【あの人は今こうしている】
「柔道一直線」でブレークした吉沢京子さん
【芸能】
故中村勘三郎と2人してペアルックのサマーセーターを着て、銀座のホコ天でデートを
「観客の方の反応がストレートに伝わってくるライブの刺激的な面白さを知って以来、その虜(とりこ)になってるんです。先日も恵比寿天窓.switchで『京のことだま』と題して2時間弱のライブをやりましてね。当日は雨だったにもかかわらず、多くの方が来てくださいました」
JR千駄ケ谷駅近くのカフェで会った吉沢さん、大きな目を輝かせてこういった。
「ステージは気心が知れた鈴木裕子さんのピアノとワタシだけ。ちょっと照明を落とした中、お芝居仕立ての朗読や歌を聴いていただきます。あと、日本舞踊もご披露するんですよ。ライブで日舞なんて珍しいでしょ。ライブっていろんなことが発信できて本当に楽しいですね」
ライブは去年から始めた。
「4年前からお友達の西崎流宗家で歌手の西崎緑さん、歌手の桑江知子さんの3人で『三花繚乱』ってコンサートを開いてるんです。その企画に関わってるうちにだんだん欲が出てきて、自分ひとりのライブにチャレンジしてみたくなりました」
もちろん、「三花繚乱」は現在も続き、次回は28日、原宿のミュージックレストラン「ラドンナ」である。
さて、67年、映画「燃えろ!太陽」で女優デビューした吉沢さんは、69年、TVドラマ「柔道一直線」でヒロイン“ミキッペ”を演じ、清純派アイドルとして多くのファンを獲得した。
「『柔道一直線』はスポ根ドラマのハシリでしょうね。3カ月ほどで終わる予定だったのが、スタート時から高視聴率を記録し、結局、2年も続きました。“ミキッペ”の人気、それはすごかったですよ。連日のように段ボール箱いっぱいのファンレターが届きましたから」
その後は時代劇にも挑戦。とくに80年代以降は「暴れん坊将軍」「水戸黄門」などシリーズで活躍した。
「当時は日舞に本腰を入れてやってて、ワタシにとって時代劇は渡りに船って思いでした。日舞の師匠は西川右近さん。去年12月に亡くなった中村勘三郎さんのお父さまからご紹介いただきました。昔、映画『幻の殺意』で勘三郎さんと共演したことがあり、それがきっかけでご家族とも親しくさせていただいてたんです。勘三郎さんと2人してペアルックのサマーセーターを着て、銀座のホコ天でデートしたこともあるんですよ。そのセーターはお父さまからのプレゼントで、お2人ともおおらかで粋でしたね」
2000年以降は時代劇が次々と打ち切りになり、それに従って吉沢さんもお茶の間から遠ざかっていった。
「確かにドラマのお仕事は減りましたが、旅番組からはけっこう声がかかりました。最近ではBS日テレの『日本100巡礼』でしょうか。作家の玄侑宗久さんがMCをされ、昔からの巡礼地やパワースポットを旅しました。でも、正直、セリフを覚える術を忘れないうちにドラマや映画をやりたいですね」
バツイチ。都内に母親と1人息子の3人暮らしだ。