2013年06月26日

調査捕鯨中止訴訟で日本が訴えるべきこと

 突然ですが、オーストラリア政府と日本政府の間で訴訟が行われているのをご存知ですか?

 日本とオーストラリアとの間で、日本の捕鯨を巡ってすったもんだしていたことがあるのを記憶している方は多いと思うのですが、それが裁判にまで発展していて、本日26日から、ハーグにある国際司法裁判所で口頭弁論が始まるらしいのです。

 どう思います、オーストラリアのクレームについて? 彼らは、日本の調査捕鯨は、本当は商業捕鯨ではないかと言っているのです。

 まあ、いろんな意見があると思うのですが‥結構、多くの方が、この間の人道人権大使ではありませんが、「シャラップ!」と言いたい気持ちになっているのではないでしょうか?

 でしょ? 「うるさい」と。

 何故他人の国が、日本のすることにいちいち口出しをするのか、と。自分たちだって、牛肉は食べるし、カンガルーに対しどんな仕打ちをしているのか、と。

 でも、そう言いたい人々に言いたい。そう熱くならないで、冷静に考えましょう。

 その前に、もし、自分がクジラであったら、やっぱり日本よりオーストラリアの言うことを有難いと思うでしょうし‥

 だから、先ずクジラさんにお気の毒に、と言いたい。

 しかし、残念なことに、生き物は、他の生き物を摂取しなければ生きていけない。これが自然の道理。クジラさんも他の生き物を摂取している。そして、人間も他の生き物を摂取する。

 だから、例えばイヌイットが行う捕鯨は、国際社会でそれほど問題にされることはないのです。

 その論理に従えば、日本だって、近海で細々と捕鯨を行う程度であれば、オーストラリアがクレームを付けることはなかったかもしれない。

 しかし、漁師の性というか、獲物を見つけるとどこまでも追いかけたくなる。だから、日本の漁船団は、世界中の至る所で漁をするし、捕鯨船は南極までクジラを獲りに行く。

 一方、オーストラリアと言えば、南極のすぐ近くに位置する国であり、また、クジラのウォッチングを観光の目玉にしていることから、日本のやる行為が許せない、と。

 だって、クジラのウォッチングをする人々は、皆、クジラを愛する心優しい人々でしょうから、その自分たちが愛するクジラが殺戮されるなんてことをしれば黙っていられない、と。

 プラス、欧米人の差別的な意識もあって、日本の捕鯨がどうしても野蛮な行為に見えてしまう。

 裁判では、日本の捕鯨行為が、調査捕鯨の範囲に留まるのか、それとも商業捕鯨と考えられるのかが争点になると思われますが‥それが、どのように判断されるかは、裁判所の判断に任せたいと思います。

 ただ、率直な感想を述べるならば、調査捕鯨という主張を貫き通すことは無理なのではないでしょうか。もちろん、調査捕鯨の細かい定義について私が徹底的に確認した上での意見ではないので、確信を持って言えることではないのですが、でも、常識から考えたら商業捕鯨と言われても仕方がないでしょう。

 何故ならば、多くの日本人が多分、本音としてそう感じているから。しかし、同時に、そうした多くの日本人は、何故海外からとやかくいなければいけないのか、という思いがある。西洋人だけが偉いのか?西洋人こそ野蛮ではないのか? という思いもある。だから、商業捕鯨ではなく調査捕鯨だと言い張りたい。

 いずれにしても、私は、この裁判の行方は世界が注目していることでもあり、この際、日本が言いたいことがあるのであれば、堂々と述べることが必要だと思うのです。

 ただ、だからこそ私には懸念があるのです。

 外務省のサイト(捕鯨に関するQ&A)にアクセスすると、日本の捕鯨の正当性がアップされているのですが‥
  ↓↓↓
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/whale/q_a_j.html

 間違ったことは書いていないのでしょうが‥如何にも役人的な文章ばかりが並んでいて‥要するに、説得力が感じられることがないのです。一つだけ例を示しましょう。

Q4. 日本の調査捕鯨は,商業捕鯨モラトリアム違反では無いのでしょうか。
 
A4. 日本の調査捕鯨は,ICRW第8条に整合的な形で実施されており,商業捕鯨モラトリアムが規制対象としている商業捕鯨ではありません。モラトリアムを定めるICRW付表10(e)の規定は,最良の科学的助言に基づき商業捕鯨モラトリアムを検討すること,遅くとも1990年までにモラトリアム措置が鯨類資源に与える影響に関する包括的評価を行うとともに,同規定の修正,及び新たな捕獲枠の設定につき検討することを求めており,我が国の調査捕鯨は同規定の趣旨に基づき実施されています。(IWCによる当該「検討」は現在もなお継続しています。)

 如何でしょう? 恐らく間違ったことは書いていないのでしょう。しかし、そのようなことを幾ら述べても、なかなか日本のことを理解してもらえないのではないでしょうか?

 要するに、日本人は屁理屈ばかりつけ‥その上、あのかわいいクジラさんを殺戮している、と思われ続けるだけで、本当の日本人がどんなものであるかはなかなか理解されないでしょう。

 そのようなことではいけないのです。もっと常識に訴える作戦でいかない、と。

 そもそもクジラは日本人だけが食べるのか? 西洋人は、クジラを捕獲しないのか?

 先ず、人類の捕鯨の歴史というものをオーストラリアを始めとする世界の人々にしっかりと認識してもらうことが必要なのです。

 オーストラリアの人々の元々の母国は英国です。

 例えば、アダムスミスが国富論の中でも書いているように、昔の英国人たちは盛んに捕鯨活動にいそしんでいたのです。だから、少し知識のある人々なら、自分たちの祖先がクジラをガンガン捕獲していたことをよく知っているのです。白鯨という小説もあります。それに日本に開国を求めたペリーが何故日本に来たかと言えば、元はと言えば、捕鯨船への燃料と水の補給が目的だったではありませんか。

 では、彼らはそれほどクジラの肉が好きだったのか?

 しかし、クジラを捕る主たる目的は別にあったのです。つまり、肉よりも鯨油が目的だった、と。鯨油は、温度が下がっても固まらないので、ランプの燃料や潤滑油として人気があったのです。それに、クジラの髭や骨は、コルセットやペチコートの材料になった、と。

 でも、20世紀に入ると、石油精製の発展と共に、そのような需要が激減し、クジラを捕獲する意味が失われてしまったのです。

 どんな目的であろうと、過去大々的に捕鯨をしていた英国人の子孫であるオーストラリアなどの人々が、どんな顔をして捕鯨が残酷だなどと言えるのでしょうか?

 繰り返しになりますが、漁の対象にされたクジラさんは、かわいそう。それはそのとおり。

 但し、日本人は、自分たちが食する生き物に対する感謝の念を持っているから、「頂きます」とちゃんと食事の前に言う訳ですし、捕鯨の基地にはクジラ塚なるものがあるところもあると聞きます。

 それに比べて、西洋の人々はどれだけ慈悲深いと言うのか?

 オーストラリア人がカンガルーを棒で叩くという反論は、この際置いておくとして‥

 例えば、英国人のキツネ狩りやスペイン人の闘牛という行いについて指摘してみたら如何でしょう?

 どうしてキツネ狩りなんかするのですか?

 キツネの肉を食べる必要があるからですか? 否、彼らはスポーツというか娯楽でやっているのです。

 どうして鴨を撃ち落とすのですか? これも、食べるためというよりも、娯楽なのです。

 闘牛にしてもそのとおり。何故おとなしい牛を興奮させるようなことをするのか? そして、興奮して向かってきた牛に一撃を加える。それ、おかしくないですか?

 誰が一番残酷なのか?

 私は、今回の裁判で日本が一番主張すべきなのは、そのような西洋人にとって都合の悪い事実を指摘することだと思うのです。

 しかし、口では、捕鯨のどこが悪いのかと居直る日本政府というか、外務省も、本当にそこまで議論するだけの度胸はないでしょう。

 何故ならば、もし、日本の外交官がそこまでのことを言えば、煙たそうなまなざしを向けられることが必至だからです。

 そうやって、日本の国民と外国の政府との間で適当に演技をしている日本の外交官たち。

 しかし、折角の機会なのだから、日本人がクジラに対してどのような思いを抱いてきたかを、しっかりと理解してもらうことが必要だと思うのです。

 本当にいい機会だと思います。冷静に双方が思いのたけを述べて誤解を解くことが必要です。

 最後に一言。米軍の潜水艦の発する超音波が、クジラの脳に障害を与えているという研究結果がありますが、オーストラリア政府は、どうして米国には抗議をしないのでしょうか?

 それから、クジラが増えすぎると、魚の数が減少するからという反論は説得力がありません。だって、クジラをそれほど大量に獲ることのできなかった昔の方が魚の数が少なかったという事実はないのですから。

 魚の数の減少は、乱獲と環境の破壊が最大の理由なのです。



 クジラを可愛がるから自分たちは優しい民族だなどと考えるのは、なんと単純な人々なのかと感じた方、クリックをお願い致します。
 ↓↓↓
 人気blogランキングへ



columnistseiji at 12:06│Comments(2)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by あき   2013年06月26日 21:51
捕鯨は日本の文化と言う主張に違和感を感じます。確かにかつては食に限らずあらゆる部位を有効に利用して鯨を有効利用していた事は事実でしょう。
それは殺した鯨に対する罪滅ぼし的な
感覚もあったのでは?無駄にしない事がせめてもの供養だと。
しかし、他の方も書かれた通り今では
鯨肉も売れ残るのが現状です。それはつまり現代の日本人には鯨を利用する文化が既に無くなった事を意味するのでは?鯨を殺すことに罪の意識を
感じなくなっているのでは?
給食で鯨肉が出なくなって
何年が経つのでしょう?鯨肉が日本人に本当に必要不可欠なんでしょうか?そうでないならば、調査捕鯨はただ決められた数の鯨を捕る事だけを目的とした殺戮だと言われても仕方が無い様な気がします。
私も外国の価値観を押し付けられて、
鯨を捕る事が批判される事には納得出来ませんが、今となっては調査捕鯨自体が形骸化した既得権を何時迄も形式的に主張しているだけの様にも思えるのです。
2. Posted by 匿名   2013年06月26日 22:20
5 同意です。
おっしゃる通りオーストラリアが怒る理由は、オーストラリア近海で捕鯨することが一番の原因ではないでしょうか?
その証拠に、日本人がイルカを捕獲し食することにはあまり目くじらを立てていないように感じます。仮にオーストラリアで日本の漁船がイルカを獲るような事があれば即座に反応するでしょう。
なお、オーストラリアのスーパーマーケットではほとんどのお店でカンガルーの肉を売っています。
あくまでも「増えすぎて駆除した個体の肉」だそうです。

英米を中心に世界が周っているので日本の主張が欧米諸国で受け入れらることは少ないでしょう。
ただ、理解をしてくれる国も少なからずあるはずです。

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔