陳休さん【2010】
ここは長崎市の思案橋歓楽街にある一角に構えている、全国展開居酒屋チェーン店『胡座』の銅座町支店内部。ここも例にもれずに、週末は大学生たちの合コンで盛り上がっていた。その若い男女たちの中に、明らかに異質な男が混ざっていたのだ。それは、白い道着に黒い上着を羽織った、青々と眩い禿頭の青年。しかも、ソフトマッチョのハンサムメン。名は、陳休。皆が皆、座敷席でホロ酔いに出来上がっていた。そして男たちの手拍子とともに、赤い顔した陳休が自身も手拍子をしながら立ち上がる。以下、ヤングメンズの大合唱。
「あ、それ、陳休さん、陳休さん。あなたの酔拳、見てみたい。可愛いあの子に見せとくれ」
「酔えば酔うほど強くなる! このわたくしめの酔拳を、とくとご覧あれ!」
陳休は張り切っていた。それは、漫画研究部の女子メンバーに戦力で加わっていた、可愛いあの子こと長崎大学のお姫様である、古代日本歴史研究部の摩魚がいたからだ。だが、このお姫様は酒豪であるために、ちょっとやそっとの量では顔色のひとつも変えない女だった。摩魚は、いったいどういった“つて”を使って、向こう岸の男子どもはこの少林寺拳法青年を呼んできたのかと、思考を巡らせみたが、ルートの一本も浮かばなかったのだ。とかなんとか考えている間にも、上をはだけた陳休がなにかを始めていたではないか。
以下、陳休の脳内BGM。
『拳法混乱|(酔拳)』
(映画:『ドランク・モンキー/酔拳』の日本公開時の主題歌)
香港熱風 試練鉄拳
殺気参上 拳法混乱|(クンフー・ジョン!)
お前の目の前に 奇跡の人がいる
楽園の使者 僕がいる
強い酒を吹き付ければ
ここは氷河の都市となる
お前の影の上 霞の人がいる
風雲の使者 僕がいる
強い夢で引きつければ
ここは架空の都市となる
僕そのものが 正義で愛なんだよ
東から西へ 生命が動く
拳法混乱|(クンフー・ジョン!)
緊張問題 戸外活動
脱自然美 拳法混乱|(クンフー・ジョン!)
お銚子を持っている両腕を、まっすぐと左右に振って風を鳴らし、千鳥足で歩きながら上体を揺らしてゆく。背中を反って天井を仰ぐ。そして、そのお銚子を握っている腕を、右左と突き出して、爪先を蹴り上げて跳び、着地した。その間にも、自慢の秘技を数々披露してゆく。それは、八人の仙人たちが得意とする技であった。
呂洞賓は酔うと怪力。
鉄拐李は一本足。
漢鍾離は樽を抱えて歩く。
張果老は連続蹴り。
藍采和は下腹部を狙う。
韓湘子は笛の名手。
曹国舅は玉板の使い手。
何仙姑は鋭くしなやかに。
最後のこの何仙姑という女冠の動きが、腰をくねらせたり小指を立てたりとなどなどの、色気を出してゆくこの何とも評しがたいものに、それを見て盛り上がるヤングメンズを余所に漫研の女子たちは口をポカーンとしていた。そんな中で「ぷっ」と噴き出したのは、摩魚だった。陳休の動きが、気持ち悪くて面白かったらしい。そして、半目を開いた顔の顎に手の甲を添えて、陳休の演武は終了した。決まったぜ!―――と、白い歯を輝かせる。しかし――――
「さ、皆さん。もう一杯づつ行きます? 飲む人がいたら云ってきて」
メモ帳とシャープペンとを取り出した摩魚が、面々に尋ねたその瞬間に、一気にその流れが陳休から遠ざかっていった。嗚呼、無情なり、合コン。これにはムッときた陳休が、口を尖らかせて摩魚のもとに歩いていったのだ。皆の注文を聞きながらメモをとる女を、見下ろして声をかける。
「あの……」
「ああ、貴方もなにか飲みたかったらどうぞ」
陳休を見上げて微笑みかけたのちに、再びメンバーの注文を受け付けてゆく。
「あの、なにか感想が欲しいんですが……」
陳休をよそに、メモしていく。すると、無視されて悔しいのか、摩魚の肩に向けて男が手を出したその途端に、弾かれた。
「ぬっ!」
食いしばった顔をして、さらに手というか拳と鉤爪とを繰り出してゆくものの、メモ片手の摩魚から次々と捌かれていったのだ。この女、片方は筆を動かしつつ、もう片方は陳休の両腕から出されてゆく技を、弾いたり除けたり捌いたりしているではないか。暫くの攻防戦が続いたのちに、陳休は息を切らして大いに落ち込むと、己の席に正座した。
そして。
「陳休さんは何を飲みます?」
「ホット烏龍茶をお願いします」
カウンターへと向かう摩魚の背中を眺めながら、陳休は“酸っぱい顔”をして、己の鍛錬不足を大いに痛感したのであった。
劇終
最後まで、このような書き物をお読みしていただきまして、ありがとうございました。あと、『マトリックス』入っていたのは、ご愛敬。
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