電車通勤,もとい定年退職してしまったから通勤ではなく移動かな,のちょっとした楽しみ。楽しみという程ではないなぁ,ちょっとしたやぶにらみという方が正確だろうか。
私の前に立っている壮年の勤め人風,日経新聞を読んでいる。ふとその紙面に目をやると,
「○○特区で,小学一年から英語教育」
の大見出し。国際人を育てることが目的といった見出しが続いている。
こういった記事を見るにつけ,以前からこのブログでも主張している内容を繰り返すことになるけれど,持論を紹介せずにはいられなくなる。
我が同朋は外国人との議論が上手くなく,というよりは苦手で,外国との交渉は大概の場合,不利な合意に至ってしまうことが多い。そしてそれを,
「日本人は国際的な人材が少ない。これは英語会話の下手なのが原因,それゆえ英語教育の早期実施を!」
と短絡的に結論し,国を挙げての「グローバル人材の育成」を図ることとなり,英語教育の前倒しが実施されることになる。早い話,幼少時からの英語教育である。
残念ながら,この考えは8割方正しくない。我が同朋が,国際的な議論で不利を被るのは,英語が下手だからではなく,議論を闘わせるといった習慣が希薄だからというのが私の理解である。何せ不言実行を美徳とする歴史的背景があるし,沈黙が金ともてはやしたりもする反面,色々と主張する仲間を
「あいつは,理屈っぽいからなぁ!」
とけなしたりもする。と言ってもその要求を,鵜呑みにしてしまうことが多いようだが・・・。
余談ながら,それゆえちょっと弁のたつ人がいたら,それが立派な政治家と取り扱われたりするが,それが我が国の不幸であると私は考えているけれど,この件についてはまた別の機会に詳しく述べたい。
話しを本題に戻す。
母国語の日本語ですら議論できないのに,外国語の英語で議論できるわけがない。どうして,そのことを教育に携わる方々や教育評論家を標榜される方々が,主張されないのだろうかと,不思議でならない。それはそれとして,こういった教育方針の変更をあれこれお膳立てされるお役人様にも,困ったものである。
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