陳休さん
八〇年代の香港功夫映画が好きな方々に捧ぐ。
「おい、陳休。儂の娘と付き合いたければ、この橋を渡って見せよ。―――ただし、“橋は渡らずに”な」
「ぐぐっ!!」
煩悩に溢れる多感な僧侶、陳休はピンチに陥っていた。ある日、街道を行く若い娘に、己の修行姿を見せつけながらナンパしたそうだ。それがたまたま、陳休のかつて地元であった村の大地主の次女だったというから、始末が悪くなったのである。しかし、この陳休というのは、なかなかの男前。キリリとした切れ長な眼差しと、高い鼻梁。そして、その細い躰に蓄えた鋼のような筋肉の持ち主。ソフトマッチョのハンサム青年なのだった。
陳休は、袖を捲り上げ、襷を掛けて、袴の裾避けを巻き、気を引き締める。そして、大地に足を根ざすと、掌を顔の中央で合わせて神経を張り詰めさせてゆく。次に腕を左右に広げると、空気をかき集めてゆくような動きをみせて上から下腹部の辺りへと押し込んでいく動作を三度ほど繰り返した。その間に口を尖らかせて、雑念を吐き出していく。
「コオオォォ…………」
やがて、吐ききったのちに、今度は勢いよく掌を拳槌で叩いた。最後に、カッと鋭い視線を橋の向こう側にいる大地主とその娘にへとやって準備万端! 踵で土に真横に線を描くなりに、陳休が身を沈めて、両手の指先を地に突けたのちに、顔を前方に向けて構えた。片足を後方に伸ばして、腰を上げる。クラウチング・スタートだ。
位置に付いてー
ヨーイ
ドンッ!!
陳休選手、見事なスタートです。砂埃をあげて駈けだしました。綺麗なフォームで、風を切ってゆきます。連続して鳴ってゆく小気味よい足音が、走りの軽快さを現している。陳休は“橋の真ん中”を切って、大地主のもとに迫って来た。実に速い走りを見せて、二人に目を見晴らせたのだ。
陳休選手、ゴール!!
見えないゴールテープを切って、男前僧侶は両拳を天高く掲げながら心で叫んだ。
―やったぜ、陳休! お前はナンバー・ワンだ! そうだ、俺は一番イケている僧侶。陳休だ!!――「ありがとーーーっ!!」
「『ありがとー』じゃねえっ。この阿呆僧侶」
「バボラァッ!!」
すかさず飛んできた大地主の拳を頬に喰らってしまい、横倒れになる。
「何故だ!?」
「“橋を渡らずに橋を渡って見せよ”と云ったばかりだろーが。だからといって真ん中を渡る奴があるかっ。バーロー!」
「“端”は渡らなかったぞ」
「下手な理屈こいてんじゃねーよ! なに堂々と橋の上を走ってきてんだよ、馬鹿かお前!?」
「ああーー、そうかい! 解ったよ! 橋の上渡らなきゃいいんだろ!?―――やってやらあっ! 目ん玉ひん剥いて見とけよ、コラアッ!!」
陳休、逆ギレ。
後半戦。
陳休、両掌を力みながら突き出してゆき、腹筋と胸筋とを締めていく。これを三度ほど繰り返したのちに、足と拳とを繰り出してゆき、空を斬り突いていった。
「破っ! 破っ! 破っ! 破っ破っ!!
破っ! 破っ! 破っ! 破っ破っ!!
破っ! 破っ! 破っ! 破っ破っ!!」
終了と同時に胸の前で掌を合わせて、ゆっくりと息を吐いてゆく。
そして、陳休は地を蹴って跳躍した。
以下、陳休の脳内BGM。
『ミラクル・ガイ/少林寺木人拳』
(映画:『少林寺木人拳』日本公開時の主題歌より)
ゆけ今こそ ゆけはるかに
風の行方は 誰も知らない
大地を蹴って 追いかけるのさ
コバルトの地平線 燃えつきるまで
You've Got The Miracl
You've Got The Miracl
奇跡をおこせ 今その腕で
You've Got The Miracl
You've Got The Miracl
嵐をおこせ 今その胸に
陳休が、橋を飛ぶ。
舞う。跳ねる。
地を這う虎に変わり。
空を駈ける龍となる。
蟷螂に。猿に。
鷹に。熊に。
憑依拳という演武を見せていくうちに、陳休は大地主とその娘のもとへと迫って来ていたのだ。そして、宙で旋回して着地したその時に、陳休が二人の前に立っていた。なんと、この陳休は、出された条件の通りに“橋を渡らずに橋を渡って見せた”のである! 掌に拳を合わせて礼をする陳休の姿に、呆れ顔の大地主親子。オマケにこの僧侶は、口の端を上げて白い歯を光らせた。
「気持ち悪い……」
「は!?」
「気持ち悪いっつってんのよ、阿呆僧侶!!」
「ほわああぁぁっっ……!」―そりゃないぜ! かわい子ちゃんっ!!――
陳休、娘のひと言に撃沈。
その後。
男は大地主親子の去り行く背中を、酸っぱい顔で見詰めていたそうな。
『陳休さん』完結
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