の11回目の手術終了後、なかなか元に戻らない鼻の形に納得行かない自分は、 とうとう自分で、ヤケクソで鼻を何回も殴って、二箇所を折ってしまったのだ!これも、形は失敗に終わった! 何処の医者も、ただでさえこの手術は世界一難しく誰も太刀打ち出来ないのに、 実際に、自分の場合も、何人も何回も失敗して来ていたので、もう皆に断られていた手術で、 ボッテリした見栄えの悪い鼻で生きていくしかない状態に追い込まれてしまった。 しかし、自分はそれだけは嫌で、納得が行かず、自分の手で色々探し周り、 ようやく、過去の担当医者から、紹介してもらい、何と!新たな救世主が現れたのだ! 最後の手術の時には、鼻骨骨折修正手術技術が、世界でも一番だと言われてる有名な、 当時横浜大病院勤務で、後に東京大病院勤務のO先生と巡り合う事が出来たのである! しかし、この最後の手術の時には、死ぬ思いをしたのだ! この時の手術は、鼻に、頭の則頭筋膜の一部や、耳の裏の軟介軟骨の一部を取り、移植するという大手術となった。 しかし、手術後、原因不明の苦痛に襲われたのである! 手術後に、目が覚めて、いつも通りに安静にしてると、頭と舌が引き攣り始め、 何故か、舌が上向きに、クルっとなってしまい、頭と顔面が金縛りにあった状態で、 つった状態で、約一分間息や呼吸が出来なくなり、窒息してしまうのである。 約一分間すると、元に戻るのであるが、また5分後に同じ状態で、苦しくて苦しくて死にそうになる。 約5分置きに、この現象が続いたので、主治医O先生を呼ぶと、 原因が、わからずに、首を傾げながら、精神カウンセラーを呼んで来て、刺青も入れてるので、 先入観を持たれ、二人から自分が何か薬物をやってるんじゃないかと勘繰り始めて、 自分は、昔から酒タバコ、ギャンブル、薬物、も何もやってないし、間違いなく精神的な物ではなく、 物理的な症状だったのだ!しかしわかってもらえず、薬物をやってるのではないかと、 しばらく様子を見ようと言う事になり、二人は消えてしまった。 間違いなく手術原因での症状発作ではあるが、この手術を好意でやってくれた先生だったので、 あまり手を焼かせたり、面倒や、責める事もしたくなかった。 しかしこのままでは、魔の5分間ごとに、この現象が繰り返されて、止まらず、看護婦や主治医助手も 呼んだが、これもまた、何の処置も施さず、消えてしまう。 自分は、苦しくて、落ち着けずに、その病棟にはいれず、何故か隣の無人の病室の ベットに横になっており、眠る事も出来ずに、数分間息が出来なくなったら、 死んでしまう訳で、自分はその時に『このままの状態が続けば、もう確実に死ぬな』と 腹をくくり、この辺から死をあきらめらめたのであるが、 生まれて初めて死を覚悟したのが、この時だった。 こんな辛い思いをするなら、一気に死んだ方がましだと思った! 当時約一年付き合ったて同棲もしてた、横浜ラウンジbPホステスのNの事を思い出してた。 すると、助手が、何と!鎮静剤を打って眠れば平気かも知れないという提案を持って来てくれたのだ!救世主現る! しかし、鎮静剤を打って、眠ってる間に、さっきの魔の現象発作が起きたら、眠ったまま窒息死だ。 自分は、一種の賭けに出た!自分は、お尻に鎮静剤を打ってもらい、眠りについた。 そして、目が覚めた時には、すでに数日経っていた。数日眠っていたのである。 神様や、守護霊が救ってくれたのだ!助かったのだ! そして「健一!」と目の前には、当時の愛するNが、目の前にいた。 色々な意味で、Nが天使にも見えた! 助手の先生は命の恩人で、主治医も鼻をうまくやってくれたので、恨んではない。 お陰で、鼻の形も満足の行く、大部良くなった。 しかし、皆様に、ご忠告しておきますが、鼻は、殴られたり、ぶつけたりして、 一度折れると本当に厄介で、外見を気にしない方なら、問題ないですが、気にする人は、 このような生き地獄を味わう事になるので、気を付けて下さい! 他にも自分が潜って来た修羅場は多数ありますが、他の文章中の部分に記載してあります。
※自分が衝撃を受けて感銘を受けた人物※
*修羅の青春記から抜粋*
◎小学4年から中学生3年まで、間に、サボってた時もあったが、
近所の六ッ川の、横浜山元道院にて、厳しさの中に優しさがあった、男前で強い、 遠藤師範代から、当時、約50人位の拳士と共に、習っていた。 永田中からは、自分を含めて同級生4人の拳士が居た。 夏は、道着が暑くて汗だく。冬は、道着が寒くて寒い思い出がある。 稽古場所は、六ッ川中学の体育館だったので、床が固くて、転がる時など、痛い思いも、何度もあった。 中学の時に、永田中学の同級生のO氏、同じ年の六ッ川中学の拳士K氏と、 プライベートで、3人で遊んでいた時に、O氏と自分が、キッカケは忘れたが、 口論となり、口喧嘩となったので、自分がOに、小学生からの、昔からの口ぐせの 「お前俺と、タイマン張れ!」と言って、地元の公園で、K氏見届け人で、 一対一で、少林寺拳士同士の、当時同じ級と、同じ帯同士で、同じ条件で、同じ土俵で タイマンを張ったのだが、今まで、過去に数々のタイマンは、大体勝ってるが、 数少ない、引き分けの内の一人だった。 O氏は、不良ではなかったけど、さすが、同じ少林寺拳士で手強かった思い出がある。 少林寺は、自分の人生の中で、欠かせない、最高の経験となった! 世界の武道のルーツ最強少林寺拳法は、
中国の、武道人気男前俳優の、リーリンチェイが、達人で有名で、 中国武道大物人気俳優の、ジャッキーチェンも、少林寺の達人である。 ◎小学生の時、隣の席には、顔が可愛くて勉強もスポーツも万能で、 学校でも男子生徒から一番の人気の、K氏と縁があって一緒になった。
ある日、この子とは色々な面でライバルでもあったが、K氏と楽しい学校生活が
続いたある日、取り返しがつかない事件に見舞われた。ある日、学校の試験が
行われ、問題を見ると難しい問題で困っていると、隣のK氏が小声で
「答案用紙、こっち渡して」と、ささやいた。自分は「いいよ、マズいよ。」と
断ったが、「大丈夫、バレないように書くから。」と言い、強引に用紙を奪い、
答えをスラスラ書き始め、用紙を自分に戻した。自分は複雑な気持ちで
試験終了のチャイムが鳴り、答案用紙が教壇の上に回収された。
すると男子生徒M氏が、何やら女性教師と話をしている。すると
教師が「山根!K!ちょっと来なさい!」二人で行くと、
「お前達は、今回2人とも0点だ!」と用紙に赤ペンで大きく×を描いたのだ。
自分は何を血迷ったのか、気が動転していたせいか、「だって、
書いてあげるって言うんだもん!」と、言ってしまった。
教師は「とにかく、どっちが悪いと言う問題ではなくて、2人とも責任あるから罪は一緒!」と言った。
自分は心の中で「しまった。何と言う言葉を発してしまったんだ」と、後悔した。
K氏は、カンニングのリスクを背負いながら、自分の為に、好意でやってくれた事なのに、
自分は罪を逃れる為に、K氏のせいにしてしまった。恩を仇で返してしまった。男なら
「俺がKに、無理矢理書けって頼んだんだ。だから俺は0点でいいから、Kは見逃してくれ」と
そう言わなければいけなかった。するとM氏が自分に近寄ってきて、
「俺が先生に、バラしちゃったんだ。ごめん。俺の事殴っていいよ」と言ってきたので
自分はM氏の事は殴らなかった。自分から白状してきた事と、そこで
M氏を殴っても、この件では、虚しくなるだけだと思った。
その時からK氏とは気まずくなり、口をきかなくなってしまった。
こんな良い子で素晴しい女の子に対して、下手を打ってしまった。
実はこの子が自分にとって初恋の人物でもあった。
30歳位の時、この自伝本を書きながらこの苦い思い出を思い出してしまい、
どうしてもK氏に謝りたく、久しぶりに電話をして、この件を話し、
自伝本を送って謝ったが、K氏は笑いながら「もう覚えてないよ」と、
わざと、とぼけてくれて覚えてないフリをしてくれた。
彼女は現在結婚し、旦那と子供と幸せに東京で暮らしていて、
安心した。今後のK氏の幸せを陰ながら祈っている。
◎小学校6年生の時に、家が目の前の団地の、自分の一歳下の少年野球のエースピッチャーのS氏と口論となり、
生意気に口答えしてきたので、自分が「お前俺とタイマン張れ」と言って、自分の同級生の二人がギャラリーで、
タイマンを張ったが、前文にも出てるが、実際は負けではないのだが、訳ありで、負けてしまったのだが、どんな訳かと言うと、
その時にギャラリーがレフリー変わりになり、タイマン前に真ん中に入って「じゃあ始め!」と音頭を取ったので、
自分が手を前に伸ばし「ちょっと!」と待ったのポーズを取った。この「ちょっと!」は同級生Fがレフリー変わりに入ってたので、
どの様になったら勝ちか負けかを確認だけするつもりで、待ったをかけたが、その「ちょっと!」を関係なく、相手のS氏は、
その隙に、すかさずヘッドロックをかけてきて、足を引っ掛けられ倒されて、そのままヘッドロックで首を絞められ、
S氏に「謝るか?」と言われ、自分が「謝る」とギブアップして、負けてしまった。
しかし、S氏の方が謝ってきたので、負けた自分に、情けをかけられたみたいで、逆に虚しくなった。
しかし言い訳になってしまうが、先程の「ちょっと!」の待ったポーズの、それがなければ、
S氏は素人で、自分は当時武道をやっていたので、自分は絶対に勝てる自信はあった。
しかし負けは負け。この時が、生涯唯一のタイマン負けだった。
しかし、その時のタイマン場所は、地面が土だったが、自分が小学生時代に、多数の人間相手に、
喧嘩や制裁でやってきた、ヘッドロック&足引っ掛けぶっ倒し全身地面に叩き付けをやられた。
今考えると、まさに人間は、自分が他人にやった悪行が、そのまま自分に返ってくる、因果応報がある事は、間違いない。
この彼とお互いに、中学を卒業してから、横浜駅で偶然バッタリ会った時に、久しぶりに話込んだのだが、
彼は自分(山根)の事を「何をやらしても凄い人」とホメてくれてたが、自分とタイマンで勝ってるのに、
そんな風に相手を立ててくれる器量の持ち主だった。彼は野球が得意で日本高校野球歴代で一番強い横浜高校に野球で行った。
横浜高校は、レギュラーになること自体難しい高校で、S氏はプロ野球を目指していた位に野球が優秀だったが、
怪我か何かでその夢を絶たれてしまい、残念である。
◎中学一年の時に自分は入学式からチョン靴を履いていて、一歳上の上級生の先輩にも「お前チョン靴なんて履いてて良い度胸してるな」と
言われ、このホームページに写真が出ている、中学一年の時初対面の同級生の番格のN氏に、
笑いながら「チョン靴なんて履いてて誰にも何にも言われない?」と言われたことがあり、
その時は、自分はシカトをしたのだ。すると後日N氏は、二人組で来て、静かな落ち着た声で「山根、お前生意気なんだよ」と自分を、
軽くだが数発殴ったのだ。自分は「何よ?何なの?」と言っていたが、例の如く中学生はみんな完全に体も出来上がってなく、完全に物心も
ついていなく、自分は特にこの時期は落ち着いていて、しかも、この時も相手は二人だったので、多勢に無勢だ。しかしN氏は素人なので、
武道をやっていた自分は、タイマンなら勝てると思った。しかし後からN氏教室に来て「山根、ゴメンな。でも全然痛くねーべ?」と気遣ってくれた。
彼はこの中学同級生での番格で、自分は中学卒業後に少しだけ全日制の高校に行くが、そこ高校にはN氏と、もう一人の同級生のK氏と一緒で、
この高校にはN氏と一緒に通っていた。彼の家は当時の淋姦強姦の永田一家の溜り場でもあり、自分はしょっちゅう出入りしてた仲良しだった。
N氏は顔付きは、マイクタイソン似でイカツく、喧嘩も強い硬派な不良だった。自分が同じ年の中でも一目を置いていた不良だった。
後年彼は、蒔田の自分の一歳下の、S45年代女性達のリーダー格だった、美人のK氏と結婚し、現在も奥さんである。
蒔田の女性といえば、自分と同じ年のリーダ格だった美人のY氏とも、自分は仲良しだった。
◎中学1年の時、自分は小学生から、散々タイマンや、喧嘩や悪さを繰り返して来たので、
中学からは、真面目に生きようと誓っていた。しかし、中学入学式から、
当時不良が履くチョン靴を履いていったり、中学一年でパンチパーマを掛けたりした。
自分の同級生の、後に淋姦や山根会となるK氏から、自分の自宅の近所の床屋を
紹介して貰ったが、そこの床屋の店主が、当時中学一年生の、まだあどけない子供が
パンチパーマを掛けに来て、驚いていた(笑)後は、白いボンタンジャージ上下を着たり、
茶髪ホームパーマを掛けたりなどはしていたが、これらの事は永田の同級生の学年では、
自分しか居なかったし、中1パンチは全国でも殆ど居ない。
その後、先ほど書いた、自分でアイロンコテを買って、ホームパーマを掛けていた事もある。
中1のある日、当時自分の住んでいた団地の同じ棟の、小学生から幼馴染の、
一歳下の弟分S氏と、自分の一歳下の目の前の団地の弟分U氏の3人で、
近所の小学校の前を歩いていたら、自分の中学の同級生の不良の男が4人と、
一歳下の小学生1人と、自分と同じ年の女2人と対面し、
その中の、このホームページにも、写真が出ているD氏が「俺とタイマン張ろうぜ」と、
言って来て、向こうは幾らタイマンでも、D氏の味方人数が、同級生三人と、後輩一人の計四人居て、
こっちは後輩二人であった。
自分は、真面目になり、トラブルは避けていたので「いいよ、やらないよ」と拒否していたら、
周りの男も「山根、やれよ」と煽っていたが、自分は武道をやっており、相手のD氏は素人だったので、
勝つ自身はあったが断っていた。
すると、自分の弟分S氏が「自分がやりますよ」と、言うと、相手側も丁度、S氏の同学年の、
このホームページにも、写真が出ているH氏が居たので、永田のお互いのそれぞれの
小学校番長対決となり、タイマンを張り、S氏がH氏をぶっ倒し、マウント(仰向けの所を馬乗りになる形)
を取り、数発殴ると、H氏は、「ホラ、どうした!もっと殴れよ」と、
言ったのだ。H氏は気合と根性が入っていた。S氏がまた数発殴って、H氏は、口の中を切り、
唾を吐いて、真っ赤な血ヘドが出てきた。結局S氏の勝ちだった。
しかし、H氏は、「もっと殴れ」と、全く引かなかったし、泣きを入れたり、降参した訳でも無く、
気合と根性を見せたので、全くの負けではなかった。
しかし結局は、自分がどんな理由があろうと、タイマン拒否した事には変わらず、
自分が恥をかかされた所を、S氏がフォローしてくれて、感謝している。
後年D氏とは、お互いの25歳の、お互いの堅気の時に、一対一の、周りに邪魔者抜きの時に、
口論になり、自分がタイマンをやるつもりで「はっきりさせようよ」と言うと、その時はD氏が引いた。
結局相手側のH氏は、永田中学S45年代番長で、淋姦強姦永田一家の、自分の次の代の
総長に任命し、後年魂龍会本部長補佐兼山根会本部長補佐となった。
現在も弟分のH氏が、現在は、何でも屋の自営業でやっていて、頑張ってるそうで、
彼は、自分に大きな忠誠心を持ってくれてる、最高の弟分である。 永田中学の自分の一歳上に実姉様がいて、永田中学s43女ヤンキーで
一番悪の女番長だったが、美人で性格も良く、良い人である。
現在は、南中学出身の弘明寺淋姦強姦の自分より年上の、K兄弟の兄様と結婚している。
K氏も男義が強く、渋い人で、優しい方である。
自分が以前に逮捕された時にも、わざわざ、その奥様(H氏の姉様)と 一緒に現金やたくさんの衣類などを差し入れに来て頂いたりと、感謝感激であった。
因みに、この弟分のH氏は、このホームページにも、写真が出ている、以前女子プロレスラー元アイドルだった、
地元横須賀の、竹迫望美氏と付き合ってた彼氏で、望美氏が、プロレスラーになるキッカケを
作ってあげた男で、オーディションなど一緒に動いてあげていた。
その関係で、彼女は、私の家に、彼と、一緒に遊びに来たり、私を慕ってくれて、個人的に、
私に、電話してきて、遊びに誘ってくれたり、とても性格も良く、外見も、小柄だが、可愛いくて美人な子だった。
今現在は、プロレスは引退して、結婚して、幸せになってるみたいなので、良かったね。
今後も影ながら、望美氏の幸せを祈っている。
S氏の方は永田中学1年生で、その代の番長となったが、家庭の事情で千葉に引っ越してしまったが、
後年プロレスラーとなり、引退した後、日本トップクラス東京組織No.1二次団体系
組員となり、プロレスラー極道として、日本のアウトローの中で、ステゴロ最強トップクラスとなった。
新日本プロレスは、入門するだけでも厳しい難関だそうで、
S氏こと坂井直樹氏が、新日本プロレスに合格入門したツワモノだが、
メジャーデビューはしなかったマイナーだが、
日本トップクラスプロレスラーの、武藤敬司氏の若い衆として、立派なプロレスラーとして、
トレーニングを重ねてたが、ある日、腐れ外道の兄貴分にキレて、ブッチメて、退団したイケイケツワモノである。
自分には、ある事を通じて、彼から風の便りで元気にしている事を確認出来て、嬉しかった。
彼は自分に対して、いつも礼儀正しく、自分に対して忠誠心も大きく持っていてくれていた。
とても懐かしく、彼の今後の、益々の発展と活躍を祈っている。
◎自分が中学時に、同級生に、女生徒からモテモテの、アイドル的生徒がいた。A氏と言って
神戸から、小学生の時に、引っ越して来た男だった。 顔はイケメンで、長身で、性格も良く、スポーツ万能、不良ではなかったが、多分喧嘩も強かったと思う。 自分としては、中学時代の、心の中での、ひそかなライバルであった。 ちょっとした顔見知りになり、会えば会話する程度の仲であったが、 同じ男として、同級生の立場で、そう何でも完璧に、やられてはと、嫉妬、僻み、妬みがあったのだ。 ある日、自分が、このに対して、ライバル意識と言う物が、一切無くなり、愚かだと、思った出来事が起こった。 例の、永田同級生トップクラスの不良だったS氏との、タイマン勝利の報復で、S氏が親友のD氏を連れて、 二対一で殴られたことがあった。現に中学時には、D氏より、強くて悪だったS氏にはタイマンで勝っている。
「俺とのタイマンは、勝てねーと思って、二対一で汚ねー野郎だ」と思った。 中学生は、まだみんな完全に体も出来上がってなく、完全に物心もついていない時期であり、
自分は特に、落ち着いていた時期だった。しかも人間は、幾ら喧嘩が強くても、多勢に無勢と言って、人数多い相手には勝てず、
漫画や映画の様に、一人で何人も相手に勝つなど有り得ない。その時、A氏が近くに居て、その現場に止めに入り「山根さん、早く向こうに行っちゃいな!」
と言ったのだ。自分はそこで逃げるような、格好悪い事はしたくなかったので、相手が殴り終わるまでグッとこらえ、 終わった後に、少しだけだが顔が腫れた、無様な自分を保健室に連れて行ってくれ、女医が「どうしたの?」と聞くとA氏は「階段で転んだの」 と言った。自分がA氏に「ごめんねー、ありがとうねー」と言い、A氏は去って行った。 自分はこの瞬間、こんな人間の出来ている奴に
対して、今までライバル意識を燃やして、何て馬鹿だったんだと思って感じたのだ。自分はこの時点でA氏には負けたのだと思った。 A氏とは勝ち負けの問題ではないのだが、自分の気持ちはA氏に負けたのだ。 後は、D氏とのエピソードは、10代右翼の頃に、自分の紹介でD氏も入会した。
ここのT社の、横浜支部の定例会の二次会の時、 自分の、兄貴分格のU氏に
自分が「右翼やりながら暴走族やるな」と説教されてて、 酔っ払ったD氏が、 その時、定例会で話題になってた、右翼と同時進行の、 山根淋姦強姦二代目総長反対の件で、 D氏が二代目総長になれなかった理由を、嫉妬し、自分の事をU氏とD氏と一緒になって責めて来てたので、
自分が、逆にU氏とD氏に歯向かった。 自分は、素人のD氏にはタイマンは勝てる自信があるのだが、 兄貴分格と一緒で、しかも酔っ払ってる勢いだったから、 二対一でD氏が殴って来た。その際に足がつんのめって、つまずいて転んでしまった。そしてU氏に止められた自分は、 酔っ払ったD氏を、子供を、あやす様に 「いやーDちゃんのパンチ効いたよ」と 笑いながら言っていた。 後年D氏と、お互いが堅気の25歳の頃、自分の一歳上の、淋姦強姦永田一家だったY氏と、 二人で一緒に居たD氏と、ある場所で偶然会い、自分がD氏と、一対一で口論になり、自分が タイマンを張るつもりで「ハッキリさせようよ」と突っ掛かると、今度はD氏が引いた。しかし18歳位の時に、自分の一歳上の 淋姦強姦永田一家の同じ団地だった幼馴染みの先輩O氏と、付き合ってた自分も仲良しだった自分の一歳下の
戸塚の彼女のことを、自分が悪口を言っていると、先輩が自分に事実確認を取ろうとしていた時に、D氏が
「山根はそんな事は言わない」と自分をかばってくれた事を、このO氏から聞いた。D氏に感謝した。自分は、
実際にそんな事は誰にも言っていない事実無根だった為、そんな嘘をついてる野郎を探すこととなった。後は自分が、
18歳の頃に当時の右翼の事務所当番を、しばらくサボっていた時期があり、それが後日に問題になり、
自分がケジメや詫びを入れに、腹をくくって事務所に一人で 行って土下座をして謝ると、兄貴分のF氏と
後に日本最大最強任侠組織系組員となる自分の三歳上の地元が泉区のS氏の二人がいて、F氏が「いいから、いいから。頭上げろよ。
Dが山根を一生懸命に、かばってたんだよ」と言って、S氏が「山根て顔立ちが良いですよね」と、S氏がその流れに全然
関係ない話をしてて受けた(笑)けど、それはS氏が、その場の雰囲気を和ませる為に自分をほめてくれて嬉しかった。
何のケジメや処分もなかった。D氏や兄貴分達に感謝した。ここの右翼の当時、F兄貴と兄弟分の前文に出てくるU氏も良い人だった。
後はここの当時、支部長と副支部長だった、I兄弟にも世話になり、副支部長だった、弟の方には、会う度に
「山根は、男前だよ」と言ってくれていた。そして、ここの自分と同じ年の元、戸塚音総長Y氏とも、仲良しだった。
他の隊員達とも、自分は仲良しだった。
自分がここの右翼を辞めた後、20歳位の日本トップクラス任侠組織組員だった時、港定時の後輩達と計4人で戸塚祭に遊びに行った時、
戸塚の暴走族約20人と喧嘩になり、一人で突っ込んで来た奴に、自分は蹴りをぶっ込むと、何処からか「山根〜、喧嘩ばっかしてんなよ(笑)」と
懐かしい声がしてきた。U氏とS氏だった。U氏が「喧嘩ばっかすんな」と言っているのは、自分がそこの右翼に在籍している時、
当時堅気だった、自分の一歳上の元、淋姦強姦永田一家総長O氏と、自分と2人で、井土ヶ谷近くを歩いている時、
相手が2人組の年上の極道達と喧嘩になり、相手が包丁を持ち出して来たので、
振り回して突っ込んできたので、形勢不利になり、一回体をかわしたが、住民から通報され、お互いが警察署に行く事になり、
そこに自分と同じ年の六ッ川の弘明寺のO氏の彼女M氏と、このホームページにも写真が出ている、自分の一歳上の好きな、当時堅気で、自分の紹介で、
そこの右翼T社に入る予定となっていた元、淋姦強姦弘明寺総長のO氏と、自分と永田のO氏3人で、喧嘩の続きを警察署の中で始めてしまい、
相手の極道の組長も駆けつけていたが、弘明寺O氏が極道をボコボコに〆た。そして相手の組長と自分が話し合いをした。
しかし、その件で自分の右翼T社と相手の横浜任侠組識のそこの組とで、
問題となり、自分が一回謹慎になった事があった。U氏はこの事を言っていたんだと思う(笑)結局戸塚祭で揉めた相手暴走族が、
自分の事を知っていたと言う事と、U氏とS氏の後輩だった為、和解した。話は戻るがD氏は男義のある思いやりのある不良だった。
D氏は永田中学時代同級生でトップクラスの番格の不良だった。その後も不良で名を売っていた。
中学時代から色々と因縁がある縁だったが、良きライバルでもあり、影ながら自分を支えてくれていた良き同士だった。
◎中学の時に、中学校の廊下で数人でサッカーを、やってて、皆は、ボールに集中し追ってたが、自分は、サッカーなど、
どうでもよく、サッカーをやってる振りをしながら、ふざけて、笑いながら、不良の同級生だったY氏に、自分が体当たりタックルして、
Y氏が吹っ飛びぶっ倒れ、またサッカーをやりながら、笑いながら体当たりして、Y氏が吹っ飛びぶっ倒れを、繰り返していて、イジメていたら、
さすがに切れたY氏が、自分がボールに集中していて、自分がY氏を見てない時のタイミングを見計らって、不意打ちで、
体全身で、飛びながら、自分の体に体当たりしてきて、自分はその拍子に後頭部を、壁にぶつけ、後頭部を切り、出血した。
その時に自分を真っ先に肩を抱えて病院に連れて行って、くれたのが不良のF氏だった。その時は、Y氏も一緒にF氏と
一緒に自分を抱えてくれた。その時は、頭を打った程度なので、実は一人で余裕で歩けたが、二人の好意に甘えた。
結局は数針縫う怪我だったが、その時に実感したのが、サッカーの試合なのに、理不尽なことをやり、人をイジメて、
中々止めずに調子に乗ったという天罰が下ったと思ったのと、イジメられた復讐でやったY氏やF氏が病院に連れて行ってくれた
有り難みだった。F氏とは、以前、色々なシガラミがあり、F氏と自分と、前出の京都から引っ越してきたN氏の三人で、
学校から一緒に帰り、下校する約束をして、自分とF氏の二人が先に、正門で待っていたが、N氏が遅れて中々来なかったので、
F氏がかったるい顔をしていたし、自分も待ちきれなかったので、F氏に「おせえなー!もう帰っちゃおう」と言って、帰ってしまったにも関わらず、
N氏から「何で帰っちゃったの?」と聞かれた時、「坊ちゃま(F氏のあだ名)が帰ろうって言ったから」とF氏のせいにしてしまった原因や、
その以前には自分は、人に悪口のつもりで言っていない事がF氏には、人から悪口に聞こえてしまい、二対一や一対一などで、
数発殴られた事があった。自分は当時武道をやっていて、F氏は素人だったので
タイマンは勝つ自信はあったし、現にF氏より強くて悪かったS氏とのタイマンには、自分が勝っているが、中学生は、
まだみんな完全に体も出来上がってなく、完全に物心もついていない時期であり、自分は特に、落ち着いていた時期だった。
しかも人間は、幾ら喧嘩が強くても、多勢に無勢と言って、人数多い相手には勝てず、漫画や映画の様に、
一人で何人も相手に勝つなど有り得ない。しかもF氏のせいにしてしまった件は、自分が一方的にに悪くて、大義名分が、完全にF氏にあった為に、
この時は中学三年の時で、F氏側が一人で、自分一人での一対一で、悪口の時は中学一年の時にF氏側が二人で、自分一人での二対一で
抵抗出来ない状態で、不利なシガラミがあった為、殴られたことがあった相手だったが、と言っても中学時代にプライベートでも仲良しで、お互いの家に
行き来する親友同然の中だったし、たかが親友同士のイザコザだったが、自分を殴ったF氏だったが、性格はよかった。
ある日、中学での修学旅行の前に、自分は「修学旅行には、面倒臭いから行きたくない」と、こぼしていたら、
F氏が色々と説得してくれて、結局自分も行くことになり、旅行中も色々自分を楽しませてくれて「どーよ?楽しいじゃん?」と
気を使ってくれてお陰で楽しい修学旅行となった。背も高く男前で、イザとなれば喧嘩早く、当時永田中学S42年代番長兼、
当時横浜市全中学S42年代中学時代総番長と言われていたY氏の弟分でもあった。他校の某中学生達が
遊びに来てた横浜西口に、F氏は中学一年から数人で出向き、その他校の生徒達と喧嘩してたり、永田の同級生はF氏に数人殴られた。
永田同級生は中学時は10人位不良がいたが、彼はトップクラスだった。中学を卒業すると、パッタリ落ち着いてしまったが、
あのまま不良を続けてれば間違いなく出世した有名アウトローとなった逸材だった。後は中学時代と言うと、
同級生で一番の苛められっ子のN氏が、いつも苛められていて、可哀想だったので、
優しく話しかけたら、いきなり殴り掛かってきたので、自分も反撃したが、その後も納得がいかず、
N氏にタイマンを申し込んだら、走って逃げたので勘弁していたら、ある時また、不意打ちで
殴り掛かってきたのでコイツは、同級生達に苛められ過ぎてノイローゼになり、頭がおかしくなっていたので、
可哀想な男だったので相手にするのを止めた。
伝説の、中国武道大物人気男前俳優、故ブルースリーも、ジークンドーに少林寺を取り入れていた。
◎中学3年の時、京都から引っ越して来た不良の同級生の 当時自分の親友だったN氏と、放課後に、隣町蒔田のゲームセンターに遊びに行く途中、
自分達二人は私服で、自分が直毛だったが、茶髪で、N氏も、私服でオールバックで
2人共目立っていた為、井土ヶ谷辺りで、向こうから蒔田中学の、自分達と同じ年の
不良3人組が、1人が自転車1台に乗り、走って来て、その内の副番長I氏が
「何処の中学?」と聞いてきたので、N氏が「永田中」と答えると、I氏が自分達それぞれに、
名前を聞いてきたので、自分達が、それぞれ名前を答えると、
I氏が首を横に振り「聞いた事ねーなー」と言い、自分は心の中で
『隣町の人間ですら、自分を知らないのか』と言う劣等感に見舞われたが、
『まぁ、中学時代、落ち着いていたからこんなモンか』と思った。
I氏が番長のO氏に、「どうする?」と問いかけた。O氏は自分達に
「これから何処行くの?」と尋ねて来たので、自分達が、
「あそこのゲームセンター」と答えると、O氏は「俺達もあっちの方に
行くから、そこまで一緒に行こう」と、仲良くなり、その途中O氏が
自分に「髪の毛茶髪だね」と、笑いながら言っていた。
そしてO氏がN氏に「中○来ねーの?」と言っていて、O氏は
番格の中○の事は知っているのかと思った。自分はこのO氏には
感銘を受けた。3対2だったのだから有利で、喧嘩をやれば
勝つ所を、何もせずに和解した彼の性格に感銘した。
しかも彼は、全く偉そうにせず言葉遣いもソフトで、フレンドリーだった。
O氏と言えば、当時同級生の中でも横浜トップクラスの
中学生だった。その後、暴走族の現役の時にこのO氏とは、
集会前や集会中に、再会するが、O氏の方は自分に
「芸能界を紹介してよ」と言っていた。彼は後に、日本トップクラス任侠組織系
組員となり、現在は堅気である。彼は背も高く、男前で、
人間総合力を兼ね備えている人物だった。彼とは縁があり、彼が付き合っていた、
地元が弘明寺の自分の一歳上の、背が高くて、美人の女ヤンキーだったT氏とも、自分は仲良しで、
10代の頃、T氏と二人で一緒に車で集会に出たりする仲良しだった。同じく地元が弘明寺の、
自分の一歳上の美人の女ヤンキーだったA氏とも、自分は18歳位の時一緒に、車で集会に出た事もある。
I氏とも、10代の時に自分の中学からの同級生の、淋姦や山根会となるK氏の家で再会し、
その後もよく電話で会話をしたり仲良しだった。彼もO氏と同じ組だったが、
現在は堅気である。そして、ここの中学の番格で自分と同じ年の元、浜連
黄金族総長のI氏とも、自分は仲良しで、良く遊んでいた。彼は自分の刺青を、良くほめていてくれていた。
この他にも蒔田は、一緒に草野球をやったS42番格のK氏、
蒔田中学S45番長A氏、K氏、港定時の後輩だったS46のI氏、S47番長M氏、港定時の後輩だった
S48蒔田ロードランナーT氏や、T氏の蒔田の同じ年の友達達も自分は仲良しだった。
共進は、S43黄金族だったI氏、同じく黄金族だったI氏、S44K氏、S氏、S44の女番格だったE姉妹の姉は、港定時で仲良しだった。
弟分だったS45番長O氏、同じく港定時の弟分だったK氏、黄金族だったS氏、
S46港定時の後輩だったO氏、S51年黄金族総長で元、日本トップクラス任侠組織系組員K氏、
同じくS51の黄金族で自分の事を憧れてくれた男前のI氏、同じくS51のM氏とも仲良しだった。
◎そして中学時代は、自分は男女の同級生達から、何故か「山根さん」と「さん」付けで呼ばれていたり、
自分が「はいーっす」や「だめーっす」などと、フザけた言葉を発していたら、男女の同級生全校で流行ってしまい、影響力もあった。 中学生のこの頃、付き合っていた女性の話だが、T氏と言う、顔も可愛く、性格も良かった女との馴れ初めは、よく校内で顔を合わせており、 いつの間に顔見知りになっており、会う度に自分が、ふざけてT氏の頭を軽く叩いたり、体を触って、痴漢などをしていたのであるが、
T氏はその度、嫌がっていなかったのだ。そしていつの間にか、恋愛感情が沸いて来たのか、向こうから告られて、
付き合い、その後数ヵ月後に、自分の方から別れを告げたのである。T氏へ、自分と付き合いたいと告ってくれて有難う。
しばらく付き合い、自分から振ってしまったけど、T氏との思い出は一生忘れない。 ◎中学を卒業すると、15歳で横浜私立瀬谷隼人高校に入学した。隼人高校は、自分の中学生から、同級生だった、番格のN氏と、同級生のK氏と一緒になり、
最初の頃は、K氏の、気さくなお父様が(数年前も連絡をとった)自家用乗用車で、 自分達三人を、通学で送ってくれていた程の、良い人で、自宅も永田の立派な一軒家で、 自営業の社長である。 しかし、自分達s44代の連中は、第二期生だったが、先生を教官と呼ぶように義務付けられて、 毎朝の朝礼も軍隊並みの、システムの朝礼など、とにかく厳しい規律の高校だったので、 K氏の父親が送ってくれたのは良かったものの、正門で教官に呼ばれ、 「今、車で送ってもらった人間は誰だ?」など、チェックが入り、説教されるなどした。 K氏とは、同じクラスになったりして、仲良しで、自分が、校則の厳しさと、通学の遠さに 耐えられない理由で、自主退学したが、その後、M定時制に入学すると、K氏も、 自分の定時制に入りたいと、希望して、隼人を辞めた。 そこで、定時制で、あるトラブルが起きる。自分が隼人時代に、K氏の前で、ある友達だった 別の地元の同級生が、ふざけて絡んで来た後に「嘘だよーん(笑)」とギャグをやったことがあるのだが、 そいつとは、仲も良かったし、プライベートでも遊んだ事もあるのに、K氏が、定時で後輩に、 「山根は、隼人高校でイジメラていた」と面白おかしく嘘を吹いて、その後輩が、自分に密告してくれたので、生徒のギャラリー多かった、学校の裏で、別の後輩と一緒にいたK氏に、数発ヤキをいれて、止めに入った後輩にも、飛び蹴りを入れたのだった。そしてK氏には「こんな事があったからって、 学校に来なくなるなよ!明日からまた来いよ」と言ったのだが、残念な事に、K氏は次の日から、 来なくなり、辞めてしまい、自分が仲直りしようと、数年後に電話をして家族に、折り返し電話求めても、 連絡をしてくれなく、残念で、一方そのK氏と一緒にいた後輩の方は、自分が暴走族現役の頃、シンナーを売っていた時にシンナーを買ってくれたりのお客さんだったので、後日偶然再会した後輩には謝ったのだ。 話は戻り、例の永田中学S44年代番格のN氏の方は(山根HPに淋姦強姦の写真に出てる) 小学生から不良の格好して、喧嘩も強く、悪で、外見は、マイクタイソン似の、イカツさである。 両親(故・父親)や実姉も悪で、実弟は永田s48年代番長で、自分の実弟とも仲良しで、 自分の実弟は、元々真面目だが、プライベートで遊んでいた仲であった。 そしてs44N氏は、小学生から野球をやっており、自分とは、違う瀬戸ヶ谷小学校で、瀬戸ヶ谷小は、 中学が南区永田中か保土ヶ谷の岩崎中学に別れる小学校であった。 N氏もエースピッチャーで、中学も野球部兼バリバリの不良だった。 隼人には、野球推薦で入ったと思う。淋姦強姦永田一家でも一緒だった。 当時の隼人野球部は、今の隼人程強くはなかったが、相当強く、戸塚中学番長J氏などもいた。 その中を、N氏が仕切ってまとめていたのだったが、N氏も当時実家が、八百屋自営業経営だったので、 そっちを手伝うという事で、隼人も辞めたが、野球に対する熱意が強く、N氏が当時付き合っていた、 永田中学s44女番長だったI氏と、自分の三人で、隼人の神奈川高校野球大会を、見に行ったりした。 今の、隼人高校野球部が強いのは、隼人の地盤を作った、先代のN氏達の隼人野球魂の伝統を、 受け継いでいるからに、間違いはないのである。 彼は、自分にとって性格も良く、男義も強く、不良としても一目を置いていたし、自分にとって、 彼の存在は、大きかった。 現在は、連絡もとってないし、会ってないが、自分も仲良しだった、蒔田のs45年代女番格だった、 美人のK氏と結婚して(10代の時に、このK氏とN氏と自分で、車で族の集会に出たりした思いでもある) 若い時代に、立派なマンションを永田に購入して、土建屋の社長で頑張って入る様で、安心している。 ◎15歳の隼人高校の時、同じクラスに、身体障害者の言語障害持ちの生徒が一人居て、
彼は、いつも同級生達から差別され、馬鹿にされ、苛められていて、誰一人として友達が居なかった。
自分はそれが可哀想で、自分だけはいつも話し掛けて仲良くしていた。彼はその度にいつも笑顔で
応えてくれて、楽しそうだったので、自分も嬉しかった。彼はみんなからは、苛められていたのに、絶対に学校を休まず、
辞めもしなかった。自分は彼の精神的な強さに感銘を受けた。しかし自分は、この学校の校則の厳しさと、
毎日瀬谷までは遠い通学に嫌気が差し、面倒臭くなり、間もなく数ヶ月で
自主退学したが、彼の事が心残りで、無事に卒業出来たのか、気掛かりだった。
ここの学校では、当時暴走族だった人間数人や、後に、日本最大トップクラス任侠組織系組員となる、
地元が東神奈川の、長身のK氏とも、自分は仲良しだった。
◎自分と同じ年の、地元が東京池袋のグラビアアイドル山口まなみと交際していた
16歳のこの時期、自分の劇団時代からの、地元金沢区六浦の三歳下の弟分大内氏(後に十川氏)から紹介を受け、 日本最大トップブランド芸能プロダクションジャニーズ事務所ジュニア研修生体験をした。 当時選ばれたJタレントやJrしか泊まれなかった、合宿所に泊まったり、レッスン受けたり、最高の人生経験だった! 土曜日、時計はすでに、夜9時を回っていたが、原宿表参道の豪華マンション一室にある、合宿所の周りはファンの人だかりが出来ていた。 近所迷惑などおかまいなしの熱気であった。その気持ちも良くわかる、ブラウン管での超有名人達が この中で、生き、暮らしてるのである。 少年忍者のメンバー達が、ちょうど仕事から帰って来た時だった。 大内氏の同級生と、自分との3人で、そこの豪華マンションに入り、このビルは、外部者立ち入り禁止で あり、関係者以外は、進入出来ない事になっているが、大内氏は顔パスであった。 警備員に誘導されて、エレベーターを上がって行くと、エレベーターが開いた所の場所が、すでに、広い玄関になっていた。 そこには、一人の小柄の地味な渋い、中年の男性が、立っていた。 自分は、このマンションのお手伝いさんか管理人かなんかの職員だと思っていると、 大内氏が「社長おはようございます!先輩のY山根君と友達のKです」 自分は心の中で『え!マジかよ!この人が芸能界の天下のあのジャニー喜多川社長かよ!』 と驚いた!自分は「あっ、ど、どうも初めまして。山根と申します!」と挨拶すると、 すると社長は「ん?年幾つ?」と問いかけて来た。自分が16歳の年を告げると、 社長の顔色が変わったかの様に見えた。J事務所は、小学生からの入所が多い所であるのである。 しかも、自分は当時からヤンキーだったので、キツイパーマもかけており、目付きも悪かった。 この時点で芸能界としては、色々なハンディーがあった自分だった。 しかし快く迎えてくれて、とても親切な人であった、社長自ら、事務所生一人一人に親身になって、 誠心誠意接するという姿勢が、日本一の芸能プロダクションを生み出す秘訣なのだと思った。 社長に案内されて、リビングやフロアーなどへ行くと、そこには何人かの少年達が、くつろいでいた。 中村繁之氏や少年忍者のグループであった。自分は『わースゲー』とミーハーの気持ちで浮かれていた。 みんなは、ミーティングしたり、どデカイテレビに向かってファミコンに没頭したりしてた。 テレビ放送は、当時榊原郁恵主演『新・熱中時代宣言』がやっていて、ジャニーズジュニアだった 双子の江端兄弟が出演していたので、みんなで見ていた。その主題歌の自分も大好きな曲、 カルロストシキ&オメガトライブの『君は1000%』が流れていたが、今でもこの曲を聴くと 当時の事が、走馬灯の様に、見事に蘇って来る、懐かしい思い出の曲である。 そして忍者の自分と同じ年の、地元板橋区の高木延秀氏が、鏡張りの壁に向かって、 ダンスの練習をしてた。生で見る彼の踊りは、すさまじく上手であった。華麗で格好良く、動きも機敏である。 感心しながら、彼の動くを見物してると、一時期的に踊りを辞め「ねえこれいいでしょ? ファンからもらったプレゼントなんだよ」と話かけてきてくれた。 ここで大内氏が自分に「ジャニーさんが、今は野村よっちゃんみたいな三枚目のタイプを 欲しがってるんだって」と言って来た。しばらくすると、合宿所へ有名人達が、次々と帰って来て、 この部屋へぞろぞろ入って来た。 自分は『今、この人間達と、この場所で、一緒に時を過ごし、同じ世界へ飛び込んでいるんだ』と言う気分に浸っていた。 それから三人は、社長と合宿所内の見学で、隅から隅まで部屋を案内しながら説明してくれて、 「ここはトシちゃんの部屋、こっちはマッチの部屋だよ」そして一番奥の部屋に来た時に、 「今日はYOU達は、ここで寝なさい」と言われた。 その部屋の片隅に、何やら珍しい機材が、目に付いたので、 社長に「これは何ですか?」と尋ねると、それは当時はまだ珍しい、日焼け機であった。 「少し身体焼くかい?」と言われたので「はい!お願いします」と言い、 洋服を順番に脱いでると、次の瞬間、驚いた!社長が自ら、パンツを脱がしてくれたのである! 自分は『ここまで世話をしてくれる人は、珍しい』と思いながら、日焼けパンツを履かしてもらい、 日焼けを約30分程行った。世間の噂では、社長はホモだとか、聞いた事があったが、 自分が思うには、ホモではないと思う。別にホモだろうが、ホモじゃなかろうが、 どっちでも良い。一人一人に対して公平に、息子の様に可愛がっているのだ。 事務所生一人一人に対する気遣いや、思いやりの愛情が、みんなを愛するあまり、同性愛と言う物に 勘違いされてしまうのではないかと思った。 自分が実際に、事務所生達に接する姿を目にしてきて、そう感じた。 その実態を理解するか、しないかは人それぞれであるが、自分自身で社長と肌身で接して、自分は、そう理解している。 余談だが、自分も昔、定時制高校時代に、笑いのギャグを取る受け狙いのために、 コミュ二ケーションやスキンシップのつもりもあって、ふざけて「俺はホモだからさ」とか言いながら ふざけていたら、学校中や横浜中に、広まってしまい、自業自得だが、 ふざけるもんではないなと思った(笑)自分はレッキとした逆の、世界一の女好きである! 風呂にも入れてくれて、私が入る時にも、社長が風呂の浴槽などを自ら綺麗に洗ってくれたり、飲食料もご馳走になった。 自分は、まだ会って間もない新人に対して、ここまでしてくれる芸能界の帝王社長の器量に脱帽した。 社長の忙しさは、並大抵のスケジュールじゃないのはわかっていたので、三人で、早目に就寝し休む事にした。 その夜、自分は別世界の空間に彷徨ってる様な気分に浸っていた。 みんな良い人間達である、天下のJ事務所だけあって、人間も出来ている、芸能人だから、スターだから と言って、変に気取ってる人間もいない。甘いマスクに、華やかな衣装に身を包み、巧みな踊り。 自分が抱いていたイメージその物だった。 自分と同じ年の男闘呼組の高橋一也氏が、自分に「ジャニーさんは?」と聞いて来た。 彼が社長に「今日は俺は、自宅に帰ります」と挨拶していた。 自分達は、布団が三人分敷かれてるそこで、三人で横並びに寝ていると、何と!社長が両手を広げ、 布団の上から乗っかって来て、コミュ二ケーションのスキンシップを計っていた。 すると大内氏は、吹き出して笑っていたが、自分は、無邪気で楽しいオジサンくらいにしか思わなかった。 社長はどいて、どこかへ行った。夜中になり、自分達は眠りに付き、永く刺激的だった一日が終わった。 次の日に目が覚めると、自分の隣の布団では、当時ドラマサーティーンボーイなどで一世を風靡してた、 同じ年の新宿が地元の、トップアイドルグループ男闘呼組のトップアイドル岡本健一氏が寝ていたのにはビックリした。 彼は、自分と同じ年だし『健一』が一緒だったので、何かの縁だったと思う。 キッチンで、忍者と一緒に、会話をしながら、出前の力うどんをご馳走になってると、 トップアイドルグループ少年隊の三歳上の地元川崎のトップアイドルだった東山紀之氏が来て、笑いながら「お前ら昨日、誰か俺の部屋に入っただろ」 と言ってたので、柳沢超氏が「はい?入ってないですよ」と否定してた。 そして、自分が一番最後まで食事をしてると、J歴代帝王トップアイドル(地元大和市の近藤真彦氏と共に) トシちゃんこと、田原俊彦氏が入って来て、冷蔵庫などを漁っていたが、自分には話掛けては 来なかった(笑)昼になり、忍者やジュニアの連中は、六本木のテレビ朝日のレッスン場に何人かで向かう事になった。 自分達は、坊主頭のジュニアと、島田健太郎と言うジュニアの三人で合宿所に残っていたら、 社長がタクシー代をジュニア渡し、その三人で、レッスン場に行く事になった。 三人で下に降りて、タクシーを待っていると、その時にも、ファンが多数いて、 自分達に近ずいて来たので『お!俺達にも早くもファンが付いたか?』と思ったら、 「ねーねー、少年隊中にいるの?」と、言われてズッコケタ(爆笑) 三人で「知らない」と首を振っていた。そしたら偶然にも、合宿所の車庫から、車が一台出てきて、 車に乗ってるのは、少年隊の三名だったので、自分達は挨拶をして見送ると、 先程の、ファン達が大騒ぎしながら、まさに追っかけの文字通りに、その車を走って追っかけて行った。 タクシーに乗り、坊主頭の少年に「どっから来たの?」と「尋ねると「沼津の方から。そっちは?」 など答えて、会話をしてて、自分は何故、坊主頭なのか尋ねると、静岡のそこの中学校が 通ってるだけで、無条件で坊主頭にしなければならないらしく、厳しい学校だなと思った。 その彼こそが、一歳下の、後に日本歴代トップアイドルグループ光ゲンジとなる、日本歴代トップアイドルだった諸星和己氏であった。 彼こそが、まさしく自分と良縁持った人物の、大出世ジンクス歴代bPであろう!
レッスン場へ到着すると、その周りには、お決まり定番お約束の様に、やはりファンが詰めかけていた! レッスン場に入ると、すでに何十人ものジュニアの連中が、踊りのウォーミングアップをしていて、 忍者は(ロッテ歌のアルバム)と言う、テレビ番組のリハーサル兼レッスンを行っていて、 早速自分達もジュニアの連中に混じって、レッスンを行う事になった。 振り付け兼ダンス講師は、髭の似合う、ヒョロとした、ボビー吉野氏であった。 ジャニーズの基本はルックスだが、それに伴い、ダンスが出来なければならない事務所である。 ジャニーズタレントで、ダンス重視ではない人間も、みんな最初はダンスから入って行った。 まず、基礎から入って行ったが、これが難しい!自分は非常に身体が硬く、 どうも思い通りに身体が動かず、身体が言う事聞かないのであった。 ダンスのそれぞれのパターンを覚えるのも、これまた難しかった! あのダンスが一番上手な東山氏ですら、自身の自伝本に書いてあったが、最初の頃は、 うまく踊れずに、社長からよく怒られていたと書いてある程難しい。 慣れもあるかもしれないが、自分にはとにかく難関だった。 自分は、スポーツも万能でやって来て、運動神経には自信があったのだが、ジャニーズダンスは 全く踊れず、話にならなかった。みんなは淡々と踊ってる。バック転やバック宙は、最初から 出来なくても、やる気のある人間だけ覚えれば良いのであるが、みんな真剣に長時間うまく踊って 圧巻だった。忍者はさすがに最高のダンスで、ジュニア達の良い見本になっていた。 しかしジュニア達に対して、ボビー氏から駄目出しや怒号が飛びかう。 諸星氏は、一人だけ踊りには混じらず、みんなのレッスンをただ、ひたすら見てるだけ。 ただし、サボってる訳でも何でもなく、目が真剣で、みんなのダンスを自分成りに盗み、 レッスンでは踊らずに、後の光ゲンジでの華麗なダンスに繋げてたと思うと、当時から只者 ではなかった男であった。とにかく自分はジャニーズダンスが全く駄目で、時間も長く、ハードで 踊れず、疲れるで、歯が立たず、一人だけ無様な状態であった。 一旦休憩時間になり、テレ朝の地下の喫茶店に全員でお茶のタイムになり、 自分は諸星氏と、一緒にいると、レッスンに遅刻してきたジュニアがいて、諸星氏が 「あ!前薗君だ!」と親しみ気に呟いていて、レッスンに戻り、前薗氏に話かけると、 地元が自分の隣町の保土ヶ谷で、同じ年だったので意気投合し仲良くなった。 因みに前薗氏は、当時の諸星氏の兄貴分であり、二人でレッスンに通うのも、 諸星氏が静岡県富士市からJRで横浜駅に来て、前薗氏と合流して通ってた仲であった。 この前薗氏こそが、後に自分の親友となり、自分が経営するホストパブ、クラブの副社長にもなる。 当時髪型がキツイパーマだった自分に、大沢(樹生ではない)というジュニアからも やっぱり「髪の毛痛んでるよ」と言われた。 そしてまたみんなで、ひたすら踊り始めるのだ。弾ける汗、ダンスは長い間夜まで続く。 途中レッスン場に社長も見学に来た。自分は無様な姿を見せられないと思い頑張ったが、 踊れないは、疲れて体力がしんどいはで、もう踊りやジャニーズダンスは向かないから、無理だと あきらめて、やる気なくいい加減に踊っていた。 すると、そう思ってた矢先、レッスン終了間際になる頃、大内氏が社長から、伝言を頼まれて、 自分に「やっぱりダメだって」と伝えて来た。 ちょうど良かったと思った。自分はどっちにしろ踊れない訳だし、仮に踊れたとしても、 こんな厳しいハードなレッスンでは付いて行けなかった訳なので、無理だった。 しかし自分は、ここで大物達との出会いや、スター達の実像にも触れる事も出来た。 滅多に経験出来ない、世界一貴重な体験が出来て、人生の勲章の一つとして、今がある。 今では、良き思い出の一コマであり、ジャニーズジュニアOBwikipediaに研修生として 記載されてるのも、宝物である。 ◎17歳の港定時の頃、廊下を歩いていると、当時担任の先生だったT氏が「おお、居た居た。見つけた!探してたんだよ。
今、お前の所に、警察が二人来てるから、とりあえずどっかに隠れてろ」と、かばってくれたが、普通の教員や、全日制高校であれば、
その時点で許されないと思うが、T氏には感謝した。自分は「何で来てるか知らないけど、とりあえず行ってみますよ」と言って、
職員室に行くと、この学校で一番うるさい教員のO氏が、警察に「学校に警察の制服で、来ないで下さい」と言っていて、
自分に対しても冷ややかな目で、ひんしゅくを買っていた。警察が来た理由は、結局自分が一歳下の、後輩の生徒F氏から
窃盗車だと分かっていながら、五千円で250tの(通称:ゴキブリ)という単車を買った罪になり、警察署へ連れて行かれたが、
自分もF氏も正直に話せば、前歴は付くが、学生パイで留置所も無しとなり、自分もF氏も助かった。そしてある日、
体育館で全校生徒の集まりの時、例の教員O氏が、自分が集団の端っこに居て、ラインの枠から、はみ出ただけで怒鳴ってきたので、
自分も「やかましい!この野郎!誰に言ってんだ!」と怒鳴り返した。こんな具合にこのO氏とはあまり相性が良くなかったが、
ある日体育担当の、O氏の授業の出席日数や単位が、足らなくなり、その年に体育単位を落としそうになった時、
O氏が自分に「反省文を書け」と言ってきて、何の事だか分からなかったが、今までのO氏に対する詫びや、
乱れた学校生活の反省を書いたら、体育単位がクリアされていたのである。普段は誰に対しても口うるさく、
厳しい先生だったが、土壇場で困った生徒を救ってくれる、情のある先生だった。
◎18歳位の頃、港定時の仲間達の、自分と同じ年の地元が旭区今宿の親友F氏と、
自分の一歳下の弟分だった地元が保土ヶ谷のS氏達計5人でワゴン車で、浜連の集会に
出ていた時、横浜市大病院前の通り辺りで、F氏の後輩で自分の一歳下の当時、横浜地獄軍団地獄族今宿支部の
総長O氏が、CBXで単ケツで乗っていたので、声をかけ、自分とF氏でその単車を借り、
自分が運転でケツにF氏を乗せて走っていると、山下公園前で、前方の遠方で
パトカーや警察が見えたので、Uターンをしようと思った途端に、運悪く偶然単車が原因不明の
故障を起こし、止まってしまい、セルを回してもエンジンが掛からず、押し掛けをする余裕の暇も無く、
自分達は単車を乗り捨てしてしまい、2人で逃げたが、当時は携帯電話が普及していなかった時代で、
S氏やO氏などとはぐれてしまい、その日はO氏とは連絡が取れなくなってしまい、
自分やF氏が責任を感じていた頃、次の日にF氏の家にO氏が訪ねてきて、後日
単車の件で3人で、話し合う事になっていたが、運悪く、O氏は不慮の事故だか病気で亡くなってしまい、
残念だった。O氏は自分のアフロに驚き、感銘を受けていたり、自分の事を慕ってくれていた後輩だったし、
例の集会の時も、嫌な顔一つせずに、気持ち良く自分達に単車を貸してくれたのにも関わらず、
元々単車の調子が悪かったにしろ、乗り捨てしてしまったのは自分達の責任だ。
当時のCBXは、今のCBXの約1/10の値段で安かったし、亡くなる前に、ちゃんと単車だけは弁償してあげたかったと後悔している。心からご冥福をお祈り致します。
因みに、地獄族は、瀬谷総本部の自分の一歳下の元、日本トップクラス任侠組織系組幹部の
S氏や、このホームページに出ている、雑誌の切り抜きの座談会インタビューで出ている、
S46元、瀬谷地獄族総長で元、横浜任侠組織系組員で、
横浜S46年代トップクラスアウトローの男前の好きな後輩のS氏や、 S46元、瀬谷地獄族特攻隊長で元プロボクサーであり、 トレーナーであり、現在は、ヤンキー雑誌などにもレギュラー連載していて、 現在は、超優秀有名塗装会社キャンディーライフ社長である、好きな後輩で有名なI氏。 S46元、瀬谷地獄族副会長で男前の、好きな後輩O氏。 同じくその代の好きな後輩F氏、好きな後輩T氏、同じく元、瀬谷地獄で、湘南連合のケツモチの内の一人であり、
自分の二歳上の元、日本トップクラス東京任侠組織系組員の男前のT氏とも、
自分は仲良しだった。同じく瀬谷地獄の、自分の五歳下のリーダー格Y氏は、横浜S49年代のトップクラスアウトローで、
好健会特別攻撃隊長だった。同じく瀬谷地獄の、自分の四歳下のT氏と、T氏と、自分の六歳下の総長で
元、日本トップクラス任侠組織系組員で、殺人共同共謀正犯の前科があるN氏とも自分は仲良しだった。
瀬谷の東野中学の出身の、自分と同じ年の美人の女番長とも、自分は仲良しだった。
因みに、二俣川地獄族は、自分の三歳下のH氏と、S49かS50総長の、日本最大最強任侠組織系組員のS氏とも、自分は知り合いだった。
後、横浜地獄軍団の中沢ウインクの後輩とも、自分は仲良しだった。因みにその隣の、全日本麗心愚連盟湘南連合大和ピエロは、自分の三歳下のS氏が、
好健会の理事であり、その隣の藤沢善行が地元で、自分の六歳上の元、南関東CRS連合相模ルート20で元、日本最大最強任侠組織系組員の、性格が良いA氏
(彼のタメ年の、彼の兄弟分で、地元が泉区の元暴走族で背が高く、男前のT氏とも、自分は仲良しだった。)は、
好健会理事であった。因みに、大和ピエロは、S46A氏、T兄弟の弟48年代総長T氏、S50年代K氏も、自分は仲良しだった。
後は元、大和ピエロの、自分より八歳上の、現在磯子に住んでいる、建築会社の社長であるH氏も、自分は仲良しである。
このホームページにも写真が出ている、その隣の、全日本麗心愚連盟湘南連合綾瀬ピエロの、
S48年代総長のM氏とも、自分は仲良しだった。鎌倉は、自分の四歳上のリーダー格で、
元、日本トップクラス任侠組織系右翼で、元、横浜任侠組織系組員だったK氏と、鎌倉警察署の留置所で一緒だった仲良しだった。
◎18歳位の頃、自分と同じ年で、地元は岡村だが、浜連上大岡グループで、単車を格好良く仕上げる事と、
塗装のプロのT氏や同じく同じ年の上グルのS氏と会い、
仲良しだったが、その後20歳を越えた頃にT氏と会って色々と話をした時に、彼は謙虚な人間で、
自分を絶対に大きく見せたり、自慢したり見栄を張ったりしない人間で、自分が過去に先輩に、
ぶっ飛ばされたりしたことや、みっともないような話ばっかりしていた。でも彼はフタを開けてみると浜連の実力者だ。因みに岡村の、自分と同じ年の不良のI氏が山根会に入会した。
◎18歳の頃に、友達の紹介で自分の一歳上で地元は大口だが、暴走族は浜連上大岡グループ総長兼浜連総長のY氏と知り合い、
後年縁があり、自分の日本最大最強任侠組織巨大ブランド二次団体系で一緒になるのであるが、彼はハーフっぽい顔をしていて、
ポールマッカートニーに似ている。 自分がトラブルがあると「何かあったら、ケツ持つから言って」と気を使ってくれた良い人だった。
同じく、年上の元上グルでは、自分の二歳上の日本トップクラス任侠組織系組幹部のH氏とも、自分は仲良しだった。
同じく、二歳上の上グルは、日本トップクラス任侠組織系組幹部のF氏は、このホームページの浜連パーティーの写真に出ているが、
昔自分が二十代の頃、訳があり、自分より三歳上の、上大岡方面の詐欺師を指名手配している時に、探して協力してくれて、
そいつの身元を調べる為に、F氏の、自分の出身中学の、卒業アルバムを貸してくれる事になり、F氏が自ら、F氏の方から、わざわざ車で、自分の自宅に、
届けてくれた。感謝している。同じく上グル二歳上は、自分の二歳下の地元が戸塚の、このホームページに写真が出ている、雑誌の切抜きで、港定時の集合写真で、
黒板の前にパンチパーマで写っているS氏の実兄であり、この実兄も、港定時の生徒で、自分も仲良しだったが、後年亡くなった。ご冥福を祈る。
◎自分が暴走族現役の時に、家が目の前の団地の、自分と同じ年の浜連で有名だった人物の、浜連上大岡グループ総長のO氏と仲良しだったが、
彼との出会いは、自分が住んでいた団地内を17歳の頃から、
当時の愛車CBXを乗り回してバンバン吹かしていたら、浜連の集会の時、港定時の一歳下の自分の弟分で、背が高く男前の、
浜連生麦一家消火器副会長で元、右翼のS氏(当時S氏の彼女であり、港定時で一緒だった、地元が上の宮の、自分の一歳下の、
背が高く美人のY氏とも、自分は仲良しで、消火器は、その代のY氏とも、自分は仲良しだった。)と、その単車で二ケツしていたら、
O氏が集会で、笑いながら「この単車、いつも団地でうるさいよ(笑)」と、注意してきた事がキッカケで、そこから毎日の様に遊ぶ仲良しになった。
そして、ある日O氏と二人で集会に出ていた時、彼と中学の同級生の浜連で有名だった人物の、浜連黄金族のH・Y氏を紹介を受け、
知り合ったが、自分がその時、初対面だったので敬語を使ったら、「何でそんな喋り方してんの?やめようよ」と言ってくれたが、
彼とは未だに親友のような関係だが、お互い「Hちゃん」「健ちゃん」と呼び合い、何故かお互い敬語で喋っている。(笑) このY氏には一歳下の
実の弟も黄金族であるが、Y兄弟として浜連で有名である。
◎自分の兄弟分だったT氏から、自分の一歳上のT氏の中学の先輩の、ZERO篠原支部総長(後に、全日本麗心愚連盟港鶴連合)のK氏(旧姓:F氏)や、
K氏の一歳上のリーダー格で元、日本トップクラス任侠組織系組最高幹部のK氏や、T氏の中学の一歳上の先輩で元、グラチャンチーム横浜鶴見レーシング総長で、
現在右翼K同盟最高幹部のN氏などを、紹介を受けたが、その中でも特に印象に残っているのが、暴走族の有名人だった、自分の一歳上のK氏は、
自分が18歳位の時に、T氏が「淋姦強姦の、山根です。この間の写真集の、バブVの。」と紹介すると、K氏は「えっ?マジで?あの写真の?」と疑問を抱いた。
当時自分の外見は、髪型を直毛サラサラヘアーで、落ち着かせていて、夜の外だったので、「もっと顔をよく見せて」 「本当だー!あの写真と一緒だー!一緒の人だー!」
と驚き、K氏と一緒にいた、暴走族の後輩も、写真集を知っており、二人で驚いていて、「あの写真は、うーんという感じだけど、今の感じは全然違うね」と
感銘を受けていてくれていた。彼は淋姦強姦のチームにも、非常に興味を示していて、自分に色々と聞いていた。今思えば懐かしいが、彼は後年、
不慮の事故で亡くなってしまい、惜しい人物を亡くし、残念に思う。彼は、映画「サラリーマン金太郎」のワンシーンで、バイク屋で二人組で
「あっ!金ちゃん!」と言っている一人であり、心からご冥福をお祈りします。ZEROと言えば、栗田谷東神奈川支部の、
自分と同じ年のリーダー格で、横浜任侠組織系幹部だった故・M氏や、S46年代総長のN氏や、他のメンバーとも、自分は仲良しだった。
◎港定時の時に、港定時は、元不良や不良が多く、横浜のその世界で有名人も多かったが、このホームページにも写真が出ている、自分の一歳下の、
元戸塚浮浪総長のS氏が、入学してきて、仲良くしていたが、浮浪と言えば硬派武闘派暴走族だったが、
彼はもう、その時点では真面目になり、外見も真面目だった。後年に、彼が真面目そうな少年を連れて来て「自分の後輩です」と
紹介してくれたが、自分は『随分と真面目そうな子だな。こんな真面目そうな子がSちゃんの後輩にいるんだ』と思っていたが、
その後輩は「よろしくお願いします」と挨拶をした。自分は「こちらこそよろしくね」と挨拶をかわしたが、真面目なんてとんでもなかった。
後でわかった事だが、彼は横浜でも有名な中学の西本郷中学のS47年代の番格であり、その代の浮浪の総長N氏だった。
港定時に入学してきた時には、すでに真面目に更正して、落ち着いていたのだ。自分の三歳下の、地元が港南台の
日本トップクラス任侠組織系組員の港定時での自分の舎弟だったK氏と、そのN氏と三人で話した時に、
K氏が「中学の時に、コンビニで見たことあるけど、凄かったんですよ」と言っていた。因みに、落ち着いてからの、
彼の写真は、山根ホームページの雑誌ティーンズロードでの白黒の切り抜きの、港定時の教室での集合写真があるが、
その一番左に立って写っている、男前の真面目そうな青年がN氏である。人は見掛けによらない。
浮浪と言えば、S49年代総長兼浜連総長で、日本トップクラス任侠組織川崎No.1二次団体系組長クラスの、
横浜S49年代トップクラスアウトローのK氏とも、自分は仲良しだった。後は、S45K氏は、港定時の自分と同じクラスの、後輩で、S46の港定時の後輩のD氏や、その代のS氏も、
自分は仲良しだった。自分の四歳下のリーダー格H兄弟の兄の方は、現在建創屋社長で、自分の運転代行の常連のお客様である。
◎港定時制の時に、淋姦強姦永田一家初代総長のO氏が、自分の一歳上の淋姦強姦弘明寺のN氏と一緒に港定時に遊びに来た時、
O氏が「俺が中学の時に、Mさんから『山根は、俺の幼馴染みだから、
ちょっかい出すなよ』て言われたもんな」と言っていて、それを聞いた瞬間感謝の気持ちで一杯だった。
しかもM氏はその事を自分と会った時に、恩着せがましく、自分に話をしたこともない。彼は、このホームページにも写真が出ている、自分の二歳上の小学生から
家が近所の幼馴染の、自分の少年野球時代四年生の時、自分がエースピッチャーで、自分とバッテリーを組んでいた
キャッチャーだった、尊敬している心の兄貴分で元、浜連生麦一家消火器総長で、横浜S42年代トップクラスアウトローの
そのM氏ことM・H氏(旧姓:E氏で元祖戦後横浜愚連隊伝説の四天王H氏の血筋)である。
自分が、小学校4年で、彼が6年の時、当時住まいが同じ団地で、一緒にそれぞれ自転車を
乗っていて、エレベーターに二台入る時に、先にM氏が入り、自分が後から入れる時に、
自分が自転車がうまく入らなかったのか、遅かったのか覚えてないが「早くしろよ!」と、
軽くだが、顔面にワンパンをくらった、思い出もある(笑)
そして自分が20歳位の日本トップクラス任侠組織系トップクラス二次団体の時、
当時自分のY組に遊びに来ては、気前良く、おこずかいをくれたり、
一家で海水浴に行った時、立派な見事な刺青で、太ももに、一家の名前が大きく入っていたので、自分が感心していたら、
H氏が「俺は、生意気だからよ、人からいつ殺されても身元が分かるようにこれを入れたんだよ」
と、言っていた。この先輩の言葉に衝撃を受けた。この人の任侠道に対する
熱意は半端ではなく、それ位のいつでも死ぬ覚悟の気合いや根性が無ければ、この世界はやっていけないと感銘を受け、この人には敵わないと思った。
『勝てば監獄、負ければ地獄』のこの世界、甘くは無い。この人は、ここの組織の25歳位からの
元、最年少組長であり、現在、日本トップクラス任侠組織系トップクラス二次団体横浜大物親分になっている。
因みに、自分がここの組にいた時に、同じ一家の別の組に自分の好きな元、浜連以外の緑区の、十日市場ブラックエンペラーの
S41総長で、横浜S41年代トップクラスアウトローのT氏と、殺人前科のあるS45総長で、横浜S45年代トップクラスアウトローのE氏が居て、仲良しだった。この二人の組には、同じく十日市場の、
自分より年上の、自分の好きな有名人U氏が居て、仲良しだったが、ある時彼が自分の組事務所に遊びに来た時、自分がU氏にお茶をいれた時、
U氏が壁の名札一覧表の、自分の幹部行動隊副隊長の肩書きを見て、自分の事を「あれ?幹部だったんじゃん。それ早く言ってよ(笑)」と言っていて、懐かしくてたまらない。
優しい人だった。因みに緑区は、中山の自分より年上の、右翼幹部のO氏と、自分は仲良しである。
あとは同じ一家の別の組で自分の好きな一歳上の地元が戸塚名瀬の、戸塚S43年代No.1トップアウトローのS氏とも自分は仲良しだった。
他には、同じ一家の別の組の、自分と同じ年の元、浜連生麦一家消火器のM氏とも、自分は仲良しだった。
後、消火器は、自分の一歳上のリーダー格K氏とも、自分は仲良しだった。
後は、自分がこの組を辞めた後に、この一家に入った、S48元、浜連舞岡音総長でS48年代横浜トップクラスアウトローだった
A氏とも、自分は仲良しだった。後は、ここの一家の単独武闘派チーム元、町田魅孵美人のS46総長のS氏とも、仲良しだった。
◎20歳の日本トップクラス任侠組織系組幹部の時に、自分と組員の計7人位で有名なカラオケ付きの某中華料理屋にて、皆で飲食をしながら、
仲間がカラオケを歌っていて、歌い終わると、何処からともなく、拍手喝采が遠くから聞こえて来た。そこを見渡すと、不良の集団で、そこには、
浜連の集会などで見たことがある、有名な自分の一歳上の元、本牧党で元、日本トップクラス任侠組織系組員だったT氏と自分の一歳上の有名な
元、岡村蜘蛛総長で元プロボクサーのN氏達数名だった。自分達は中華料理屋で飲食を終えた後に、場所を変え、別の確か居酒屋か何かの店に移動したのだが、
何かの縁だったのか、そのさっきのN氏達も場所を変え、その店の前で、鉢合わせとなり、自分達は「さっきはどうも」と挨拶を交し、皆で少し会話をし、
お互いが、お見知りおきとなったが、この集団のリーダー格のN氏は爽やかで感じが良く、フレンドリーな人だった。顔も男前で、横浜S43年代トップクラスアウトローだった。
自分達は店に入ると、店の前が騒がしく、喧嘩が始まっていて、例の本牧の当時から全身刺青のT氏が、ポーカーゲーム屋か何かの中年の男と喧嘩して暴れていた。
自分達は店内にいたので、相手が何人いたかは、確認はしてないが、しかし岡村のN氏はT氏を必死に止めていたのだ。自分はこのN氏に感銘を受けたのだ。
相手が複数いたとしても、相手は、ただの堅気で、武道や格闘技などをやっている様にも見えない素人に対して、プロボクサーN氏がT氏の加勢をし、
一緒にいる5人位の仲間もいるのだから、余裕で勝てる喧嘩だったはずだが、N氏は絶対に戦わずに止めていた。『やはりプロはさすがに違うな』と関心した喧嘩だった。
蜘蛛と言えば、西横岩井原支部のS49総長の故・N氏と仲良しだったが、ある日、電話でN氏と話をした時に、
N氏が「この前、境之谷(西区)で見かけましたよ」と言っていたので、自分が「あっ、マジで?変な格好してなかった?(笑)」
N氏は「はい(笑)山根君程有名になると(笑)」と言っていたN氏が、懐かしい。だが彼は後年、集会中の不慮の事故で亡くなってしまった。
しかし自分の事を師匠と呼んでいた、自分の弟分であった、N氏と同じ年の黄金族総長で元、日本トップクラス任侠組織系組員だった故・M氏と、
N氏は兄弟分の様に仲良しだったが、M氏も交通事故で亡くなってしまったので、この二人が天国で再会し、向こうでも仲良くやっていると思う。
後、岡村と言えば、自分よりだいぶ年上の元、日本トップクラス任侠組織系組員だったO氏(あだ名:オッタ)や、
岡村蜘蛛で自分の二歳上の元、日本トップクラス任侠組織系組員だったM氏とも、自分は仲良しだった。そして、自分と同じ歳は、前文に出ている上グルのT氏と、山根会のI氏である。
そして自分の一歳下は、このホームページの写真に出ている元、日本トップクラス任侠組織系組員の、男前のF氏は、
自分の舎弟だった。このホームページの、雑誌の切り抜きの六人組暴走族で出ている、
S46年代総長Y氏とも仲良く、彼は現在、ある事件で十年以上懲役を打たれ、現在、服役中である。岩井原支部の自分の後輩の三歳下とも、
自分は仲良しだった。後、岡村は、自分の内縁の女房(内縁女房とは三年以上同棲してる女の事)で自分の20歳下で山根企画の人間がいるが、
その同級生の番格不良のH氏とも、自分は知り合いだが、彼は、岡村歴代大将のS42蜘蛛総長で元、日本トップクラス東京任侠組織系組若頭だった
H氏の実姉の実子である。岡村蜘蛛の他のメンバー数人とも、自分は仲良しだった。
◎同じく日本トップクラス任侠組織系幹部の頃、自分が訳あって、そこの組を辞める時、自分がお世話になった組長Y氏に、直接自分の気持ちを伝えると、
何のケジメや落とし前も取らず、何事も無く辞めさせてくれた。この組長はイケイケで有名な殺人前科もある
組長だったが、性格は良く、心も広く、寛大な人だった。現在は病気でお亡くなりになり
心からご冥福をお祈りいたします。当時の兄貴分のK兄貴はキレるとイケイケだが、普段は
とても腰が低く、とても優しい極道で、私にに対して、嫌な言動や態度を一度も、
とったことないし、自分が辞める時も「また何かあったらいつでも言って来なよ」
と、言ってくれた人である。最高の兄貴分だった。そして、このホームページに写真が出ている、このK兄貴の兄貴分に当たる、自分の二歳上のH氏にも、
自分はお世話になり、この人も横浜S42年代トップクラスアウトローで有名な人物であるが、
昔は外見はバリバリの不良だったが、落ち着いてからの外見は、髪型も直毛のサラサラヘアーで、
顔も男前で、俳優の佐藤浩市似であるが、この人が自分の目の前で、ある人間にワンパンを
入れたら、ぶっ倒れて気絶した喧嘩の強さである。組の他の連中も、皆良い人間達だった。
そして、この組を辞退した数年後、ここの一家のN組長と訳があり、ある件を電話で会話をしたが、
話の分かる、とても男気のある良い組長で、自分のS兄貴分とも兄弟分だった。
◎21歳位の堅気の時に、自分の同じ年の仲良しだった保土ヶ谷蛍死蝶のS氏と、自分の仲良しだった
二歳下の元、日本トップクラス任侠組織系組員で、本牧党のK氏と三人で車で集会に行く途中に、S氏運転でS氏が「おいK、ガス代出せよ!」と言っていたので、
自分が「俺が出すよ」と言ったらS氏が「いいの、いいの、コイツ金持ってんだから」と自分には、絶対に出させなかった。
偶然にもS氏の奥様は、自分が港定時代に、可愛がってて、仲良しだった三歳下のH氏と言う縁もあったS氏は、親しみのある、
良い不良だった。後年日本トップクラス任侠組織系組幹部となったが、今現在は、どうしてるかは、わからない。
保土ヶ谷と言えば、このホームページの写真に出ている、自分が10代の時に、自分の一歳上の保土ヶ谷蛍死蝶総長で元、日本トップクラス任侠組織系組員で、
横浜S43年代トップクラスアウトローのY氏と、S42・S45総長西横一家極道の、
M兄弟の家に遊びに行った時、、S45特攻隊長で元、日本トップクラス任侠組織系組幹部のO氏も来て、M氏(兄)やその彼女が、
色々と飲食類を御馳走してくれて、帰りも皆で送ってくれて、非常に感謝している。他にもこの西横一家極道のS43の有名人で、
当時日本トップクラス任侠組織系組幹部だったY氏は、非常に腰が低く、年下の自分にも敬語で話をし、有名人は違うなと思った。
西横一家極道と言えば、このホームページの写真に出ている、S43年代総長の元、日本トップクラス任侠組織系組幹部で、
横浜S43年代トップクラスアウトローで、長身で男前で、人間総合力を兼ね備えていた故・T氏や、S45N氏や、このホームページの雑誌の切り抜きの、
六人組暴走族で出ている、S46総長の元、日本トップクラス任侠組織系組幹部のK氏とは自分は特に仲良く、彼はバリバリの不良だったが、
自分にとって、とにかく性格の良い不良だった。彼は横浜S46年代トップクラスアウトローでもある。後は自分の仲良しだった、このチームのS46のF氏は、
現在日本トップクラス任侠組織系組最高幹部になっている。このチームは、他にも自分の三歳下の数人K氏、N氏、自分の舎弟だったK氏、
自分の四歳下の総長H氏や、S氏、自分の六歳下のあだ名:チマ氏などとも自分は仲良しだった。
因みに、保土ヶ谷蛍死蝶のS51の総長は山根会で横浜成人愚連隊行動隊副隊長であったY氏である。
自分の五歳下の元、保土ヶ谷蛍死蝶のH氏は、元、保土ヶ谷蛍死蝶の自分の七歳下のS51の総長の山根会で
横浜成人愚連隊行動隊副隊長Y氏と先輩後輩であったが、
このH氏が、ある事件の懲役から帰って来て、このY氏にチクられたチクられないで揉めたが、
結局、H氏が自分と元々知り合いだった事と、Y氏が山根会だった事から、H氏が、Y氏を許してくれた。
ここの自分の二歳下の後輩の、西横一家極道のA氏が、暴走族抗争事件の冤罪に
巻き込まれ、10年以上身柄を拘束された、彼の後援会が発足されていたが、その東京での講演会に出席した帰り、
自分の年下の元、保土ヶ谷蛍死蝶のU氏や、M氏が東京から車で送ってくれた。
後は保土ヶ谷蛍死蝶は、自分の同じ年のS氏や、S47総長I氏なども、仲良しで
S47保土ヶ谷蛍死蝶の故・A氏は、自分の弟分だったが、不慮の事故で亡くなってしまい、心からご冥福を祈る。
後、保土ヶ谷蛍死蝶は自分の六歳下の、男前でリーダー格の、下の名前がT氏とも、自分は仲良しである。
◎自分の六歳下の元、保土ヶ谷蛍死蝶で、現在日本最大最強任侠組織系組最高幹部のW氏とは、
自分が30歳位の時、揉め事がキッカケで仲良くなった。彼は20代前半で、そこの組の若頭をやっており、以前自分と、あるトラブルで揉めたが、
その後は和解し、チョコチョコ連絡を取る仲で、ある日彼から連絡があり、永田で不良と喧嘩になり、
金属バットを持った数人の連中に襲われたが、「お前ら山根君の後輩か!?」と名前を出したら、相手が引いたので、
「その後は自分も何もやりませんでした」と言ってくれて、男気のある極道であった。体も大柄で貫禄もある。彼は現在も任侠道を、
まい進している。日本最大最強任侠組織と言えば、自分の、大和市の後輩のケツ持ちとして、自分の六歳下の地元が神奈川綾瀬のI氏と
揉めた事があり、その後は、仲良くなったが、ここの組は、元々本部長をやっていた、地元が泉区の、自分の一歳上のS氏と、
組長の実子とも仲良しであったが、ここの事務所が当時泉区だった組長F氏が、自分の噂をアチコチで聞いたらしく、
組長と自分の共通人物数人に、自分と会いたがっている事を聞いて、嬉しかった。
◎自分が21歳での堅気の時に、自分の二歳下の、地元が弘明寺で、正式に暴走族はやっていなかったが、若い内から極道になり、
現在は極道のI氏であるが、自分は21歳位の時、暴走族の集会で、戸塚サンテラスに集合してる時に
初めてI氏を見掛けたことがあるのだが、その時に、彼は他の地元の先輩からボコボコにヤキを食らっていたのだが、
先輩の方も、自分の一歳上の自分が好きな先輩で、自分も仲良しだった、イケイケな喧嘩好きの先輩で
ボコボコには殴っていたのだが、I氏はヤキを食らっている最中に、ビクともせず、ケロっとしていて、全く効いていなかったのだ。
しかも、たまに笑みを浮かべていたようにも見えた。自分はこの男に衝撃を受けた。まさに不死身だった。そのすぐ後に、
ある縁でI氏と先輩後輩の関係で仲良しになり、逗子の暴走族が、パー券をバックれたということで、捕まえに行くのを、
もう一人I氏の当時同じ一家の自分と同じ年の組員と一緒に付き合ったり、自分(山根)のファンだと言う女の子を、
当時住んでいた自分の戸部の家に連れてきてくれたり、仲良くして、良く遊んでた、ある日、殺人事件でパクられたのだが、
その組内の人間から聞いた事なのだが、彼は何と、笑いながら出頭して行ったそうだ。I氏は数年前に出所したが、彼は現在、
日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組最高幹部となり、自分の後輩で気合いや根性が入っている中でもトップクラスの後輩である。
他にも、淋姦強姦弘明寺や、永田、六ッ川、野庭支部の先輩や、同期や、後輩達もみんな良い奴等だった。弘明寺の自分の一歳上の、
南中学の番長だったH氏や、同じく南中の自分より年上の、I氏などとも、仲良しでI氏(あだ名:カックン)はバリバリの不良だったが、
大変腰が低い人で、自分には敬語で会話してくれていた。
因みに、自分が暴走族現役の10代の頃、永田の自分の二歳下の、女ヤンキーY氏、H氏、N氏と、野庭の女ヤンキーN氏の、
全員顔や性格が可愛い四人組で、いつも会う度に「山根さんのファンです」と、キャーキャー騒いでくれて有難う。
◎21、2歳位の時に、隣町の六ツ川に自分の一歳上の自分の好きな先輩の元、浜連浮浪総長のT氏が住んでいて、
そこには、当時浜連OBの溜り場になってて、自分も良く遊びに行ってたが、帰りには、自分の一歳上の自分の好きな先輩で、
元、浜連上大岡グループ総長兼浜連総長だったH氏が、わざわざ車で送ってくれたりしていた。ある時に、自分が帰ろうとしたら、
自分の家までは、そんなに遠くないので、歩いて帰れる距離なのだが、そこの家主のT氏と自分の一歳上の好きな先輩の
淋姦弘明寺のN氏が二人で、そこにいた、自分の同じ年の笹下覇王のO氏に「山根君を送ってあげてよ」と言ったので、
自分は「いえいえ、近いからいいですよ、大丈夫です。ありがとうございます」と言うとN氏も「送ってあげればいいじゃん」と言うと
O氏は「嫌ですよ。勘弁して下さいよ」と断わった。自分は、心の中では『少し感じ悪い奴だな』と歩いて帰って行ったが、
しばらく歩いていると、後ろから、プップとクラクションが鳴り、振り向くと、そこにはO氏が車でわざわざ来ていて、自分が「どーしたの?」と
聞くと「送るよ」と、気を使ってくれたので、自分は「ありがとうね!でもいいよ、大丈夫だから!」と言うと「山根君の家のアルバム見たいな〜」と、 自分の事を、どんな手段を使っても車で送ってくれようとしてくれていた。結局自分は、最後まで遠慮して断わったが、
自分は、さっきの先輩二人のT氏やN氏、そしてこのO氏の優しさに心を打たれジーンと来て感動した。
因みに、彼の実家は、松任谷由実の曲で♪山手のドルフィンが♪の歌詞のモデルになっている、山手のレストランドルフィンの息子である。
覇王と言えば、S50年代港南支部総長のO氏や、その同じ年の丸山台支部のB氏とも、自分は仲良しだった。
◎22歳の堅気の時、港定時や暴走族の後輩計三人と自分の四人で、
某中華料理店で、食事をしていたら、自分の二歳下の元、浜連本牧党総長I氏、
自分の四歳下の元、浜連黄金族総長で、後に日本トップクラス任侠組織系幹部となるS氏、
自分の三歳下の元、浜連伊勢佐木町ロードランナー総長兼日本トップクラス任侠組織某一家総長実子I氏、
自分の三歳下の元、浜連戸部蘭で、当時日本トップクラス任侠組織系組員A氏、
自分の五歳下の自分を師匠と呼んでいた、自分の弟分だった元、浜連黄金族総長の故・M氏と、
港定時からの自分の三歳下の後輩で、後に好健会事務局長Y氏の、
計6人が後から店に来ると、電話で連絡を取った。自分は当時クレジットカードを
持っていたので、全員に食事をおごるつもりで、「俺が出すから、みんな遠慮しないで
好きな物頼んでいいよ」と言って、食事が終わり、料金の精算の時、自分のカードは、
どの店でもほとんど使えるのに、たまたまその店では使えなかった。しかもその日は、
たまたま現金の持ち合わせが無く、困っていたら、本牧党総長I氏が、
「自分が払いますよ」と気持ち良く全員の計10人分を払ってくれたのだ。自分がお礼を言い、数年後
その事が気になっていたので、彼にお礼がしたかったので電話をしたら、
彼は「そんな事ありましたっけ?」とわざと、とぼけてくれて、忘れたフリを
してくれたのだ。そして自分に「忘れて下さい」と言っていた。さすが浜連トップクラス暴走族本牧党のリーダーの器量だと感銘を受けた。
後はこのホームページの写真にも出ている、本牧党の、自分の二歳上のリーダー格で、横浜任侠組織系幹部のH氏や、
自分の一歳上の、好きな先輩の元、本牧党で、元、日本トップクラス任侠組織系組員だったS氏とも自分は仲が良かった。
S43年代本牧党総長で、日本トップクラス任侠組織系組長で、横浜S43年代トップクラスアウトローのF氏は、
自分が18歳の族現役の頃、朝比奈の浜連の幹部会で、話をした事がある。
S44年代本牧党総長の、殺人前科のあるY氏は、自分が18歳の族現役の頃、山下公園の幹部会で、話をした事がある。
そして、S43年代本牧党特攻隊長のK氏は、この文章の自分が31歳の時の、横浜西口ステッカー事件の話の相手である。
後は、自分と隼人高校時代からの同じ年の友人T氏が、本牧党で、殺人前科がある。
後は、自分の一歳下の、元、本牧党総長で元、日本最大最強任侠組織系組員のY氏は、
自分が横浜拘置所に入っている時に、手紙を送ってくれたりもした。
自分の一歳下の元、本牧党で元、東京任侠組織系横浜の組員だったT氏とも自分は仲良しだった。
後は、このホームページに写真が出ている、自分の一歳下の、リーダー格のS氏と、同じく一歳下の、
港定時の後輩だった元、本牧党のI氏と、同じく港定時の後輩だった、自分の三歳下の本牧党だったO氏とも、仲良しだった。
後は、自分の一歳下の、横須賀から引っ越して来た元、本牧党で、殺人共同共謀正犯の前科があるN氏も、知り合いである。
後は本牧党は、自分の一歳下と二歳下のH兄弟の、兄弟とも自分は仲良しで、弟の方は港定時の後輩だった。
そして、このホームページの雑誌の切り抜きで、浜連六人組で出ている、本牧党S47年代総長N氏も、仲良しだった。
後は、S46年代大鳥中学喧嘩屋五人衆のA氏も、自分は知り合いだった。そして、現在自分の所有している、永田の団地の同じ棟には、
自分より五、六歳上の元、本牧党のN氏が住んでいて、自分も仲良しである。地元が平楽では、このホームページに写真が出ている、
自分の一歳上の元、浜連平楽虫昆創立者で、日本トップクラス任侠組織系組長で、横浜S43年代トップクラスアウトローのM氏や、
自分と同じ年の元、横浜任侠組織系組員だったH氏とは、自分達が中学一年の時、少林寺拳法の合宿で一緒だった。
後は、自分の一歳下の地元が平楽の、港定時の後輩T氏が、現在も横浜任侠組織系組員で、
同じく、平楽の自分の三歳下の元、日本トップクラス任侠組織系組員だったK氏は、よく連絡をくれていた。
自分の四歳下の、元、浜連平楽虫昆で、元、横浜任侠組織系組員で、殺人共同共謀正犯の前科のあるI氏は、
自分の家に年賀状を送ってくれる仲である。彼と同じ年で、元、平楽虫昆の総長だったH氏は、
自分が、ある暴走族カレンダーの撮影会の時に、訳あって警察と揉めて、
パクられそうになっていた所、このH氏が自分(山根)の身柄を移動して、警察から逃がしてくれた。
あの時の事は、非常に感謝している。彼は後年日本トップクラス任侠組織系右翼団体S会会長となるが、
下の複数の人間に対する、制裁などによる恨みから、組織内の内紛により殺害されてしまった。心よりご冥福をお祈り致します。
◎自分が、今まで目の前で見て来た喧嘩で、スカっとして、気持ちが良かった喧嘩を紹介する。
18歳の暴走族現役の時に、港定時の一歳下の仲良しの後輩の、浜連横浜西口剣のN氏 (後に横浜任侠組織系組員となる)の紹介で、私の一歳上の先輩で西口剣のリーダー格で、 後に日本トップクラス任侠組織系組員となる現在堅気の、自分が仲良しだった、
横浜S43年代トップクラスアウトローのT氏が、警察から逃げていると言うことで、
N氏の紹介で、当時自分の家で、T氏とその当時の彼女を匿った事があるのだが、自分が後年23歳のホスト社長の時、
戸部に住んでおり、その近所で一台の車の中で、男女の不良のカップルが揉めており、 助手席に居た女が、発狂した男にボコボコにぶっチメられていた。
しばらくすると、アパートの二階からT氏が出てきて、降りてきて「うるせーんだよ!」と、いきなりその男をぶっ飛ばし、 またアパートに戻っていくと、その男がジュースのビンを割って凶器代わりにし、T氏を追いかけて行ったが、 T氏は全く怯まず、またその男が、返り討ちにされていた。
現在、T氏の奥様は、自分がディスコの店員時代の、お店の、お客様で、自分の、一歳下の、
地元が横浜西口の、長身美人で、自分が当時、戸部に、住んでいた時に、この彼女が、T氏と付き合う前に
、遊びに来たこともあり、自分は仲良しだった。
このご夫婦とは、自分が30歳の頃にも、偶然横浜西口で再会して、二人共元気そうで安心した。現在、このご夫婦の、
娘さんが、何と!有名芸能プロダクション○○○ダストの、人気アイドルグループ「ももいろクローバー」の美人 アイドル高城れに氏である。
因みに、西口剣は自分の一歳下の連中の、日本トップクラス任侠組織系組員のK氏やI氏は、自分の事を「兄貴」や
「師匠」と呼び、慕ってくれていた。他にもその代のU氏と同じくU氏や、M氏や、元、日本トップクラス東京任侠組織系組員のH氏や、
M三兄弟の全員が、剣で、長男のN・M氏が、自分の弟分であり、次男が元、横浜任侠組織で、
元、西口剣総長で元、日本最大最強任侠組織系組員で、元ホストで、元、スノーボードのインストラクターのK・M氏は、
横浜S47年代トップクラスアウトローだった、M三兄弟とも自分は仲良しだった。
そして、このホームページの港定時の集合写真で、自分が左に座っている写真の、一番右に茶色のセーターで写っている、
港定時の自分の一歳下の、西口剣の後輩で元、右翼D団の長身で男前で喧嘩も強いT氏も、自分は仲良しだった。
他にも西口剣は、S49年代総長で、現在日本トップクラス任侠組織系組長クラスで、殺人共同共謀正犯の前科があるY氏も、自分は仲良しだった。
後は西口剣は、S42とS45のK兄弟と、自分は仲良しで、S43年代総長で、右翼D団の会長K氏も、自分は知り合いである。
◎23歳のホスト社長の時、自分の三歳下の、浜連戸部蘭の後輩で、当時日本トップクラス横浜任侠組織系組員のA氏が、
自分の店に数人で飲みに来た付けの金を払う予定が、A氏と連絡が中々取れないことがあり、自分がA氏の携帯に再度電話をした時に、
A氏の兄貴分N氏が電話に出て、自分が名前を言い、どちらかを訪ねると「自分○○○と言います」と
腰が引く、キチンと敬語で対応してくれて、自分が「ああそうですか。申し訳ありませんがA君に、自分へ連絡をするように、お伝えして頂けますか?」と お願いしたら、それまで連絡が中々取れなかった、A氏から、すぐに連絡が入り、飲み代も払ってもらい、これは彼の兄貴分のN氏のお陰であり、
大変感謝しており、N氏は自分より七、八歳位上だが、南が丘中学出身で、同じ南区出身の、
元浜連上大岡グループの、現在、日本トップクラス任侠組織系横浜大物親分になっている有名人である。
A氏も現在はそこのお偉いさんになっていてA氏は元々明るい気さくな極道である。
◎同じく23歳のホスト社長の時、自分の三歳下の元、上大岡グループ総長で当時、
日本トップクラス任侠組織系組員だった横浜S47年代トップクラスアウトローのS氏
(因みに、実弟はS51年代浜連総長)は自分の店にしょっちゅう飲みに来てくれていて、
開店早々来てくれた日には、店の準備を自分から率先して、手伝ってくれていた。彼には非常に感謝している。
しかし彼は、後年ある事件で、懲役10年以上打たれ服役し、現在は出所している。
上グルといえば、このホームページの、雑誌の切り抜きで、港定時特集で、白いパーカーで、下はGパン姿で
パンチパーマで写っている、S47年代リーダー格だったY氏とも、自分は仲良しだった。
他にも上大岡は、自分と同じ年の元、女ヤンキーコンビI氏とS氏や、他の女の子なども、自分の当時住んでいた、
戸部の自宅に、遊びに来ていた。
因みに、ここの店を開店した時に、自分の六歳下の港定時の後輩で元、浜連淋姦強姦野庭支部総長のS氏が、
真っ先に開店祝い金を持って飲みに来てくれて、感謝している。
そして自分の六歳下の、地元が永田の、女ヤンキーの下の名前がS氏も、当時関内の
パブスナックで働いていて、開店祝いを持って、数人で飲みに来てくれて、非常に感謝している。
淋姦強姦野庭支部といえば、自分と同じ年のM氏は、運転代行のお客様で、
BMWを乗っていて外見は背が高く、イカツイが、とても性格が良い、常連のお客様である。
◎同じく23歳のホスト社長の時に10代から仲良しだった、自分と同じ年の、地元は共進で、当時から横浜任侠組織の幹部A氏で、
彼の彼女を連れて、よく店に飲みに来てくれていたが、彼は、よく自分のことを色々と、ほめたり、立てたり、してくれていた。
現在は、出世して、そこの横浜任侠組織系最高幹部であり、以前に任侠雑誌で、そこの組織が特集で、そこの組織の会長の横に一緒に写っていた。
◎自分が23歳の堅気の時に、鶴見の先輩の紹介で、自分の三歳上の元、浜連鶴見死天王総長S氏を自分の家に
遊びに連れて来たんだが、この人は自分も以前から存在を知ってたんだけど、族現役当時は、バリバリの暴走族で、
パンチパーマでサングラスで上半身裸で刺青出して、単車のケツに乗ってた人で、喧嘩も強く、浜連歴代トップクラスの人だが、
自分の家に来た時は、髪型もお洒落にして、お洒落な柄シャツ着て、背が高く、男前だった。自分のアルバムのアフロ見て、
「おー!デカイデカイ!」と感銘を受けてくれてたが、穏やかで威張らないし、人からも人気がある不良で、人間総合力を兼ね備えている人だった。
その後は、彼がパクられて横浜拘置所に入ってる時に、面会に行ったり、仲良しだった。後に日本トップクラス任侠組織系組の最高幹部になった。
後は死天王は、このホームページの写真にも出ている、自分の二歳上の総長で元、日本トップクラス任侠組織系組員のA氏や、
自分の一歳下のO氏とも、自分は仲良しだった。
同じく鶴見の、自分の三歳上には、自分の好きな喧嘩の強い、元浜連、末吉拳総長Y氏や、
このホームページの写真に出ている、拳のS42年代総長のT氏とも自分は仲良しだった。
拳は、自分の好きなニ歳上のK氏とも、仲良しだった。
後、拳の地元の末吉には、自分と同じ年の不良で、読売ジャイアンツ私設応援団会長の、
現在大きな親の工業会社を継いだ、二代目社長であるN氏とも、自分は仲良しだった。
鶴見死天王と言えば、S43の全日本麗心愚連盟総長の暴走族有名人I氏が居て、この彼とは初めての出会いは
自分の面倒を見ているヤンキーの女が、このI氏の彼女のレディース達からリンチを食らった
事から、その件で自分がI氏にケツを持っていったが、彼は年下の自分にキチンと敬語で話をし、
「そっちの顔も立てますんで」と自分の要求も飲んでくれて、その後は良い付き合いで、
自分が浜連の相談役になる時も、彼が協力してくれたり、自分がI氏に某雑誌出演を
依頼したりなど、仲良しだった。後はトラブルから仲良しになったと言えば、
自分の一歳上の元、浜連六角橋総長で日本トップクラス任侠組織系組員K氏と10代の暴走族の時に、自分の単車がらみで、
トラブルになったが、後年解決し、その後は仲良しだった。自分の尊敬している先輩の一人である。
◎23歳の時に、当時、伝説人気ヤンキーレディース雑誌『ティーンズロード』に出演回数トップクラスの 常連出演してた頃に、お世話になってた、同じ年のティーンズロード人気編集部員であり友人だったI氏から、 23歳の時、いいとも出演依頼を受け、いいともディレクターを紹介してもらい、 いいとものコンテストは通常新宿アルタ前に、 朝からわざわざ並ばなくてはならないのであるが、自分は最初から特別待遇で、楽屋を用意されてて、 一応一般応募者と一緒にオーディションは行ったが、ここだけの話、←世界発信ブログ公開しちゃってんだから、 ここだけの話になってねーだろ(爆笑)最初からデキレースの合格してて、コンテストの結果も、最初からデキレース優勝の様なもんだったが、 私に感銘を受け、優勝に導いてくれて盛り上げて下さった、今や芸能界のドンのタモリ氏や、例の俳優の堀部圭亮氏や、 今や日本トップクラスバラエティータレント勝俣氏や、お笑いタレント島田珠代氏や、今や日本トップクラスタレント篠原涼子氏や、I氏やディレクターには、感謝感激雨アラレである! 自分が笑っていいともに2回も出演した時、自分が「以前、タモリクラブで後輩がお世話になりました。」とお礼を言うと、 タモリ氏が「後輩怖かったよ、こんな優しい声の人居なかったよ」と、番組を盛り上げる為だったかもしれないが、
怖がっていたが、実は彼は高校時代に武道の柳生新陰流居合二段を取得しているツワモノであった。
流石は、今や、芸能界トップお昼のドン、日本最長連続人気番組司会者を続けている、
芸能界一大物大御所大物タレントの器量人だと思った。
いいともでのタモリ氏の出演料は、一回で何と!400万とも500万とも言われている。
◎同じく笑っていいともに出演した時、自分が昔ヤンキーに見えないコンテストで会場から絶叫され、
優勝したが、その時の司会のK2の地元が東京の自分の四歳上の堀部圭亮氏も、ついでに中学生時代の写真がパネルで出されたが、
何とも悪そうなパンチパーマに、ニュートラファッションに身を包み、咥え煙草の写真でビックリした。
しかも、堀部氏の写真が出た時「俺のはいいから」と、照れ臭そうにして一切自慢もしていなく、
「普通の中学生ですよ」と言ったのだ。堀部氏は、自分(山根)の写真に対して、勝俣氏と盛り上げてくれていた。
堀部氏は間違い無く芸能人の中で、中学時代一番の悪であろう。
自分のトロフィー授与シーンは、瞬間最高視聴率30%以上の記録も出した!
◎24歳の堅気の時、レディース暴走族のビデオ撮影を、スタッフとして手伝っていた事があったが、
その時、鶴見の埠頭での撮影会の時に、出演者の全日本麗心愚連盟相州連合の
レディース美輝姦リーダー格の、その彼氏で、自分の五歳下の相州連合リーダー格二宮黒薔薇会総長H氏が来ていて、
スタッフ全員分の飲み物を持って来てくれた器量のある暴走族だった。
S49年代相州連合と言えば、相模原の某氏主人公の漫画にも、取り立たされている
しょっちゅう壮絶な抗争を繰り広げて来た連中である。その後も、自分がスタッフで参加した
男版暴走族ビデオに、彼が出演し、顔も男前で、その後も自分は仲良しだった。
因みに、相州連合は、H氏の年代も仕切っていて、やはり壮絶な抗争を繰り広げていた。
相州連合秦野渋沢愚連隊総長のK氏のそのビデオにも出演していて、彼とは全日本集会でも会った事が有り、知り合いだった。
自分は元々、横浜歴代トップクラスレディース瀬谷地獄族レディースアマゾネスや、神奈川区妖鬼妃や、
綾瀬夜翔麗女や、本牧レディースや、剣レディース、港南台ギャルズなど、仲良しだったが、
後は自分の、永田の自宅に2、3日泊まりに遊びに来たことがある、東京足立のレディース紫天王の四人組も仲良しだった。
このビデオ撮影では、様々なレディース達と知り合いとなり、自分と同じ年の横須賀美襲麗嬢総長夫婦の2人が、自分の事を知っていて、
自分も元々、全日本麗心愚連盟横須賀連合三崎崇族S50年代総長で元、日本トップクラス任侠組織横須賀直参総長の親戚のK氏などと仲良しだったので、
2人とは仲良くなり、自分の家にも遊びに来たりもした。後は、二俣川のレディース闇光姫のメンバー達も仲良しになった。
昔、24歳の頃に、レデイースのビデオの裏方取材班手伝いしてたことあって、
その時にも、名古屋に行った事あるが、名古屋狂美連合歴代一番のカリスマリーダーで、 そこの、極道の組長の娘さんでもあった名古屋有名姉妹の姉の彼女どうしてるかな? 私のファンだったらしく、自分達が名古屋行く前に、自分が来るのを楽しみにしててくれてたらしいけど、 取材撮影中は、黒のサングラスかけて、後輩に喝を入れて、迫力満点だったけど(ビデオレディース暴走紅烈伝に出てる) 取材撮影後に、みんなで飲んだけど、私に対してのプライベートでは甘えた声出して、そのギャップが可愛くて性格も素晴らしかった! 席が離れてて、あまり喋れなかった事に後悔している。今も元気ならいいけど・・・・・ 後は、この撮影では、他にも自分の事を知ってくれていた男女の族が、たくさんいて嬉しかった。
因みに、レディースの有名人だった、自分より年上の愛知県の、全国トップクラスレディースと呼び声高い、遠州三河女番連合の、伝説の初代創立者総長の、下の名前がN氏は、
自分の四歳上の、自分の好きな先輩の元、鶴見暴走族のW氏と以前に付き合っていて、N氏が横浜のW氏の所に、自分が24歳の堅気の時に遊びに来た時に、
W氏とN氏から電話があり、初対面だった、N氏が、自分の存在を知っていてくれて、当時の自分が住んでいた、西区の家に遊びに来たい、と言っていて、
自分は嬉しかったのだが、その時に、どうしても急用があり、仕方なく、断わったのだか、N氏は、自分に熱烈に会いたがっていて「一目でいいから、お願い!」と
会いたがっていてくれた。しかし、自分はその時は、どうしても遅れる事も出来ない、外せない用事があったので、
事情を説明して「また機会があったら、次の機会によろしくお願いします」
と残念だったが、お開きになったが、N氏はレディース統率力も抜群な女性で、とても、気さくな人だった。
◎24歳の堅気の時、自分の四歳下の後輩で、全日本麗心愚連盟港鶴連合青ひげのS氏と当時付き合っていた
女が、S氏と別れた後に、自分と色々あり、自分に下手を打ったので、自分が追い込みを
掛けていたら、S氏がその女と復活して、S氏が出て来て、女と自分と3人でファミレスで話し合いとなり、
自分が「お前が出て来るなら、女の代わりにお前をこの場で、とことんぶっ飛ばすぞ!」と、
脅かすと、S氏は、浮かない顔をしながらちょっとだけ間が空き、「良いですよ」と言ってきたので、
もう一度自分が「ぶっ飛ばすなんて、生易しいモンじゃねんだよ!」と言うと、
「分かりました」と言ったのだ。自分がS氏を〆る事になり、まず3人で車に乗り、
自分が「まず女を送れ」と女を先に送り返す最中、女が「Sを勘弁してやって下さいよ」と言って来たので、
自分が「だったらお前が女のケジメつけるのか?」と言うと、女が「いいですよ」と開き直って来たので、
S氏が「お前は黙ってろ!」と言い、女を送り、帰りに自分とS氏の2人で車に乗っている時、
「俺の家の近くでお前をやるから、俺の家のほうに行け」と言い、自分の家の前に到着すると、
自分が「Sちゃん、彼女をよく守ったね。根性入ってるよ。あれで良かったんだよ。二人の愛を見せつけられちゃったじゃんよ(笑)」と
言い残し、自分はS氏が体を張り女を守った、その根性と男気に心を打たれ、女とS氏に対するケジメは取らず、
車から降りて「もういいから」と帰って行った。自分が帰っている背中越しで、S氏は「本当にすいませんでした!」と土下座をしていた。
◎25歳の時、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった頃、
ここの組に入った時、偶然、隣町の蒔田の自分の一歳上の組員S氏が居て、彼は非常に腰が低く、
言葉遣いや喋り方も丁寧で、話す内容も謙虚で、優しかったが、彼は「俺なんか地元じゃ
全然だよ。家が溜まり場だったけど、苛められてたよ」などと、謙遜していたのだが、ある日自分がそこの
地元の同じ年の権力者にS氏の事を聞くと、「その代の蒔田の番長で、よく苛められた」と
言っていた。しかも蒔田と言う地元は悪が多くて有名な地元でもある。やはり実力者は
謙虚で自分を飾ったり、大きく見せない。さすがだと感銘を受けた。
◎同じく、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった頃、
訳があって、電話で自分がS兄貴に怒鳴られた時、兄貴に組を辞退したい事を言った時があった。
その時、S兄貴の兄貴分に当たるI叔父貴が、兄貴と一緒に居て、叔父貴が電話に代わり、
「ヤクザは上に怒られて当り前だよ。俺もそうだしみんなそうだよ」と、励ましてくれた
言葉が印象的で、叔父貴に感銘を受けた。彼は、切れるとイケイケだったが、自分に対して、嫌な言動や態度を一度も、
とったことないし、頭も良く、気さくで、大好きだった。
◎同じく、日本最大最強任侠組織巨大ブランド当時No.1二次団体一門系統現役組員だった25歳の頃、
ある下手を自分の兄弟分と一緒に打ってしまい、後年、27歳の終わりの頃、関西の事務所に、二人で腹を括って、やられる覚悟で
S兄貴(後に大物親分となる)やI組長(大物親分)の居る事務所に出向いて、二人で正座をして謝った。
しかし、I組長からは説教はされたが他の組員達からも、何にも暴力制裁やケジメなど取られなかった。
S兄貴やI組長や組員達もイケイケで有名だが、組長達や兄貴とも厳しさの中の優しさがあり、性格が良く、
心が広い寛大な人だった。組長や兄貴の事は、やはり上に立つ人間はどこか違うと思った。
I組長との思い出は、関西のI組のI組長の若い衆と、I組長と自分とI叔父貴と、関西の事務所近くの銭湯に行った時に、
I叔父貴がI組長に「山根はホストだったんですよ」と言うと、I組長の若い衆も、偶然元ホストだったので、
I組長がその若い衆に「おい、お前横浜のホストに負けてるぞ」と冗談を言ったり、気さくな人だった。
後は、好健会兼I組の人間数名に「山根は、人を集める器量がある」と、ほめていてくれた。
自分は、I組長の堅気の実弟とはプライベートの付き合いで仲良しだった。何度か、わざわざ横浜まで自分に会いに遊びに来てくれていた。
しかもS兄貴は、男前で元ボクサーで喧嘩も強く、自分の四歳上の地元が大口で横浜S40年代でのNo.1トップアウトローである。
S兄貴は、とても若い衆思いの兄貴で、自分もトラブルで力になってもらった事もある。自分の犯罪歴の事を「山根のやっている事は、ヤクザより悪いよ」
と言われた時があり、大物アウトローのS兄貴から「ヤクザより悪い」と認めてもらい、嬉しかった。
同じく、山根会の一人づつの顔写真では、無い方の自分と同じ年の、地元が磯子杉田の元、
日本最大最強任侠組織系組員で好健会会長代行からは、よく「君は悪過ぎる」と言われていた(笑)
今現在は、I組長もS兄貴も堅気である。I叔父貴とS兄貴の姐さん達も、それぞれとても人柄の良い人だった。
S兄貴の家で、よく姐さんから手料理をご馳走になったり、自分がパクられている時、わざわざ東京拘置所に面会に来てくれたりもした。
後は、自分の八歳上の地元が大口の、横浜S36年代トップクラスアウトローのI叔父貴の舎弟達も、みんな良い人達で、
地元が子安の有名人の自分の六歳位年上のK氏や、同じく自分より年上の地元が埼玉のM氏や、
もう本人は、堅気になって真面目にやっているから書くが、地元が大口の自分より年上の
I氏の実妹は、親子で有名芸能人一家の長男の嫁である。
自分の年下の永田の暴走族ではないちょっとしたヤンキーの後輩達が、女絡みで上大岡の浜連港南魁の連中にさらわれて、〆られてしまった件で、
自分がケツを取るつもりで、相手全員を呼び出し、話し合いに行ったところ、永田の後輩と別の地元の計三人が被害者だったが、
その内の一人も、ケツ持ちを呼んでいて、偶然にもI叔父貴の舎弟の自分より年上の地元が大口の、三歳位上のY氏だった。
組には自分より後に入った人だが、Y氏も良い人だった。そしてこの件は、Y氏が相手達から金を取り、解決した。
そして自分は、相手のリーダー格の自分の十歳位上の、男前のO氏とはその後は仲良くなり、現在は、
日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組幹部で男を磨いて頑張っている。そして、S兄貴の舎弟達もみんな良い人で、
自分の一歳上の、組には自分より後に入ったが、大口の元、浜連総長のY氏や、同じくY氏の舎弟の、自分の同じ年の地元が川崎のI氏。
特に自分の三歳上の、地元が大口のT氏やS兄貴の企業舎弟の自分の一歳上の、
地元が上永谷の15歳から日本トップクラス任侠組織系組員だったF氏などは、特に仲良しだった。
港南魁と言えば、自分が以前彼女と車で集会に行った時、日野のローソンで集団を待機していた時、自分の仲良しだった六歳下の
リーダー格S氏と会い、S氏がそのローソンで、自ら自分達の飲み物を買ってきてくれた。
◎自分が25歳の時に横浜地検で一緒になったダンディーで渋く気さくな極道と仲良くなり、
そのN氏が、当時横浜西口に事務所があった、五代目山口組英組S組のbQの若頭N氏だった。彼は僕を気に入ってくれて、 猛烈なオファーをしてくれて「何があっても俺が守ってやる」「俺はもう年だから、そろそろ死ぬから、後を若い山根に託したい」とそこまで言ってくれた、 性格も最高の漢だった!しかし自分は、当時山口組の中でも別の派閥の関係者だったので、 N氏に考えるように言われながらも、ご期待には添えれなかった切ない思い出がある英組なのである。 ◎27歳の好健会の時、下にある山根一族の写真で、あの中に日本で言う、
総理大臣級の、自分の父方の親戚の、ペルー大使青木大使が写っている。 1996年にペルー大使館が、外人ゲリラ達に乗っ取られて、人質を取られ数ヶ月に 渡り、テレビ放映して、最後は特殊部隊達が、人質に気付かれない様に 数ヶ月穴を掘って突入して 、犯人全員射殺で解決となった大事件で、まさに映画「ダイ・ハード」の世界である。 その時の青木大使の名言が、ゲリラ達に「俺だけ人質になるから、人質は全員 解放してくれ」と名言を残した英雄である。自分の親戚として、鼻が高く自慢の親戚である。 詳しくはペルー青木大使で検索すればわかります。 【1996年に極左テロリストグループのMRTAによって行なわれたペルー日本大使公邸占拠事件に遭遇し、 ペルー政府要人や日本企業の駐在員らとともに127日間の人質生活を体験する。当初は、自分のみが人質になる代わりに他の全ての人質を解放するように
犯行グループは全員射殺された。この際、特殊部隊の2名と、人質であったペルー最高裁判事が死亡した。青木は胸や足に軽傷を負ったものの、
人質の大使館員やペルー政府要人、日本企業の駐在員らと共に救出された。】(Wikipedia、青木盛久から抜粋)
◎自分は、過去に逮捕され留置所、拘置所、刑務所、地検同行室や、プライベートなどで
過去に様々な組織のお偉いさんなどと出会い、知り合ったが、それぞれが、皆自分にとって
良い人間だったし、様々な思い出もあるが、特に印象深かった一部を、この欄で幾つか獄中エピソードを紹介する。
自分が20歳の任侠組織の時、事務所の壁の役職名札表に、組長代行のH氏と言う人物だけは、
長期懲役の為赤札になっていて、結局自分がそこの組に、入ってから辞めるまでの間は、
顔を合わせる事が無かった。その後自分が27歳の好健会の時、ある件でパクられた時、某留置所で
自分より年上の極道H氏が居て、性格はとても気さくで、自分に対してとても優しく、色々と面倒を見てくれて良くしてくれて
いた人が居たのだ。昼間自分が寝ていて、同房や、隣の房の人間がうるさくしていると、H氏が遠くの房から、
「おーい!山根君が寝てるんじゃねーのか!」など、気を使ってくれたりしていた。
最初の内は自分は組織名は聞いていなかったが、ある時、何かのキッカケで、所属組織の話になり、
何と偶然にも、自分が以前在籍していた某組の、地元が泉区の例の赤札の組長代行だった。縁と言うのは不思議だ。
◎27歳の好健会の時にある事件でパクられてた最中、警察署の留置所で一緒で、自分の方からご挨拶して、お見知りおきとなり、
当時は一家の総長代行兼H組長だったが全く偉ぶらず、腰が低く、とても気さくな方であった。 ある日風呂で、H親分と二人きりで一緒になり、自分の刺青を見て、親分が「刺青うまいなー綺麗だなー」とホメて頂き、 関心して下さり、自分の彫師の名前の札を見ると「あ!何だ!彫よしだ!うまい訳だ!」と言って下さり、 改めて三代目彫よし先生の実力と知名度も実感したし、親分にも感謝感激であった。 そして自分は、更にこの親分の器量を感銘を受け感服脱帽したのであった と言うのは、私の刺青をホメテ頂いたのは、嬉しかったのだが、何と!この親分は、自分の刺青の量を上回る、 手首から足首まで総身彫り、いわゆるドンブリっていう、見事な刺青だったのであった! 【自分の実力を棚に上げて人をホメる】これは、この親分に学んだ事だった。 そして、親分は、当時舎弟と一緒に、ある事件を起こして収監されたが、 私がたまたま、検事調べの、地検同行室で、お見知りおきになった方が、何かの縁だったのか、 そのH親分の舎弟の方でした。キチンと敬語で会話して、腰が低い、良い方であった。 そして、その舎弟氏から、H親分へと、二人が逮捕された事件容疑の、 ある鳩飛ばし(伝言)を頼まれて、私が、留置所に戻り、親分に伝言すると、親分は、後日釈放となった! その舎弟氏が、親分への忠誠心から、自分が全て罪を被り、自分を犠牲にしてまでも 親分をかばってたんだと思うが、ここの組織の団結力も絆も強く、勉強にもなったし、益々発展するし、伸びると思った! 案の上、その数年後、この親分は、日本トップクラス任侠組織直参直系埼玉二次総長まで出世し、
このホームページに貼ってある動画でも、錚々たる有名親分衆達のご参列の肩を並べ、輝いている。
◎27歳の好健会の時にある事件でパクられてた時に留置場で自分の六歳下の地元が厚木の
日本最大最強任侠組織当時No.2二次団体系組員の厚木の有名人のA氏と一緒だったが、彼がパクられて来た理由は、
同じ組事務所の組員が、組を吹けたのにも関わらず、今だに組の名を語り、厚木近辺で強盗などをやっていたので、
その人間を事務所にサライ指3本を詰めたというトッポイ男だった。彼とはその後もお互い拘置所に行ってからも手紙のヤリトリもやっていて、
仲良しだった。そしてここの留置場では48時間と20日目の拘留が終わり、結果は処分保留で釈放されたので、ラッキーだと思い、
喜んで荷物をまとめて留置場を出ると担当刑事達もいたので、出迎えてくれたと思い、自分はニコニコしながら「本当にありがとうごさいました!」と
お礼を述べると、担当刑事班長のS氏が「山根ちょっと、またな、他のがあるんだよ」と逮捕状を見せられたので天国から地獄へ一気に落とされたので、
自分は「ふざけんじゃねー!この野郎!だったら最初から一緒にやってくれれば良かっただろーがよ!」と怒鳴るとS氏は「お前が悪いんだろ!」と
怒鳴り返された。確にその通りだった。そこでS氏の部下のA氏が「山根よぅ山根な、俺はね、今回山根の逮捕状を取る時にな、
『また山根かよ!もう嫌だよ』て言ったんだよ!俺達だって山根のばっかり嫌だよ!けど仕事なんだから俺達の立場もわかってくれよ」と
言って慰めてくれた。S氏は「前回俺達が甘かったから、こうなったんだよ。前回俺達がもっと厳しくしてれば、こうはならなかった。」と、
確に前回の事件もこのS氏やA氏が担当だったのだが、その時の罪名を実際の罪名より甘くしてくれた二人だった。
そして今回はその後も再逮捕は続いた。その時の留置場で自分は落ち込み、何もやる気が起きなくなった。その時に、
元々自分の事を知っててくれた、六歳下の元浜連戸部蘭の日本トップクラス任侠組織系組員のN氏 が、部屋が別々だったのだが、
自分の部屋に移りたいと留置場管理係に希望して、こっちへ移って来てくれた。そして仲良くしてたのだが、自分は事件の二回の再逮捕で
相変わらず何もやる気がなくなり、留置場にも数ヶ月の残留となったが、留置場は毎朝の起床が決められていて、
部屋の全員で掃除をしなくてはならないのだが、自分は毎朝起床の時間になっても起きる気力も失い、起きずに寝っぱなしの状態が、
何日も続き、その間同房のN氏が毎朝自分を起こさず自分の分まで掃除をやってくれたN氏には、本当に感謝をしている。
彼とはお互いに出所後も仲良しであり、この年で胸割りでバッチリ刺青を入れていて、現在も任侠道を頑張っている。 戸部蘭と言えば、自分の一歳上の好きな、仲良しだった、港定時で一緒だったI氏もいる。
◎同じく27歳の好健会の時、ある事件を自分達の会の人間三人で、山下公園で起こした件でパクられてた時に、
自分の浜連の後輩で、昔集会中に港南台でバイカー軍団と喧嘩になり、バイカーを川に投げて殺害した二つのグループの、
自分の三歳下の洋光台ロードランナーのS氏と、自分の五歳下の南戸塚ピエロ総長で元、日本トップクラス任侠組織川崎No.1
二次団体系幹部だったK氏と、山下事件当時偶然会い、K氏から「会う度にいつも違う女連れてますね」と言われたが、
この彼達と会った後の時の事が、会の人間三人での強姦事件になってしまったが、その時の事件を有利にする為に 、目撃者証言としてS氏達の事を話を刑事に話をすると、
後日、S氏がわざわざ、そこの警察署に自分の為に 目撃者証言調書を取りに来てくれていた。S氏には、非常に感謝している。
因みに洋光台ロードランナーはS氏と同じ年の横浜任侠組織系幹部のN氏とも、自分は仲良しで、
港定時の後輩だった、自分の三歳下の洋光台のS氏と一緒に、N氏の自宅に遊びに行ったこともあり、
彼も自分が経営していたホストの店に自分の三歳下の元、浜連芹ヶ谷尾伝のY氏達と遊びに来てくれていた。
そして、このホームページの中にある、雑誌の切り抜きで、六人組暴走族で写っている、
S47年代洋光台ロードランナー総長兼浜連総長のS氏も、自分のホスト店に遊びに来てくれていた。
因みに、その雑誌に写っている洋光台の隣の、杉田の磯子音S47年代総長で元、日本トップクラス任侠組織系組員のK氏は、横浜S47年代トップクラスアウトローである。
因みに、芹ヶ谷尾伝と言えば、自分が隼人高校だった時の、同級生O氏も居る。
後、尾伝の自分の三歳下のE氏も、自分は仲良しだった。芹ヶ谷の、自分の三歳下の美人の女ヤンキーの、下の名前がT氏と、
その友達とも仲良しで、T氏の方は自分の家によく遊びに来ていた。芹ヶ谷尾伝と言えば自分の四歳下の
副会長の男前のY氏が横浜S48年代トップクラスアウトローで、山根会の会員だったが、彼との初めての出会いは、自分の仲良しだった自分の一歳下の地元が日限山の
元、上大岡グループのM氏から「山根君のファンがいますよ」とY氏を紹介を受けた。後にY氏は、
自分が入会してモデルをやっていた芸能プロダクションにY氏を紹介してオーディションに受かり入会したが、
ある強盗致傷事件で7年間服役していた。後、芹ヶ谷と言えば、自分の六歳下の、芹ヶ谷中学S50年代番長だった、
T氏とも仲良しで、その代の副番長のA氏とは、自分が30歳位の時、東戸塚で揉めたが、お互いの存在を知っていたため、和解した。
芹ヶ谷尾伝と言えば、自分の五歳上の人間が、自分(山根)の経営の運転代行の
従業員であった。後、このホームページにも写真が出ている、自分の七歳上の元、全日本麗心愚連盟東逗子エルザと全日本麗心愚連盟横須賀連合横須賀ピエロに所属していたN氏は、
山根企画ホテルヘルス愛和の副社長である。後、自分(山根)が経営する運転代行の、従業員の元暴走族は、自分の五歳上の元、浜連東逗子エルザだった
M氏がいる。エルザ中華街支部のS47年代総長で、日本トップクラス任侠組織系組員の下の名前がT氏は、
自分の後輩で仲良しだった。芹が谷の隣の浜連上永谷レッドゾーンでは、自分の三歳下のH氏と、自分の五歳下の総長で、
柔道の達人のS氏とも、仲良しだった。後はレッドゾーンは、自分より五歳以上年下の総長N氏とも、自分は仲良しだった。
磯子音は、このホームページにも写真が出ている、自分と、港定時卒業アルバムに写っている、
自分の一歳下の、中学時代、横浜市全中学一番の悪だった、現在、日本最大最強任侠組織系組幹部のM氏や、
港定時集合写真で、スーツとネクタイ姿で、真ん中で立って写っている、自分の一歳下の
元、日本トップクラス任侠組織系組員だった男前のA氏とも、自分は仲良しだった。
そして磯子音は、自分と同じ年の男前のY氏や、自分の一歳下の元、日本トップクラス任侠組織系組員で、元、ホストの男前の下の名前がJ氏とも、自分は仲良しだった。
後は磯子音は、自分の五歳以上年上の、元、日本トップクラス任侠組織系組員だったS氏は、鎌倉警察署の留置所で一緒だった仲良しだった。
◎このホームページの写真に出ている、自分の地元の一歳上の淋姦強姦永田一家初代総長で、
現在日本トップクラス任侠組織系組幹部で、横浜S43年代トップクラスアウトローの、自分を淋姦永田一家二代目総長に任命してくれた、O氏には、
男というものを色々と教えられ、鍛えられた。暴走族現役時代から暴走族上下関係特有のヤキは入れられたことはなかったが、
自分が29歳位の好健会の時、O氏は17歳から極道を始め、刺青を入れているが、
当時は堅気だったが、自分の家にO氏が来て、玄関を開けると、いきなり、包丁を持ってビンタされて、
自分が正座させられ、包丁を上に振りかざし、刺そうとする、仕草を何度かやられ、「自分何か下手打ちましたか?
下手を打ったなら、メッタ刺しにされても構いませんが、下手を打ってないなら、納得が行きません」と言うと、一度帰って行ったが、
再度電話が来て、「どの道具でお前を刺せば、良いんだよ?」と言って来たので、自分が「もうそんな事言うなら、
自分はOさんの反目に周り喧嘩します。ただし、Oさんは、自分を淋姦の総長にしてくれて、色々世話にもなった。
自分にとって何があっても先輩なんです。だから自分の手を下して、喧嘩は出来ません。自分の若い衆を飛ばします。
それが、自分の世話になった、先輩に対する、喧嘩のやり方です」と言うと、O氏は「今、それ聞いてドキッとしたよ。
お前も腹をくくったんだな。若い衆一人づつ来させろよ」となり、その件は、流れた。そして31歳位の時に、
再度O氏から電話が来て、話があるからと、自分の家に来て「今まで、パクられてて、出てきたんだけどよ、俺も、
右翼結成するから、結成祝いを100万よこしてくれよ。山根は有名だな。俺が、留置所や拘置所や刑務所に行くと、
中に入ってる人間みーんな、お前の事知ってるよ。いやービックリした!!「Oさんだって有名じゃないですか、
永田のOて言ったらみんな知ってますよ。」と言うと「俺は○○○中毒だからな」と冗談を言っていたが、自分が
「Oさんの出所祝いとして、50万なら良いです。ただし、この不景気でキツイので毎月10万づつ なら、大丈夫です。」
O氏は「何でお前のペースに合わせなきゃいけないんだよ。とにかく一括で100な」自分が「いいえ、それは無理です」と言うと
一回帰って行ったが、その日に再度電話があり、「お前は本当に有名だよ。しかし俺はそれが気に入らねんだよな。
鼻につくんだよな。」と言って来たので「Oさんが、育ててくれた、その後輩が有名になって、喜んではくれないのですか?」と言った。
最終的にはO氏は「分割でも良いからとにかく100万な」と言っていて、自分は50しか無理だと言うことを主張して、
O氏は100、自分は50のまま、話が平行線をたどり、毎月O氏の使いの者が10万を取りに来たが、自分は5ケ月したら、
もう絶対に渡すつもりはなかった。すると、3ケ月過ぎた4ケ月目からは、誰も金を取りに来なかったのである。
これはO氏が自分に対する温情だった。この人は最終から、自分からは30万しか、もらわないつもりでいた。
昔からそういう器量の男義の人なのだ。地元の暴走族の先輩後輩同士が出所祝いに30万が高いか安いかは、別として、
自分が暴走族現役の頃は、O氏には、族現役の時に、自分とD氏でCBXをニケツして、集会に出た時に、自分がD氏と運転を変わった時に、横の車には、このO氏がいたが、
自分がチューリップ♪の音楽の、吹かしたコールに合わせながら、手を動かしながら、踊ってくれたり、良くアチコチ飲みに連れて行ってもらったり、自分がパクられた時には、 現金などを差し入れしてくれたり、飯を連れて行ってもらい、様々な思い出が尽きない。
その上総長にまで磨いてくれて、可愛がってもらい、自分にとっては、この人がいたから、
今の自分があるという内の一人なのだ。この人には金には変えられない、思いや絆があった。
◎もう一人、永田中学からの一歳上の先輩で、永田中時代O氏と共に
番格で、長身で、中学でパンチパーマで、中学生で、ブレザーに首から、毛糸のロングのマフラーをして、格好良かった。
淋姦永田のリーダー格で現在、日本トップクラス任侠組織系組幹部の有名な先輩が居るのだが、この人は顔が広く、
人に好かれるタイプの不良で、隣町蒔田の自分の一歳上の好きな先輩で、
お互い暴走族時代に、自分の家に泊まりに来た事もある、現在、
日本トップクラス任侠組織系組長のS氏とも、その永田の先輩は兄弟分であるが、
彼はOキャンと言うあだ名の人で、ある日Oキャン氏とS氏が、二人で
花札をやっていて、自分が見ていたら、Oキャン氏が勝ち、S氏から
金を受け取り、その金を、黙って無言で自分にくれたりと、そういう
思いやりのある、ルックスは常に不良だが、渋くて格好良い不良のタイプである。
この他も、自分は、地元永田の仲良しだった、好きな先輩は、多数居る。
◎このホームページに写真が出ている、自分が10代の暴走族の時に憧れて、プライベートでも良く遊んでいた、自分と一緒に山下公園で事件を起こし、
一緒に新聞にも載った、自分の一歳上の、元、保土ヶ谷蛍死蝶総長の背が高く、男前でも有名で17歳位から極道を始め、
刺青を入れた、横浜S43年代トップクラスアウトローの、人間総合力を兼ね備えているY氏と、30歳の頃、戸部のラーメン屋で、偶然再会した事があった。
Y氏は後輩と二人で居て、久しぶりに会話を楽しくした後、Y氏が後輩と先に帰って行ったので、
自分は見送り、挨拶をして別れた。自分がラーメンを食べ終わり、料金を払おうとすると、
店員が「先程のお客さんから、お客さんの分まで頂いてます」と言われ、何時の間にかに払ってくれていて、
自分は感動した。次の日、飲み物を持ってお礼を言いに行くとY氏は、
「ああ、あれ後輩が払ったから」と言っていたが、Y氏は飯屋などで後輩に払わせたりする様なタイプでは無いので、
自分に対して恩着せがましくしなかっただけなのである。何処まで、格好良い人なんだと思った。
因みに、Y氏は実弟が二人居て、Y三兄弟としても有名である。
◎29歳での好健会での時、自分の五歳下の元全日本麗心愚湘南連合戸塚音で、当時日本トップクラス任侠組織系組員だったA氏が、
訳ありで自分の自宅にしばらく匿うことになり、自宅で数日泊まっていたが、彼は当時、儲かる凌ぎをやっており、金持ちで、
毎日の様に自分をランドマークタワーのシリウスと言う高級レストランバーに接待してくれていた。
他にも自宅でA氏を匿ってない時期にも「俺がおごるから」とキャバクラに数件行っても、
絶対に自分に料金を出させずにA氏が出してくれていた彼には感謝している。
戸塚音と言えば、S48の総長M氏や、S49の総長T氏、S50の総長で元、湘南連合総長で、殺人共同共謀正犯の前科があるH氏や、他のメンバー達も、仲良しだった。
戸塚と言えば、元、暴走族で当時カラオケボックスの社長だった、自分の二歳下の弟分だったK兄弟や、
自分の四歳下の弟分だった元、日本最大最強任侠組織系組員のH兄弟なども、自分は仲良しだった。
◎30歳位の好健会の時、会の舎弟や若い衆の計二名で、東京の暴力団関係のファッションヘルスの金庫を強奪した。その後色々と、一悶着あった。
◎30歳位の好健会の頃、自分の七歳下の自分の弟分で元、浜連蒔田ロードランナー総会長の、
自分の紹介で、ファッション雑誌のモデルをやっていた長身で、自分の年下で、浜連歴代で、トップクラスで男前の、
現在、東京の町田で、ガールズバーや、風俗店を経営している社長である、
横浜s51年代の、一番の成功者で、人間総合力もトップクラスのC・S氏と、永田中学S45年代番長で、淋姦強姦永田一家の、自分の次の代の
総長に任命し、後年魂龍会本部長補佐兼山根会本部長補佐からでした。
以前、自分の一歳下の、淋姦強姦の永田一家総長の、自分の弟分H氏とこのS氏が、三段シートの貸し借りが現因で揉めて、
二人が、電話で、怒鳴り合いになり、H氏が「今からテメーの家に行くから待ってろ!」と言い、
H氏が、蒔田のs44の実力者を一緒に連れて、S氏の自宅に、喧嘩をしに行った、事があるのだが、
その時に、S氏が取った行動は、何と!二階から「ちょっと待ってろ!」と
歯磨きをしながら、余裕を噛まして、降りて来たのだ!普通は、この状況なら、堅気の自分の自宅に、年上の組織の不良が
乗り込んで来るのがわかっていたら、何が起こるかわからないので、芋を引いて逃げるか、
喧嘩するにしても、万全な体制をとって、構えてるのが普通である。
その後も、多少の一悶着は、あった物の、この話をH氏から聞いた時は、S氏の根性にアッパレであった。
H氏は「でも、あいつは、山根さん山根さんって言ってましたし、可愛い奴じゃないですか」と言っていて、
お互い、自分の弟分だったし、大事にも至らず良かった。
◎30歳位の好健会の時、自分の若い衆から、遊ぶ為の飲み屋の女を紹介してもらって、
その女が、以前福富町の店で、ちゃんと働いたのに、そこの社長がヤクザみたいな人相風体で、
給料合計8万を全然くれないという相談を受け、早速自分とその女とその女の女友達と、自分が、
相手の社長に電話を入れ、事情を簡単に話し、福富町の某有名喫茶店に呼び出した。
福富町は場所柄、極道の街だし、飲み屋は大抵バックにケツ持ちの組織が付いているので、
その社長は極道を連れて来ると思っていた。喫茶店で3人で待っていると、まずイカツイ社長が
一人で現れ、話しをしようとすると、一人の極道も駆けつけ、長身で自分の一歳下の元、浜連洋光台ロードランナー総長兼、
S45年代浜連総長の、日本トップクラス任侠組織系組幹部で、横浜S45年代トップクラスアウトローの
N氏であった。自分は彼と面識は無かったが、存在は知っていた。N氏は自分の名前を尋ねてきたので、
答えると、自分の事を知っていたが、年上も上等で有名なN氏だっただけに、自分に対して、言葉遣いや態度が横柄だったので、
自分も今回の事情を説明しながら、突っかかって行くと口論になり、お互いに席を立ち、顔面を近付き合わせ揉めたが、外で話をする事になり、N氏が
「その給料、俺が払ってやろうか?」と言っていた。しかしN氏の組のN組長には、以前お世話になった事があり、
恩があったのと、N組長が、当時の自分の兄貴分S氏と、兄弟分だったのと、自分が初めて極道になった時にお世話になった、
例の優しい兄貴分のK氏が、当時在籍していた組だった為に、N氏に、今回は引くと言って、
給料は要らないと断った。すると、たまたま通りかかったN氏とは別の一家の、極道二人組が、自分達の間に入って来て、
社長も自分の連れの女も、外に出て来て「もう警察に言う。他の女の子達も皆、給料貰えていないって言ってるから」
と言って来たので「いいから!自分の兄貴が世話になっている組の人だから」とN氏と自分の、しがらみの関係を
説明した。N氏は女に対し「一年も前の事を、今更遅いよ!」と言った。自分は、その女を抱きしめてやり、
店内に戻した。そして五人で話の最中、また一旦話がこじれ、N氏と揉めたが、
結局、その通りすがりの二人組の極道が止めに入り、自分とN氏の話し合いは終わったが、社長と女達が
まだ話が終わってなかったのと、自分が顧問をやっている、地元が世田谷の、自分より年上の世田谷の、自動車機械通信販売会社社長を、
車で近くに待たせていたので、自分は先に車に戻ったが、自分の連れの二人の女が、
自分とN氏が外で揉めている様子を感じ、その女の子達を紹介してくれた、自分の若い衆の好健会幹部の
地元が大阪のY氏を、電話で呼んでいて、喫茶店にY氏が駆けつけていた。N氏と女も、口論になったらしいが、最終的には、結局N氏は、自分が給料は
要らないと断ったのにも関わらず、自分が居ない所で、給料全額8万を、社長に払わせず
自分のポケットマネーから女の子に渡してくれていた。N氏は自分に対して、言葉遣いや態度は終始横柄だったが、
最終的には裏で、自分の顔を立ててくれた男気ある極道だった。さすが長身の元浜連総長の極道でも現在組長クラスで、横浜S45年代トップクラスアウトローの器量だと思った。
◎淋姦強姦永田一家の後輩で、自分の三歳下の後輩M氏は、日本トップクラス任侠組織系組の20代で組長クラスになったり、
永田の二歳上の自分の好きな先輩の、S氏なども若くして日本トップクラス任侠組織系組幹部になったり、
自分の四歳上の、永田中卒業で元、淋姦強姦弘明寺総長の、横浜S40年代トップクラスアウトローのH氏や、
それより年上のJ氏も日本トップクラス任侠組織系組の20代で組長クラス(若頭)だった。三歳上の人は、
ニュースになった港南台釣具店店長拳銃射殺強盗殺人事件で有名な不良K氏である。それと、
自分の小学生からの同じ年の幼馴染のI氏が日本トップクラス東京任侠組織系No.1二次団体系組員となった。
他には、淋姦永田の後輩で自分の四歳下と六歳下が、日本トップクラス任侠組織系幹部で、六歳下のN氏は、現在も現役だが、
四歳下のS氏は自殺により、亡くなってしまった。心より冥福を祈る。29歳の好健会の時、
自分の淋姦強姦永田一家時代に舎弟だった、自分の一歳下の淋姦強姦永田一家のW氏が、後年に、
日本トップクラス東京右翼団体K同盟の横浜支部長に出世したが、同時に青年実業家にも成り上がり、
金融屋の社長もやっていたので、自分より年上の、知人が、「誰か金貸しを紹介してほしい」と頼まれたので、
その自分の舎弟だった、W氏を紹介してやり、その知人のA氏名義で借りて、もう一口を山根名義で借りてくれたら、
自分に何割りかを、お礼すると言うことで、そいつ名義20万と自分名義20万の計40万を借りたが、その野郎が、
詐欺師で、テメー名義で借りた分だけ、キッチリ返して、自分名義(山根)で借りた分は一銭も返さず、丁度この時期、
この野郎は、自分の好きな先輩極道がやってる組の競馬にも紹介してやったが、テメーが60万だか、
勝った時には、しっかり持って行って、テメーが60万だかを負けた時には、トンズラをして、自分の先輩に迷惑をかけてしまい、
自分の顔や面子も潰れて、問題になり、自分は直接下手を打った訳ではないので、関係ないのだが、一応詫びとして、
自分からこの先輩に5万だけ詰めたのだが、舎弟のW氏の方には、事情を説明したら「山根さんからは取れませんよ」と
チャラにしてくれて、非常に感謝しているが、この詐欺師野郎は知人の紹介で知り合ったのだが、年や地元などを詳しく聞いていなく、
付き合いも浅い状態で、金を絡めてしまった自分の落ち度だった。その極道の先輩や自分のコネクションなどで、
その詐欺師の素性を色々と調べたが、そいつは、自分には、地元が上大岡で、年はS41で新井や福井と名乗っていたが、
全て嘘で、住所も転々と変え、ありとあらゆる手段で、数々の詐欺をやっている人間と判明した。
当時はそいつを自分達で賞金付きで指名手配していたが、未だに見付からない。
◎同じく30歳位の頃、このホームページにも写真が出ている、港定時からの、自分の一歳下の後輩で、格闘家で横浜トップクラスの有名青年実業家H氏に、
彼とは、港定時からの、付き合いで、かれこれ約25年になる。
彼は、ルックスは、少年隊東山氏のそっくりさんとして、週刊誌に出演。
性格も良く、小柄だが、最強最悪定時制港高校裏番長で、柔道などの達人の、格闘家で、今までタイマン無敗。
実父は柔道師範代。実父実弟は、九州の日本最大最強任侠組織系幹部(現役か元かは、不明)
顔も広く、芸能界、政財界、アウトロー界などの、大物や、有名人との交流も盛んで、
特に代表的なのは、芸能界のスーパースターで、元フォークシンガーで現在ロックシンガーで、
映画「家族ゲーム」や「トンボ」などの、主演のN氏と、超仲良しで、N氏の自宅に遊びに行ったり、
彼の息子と出掛けたりしている、家族ぐるみの仲である。セイヤ!(笑)
現在は、
※横浜トップクラスクラブで関内、横浜西口、新横浜に3店舗の「Y」経営。
※横浜トップクラスファッションヘルスで曙町に数店舗ある「Gグループ」経営。
※有名ハワイアンカレー店で山下公園、江ノ島などに数店舗ある「S」経営。
※エステ店経営
など、毎年、年に、約2億円ずつ貯金している、
数年前の若い内から横浜トップクラス有名青年実業家である。
自分が以前付き合っていた、当時、横浜のラウンジクラブの店の、No,1ホステスで、
地元が座間市の背が高く、美人のN氏の女の店に、H氏を誘い「俺がおごるから、飲みに行こうよ」と誘い、
彼は仕事の取引先の人間と二人で来て三人だったが、途中でH氏が「用事があるから、自分ら達先に帰ります」と言ったので、
自分は見送ったのだが、その途中に店員が「料金は山根さんの分まで頂いております」と、
高い料金を何時の間にかに払っていたので、自分はH氏をこっちから誘い、おごると言って、
一緒に行ったのだから、帰る彼を捕まえて、「飲み代を出して貰う事は出来ないよ」と、
再三説得したが、彼は断固として応じなかった。
後は、自分が痔の病院に入院していた時に、H氏の会社の従業員を連れて、お見舞いに来てくれて、
数万の現金の、お見舞金を置いていってくれたり、非常に感謝している。
やはりこれが横浜トップクラスの青年実業家の器なんだと心を打たれた。
自分と彼は、一生の後輩であり、友達である。
◎31歳位の好健会の時、自分の三歳上の、地元が上大岡で、関西某独立任侠組織系組長実子で、10代の時に、特等久里浜少年院の大将を務めたり、
横浜S41年代トップクラスアウトローで、凶暴で有名であり、当時日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組最高幹部であったU氏から、
U氏が懲役中の間に、U氏の彼女を自分がちょっかいを出したと言う事案と、もう一つ、U氏の別の彼女を自分達が数人で輪姦して、
一ヶ月の間、集団で連れ回し、彼女を手込めにしたという事で、追い込みを掛けられた事があったのだが、自分にも言い分があり、U氏と電話で話を
した時、彼から痛い一言を浴びたのだ。「山根さんよぅ、これ逆の立場だったらどうよ?そっちだって
自分の女こうなったら、何とかするでしょ?俺は自分の女が言ってる事を信じてあげたいし、
俺の立場だって分かって下さいよ!」と言っていた。この今回のトラブルは、自分達が、元々、大義名分の分が悪かったのと、
丁度、執行猶予期間中の身であったのと、相手もツワモノだっただけに、手強かったが、最終的には、
S兄貴とU氏の兄貴との上同士の話し合いになり、お互いが歩み寄って折り合いを付けて、
少額の示談金で手打ちとなったが、U氏はイケイケで有名な人物だが、性格が良く、頭も良く、
凄く人間が出来ている漢だった。U氏とは共通人物も多かったのも何かの縁だったが、その後も
ちょくちょく連絡をくれて良い付き合いの仲良しだった。そして彼の兄貴分が例の、
自分が23歳の時の電話で後輩の極道への取り立ての時の電話の相手のN氏であった。
◎自分と好健会行動隊長のI氏と二人で戸塚のキャバクラに飲みに行った時のことだが、当時は厚木で抗争事件があって死者が出た時期であり
某組織と某組織がピリピリしてた時期であったために起きたトラブルだが、隣の席で三人組が刺青を出して飲んでいたので、
自分がチラチラ見ていたら、向こうも自分達をチラチラ見ていて、I氏が待ち受け画面が某組織の代紋だった上にキャバクラの女にI氏が見せていたので、
キャバクラの女がその三人の極道に話をしたらしく、何やら一人が電話をしに席を離れたのだ。自分は応援を呼んでるなと睨みしばらくしたら
案の定数人の極道達がドカドカと店に入ってきて自分達は囲まれた。相手のリーダーが「お前ら○○か?」とI氏に聞いていて、
自分は相手が酔っ払っていたので相手にしていなかった。しばらくそんな状態が続くと、遠方から「○○やめろ」と極道のお偉いさんが、
止めに入ったがそのリーダーは酒が入っていた為に普段は先輩後輩の関係らしいのだが、「うるせー」と山を返したのだ。
するとお偉いさんが「おっ?何だとこの野郎やんのか?」となり自分達も全員で相手と表で話をすることになり、その移動中に「山根さんですか?」と
声をかけてきた背の高い幹部がいた。自分が会釈をすると「自分○○の後輩の○○と言います」と、自分と仲良しの元、全日本麗心愚連盟戸塚音総長で、
自分の二歳下の後輩で当時右翼と極道の横浜S46年代トップクラスアウトローのF氏の後輩だった。
その自分の三歳下のT氏も元、全日本麗心愚連盟戸塚音で、横浜S47年代トップクラスアウトローのその組でお偉いさんだった。
自分は小声で「名前聞いてます」と話をして、一方では先程の店で自分達と揉めたリーダーS氏が先輩に説教をされていて
「○○の人間だったら何だよ!○○でも堅気でもちゃんと金払ってくれるお客さんだろ!こないだの例の抗争で悔しいのはわかるよ。
俺は人殺して、身代りに懲役行かせたズルい人間だよ!お前らの店だってのもわかる。けど相手はどう見たって小僧じゃねーかよ。
相手の上の人間呼べよ!そんなに喧嘩してーなら外でやれよ!店に迷惑かけんなよ!他のお客だっているんだしよ!」と
言ってることも筋が通っていて喋りもしっかりしていていた。自分達は看板は何も出さなかった。小僧に見えたなら仕方ない。
自分もI氏もどっから見ても外見は堅気だ。自分はT氏に「F氏によろしく伝えておいて下さい」と言った。するとI氏が相手のリーダーに
「自分達が何かしました?何もしてないですよねー」と言うとリーダーも謝っていて、このリーダーは、自分の一歳上の最高幹部だったが、
シラフの時には、性格は良く、男義がある人らしい。皆で和解し自分達が飲み代金を払おうとすると、そのお偉いさんは
「いいよ!その代わりまた飲みに来てくれよ!来なかったら幾らも行かねーよ」と言うと、例のリーダーS氏が笑いながら
「自分達のもお願いします(笑)」と言うと、先輩は、笑いながら「俺が払うの?(笑)」と和やかな雰囲気になり、自分達とリーダーの分まで払っていた。
自分はこのお偉いさんにはシビレた。縁というのは不思議で後日南区のレンタルDVD屋で偶然そのY氏と会い、
その時のお礼と自伝本に文章を載せさせて頂くお願いをしたら、快く了解してくれて、相変わらず良い人だったが
彼は例のリーダーやT氏などの某組とは別の横浜の名門一家の組のお偉いさんY氏だったが、そこの組長が訳ありで破門となり、
Y氏もどうしてるのかわからないが、器量のある通りすがりの渋い極道だっただけに淋しい限りである。
◎31歳位の時に、好健会を訳ありで、一回活動停止にしていた時があり、その時に自分の一歳上の横浜任侠組織系の組長K氏から
連絡が入り、K氏の組のシマウチの横浜西口のアチコチに好健会のステッカーが貼ってあると、クレームが来た、自分にも、
言い分があったので、話合いの末にこっちが悪かったので、ステッカーを剥がして、詫びで10万を払おうと、K氏に話をしたら、K氏は、
その金は受け取らなかった。フトコロの広い、男義のある男だった。彼とは共通人物も多く、K組にも、自分の四歳下の
港定時制時代の後輩O氏がいた。後日O氏から連絡が入り、「今、兄貴と飲んでるんですけど、良かったら山根さんも来ないかと言ってます。
今後何かあったら、力になるとも言ってます」と言ってくれていた。
◎31歳位の山根会の時、地元が南区平楽で、自分よりかなり年下の、元、日本最大任侠組織系組員で、
元、山根会会長専属運転手のT氏は、自分の自宅に部屋住みをしていた。ある日、日本トップクラス任侠組織系組長が経営してる、踊りのクラブの店員に、絡み揉めて、
その店のケツ持ちの、組長の組の幹部達と喧嘩になり、シマ荒らしとして、
T氏が、二人組の幹部達に〆られた。自分がその相手と掛け合い、手打ちとなったが、このT氏は、顔面を腫らしていたにも関わらず、ケロってしていて、根性が入っていた。
◎31歳位の時、仲良しだった自分の五歳下の、地元が本牧の神奈川朝鮮の有名人のK氏から連絡が入り、
K氏の友人でバイカーチーム「キチガイ」と「ジョーカーズ」逢わせて600人の創立者リーダーの、バイカー世界で、
伝説の日本トップNo.1の、カリスマバイカーの有名人のN氏が、出身中学は私立だが、地元は永田に住んでいて、
N氏の車が某地元の暴走族に盗まれたらしく、N氏が「暴走族の事なら、山根君に聞いてくれ」と、K氏に頼んできたと言う事が
キッカケで、自分とN氏とお互いお見知り置きとなった。N氏は元々、日本トップクラス任侠組織、
総裁の、日本一の極道の、地元が西区の故・I氏の実孫であり、故会長の実子であるI氏と、若い頃から堅気の兄弟分であり、プロのキックボクサーであった。
ギャングチームは、ノーネームリーダーのS50年代リーダーの、下の名前がT氏とも、自分は仲良しだった。◎31歳の山根会の頃、このホームページに写真が出ている、横浜のトップキャバクラで、
在籍約100人の店のNo.1キャバ嬢で、地元が二俣川の美人のR氏と付き合っていた時、
「飲み代料金は私が払うから店に来て」と呼んでくれた時もたまにあったが、R氏は昼間も夜も両方仕事をやっており、
ハードな日常を送っていた為、付き合い始めの頃は、プライベートでよく会ってエッチもやっていたが、
段々会わなくなってきたので、自分が「仕事の量を減らせ!」とよく言っていたが、その度にR氏は
「分かってないなー」と意味ありげに言っていた。仕事を減らさないので、ある時自分が、
『よーし、そっちがその気なら俺も他の女と遊んでやる!』と横浜の別のキャバクラへ行き、
あるキャバ嬢を誘い、同伴をする日に自分の家でエッチをしたのだ。すると、そのキャバ嬢の
店に運悪く、たまたまR氏の妹分が居て、自分の浮気がバレてしまったのだ。自分の家で
話し合う事になり、R氏に泣かれてしまい「こんなに働いているのは誰の為だと思っているの?
私は父親を亡くしているから、母の為に頑張っているの。それとあなたは不良だから、収入が不安定だから、
あなたと結婚した時に、あなたとの子供に苦労させたくないの。だから今はお互い仕事を頑張って、
将来安定した幸せな家庭を築きたいのよ!」と言われ、目が覚めた思いだった。
自分は元ホストで、水商売の女の扱いや恋愛は慣れているつもりでいたが、
この子の方が一枚も二枚も上手だった。その日は、そのシチュエーションでの、
仲直りセックスは燃えた(笑)しかし、女癖の悪い自分は、その後も浮気やら何やらの
理由でフラれてしまい、別れてしまったが、自分の付き合ってきた女の中で印象が深かった女である。
因みに、自慢ではありませんが、自分のホームグランドの横浜西口のラウンジクラブやキャバクラでは、
今までには、勿論振られた事もありますが、西口の全店の内の、
殆どの店のそれぞれの店の女一人ずつとは、付き合いました(笑)
自称日本一の女好きのスケベの自分は、チョメチョメや女遊びは一生止める事は出来ませんね(笑)
◎同じく31歳位の山根会の時に、あるビジネスの縁で、自分の一歳上の地元は海老名の人間と出会い、彼の厚木の自宅へ遊びに行った。
最初は相手が何者かの素性は知らなく、外見も小柄で、髪型は直毛のサラサラヘアーで童顔で、年上だが年下に 見えて可愛らしい感じの男前だったのだが、後から素性を知ると、人は見掛けに寄らず、意外にも、巨大武闘派有名暴走族連合元、南関東CRS連合厚木スペクターで 元プロボクサーで、現在ボクシングジムを任されているトレーナーをやっている男のM氏であった! しかも彼は、族のステッカーや 写真や写真集やビデオなどの、アウトローグッズを集めているマニアで、 偶然にも、自分(山根)が過去に出演した雑誌の切り抜きや名刺を、自分が彼と知り合う前から持っていて、大切に保管をしてくれていた山根フリークだったのだ!
最高に嬉しかった!縁と言うのは不思議だ。 性格も性格も最高で、その後もお互いの自宅を行ったり来たりして、今では兄弟分だが、 彼は自分には非常に腰も低く、もちろん自分も年上のM氏には敬語だが、年下の自分にも敬語で喋る大人である。そしてついに、後年の現在、このジムのオーナー社長となった。 ◎同じく31歳位の山根会の時に、横浜の組織の、横浜で一番極道キャリアも長く、懲役通算年数も約30年の、
横浜トップクラスのO親分とは(このホームページでツーショット写真に写っている) 以前横浜西口で、喧嘩がきっかけの縁で、仲良くなり、自分の会社内容の名刺を見て、 「へー面白い事やってるじゃん」とか言ってくれたり、親分の組に、私をスカウトオファーしてくれたり (自分は当時、他組織の代紋関係者だったので、期待には応えられなかったが) 自分の「自伝本が、発売したら100冊買い取ります」と言ってくれたり、 色々良くしてくれて、私の方も「右翼の看板が必要な時は、内の団体の看板を最高顧問なり、 相談役なりで使って下さい」などお互いに、持ちつもたれつだった。 外見は長身で男前で、大物で、大好きな親分であり、紹介して頂いた、舎弟の方もビッとしていた。 ◎30代最初の頃に、刑務所に行くキッカケとなった罪名が、暴力行為から脅迫に落ちた。 この件は、例の自分が付き合っている、地元本牧の背中に刺青の女と、山根企画の従業員の計三人で
車による交通事故の被害者となり、自分が加害者の保険屋との保障についての交渉中に、
保険屋がミスをしたり約束を破ったりしたので、、電話で相手を長時間に渡り脅かした脅迫の罪で、
逮捕されたが、逮捕された日に、たまたま山根会の魂龍会行動隊長兼山根会行動隊長のO氏と、
訳がありI警察に行ったところ、手続きの用事が中々終わらず、I警察に文句を言っていたら、
自分は知らなかったが、I警察側が自分に逮捕状が出ている事に気づき、時間を引っ張って、
当時のその事件の担当管轄の、T警察暴力団担当刑事が七人位乗り込んで来て逮捕され、
自分の舎弟のO氏が、自分の身柄が逮捕されないように、刑事達に抵抗してくれていたが、
結局T警察の留置所に移送される前に、I警察の取調室に連れて行かれ、逮捕状を見せられ、
自分が「ふんっ」と鼻で笑い「冗談じゃねーよ、そんな証拠がどこにあんだよ?録音テープに録音でもしてんのか?」
と言ったら、刑事が「おう、してるよ!」と、あっさりと出鼻をくじかれてしまった。(笑)
そしてその場で持ち物検査をされ、自分は当時小包丁を持っていたので、それを出すと
I刑事が「おお、危ねえなー」と面白い物が出てきたと言わんばかりに、言っていた。
自分は脅迫と銃刀法違反では、長い刑期になると落ち込んだ。そして自分は、あきらめて投降し、
T警察に移送され、取り調べ室で取り調べを受ける時、その刑事達の中で一番偉い
S班長に、自分が「あのー、包丁の件はどうなりますかね?銃刀法ですよね?」と
尋ねると、何とS班長は「銃刀法って?お前チャカ持ってたのか?俺はそんなもの見てねえぞ」
と、とぼけてくれたのだ。刃渡り6cm以上は銃刀法である。S班長はゴミ箱を差し出し
「それをそこに捨てろ」と見逃してくれたのだ。自分は心から感謝し、S班長に何度もお礼を述べた。
S班長は「誤解されないように言っておくけど、こんな事したからって本件を認めろという事じゃねーからな。
否認したきゃそれでも構わねーし」と言うので、自分は「とんでもないです。どっちにしろ録音されてたら
証拠になり無理ですから」と認めた。自分はS班長が見逃してくれた行為に心を打たれ、銃刀法を反省した。
銃刀法まで立件されていたら『くそー、また包丁を持ち歩いてやる』と逆に反発していたと思う。
S班長の思いやりにより、逆に反省されられた件であった。そして本件の、その後の
毎回の取り調べでは、夏の最中で喉がカラカラに乾いている時期だったので、
T警察の刑事達は、自分の取り調べの度に、A刑事を筆頭に、自腹でジュースを
自動販売機で買ってくれて、面倒見が良く、感謝しており本当に助かった。
この他、自分は暴力団担当のI刑事とは、プライベートでも仲良しの関係であった。
◎同じく30代最初の頃に、刑務所に入る前に、某留置所に入っている時、ここでは様々な人間と
出会い、特にエピソードや思い出深かった時だが、まずここに入った時、夏で暑く、喉が渇いて
死にそうで、ジュース類は注文をして、そこから数日後しか手元に届かなかった為、困っていたら
この留置所に入る前に、自分の事を知っていてくれた、自分の四歳下の元、浜連鶴見死天王で
当時日本トップクラス任侠組織川崎No.1二次団体系組員のT氏が、彼が自分で飲む為に署内冷蔵庫にストックしておいた新品コーヒーを恵んでくれて、
その時のコーヒーの美味さといったら他には無かった。彼には非常に感謝している。
後は、自分の四歳下の、地元が共進の元々後輩だった、元、日本トップクラス任侠組織系横浜トップクラス組幹部で
現在、そこの幹部の男前のS氏との、その留置所での偶然の出会いや、
自分より年上の日本トップクラス任侠組織系横須賀の組幹部のK氏や、日本最大最強組織巨大ブランド当時No.1二次団体系組員だった
H氏が、自分を慕ってくれて、自分の舎弟になったり、自分の四歳下の元川崎の暴走族で
当時日本トップクラス東京任侠組織のT氏が、自分がそこの留置所から保釈で出る時、「おめでとうございます」
とコーヒーをくれた温かさなど、この時の地検同行室では、自分の二歳下の自分の
隣町の地元蒔田の元、日本トップクラス任侠組織のN氏と知り合い、「凄く有名ですよね」と自分を盛り立ててくれた。
そこの留置所では、他の留置人達や留置所担当職員達とも楽しく過ごした思い出がある。
もちろん過去にも、留置所、拘置所、刑務所、地検同行室で偶然再会した知人達や、
新たに知り合った人間達との思い出は多々ある。その中で、主なのは
・戸部警察留置所で一緒だった、自分より年上の、過去に抗争で2人射殺した事のある、当時日本トップクラス東京任侠組織六本木二次団体相談役だったK氏。
例の女には伝言しておきました。お世話になりました。
・南警察留置所で一緒だった、自分より年上の地元が西区老松の、日本最大最強横浜任侠組織系組長H氏。
留置人が布団を舎房に入れる時間を見計らって、外から留置所の窓に、うまくライターを投げられなく、
何回目かでやっとH氏に受け取ってもらってすみませんでした(笑)
・横浜地検同行室で一緒だった、当時横浜西口に事務所があった、日本最大最強任侠組織系組若頭の年配のN氏。
自分に熱烈なスカウトオファー有難うございました。しかしご期待に応えられなくて、申し訳ありませんでした。
・旭警察留置所で一緒だった、自分の三歳上の地元が旭区鶴ヶ峰の、日本最大最強巨大ブランド当時No.1二次団体系組員のI氏。
自分がパクられた時、励ましの電報ありがとうございました。
・同じく旭警察留置所で一緒だった、自分より年上の地元が東京の、後に東京任侠組織M会直参茨城二次団体総長となったK氏。
自分がK氏に電話をしたあの後も、元気でやっております。
・南警察留置所で一緒だった、自分より年上の地元が埼玉の、後に日本トップクラス任侠組織直参埼玉二次団体総長となったH氏。
全身の刺青見事でした。自分の刺青も褒めてくれて有難うございました。お世話になりました。
・地検同行室で一緒だった、自分の五歳上の地元が磯子根岸の、東京任侠組織K会横浜の組の組長のA氏。
色々なエピソード話楽しかったです。
・東京拘置所で、赤落ちし、新潟刑務所に護送される数日前、懲役囚として確定した日、頭髪を拘置所で丸坊主にした時、
自分と刑務官二人で、廊下を歩いていると、他の順番待ちの受刑者で、年齢40代位の坊主頭で眼鏡を掛けた、極道風のガタイと恰幅の良い受刑者の方が
「健一さん?」と、つぶやいていましたが、せっかく自分の存在を知っていてくれて、声を掛けてくれたのにも関わらず、自分は刑務官が横にいたので、
反応返答出来ず、無視シカトする様な形になってしまい、悔いを残して後悔しています。もし、あの時の方がこのHPをご覧になられてましたら、
自分は本当は嬉しかったのですが、あの時そう言った訳の、しがらみがございましたので、是非ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
・新潟刑務所で一緒だった、自分より年上の日本最大最強任侠組織系新潟の組長。
新入知能試験問題を、自ら自分の代わりにやってくれて頂き、答案用紙に
答えを書いて頂き、誠に有難うございました。
・同じく新潟刑務所の雑居で一緒だった、自分より年上の、日本トップクラス任侠組織系千葉の組員の某氏。
同じく自分より年上の、日本トップクラス任侠組織系新潟の組員Y氏、自分の二歳下の、日本最大最強任侠組織系北海道の組幹部N氏。
自分に色々とお気遣いや、ご配慮有難うございました。楽しかったです。
・同じく新潟刑務所で一緒だった、自分より年上の、日本最大最強任侠組織系組幹部で、有名極悪暴走族怒羅権東京葛西総本部のケツ持ちだった某氏。
工場での仕事中に、刑務官(親父)の目を盗みながらの会話、楽しかったです。
・同じく新潟刑務所の工場作業での、野外での運動休憩中で一緒だった、自分より年上の、年配の日本トップクラス任侠組織系横浜の組最高幹部のK氏。
同じく自分より年上の、日本トップクラス任侠組織系横浜の組員のM氏。
お二人様は、偶然地元横浜で、共通人物などの話が盛り上がり、楽しかったです。
・他にも、工場などで話しかけてくれて、仲良くして下さった任侠組織の方々、有難うございました。
◎同じくそこの某留置所に入っている時、隣の房の自分より年上の、当時45歳の中国人K氏と
仲良くしていたのだが、彼は外見が爽やかな優男で、自分に対していつもニコニコして挨拶をしてくれていた人物で、
しばらく普通に仲良くしていた。ある日、自腹で注文していたパン三個セットのパンを彼にあげたら、喜んでいた。そして風呂が一緒の日があり、
自分が「Kさん、元気?」と言うと、彼は「ヤマネサンニモラッタパンヲタベタラ、ゲンキニナッタ」と言っていた。
彼は自分に何者かや、罪名など、しばらく言って無く、どうせ中国人犯罪特有のオーバーステイか窃盗か、
何かだろうと思ってしばらく一緒に過ごしていたら、後から衝撃的な事実が発覚した。
何と彼の正体は、東京台東区に事務所を構える約100人のチャイニーズ・マフィアのボスだったのである。
通りで留置所担当の職員が、彼に対してペコペコしていた筈だったし、腹に刺し傷もあった。
彼は「シュッショシタラ、ヤマネサントイッショニシゴトガシタイノデ、レンラクサキヲ、オシエテクダサイ。」と言っていた。
パン一個で日中アウトロー平和条約の兄弟分の様な縁を持った、ほのぼのとした物語である(笑)
◎同じくここの留置所で、自分がこの留置所に入ってきたとき、同房の人間が、「この留置所には人斬りのUという伝説の人間が居ます」
と言っていた。ある日小柄な弱々しい老人が自分とは別の房に入っていて、ある日老人と同じ房の若い男にトラブルで、
老人が〆られてしまい、自分は、あんな老人に手を出すなんて弱い者苛めなんてしやがって、と腹が立っていたが、
留置所では、自分はどうする事も出来ず、悔しかった。その老人は自分に会うたびにいつもニコニコしていたので、
自分もいつもニコニコ挨拶していた。しばらく普通に仲良くしていた。ある日その老人と地検が一緒になり、老人が、
少しだけ体に墨が入っていたので、不良だったのかと、ビックリしていたら、老人は自分の事を「俺とは比べ物にならない位墨が入っているのに
全然威張らない」など褒めてくれていたが、衝撃的な事実が発覚した。何と彼の正体は、有名元祖戦後横浜愚連隊の一員であり、
当時横浜愚連隊最強派閥の伝説のモロッコの辰こと故・出口辰夫氏の舎弟であり、『人斬りのU』と異名で呼ばれていた、
通算懲役年数約三十年の伝説の人物であった。彼が例の噂の人物U氏だったのだ。U氏には、
今現在生存している横浜や川崎などの親分衆達も頭を下げるという程の人物である。
あの例のU氏と同房のガキも、命拾いをしたと思う。例えるなら横浜の水戸黄門であった。おやっさん色々とお疲れ様でした。
◎自分が、30歳越えた頃に、ある事件で逮捕されて、鶴見警察から、一回保釈が通用して、外から裁判を行い、生活をしていたが、判決が実刑となり、そのまま横浜拘置所に収監された。
毎日の様に、このMが、面会に来てくれていた。彼女は、巨乳美人で、他も完璧に近い彼女だったが、自分が理想な身長だけが足りず、
どうしても本命には出来ずに、本命ではない事と、これから一年以上も、刑務所に入る事で、お互い会えない辛さを説明し、手紙でも別れを告げると、彼女は、こんな自分に対してでも、 猛烈に、反対し、あきらめなかった。しかし、日が経つに連れ、徐々に、あきらめかけてたのか、拘置所の面会にも来なくなった。
自分も辛かったが、本命でもないのに、一年以上も待たせるより、彼女の新たな男との出会いに、幸せを祈ってやることが、一番だと思った。
しかし彼女は、後でわかった事なのだが、その事が辛くなり、自殺未遂までして、頭がおかしくなり、精神病になってしまったのだ。
自分はこの事にも反省したが、しかし、その後は、淋しさを埋めるため、別の男と結婚していた。←(おいおい!幾ら、俺が振ったからって、そんな結婚すぐに結婚すんなよ(大爆笑))
そして子供まで作ったが、自分は、出所後も会い、やはり、結局は、男性とは離婚して、
自分の元に戻って来てしまったが、出来るだけの、お詫びや、精神面などのアフターケアやフォローなどを行った。
Mは、今は、徐々に調子も良くなって回復してきたが、まだ精神安定剤や、睡眠薬が必要な状態であります。
この子は、今後も、私が、この子にとって、人生の良き、パートナーとして、良い関係を保って行きます。
自分が本命に出来ない彼女なのだから、いずれ誰かとまた、結婚しなくてはならないのだから、誰かまた、良い男性が現れたら、
二人の愛の幸せを祈ります。俺が愛した女だから・・・・・・・・・・
◎30歳過ぎの時、日本トップクラスの東京任侠組織の、bP二次団体のK一家には、HPやブログで紹介したこともある、
自分の幼馴染であり、最高の弟分である、我が永田台小学校や永田台中学のs45年代番長であり、新日本プロレスに入門したツワモノで あり、現在はプロレスは引退し、例のK一家トップクラスの東京板橋の組で、任侠道を邁進してるステゴロ最強 極道S氏だが、そのK一家の一番のイケイケ組の池袋のY睦会にも、私の小学校から幼馴染の仲良しで、中学でも同級生だった、I氏がいる。 池袋のY睦会は、あの任侠界を震撼させた有名事件の、対立組織と抗争から手打ち破りにより、 前橋スナックで乱射し、組長や組員や一般人を死傷させ、会長や幹部計3名が死刑判決となってる 組織だが、そこにI氏が長年所属して活躍して頑張っていて(現在も所属かは不明) 彼とは、小学生から家族グルミの付き合いで 性格も最高で、小学生の時に一緒に釣りに行ったり、彼もやっぱり小学生から悪かったので、小学生 時代に自分と揉めて、自分から蹴りを入れて仕掛けて、軽いタイマン張った事もある(笑)族の浜連淋姦強姦永田一家ではなかったが、 一緒に浜連の集会に参加したこともある。自分が30歳過ぎの、最後の刑務所に行く前の、横浜拘置所の独居房前に整列してる時に、小声で「山根さん!」と 呼ぶ人間がいるので、振り向いたらI氏でした!久し振りの再会に嬉しく、早速手紙を 出したら、やはり気が合うのか、彼も同時に手紙出してくれてて、当時Y睦会現役でしたが、大人の対応で敬語で文章が書いており「有名人になりましたね!」と書いてくれて嬉しかった。 ◎34歳での刑務所入所の時、自分の独居の舎房の担当刑務官や、主任は良い人だったが、訳があり、刑務所側と揉めていて、一年少しの小便刑だったが、
理不尽かつ強引なやり方に納得いかず、指示無視や作業拒否などで、自分は悪くないのに懲罰を3回喰らい、
色々な方法で、刑務所側と戦っていたが、懲役囚は、あの中では人権無視され、身動き取れず
無駄な抵抗に終わったが、その事で自分が落ち込んで鬱状態になっていたら、
ある時、実弟との手紙のやりとりで、弟の一言「楽して生きている奴なんか居ない」と、
この一言で自分は元気が出て、救われた。
◎40歳の時、自分の一歳下で、地元が西区岩井原で元、プロキックボクサーで元、山根会会長補佐兼横浜成人愚連隊総長だったI氏は、
自分(山根)に対して、凄く忠誠心を持っていてくれて、実力者でもあり、自分も彼には好感を持っていたが、
彼と仲良しの、S46の地元が二俣川の、日本最大最強任侠組織巨大ブランドNo.1二次団体系統現役組員兼右翼の実力者の某氏が、
自分とは面識は無いが、自分の事を知っていて、I氏を通してスカウトオファーをしてくれた。
気持ちはとても嬉しかったのだが、自分の状況が更生している身なので、期待には応えられなかったが、とても嬉しかった。
◎41歳の堅気の時に、ある縁で、出会い知り合い、今では、自分を買ってくれて、出資者、スポンサーになってくれている超大金持ちの実業家資産家で、
高額納税者長者番付け50歳から60歳までの10年間三位記録保持者で、現在約70歳の渋くて、性格も良い、超大物のY会長と鎌倉の料亭「峰本」で会食をして、
ある簡単な頼み事をされて、自分が人材を派遣して、一日で終わり、ポンと300万円を頂きました。この方は、まず東京中目黒に不動産店を四店舗経営していて、 他の場所で建築屋や造園業もやっており、あの六本木ヒルズの、家賃が月200万以上する部屋を6個持ってるオーナーで、その内の一つの部屋が、
不動産屋のMビルを通して、あの実業家Hエモンに貸してる部屋です。あとは、大手人気有名芸能プロダクションエ○○○クスの、地元が自分の隣町、港南区野庭のカリスマ社長
M氏の生みの親で、M氏がまだ、社長じゃない頃に、ビジネスに絡む海外旅行に1000万投げて、行かせてやったり、エ○○○クス設立時の投資者、スポンサーでもあり、
以前はエ○○○クスの3分の1の所有株主でありました。自宅はアチコチに六件所有でベンツ三台所有でその内の一台はベンツの中でも一番値段が高いやつです。
総資産100億以上。この超大物が「俺はもう、いい歳だから、いつまで生きていられるかわからないけど、死ぬまで、山根ちゃんには、尽してあげるから」と、
もったいない貴重な発言をしてくれて、感謝感激雨あられです。会長、とても楽しかったです。ご馳走様でした。私も、今の、自分の立場で力になれる事がありましたら、
何でも協力させて頂きますから、これからもよろしくお願いします。
◎41歳の堅気の時に、とても、深いい話がありました。昔、自分がやんちゃしていた18、9歳位の時に、日本トップクラス任侠右翼団体の隊員でした。
そこの当時の自分の兄貴分だった、自分の5歳位上の永田のイケイケで男前だったF氏がいて、F氏の兄弟分の、
やはり自分の5歳位上の地元が戸塚のU氏と言う有名人がいたのだ。その二人には、随分よくしてもらい、お世話にもなったし良い人達だった。
現在のU氏は横浜で一番有名な右翼の親分に出世して、数年前にも、数社の週刊誌の最初の方のページ数枚に、
U氏の記念パーティーの特集が組まれ、日本トップクラス任侠組織横浜二次団体横浜No.1総長と、他の日本トップクラス任侠組織横浜二次団体総長の二名の
計三名も出席して、四人で仲良く肩を並べて写っていた。本日の代行のお客様で蒔田のレストランバーから戸塚まで送った人がいて、
赤のスポーツカーで中年の紳士でスーツで決めて、渋い人だった。本日は自分がお客様の車の運転をしたが、感じ良く優しくて、
気さくに話かけて来てくれて、色々と気を使ってくれた人だった。その内電話で人と会話をし始めて、自分自身の名前を言ってて、
更に不良の世界の話をしてたので、ここで自分は、そのU氏だと気付いた。でもお互いに20年以上も前からの再会だったし、
当時自分はパンチパーマだったし、今日はマスクもしていたから、向こうは、自分の事は気付いてない訳。電話が終わり、
また気さくに話かけてくれて「俺、こんな普通のアンチャンでスポーツカーなのに、今電話であんな話しちゃって悪いね(笑)退屈だったから」て
相変わらず、気さくで優しい人だった。当時が懐かしくて嬉しかった。自分は自分の身分を明かそうとも思ったが、今は真面目に堅気でやってるし、
商売での、お客様U氏と代行屋の自分での再会だったから、結局自分の事は話さなかった。到着現場で最後自分とU氏が運転を交代する時に、
いつもU氏の舎弟や若い衆にドアの開け閉めをやってもらってるU氏のドアを私が開け閉めをしようとしたら、U氏は自分自身で車のドアを開け閉めしながら
「いいよ。ありがとう」と去って行った。やはり大物アウトローは人柄から違うし、この人は、昔、自分が兄貴格として縁を持ったのが、間違いがなくて、ふさわしかったと嬉しかった。
◎自分は、やんちゃをしてた時代に、色々な罪名で、何回も警察に、逮捕されて、記録的になってしまった程の逮捕歴でした。
その際に、この両親に、散々、経済的にも、精神的にも迷惑をかけてしまいました。例えば、自分が逮捕されて、
世界遺産認定される予定の、神の国と言われている、土地が滅法高い鎌倉長谷に、自分が25歳の時に、
一軒家を建てた両親に、(この他にも、西東京東伏見に、一軒家所有)最初の内は、警察署から電話をして、
知らせてもらっていたのですが、その内、逮捕される度に、両親に心配かけたくなかったので、内緒にしていたら、
自分と連絡が取れなくなってしまった母親が、心配になり、探し回ったりと、逆に「警察に逮捕されたなら、逮捕されたと、知らせてくれた方が安心だった」と
言われて、逆効果や悪循環にもなりました。内の家族や家系は、皆、元々エリートの堅物で真面目なので、
自分の逮捕が、あまりにも多い為に、母は、精神的にもおかしくなり、ノイローゼになってしまった時期もあった。
しかし慣れて行くと、慣れは怖いもので、約10年前に、修羅の青春記の自伝本を、企画出版(出版費用を、出版社が負担してくれる出版)
して下さる、出版社の、ゴーストライター(全体の約30%執筆協力)のK氏が、家族も取材したいと言うので、鎌倉で家族インタビューした時に、
母親が「私は不良が好きなんです」と笑いながらコメントしていた(笑)自分は、逮捕されると、何より最初の頃は、不良の心意気で逮捕上等だったが、
もう自分の様に、逮捕暦が多いと、段々逮捕が、やっぱり怖くなって行く。しかもパクられると、身柄を拘束されると言う不自由が一番嫌だし、金もかかり、
シャバでの色々なシガラミも狂っておかしくなって行き、無駄になります。今までに、自分の逮捕により、かかった費用の、弁護士費用、罰金、示談金などの
全てで、約700万かかりました。はっきり言って、ドブに捨てた様な物だが、得意のポジティブ思考で考えたら、人生経験の、高い授業料にもなった。
それらの経験があったからこそ、今の自分もある訳で、ある意味無駄には、なってもいない、自分も存在する訳ではあるが、
その後、自分は、もうこのままでは、懲役刑務所人生になってしまうことが、嫌になり、二度と、親にも、
その時その時に付き合っている当時の彼女達などにも、迷惑かけたくない理由で、不良から足を洗い、
更生して真面目になった。自分が更生した現在は、鎌倉の自宅に、毎日「電話3コール切り」と言って、電話して、3コールで切っている。
これは、母親からの希望で、そうやれば、自分が逮捕されてない証拠になり、安心するとの事。
これを今までに、たまに忘れる日があるが、約7年間毎日続けている。
これを親が、生きている間に、続けて、今度は、微力ながら、自分が経済的にも、精神的にも親孝行に努めてる自分である。
◎ここの出版社の方々は、社長を始め、皆良い人なのですが、自分の人生が波乱万丈過ぎて、写真や人生軌跡や物語がたくさんあり過ぎて、
結局、この修羅の青春記の写真量と文章量が、半端なく多い為に、そこの、出版社は、
「こっからここまでの文章や写真の記載での出版でなら、内での企画出版で出版出来ますが、
それ以上の量となると、自費出版なら大丈夫ですが、金が相当かかり、内では難しいのです」と言う事になってしまったのだ。
しかし、やはり、どうせ出版するなら、結構自分は頑固で、こだわりと言うのがあって、自分の納得の行く、写真枚数や、文章量の分量の形で出版したいし、
人生の軌跡や物語などを、省略した状態で、出版したくないし、自分は、そこまでナルシストではないので、相当な出版費用の金を、自腹で、かけてまで、
わざわざ自費出版してまで、出版したくないので、そういう訳があって、現在は、修羅の青春記は、出版発売が保留になってしまっている。
ですが、既にこの様に、このホームページに文章は約80%、写真はほぼ100%記載して、事前宣伝紹介してしまっているので、
出版はあまり意味のない事かもしれないが、やはり、この本に興味のある皆様の、手元に、本という形で、残った方が良いとは思う。
◎自分が39〜40歳位の頃、横浜西口のVIVRE裏で、一人で、物思いにふけて、座っていたら、
二人組の若い可愛らしく美人の女の子二人組が、声を掛けてきて、逆ナンパされた(笑)
しばらく世間話をして、地元も偶然にも隣の地元の六ッ川だったので、何かの縁も感じた。
そして二人の先輩の方の女の子M(当時16歳位)に「俺の立場で、協力出来ることがあれば、何でも力になるから、
困った事があれば、連絡して来な」と会社の名刺を渡した。すると、時がしばらくたったある日、彼女から、連絡があり、
元彼と別れ話のもつれから、今までに貸した金だか、貢いだ分の金だかを、今すぐに全部返せと詰められて困ってるから、
助けてほしいと、連絡が来たので、逆ナンしてくれた良い子だったのでお礼に無償で助けようと、その場所へ、
一人で急遽向かうと、ガタイの良い、貫禄のある東京の不良の元彼氏とヤンキーの子分三名がいて、
近くのファミレスに話し合いの場所を移し、ケツを持ち、長時間の話し合いの結果、一応は、話をつけて、助けた。
最終的には、相手側とも和解し、その内の子分三名は、これを機に、自分を慕ってくれて、その後も仲良くなり、プライベートでも
連絡をしてきたりの仲であった。そして42歳の3月末に、ある人気雑誌を見ていたら、 何と!Mが、話題の美人姉妹ユニットダンサーと言う形で、特集を組まれていて、驚いたし、
何より、俺と良い形で、関わって行く人間達は、出世すると言う、セオリーやジンクスも、益々実感したのだ。
◎自分が42歳の時に、最近父親の体調が悪く、幾つかの病気で入院した。
出身は東京千代田区で、父親の母親(私から見たら祖母)は中学校の教師だった。 父は長身男前で、慶応大学卒業し、日本トップクラス大手企業三井系列に勤め、最終的には、 旧みなとみらいや本牧で、従業員約100人の海運会社の取締役社長であった。30年間今までに会社に休んだことがなく 優秀な真面目エリート街道まっしぐらだった!性格はプライドが高く、寡黙で、家族には一切弱音を吐いたことは一回もないが、 人間誰しも弱い部分があるのだから、無理しなくてもいいのにと思っていた。でも病気では、腎臓、糖尿、 重病の肺炎で菌に犯されており、息苦しく、呼吸困難状態が続いており「息苦しい」と初めて息子に、弱い所を見せた程重病である。 医者が何と!「もう、退院して自力で呼吸が出来る様になるのが、難しいと思います。 命もいつ落とすか、ハッキリわかりません・・・」 と言う事は、病院で、死ぬまで器具を付けてないと、ならないのか聞いたら、 「その可能性が高い、わずかながら、数年後に退院復活出来る可能性も少しある」 と言われショックだった・・・・・肺が菌に犯され原因不明だと言う! 実は、今はママも、体に腫瘍が見付かり、検査しなくては陽性か悪性かで、悪性なら命に関わり、 手術しなくては行けない所まで来ちゃってて、ママは検査や手術を嫌がってて、 陽性なら大丈夫なのに、悪性出たら手術嫌がってるので、 今度俺が無理矢理にでも病院連れて行くが、お父ちゃんは自分の病状の事は そっちのけで、お見舞い行く度に、ママの事だけ心配してて 「早く病院に連れて行ってくれ」とそればかり! こんな素晴らしくて、外見も中身も格好良い、父の息子で誇りに思う、夫婦で色々あったと思うけど 4、50年一緒に寄り添って連れ添って、最後もやっぱり夫婦だったんだよな! お父ちゃん、心配ないから!ママを、さらってでも病院連れて行くから! でも、父はもうこのまま寝たきりの生活になるそうだ!(泣) 家族を養うために、一生懸命働き、会社を一回も休まなかった皆勤賞の、 その分、体に負担がかかったのと、俺が散々迷惑や心配をかけたせいが、 理由の一つに大いにあるが、俺が思うに、横浜大洋時代から、ベイスターズにしか 興味がなく、生活の一部になっている父親は、ベイスターズが大大大ファンである! ベイスターズに物申す! 因みに俺も昔からファンだが、お前ら弱過ぎて話にならねんだよ!この野郎! 一体いつまで単独ダントツ最下位続ければ気が済むんだ?弱小球団! マシンガン打線の時代にいつになったら返り咲くんだよ!この横浜の恥さらし共がよ! 昔から横浜高校は歴代で日本一高校野球が強いのに、何でこんなに差があるんだよ! お前らベイスターズは、これから毎年神奈川高校大会に出場して神奈川高校生達とやり直せよ! 横浜高校からも現役の、いい選手数人いるが、全然育たねーじゃねーか! 横浜出身の松阪や涌井などは活躍してるのによ! いつもいつも負けでばっかりで、内の父ちゃん毎晩テレビに向かってや、スタジアムで 「馬鹿野郎!」て叫んで、ストレス溜まって弱ってんだよ!テメーらのせいで、寿命縮んでんだから、 責任取れや!責任取るとは、どう言う事か、それは、お父ちゃん死ぬまでに お前らが優勝しなかったら、許さなねーと言う事だ!この2、3年が勝負だ! 中畑!お前も巨人が日本一X9制覇した最強の時代の、次に巨人が強かった時代の人間だろ? チームに明るくふるまって、雰囲気作りしてムードメーカーはとても素晴らしいが、 シーズン前に、テメーだけ一人でメデイアにタレント並に目立っちゃって、 オープン戦だけ12球団3位の好成績で期待大だったのに、何なんだよ! 選手達のこの無様な体たらくはよ!ベイスターズ諸君! 俺にこんだけ馬鹿にされて煽られて、悔しいだろ? その悔しさを、俺を恨むのではなく、勝負の原動力に変えて、他球団に勝ってくれよ! 俺や、横浜ベイファンを、もう一度見返してくれよ! お父さんの、長年の夢だった、マシンガン打線時代優勝の後のもう一回だけ、 優勝で、人生花道飾らせて添えさせて下さい!お願いします! 自分だって、子供の頃から大ファンだった、ベイスターズの事、こんな事言いたくありません!だけどファン達の期待裏切り過ぎ。 自分も、鎌倉で、球界歴代bP伝説のエースピッチャー長身男前遠藤一彦氏との出会いや、 元大洋で、スカウトだった自宅が近所の銭湯仲間だった松岡功輔氏との出会いや、 運転代行でのお客様で長身イケメン一軍選手内藤雄太氏との出会いなどあるし、 正直こんな数々の失言は、失礼だとは思ってますが、父や実弟や自分が大ファンだからこそ、 喝を入れて、頑張ってもらいたいのですよ!ファンからの野次も宿命でしょ?(笑) 世間が見たら、たかが野球ごときに、熱くなって馬鹿みたいと思うと思うだろうけど 横浜ベイスターズに人生かけてる、俺の父もいるって事を、ベイスターズの選手達にわかって もらいたい!俺のやんちゃの族時代の後輩であり、会時代の舎弟だった、 鑑別所5回、少年院2回、刑務所3回の、地元は上大岡(中学は笹下)元浜連伊勢佐木町ロードランナー総長で、 山根会行動隊長兼魂龍会行動隊長だった横浜s46トップクラスアウトロー小笠原順一氏 (通称おがちゃん)が、ベイスターズ私設応援団山崎一家会長を以前やってたが、 ベイの選手数人は飯を食いに行ったりしたことがあるから、知ってる選手もいると思うしけど、更生した彼も泣いてるよ! 父、死ぬまでに、優勝出来なかったら、もう横浜で呑気に野球なんてさせねーぞ! 一人一人の自宅調べて、一件一件回って玄関の前に、俺のう○こ置いて回るからな(大爆笑) ◎42歳の秋、FM横浜ラジオを聞いていたら、番組レポーターが、湘南逗子のお菓子屋からの
中継で、何と!社長が、自分の暴走族時代に揉めた、自分と同じ年の、湘南歴代トップクラス暴走族総長で、 元日本トップクラス任侠組織系平塚二次団体組幹部だった、有名な御所野一也氏でした! 自分が20歳越えた年の頃、数人で湘南連合の集会に車で出た時の事! 数十台で、湘南方面を走行中に、自分達は後ろの方を走っていた! 集団が急に止まり、しばらく動かなく、何やら先頭の方で、集団同士喧嘩、乱闘が起きていた! 自分が行くと、浜連数人いて、西口剣連中がいて、自分の仲良しだった好きな後輩の、S48総長K氏と、 仲良しだった好きな後輩のS48の日本トップクラス任侠組織名門トップクラス二次団体組長実子だったK氏の二人が 自分に挨拶してきて、自分の一歳下の弟分的存在だった、浜連西口剣のリーダーで 私が以前所属してたその組織に、自分が辞めた後に紹介して入れた、 日本トップクラス任侠組織名門トップクラス二次団体組員であった、性格も最高の好きなK氏が暴れていた! 彼は、その当時は組員ではなく暴走族だった。 そのK氏と一緒にいたのも、自分の一歳下の弟分で、 西口剣で、元横浜任侠組織系組員だった、性格も最高の大好きなF氏であった。 湘南連合茅ヶ崎連中側には、後に仲良しの後輩となる、横浜歴代トップクラスアウトローで S46年代瀬谷地獄族総長で横浜任侠組織組員だった自分の大好きな、性格も最高の男前の有名なS氏もいた。 自分が到着した時には、喧嘩乱闘は終わっていたが、剣のK氏は、まだ納得しておらず、暴れていて 茅ヶ崎側に対して、浜連側が押していた。 自分は、茅ヶ崎のK氏は、この浜連のパーティーでの面識があったし、剣のK氏は弟分だったので、 しかも湘南連合も、茅ヶ崎連合も、浜連も同じ全日本レーシング連盟だったので、お互いの間に入り 「お互いに同じ名前なんだから仲良くしなよ」と仲裁した。 すると横から、パンチパーマに髭の、現役極道が入って来て、喧嘩腰ではなく、 フレンドリー風に「何かあったら言って来て。俺は○○組にいるから」と言って来たので 自分は彼の存在を知っていたので「俺はあんたの事知ってるよ」と言って、喧嘩が終結となった。 その彼が、自分と同じ年の、湘南歴代トップクラス暴走族総長で 元日本トップクラス任侠組織系平塚二次団体組幹部だった、東逗子エルザ総長御所野一也氏でした! この彼の事は、以前ブログコメントにて『逗子の御所野さんを知ってますか?』とコメントも来ているし、 以前、内の運転代行の従業員にて、自分の6歳上の元東逗子エルザのM氏と言う、 御所野氏の先輩が働いていて、彼からも御所野氏がお菓子屋をやっていると聞いていた矢先、 本日ラジオで、元不良と言う雰囲気も肩書きも一切出さずに、爽やかな対応で、 出演していてビックリして、彼も更正して頑張って店をやって、良い仕事してるんだと思った。 ◎自分が42歳の時に、母は、金沢区の横浜市大福浦病院にかかっていましたが、現在、父が入院している鎌倉の病院なら、
家族でお見舞いも出来るので、一石二鳥なので、市大病院から紹介状を書いてもらい、 そこに昨日、検査の為に強制連行しました! 二名のお医者様から説明がありました! 一人目の医師が、市大病院の時に検査した写真を持ってきて 「今日これから検査もしますが、2月の時点で、この腫瘍がこんなに大きく肥大してるなら、 すぐにでも手術しなくてはなりません!よく今まで放っておいて平気でしたね!」 母は血液B型(Bは我がままで頑固な性格。因みに父はO。Oはマイペースで我が強い。 OとBの両親から産まれたOの俺は、最強のマイペースの我がままで、我が強い頑固者(笑)) で、しかも医者の娘で、自分を産んだ女性なので(笑) 「私は医者の娘だし、自分の体は自分が一番わかってるから大丈夫です! 手術は拒否します!」←そーゆー問題じゃねーだろ!(笑) 自分は、母を怒って、医者の言う通りにする様に、たしなめた! 検査が終わり、二人目の医師 「腫瘍が7cmにまで肥大してます!この腫瘍は、5cm以上肥大すると、いつ破裂しても おかしくありません!破裂したら、殆ど死にます!」 自分は母に、鼻での全身麻酔の手術が経験あるので、 「僕も全身麻酔の手術経験あるけど、酸素マスク当てられて「『1・2.3』と数えてくださ〜い」と 言われてる内に眠りについて、目が覚めて、気が付いたらいつの間にか終わってるから 全然痛い事も、問題もないから大丈夫だから!」と説明したが、 母は医師に「体に何の自覚症状もないのに、いきなり死ぬだの、手術など言われても、 困りますよね?」 自分「市大から散々再検査する様に言われてたじゃん!」 医師は「う〜ん・・・・・・・・・・・・」 母は「いいよ!だったら死ぬよ!」と開き直ってた。 最近、母が「私は、お父さん死んでも悲しまないけど、健ちゃん死んだら気狂うよ」 と言っていて、「ママとお父さん、どっちが死んだら悲しい?」と聞いて来たので、 自分は「両方共に悲しむに決まってるじゃな〜い。けど、どっちかって言ったらママの方かな」と答えた。 違う場面の会話の時だが、母は「でも父さんは、私に色々やってくれたからね〜」と感謝の気持ちを持っている。 自分は、両親からは愛情を深く持たれて、育てられたのにも関わらず、ガキの頃から、 やんちゃし過ぎて、両親には散々心配は迷惑を掛けてしまった。 それだけに、両親に対しての愛情や、感謝の気持ちの思いが強い。 この両親が、いなければ、自分も存在しなかった訳だし、今の自分があるのはこの両親のお陰。 だから、72歳の父と68歳の母だが、まだ寿命で死ぬには早い二人に、死なれたら困るので、 自分は母に「ふざけるな!この野郎!テメー手術しなかったら許さなねーからな!」と怒鳴ると 医師が「ちょっとすません!大きい声を出さないで下さい」 自分は謝り、母を説得した。 しかし、この後に医師が究極の選択を迫ったのだ! 「ただし、この手術は大きなリスクを伴います!心臓を止めて行う手術です!大手術にもなりますし、 10%、10人に1人が死にます!」と言い出したのだ! と言うことは、自分が「でも先生!このまま手術しないで放っておけば、今日でも明日でも、破裂して死ぬ可能性もあるんですよね?」 医師は「そうですね!でも、ご家族の希望も大切ですが、最終的には本人の意志ですので、 お母さんは、どうお考えですか?」 母は「この病気は、何か自覚末期は無いんですか?」 自分は「実は、この病院に、父親も肺炎重症で入院しているのですが、その父は、 自分がいつ死ぬのかわからない状態で、苦しんでる中で、いつもいつも自分自身の事よりも、 この母の事だけ気に掛けていて、 『お母さんの事を、手遅れにならない様に、早く病院に連れて行って検査や手術してくれ』 と遺言の様に言われてますので、父からも怒られますから!] この一事で、母は、父からの夫婦の愛情を感じ取り、事の重大さも察して、手術の決行を決めた! 自分は「10%の可能性なんて低いし大丈夫だからね」 母は「わかってるよ!どんな手術でもそうだよ!」と腹をくくってくれた! 明日、手術日の日取り決めと、医師団からの本人や家族に対しての、手術の説明が一時間もあると言う。 ※神様!そして、父方の山根一族ご先祖様方々!母方の後藤一族ご先祖様方々!この両名を、お助け下さい! この父と母を、救って頂だきまして、まだ生かして頂く事を、お願い申し上げます! 生還祈願 神武天皇即位紀元(皇紀)2672年 9月28日 山根、後藤一族 長男山根健一 ◎自分が42歳の時に、某ソープに行ったら、自分のブログを昔から毎日見てくれてるファンだ、と言う嬢に会って
来ました!最初、写真指名で、身長はタイプの子がいなかったのですが、取り敢えず、やるだけなら、 タイプの子が二名いたので、店員にどっちが人気があるのか尋ねると、 今回の女性を示したので、指名すると、歌手の中島美嘉と女優の吉瀬美智子を足して2で割った様な、 美人でした!28歳の、東北地方から出てきて、昼間は歯科助手など経て、普段は託児所でも働いてる 真面目な、性格も最高の美女R氏でした!そして何と!自分のブログを昔から毎日見てくれてるファンだと 言って来て、 まさかここで会えたのが信じられないと、騒いで喜んでくれて、 昔は滅茶苦茶格好良かったと連発してくれてたが、←昔だけで、今は格好良くないのかい!(笑) しかし自分もとても、嬉しかった! 毎日ブログを見てくれているだけに、かなりの山根通、山根マニアの山根フリークであり、 自分の名前、経歴、過去の出演テレビ、女性関係、女性のタイプ、 毎日のブログ記事内容など、とにかく詳しく、自分が忘れてしまってるブログ記事まで知っていてくれて、 凄く面白いブログだと絶賛してくれた!「私は身長が165cm以上ないのに、何で私を指名してくれたの か」など、話は盛り上がった、チョメチョメの方も、サービス抜群で、超気持ちよく、 体の愛称もバッチリでした! これで身長が達してたら、R氏は本命にしたかったな〜! でもR氏さえ良かったら、二号の彼女として付き合いたいです! 取り敢えず、メルアド番号交換して、プライベートでも遊ぶ約束しました! 自分は、ブログを毎日見てくれてるのは、本当に嬉しく、例の前出の、某日本トップ女性アイドル 人気グループの、人気で美人の某氏の、美人の母親が、昔からの自分の友人であるが、 この前久し振りに、彼女と電話で話した時に、自分のブログを毎日見てくれていると知らせてくれて、 マジで嬉しかった! ※Rへ、今日はお疲れ様でした!とても気持ち良かったし、とても楽しかったよ! また機会あったら指名で行くし、今度ご飯食べようね! この仕事はそろそろ上がり辞めると言ってたけど、色々と頑張って! 今日の俺達の出会いは何かの縁なので、これからもよろしくね! 人間の人生や運命に偶然はない。全て縁による必然である。 ◎42歳の時、自分の四歳下の元、武闘派暴走族埼玉県北連合武州寄居 奇襲S48年代副会長だった、
自分の弟分のH氏は、身長約185cmの長身で、男前の 現在は、自分で肉体労働を自営業でやってる社長だが、 彼の私に対して持ってくれてる忠誠心と器量が、半端でなく素晴らしい! 自分が以前から副業でやってる金融投資ビジネスは、 金融屋と言うのは、正式にやるには、営業許可を取らなくてはならないし、 金利も法定金利の安くしか取れないので、まともにはやってられないので、 かといって、今時闇金なんて、すぐに弁護士や警察駆け込まれておしまいなので、 自分の場合も金銭貸し借り債権融資と言う形で、借用書など取っても、 バックレられたり、弁護士や警察駆け込まれたら終わりなので意味ないのです。 しかも法律で金銭返済は、一円でも一回でも返しておけば、 返すつもりだったと誤魔化せて、詐欺には成立しない訳です。 ですので貸す側は、もうそのやり方は古いので、良い方法を考えました! 貸す相手に何月何日の数日後に、何の収入があるのか、 入金状況を聞いて、相手から『その日に○○で収入入金があるから、 幾らか色を付けるから、投資してほしい』と話を持ち掛けられて、頼まれたと言う設定にする訳です。 そうすると、もしその相手が、約束の当日に満額を支払わなければ詐欺が成立するのです! それに気が付いたのが、ここ1年くらいの最近なので、これからはそう言うやり方の 投資ビジネスと言う形でやってい行くのですが、その前からは、まともに融資と言う形で、今は100万以上が二口と、 その他は、小口で計200万位で、過去からのを合わせると共同出資も含めて、合計1000万以上出していますが、 中には焦げ付いたり、バックレたりもいたが、今は、顧客には無理のない形で、月々返済させている人間もいる.。 自分の今一番大好きで好感持てる弟分のH氏は、2、3年前から二口で10万を 貸し付けて、10日ごとで金利をジャンプしてもらうか、元金も全額だが、 一日遅れると金利プラス一口5000円のペナルティーで二口で1万だが、 彼はここ一年は何と!10日ずつ、ぺナルティーで10万持ってきたり、5万持って来たりを、約一年も繰り返ている状態であり、 10万借りて、金利だけでも合計200万近く払ってるにもなってるのにも関わらず、そして何より、絶対バックレないし裏切らないし、 いつもニコニコ笑顔で、わざとの様に、元金は返さずに、ジャンププラス遅れて延滞金ぺナルティーだけを繰り返しながら、 毎日汗水垂らしながら、真っ当に仕事で稼いで、返済も頑張ってる長身男前の漢である! 元々暴走族だった彼は、不良の世界は、カンパや上納金がお約束の世界だが、 やはり彼も、その世界で修羅場をくぐり揉まれて生きて来たビットした 喧嘩も強い、根性アウトローだから、 自分に対しての、兄貴分に対しての上納金のつもりで納めてくれてるのだろう。 だから最近は彼の誠意を組んで、二口で一日で1万ぺナルティ−を、一日5000円の ぺナルティー下げてあげました!そして何より、彼の身に何かあったら、 どんなことでも俺は、何でも体を張って、全力でケツを持ち、助けるつもりである! 一生永遠の弟分である!H氏万歳!! ◎自分が42歳の時、緊急告知!訃報!何と!悪夢の、父が息を引き取りました!享年73歳
10月4日夜8時30頃、弟から電話が入った。弟と俺は、普段から急用以外は、メールでやりとりを
してるので嫌な予感がした。案の上、半泣き状態で「お父ちゃんが、夕方まで凄く元気だったんだけど、 また急に、呼吸が苦しくなってきて、容態が悪くなってきて、ICUに運ばれてる」と言う。
自分は「マジかよ!?凄く良くなってじゃんよ!」弟「うんそう夕方までは」
いつも、元気な弟が、細々とした声で「先生が、家族に来てもらうように言ってるけど、平気?仕事大丈夫?と気遣ってくれたが
自分「うんそれはいいけど、マジで!?でも主治医のM先生が、もう凄く良くなってて」
弟「うんそう夕方までは、そうだったんだよ!」
自分「違う違う!ちょと良く聞けよ!ただ、『また一回こう低迷して下がる事もありますけど、また上がる』と言ってたんだよ!」
車椅子や退院も夢じゃないと言ってた程だったのだから!
自分「だから、確かに、先生がまた一回低迷するからとは言ってたからな!」
俺は9時からドッキリテレビ特集を楽しみにしてたが、それ所じゃなくなった!
自分「よし!バイクで飛ばして行くから40分くらいで!」とまず、平戸から国道一号線で
上永谷方面に抜けて、真っ直ぐ行き、鎌倉街道に出て、全て信号無視!
時速も急加速!途中大船の手前の栄区で、スピード出して直進してる自分のバイクに対して、
お構いなしで、左のラブホテルから、不良高級車が横切ろうと飛び出して来て、
バイクのホーンを思い切りズーと鳴らして、こっちが急ブレーキでぶつからなかったが、危なかったので、
Uターンして普通に行こうとしてる不良高級車を、追いかけて、ホーン鳴らしっぱなしで横付けして
窓開けるように合図すると、坊主メガネのイカツいヤクザみたいのと、ヤンキー女だった。
自分は「ぶつかりそうになったよ!」と叫ぶと、相手極道風は「あっ?」ととぼけたので、
自分はもう一度「ぶつかりそうになったよ!」と叫ぶと、相手極道風は「そうなの?」と
謝らなかったが、引け腰だったので、自分も急いでいたので、それ所じゃなく、
最後は顔面睨みつけて病院に、向かった!
ICUでは、痩せコケて顔色も悪く、意識がなく、多数の器具に繋がれていた。
一回あんなに回復したのに、油断禁物油断大敵だったし、病気は恐い。
普段の主治医はいなく、当直体制の医師団しかいなかった。
医師は「前回のここに入って来た時の状態とは、大分違い非常に悪い状態で、
血圧が、90まで行かなくてはならない所、50、60台になっています。
この呼吸状態ですと、正直本日が山場ですね」と、申し訳なさそうに先生は言う。
俺は「必ず死ぬんですか?大丈夫になる可能性はないんですか?」
代わる代わる順番で説明に来る、どの医師も深刻な顔をしててもう無理だと言う。
俺は『嘘だろ!』テレビドラマや映画や漫画などで、身内がよく死ぬし、
こういう場面もよくあるが、自分が置かれてる立場がイマイチ把握出来ない程動揺していた。
俺はまだあきらめずに、自分と弟で、体をさすり、
弟は「お父ちゃん!聞きたい事があるんだけどな」「今日ベイスターズ勝ったよ」
俺は「こんな所で何やってるんだよ!こんな強い、俺達のお父さんがまだ死ぬ訳ないじゃん!
ママだって死ぬ訳ないって言ってたよ!これ茶番劇だろ?早く起きなよ!スタジアム行くよ!」
弟は「お父ちゃん!聞きたい事があるんだけどな」と何回も問いかけてる。
俺は「俺はブログでお父さんの、生還祈願してるし、ベイスターズにも葉っぱかけてケツたたいてんだよ!」「早く起きろよ!何やってんだよ!」
途中点滴を足したら、血圧が90台になったので
自分は「あ!先生血圧が90に上がりました!」点滴をやったから一時期的になっただけだったという。
医師が、もし脈や心臓が止まったら、心臓マッサージを家族の許可で、やるかどうか決まると言うので、
自分「可能性がある限り、最善を尽くしてもらえませんか?」と希望した。
段々と、呼吸も弱く、脈も弱く、落ちて行き、うんともすんとも言わなくなったので、
医師達や看護師達が、あわただしく動き出し、心臓マッサージをやった。
何と!一回だけ回復したのだ!しかしもう一度なったら終わりだという。
弟の表情が下を向き泣いている「お父ちゃんありがとね」と
先程の問いかけから、お別れの言葉になっている。
俺は心の中で『この状況何かの冗談だろ!?』と思って、ジーンと涙が出てきた。
俺も「今まで本当に有難うね!苦労かけてごめんね!」「でもお父さん見たいに、
真っ当に生きた人間は天国に行き、また生まれ変わるから、大丈夫だよ。
一回天国で休むだけだから、そしてまた来世ではこの家族で一緒だからさ!」
父はあまり動かなくなって行った!医師が首元の脈を抑えながら、確認してる。
俺が体を揺らし「起きろ!この野郎!」と大きな声を出すと、弟と医師に大きな声を出す事を止められた。
医師が脈を計る。「申し訳ありませんが」と、11時頃臨終を告げられた。
自分は呆気に取られて唖然と呆然としていた。
人はいつかみんな死ぬし、あんなに見た目若く元気だったので、少し早い気もするが、寿命だったと思う。
死に顔が、良い顔してた。
弟に俺は「ここで泣くのはやめよう。お互い枕で泣こう」と言った。
今回の病気の原因や死因などは、不明なので、死体解剖して詳しく検査するとの事で、
どっちにするか家族の希望を求められ、解剖を希望した。
元々鎌倉のお寺に祖父と祖母のお墓の菩提樹に入る檀家の手続きと、
葬儀屋の手続きも終えて、明けて夜中の1時になっていたが、また昼に遺体を解剖後、葬儀屋に
移動の為に、来る事となり、
帰りに俺が250ccバイクフュージョンで来たので、弟の川崎北部までの自宅まで送ると言うと、
俺がちょっと場を離れてる隙に、わざわざ川崎北部まで俺に送らせるのを遠慮して、気を使い、
藤沢のレンタカー屋に電話してたので
俺は「何やってんだよ!いいから!俺が送るから乗れよ!無駄に金使うの嫌いだったお父さんに怒られるぞ!」と
ケツに乗せ、長い道中だが、走らせた。
その間、今回のお見舞いで、父の体調が良くなった日の会話したセリフを思い出した!
主治医が車椅子や退院などの話を出してくれた時も、医師にも父は「私は、家内の事が心配なんです」と
最後まで言っていた漢であるが、俺は、その日、父が体調が良くなった嬉しさと安心感と、無性に
腹が減っていたので、鎌倉の例の前出の卵焼き『おざわ』に行きたくて、病院に来て10分程で
「また来るから」と早く帰ろうとすると、
父が「健ちゃん、まだいなきゃ駄目だよ〜帰ったらだめだよ〜」と引き止められたので、
俺は「用事があるから、また来るよ。近いうち康ちゃんも来るから」と言っても
暇さや淋しさも勿論あるのだろうが、何故かこの日だけは、何か違う感じで、妙に引き止められたので、
わかったわかったよ」とベットの前の椅子に座っていた。
そして、ちょっと散歩がてら、廊下に出て戻って来たら、
父が大きな声で「どこ行ってたんだよ!いなきゃ駄目って言ってるだろ!馬鹿垂れが!」と
怒鳴って来たので、俺は逆に、怒鳴る程元気が出て嬉しかった!
俺は「ごめんごめん!ここにいるよ」と子供をあやす様に言った。
父は「一緒にいてくれなきゃ駄目なんだよ。悪いけど少しいてくれな。」と
言い残し、頭から布団を被り始めたので、眠くなったのだと思い、起こすのが悪く、声をかけずに
そのまま帰ったのだ。しかし今思えば、父は何に関しても、とにかく鋭い人間なので、
、あの時点でもう、自分がそろそろ死ぬのをわかっていたのだと、腹をくくってたのだと思う。
だから、もう会えなくなるから、二度と会えなくなるから、引き止めたのだと思うと、
病院では、涙目にはなったが泣かなかったが、走行中に保土ヶ谷バイパス辺りで
急に泣き始め「ワーン(本当に泣く)お父さん死んじゃったよー!色々看病ありがとうな!
チクショー!悔しいよ!」と大声で泣きまくった!
バイパスの走行中の車に、自分の叫びや泣き声はかき消されてたが、
かなり大泣きしました!
弟はやはり子供を、あやすように「大丈夫だよ!天国から見守ってくれてるから!」と
励ましてくれた!弟もきっと、ツラれて大泣きしたかったと思う。
父の遺産が、生命保険、株、貯金など、鎌倉の自宅の不動産以外だけでも合わせると、
億単位になるが、俺はお蔭様で金に困ってないし、不思議と遺産相続でのこの金には
一切興味が沸かない。それ程自分にとったら、金より両親の方が大切でした!
人はみんな本当の両親は、父も母も、たった一人ずつだからね。
※お父さんへ、長身で男前で、頭脳明晰、性格も男義も最高だったパパ!
人はいつかみんな死ぬし、寿命だったのだと思う。
おばあちゃんやおじいちゃんの所に行けて良かったね!
俺達家族のの為に、約30年間も俺が知る限り一回も休まないで勤務して育ててくれて、
最終的には取締役で定年退職ご苦労様!
俺が刑務所に行って、舎弟達が新潟刑務所出所時には、
迎いに行くと言ってくれてたが、ありがたかったが、遠くからわざわざ悪いし、
更正してたから断ってたんだ。
そして、ママに手紙で、お父さんにも、遠いから来ないでいいからと、
口をすっぱく断ってたのにも関わらず、出所日一人だけ迎えが来てて、
お父さんが、迎えに来てくれましたね!
その様なあなたとの、お世話になったり、思い出を書くのはあり過ぎて
切がありません!心配や迷惑や苦労ばっかりもかけて本当にごめんね!
死ぬ間際まで、自分の命よりママを心配してたこと。
食べ物や部屋などの衛生面では、少しだらしない所はあったけど、
それ以外は完璧な、俺にとって世界一の父親だったよ!
あなたの息子で誇りでした!
これからお父ちゃんの事思い出して、何回泣くのかな?
ベイスターズ優勝したら、この世とあの世で、また一緒に飛び上がろうね!
ママも、その内そっちに行くけど、それまでは俺と康ちゃんに任せておいて!
人間は、真っ当な人生で人間らしく生きた人間は、またいつか生まれ変わり、
現世で仲良かった物同士は、また同じ様な関係で再会するという。
だからまたいつか、来世でも再会し、同じ四人の山根家族で再会して下さいね!
安らかに眠ってね。そして天国から、俺達家族を見守ってて下さい!
いつまでも、俺の胸の中では永遠に生き続けてる父山根ヒデトシ永遠なれ!
◎何と!例の前出の、母親70歳の手術が明日決行!
血圧が高く、心臓近くの血管が切れて、7cmの腫れ物が出来てしまっていて、 5cm以上になれば、いつでも破裂して死ぬ病気である。 しかし手術をやれば、10%の死亡の可能性 やれば死亡10% やらなければ確実に死ぬ。 しかも最近、同じ病気の手術を73歳男性が受けたのだが、何と! 一生の植物人間にしなってしまったのだ!その悲惨な姿も直接見学したのだ! もう男性の家族も誰も、お見舞い面会も来ないと言う。 一方、手術をやらないで、8年間だけは生き延びた例があるそうで、医師と家族の会議では、 母もこのまま手術はせずに、自然に死を待って「お父さんの所へ行くの!」とあきらめていました! 究極の選択に立たされた俺は!? しかし、祖母は104歳生きたので、母の寿命ではまだ早いのだ! そして何とか、私の激しい強制の説得により、腹をくくって手術を覚悟してくれた! 今年は祖母、父、母もこの様な体たらく。何故こんなに悲惨な運命の年なのか!? 何と!例の前出の、厄年などの星祭りは一番良い星周りなのだが、金星人マイナスの自分は、 何と!今年は、細木数子占いは、12年間の中で最悪の大殺界だったのだ! 以前から大当たりの、細木数子占い六星占術恐るべし! 手術健闘生還祈ります!お父上殿!ママを救ってね!ママがそっちへ行くのはもう少し待ってね! 神よ!母方のご先祖様方!母を救いたまえ!生還祈願!山根、後藤一族 長男 健一 母の病院お見舞いにて、深いい話!
母が完全に意識を取り戻し、喋れる様になり、ICU(集中治療室)から普通病棟移動となり、 嬉しく安心しホッとました! 手術する時に、しばらくの手術後のICUの生活中は、患者の私物荷物は、全て家族が一回引き取ることに なっており、貴重品や衣類などを自分が預かっていました! 病院に荷物全てを持って戻しに行き、確認の為に、ママの財布の中身を見ました! ママは父上が亡くなってから、自分達の息子の前では、一回も涙を見せなかったのですが、 何と!父上の写真が二枚入っていたので、私は思わず号泣してしまいました! やっぱりこの二人は、最後まで本物の夫婦だったんだな! 俺と弟をこの世に生んでくれた、素晴らしく素敵な夫婦だったんだよ!(涙) ※父上殿へ、お父さん!ママを助けてくれて本当に有難う!
僕達家族は、大黒柱だった、父上殿の教育に基き、この現世での残りの人生を、 真っ当に生きて行きます! そして燃え尽きた時は、また天国と来世での再びの再会を楽しみに待ってるから! それまでは、暖かく見守っててね!また今週土曜日49日にて会いましょう! ◎今や、世の中がネット社会になっており、2ちゃんねるや、掲示板サイトと言うのは、書き込み内容によっては、喜ばせる事にもなるが、 人の心を傷つける事もある、凶器にもなる有害物でもある。以前、自分が尊敬している、世界一の彫り師と言われている方と、
2ちゃんの話をした時に、彼がこう言ったのだ「2ちゃんねるに悪口を書かれる様になったらイチワリ(実力者や大物など良い意味)だよ」と名言だと思った。
やはり超大物が言う事は違うなと。後は、数々の、名誉毀損、捏造誹謗中傷に、相手を捕まえようと、警察に告訴した事があったのだが、
ハイテク捜査班などで結局2年捜査したが、結局犯人が見付からず、警察の課長が「山根さんは、そこまで有名だから仕方ない。有名人なんだからいいんじゃないの?」と、 そーゆー問題じゃねーだろ(笑)と思ったが(笑)しかし自分は2ちゃんは普段は、あまり関わってはないのだが、書かれてると、知人から聞かされ、見た時に、 自分の中傷が、ほとんどが、作り話とデタラメと現実逃避しかなかったので、それには、憤慨した。もし実話での真実で悪口を書かれるならば、それは本望だし、 それが書かれる人間の器量なんだから仕方がない。しかし嘘は見た人間が信じてしまう恐ろしさが付きまとう。まーだけど、これも、
彫り師先生が言われてた有名税と割り切り、所詮は誰でも匿名で安全に書ける、掲示板サイトなんて便所の落書きで、次元やレベルの
低い世界なのだから、気にしていたら、切りがない。2ちゃんで俺の事を捏造で中傷してる連中に告ぎます 『文句や嫉妬があるなら、現実社会での器量や実力や喧嘩などで、勝負して下さいね。ネットでコソコソ何を書こうが現実は変わりませんよ』
○自分が今まで生きてきて、色々な出会いや別れがあったが、全ての人間に思い出がある。
良い出会いも悪い出会いも、それも全てが自分の運命であり、何かしらの意味がある。
現在自分は、しっかりと更生し、不良の人間達が嫌いになったわけではなく、
自分が真面目になった気持ちのケジメとして、そういう人間とは縁を切り、
一切関わってはいない。 自分のその後からの交友関係は、自分の付き合っている女性数人と、元々真面目人間や、
仕事関係の同僚や、元不良少数の、今後も付き合って行かなければならない、シガラミのある人間としか、
関わるつもりがないし、実際に関わりがない。今後も一生そのつもりである。
この前もあの、日本一のアイドルグループの、例の前出の、
ももいろクローバーZの高城レニ氏の父親で ある、s43元浜連横浜西口剣のリーダー格で、s43年代の横浜トップクラスアウトローの、 先輩であり、仲良しの浜連仲間のTと連絡 とった時にも「警察から匿ってくれた時の件は、本当に感謝してるし、一生忘れないから」 「またちょくくちょく連絡取ろう」と、 気を使ってくれて、友好的な事を、言ってくれたのだが、自分このT氏はアウトロー的にも 認めているし、彼も更正しているし、人間的にも大好きな人なのだが、上記の理由を話して、交際を遠慮してしまったくらいである! でも自分は、このT氏や、私が仲良しだったT氏の奥様も、いつまでも大好きなので、T氏の電話番号は大事にとっており、 その夫婦の二人は、自分の胸の中での、一生の心の友なのである! 自分には、他にも、この様なT氏との関係のシガラミが、大勢いるのである! 昔のアウトロー仲間や上下関係の先輩後輩!舎弟や若い衆や、兄貴やお叔貴! 他にも今までに知り合って仲良かったアウトロー達!大好きだった皆の事は、 今でも、これからも、全員が、T氏の様な関係のシガラミなのだ! などなど他にもありますが、これらが主で、
上のこれらの項目内容についての、もう少し詳しい内容が、本に書いてあります。 これらの修羅の青春記から抜粋文面、まとめ:製作会社ヨシダファクト ☆イリーガル出版による、ブログでの自分の名前発見 このブログにて自分に対してホメ感想記事が出ていて感激しました。 (以下原文まま抜粋) 2010年10月27日 テーマ:イリーガル 振り込め詐欺犯人 振り込め詐欺犯人は許せない。
泣きまでまでして老人から金を引き出し、その金で着飾ったりしている連中の気が知れない。
とは言っても、連中のほとんどは現在は未公開株や社債、イラクディナールなどの架空投資詐欺に転向している。
キング(笑)と呼ばれた戸田雅樹に代表される、既に逮捕済みの振り込め詐欺犯人はどうしているのだろうか?
実は初期に逮捕された連中は、ちょこちょこ出所してきている。
数日前にも信頼できる筋から情報が寄せられたのだが、アメブロ上で5年前に振り込め詐欺で逮捕されている人間が出所祝いをされている記事を発見したというのだ。
信頼できる筋からの情報とは言え、一応、裏を取るまでは晒す訳にもいくまいと思い、幾日か調査をしてみたがどうやら事実のようだ。
特に歌舞伎町の水商売の人間には割と知れた話のようだ。
犯人であるこの人間は、新宿歌舞伎町で所謂キャッチ、スカウトの仕事に従事していたようである。
その後、同僚数名と共に振り込め詐欺に転向して結局逮捕されたらしい。
逮捕は複数名らしいが、この連中を箱にぶっこんで%をもらっていた上の連中も、当局はちゃんと逮捕してくれたのだろうか?
それでは、出所祝い中のこの元振り込め詐欺犯人の顔を公開しよう。
著作権はこのブログの主であるセキザイル氏にあるので、画像添付はしないが、上記リンクから確かめてみてほしい。
2ちゃんねる等で何かと話題のアウトローと言えば、「瓜田純士」「阿弥陀如来=藤井学」「セキザイル=不明」「山根健一」が代表される。
真贋入り交じった情報がネット上で錯綜している彼等だが、このセキザイル氏に限っては、振り込め詐欺犯人の出所祝いなんかをしている時点でお里が知れると言うものだろう。
被害にあった方達の事を考えれば、決しておめでたい事ではないという事がわからないのだろうか?
祝われている側のこの元犯人については、懲役を務めて一応社会的制裁を受けている為に伏字(というかイニシャルすらだしていない)にしたが、
イリーガルタイムズでは勾留前の犯罪者を発見した場合、実名公開、当局への通報を即時行うつもりである。
世の為にならない犯罪者達は晒される前に自首してほしいと切に願う。
大学生ブログ(臭太郎日記)での自分の名前発見 このブログの1つの記事にて、修羅の青春記ホームページを感銘を受けてくれて、ホメ感想記事が出ていて、大変、感謝感激雨アラレです。 (2011年8月11日=追記)「山根健一のブログ」(敬称略)にて、当ブログを思いもがけず紹介してもらえたことは、なんとも手垢のついた表現で申し訳ないが、
本当に誇らしい事実だと考えている。天皇陛下より国民栄誉賞なる「落花生」を受けたとしても、こうまで歓びをまとうことはなかろう。あれだけの大人物に見初めてもらえたなんて、
ますます自惚れが強くなりそうだ。実は「山根健一」という男児の存在を初めて知って、喜び勇んでその男児に関する短小の記事を書いた3月の時点では、
「まあ、こういう人もいるよな」以上の感慨は浮かばなかった。不敬であるのは承知ながらも、「山根健一」という男児の存在を忘れたようなものであった、
「山根健一のブログ」に紹介してもらえるまでは・・。改めて「修羅の青春記」を苦難しつつも読み返してみると、この人は常人の何十倍もの修羅場をくぐり抜け、
そして常人の何十倍もの割合で人生を謳歌してきた、こういった人類の鑑であろうような素晴らしい人物に出会うたびに、自分とはいったい何なんだろうか、
と自身の歩んできた人生の卑小さを思い知らされる。改めてそのような神をも凌駕する魔力を保有する伝説的なアウトローによって、想いもがけず
当ブログを紹介してもらえた喜びを噛み締めたものだ。「2ちゃんねる@アウトロー板」にて、たびたび単独のトピック(スレッド)が建設され、
それらのほぼ全てが短期間で1000もの書き込みで埋め尽くされる。自分の場合であったら、2ちゃんねるで自分に関するスレッドが建てられることさえ考えられない。
それから自分のことだけで、これだけのボリュームを誇る自伝本を自費出版することが出来るのが、「山根健一」が賢的人生を謳歌しているという何よりの証拠だ。
運転代行およびヘルス店経営も、まるで男の夢を体現したかのようだ。自分が自分の半生を総括する内容の自伝本を出版するとするならば、
多くて原稿用紙5〜10枚っぽちで終わってしまうだろう。それほどに浅薄な生涯なのだ。僕をそれほどの感慨に導くのは、きまってオジサンたちである。
僕をこれまで打ちのめしてきたのは、決まってオジサンたちであった。一人ひとり具体例を列挙していくとキリがないので割礼しておく。
いや、自分以外のすべての人間は自分を焦燥に追いやるものだ。はっきり言って"俺"は全ての人種に対して
激しい嫉妬を燃やしている。しかし嫉妬を灼いたところで、自分は山根氏の"横浜"には近づくことが出来ない。警察からの取調べ映像(隠し撮りフィルム)を見たときも、
その声の思わぬ爽やかさに憧れてしまった。元「林姦強姦」総長の「山根健一」の荘厳さは、その常軌を逸した経歴を一瞥すれば、凡百の小学生にだって理解できることだ。
アメーバブログ(アメブロ)のランキングで、上位から7000位という高順位を保持し続けている「山根健一のブログ」の更新も連日楽しみにしている。
最新記事のみでは飽き足らず、過去の記事にまで遡って読み始めている。僕はこの人に到底追いつくことなどは出来ないが、せめてこの人が歩き続ける
その道筋のみは共にしたいし、たとえ一瞬だけでもいいから歩み寄りたい。殊に「みなとみらい花火大会|山根健一のブログ」「鎌倉長谷浮|山根健一のブログ」
「悪天候の為に海、延期」「角松コンサート|山根健一のブログ」「テレビドラマのホスト「夜王」に、毎日、はまってます。」「杏里角松敏生プロデュースアルバムより|山根健一のブログ」
「自分が付き合っている数人の彼女兼妹分のアキコが、愛和入りしました!|山根健一のブログ」といった記事には、そのあまりの面白さに全身が震えた。
と、まあ自分がこの先の人生でどれだけ努力をしようとも、一生手に入れることが出来ないような経歴を、山根氏は易々と手にしている。すべての面で"俺"は山根氏に劣等している!
この敗北感をどこに放ればいいのだろうか・・。これだけの人外的なる歴史をものにできる人間が全宇宙の内に何人存在するというのか・・・。
http://d.hatena.ne.jp/kusatarou/20110320/
このブログの1つの記事にて、修羅の青春記ホームページを感銘を受けてくれて、ホメ感想記事が出ていて、大変、感謝感激雨アラレです。 本日は、何と!他人ブログの、よたもん様ブログに、自分の記事発見!
2012-02-23 02:10:00
修羅の先駆け 山根健一兄貴ameblo.jp/92378215/entry-11172844299.html テーマ:
十二代目 あいデビルVer.=爪田純士様感謝感激です!
山根ブログの、平成24年6月1日の記事のコメントにて、こんな記事を見掛けましたので、
世代が全然上なので直接は知りませんが、四十代の会社の人から聞いたことあるのですが、当時ティーンズロードとかいう雑誌で、けんいちといえば大人気だったらしいですよ。 イケメンアウトローだったんですね。 ブログで
数々の多方面の各分野の有名人の、似顔絵を描いた『振り逃げブログ』にて自分が!
http://ameblo.jp/moremore-0616/entry-11300395419.html
顔が難しく刺青めんどくさくそして眠たくて適当な仕上げ堪忍え〜 また時間とれたらリベンジしますので今日はご勘弁をば
コメント1. あっぱれ!! とても臭そうな『玉袋』!! これといった特徴の無い『能面』!! それより何より!! 振り逃げ氏の描く作品は、毒の裏に愛嬌ありの逸品ばかり!! 今回の作品・・・、星3つ!! おはようございます 星3つあざーす 山根氏のあの鋭い眼光、さすがに素人のオレには描けなかったですね 数々の修羅場、流し目で女を殺してきたであろう目はペンでは無理です 今度2才の息子に描かせますが(笑) ありがとうございましたー お疲れ様です 山根氏はもう一度リベンジします チソコ描くの忘れてますたー
※振り逃げ似顔絵様へ、傑作です! 自分でも、笑ってしまいました! 長い時間を掛けて、書いて頂いたと思います。 生まれて初めて、書いてもらったと思う、貴重な似顔絵気に行ってますので、 ブログと、HPに記載させて頂きます! 本当に、有難うございました! 今後の、振り逃げ似顔絵氏の、益々のご発展とご活躍を祈り、陰ながら応援してます!
長身168cm、黒ギャルNo.1キャバ嬢の『黒オラGAL極め☆嬢のショコラ社長探しのブログ』に自分記事が! 山根ブログコメントにて、教えてもらい、発見し辿り着きました!
本日はなんと
なんかこの人って全てを自分と関連づけてどこそこの組織の組長は自分の兄弟分の昔もめて今は仲良くなった相手!
だとか記事が超多くてウケルww ギャグ線高い。横浜の人らしいんだけどネット上では超有名らしくてまた超ウケルw
山根健一で2ちゃんとか毎回同じ書き込みコピペあるけどいったい誰がかいてるんだろ
うけすぎてやばい
ウナギ丼食べたくなってくるよねww最近同伴でもウナ丼食べにいってねーなぁ つーか都内より横浜神奈川のあたりはほのぼのしてていいなぁ。都内っつってもしょせん田舎者の集まりだかんなぁ
※ショコラ社長様へ、わざわざ、ブログ記事に山根記事を、アップして頂き、誠に有難うございます!
最初の、部分の「組長が、どうたらこうたら」の文章は、ホメテルのか貶してるのかわかりませんが、
「どこそこの組織の組長は自分の兄弟分の昔もめて今は仲良くなった相手!」と言う文章などを、
書いた覚えはないですよ(笑)組織や組長は、自分が昔、直接揉めた相手ばかりですから(笑)
しかし、全体的に見ると、有難い嬉しい文章ですので、アップさせて頂きました!
昨日は 山根健一さんからペタついたよね(笑)
しかしこの人超ポジティブ思考で面白いかも
修羅の青春記ってゆう本読んでみたいんだけど(笑)発売されてないから買えねー ブログ記事の説明が独特で、自分の後輩の長身で某暴走族OBの男前の何ちゃらが、なんとかかんとかで、ってまわりくどいけどwかなり面白いε=(>ε<*)
http://ameblo.jp/chocolalove-love/day-20120723.html 今後益々の、ショコラ社長氏の、ご活躍やご発展祈り、影ながら応援します!
何と!いつも最高のコメントをくださるhiro氏のブログ記事に特集して頂きました!(嬉)
横浜を中心として活躍している兄貴が、今… 2ちゃん( 僕は、和田さんから行きましたが(^_^;) )で、叩かれている模様です…
そんな兄貴に… 叩かれる事は、有名な印… 2ちゃんなど関係ない! 兄貴は兄貴の生きたい様に行けば良い!! バンブー様を始めとして、皆様が応援している! 下らない訴訟は抜きにして、 『 山根健一 』ブランドを謳歌して下さい! 大丈夫です!! 追記になりますが… 山根健一のアングラーな世渡りは、『 東京・アングラー 』で検索しました… で… 健ちゃん〜 我々は、ビクともしない!! ※ 叩かれるのは、山根健一が有名過ぎるからです♪ 取り敢えず、2ちゃん( 僕も拝見しました )は、『 ああ言えば… こう言う… 』です。 『 。 』に修めてしまおう!! 山根健一は、国家権力に負けない事を、証明しよう!!! 最近の画像つき記事 [ 画像一覧へ]
※hiro様へ、我が弟分のhiro氏最高!素敵で素晴らしい特集記事有難うね!
嬉しかったです!
兄貴と慕ってくれるなら、
我がネット弟分のよた氏同様、これからは良かったら、我が弟分として、山根フリークネット仲間として
よろしくお願いしますね!
何と!某ネット掲示板で、高校時代のクラスメートが、以前から自分にエールを!感謝です! 俺の周りで彼のことを悪く言う人は居ないよ だって 山根君は弱いものを助けてくれるからね 優しいし 本当にいい奴なんだよなー 何でこんなに叩かれるんたい?昔からモテモテだったから 嫉妬してるのだろうと俺は思う 下田まさし 若気の至りはあっても 禊を済ませて今は健全に会社経営している青年実業家だよ ここの人達は働いていないのかそれとも嘘に踊らされているのかだね 正義感の強い優男だよ 下田まさし 辛くてね 俺は小物だよ だけど山根君は自分で会社を設立して いつもモテモテだろ 何か持ってるんだろうな彼は 何度か俺が旭区に住んでた時に一緒に帰ったよ 下田雅志 君はいつもみんなに羨望の眼差しで見られていたね 港に君が来たときは モデルが転入してきたと噂になってたよ 自伝を出すなんて凡人には出来ないし やっぱり君はカリスマだよ 俺は凄い人と同じ学校だったんだな 下田雅志 叩かれてるね 本当の山根君を知ってたらこんなに言えないさ 何せ俺は同じ高校で友達で 助けてもらった事もある 今は中区に住まいを構えているが 山根君にタイマンを挑もうなんて みんな思わないさ 強いの分かってるから 下田雅志 山根君っ名前を出すとたいていの40代のやつらは一瞬怯むって 凄いじゃないか このサイトの人達はリアルでも注目されないけど 戸部にある極道専門のサウナでは山根君の武勇伝が語られてるらしいよ 凄い友達を持ったよ 下田雅志 ↑ネット掲示板と言うのは、この様に、本人同士しかわからない内容を書いて、 信憑性も説得力も効力も何もなし! 従って、普段アンチが書いてる、匿名名無し捏造中傷は、全て無効であり、 真実など一つもなし! ※下田様へ、下田君、元気ですか? 久し振りです! とは言っても、数ヶ月前に、横浜西口で会ったよね? あの時に、俺はマスクしてたのに「山根ちゃん!」って 下田君は、イカツイ男性と二人でいて、ビックリ! 「よくわかったじゃん!」ってあの時も言ったけど、 よく分かったじゃん!←わざわざ二回言うなって(笑) 相変わらず、若くて男前で元気そうで安心しましたよ! 随分前には、自分の地元六ッ川でガソリンスタンドで 働いてたけど、今は辞めちゃったんだ? 見ないからどうしてるかなと、思ってました。 下田君とは、港時代も学校帰りに一緒に帰ったりして、 写真撮ってもらったり、懐かしくてよく覚えてますよ! 下田君は、イケイケでトッポくて、港の自分とタメの、 T氏と目と目が合ったかなんかで、ロッカーの所で、 いきなり殴りかかって襲ってたもんなぁ(笑) 噂によると、任侠の娘さんと結婚されたそうで、 おめでとうございます! また機会が会ったら、食事でもしましょう! 二人で、港同窓会しましょう! 自分は普段は、2chは見てないけど、 例の、口だけのハッタリホラ吹きアンチ達を、違法書き込みの件で 告訴しているので、それの資料を追加追加で、 出しているので、その度には、内容は確認してるけど、 相変わらず、嫉妬などの理由の、ウソつき捏造中傷や ハッタリしかなくて、 アンチのコイツら、生まれてから、人間自体も、人生もイケテないから、 暇人で、進歩がない能無しマヌケ野郎しかいないのな(笑) ウソなんて書いても事実は変わらないのに、12年間24時間2chに粘着して秒刻みで、 必死になって、下らな過ぎて、匿名名無しのそんな事でしか、自分や俺を主張しか出来ず、 生きていけなく、アリーナ、西口駐車場、神奈川県民の三回の待ち合わせでも、 アンチ全員バックレて証拠ありで、 俺の目の前にも現れれず、会社に電話も出来ねーし、可哀想になっちゃうし、 俺の事を、あーでもねーこーでもねーウソやハッタリ噛ましてる暇あったら、 無様で不甲斐無い、テメーら自身の心配して、テメーら自身を磨けよ!(笑) 無名雑魚しかいないオメーらの中で、俺より総合的に上の人間なんていねーだろ(笑) 下田君、数々のエールや援護有難うございます!これからも応援や援護よろしくね! たまには、このヘタレカス馬鹿達を、からかって相手してあげて(笑) 俺も、今後益々の、下田氏の発展と活躍を祈り、一生応援してますから! では、お元気で!下田氏の他にも、ネット掲示板やブログコメントなどで、 ホメ言葉やエールを送って下さってる ファンやフリークの皆様も、いつも暖かいお言葉、本当に感謝感激しておりますので、 これからも、是非一つ応援よろしくお願いします! 皆様の、今後益々の、ご発展とご活躍を祈り、陰ながら応援してます! 【山根ブログより抜粋】
某掲示板で、以前から自分をリスペクトしてくれて、自分の身元を明かしながらコテハンも付けながら、私の、数々のホメレスを書いて応援してくれてる漢を紹介! >>253 俺はキチガイギャングやし、池沼とは別物じゃごら《怒》 確かに俺は、昔、ギャングやってて、クラックヘッドなクレイジー ギャングスタと言われて薬きめて笑いながら喧嘩相手を刺したり危ない奴とは言われたけどよw今でも目が狂ってると言われるしw おまえは俺みたいなキチガイアウトローと違って、ただのきもぶさい弱そうな秋葉のキモヲタで知的障害者丸出しやんけ?(爆) おまえらと一緒にすんなやボケヲタw てめえみたいなキショヲタ、俺と出食わしたら震え上がり下向いちまうやろうがい?《爆》 俺は山根さんほどでは無いが、ギャングとして、それなりにCRAZYな修羅の道は潜って来てるからよw てか、俺様をこれ以上怒らさん方が身の為やどごら?セ てめえ、リアルでいじめてやっから出てこいやわれセびびってバックギアー引いとんちゃうどごらセ直メしてこいや糞餓鬼セ ちびって出てこれないなら、 gangsta-queen213yoyo@ez ホムペhttp://hp.kutikomi.net/realgangsta/ BBShttp://hostlove.com/cgi-bin/neta/ibo.cgi?mode=tp&digest=1&page=1&a=32&file=20111028230040 >>262 山根派さん、お疲れ様です。 ありがとうございます! いえいえ。数年前は、レイプの一件で誤解がありアンチとして噛みついてしまいましたが(あの時は申し訳無いです)、山根派の方とメールで話したり、 山根さん自身のブログでの書き込みを見た結果、冤罪で事件になってしまったと知り考え方を改めました。 警察は、女の証言一つで、男を性犯罪に仕立て挙げ放題って感じで、本当、汚いですよね(怒) また、山根さんの壮絶な生き方や、修羅場を知り、人生の先輩として色々勉強になりますし、RESPECTしています。 アンチのキモヲタ共は、ねちねちネットで吠えるだけの根暗で、本当、情けないすよねp(´⌒`q) 後、自分は、足立でギャングチームに入る前は、市川で原チャ族やってたり、18なる頃は港北や鶴見の人達とつるみVIP乗り(濱連とかではなく無所属の人達でしたが)だったりしたんで、族も滅茶苦茶好きでしたよ(^_^)v 右翼団体は、ギャングの時にケツ持ちでつけてた様な形で、ただのステッカー会員でした(汗) でも、結社の先輩達の思想に影響受けて、自分もアメリカ好きながら、愛国精神を持ち続けて来ました(^_^)v ホムペの画像は、2PACですね。 さすがに未発表新譜は出なくなり寂しいですが、PACはキューバの離島かなんかでまだ実は生きてるんじゃないかと信じてますよw ギャングとしては敵対カラー寄りながらもっともリスペクト出来るカリスマラッパーです(^_^)v 山根派さんもHIPHOP聴かれるんですか?♪ 最後になりますが、山根さんも山根派さんも色々と大変だと思いますが、本当、体には気をつけて頑張って下さい!応援してますメ(^_^)v アンチ共、早く捕まると良いですね♪ >>344 俺は山根さんや山根派さんとは別人じゃ《怒》妄想ヒキヲタ知恵遅れ野郎w まぁ、書き癖は、確かに山根さんや山根派さんに、ファンとして影響受けたがなw(山根さん、勝手に申し訳無い汗(^_^)v) 404 :OG-DUV-V ◆xxij1oD1QU :2011/11/05(土) 04:51:19.66 O >>325 かつては誤解があり山根さんや山根派さんに上等切りこの板で揉めた事がある俺だが、 その時に山根派さんとメールで話し合ったり、その後、ブログを拝見したりした結果、 誤解も解け、本当は良い人なんだなぁと考え直した。 それだけでなく、不良としても一人間としても漢としても、波乱万丈な壮絶な生き方に感動して、RESPECTの気持ちを持ちファンになっちまったんだよw いや、冗談抜きにマジで。 自分の気持ちに正直で、自己主張や事実を、良い事も悪い事も包み隠さずガンガン語って行く山根節については、俺もそう言う部分があるから共感出来る。 だからこそ、口先だけで山根さんにしつこく粘着してるキモヲタアンチ共を見てると、へどが出るしぶっ殺したくなるんじゃ《怒》 俺も長年アンチキモヲタに粘着されとるから、山根さんの立場、気持ちわかるから余計にな。 452 :OG-DUV-V ◆uaTLInMAP. :2011/11/05(土) 15:33:30.58 O >>443 俺は身長180体重73で普通体型やし妄想かましとんなやヒキヲタカタワ野郎w それにただのメタボやなく、山根さんみたいに筋肉質で小太りなら、不良としても漢としてもいかついし渋味があって男らしいやろうがい?ェ 軟弱ガリガリモヤシヲタク野郎が、ガタイ良い男にびびり妬んどるのが丸わかりでしょぼ過ぎやでおどれらよw 580 :OG-DUV-V ◆uaTLInMAP. :2011/11/06(日) 13:22:24.50 O >>482 警察ってのは、女の証言だけで、簡単に証拠もなく男を痴漢冤罪、強姦冤罪に仕立て挙げるのは朝飯前で実際多いし、一度冤罪で捕まると社会的信用が落ちるから余計に何度も冤罪にはめられる生き地獄に陥るパターンとか普通にあるからよ。 最初の冤罪で山根さんからがじった女が、仲間に噂を広めて何度もはめたんちゃうんけ? 山根さんはイケメンの遊び人で滅茶苦茶もてたみたいやし、嫉妬で女に狙われたとか、喧嘩も強くイケイケに凶悪だったから敵対勢力が女を使いはめて来たりとか色々あったと思うしな。 >>600 足立CRIPSは、立派なギャングチームやし、周りからもギャングと認められとるから竹ノ塚周辺行って調べてこいや糞ヲタ?w 確かに山根さんよりは俺は格下だが、俺はアメリカンスタイルのギャングやし堅苦しい上下関係や礼儀とか嫌いなんじゃ! そやから、失礼承知で山根さんや山根派さんには申し訳無いが、対等に言いたい事を自己主張してトークしとるだけや。 もちろん、山根さんに対するRESPECTの気持ちはあるで! てめえみてえな不良に憧れてるだけのヒキヲタこそ、山根さんが迷惑するから山根派名乗るなやww 724 :OG-DUV-V ◆uaTLInMAP. :2011/11/06(日) 19:46:58.37 O >>720 確かに山根さんは俺より格上やが、アメリカンギャングスタイルの俺は誰に対しても対等に自己主張かますし、堅苦しい上下関係や礼儀は嫌いじゃ言うたやろうがい?《怒》 山根さんだけ持ち上げて、俺だけ蹴落とすなや? 今まで散々、おまえらは山根さんを叩いてた癖に、俺が出てきたからって、急に山根派に寝返り俺だけを的にしとるのがばればれやでw そんなころころすぐに寝返るおまえらみたいなネットヲタクの信用ねえ奴なんか、山根さんは認めへんと思うでほんまに。 747 :OG-DUV-V ◆uaTLInMAP. :2011/11/06(日) 21:52:36.57 O >>742 別にトロ板や、山根さん関連のスレは、一線で活躍しとる名前が売れたアウトロー以外書きこみ禁止なんて決まりあらへんし、モグリや二軍やギャングや原チャリ族が意見しようと勝手やろうがい?w 俺はさっきも書いた通り、堅苦しい上下関係や礼儀は糞喰らえやしおまえらの指図は受けへんわいボケヲタw それ言うなら、名無しでこそこそ悪口書くしか出来へん、アウトローヲタクキモヲタパシリドパンピーの無名なおまえこそ書きこみする資格ないやろうがい?《爆》 大体、2チャンなんてもんは、一線の不良が書きこみしてる方が少ないし、おまえらみたいな二軍三軍の中のキモヲタパシリのネクザ、ネットヤンキー、ネットギャングか、 俺みたいな二軍三軍のモグリでどこにでもいる様な普通の元ヤンか、全く不良に無関係なキモヲタが興味本位で不良を研究したり不良を珍走団だ叩いてるかw そんな奴達が殆どやろうがい糞ヲタ?w 本物は山根派さんとか極一部やでほんまに。 本物以外書きこみ禁止したら、トロ板が過疎り過ぎて終わるでバカヲタ?wwwww >>764 山根派様→こちらこそお疲れ様でしたm(_ _)m こちらのスレで粘着してるアンチキモヲタ共は、自分のスレに粘着してるアンチOGのキモヲタ共と同じで、本当、口先だけ一人前で、 いざ、喧嘩の待ち合わせを要求すると、小学生レベルの罵声でごまかし逃げ回るへたればかりで話しにならないですよねp(´⌒`q) ネラーがいかに、根暗でヲタ気質で内弁慶な小心者だらけの世界なのかがわかりやすいですよw 山根派さんの仰る通り、目の前で追い込める時が来るまでは相手にしない事が一番だと自分も思います。 しかし、山根さんに対するアンチ共の執拗な叩きと捏造と文字だけで大口叩き逃げ回る根暗な卑怯さを見てると、 山根さんをRESPECTして応援してる山根ファンの気持ちとして+自分も今まで長年叩かれて来た立場として、血の気の多い自分は他人事とは思えず、ついぶちきれてしまいました(汗) 勝手にしゃしゃり出て申し訳無いですm(_ _)m これからも、余りにも酷い叩きがあれば、申し訳無いですがまたアンチを挑発しておちょくってしまう時もあると思いますけど、なるべくスルーする様に努力はしてみたいと思います(汗)(^_^)v では、失礼します。山根派様もゆっくりお休み下さいm(_ _)m >>769 山根さん、山根派さんは、礼儀正しく思い遣りがある優しい方だと思うぞ。 礼儀正しい&腰が低い&敬語で口調が丁寧=媚びる、弱い、びびりとか思い込んでるおまえらキモヲタは、中坊の半端な意気がりレベルの思考丸出しやし、話しにならへんでほんまにw そう言うデビュー丸出しの思考が、不良に憧れてるだけのパシリキモヲタってわかりやす過ぎてうけるでww 本職の不良でも、上に行けば行く程、外部の人間に対しては格下の堅気相手であろうと、敬語で礼儀正しく丁寧に接したりする人格者が多いって現実を知らへんのやなおまえはw 反目でも無い友好的な相手に対して(相手の年齢や格、無関係に)、初対面とかでいきなりおまえ呼ばわりして威張り散らす方が、小物臭いでw 能ある鷹は爪を隠すって言うしな。 山根さんや山根派さんの様に普段、謙虚で人に丁寧に接して礼儀正しく温厚な方ほど、きれたら一番やばかったりするからよ。 でも、俺としては、山根さんや、山根派さん(年齢はわからへんけどもし年上やったら)含めて、年上の方に敬語使われると申し訳無くて恐縮しちまうけどな(汗)(^_^)v 俺の方が年下なんやから、初対面、ネット初絡みでもいきなりタメ語で十分なのにみたいなw まあ俺も状況次第で、年下やタメに敬語使う事もあるし、自分より格下の相手とわかってても年齢無関係に敬語使う事もあるし、逆に親しくなれば年上にタメ語って事もあるし、臨機応変、時と場合に寄り色々じゃw 威張り散らせば偉いとか勘違いしてるおまえが、良い歳して餓鬼臭く、匿名掲示板を良い事に内弁慶で礼儀知らずなネットヤンキーのヲタク丸出しでおかし過ぎやでほんまによw 次の日、その1人の肘をバットで粉砕してやったわ 今でも肘が動きにくいらしいわ 後の2人もビビって近寄ってこなかったわ 812 :OG-DUV-V ◆uaTLInMAP. :2011/11/07(月) 16:05:35.54 O >>787 てめえが本当に濱連OBだろうと、本職や右翼だろうと、今は良い歳してねちねち2チャンに粘着して他人の中傷する事しか出来ないネットヲタクの根暗カタワ野郎丸出しやんけ?w 群れなきゃ何も出来へんぱしり雑魚の小物なんが丸分かりやでおまえらよw 山根さんとの待ち合わせからばっくれてるどころか、おまえらがキモヲタパシリオカマ扱いしとる俺との待ち合わせどころかメールすらぶるって出来へんびびりやんけわれ?w おまえらは秋葉系のオカマにすらびびる最弱パシリ君なんか?《爆》 その情けなさで濱連OBだの威張り散らした所で、他の山根さんの様に気合いの入ったまともな濱連OBの方達が迷惑するだけやろうがいボケヲタ?p(´⌒`q) 後な。ここは2チャンやし誰が書きこみしても自由だからよ。 濱連の内輪揉め専用スレにして部外者入れたくないなら、関東連のなかよしやジョーカーズチャンネルみたいに専用サイト作ってそこでやれやカス?w 俺は二軍チーム出身でもな。ネットでねちねち誹謗中傷かますしか出来へん様なおまえらみたいな情けない餓鬼親父よりは、格上やし実際会って喧嘩出来るからよ。悔しかったらとっとと出てこいや三下パシリ野郎?w ホムペhttp://hp.kutikomi.net/realgangsta/ BBShttp://hostlove.com/cgi-bin/neta/ibo.cgi?mode=tp&digest=1&page=1&a=32&file=20111028230040 アドgangsta-queen213yoyo@ez いえいえ(^_^)vありがとうございますm(_ _)m 自分は、負けん気だけは強くて勢いで突っ走るタイプなんで、理論派どころか口下手で大した事は言えて無いと思いますが、自分のレスに拠り、山根さん、山根派さんに元気を与える事が出来たなら本当、光栄です(^_^)v アンチ共は口だけは達者で人を騙すのが上手い詐欺師的なキモヲタ野郎ばかりなんで、P表示さんが連中につい釣られて戸惑ってしまったのも仕方無く悪気は無いんじゃないかと思いますよ。 だからこそ山根さんの悪評をさも真実の如く巧妙な話術で流し続ける糞アンチ共は迷惑極まり無く、早くぶっ潰したいですよね《怒》 アンチ共は、山根さんが家族旅行などで親孝行されてる件や、山根派さんがアンチ以外の友好的なレスに対しては礼儀正しく丁寧な口調な事(自分達に対して)を、 【不良が家族旅行とかだせぇ】【ぺこぺこしててびびり丸出し】だのほざいてるみたいですが、 本当、こいつらアンチは常に悪ぶって威張り散らしてれば格好良いと勘違いしてるパシリ中坊みたいな不良ヲタクモグリ野郎丸出しですよp(´⌒`q) しかも、ネット限定や陰口ばかりで吠えて、現実社会ではびびりで何も言えないとは益々、根暗でしょぼ過ぎます《呆》 とてもじゃないですが、小物過ぎてこいつらは40過ぎた大人の発言とは思えないですよ。知恵遅れかアスペのキモヲタ丸出しですねw 山根さん、山根派さんの様に、いざとなったら敵に対してはイケイケでも、普段は礼儀正しく筋が通ってて思い遣りがある様な方が、大物アウトローであり、強き漢だと、本当、思います(^_^)v 自分も、山根さんの家族旅行の記事を拝見して、親が生きてる内に親孝行しなきゃなぁと考えさせられました(汗)(^_^)v 最後に、こちらこそこれからもよろしくお願いしますm(_ _)m アンチ全員の逮捕と、山根さん、山根派さんの、ご活躍、ご健闘をお祈りします(^_^)v では失礼します。 ホムペhttp://hp.kutikomi.net/realgangsta/ BBShttp://hostlove.com/cgi-bin/neta/ibo.cgi?mode=tp&digest=1&page=1&a=32&file=20111028230040 メアドgangsta-queen213yoyo@ez >>84 旅人〜俺は怖い物は無いが、俺が身元を晒すと若い衆や元請け会社に迷惑かかるし(ケツ持ちもおって裏ビジネスもたまにこなしとるから組織にも迷惑かかるしよ)俺だけの問題じゃ済まなくなるしなェ 俺自身も、信用失ってシノギ失いたくねえしよ。 そやから、会社名は晒せねえなw 山根さんは、俺みたいなモグリの小規模な組織形態ちゃうし、でかい組織力と信頼のある実績を築かれてるからこそ、会社名、身元を詳細に自ら晒されても潰される様な事はあらへん大物アウトローなんやと思うし、俺とは格がちゃうしなw ホムペhttp://hp.kutikomi.net/realgangsta/ BBShttp://hostlove.com/cgi-bin/neta/ibo.cgi?mode=tp&digest=1&page=1&a=32&file=20111028230040 アドgangsta-queen213yoyo@ez
:2012/09/27(木) 13:31:59.29 O 丁重な、暑中見舞いありがとうございます。最近、多忙で、レス遅れて申し訳無いですm(_ _)m 山根派さんも山根さんも、お元気そうで何よりです(^_^)v 最近は、急激に寒いくらい涼しくなって来て仕事がしやすく楽にはなりましたが、急な温度変化に体がだるくなりますねw 自分はやはり暑い方が性に合ってますよw今は、中米移住に向けて貯金中で仕事量を増やしてますが、早く南国生活がしたいですね(^_^)v 山根派さん山根さんも、お体壊さない様に気を付けて、仕事など頑張って下さいm(_ _)m 話し変わって、さすが、山根派さんは鋭いですねw大正解で、その通り、あれは自分の書き込みですw 他スレで、堂々とコテつけて書き込むと、アンチが来たり、スレでも目立ちまくり、喧嘩になり荒れてしまうんで、 なるべく名無しで書く様にしてはいるんですが、書き癖や内容ですぐにばれてアンチに見つかってしまうし、そうじゃなくても叩きにすぐにぶちきれてメアドで呼び出しかけたりコテ出してしまうんで意味無いですけどねww それにしても、山根さんのアンチも、OGアンチも、長年のストーカー粘着の熱意に本当呆れますが、目の前じゃ震えて涙目の癖に、本当、文字だけじゃ強気で情けないですよ(-_-#) その熱意を、仕事とか実生活で生かせって感じですがw 自分も、山根さん、山根派さんが、滅茶苦茶気になる熱い人物で、RESPECTしてるんで、いつかお会いしたいですね(^_^)v 自分は、山根スレの方に書き込むと、またスレが違う方向に荒れまくり騒ぎがでかくなり、山根さん達に迷惑かけてしまうんで、 書き込みは控えると思いますが、ブログはちょくちょく見てますし、山根さん山根派さんのご活躍を、これからも陰ながら応援し続けて行きますんで、よろしくお願いしますm(_ _)m PS.山根さんの芸能プロダクション活動も順調そうですが、出来れば、山根さん自身がタレント活動復活されたら最高に売れるんじゃないかと思います(^_^)v 笑っていいとも出演時の動画とか拝見させて頂きましが、スターのオーラを滅茶苦茶放っていて、ジャニーズとか辞めてしまったのがもったいないなと思いました(^_^)v 自分の場合は、昔、目撃ドキュンの再現ドラマとか悪役で出た程度ですが、悪いツレ達の誘惑に負けずに俳優の卵辞めなきゃ良かったなとたまに後悔しますよw :2012/09/27(木) 13:33:04.65 O 濱のカリスマイケイケアウトロー山根氏山根派氏万歳!RESPECT G−YAAAA ホムペhttp://hp.kutikomi.net/realgangsta/ アドgangsta-queen213yoyo@ezweb.ne.jp ※OGユキオ様へ、初めまして、2chでの通称山根派氏と、自分は別人ですが、 数々のホメレスや、リスペクトを、誠に、本当に有り難く、嬉しいです!有難うございます! 以前もブログコメントにて、OGユキオ氏のHPが一緒に貼られたコメントにて、リスペクトして 東京トップクラスに治安の悪い足立にてイケイケギャング出身で、埼玉武闘派右翼系会社事務所設立にて、悪役の俳優の卵もやってとは驚きです!さすがですね! 2chではアンチ相手に、身元や正々堂々メルアド連絡先などを晒しながら、相手が誰であろうと 誰にも一歩も引かずに、押せ押せで、仲良しや仲間には、腰が低く礼を尽くす。 まさにアウトローの鏡ですね! HPの出来映えもバッチリで渋いです!自分も2PAC好きでして、本物の黒人ギャングで、抗争で、 身体に、実弾を数発弾かれたのに、生き抜いてた漢でしたよね! ハイテンションで楽しい曲もあれば、低音で、あの怪しげで、不気味な悪そうなラップ音楽も最高に渋くて、格好良いですね!中米移住に向けて貯金 中米移住に向けて、貯金中で仕事量を増やしてるという夢も最高ですね! 上から目線の言い方ですいませんが、偉いです! 一日も早い外国移住出来るように祈ってますので、頑張って下さい! 今後益々のOGユキオ様の、ご活躍やご発展を祈り、陰ながら応援してます! 【山根ブログより抜粋】 何と!一般人による、社会情勢ツイッターに、
山根健一 運勢姓名判断 良いことも悪いことも、全て当たっていて感激です。
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