この前の記事はわたしの回想と妄想を混ぜたやつ。



この雰囲気で、この気持ちであの方とセックスしたんだけど、
でもただ一つ現実と違うのが

「あのひとがわたしを愛してくれている」ってこと。




そこがただのわたしの妄想。


わたしにとって重要なのはセックスのプレイの内容じゃなくて、
彼がわたしを愛してくれているかってことだけなの。






「愛しているからこそ」?
なんて馬鹿なことを書いたんだろう。



愛してもらったこともないのに、
そんなことを妄想して、おこがましい女。






妄想は確かに自由だけど

あの方に関してはわたしに自由があってほしくない。


わたしが彼のモノじゃないとしても、
そこに拘束がほしい。






「愛してもらってもいないくせに、
愛されている妄想なんてする権利はないの。」

「そんな行為は彼の愛情に対する偏見で冒涜だもの。」




これは

拘束?  ううん、戒め?


ちがう、もっとなにか表現があるんだけど。



でもある意味、あの方に関してのわたしの妄想に対する拘束。







これをわたし自身に課しているのはわたし。





自分で自分に拘束を課して
その拘束を彼からの愛情だと妄想する。









結局のところわたしは、妄想の中でしか
あの方に愛してもらうことはできないのか。


妄想はただの妄想であって妄想以外の何物でもない。


だからわたしの妄想の中の「愛されている」ということは
ただの妄想であって、妄想以外の何物でもない。






自分で妄想でもしない限り、
自分の中であの方の愛を思い描きでもしない限り、
自分を満たすことさえできないんだ。
たとえそれがわたしの中で作られたウソの愛だとしてもね

偏見だの冒涜だの、わたし自身にわたしが課したあの戒めも、
ただの妄想にすぎなくて。




その行いそのものは、
わたし自身をもっと空虚にしてしまうってわかっているのに。




これは麻薬?

ただの一瞬満たされるためだけに、
その後のぽかんとあいた空しい穴を対価にして
妄想っていう麻薬を買い込むの。










つまりね


わたしは所詮愛されないただのみじめな野良犬ってこと。







妄想に妄想をして自分を満たすことでしか
自分を保ってあの人を思い続ける方法を見つけられずにいる。












言っておくけど


同情なんかしたら許さないから。