国宝
合掌土偶 

国宝『合掌土偶』
【大きさ 】高さ19.8cm、幅14.2cm、奥行き15.2cm   
【所有者】八戸市(青森県八戸市内丸1-1-1) 

 

国宝指定までの経緯

平成9年6月30日、八戸市風張1遺跡から出土した縄文時代後期後半の遺物666点が、縄文時代晩期の是川遺跡に代表される亀ヶ岡文化の形成を考えるうえで、極めて貴重な学術資料として、国の重要文化財に指定された。

平成21年3月19日、国の文化審議会から文部科学大臣への答申により、重要文化財のうち「合掌土偶」1点が、国宝に指定されることが決定した。

 

1.土偶が出土した遺跡の概要

遺跡の位置

風張1遺跡位置図土偶が出土した風張1遺跡は八戸市庁から南方へ4.3 km、新井田川の右岸に位置し、縄文時代晩期で有名な是川遺跡の対岸に存在する。北側を蛇行する新井田川と南西側の沢地に挟まれ、北西側に突き出した標高20~30mの舌状台地上に立地している。遺跡の規模は東西約470m、南北約250m、総面積は75,000平方メートルである。

【※地図「風張1遺跡位置図」】 


 

 調査概要

第15号竪穴住居跡八戸市教育委員会では昭和63年~平成4年(1988~92)まで、5度にわたる発掘調査を行い、これまで15,700平方メートル、約21%の調査が終了している。合掌土偶は、平成元年7月、長芋作付けによる緊急発掘調査で出土したものである。

調査の結果、縄文時代の早期・中期・後期、弥生時代、奈良時代、平安時代の遺構・遺物を数多く検出している。本遺跡の特徴は、縄文時代後期後半の大規模な環状集落(二つの土坑墓群を取り囲むように土坑群・掘立柱建物跡群・住居群が同心円状に構築されている)が構成され、縄文後期の拠点的集落であること、遺物は住居内から完全な形のものが数多く出土し、縄文時代後期後半の集落構造や編年を考える上でも貴重な資料である。

【※写真「合掌土偶を出土した第15号竪穴住居」】

  

2.合掌土偶の出土状況

合掌土偶出土状況合掌土偶の出土状況は、第15号竪穴住居跡の出入り口から向かって奥の北壁際から出土している。右側面を下にし、正面を住居中央に向け、背面は住居壁面に寄りかかるように確認された。また、出土時に欠けていた左足部分は、2.5m離れた西側の床面から出土した。土偶は、一般的に捨て場や遺構外からの出土例が非常に多いが、住居の片隅に置かれた様な状態で出土した例は非常に少ない。

【※写真「合掌土偶の出土状況」】

 

3.合掌土偶の特徴

土偶の状態

合掌土偶図面風張1遺跡からは約70点の土偶が出土しているが、完全な形をしているものはこの土偶だけである。座った状態で両腕を膝の上に置き、正面で手を合わせ、指を組んだポーズを取っていることから合掌土偶と称されている。

また、両腿の付け根及び膝と腕が割れており、割れた部分をアスファルトを使って修復し、長く大事に使用していたものと考えられる。土偶の顔面・体の一部などに赤色顔料が認められ、使用された当時は全体が赤く塗られていたと思われる。

【※図「合掌土偶実測図」】


 

縄文時代後期の土偶の特徴と合掌土偶

東北北部では、縄文時代前・中期に板状土偶(両腕を左右に突き出した十字形の土偶)が多く出土している。縄文時代後期前半に入ると、前・中期で顔が扁平に表現されていたものが、立体的となり前方に突出し、両足も表わされるようになる。後期後半はお腹を膨らませ、妊婦を表現しているものや蹲踞姿勢でポーズをとる土偶が出現する。

蹲踞(そんきょ)注1 姿勢の土偶は、腕組みをするものが多いが、手を合わせ合掌しているポーズをとるものは、本遺跡出土の土偶と青森県つがる市石神遺跡の土偶だけである。ただし、石神遺跡の土偶は頭部と胴体が別々のものが接合され、全体像を捉えることが出来ない。土偶は一般に、完全な形をしているものは非常に少なく、どこかの部分が欠損しているものが多い。風張1遺跡の合掌土偶は、完全な形で残っており、他の土偶と比較してより精巧に作られている。

注1 蹲踞(そんきょ):体を丸くしてしゃがむこと。うずくまること。

 

4.合掌土偶の時期

第15号竪穴住居跡出土土器、土偶の形態からみて、縄文時代後期後半(約3,500年前頃)のものである。

  

お問い合わせ先
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